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今日も外は晴天。気持ちの良い風が吹いています。 我が家の桜は、もうほころび、風に舞って散り始めました。 花の散った後には、さくらんぼがぶら下がり、 風に青葉がそよぐ季節になります。 今日は、前回の記事、運命論のつづきです。 その前に、相談者との間でよくあるエピソードをご紹介しましょう。 ご夫婦、恋人、親子、いずれであれ、 その人間関係のご相談の時に、私がとる手法があります。 まず、ご相談者当人に、『あなたのことをまず、どういう方か観て、それにあなたが納得すれば、次にお悩みの相手の事を、お話ししましょうね 』そう言うと皆さんが喜ばれて納得して、まず、自分のことについての私の鑑定を聞かれます。 何故こういう風にするかは、実際多くの方を観てきて、余りにも、人は自分の相手の事をホントウに解かっていないからです。 そして、その事に気づいて欲しいからです。まず、『あなたは、、、、、、、ですね』 とお話しますと、 「 そうです。そうです。その通りです。」と驚かれます。 次は 『相手の方ですが、、、、、、、ですね。』 と同じくお話しますと、 「 えっ、そういう人なのですか? よく解からなかった。そうだったのですか?それはこうだと思っていたのです。 」 と、 こういう反応が、必ず出てきます。ん十年もいっしょに暮して、親子だって、夫婦だって、 "そういう人だったの?"はないでしょう、とこちらは苦笑してしまいますが、、、でも、大抵こうなのですよ。(笑い)職場の人間関係や、親子はお互いに選んだ相手ではないですから、 仕方ないにしても、冗談ではありませんよ。 若い感性で選んで結婚した二人、いい年の人だってそうです。 人間は、お互いをそれ程、知らなくても、知ったつもりで恋愛もし、結婚もし、子供も作り、いっしょに住める、それが人間なのですね。(笑い)実際に相手の事を理解してしまったら、結婚なんて決められないかもしれませんね。結局、自分のエゴイズムで都合のいいように相手を、デフォルメするのでしょう。(笑い) ある意味の効率化、合理化、ですね。お互いに分ってるつもりが、何かがあってから、初めて、 お互いの間に壁が出て来た~と思うのでしょう。 実は出会ったときから、生まれたときから、元々あったのです。(笑い) その時の本人達に、認識がなかっただけです。いろんな壁やトラブルがあって一歩深く気が付いていくのです。恐れてはいけませんね。人は、分ったつもりで自信を持ったり、失くしたりしているのでしょうね。(笑い) これは、わかったつもりでいる惰性と、 人間の五感の情報収集力の狭さみたいなものと、 自分の必死に培ってきた馴れた意識に縛られた癖です。 そのおかげで、《愛は理解》なんていう重いテーマを作って、理解しようとして、いろいろ実際は大変な苦労をしているわけですね。 それはそれで悪い事ではないのですが、、、 そういう苦労も、結論からいうと、縁さえ良ければ、運さえ良ければ、 これこそが愛、これが理解、そうよ信頼、という風にいちいち言わなくても、無意識の福に包まれて幸せはあるのです。 そういう方は、あなたの周りにも、静かですが、いらっしゃいますね。 そこからは、理屈も、へりくつも聞こえてきません。 学歴だけ、知識だけが目的の教育を受けてしまうと、人は、 その値打ちを出そうと、どうしても自分を正しいと思い込みたくなります。そして、他人や社会の意識でガンジガラメなのに気が付きません。 その上に、この時代のフィルターが重く圧し掛かっています。 それは、"自分の理解は正しい" "自分の考えは正しくない" という【正しい】か【正しくない】かに分ける西洋的二元論です。 近代以降、人は強い自己肯定か、迷いの自己否定かに染まっていますから尚、大変です。五感にもフィルターがガッチリ架かっています。 あなたの五感はセンシティヴですか?五感も、センスの訓練もしないで、知識や注意で人が解かるのかしら? たとえば、耳が外に向いて開かれた構造は、 目のように意思で拒否して閉じるようにはなっていないでしょう? これって外の世界からのすべての音声を、拒まないで聞かないと危険や認知の間違いから自分の命を守れませんよ。ということなのかもしれませんね。 我々のホントウに解かっているっていう中味は、実はどうなのかしら? ですから、つくづく思い返せば、 近代合理主義の祖デカルトは、1600年代なのですね。 400年以上、今の思潮が続いている。 彼には悪いのですが、" 我思う故に我あり " では、捉えられない、、、、、そのもっと最奥に幸せの根っこはあるのですよ。 その智慧は東洋では、6~7世紀に述べられています、、、 運命の流れは、意識より何層か深いところの深層の泉、 地下の原水が涌き出すところのはるか上層です。 次回の記事につづきます。
March 20, 2009
う~ん~。喜んでいいのか、 (笑い) 鑑定の仕事で、コントロールの効かない忙しさの渦のなかにいます。 年度末でもあり、一身上の変化が起こって来るからでしょうか、、、 こういう時節のご相談者は、もともとご自分でよく考え抜いていて、 自分の決定は間違っていないかどうか、慎重に見極め、将来にわたって安心したい、そういう心境でご相談に来られます。 今の時期、飛び込みで来られる人は少ないですね。 そういう人は、4月を過ぎて5月から増えてきます。今日の記事は、"運命論"の本筋に戻ろうと思います。 今という時代は、自分の問題点を自分で解決する事が、難しい時代と、感じています。 なぜなら、 今は、立場の違いや、役割というものに気づく事が、むずかしいからです。 なぜ難しいかというと、各人が自覚したり、目覚めない方が都合がいいという所から多くの情報が流れてきて、そして、その流れが、各自の差異や立場を気づかせないように誤魔化し、覆い隠そうとしているからです。なぜなら、、、 昔から仏や神が " この世の差別 " の真の意味を問題にし、 人間も自分で、なんとかしようと 『 法の下の平等 』 を作りました。 作った以上、建前上、差別を口にすると自分が作った法の精神に逆らう事になり、違法者になるから、、、 確かに人が作った法の下では皆が平等だという理屈は出来上がったのです。でも、本質的には、やっぱり、この世界は不平等です。 で、『 法の下の平等 』という建前を作った事をいい事に、、、 今の大量情報化社会の大きなうねりは、差異を無視して、運命も平等なのだと思わせよう、としています。 それは、お互いに差異を認めない方が、情報を大量に早く流しやすいし、流すのに工夫が要らない、ひと色の情報で事足りるからですね。 その方が、社会を十派一絡げ、自分の思い通りに動かそうとする時には都合がいいのです。ある意味、経済的、政治的にとって都合いいやり方です。はっきり言うと、権力者にとって絶対に都合がいいのだから、 この時代の都合を、私たちがそのまま取り込んでしまうと、その枠組みで思考や行動をするようになり、本質がずれ、判断がゆがんでしまいそう・・・その弊害を、 仏が2300年前に指摘した『 惑 』 、『 迷妄』、不幸になる原因の一つだと言っていいのではないか、、、『 僻見・びゃっけん 』 ですね。 迷い、偏見を、いつのまにか、その弊害的見方を正しいと思い込む意識が定着してしまっている。こういう時代の偏り、暗さというものを、鑑定している相談者の中に度々、感じています。 幸せになるのには、その大きな濁流に気づき、ゆがみを意識して、 それに影響されない自分というものを意識できるか、ですよ。 いつもは意識より、無意識の方を尊重している私ですが、 ここは意識・・・ 運命学から言える事は、 私たちは、外見、性格、資質、家族、全てにおいて、差があります。ひどく不平等でしょう。 人の外面、内面、潜在意識等を細かく鑑定しますが、一人として同じ人はいない、世界です。 それなのに、現実は何よりも欲望を優先してモチベイションにする事で、その差が乗り越えられる?というムードがあります。それが間違いとは言えないが、その陰で自分の立場や、役割を自覚することが、曖昧に伏せられていない? そういう曖昧さや、臆して現実を見ようとしない天然キャラ?妄想のせいで、随分トラブルや不幸感を作り、問題を生み出しているのに、その事にも気づかない?自分に都合よく解釈している、そういう事でしょうか? 具体的にいうと、人間関係において、 相手を自分にとっていいか、悪いかどちらかに決める妄想。 相手は自分のようにあるべきだという妄想。 他人が手にした幸せと、全く同じ幸せを自分が手に入れるのが当然と思い込んでいる妄想。それをもっと物に敷衍した形で、同じ家、車、おしゃれな服、それを持てば同じ幸せになれるという妄想。 この妄想は古くから宣伝広告に利用されていますね。 今度はそれを人に敷衍した形で、男姓も、女姓も、簡単に相手を選んで幸せになれるという妄想。ダメな場合、 自分の妄想は横に置いて、相手を非難という、妄想も持ってしまう、、、 学歴、容姿、経済などの、条件を分析して、マニュアルを作るのも一つの妄想ですね。飽くなき識別をして誰にでも当てはめていく妄想です。あげればキリがないくらい、妄想を抱いてしまって、 言い換えれば、自分の妄想で今の不幸せがあるかもしれないのに、、、 実際のはなし、努力努力、一生懸命と言っても、凶運の人は、益々凶運を増長してしまう事だってあるし、望んだ実は結ばない可能性も、、、 自分にあった事をやらなければ、人と同じと思って、同じ事をやっても、同じ結果は出ない。それが運です。 自分はどんな種・タネ? これを知る事こそ大事です。 いつ蒔けばいい種?芽はいつ出るの? 花が咲くの? どんな花? それは、ひとりひとり違うのですよ。 我を忘れて、他人のマニュアルを真似する事に一生懸命努力しても、 冬咲く花を、冬に種を蒔いても芽は出ない、、、 不運ですね。 秋に蒔くのが適当・・・それを時を得る、ツキがあると言い、時の巡りです。時の巡りとは、それは、そのまま宇宙の運行そのもの・・・ (次回の記事へつづく)
March 7, 2009
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