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2009年12月29日
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昨夜はぽんぽんはお友達のSちゃんのおうちに、Rちゃん姉妹とKちゃんと一緒にお泊りに行きました。そして今日の午前中に母親四人がSちゃんのおうちに集結。おせち料理を作りました。
出来上がったのは、Sママが作っておいてくれた黒豆、伊達巻、おなます、栗きんとん、田作り、そして私が煮そこなった金柑(^^;来年はリベンジだ>私。
一人でつくるとさみしい御節も、みんなで作ると楽しいイベントになりますね。今年もありがと~、来年もやろうね~とみんなで盛り上がりました。

そんなたのしい一日を過ごして、とっても幸せなんですが、昨夜から書きかけている日記が気になっているので、書いちゃいましょう。


昨日たまたまテレビをつけたら、NHKで法然と明恵の対比を語っていました。
たぶんこの本の著者です。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B3%95%E7%84%B6%E5%AF%BE%E6%98%8E%E6%81%B5%E2%80%95%E9%8E%8C%E5%80%89%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E5%AF%BE%E6%B1%BA-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E7%94%BA%E7%94%B0-%E5%AE%97%E9%B3%B3/dp/4062581418
わたしはなんとなく法然さんは好きではなく、かといって明恵さんは、かつてやはりNHKの特番でやっていたのをなんとなく観ただけで、あと、

あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月



松島やああ松島や松島や

の芭蕉も真っ青な和歌をお読みになった、ということくらいしか知らないのですが、昨日のテレビによると、時代的には法然さんのほうが先にお生まれになり、晩年に明恵さんがかぶる感じで、でもお二人は直接会われたことはないのだそうです。

平安末期から鎌倉時代に至る戦乱の最中、人間の性に絶望して、ただひたすらに御仏にすがり、念仏を唱えて死後の往生を願う教えを説いた法然と、その戦乱が一段落して安定の兆しをみせた仏法界で、いま生きている自分の精進に主眼をおいた明恵と、その二人の対立(おもに明恵から法然に対する非難ですが)は、とても感慨深いものに感じられました。

地獄を見て、ただその目の前の、苦しみにあえぐ無学で無力な衆生が一人でも多く救われることを願った法然は、『神の使者』そしてその原書である『ACIM』の用語を使えば、エゴの意識にフォーカスし、それを聖霊(御仏)に丸投げすることで、とにかくたくさんの人を救いたかった。そこには聖霊に対する絶対的な信頼がある。それは法然の、ただただひたすらに、今この瞬間に「愛」を広めたいという情熱だったのだと思います。フィールドワーク、現場の人、臨床の人です。

しかし衆生はこの教えを曲解して、念仏さえ唱えれば何をしてもいいんだ♪みたいに考え、好き放題になっちゃったようで…(おいおい)、それにエリート僧侶である明恵さんが「ダメ出し」したようです。それもかなり強烈に(いかなる場合も、ジャッジしちゃいけません…by ACIM)

明恵さんは『ACIM』的にいうと、聖霊の意識のほうにフォーカスします。いかにしてエゴの意識を追放して、聖霊の意識を自分のものにするか。すごーくストイックにACIMのワークをやってる感じです。テキストも読み込んで、自学自習を地で行ってますが、ここには「読めない人はついてこなくていいから」という理知の冷たさを感じます。仏教界のエリートである彼は象牙の党の人、学究の徒です。

どちらがいいっていうわけじゃないですが、あえてどっちの道を行く?といわれたら、わたしは明恵派です。

でもいま、私の目の前に、苦しみにのた打ち回っている人がいたら、あのACIMの分厚い本を差し出して、「これ読んで」とは言わないよな(そりゃそうだ)。もっとACIM的に言えば、あなたは身体ではないとか、あなたにこの苦しみを投影した私を赦します、とかいう理論はあるのだけれど、やっぱりそばに行って、背中をさすって手を握って、大丈夫、神様はあなたを愛しているよ、と伝えてあげたい。

ここのところACIMをめぐり、その解釈や実践において、いろいろ違った意見をきく機会がありました。それは法然VS明恵、というよりは明恵的なポジションにおいて、聖霊にまったく無条件に自分のエゴを丸投げし、内面的な平安にフォーカスしていくのか、それともいま自分が現実だと思っている外面的世界へのフィードバックを確認しつつ聖霊とともに進むのか、という違いなのかなと、私は認識しています。わたしのスタンスは主に後者ですが、そのたびに小心者の私(これも幻想ですが)は、私の解釈はこれでいいのだろうか、ACIMを間違って理解していないだろうか、と不安になったり、ほかの人の意見を「それは違う」とジャッジしたくなったりするのですが、どうもこれは正解はないんだな~と、その人の直面している人生の情況でニーズも変われば解釈も変わるんだよな~と、思っていた矢先にこのテレビを見て、

「どっちでもいいのさ。愛があればね」

と聖霊さんに教えてもらった気分になりました。


…ってわたしがちんたらしてたからか?





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最終更新日  2009年12月29日 20時55分23秒
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