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下村博文・文科相 「ゆとり教育」の夢復活!http://the-liberty.com/article.php?item_id=8840東京11区下村博文・文部科学相は、その最大長所の「大人の政治」である許認可・利権行政を、不当にも非難されている。青二才の政治を知らない理想派からの、政治の現実を見ようともしない無責任な非難である。しかも、それに加えて、本業の教育行政に関しても、不当な非難が巻き起こってきた。それについて、断固として反論しておきたい。それは、大学入試制度改革に関してである昨年10月、下村文科相もメンバーになっている政府の教育再生実行会議が、安倍首相に大学入試改革に関する提言を行った。内容は、現在の「学力重視」から、面接や高校時代の部活動・ボランティア、留学経験など、「人物本位」の評価にシフトするものだ。これが「ゆとり教育」にそっくりの提言であり、危ない改革だと非難する連中がいるのだ。これについて下村文科相は、「暗記・記憶中心の入試を(センター試験と2次試験で)2 回も課す必要はない」「多面的・総合的な能力・意欲・適性を評価する選抜への転換」などと述べている。一体これの何が悪いというのだ。子供にだってゆとりは必要だろう。一回だけのペーパーテストで入試が決まっちゃ、子供が可愛そうだ。なるべく複雑怪奇な入試制度にすれば、努力しないようなアホな子供でも、入試にひっかかるだろうし、これまでの文部科学行政の失政の結果、学力のない大学生が、山ほどできたから、学力じゃなくて、別の何かで選考したほうが、実態に合うというものだ。それに、学力だけで判断されちゃ、公立学校の学力のなさがバレるし、そもそも「文部科学省なんかいらない!」なんていわれかねない!思えば、共通一次試験導入以来、大学の入試制度改革は、やる度に複雑怪奇さを増し、子供らはいい迷惑。学力一本、一発勝負なら、平等この上ない。断然、昔の単純な入試制度の方が、公明正大で、対処しやすかった。それを複雑にしてきたのは、文部科学省の「仕事」のためだ!そんなことも分からないで、大臣を批判するな!今回の大学入試改革の提言で、学力から人物本位に変わることは、これはとても重大だ。学力試験なら簡単に簡便にローコストでできるが、そこに許認可も天下り先も、特殊法人も、入れる余地がないだろうが!訳の分からない「人物本位」で入試するなら、それこそ文科省の既得権益や許認可が山ほどできて、本当は存在しなくてもかまわない「文部科学省」が、存続できるだろうが!この国家的見地から、東京11区下村博文・文部科学大臣が、複雑怪奇に入試を改革する提言をしているんだ!これで、学力そっちのけの「新たなゆとり教育」で、日本の子供たちの学力がどうなろうと、これは大臣の責任ではないし、どうでもよいことだ。とにかく、文部科学省が全国に口出しできることが大事である!とにかく、東京11区下村博文が、仕事している「フリ」が大事なのだ!大臣の利権と許認可という「聖域」に口出しするなかれ!「お上」がすることには、マスコミや国民ごときが批判することは許さない!
2014.12.06
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「学力テスト:公表で文科相と静岡知事が論争 溝埋まらず」静岡県の川勝平太知事が全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の市町別結果などを独断で公表した問題で、互いに批判し合ってきた下村博文文部科学相と川勝氏が6日、初めて顔を突き合わせて論争した。全国学力テストを巡って川勝氏は昨年度、成績上位校の校長名を独断で公表。文科省は今年度、実施要領を改定し、市区町村教委の同意があれば都道府県教委が市区町村別や学校別の結果を公表できる−−とした。だが、川勝氏は今年度も9月4日に市町別の結果などを独断で公表した。終了後、下村氏は報道陣に「これだけ話をすれば(川勝氏が実施要領に)反することはしないと思う」と期待感を表明。実施要領に反した自治体に翌年度の結果を提供しないという「罰則規定」の導入については「準備しようとは思わない」と見送りを明言した。(毎日新聞11月7日) http://mainichi.jp/select/news/20141107k0000m040097000c.html 結局、60億もの国費を導入した全国学力テスト、静岡県だけが、文部科学省の言うことを聞かず、大それたことに、文部科学省の統制を外れて、昨年度は成績上位高を、そして本年度は、市町村別の結果を独断で公表!これは、文部科学省としては許し難い「反逆行為」である。さらには、静岡県知事ごときが、天下の文部科学大臣と、対等に論争するなど、「身の程知らずも、ここに極まる!許せん!」というのが、文部科学大臣、東京11区下村博文の本音であろう。日本の教育を、地方独自で活性化するなど、絶対に許せない。これが文部科学省の大前提である。地域主権であろうが、地方分権であろうが、中央省庁、特に文部科学省の特権を侵すことは、明治以来の中央集権型、警察国家の日本の、その屋台骨を揺るがす大事件である。文部科学大臣を神聖化して、日本全国の教育関係者から、あがめたてまつられるようにすることは、当然である。「立志伝中の人物、東京11区下村博文」などという「個人」が問題なのではない。教育行政の分野での神聖不可侵な「文部科学大臣」に、たてつくことは、断固として排除するべきだ。でなければ、絶大な許認可権限で、中央省庁の既得権益を守り、天下り先を確保することが、至難の技となってしまう。結局、子供の学力など二の次、三の次で、統制と許認可だけが、文部科学大臣(東京11区下村博文)の、願いであり、本音である。それも見抜けぬ状態で、やれ「学力」だ「子供の将来」だなど、青臭い議論にも程があろう。一人一票の、この投票型民主主義で、すでに文部科学大臣(東京11区下村博文)は民意で選ばれているのだ。青臭い連中は、くやしかったら違った種類の代議士を選んでみよ。既得権益や省益、許認可行政や癒着。天下り先や贈収賄。こうした、大人の知恵と決別したいような、そんな生っちょろい人間は、自民党型の大人の知恵とは縁のないような人間。政策や人柄や、政治信条など、一銭にもならないような価値観を持ち、清廉で有能な人物を当選させてみよ。本当の政治は、汚くて、醜くて、権力欲、金銭欲にまみれたものだ。そうした俗物こそが、日本のかじ取りを可能にすることを、肝に銘ずるがよい。
2014.12.04
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聯合ニュースによれば、こんなことがあったようだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141130-00000008-yonh-kr韓国文化体育観光部の金鍾徳(キム・ジョンドク)長官は29日、横浜で行われた下村博文文部科学相との会談で、日本にある韓国文化財の返還問題などを議論する協力機関の創設を提案したそうである。 金長官は「日本側は対馬の寺から韓国人に盗難された仏像について言及し、われわれはその問題だけでなく、日本側が韓国から不法に持ち出した文化財も議論しなければならないとした」と説明し、「この問題を協議する両国共同の協力機関を設置するよう提案した」と伝えた。 これに対し、下村文科相は特別な反応を示さなかったという。この、「反応を示さなかった」下村文科相に対して、どうも、嫌韓派がウルサイことを言い始めている。「盗人韓国」に対して、強硬な主張をしなかったと、非難しているのだ。しかし、考えてもらいたい。日本の文教族をつかさどる文部科学大臣に対して、なんと、的外れな非難をするのだろうか。下村さんは、文部科学大臣であるのと同時に、「東京11区 下村博文」、という代議士としての立場をも持つ。代議士としては、選挙や選挙区の方が、国益なんかより、はるかに大事である。これは自明の理だ。だから、考えの中心が「票になるか?お金になるか?」なのは当然。その「票と金」以外の「難しいこと」に対しては、何も本人自身が知っている必要などない。政治家と官吏は、職域が異なる。だから、困難なことは全て、官僚に任せればよい。政治家は、神輿に担がれていればいいわけだ。だから、「東京11区 下村博文」が、小難しい「小事」など、知るわけがないだろう。そもそも、知らないからコメントのしようもなかっただろうが、知っていてもコメントできないというのが、選挙に強い、自民党の本領発揮、といったところだ。なぜならば、自分の意見をはっきりスッパリと言うことは、選挙対策上、完全に御法度だからだ。政治は「敵を作らないのが大事」そのためには、大事なことは何一つ言わないという「修練」が必要だ。快刀乱麻を断つ如くに、意見を発すれば、見方も出来るが、敵も生じる。だから、何一つ、はっきりしたことを言わないことが、政界遊泳術であり、選挙のテクニックなのだ。与野党通じて、議員や政治とは「妥協の産物」だという認識は定番だ。どの政治家でも、最初は理想や希望に燃えて、志を高く持つものだ。しかし、そんなものは、選挙で当選を続ける「政界生き残り」の快感に比べれば、あっさり捨て去るべき「美徳」である。「票と金」以外は、族議員の政治家には無用の長物である。だから、1)もともと興味関心なく、知らない2)成熟した政治家は、はっきりしたことは絶対に言わない3)生き残る政治家は、票と金にしか関心をしめさないという点において、我らが東京11区下村博文は、この件に「沈黙で答えた」のである。老成した政治家「東京11区下村博文」としては、抜け目のない対応だったと判断できる。この沈黙の対応こそが、「族議員」としての既得権益を、金銭や票の形で回収する、最高のスタンスなのだ。これが分からなければ、日本の「許認可」行政の「うまい汁」は分からない。それが、この日本のマスコミの限界だろう。日本は、理想や志で国家が運営されているのではない。「東京11区下村博文」のような「族議員」が、許認可の利権に群がって、票と金と権力を握るという、安定したシステムそのものが、日本を動かしているのだ。そのスキルさえあれば、政治家には見識も知識も必要ない。言葉を武器として使い、言論で戦う必要もなければ、社会正義、国際正義を追求する必要もない。マスコミ諸士よ、「見識」や「能力」で、「東京11区下村博文」を非難するなかれ。彼の特質は、「金と票」あるいは「権力」「寝技」で評価されるべきだ。そしてこの体質こそが、「自民党政治」の神髄であり、日本を代表する政治哲学であることも、肝に命ずるべきである。
2014.12.01
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下村文部科学大臣が、一部マスコミに叩かれているようだ。9月27日に仙台で、参加費一万円の講演会を開いたからだそうだ。経営者のセミナーなんか、10万円くらいするのもあるだろうから、そんなに高額じゃないのに、何でマスコミが叩くのか、どうもピンと来ない。まあ、9月27日というと、大学の新設や学部の新設を、文部省が認可した直後だし、講演会が仙台だというと、日本で37年ぶりに医学部の新設が認めれれた、東北薬科大学のお膝元だから、だから、マスコミに叩かれたんだと思う。でも、誰がどこで講演会を開こうが、勝手じゃないかと思うのだが、そうじゃないのか・・・・そりゃあ、人情としては、設立認可された大学関係者は、こぞって講演会に一万円払って参加するだろうし、まとまったお金が動かなけりゃ、大臣が参加することなんてありえない。これがパーティ券を買わせるというならば、時期が時期だけに、贈収賄のニオイが、ぷんぷんするだろうが、上手に「講演会」にしているんだから、法律上も、なんら問題はないはずだ。解散総選挙もウワサされていた、ほんとに忙しい時期であろうに、ワザワザ選挙区と関係ない仙台にまで出張して、講演会を開いたのだから、まあ、それなりに大事な講演会だったんだ。感謝でお金を払いたい学校関係者がたくさんいて、お金がとても必要な政治家がいるんだから、まあ、いいじゃないか。とにかく、政治には金がかかるし、お金と票が集めれれるかどうかだけが、政治家の全てなんだから、マスコミごときが、とやかく言うべきではないだろう。潤沢な政治資金を集めて、今度は選挙だ。東京11区下村博文 代議士が、結果で、マスコミにぎゃふんと言わせることを期待したい。
2014.11.29
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