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2003年06月17日
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お久し振りでーす。ちょっと近況報告させてください。今週からまた主婦に戻りました。わーい。ぱちぱちぱち。過去 4 ヶ月を振り返ると最初の 2 ヶ月(いや、3 ヶ月)くらいはストレスの塊だった。日本語教えるってほんとにばかにできないと思った。同時に中国語も習ってたんだけど(毎日)、中国語の勉強する暇なんてないくらい日本語の準備に追われる日々。どうして「家族は ニューヨークに います」っていうときは「は」で、「ニューヨークに 家族が います」っていうときは「が」なのか。とかさ。まあつまり「助詞」なんですよね、問題は。場所を表すときは「へ」とか「に」とかを一般に使いますけど、「大学で 日本語を 勉強しました」とかっていうときは「で」だったりして。実感したのは「日本語が話せる」っていうのと「教えられる」っていうのはまったく別っていうことです。当たり前か。日本語教師のみなさん、改めて尊敬します。

主婦に戻ったので、また徒然に書くことにしました。今日のテーマは「自由」です。どうして自由について書こうとしたかっていうと、アメリカにいた頃自分が肌で感じ取っていた「自由」の意味が、日本に帰ってきたらどうやら意味が違うということに気がついたからなんです。じゃあ、まず私達日本人が一般に考える「自由」っていうとどんなイメージがあるでしょうか。まあ、自由って言ってもなんか漠然としちゃうかも。では「自由な生き方」とか「自由な生き方をしてる人」っていうとどういうイメージがあるでしょうか。

自分の好きなことだけして暮らす
何にも束縛されない暮らし
プレッシャーやストレスのない生活
気ままな暮らし
起きたいときに起きて寝たいときに寝る
やらなきゃいけないことがない

などなど…。



「世の中ね、そんなに簡単に『やりたくないからやらない』なんてわけには行かないんだよ!」って今思ったでしょ。「まったく、こっちは仕事なんだし、やりたくないことだってやらなきゃいけないときっていうのがたくさんあるんだよ。」って思ったでしょ。否定しません。社会に出るとほんとにたくさんの「イヤなこと」があって、いいことよりむしろやなことのほうが多かったりして、でもそのうちそれが普通の生活なのかなって思えてきて、そういうイヤなことにすら慣れていって、大して落ち込んだりイヤな思いしなくなってる鈍感な自分を発見したりして。でもね、私はこう思うんです。例えば仕事。毎日の仕事が楽しくて仕方がない人を除いて、大概の人は多かれ少なかれ仕事やそれにまつわる人間関係にストレスを感じているわけです。私の場合は感じない程度の小さなストレスが日々たまっていって、いつか爆発するタイプなんですが、ストレスが実感できるレベルになってきたらもうすでに危険なわけで(精神的に健全な状態じゃないっていうこと)、社会人一年生だったらそういうストレスのコントロールも人生経験のステップとして四苦八苦する時期もあるかもしれませんが、2 年、3 年、それ以上働いてきたんだったら、もうそろそろストレスのコントロールを学んでもいいんじゃないでしょうか。ちなみにここで言いたいのは「ストレスコントロールについて」じゃありませんからね。ストレスをコントロールするのは社会人の義務というか、「大人の定義」のひとつだと思いますから、自分でなんとかするのは当然なんです。なんとかするっていうのは、「森林浴しなさい」とか「アロマセラピーがいいらしい」とかっていうことじゃなくて、「自分は何をすればストレス解消になるのかを知る」ということです。つまり(以前どこかで書きましたけど)「自分をよく知らないとできないこと」のひとつなんです。社会人なんですから自分の管理ができるのはむしろ当然でしょ。「自分の健康(精神的な健康と肉体的な健康)を管理できる」からこそ、会社はあなたに「仕事を安心して任せられる」わけです。さらにもっと自分のことをよく知っている人は「限界」も知っている。どこが「これ以上やったらだめだ」っていうラインなのかを知っているということです。強調しておきますが、「精神面」と「肉体面」の両方の限界です。この限界についてももちろん「自分をよくしらないとできないこと」です。「ストレス」と「自分の限界」っていうのはとても強い絆で結ばれていて、この「限界」を知らない人が「ストレスに潰される」「ストレスにコントロールされている人」なわけです。自分の限界を知る人は「自分は何ができて、何ができないか。」を知っているわけです。これがわかっているとストレスをかなりの確立で防ぐことができる。少なくとも無防備ではないわけです。

「社会人なんだから、ストレスくらい自分でコントロールするのは当たり前」って書きましたけど、もちろんすべての人がストレス管理できてるなんて思ってません。じゃあ、どうしてストレスを感じているんでしょうか?何があなたにイヤな思いをさせているんでしょうか。これならわかるんじゃないでしょうか。もし「何がストレスなのかわからない」のであれば、もう少し時間をかけて、意識して原因を探してみると、徐々になんとなくでもわかってくると思います。もし原因がわかっているのであれば、さらにつっこんで、「じゃあ、なぜその原因となること/人があなたをそんなにいらいらさせるのか」を分析してみたらどうでしょうか。恐らく結果として「なんで私が(俺が)これをしなきゃいけないんだ。」とか「こんなことされる筋合いはない」とか「私(俺)って、こんなことするためにここで働いてるわけ?」とかっていうある種の矛盾を感じる場合が多いのではないでしょうか。つまり「人に言えない矛盾」を感じるのはストレスなわけです。「言える矛盾」もあると思うかもしれませんが、原因である(または原因を作っている)上司や同僚に面と向かって言えないのであれば「言えない矛盾」と同じなので、結局それ以外の人に話すのは「愚痴」っていうやつですよ。じゃあ、どうして言えないのか。どうして解決しようとしないのか。むしろ問題はここだと思います。人間には問題を解決する能力と言うものが備わっていて、それが人間のサバイバル能力だったりするわけです。「解決って言ったって、上司に食って掛かったら今のご時世クビが飛ぶかもしれないし…。」「今の同僚とはうまく言ってないけど、この仕事を辞めるわけにはいかない。」とかそれぞれ事情があるから言い出せないわけですか?だったらあなたは「今のストレスのある状況を自分で選択して暮らしている」わけですから、自分の好きなことしてるわけですよ。今の自分にとって何が大切か。「ストレスのたまる仕事」と「職を失う」ことを天秤にかけて、前者を明らかに選択しているわけです。ここで私が言いたいのは「誰でもない、自分で選択した人生は、自分の好きなことだけしてる暮らしと同じだ」ということです。だって「職を失う」っていう選択よりも「今の仕事を続けていたい」んでしょ?だったら「好きで選んでる」わけじゃないですか。少なくとも「職を失う選択よりは、好きな選択」ではないでしょうか。それでも今の仕事にどうしても我慢できない人は「とっくに辞めてる」と思います。例えすぐに啖呵切って、上司に食って掛かって辞めなくても、「この会社は自分には合わない」と思えば、会社でこつこつ実力をつけて、自宅ではオンラインで仕事を探して、十分に準備をしたところであっさりと辞めていく。「辞めるために、今の会社で準備する」と思えば、ストレスもあまりないのではないでしょうか。私は「仕事は大事」だと心から思います。自分が仕事をしていないと人生を無駄にしているような気持ちになるし、今まで私を育ててくれた社会に対しても申し訳ないような気持ちになるんです。私にとって「働く」ということは、自分のためだけじゃなくて、ある意味「社会への恩返し」でもあるからです。ですから、仕事はとても大切に考えています。でも、私は仕事よりも大切なものもあるんです。自分とか、自分の夫と過ごす時間とか。もし、仕事よりも大切なものを犠牲にする仕事だったら、かなり悩むと思います。恐らく、期間を定めて「最低 2 年くらいはがまんして働こう。お金もいいし。」とかすると思います。そして夫の了解も得てその期間は真剣に没頭すると思います。でも、その間にイヤなことがあっても、恐らく「イヤなことだと感じない」と思います。なぜなら、それは私が選択したことだからです。

遠回りになりましたけど、私がアメリカにいた頃肌で感じた「自由な生き方」というのは、「選択できる生き方」です。私のなかでは「Freedom(自由)=Choice(選択)」です。自分の人生の選択権がない生き方、私はそういう人生を「自由のない生き方」だと思います。そういう束縛された、何か(人以外にも時間とか、考え方とか、ストレスとか)にコントロールされた人生を軽蔑すらしています。一度、夫とまだ付き合っていた頃、彼の友人男女とドライブに行ったことがありました。彼らはずっと中国語で盛り上がっていたので、もともと機嫌は悪かったんですが、夕方も過ぎ、そろそろお腹がすいてきた頃、私がそっと「ねえ、今どこに向かってるの?」って聞くと彼は「うん、これからジャンボステーキを食べさせてくれるステーキハウスに行くんだよ。」というではないか。私は楽しくない 1 日を過ごしたばかりでなく、食べたくもないジャンボステーキの店に向かっているということに耐えられなかった。もちろん彼にはこういった。「もう決めちゃったような言い方ね。どうして私も一緒に食べるのに、どこに何を食べに行くかを相談してくれないの?」実はジャンボステーキが食べたくなかったから駄々をこねたわけではもちろんない。じゃあ、なんで怒ったのか、それは「何を食べるために、どこへ向かうか」という選択権が他人の手によってあっさり奪われてしまったことに我慢がならなかったのだ。そのときの状態では、「ステーキが食べたくない」という権利も、「今夜は 9 時からみたいドラマがあった」ことも、「このドライブはつまらないから早く車から降りたい」という私の選択もすべて奪われていた。運転しているのは彼の友達だし、私の知らない間にジャンボステーキハウスに向か…





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最終更新日  2012年04月07日 16時21分40秒
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コースケ@ お、俺のおtmtmがぁ――!! もう、もう……なんも出まへぇーん!(TT…
英二2626 @ hello Hello!!!!
経験者@ 大金じゃね? オレの初体験20万で売れましたhttp://azca…
kozaru7 @ Re[1]:ヨガってやせるの?(03/08) ヨガで体調がよくなるっていうのは 絶対…
☆mico☆ @ Re:ヨガってやせるの?(03/08) 先ほどはありがとうございま~す! 遊び…

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