真理を求めて

真理を求めて

2004.01.08
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僕は、教員になる前の学生時代は、灰谷健次郎的世界に心を引かれていて、灰谷さんとよく対談をしていた宮城教育大の当時の学長の林竹二さんがいわば理想の先生だった。林さんは、教育とは生徒の中にある宝を探り出す仕事だと語っていた。

林さんはその哲学的教養を基礎にした「人間について」という授業を日本各地で行っていて、その授業が生徒の心に響いたとき、生徒が実に深い表情を見せ、知的な輝きを見せるという実践で自分の信念を証明していた。

僕も、勉強というものの基本はモチベーション(動機付け)にあり、どうしてもそれを知りたいという強い関心があれば、ほとんどどんなことでも勉強できてしまうものだと思っていた。だから、教育にとって大事なのは強い動機付けで、あとは教授テクニックなどはそれほどなくても、並のレベルで充分成果が出るものだと思っていた。しかし、実際教室に行ってみると、この動機付けが実に難しいものだと思い知らされた。

実際の授業の現場では、灰谷健次郎的世界の理想などどこかへ吹っ飛んでいってしまった。生徒の中に宝を見つける前提である生徒との信頼関係を築くのがそもそも難しい。勉強などは仕方なく我慢してやるものだと思っている生徒に、強い動機付けなどは難しい。こちらの言葉に耳を傾けさせるのでさえ難しい。

今ならこの現実を多少は分析できるけれど、若かった頃はまずどれから手をつけていいのかが分からなくて、途方に暮れていた感じだった。かといって現実をそのまま肯定して、つまらなくてもなんでも我慢して勉強するのが生徒の役割だと割り切ることも出来なかった。つまらない数学を教えることに耐えきれなくなり、数学を教えなくてすむような学校に行こうと思い養護学校に転勤したようなものだった。

僕は、学生の頃は社会と無関係に観念の中で生きていたようなところがあった。僕にとって関心があったのは、生きている人間ではなく、数学であり哲学であり文学の方だった。人間に対する関心も、生きている人間よりも、文学に登場する典型的な人間の方により大きな関心があった。

だから、仕事を始めて社会の現実に直面したときにとまどったのだと思う。なんとかこの社会を理解しなければならないと思ったときに出会ったのが本多勝一さんだった。最初に手にしたのは「貧困なる精神」というシリーズの本だった。これは今でも僕の愛読書で、まだ新しい本が出続けている。

本多さんは、それまで僕が表面的にしか見られなかった物事の別の一面を見せてくれることで、もっと深い考えに到達するということを教えてくれた。常識だと思われていることの中に疑いを持ち、変だと思った感覚をいかにして次の考えに結びつけていくかという道を教えてくれた。

本多さんのおかげで、マクロ的な観点からの社会のとらえ方は分かってきたけれど、まだ目の前の現実をどうしたらいいかは難しい問題だ。今でも中学生のほとんどは、勉強は我慢してやるものだと思いながら毎日を送っているんだろうなと思う。なんという無駄をしているのだろうと思う。モチベーションを高めるシステムにさえすれば、生徒も教師もどちらも幸せを感じる学校生活に出来るのに、道徳を押しつけて忍耐をする訓練で学校生活を送らせてしまっている。



学校制度というのは、元々が明治の富国強兵の考えの基で生まれてきたもので、国家にとって役に立つ兵隊を養成するのが大衆教育の目的だった。だから、それを肯定すれば、学校で行われていることにはそのために役に立ちそうなものがかなりあることが分かる。訳が分からなくても、教えたとおりの手順を踏んで答えさえ出せば高く評価されるという授業なんかは、それを受け入れる人間が多いときは従順な兵隊を作り出すのに役立っただろう。

物事を理解して、自分の考えで行動を選び取っていく人間は、民主主義を実現するのには必要だけれど、学校ではあまり歓迎されない。だいたいがわがままだという評価を受ける。主体性とわがままは紙一重なんだけれど、主体性が高いという評価を受けることは少ない。建前上は、今の学校は民主主義的で、生徒の成長というのを一番に考えていくことになっているが、果たして本当にそうなっているかには大いに疑問がある。これは、システムとして疑問だということで、個々の教員が努力していないということではない。むしろ個々の教員は、まじめで誠実な人が多く、努力の方向を間違えていると、かえってその弊害が恐いくらいだ。

養護学校も、夜間中学も、ある意味では本流からはずれた学校で、それほど気にかけられていないために、国家を無視して生徒本意に考えても目こぼしをされているのかもしれない。

さて今日のニュースの中で目についたのは次の記事だ。

「<米大統領>新移民政策発表へ 就業中なら3年間滞在、延長も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040108-00000069-mai-int

これを見ると、アメリカのやり方は日本とは正反対のように見えるが、どちらが合理的か考える材料になりそうな気がする。ここには次のような記述がある。

「米政府高官によると、新制度の目的は▽地下経済化している外国人労働者市場を正常化し、米国人雇用者による合法的な労働力確保を推進する▽不法滞在者に身元や居場所を登録させ、テロなどからの国土の安全を向上する▽最低賃金や労働法規による保護などを保障し外国人労働者の権利を保護する――など。「米国経済の現実に沿った措置」(同高官)だという。」

日本では不法就労者は、犯罪者に変わる可能性もあるので出来るだけ閉め出す・入れないという方向を取っているように思われるが、アメリカではむしろ危険を減らすために合法化して受け入れようとしている。

これは、たとえ閉め出そうとしても、何らかのルートをたどって必ず入ってくるだろうということが前提になっているんだろうと思う。違法にすれば、そこに危険な媒介者が介在する可能性が高くなる。それを合法化すれば、入ってくる人間の情報もつかみやすくなり、何かトラブルが起こったときの処理もやり安くなるだろう。僕はアメリカの方が合理的な考え方だと思うんだけれど、日本ではほとんどを閉め出すことが出来ると考えているんだろうか。それは無理のような気もするが。

「<オランダ>下士官を殺人罪で起訴 暴動イラク人に発砲で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040108-00002077-mai-int

という記事には、様々の難しい問題を感じる。自国の防衛でもない、イラクにわざわざ行っているというオランダ人兵士にとっては、「兵士は職務を遂行しただけで、罪に問うべきではない」という感覚は当然出てくるものだと思う。しかし、イラクの人々から見ると、ここで正義が実現されるということは、本当にイラクの人々のために来ているのかどうかを問う一つの鏡になると受け取られるのではないか。

正義を実現するということは、自分自身に対して厳しすぎるくらいの規範を課すという高い倫理がなければ、とても相手に信用してもらえないと思う。これは、どちらの結果が出ても、双方(オランダ人とイラク人)に不満が残ることになりそうな難しい問題だ。このように難しい問題が生じるというのは、そもそもこの戦争が不正義のもとに行われているということの結果のように思われる。

「子供ら16人死亡の爆発、タリバン司令官が異例の謝罪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040107-00000315-yom-int

この記事をどう受け止めるかというのも難しい問題だ。かつて本多さんがベトナムを取材したときに、解放戦線の失敗をどう受け止めるかということを書いていた。反対の立場に立って報道すれば、その残虐行為を非難し、いかにひどいことをしたかを言い立てるということになるだろう。しかし、解放戦線の普通のやり方をたくさん取材してきた本多さんは、これは不幸なことではあるけれど、「解放戦線にも失敗はある」という、避けられぬ現実の問題であるという風に語っていた。アメリカが「誤射」をするということと同列に論じるような問題ではない。



果たしてタリバンの普通のやり方がどうなのか、タリバンについての情報が不十分なのでよく分からない。アメリカの宣伝では、タリバンの残虐性が言い立てられているが、これは利害の反対側からの宣伝なので差し引いて受け取らなければならない。この謝罪の表明が、本当に誠実なものだったら、タリバンは、宣伝されているようなひどいものではないとも言えるかもしれない。果たしてどうなんだろうか。





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最終更新日  2004.01.08 09:47:34
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Re:教員になった頃の思い出(1/8)  
vijay  さん
タリバンはひどいところもあるでしょうが、「宣伝されているようにひどい」ということはないでしょうね。
何度も日記を拝見させて頂いています。ゆっくりとまとめて読んでから・・と思いながらついまた今度と、してしまっていたのですが、お気に入りリンクに登録させていただきました。たぶん僕も同じ世代かしら・・ (2004.01.08 13:02:51)

Re:教員になった頃の思い出(1/8)  
msk222  さん
僕は頭脳のメモリーが足りない方なので、記憶にたよる勉強は苦手でした。
それで、六法全書などを辞書を読むように暗唱できる友人に学生時代からコンプレックスをもっていました。
その友人は、国家公務員の一級試験も簡単にクリアして某省庁に入っています。役所の専門的なことには長じているのでしょうが、今になっても驚くほど社会性に欠けて、鬱々とした生き方をしています。たまに会って飲むこともありますが、グチばかり垂れています。昔、まぶしく眺めていた彼ですが、勉強は、某省庁に入るためだけにあったのかと淋しくなります。

>勉強というものの基本はモチベーション(動機付け)にあり、どうしてもそれを知りたいという強い関心があれば、ほとんどどんなことでも勉強できてしまうものだと思っていた。だから、教育にとって大事なのは強い動機付けで、あとは教授テクニックなどはそれほどなくても、並のレベルで充分成果が出るものだと思っていた。しかし、実際教室に行ってみると、この動機付けが実に難しいものだと思い知らされた。

勉強というものは、必要なことに関して熱中するのではいけないかと感じることがあります。過去に秀さんと議論を交わしましたが、憧れの教師というだけで、その学問が好きになるということもあります。
そうした延長に僕のような鈍才でもひとつぐらい人並みに語れるものがある、ということで高望みしすぎないことだと思っています。
みんながノーベル賞なんてことは、みんなが儲かるネズミ講とおなじくらいの確率でしょうから…。

ニュースについては、事実か否か、メディアの予断が入っていないか、と見るようにしてはいますが、僕にとって主観を捨て去ることは不可能です。
それによって誰が得をするのか、誰かが犠牲になっているのではないか、利益が極端に偏ってはいないか、弱者に眼が向いているか、と、この堂々巡りも主観ですから…。


(2004.01.09 00:43:16)

Re:教員になった頃の思い出(1/8)  
ブッシュの移民政策については少々不安も残ります。とても寛容な政策で私のように苦労してビザを取ったりする外国人には朗報ですけれども、ここには世界中の貧しい国からの労働者が来ていますからここぞとばかり一気に人が増えるでしょうね。グリーンカードの意味がなくなる感じがします。
まぁ、外国人としてはそれでうれしいんですけれども。

でももう少しビザを貧しい国の人々に渡しやすくするとか、税金の負担を軽くするとかしないと不法労働者は減らないと思います。税金を払わないで働く方が雇う側にも雇われる側にも良いし、大体の場合貧しい国の人々(メキシコなど)は川を渡ってアメリカに入国しますからいつまでも不法になり得そうな気がします。
(2004.01.09 01:25:41)

Re:Re:教員になった頃の思い出(1/8)  
秀0430  さん
vijayさん

書き込みをありがとうございました。僕も、vijayさんの日記はちょくちょく訪ねさせてもらっていました。同世代だったら、きっと説明抜きに通じることもいくつかあったりするでしょうね。そういうのがあると、いろいろと話も弾みそうな感じがします。

なかなか説明しても伝えるのが難しいこともありますから、説明抜きで伝わるというのは、とてもありがたいものだと思います。

タリバンについては、行き過ぎもあるでしょうが、あくまでもそれは行き過ぎであって、極悪人というほどではないのではないかというのが僕の感想です。まあ、極悪人であれば、それを追放するのも簡単でしょうが、行き過ぎている場合にそれを矯正するのは、かえって難しいということはあると思いますが。

ただアメリカの傀儡であるカルザイが、選挙をすれば圧倒的に勝つだろうといわれているのは、民主主義は宣伝次第で操れるのかという感じがして、民主主義がいいことだと思っている常識をちょっと疑ってもいいのではないかと思ったりします。 (2004.01.09 10:09:15)

Re:Re:教員になった頃の思い出(1/8)  
秀0430  さん
msk222さん

宮台真司氏は、社会のことを知らない社会学者のことを語ったりします。社会学的知識はたくさんあるのに、社会そのものについては全く分からないという学者のことを語ります。

これは、学問がほとんど机上の空論になっているからではないかと思います。学問は、論理を基礎にして築き上げますから、それは数学的な現実を離れたイデア(理想の世界)のことについて語ることになります。このイデアの世界と現実とを無批判に重ねると、知識はあるけれど現実を知らないということになるんでしょうね。

イデアの世界が本物の世界で、現実が間違っていると思うと、それは愚痴も言いたくなるでしょうね。

僕は、勉強をして成果が上がらないときは、その勉強は今は自分には必要ないんだと思って、もっと成果が上がる他の勉強をするようにしていました。だから、他の人にとっても、同じじゃないかなと思っているんですが、未だに「これは大事なことだから勉強する」という意識の人が多いですね。一般的・抽象的に大事だという風に考えるのではなく、もっと主観的に、自分にとって本当に大事なのかということが大事なような気がするんですけれどね。

勉強の成果が上がらないのは、自分の頭が悪いからだと考えるより、それは今の自分にとって必要じゃないからだと思った方が気楽でいいとも思うんですけれどね。本当に必要になったら、信じられないくらいのスピードで勉強できてしまうものなんですけれどね。必要になる未来を待てばいいのだし、いつまでも必要にならなければ、元々勉強する必要もない知識だったんだと思います。 (2004.01.09 10:20:58)

Re:Re:教員になった頃の思い出(1/8)  
秀0430  さん
みんみんパイさん

ブッシュの提案は、選挙での支持を拡大しようとする目的があることで、根本的な改革ではないという批判も記事にはありましたね。政治にはいろいろな利害が絡んでいるでしょうから、利益を守るための法律の抜け穴も作っているんでしょうね。

違法であるということも、それがすぐに犯罪的なイメージと結びついているときは、もう一度考えてみた方がいいかもしれませんね。

犯罪は、本当に悪いことをするわけですが、法を犯したからといってすぐにそれが善悪に結びつくかどうかは難しいことだと思います。難民申請が認められず、法的には不法滞在になってしまう人々を見ていると、そもそも日本の難民政策に間違いがあると思いたくなってきます。そのため、犯罪者でない人が違法な立場になってしまうというのが僕が受ける感じです。

根本的な問題の解決は、不正にもうけているというものを、正当に金儲けが出来るようにすることじゃないのかなと思うんですが、これはマルクスの理論でも解決できなかったことですから、難しいことですよね。 (2004.01.09 10:29:55)

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