PR
Calendar
Comments
Keyword Search
何を隠そう、くり乃々の祖先は平家である。
どうりで、都の水で磨き立てた才色の雅やかなこと、って、想像するに
平家の落人って、平氏の分家のそのまた末家か、「召人」でしょ、しょせん。
(だって名のある一門の末路は、解ってるわけだし)
そんで、「我は平くり盛なり」とか嘘ついてイチビってみたり、
在方の純朴な娘を「世が世なら、北の方なるぞ」と、たぶらかしてみたり。
そのなれの果てが、ワタシ(笑)
さて、ご先祖様だからというわけでもないけれど、「落人伝説」には心ひかれる。
強大な力の消滅、あるいは隠匿とでもいおうか、負のエネルギーの行方にそそられる。
大和という狭い地域ではあれ、国家中枢にいた物部氏が、一族もろとも消滅する?
(物部氏は北に逃れ、蝦夷と組んだという説もある)
国家を凌ぐ財力と権力を持った奥州藤原氏への畏怖が、民から容易に拭い去れる?
なんてことを「兵どもが夢の跡」を見ながら、夢想するのが旅行の楽しみ。
Wikipedia の写真より拝借。
もう数年前、鳥取に旅行に行った際 、案内看板でも見付けたのだろうか。
横道にそれて、鳥取県若桜(わかさ)町にある「不動院岩屋堂」に立ち寄ったのだ。
三徳山三佛寺の投入堂 よろしく、山が孕んだお堂がある。(岩屋が人工か自然かは不明)
内部に立ち入ることは出来ないが、小さいながらも堅牢なお堂だ。
団体の案内をすべく待合わせ中のおじいさんが、暇つぶしに歴史を語ってくれた。
以前は、修験道の寺として大伽藍を誇り、本尊は弘法大師が彫った不動明王だという。
秀吉の中国侵攻の際、火をかけられ、岩屋堂しか残らなかったそうなのだ。
そして彼はさらりと、平敦盛はこの地まで生き延びた、という話もあるよと仰った。
え?敦盛?「一ノ谷嫩(ふたば)軍記」の?青葉の笛の?美少年の?
真実かどうかは解らないけれど、父・経盛が、敦盛の愛馬を葬ったという馬塚があるよ。
学校の先生然とした風貌のおじいさんは、背を伸ばして仰った。
そしてその塚からは、何か解らない骨が出たけど、馬の骨ならどうしてわざわざ葬るかな。
彼は、その説を信じておられるのだ。
敦盛は一ノ谷では死なず、一門と合流すべく陸路をひた走る途上、この地で亡くなったと。
世を忍ぶ身ゆえ、父・教盛は愛息・敦盛の遺骨を、馬塚に偽装して葬ったのだと。
教えてもらった供養塔への道は、広大だった境内の一部だろう、荒れた農地のあぜ道で
立ち話をするおばあさん達に、挨拶しながら通らせて頂いた。
崩れた墓地のような場所に、馬塚と平経盛や従者の供養塔があった。
大伽藍を構えていたその昔、ここは境内の秘密の場所だったのかも知れない。
真実は不明で、日本各地に残る「平家落人伝説」の一つに過ぎないのだけど。
不動院岩谷堂のある辺りは、長閑な農村風景で、耕し手を失った農地の上を、
風にそよぐ花のように、紋白蝶がいくつも舞っていたっけ。
でね、ウチは代々、九州出身なんですよ。
って、ことはね、壇ノ浦まで付き随って、落ちたのよ、多分。
だからね、たかが召人でも「屋島合戦」辺りの落人とは、ちょっと違うのよ、根性が!
(桜ジャムの写真がないので、桜の塩漬けをお酒に入れてみました。美味しいのよ、これ)
この若桜街道沿いの、確か道の駅で、「桜ジャム」を買った。
桜の塩漬けが使ってあるのか、わずかな塩味と酸味があった。
ケーキに塗ったら美味しかろうと言いつつ、紅茶に入れてみたりして風味を楽しんだ。
移ろうあえかな春のように、淡いながらも華やぎのある味だった。
言ってよろしければ、御年十六で歴史に散った美少年、敦盛のように^0^
初午詣はふく詣/物見遊山へGO!2 2009年03月26日
物見遊山へGO!神戸市/須磨寺編 2009年03月21日
この子の快気のお祝いに3 2009年02月16日