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震災報道で、「72時間の壁」という表現に気付かれた方は多いと思う。救助のタイムリミットは災害発生後72時間、この3日間が生死を大きく分けるという。私がこの言葉と、瓦礫の中で生存者を捜す「災害救助犬」を知ったのは、「阪神・淡路大震災」。スイスから来てくれたレスキュー隊が始めてだ。いち早く救援に来てくれたのに、入国許可が下りず、GoldenHour72がムダに費やされた、そう記憶する。 その年、大震災を目の当たりにした関西で発足したのが、「日本レスキュー協会」。検疫の問題も含め、「72時間」を勝ち取るためには、国内での「災害救助犬」育成が絶対条件だと、民間の有志達が立ち上がったのだ。東日本大震災では災害の大きさに力及ばず、それでも、救助犬と訓練士たちは厳しい環境にも係わらず、持てる以上に頑張った。寡黙に任務を遂行する犬たちには、深く感謝するだけで報いる術がない。本当の気持ちを言うと、災害救助犬たちの活躍の場はない方がいいんだと思う。消防隊員や自衛隊員が出動する、「非常事態」なんかない方がいいように。 平時、「日本レスキュー協会」では救助犬ではなく、セラピー犬が活躍する。この子達は救助犬とは別種の才能を持ち、異なる訓練を受ける。 真っ直ぐな瞳で人の心を見上げ、暖かい背中で人の心を慰めるのだ。馬、イルカ、様々な動物セラピーがあるように、この子達もそっと私達に寄り添い、優しく労ってくれる。子供のための施設、お年寄りのための施設、どこでも彼らは出張し、対象者に限らず、そこで働く人々、家族の疲れまでも、セラピー犬達は和ませる。日本レスキュー協会から引き取られ、施設専属の飼い犬となった子達は、職員さん、対象者さん、ご家族さん、みんなの環を取り持って、みんなを幸せにする。人間って、一人では生きていけない。人間だけでは、生きていけない。人間には、人間では癒せない孤独、そんな物をどこかに持っているのだ。だから、セラピー犬達には活躍できる場が、もっともっとたくさん、あるといい。セラピー犬が必要、そんな場所が本当は、もっともっとたくさんあるはず、なのだ。 日本レスキュー協会は、色んな方のご理解とご協力を必要としています。月に一度、訓練風景や施設の見学もできます。貴方だけのセラピー犬、セラピー猫、欲しいでしょ?そんな方は、コチラ。被災地からやって来た。だからこその、強運の持ち主もいます^-^水際で救われたこの子達の強運を我が手に。それが可能なのは、あなただけ(笑)一人でも多くの方が、「セラピー人間」となって下さいますように。そして、危険に怯まない救助犬たちと訓練士さんの勇気に、感謝と称賛を。日本レスキュー協会のHPは、コチラ。 そんな冷たいこと言わないでT▽T
2011年06月17日
3.11に関する一連の報道で、心底震え上がったのは 「近い将来に来る、南海・東南海地震」というアナウンサーの冷静な前振りだった、と言えば不謹慎に過ぎるだろうか。被災地の惨状は、誰もが他人事ではない日本列島だけれど、それでも、天災は忘れた頃にやってくる、のだ。1946年に多数の津波被害者(昭和南海地震)を出しながら、なんでか関西人は、「関西には、地震あらへんし」と、マジで信じていた、阪神・淡路大震災まで。その南海地震より、大阪を潰滅するだろう「上町断層地震」の被害予想は、誰が、いつ、何を根拠に、「地震がない」なんて、脳天気をたれくさったんやと恨みたいくらい凄まじい。今のあまりに理不尽な現実からすれば、先の不安なんかそれこそ鬼にドツキ倒されるんだけど、それでも、猫(先かい)と両親をどうやって避難させるか、腹の底から冷え込む不安が込み上げる。避難したはいいけれど、病持ち猫の限られた食事は、一体どうなる?! 2週間はしのげる療養食を背負わなくちゃいけない(私のは1食分)し、猫キャリーは持ちにくいし、とりあえず、ズタ袋に突っ込んで赤ちゃん抱きで避難する。これに風呂敷をスリング風にあてがえば、いいんじゃない?余裕があれば、だけど。どなたか、肩ひもを頑丈にして、底が安定するよう改良して下さい(笑)そして、イザって時には、お願いT人Tアレルギー用療法食(コレとコレ)と腎結石用療法食(コレ)を、どうかお願い!!避難先まで届けて下さぁ~~い!!親は、心配ないんか ^^;;ゞ ご無沙汰続きで、申し訳ありませんでした。せっかく楽天にも籍があるのだから、活用しようと考えていた矢先の311。FC2ブログにも書いた通り、何を書いても白々しい自分の文章に嫌気がさしました。でも、気を取り直して、楽天は、着物や歌舞伎、文楽の和事の覚え書き、メモ帳代わりに綴っていこうと思います。FC2ブログは、今まで通り、紀行ブログで続行中です。まぁ...、いつまで続けられるやら、ってか、みんな!ついて来いよっ!m(__;;)mご感想を頂きにくい題材かとも思いますので、コメント欄は閉じたままにしおきます。(解除の方法を忘れただけなんですが)ご質問やご意見、ご感想(反論は承らず笑)ございましたら、是非に私書箱・掲示板に、お書き込み下されば、くり乃さんともども感謝でございます、にゃ。 えっと......、FC2の方に、こちらの更新予告をしたまま知らん顔でごめんなさい、リクエスト下さった方、お尻を叩いて下さって有難うございます^^;先ずは、ご挨拶?から更新させていただきました、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。m(__)m
2011年05月27日
被災地の皆様方に、心よりお見舞い申し上げます。未曾有の大災害を目の当たりにし、毎日、涙するばかりの己を深くお詫びするのみです。また、被災地に携わる方々のご活躍に、感謝とともに深く感じ入る日々です。 こう書けば、何と平板なコトバでしょう。今日は被害に合わずとも、誰もが明日は我が身、と、不安が突き上げて来ます。右往左往する情報と、悲鳴を上げる現場に、誰もが歯がゆい苛立ちが込み上げてきます。でも、待って。私達がヒステリックになったって、被災された方々や連絡が付かない不安を抱える方々、また、被災地へご家族を送り出した方々のお役には、何一つ立ちません。 荒げる言葉はグッと飲み込み、先ずは、私達が冷静になることが一番ではないでしょうか。現状で、今、私達ができることは限られています。空になった棚を見たときの不安は、私にもあります。お子様がいらっしゃるご家庭ならば、その不安は一層、増すことでしょう。でも、待って。物資の優先順位は明らかです。先ずは、被災地へ。電力供給の協力が出来ない西日本、特にインフラ整備の整う都市部では、自家用車の使用は避け、公共交通機関の使用を。ガソリン、灯油は先ず、被災地へ。日本という国家、国土全体が今や被災地です。でも、最も傷ましい方々が最優先と、ここはぐっと堪えましょう。出来ることは限られています、けれども、出来ることもたくさんあります。募金、献血はもちろん、ボランティアが必要とされる日も近いでしょう。※ 献血は協力呼びかけのある時に。全くのゴミになるってこたぁないでしょうが。復興の長い先への覚悟だけでなく、軽挙妄動は慎み、愚かしい犯罪を許さないこと。今、被災された方々の辛抱強さに、私達は恩恵を受けていることを忘れてはなりません。 そして、祈りに力があるならば、いいえ、祈りの力を信じて。今、原発事故の最前線で命を賭しておられる方々の、その大和魂に深い感謝を込めて、偉業の達成と無事のご帰還を、私は全身全霊で祈っています。ご家族達の、血を絞るような心痛に心を添えて、今、彼らの闘いを信じて差し上げられるのは、私達だけなのではないでしょうか。救出されたおじいさんの「また復興しましょう!」に応えるべきなのは、誰でもない、日本に住む私達、「日本人」です。 大声で糾弾できる日は近い!楽しみだぜ(笑) m(__)m久しぶりに使ったら、コメント欄の開け方を忘れちゃいました。言いっぱなしもなんなんで、BBSは開けてみました、つもりですが、さて。
2011年03月16日
仔猫が生え出て来る季節である。 隣家から、にぁにぁにぁあああと、仔猫が母猫を呼ぶ声がする。迷子だろうか捨て子だろうか、お腹の底が冷え込むような不安が募る。声が聞こえると、非人情と冷血を責め立てられてるようで落ち込むし、声が聞こえないと、死なせたかと己の非人情と冷血を責めて落ち込む。くり乃様のストレスになると、私の(財布の)ストレスになるので、回収は避けたいが居ても立ってもいられず、里猫掲示板を覗いたり、人に頼ってみたり。ふっと、仔猫が10日余りも一人で生きていけっこないことに気付く。お母さん猫がちゃんといるに決まってる。どっと安堵した。クリームぽい長毛種なので「綿坊」と名付け、度々、覗いていたら、母猫を脅かしたらしく、台風前日に、どっかに運んでしまった。声が聞こえなくなって心は平和になったけど、ナニゲに寂しい気もする...。 両親を月2回、整体屋(厳密に言うと整体ではない)に連れて行く。帰り際「今日は朔の日だから、運転に気を付けて」と、言われる。「朔」とは「一」ではなく、欠けた月のこと。エネルギーが減退するので、色んなトラブルが生じるらしい。来る時にすでに、事故を見ましたよ、車が引っ繰り返ってました、と報告。そういう類を信じているわけではないが、アクセルは自ずと慎重に。その帰り、何と、またもや追突事故を見る。帰宅後、母と車で買い物に行き、またもや事故!一日に3度!こんなことって.........。夜空に、お月さんを捜してしまった。 綿坊が姿を消して数日後、くり乃さんが喋っている夢を見た。昔、ウチにいた猫ちゃん達とお茶会していて、楽しそうだ。その夢の切れ切れに、にぁにぁにぁあああと、仔猫が母猫を呼ぶ声が割り込む。ぁ、ぁ、ぁぁあああ......。捜してみると、今度は道を挟んだお向かいさん。なんで、ご近所?仔猫が生え出る季節は、一体いつまで続くんだろう。夜の静寂に響き渡る声は、仔猫の小さな爪のように、私の安眠を引き裂き続ける。立派に大きくなって、無事に巣立っておくれ。 そんで、本題。どうぞ、こちらをクリック。 m(__)m
2009年10月19日
ずぅぅぅぅっっと!!前からの腹立ちが爆発した後、友人から鋭い指摘を受けた。「前回と言い今回と言い、どうして誰も、くり乃々さんには謝らないんでしょうね?怒りの度合いは、相当、根深く大きいのに。」(`-´;;)いや。今回は、謝罪すべき相手は、私じゃないし、さ。(-"-;;)いえ、己の不徳ということで。(T_T) で、思い出したこと。昔、カレシと酒を飲みに行った時、私は通路側に座った。(カレシを庇うならば、私は隅っこが嫌いなので、通路側に座ることが多かった。)私の後ろは、やたら盛り上がってる6名ぐらいのグループ。ものすごい歓声の後、イキナリ、椅子ごと男が引っ繰り返り、物がぶっ飛んだ。ぶっ飛んだのが、自分トコのテーブルだけなら良かったけど、私にもぶっ飛んだ。飲みかけのビールが。頭に。お店の人が大あわてで、大量のおしぼりと新品のタオルで、拭くのを手伝ってくれたし、転けた椅子は、私の椅子にぶつかったので、ケガはなかった。確かに。そのグループから男性がやって来て、「大丈夫すか?」と、私に声をかけたはいいが何と、カレシに向かって腰を45度に折って、丁重に謝罪するではないか!むかー!「いや、本人も大丈夫と言ってるけど、場をわきまえろや。」と、鷹揚にカレシ。むかむかー!!男性はカレシに向かって、もう一度深々と頭を下げ、「静かにしろや。」と仲間に注意した。コラぁ、待たんかーいっ!ビールかかったんは、誰や?!頭、ビール臭いやんけー!シャンプー代、出さんかーいっっ!とは怒鳴らなかったが、謝る方も謝る方だが、カレシに大丈夫と言う権利があるわけっ?!その日、私はビールをぶっかけられた(しかも、他人の飲みかけの!)こともむかついたが、私を差し置いての遣り取りに、相っっ当!!むかついたんである。以降、通路側の席には座らないようにしているが、ヤツが気付いているかどうか。 どうせ、私の怒りなんか、お座敷犬がわしわし吠える程度さ( ̄^ ̄メ)でもさ、せめてさ、パグやペキニーズも可愛いけどさ優美なパピヨンが吠えている、とご想像下さった方は、こちらにお越し下さい。※ 王侯貴族に人気のあった愛玩犬。マリーアントワネットの肖像画にも描かれている。
2009年09月15日
先日来、バタバタとみっともない様を曝して、申し訳ございませんでした。お一人お一人にお礼とお詫びを申し上げるべきですが、面倒がくっつき歩くと困るしね(笑)コメントを下さった方々へのお返事を、皆様方へのお礼とお受け取り下されば幸いです。こちらのコメント欄は、再度、短気を起こさない自戒の意を込めまして、お口チャック同様、閉じさせて頂きます。 snowy0427さん。私信でも申し上げたとおり、物事を見据えようとする、その心根の真っ直ぐさにいつも感嘆しております。残念ながら、言葉が通じない、そんな人間関係はたくさんあるのですね。それでも怯むことなく、静かに頑張っておられるsnowyさんに、拍手とエールを送らせて頂きます。前回同様、今回もたくさんの優しいお心遣い、本当に有難うございました。 HANG ZEROさん。またまた、です(笑) お騒がせしまして申し訳ございませんm(_ _)m向こうも思っているのでしょうが(笑)、言葉が通じない心ってあるんですよね。通じないなりに、人を傷つける行為は戒めなくては。これは、自戒です。HANG ZEROさんの所に、しゃしゃり出て、変なこと書き出したらどうしよう!って、本当は不安でした(笑)HANG ZEROさんは賢いからこその冷静さをお持ちだから、私の要らぬお節介だったんですけどっ!^-^ご心配をかけました、本当に、有難うございます。 黒ネコ88さん。謝罪文があまりにも無神経だったので、7日、大爆発した次第です。先方がコメント欄を閉じてるもんだから、更新する方法しか思いつかなかったもので。その結果、削除してもらいました。あれでは、却って......。ご当人も無責任な書き方だと認めて、謝罪の意志はもっておられるのです、が。黒ネコさんのあしらい方を、見習うべきでした(笑)くり乃さんの今年のワクチン注射時には、すでに、告知されて受付してましたよ^-^迷ったんですけど、体力にまだ不安があったから受けませんでしたけど。コピペ記事を載せるにしても、動物とはいえ病気のことですから、もっと正確な情報を記載して頂かないと。記事に追記するべきだという黒ネコさんの正しいご指摘、通じたのでしょうか、ね(笑)黒ネコさんの暖かい大きなハートに、今回も救われました。心より感謝申し上げます、有難うございました。 トンカツ1188さん。トンカツさんの、人生への好奇心に満ちた元気なお心に、いつも感服しております^-^元気よく、楽しんでされている社会活動、それこそが啓蒙なのだと思っております。イヤミがましく強いては、ますます人とは離れていくものですから。トンカツさんのブログを通して、一方的ながら、お人柄に深い信頼を寄せております。真面目なお心と、勉強を怠らない好奇心、行動力。いつも楽しみにしておりますが、それだけじゃなくって、見習わなくっちゃ!ご心配をかけました、申し訳ございません、そして、本当に有難うございます。 姫でございますm(__)mさん。姫が、皆さんに抱いている暖かな尊敬の念は、嘘偽りなく心からの言葉だと解っています。中には、「見え透いたお世辞」なんて受け取るヒネクレ者がいるようですが、きっと、そのご当人こそ、姫の真意に気付けず、真に受けていたのでしょう。あのジイサンの騒動の頃から、私も、懸念しておりました。だから、姫のコメント、ブログを読んだ時、ずっと心配してきて、だからこその爆発なんだとよく解りました。姫らしい、真摯に人を思いやる、だからこその怒り。残念ながら、一番理解して欲しい人に、届いたのかどうか。潜伏先に書き残した通り、謙虚にお考え下さるかと思いきや、その後に書いたらしいしゃれこーべさんの所のを読んだら、引っ繰り返りましたぁ~(爆) ダミダ、コリャ~( ̄∇ ̄;)そして、私の方こそ、どうも有難うございました。頭を下げるばかりです。 皆々様へ。ご心配をおかけしたこと、またも醜い様をお目にかけたこと、深くお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした、何度、謝れば気が済むんだ、とお叱りを受ける場ですが、きっと、私、またしちゃうんでしょうT.T ここでするかどうかは、別にして。気に入らないったら、気に入らない! よくぞここまで、辛抱したもんだ。結果、最悪の事態を招いてしまったようなものだから、自戒を込めて、本当に、有難うございました。もう少し、でっかい堪忍袋を作るように致します。 んで、ついでに、こちらへお越し下されば、尚のこと感謝に堪えません^0^今度は、ちゃんと貼れたかしら、有難うございます、snowyさん。
2009年09月09日
更新したと思ったら、何なのでしょうね、全く。一体、何を喚き散らしているのやら、ほとほと呆れますm(_ _)mわざわざコメントを寄せて下さった方、メールを下さった方、お立ち寄り下さった方、皆々様に改めて、お騒がせしたことへのお詫びと、ご心配下さったことへのお礼を申し述べます。事情も分からない文章を突きつけられて、戸惑われたことでしょう、申し訳ありませんでした。そして、私へのご配慮の数々、本当に有難うございました。 本当は、逐一事情を述べるのが筋(お読みになりたいかどうかは、別にして)だとは思っておりますが、前回とは違い、私本人の事ことばかりでもありませんので、(いや、常に逆撫でされ続けてきた私のことも含めてですが)詳細は、どうかご容赦下さいませ。 昨日もちらりと書いたことですが、前回、かのジイサンと見苦しいもめにもめた事情は、人様に指弾されるまでもなく「魔女狩り」だと、認めております。けれど、いわゆる「魔女」を狩ったのではない、と、今でも、自信をもっております。詭弁だと思われますか?これまた人様のことですから、やはり控えますが、ボロボロ出て来る彼のやり方は、「悪事」「犯罪」と言う言葉に相応しく、今の時世ならば、充分に立件できる行為でした。ですからやり過ぎたとは、未だにこれっぽっちも思っておりません。言うまでもなく中世の魔女狩りが、私刑や冤罪といった愚かな大罪の代名詞になったのは、「魔女」ではない、力と声を持たない善男善女を狩ったからです。ですから、私がやった行為は確かに「魔女狩り」で「私刑」ではありましたが、非難されたような「魔女」を狩る行為ではない、と、言い切ります。また「キツネ狩り」だったと言われたとすれば、どうだろう??全てを明らかにはしていませんが、あちらの反撃も相当エゲツナイものでしたよ。決して、無力なキツネを追い回したワケでは、ありません。また狩の方法が、大層、みっともなく汚らしいかったとも言えましょう。だけど、醜くない戦闘ってものが、この世にありますか?それは今、闘争中の人間ならば、覚悟してしかるべきことでしょう?断罪したいという意志こそが、きれい事じゃ済まされない想念なんですよ。繰り返します。「魔女」を狩ったと非難される覚えはありません、私達の誰一人。そして、「魔女狩り」だと非難されるのならば、きれい事なんかじゃ済ませない。面白半部じゃないんだよっ!醜くエゲツない、相当の覚悟で挑んでたんだよ、誰も彼もがっ!!それが理解できないのならば、尻馬に乗って騒いだ人間がいると、逆告訴するのみ。下らない言葉遊びは、願い下げです。 さてご覧の通り、私は論客ではありません。己の分を弁え、もう引き上げましょう。申し上げた忠告が、やっぱりお解りではないようですから。百の言葉、千の心を尽くしても解り合えない。また同じ事を繰り返すだろうにしても、私の目に触れない所で、どうぞご勝手に。との言葉を差し上げます。 最後に、前回、読んで下さった方々、これもお読み下さった方々、幾重にも深くお詫び申し上げます。みっともない様ばかりで、本当に申し訳ございません。皆様のお心使いには、いつも感謝しております。心から有難うございますと、お礼を申し上げるばかりです。 えっと、感謝ついでに、続きはこちら。って、あぁ.....(T^T)地下室でも書き散らしたもんだから、肝腎の方が更新できないよぅ。毎日、毎日、お越し下されば、いずれ新記事に当たるから。読みたかないやって、そんな連れないことは仰らず(T.T)、どうぞ、今後ともご贔屓にm(__)mそして、潜伏先様にはSpecial Thanksを。あなたの下地ならしがなければ、到底、終わることはなかったことでしょう。その鋭敏な頭脳を、またもやお借りしてしまいました。ご活躍がない方が、精神衛生によろしかろうとは思いますものの、いずれの為(笑)に明記せず、お礼申し上げます。有難うございました。※ お題は「恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛(うつく)しき言尽くしてよ 長くと思はば」 大伴坂上郎女実は、恋の相聞歌。言霊信仰からいえば、美しい魂で美しい言の葉を紡ぎ、美しい気持ちが伝われば........、良いのですけれどもねぇシクシクシクシクシク。
2009年09月08日
百の言葉、千の心を尽くしても、通じない事はある。いや、通じないこと、わかり合えないことがほとんどなんだろう。私は元来、とても無神経でがさつな人間なので、不用意に、人を傷つけてしまう。時として、周囲の人間が繊細なガラス細工のように簡単に傷ついてしまうことに、驚いちゃうほど、図太く鈍い感性なのだ。そして、そういう人間だけが持ち合わせる、ものごっつい底意地の悪さ、シツコサ、短気と私は、あいにくと備えている。 子供が無邪気、そして残酷なのは、傷つくことを知らないからだ。傷つくのは自分だけで、他人にも同じ感情があるとはまだ、気付いてないからだ。もちろん、持って生まれた性質として、心細やかな優しい人間は、男女問わずいる。あいにく、私はそういう資質がなかったらしく、他人にも同じ感情・気持ちがあるのだと気付いた、子供時代のその日が忘れられない。何か、事件があったわけじゃない。だけど、あの日の夕焼けと驚愕の思いとが忘れられない。そうやって自分も傷つきながら、悔しがりながら、学習するしかないのだ、愚かなタチは。 けれど、そうすら出来ない人間もいる。人を傷つけ、謝罪すると言う方法をもってしても、なお、人を傷つけ、愚弄しようとする人間がいる。 大騒ぎした過去の人物もそうだ。(彼は、謝罪さえしていないが。だけど、悪いと思えないのなら、謝らなければよい。)不用意に言葉を用い、鉈のように振りかざして人の心を打ち砕く。そして、そんなつもりはなかった、悪気はなかった、という。まるで、免罪符のように。無知だからと言え。自分がバカだからと言え。恥知らずだからと言え。文章は、難しいのだ。声や表情がないのだから、細心の注意と心配りが必要なのだ。怒って書いたのではないことでも、怒っているように読めてしまう。ふざけて書いたのではないことも、ふざけているように読めてしまう。好意を持っている、あるいは信用している人間の文章は、好意を持って解釈し、その真意をくみ取る。人間は、そういうファクターを用いながら、文章を解釈しているのではないか?けれどネットは、あいにくそういう人間ばかりが、読んでくれるのではない。だから私は、本当は、人様のブログにコメントを書くのが嫌いだ。一旦、書き上げ、読み返して、その無神経さに、自分で驚くことがある。人に意志を伝える何らかの行為は、文章に限らず、そのくらいの用心深さがあって、ちょうど良いのだ、無神経でバカで愚かで下らない人間に限って言えば! 何らかのトラブルがそこにあったことは、私は感づいていたましたとも。だから、「自分のためなら」発言や、その前のアテコスリも自分に向けられた物ではないと、解釈もし、友人にもそう言って、宥めたことがある。正直に言って、好意的に文章を解釈したからではない。「バカにバカと言った者が、バカ」になりたくなかったから。だけど、今、バカになってやる。バカには、バカになって、バカ!と言わなくては、通じないんだ、解らないんだ!! あんな謝罪文、謝罪じゃない!!残念ながら、とか言うなっ!! 傷ついた方が悪いのかよ、えっ?!あんな言葉、吐き散らしながら「そんなつもりは毛頭ありませんが」とか言い訳すんな。毛は頭にあったら、充分なんじゃ!!!そんなつもりがなく、書けると言うことがどんだけ恐いことか、まだ分かんないの??なんで、私が、友人の話を持ち出したか、まだ、わかんないの?!なんで、私が、ここで更新しなかったか説明しただろう!意味がわかんないの?!理解してもらえなかったことは、私へのコメント読んで、解ってたのに。解ってたはずなのに。だから、あんなコメントしか書けないんだ。 ねぇ、私の文章って、解りにくいですか? 自慢するけど、私は、子供の頃から、作文はいつも褒められコンクールの常連だった。だけど、書くの、ダイッキライ。その頃からずっと、嫌い。勧められてブログ始めたけど、作文の宿題くらい苦痛だった。(すんなよ)自分が楽しかったこと、嬉しかったこと、美味しかったこと、それを、私なりに書いているつもりだ。その「なりに」がシンドイ、だから嫌い。言葉の吟味も心を配って、私なりにしている。それも大嫌い、すごくシンドイ。あなたが認めているように、その努力(あるいは、書くことの楽しみ)を放棄したら、どんどん言葉は、ズボラに不用意に出て来るんじゃないか?そしてそれが、どう受け止められるか、考えられなくなるんじゃない? 言っておきますが、グループとか一括りにせんといて。まるで、私に意志がないように。怒ってる人たちに意志がないように。皆、一人一人、色んな怒りのタネがあるんだよっ。そんでそのタネは、皆、共通の土壌と肥料って、だけなんだよっ、おあいにく様。魔女狩り? おお、上等さ。 その覚悟でやったのさ。魔女狩りやホロコーストが大罪なのは、本来、魔女や悪魔でない者を断罪したから。あなたは、あの時、今まで彼が何をしでかしたか知らずに、ごちゃ返してたの?一斉に大勢で飛びかかることを非難したいなら、それは「キツネ狩」というんだよっ。一体、誰達が、一斉に飛びかかった?今回、そちらで暴れなかったのは、ある掲示板に書いた通りの理由。皆、それぞれが、「これ以上傷つけたくはない」、そんな人たちを持っているからその為に、ぐっと堪えている。言葉をのんでいる。歯ぎしりしながら、ね。そのことを肝に銘じて、謝罪なんかいいから、妙な被害者意識だけは勘弁してくれ。 何事かと、ご心配かけます。これを目にして下さった方々は、武士の情けと思し召し、通り過ぎて下さること、伏してお願い申し上げます。何のことかさっぱり?と、ご不審な方は、わたくしの文章が下手なわけでも貴方様の読解力が、不足なさっているわけでもありません。敢えての事情説明を省きますことも、相手方のコメント欄が閉じているため、私信だとご判断下さり、どうか聞き苦しい点と併せまして、お許し下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
2009年09月07日
ただ今、バリ旅行、まったりと始めました(のんびりだらだら、いつ終わるやら)お暇とそうでない方も、どうぞ、こちらまでm(_ _)m お茶の一つも、ようお出ししませんで。( ̄∀ ̄A)
2009年08月28日
教習所で練習していたって、路上では若葉マークのままだ。 上達しなければ、マイ自転車がいつまでも手に入らない。梅雨の晴れ間を狙って、街中デビューすることにした。 ごめんやけど、この続きは、>>ここを覗いたって。堪忍な。
2009年08月06日
「バリに行きたい」と言ったバリ未体験の私に、「バリ好きは、ビョーキ」と、嘲笑した人がいた。チャットこそすれ、まだ掲示板が、文字通りの「掲示板」に過ぎなかった頃の話。 続きは>>こちらから。 重ね重ねm(__)m
2009年07月31日
minpi indah バリという毬の中で、私は微睡んでいる。風は柔らかく耳殻を揺らし、空気は焼けた肌に甘くまといつく。 続きは>>こちらから つくづくと m(__)m
2009年07月27日
「産まれた瞬間から、死への旅路は始まっている。」ののまたの旅友に、旅行の終わりを数えるヤツがいる。この続きはこちらから。 手抜きとちゃいます..........。この方の、真似し、なんです............。( ̄∀ ̄;) -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-ご足労下さり、心から御礼申し上げます。・・・・・・・・・・・ ( ̄▽ ̄;;)オコッタ? ユルシテ
2009年07月12日
アカデミー旋風も吹き終わって、「おくりびと」は原作者の意図通り、人々に、死生観を振り返らせることが出来たのだろうか。軍事力と封建と信仰と宗教と哲学と伝統と文化と道徳、民族的アイデンティティ。日本は戦後、国土と引き替えに切り売りし、時にかなぐり捨てて邁進してきた。そして今、生きていく思想力というか、土性骨というか、これらはいかにも脆弱だ。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ゴーギャン)ありとあらゆる人種、思想背景、時間軸を問わず、この大命題に答えるべく、宗教は始まったと、私は考えているのだが、今、私達はこの哲学を己に問う時間と方法論さえ、持てなくなっていないだろうか。「僕は、ほぼ半年の間、ずっと考え続けていた。僕の生と死と、それから一人の友人について。」(「トーマの心臓」 by萩尾望都)友人についてはお生憎だが、私も考えていたのだ、生と死を。大仰な前振りだけど。 友人が、弱っているノラ猫を見かねて養い子にした。人懐っこいけれど、大人猫だし、病気を持っているのも明らかなのに。長年、猫といちゃついてきた私でさえ、飼いきる度胸はないというのに。なのに家に連れ帰り、その猫の今までを、全て塗り変えるほどの愛情を注いでいる。件の猫は、一体、前世にどれほど良き行いを積んだのだろう。 くり乃さんを、私は時々「元マザーテレサ」と呼んでいる。前世に滅私を尽くしたから、くり乃さんは、今、安穏を許されているのだ。(もっとも、ご本猫が、安楽だと思っているかどうか、てか思ってないだろ)でももしかしたら、親の手で命を落とした、哀しい子供だったのかも知れない。だから現世で、彼女は愛を尽くされ、貪ることを許された存在なのかも知れない。だからって、私の愛情はクールだけど。友人の猫も、前世で持てたはずの幸せを全うすべく、今、生かされているんじゃないか。 友人の猫が、過去生で持つはずだった幸福が、途轍もなく大きな物であったことを、祈る。今生で消化するための時間が、うんとたくさん、うんと長くかかるほどの、たくさんの幸福を、前世で置き忘れてきたことも。その幸福の持ち分は、来世になんか持ち越さなくていいんだよ、今、思う存分、たっぷり時間を掛けて貪り尽くさなくちゃいけないんだよ、赤星君。 Karma(業)とは、己が天(神か?)に対して、築かねばならないものなのだ。だから、気まぐれ(Chameleon)であってはならないと思うの、BOY。Karma Karma Karma Karma Karma ChameleonYou come and go. You come and goLoving would be easy if your colors were like my dreamRed, gold and green. Red, gold and greenカーマ、カーマ、カーマ、カーマ、カーマ、君はカメレオンだよあっちにこっちに、行ったり来たり君の色が僕の夢に染まるなら、愛って簡単なんだけどそれが赤でも金でも、緑でも "Karma Chameleon"(カーマは気まぐれ)友人の行いが宿業に、光熱を発する化学反応を起こすことを、私は祈っている。 さて、ずっと考え続けていたもう一つのことは、国会でも取り上げられた臓器移植。兼ねてより言いたいことは多々あれど、こればっかりは.....。お天道様、私に勇気を下さい、語りだす勇気を(笑) シスター、お顔がうつろでございます......。
2009年07月05日
かねがね、楽天ブログの何が不満って、アクセス解析のないところ、と思っていた。 なまじ無意味に、プロバイダーだけ載るもんだから、やれ巡回ロボットのやれストーカー(アホか 笑)のと不安を煽るのだ。んで、解析機能がないのはまだしも、解析ソフトも貼れないってどうよ。私が借りてる解析ソフトも、トップページにしか貼れないしそれじゃ、どういう検索に引っかかって来てくれたのか解んなくて、つまんない。って、いうより、検索に、実に引っかかりにくい。過疎のウチんとこはともあれ、アクセス300以上んとこでも検索競争の下位なんだもん。面白くない。その一面、ほったらかしでもアクセスが付く、という便利さはあるけれど。何が付いているのかは、この際ムシして。 取り敢えず、ワンコのしょ●べ●のように、いくつか試してfc2ブログで、実践中です。一週間たったばかりだけど。使い勝手の方は、予約投稿が出来るってのが便利。テンプレートも豊富で嬉しい。カスタマイズしにくいのは、私が無知のせいとして。んで、検索にひっかかりやすい。アクセスが冥王星より希薄なfc2の方が、楽天より上位に上がってくるんだもん。そんで解析機能は、解析ソフト並みに充実している。だけど、解析するべきアクセスがない(爆) そこで宣伝です。現在、更新は2008年の屋久島旅行の焼き直しです。一冊の本を優に越えるほどの、ページ数になりそうなんですが、趣味的に書くことが、やっと楽しくなってきた今日この頃です。お忙しい最中、お気の毒ですが「猫又的お気楽五十三次」 ← リンク貼りましたから、ぽちっ!とお越しやしておくれやっしゃ。 えろぅすんませんけど、行ったってぇな、頼んますぅ。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*【同日13:50 追記です】「お引っ越しですか?」という問い合わせを、頂きました。悪口めいたことを書いたもんで、誤解させてしまってごめんなさい。楽天ブロガーの皆々様には大事にして頂き、居心地よく甘えさせて頂いてます。あんまり居心地がよいので、居眠りしてますが(笑....、冗談になってないやん)。楽天籍はこのまま残して、ご訪問は楽天HNでお邪魔すると思いますし、楽天だから書きたいことは、ありそうです。お引っ越し、というより、やっぱり姉妹誌ということで、甘えついでに厚かましく、どうぞ、姉妹ともどもご贔屓ご愛顧のほど、重ねてお願い申し上げます。 厚かましいやっちゃ。みんな、堪忍やで。
2009年07月01日
何を隠そう、くり乃々の祖先は平家である。 どうりで、都の水で磨き立てた才色の雅やかなこと、って、想像するに平家の落人って、平氏の分家のそのまた末家か、「召人」でしょ、しょせん。(だって名のある一門の末路は、解ってるわけだし)そんで、「我は平くり盛なり」とか嘘ついてイチビってみたり、在方の純朴な娘を「世が世なら、北の方なるぞ」と、たぶらかしてみたり。そのなれの果てが、ワタシ(笑) さて、ご先祖様だからというわけでもないけれど、「落人伝説」には心ひかれる。強大な力の消滅、あるいは隠匿とでもいおうか、負のエネルギーの行方にそそられる。大和という狭い地域ではあれ、国家中枢にいた物部氏が、一族もろとも消滅する?(物部氏は北に逃れ、蝦夷と組んだという説もある)国家を凌ぐ財力と権力を持った奥州藤原氏への畏怖が、民から容易に拭い去れる?なんてことを「兵どもが夢の跡」を見ながら、夢想するのが旅行の楽しみ。 ※Wikipediaの写真より拝借。もう数年前、鳥取に旅行に行った際、案内看板でも見付けたのだろうか。横道にそれて、鳥取県若桜(わかさ)町にある「不動院岩屋堂」に立ち寄ったのだ。三徳山三佛寺の投入堂よろしく、山が孕んだお堂がある。(岩屋が人工か自然かは不明)内部に立ち入ることは出来ないが、小さいながらも堅牢なお堂だ。団体の案内をすべく待合わせ中のおじいさんが、暇つぶしに歴史を語ってくれた。以前は、修験道の寺として大伽藍を誇り、本尊は弘法大師が彫った不動明王だという。秀吉の中国侵攻の際、火をかけられ、岩屋堂しか残らなかったそうなのだ。そして彼はさらりと、平敦盛はこの地まで生き延びた、という話もあるよと仰った。え?敦盛?「一ノ谷嫩(ふたば)軍記」の?青葉の笛の?美少年の?真実かどうかは解らないけれど、父・経盛が、敦盛の愛馬を葬ったという馬塚があるよ。学校の先生然とした風貌のおじいさんは、背を伸ばして仰った。そしてその塚からは、何か解らない骨が出たけど、馬の骨ならどうしてわざわざ葬るかな。彼は、その説を信じておられるのだ。敦盛は一ノ谷では死なず、一門と合流すべく陸路をひた走る途上、この地で亡くなったと。世を忍ぶ身ゆえ、父・教盛は愛息・敦盛の遺骨を、馬塚に偽装して葬ったのだと。 教えてもらった供養塔への道は、広大だった境内の一部だろう、荒れた農地のあぜ道で立ち話をするおばあさん達に、挨拶しながら通らせて頂いた。崩れた墓地のような場所に、馬塚と平経盛や従者の供養塔があった。大伽藍を構えていたその昔、ここは境内の秘密の場所だったのかも知れない。真実は不明で、日本各地に残る「平家落人伝説」の一つに過ぎないのだけど。不動院岩谷堂のある辺りは、長閑な農村風景で、耕し手を失った農地の上を、風にそよぐ花のように、紋白蝶がいくつも舞っていたっけ。 でね、ウチは代々、九州出身なんですよ。って、ことはね、壇ノ浦まで付き随って、落ちたのよ、多分。だからね、たかが召人でも「屋島合戦」辺りの落人とは、ちょっと違うのよ、根性が!(ズ~ット、コレガイイタカッタ) (桜ジャムの写真がないので、桜の塩漬けをお酒に入れてみました。美味しいのよ、これ)この若桜街道沿いの、確か道の駅で、「桜ジャム」を買った。桜の塩漬けが使ってあるのか、わずかな塩味と酸味があった。ケーキに塗ったら美味しかろうと言いつつ、紅茶に入れてみたりして風味を楽しんだ。移ろうあえかな春のように、淡いながらも華やぎのある味だった。言ってよろしければ、御年十六で歴史に散った美少年、敦盛のように^0^
2009年06月16日
「ポンデライオン」。ミスドにスカウトされる?申し訳ございません。元気にしております、風邪ひきだけど。家族も、元気にしております、かろうじて不都合なくの範囲内だけど。一番の心配のタネも、高価な療法食と高価な乳酸菌のお陰でしょうか、元気です。ハゲをこさえたり(アレルギー性皮膚炎と思われ)、ゲロっちゃったりもありますが、それでもこれ以上はヤバくね?くらいには体重も盛り返して、ワタクシ含め、家族一同元気にしておりますんです、はい。 本当に、申し訳ございません。どのようにお詫び申し上げてもm(_ _)mお返事を書こう、書いて順番に、皆様のところに遊びに行こうとは思って更新したあと、毎度、わたわたと旅行計画するもんで、今年は早々と、夏休み企画を奏上したんです。したら、頭の中がぷわぷわぷわぁあ!と南国仕様になっちゃって、モウ、トマラナイ.....。 すっげ、言い訳がましいのですが...、そうこうする内、ブログをするモチベーション、というか、意義の迷子の気分というか、.......とかは、まぁ、別の話で。 手をつかねている内に、見ない!見なければ無かったことになる!!と、自分の管理ページを開くことさえ、恐くなってしまいました。8月28日頃の宿題、ですね。後頭部の一部で脅えながらも、無いことにする...。 度々、覗きに来て下さった方、ご心配かけたでしょうか。ごめんなさい。私信を頂戴した方、気付かないまま返信の時機さえ逃し、お詫びのしようもありません。ホントにごめんなさい。前回の分くらい、ぽっちらぽっちら、お返事、書かせていただきます。リハビリがてら、何か更新できたらいいかなとも思ってみたり。無愛想が治らないままだと、平にご容赦。 汚染地域(汚濁とはちゃいまっせ!)OSAKAより、言い訳がましいご挨拶です。風邪ひきだから気が引けてマスクはしてるけど、そのせいか頭痛はするし、冬だと暖かくてよかったんだけど、もう、暑くて鼻がテカるし。咳が止まったら、誰がマスクなんかするもんか!!(もう一か月、風邪ひきだけど ̄∀ ̄;) 愛護精神とは何ぞや。尾骨骨折用円座ざぶとんで、つい..。
2009年05月24日
伏見のお稲荷さんにも小さいなりに、お稲荷さんらしい賑やかな門前町がある。 神具と一緒にお土産物も扱うお店があったり、ちょっと独特で楽しい。私は、洋の東西問わず、門前町が大好き。どっちかっちゃ神社仏閣より、こちらがメインか?!そういった意味で、京都東山もイタリアはアッシジも、私の中では同等に位置する。清貧博愛のサン・フランチェスコ(アッシジはフランチェスコ修道会の聖地)も、がっかりだ。 さて、伏見と言えば雀の串焼き。鶉の串焼きも売ってるけど。扱うお店では、雀の産地が明記されている。んで、国産の方が高いんだけど、いーあるさんと数を読む雀の方は売れ残る。いつの頃からかはっきりしないけれど、家の近くは雀が減った。朝も早からちゅんちゅん賑やかし、お猫様が窓辺でじぃっと狙って、眺めていたのに。まさか、伏見から雀獲りが来るとも思わないけど、雀も生き辛いご時世なのか。以前は確か3,4軒あったと思った雀焼きのお店も、材料不足とかで、今では2軒のみ。なぜ、雀が名物かと言えば、お稲荷さんは農耕の守護神なので、お米を食べる雀退治のためとか違うとか。それなら、伏見以外のお稲荷さんの門前町でも、売ってるリクツ。ざっと調べた限りでは見当たらないが、そこは総本山ってことで(笑) ここまでよくぞ書くもんだと、我ながら感心するけど、雀、食べてません(笑)気持ち悪いとか可哀そうとか、言いだしそうだもん。買わないからって、雀が生き返るわけじゃないんだけど。それでも。せっかく頂くのならば、有難く美味しく頂かないと、あんまり雀が気の毒だ。 で、他にもお稲荷さん名物といえば、お揚げだ、こん。参道の飲食店では、稲荷寿司や「きつね(うどんもそばも)」が多いんだ、こん。その中でも、ちょうどおうどんを打ってるのが見えた「伏見庵」へ。 う~ん、京都だなぁ(笑)ふわっと柔らかい中に潜んだ、微妙なシコシコ感が確かに手打ちだと教えてくれる。あんまり寒いから、帰り道にも、参道のちょい外れ、何でも食堂でうどんを食べた。昭和風情満開の「道八」は真正・京うどん。お腹に優しおっせぇ。お出汁の方も正しく京風、伏見庵も道八も双方、薄味なりに鰹節が締まった辛口。関西甘口(人柄じゃなくて)というけれど、京都は、大阪みたいに味醂甘くない。そして、どんな店でもどんな味でも、縁日の屋台でさえも、京都の七味は裏切らない。山椒が、ぴりりと効いている。この加減はそやね、お出汁も七味も、京女、手弱女ぶりのイケズ云いとゆっとこか。いや、好きですって、ほんまm(__)m 拝殿近くにあった、玉こんにゃくの屋台でお一つ(150円)。マスタードぽかったのに、めちゃくちゃ辛子が効いていたT.TT.TT.T味が染みこんで、ぶりっと美味しかった玉こんにゃく屋の屋号は「玉三郎」。まんまやんけ、こん。
2009年04月04日
関西では、御所風に男雛が向かって右側ですが、茶碗に合わせました。 仕舞い忘れたんと違います。3月29日、本日は、陰暦でしたら2009年のお雛祭りですねん。節気、節句はやっぱり、陰暦で数えんことには、ぴんと来ぃひん。ほんまやったら、夏の抜けた星空での逢瀬やろに、毎年毎年、終い梅雨に邪魔される織姫さんと彦星さんが、お気の毒やわ。桃の節句かって、陽暦やったら、桃の花芽がやっとやで。今時分から咲きだして、これがまた、桃色の羽二重をぱあっと開げたみたいに華やかや。お隣の中国では、春は桜やのうて、梨花か桃。詩を詠んだかて派手やかなんが多いのやけど、こないにかわゆいのんもおますねん、その一節(本文は三節ある)。 桃 夭(とうよう) <詩経>桃之夭夭 桃の夭夭(ようよう)たる灼灼其華 灼灼(しゃくしゃく)たるその華之子于帰 この子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ宜其室家 その室家(しっか)に宜しからん桃の花は若々しく美しい 紅く燃え立つその花よその美しい桃花の如き娘は 嫁いでいきその家で仲むつまじく暮らすだろう 丹精込めた大事な娘、嫁ぐ日からは、幸せを祈ってやるだけや。こないにええ娘、幸せにせなんだら堪忍せぇへんど!という、脅しすら感じますけど(笑)女の子ちゃんの幸せを祈念する節句、お雛さんの日に相応しいですやろ。そこのお父ちゃん...、先のことやん、想像して泣かんといてやぁ。あ、そこのお父ちゃんは、思い出し涙かいな、かなんな(笑) 三角頂点から左周りで、桜餡のおもち、道明寺桜餅、女雛型の練りきり^-^グレゴリオ暦三月三日、お雛様に因んだお菓子を買ってみました。(う~ん、平均320円?)金沢の和菓子処「村上」です。桜の塩漬けを風味付けした餡のお餅が、美味しかったわぁ。舌から、春を先取りしました。あかん。桃のケーキが食べたなった。しかも、金沢に、遊びに行きたいぃ。
2009年03月29日
千本鳥居。奥の院への出入り口数年前のこと、伏見稲荷大社初午詣(はつうまもうで)のテレビCMがあった。千本鳥居をバックに、着物姿の女性が「福が仰山、もらえまっせ」と誘うのだが、初めて見たときから、さすが着倒れ京都の神社やなぁと感心していた。「服が仰山」に、誤入力されたのだ。物欲満開、アホも丸出し。初午詣でとは、奈良時代(712年)二月初午の日に、稲荷大神が伏見のお山に降り立った日を仰ぎ奉るお参り。御鎮座は、1300年の長きに渡る。2009年初午からは数日ずれて、長持ちから溢れ出る着物を夢見てお参りに行ってきた。 目的は奥の院も熊鷹社も越えて一の峰まで登り、お山を一周すること。稲荷大神が降り立ったという、一、二、三の峰には磐座が祀られ、その力に預かろうというのか合力しようとするのか、小さなお社が、たくさん寄り集まっている。(写真は撮りませんでした) 参道の要所要所にそういったスポットがあり、それらを、鳥居に導かれながらお参りする。何が「要所」に見なされるのかは不明だし、自然発生的に寄り集まった「場所」もあるようだ。伏見稲荷独特のお社寄進?は、江戸末期以降の比較的新しい信仰形態らしい。政情不安な頃、先行きの見えない不安や閉塞感から、現世的信仰にすがったんだろうか。私は、これらお社群に足を踏み入れると、地軸がずるりと歪む気がする。地べたから沸く声は何をおめくのか、己の安堵か繁栄か、はたまた時代を占う声か。そういう箇所には茶店も必ずあり、お供えセット(酒1合瓶とおかきの箱詰め)や、お供え鳥居の販売・文字入れまでしている。寄進の申し出も受付け、出張社務所みたいだけど、出汁自慢やお揚げ自慢、名水ゆで卵や景色自慢なんてのもあって、個性色々。 さて、京都では季節毎に、寺社の期間限定「非公開文化財の特別拝観」がある。2009年冬、伏見稲荷では「御茶屋」(国重要文化財)が公開されていた。書院造りから数奇屋造りへと移行していく過渡期を評価され、重文指定を受けたとか。お上(後水尾院)からの下され物だから大切にし過ぎたのか、あまり修復されていない。襖絵はハゲハゲだし、建具の隙間からは庭が覗ける(笑)。ここは上つ方々の接待所ゆえにお茶は、供しこそすれ、立てることはなかったそうだ、だからお茶室ではなく「お茶屋」。当然、にじり口もないし、切ってある炉も形ばかりとか。そして庭伝いに、代々の伏見稲荷宮司の官舎?だったお屋敷があり、庭から棟方志功作の襖絵も拝観できる。棟方志功らしい、ほとばしる情熱の線と優しいフォルム。京都って....、京都の財産って、ほんと限りがない。毎回毎回、異なる寺社が、秘宝を公開するのだ。個人宅も含めると、知られぬお宝がどれほど....。一部は被ったとはいえ、戦火を免れたという途轍もない幸運を、京都には、未来に責任をもって全うしてくれ、と祈るばかりだ。 いやだからって写真撮影禁止を恨む訳じゃないけどさ。 お庭も外観も撮影禁止の理由を述べよとかこっそり撮ったりもしないけどさぶちぶちぶ 灯籠のツマミ部分の石を持ち上げる。奥の院には、「おもかる石」という吉兆占いがあります。願い事をして石を持ち上げるのですが、想像した以上に軽く感じたら、叶うのだとか。全地球のありとあらゆる住人様、申し訳ございません。この先、第三次大戦勃発や巨大隕石の衝突なんか起こったら、くり乃々のせいだわ。だって「全世界の恒久平和」を祈願したのに、ずっ...しり....と重く感じたんだもん。
2009年03月26日
時を遡ること遥か800年余、神戸市須磨区一帯は戦場となった。 真言宗須磨寺大本山は、その源平一ノ谷の合戦で露と消えた「平敦盛」縁の寺である。室町時代、既に敦盛の供養寺として名高く、父・観阿弥の勧進能に同行しただろう藤若(後の世阿弥)は、インスパイアされて後年、謡曲「敦盛」を創作した。と、勝手に想像する。で、須磨寺は、不思議なお寺さんである。お寺のHPで「おもろい寺」と自ら名乗っておいでだし、これに尽きていいんでしょ(笑) 山門脇の手水舎は、弘法さんのお告げで掘り当てた「独鈷の水」。お告げがもたらされたのは、昔昔じゃなくて平成に入ってから。そこを過ぎれば、実寸大の銅像が名場面を見せてくれる。「敵に後ろを見せ給うものかな。返させ給へ」と熊谷直実が、海へ逃れる敦盛を呼ばわる所。敦盛の足元だけが塗られているが、建造当初、海部分は一面真っ青だったみたい(笑)宝物館には、小枝(通称:青葉の笛)はもちろん、敦盛の絵姿や鎧も展示されているが、ちょっとマニアックな歴史名場面集ジオラマ?もあったり、境内中に、借金首が回るようになるカエルとか、説教する?お地蔵さんとか、亀に乗る七福神とか、孫悟空のおみくじ結びとか、数えきれないレア物が点在する。なんというか、う~ん....昔の行楽地にあったような...キッチュな見せ物なのだ。こういうのは、嫌いじゃない(笑)本堂の傍らの墓園(右エリア)入り口には、なぜか阿形の狛犬が一匹。相方は?この墓園を通って、山上の奥の院に、って、これがまた、階段が延々なんですけどね。下れば墓園(左エリア)に戻ってきて、敦盛の首塚にお参りし終わった所で、吽形の狛犬。 なるほど、この狛犬さん達は広い範囲で本堂を挟み、山全体を守っておられるわけだ。出口に向かう途中の石碑では、歌詞を辿ってボタンを押せば「青葉の笛」を演奏できる。そんな歌があったんだ。知ってる人が聞いたら、調子っぱずれで違う曲に聞こえたろう。祖父母の家に、敦盛と直実の子供向け絵本があった。そんなことを初めて思い出した。 で、お寺は連れもって行った友人夫婦・妻の強い要望?で訪ねたのだが、私の目的はここ。以前、こちらでご紹介頂いてから、行きたかったのだ。貿易商の迎賓館だった洋館を、結婚式場兼レストランにした「ル・アン 鸞」。かつて応接間だったろうウェイティングルームは、張り出し窓がおっしゃれ~。食堂になった広間は、廊下側にステンドグラスを嵌め込み、天井は高い。階段の手すりも建具も欄間(座敷は披露宴に使用される)も、今更、作れっこない繊細美だ。裏手には、日本庭園にお茶室も2棟あるが、手入れが行き届いておらずもったいない。前庭の芝生から眺めれば、天井の高い石張りのお館は、ゴシックロマンにうってつけ。狂女ロチェスター夫人(ジェーン・エア)の悲鳴が、今にも響き渡りそうで嬉しくなっちゃう。 チーズ味のアミューズから始まって写真の他、パイスティック添えミネストローネ有り。肝心のお料理の方は、お野菜に拘るシェフらしく、それらの個性を活かした味付けで、ソースや添え物(西洋ゴボウや金時人参のピューレ等)に、珍しい工夫を頂けた。食後には、給仕さんが本日のお野菜の籠盛りを手に、色々と教えてくれる。実は、給仕の足音が響くのが気になったのだが、床が板張りだからしょうがないとして邸宅内見学込みフルコースランチ4800円(サービス料別途)、私には十分、納得範囲内。誰か、ここで披露宴してくれないかなぁ。あっ。.................................、私がしても、いいんだよね。 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-皆様方におかれましては、私の尾っぽのご心配をして頂き、有難うございますm(__)m日にち薬とは言うものの、本当に日にちは効いてるのか?という疑いがもたげてきますが皆様の労わりのお心使いで、どうやら少しずつ、マシになってきているようです。どうも有難うございます。心から感謝しております。一人じゃないって嬉しいわ(笑)でね、怪我以来、当然ながら全然、遊びに行けなかったんですよ。映画も見るの辛いし、歩き続けるのも辛いし、飲みにも行けないし。で、過去ネタを引っ張り出して、書いてみました。結構、色々、出来上がりました(笑)さぁあ!目指せ!!日記記入率20%越え!!もぉ、お立ち寄り下さり、お目通しして下さるだけで、私の薬になりますから^-^このダラ長文にお付き合い下さり、いつも有難うございます。
2009年03月21日
初釜や歌舞伎、文楽の初春公演が終わり、大阪の街から着物姿が消える二月。私が通う着付け流派の、新講師へのお免状伝達式が行われます。教室を構えるには一向、至らぬジプシー師範の私ですので、伝達式には無縁ですが兼ねて行われる新年会には、毎年、参加しています。ドレスコードは、準礼装。もちろん、着物で。第一礼装:女性ならば色留め袖、黒留め袖(五つ紋)。未婚女子は振り袖。 男性は、黒紋付きの羽織・仙台平袴。準礼装 :女性ならば三つ紋以下の黒留め袖、訪問着、付下げ、 紋付き色無地(当然ですが、慶事用地紋)、未婚女子は振り袖。男性は、羽織・袴。※ 但し、礼法に則ったドレスコード。盛装は、「会の趣旨に合わせて」もっと自由です。 って、ことで、新年会にお集まりの面々は、痩せても枯れても弟子無しでも着付け講師。一堂に会する約150名が、訪問着、振り袖、訪問着......、羽織袴(一名)。今まさに咲きほころぶ花のかんばせから、山の賑わえっと、えっと、成熟の御姿まで、もうそりゃ、着物好きには垂涎です。形は皆同じはずなのに、百人百様、色もとりどり彩もそれぞれ。同じ物は、一つとしてありません。だけど着物姿って、生活が垣間見える気がするのは、なぜ? 誂えてもらっていた訪問着が派手になった(笑)ので、清水の舞台からダイブした一張羅。 久保耕の訪問着。灰青の地色に華紋唐草。久保耕は能衣装や小袖からとった古典的意匠が特徴で、手描きならではの緻密な柄行きに、我が着物ながら、見惚れてしまいます。(着物に見惚れる着物姿に見惚れる) 「宮内庁御用達」川島織物の袋帯。師匠がファンで、私も一本は欲しかった...。小物も着物も色を選ばず使いやすく、何といっても締めやすい。着物雀達の噂に違わず。次は、名古屋帯で楽しいのを一本。.............. 、ヾ(-∀-)手持ちも尽きたし、来年の新年会は、おばあちゃんの付下げと長尺帯で遊んでみよっと。 @ホテルグランヴィア大阪の宴会料理メインの写真がないっ!牛グリルとマデラ酒ソース?withグラタン・グーフィノワかな。過去4回は、はまるメニュー構成だったのに、この日は、「重複」だった。前菜がムースなのに、スープも豆乳のくず固め風だったり、緑のアクセントが、グリーンアスパラばかりだったり(前菜、お魚、お肉と実に三皿)。ホテルの宴会コースで、それって......。
2009年03月17日
太古の昔、ヒトがまだ「ヒト」と種別されず、カミと共に在った神世の昔。 モモジリという黄金色の体毛をもつ、群れの中でも際立った美貌がいた。風のように巧みに樹木を渡り、細い枝先の実まで取ることが出来る優美な長い尾と利発さをも併せ持つモモジリは、神々の寵愛を一身に集める優秀な進化の旗頭だったのだ。そのモモジリに悲劇が訪れた。弘法も筆の誤り。猿も木から落ちる。結果、彼女は第五の手足、「痒いところに尾が届く」と褒め称えられ、羨望の的だった自慢の尾っぽを失ってしまった...。尾を失えば木々は渡れず、無様に地べたを這うことしかできない。栄光の日々が輝かしければ輝かしいほど、嘲笑は苛烈さを増す。だが、進化のカミは、モモジリへの寵愛を失うことはなかった。二足歩行と、それにより鍛えられた臀部。誘うようにくねる尾を失い、むき出しになった臀部が群れの男心を刺激して止まない。結果、モモジリの子孫は繁栄を遂げ、優美な記憶は、「ビテイコツ」として体内に留まった。時に、それは激痛を人体に与え、人類の母モモジリを忘れることを、決して許さない。 人間にまだ尾っぽや動く耳があって、感情表現が出来たら面白いな、と夢想していました。「気にしないわ」てニコニコしてるのに、尾っぽがバタンバタンして、耳が伏せってたり。「ほっといて!」とブスったれてるのに、喉がゴロゴロなったり。なんだか、可愛いでしょう?(注:上記は猫のボディランゲージ) いや、困るか。だからかどうか、表現力豊かな尾が退化して、尾てい骨になったのはご存じの通り。痕跡器官って、言うんですって。進化の途上、不要部分が退化してもなお、残ってるんですよ、なんででしょうね?人類が尾っぽを失って、どれほどの年月が過ぎ去りました?もういい加減、退化しきっていい頃でしょう?なのに、無意味な、存在の主張をする。そしてその主張は、やたらと激しくでかい。................................。 ご心配頂き、慰めのお言葉も頂戴し、有難うございました。ご忠告を真摯に受け止め、思い切って病院に行ってきました。覚悟はしておりましたが、尾骨はポキリと折れて、全治6週間。場所が場所なので治療のしようもなく、湿布とコルセット、日にち薬の養生のみです。骨折と診断された途端、歩けなくなる、そんな気がして行きたくなかったのですが(笑)よちよちと、何とか日常生活(通勤も含め)はこなしております^-^ 多分.....。 自慢?の牡丹様青タンは、ますます色目と柄が華やかに、アンティーク着物みたい。二つに割れちまった尻ペタは、桃尻どころか、実ったばかりの青い果実....。今後、私がナマイキ言ったら「ケ○の青いガキが!」と、叱って下さいませ。この歳で、そういう叱られ方も新鮮ってもんよ(笑)って、熟成して「赤秀」クラスの白桃になる、戻れる日は来てくれるのでしょうか。 ウチの尾っぽは、真っ直ぐで長いんで。自慢やねん。(これだけかい)(蛇のかま首状に尾先をもたげているので短く見えますが、28センチあります^-^) 前回のテーマ選択と言い、今回も文中不適切で不愉快な単語等ございましたら、どうぞ、ご容赦下さいますようお願い申し上げます。精進して、楽天から退去命令が出るほど う~ん.....。
2009年03月11日
少年は、その板戸を閉めることが出来なくなっていた。今宵、この闇夜の独り占めを、女は疑う様子もなく、湯帷子を肌から滑らせた。行燈の灯りは闇に、女の輪郭線を薄紅に描き出す。香油を掬った女の細い指が、己が体をなぞる。柔らかな絹を撫でるかのように、そっと。赤子の頬を撫でるかのように、優しく。女が足を伸ばしたその刹那、闇に沈んでいた腰が、白く灯りに浮かび上がり、少年の眼前に、時ならぬ牡丹の花が現れた。女の柔肌には、牡丹の花が染められていたのだ。少年は、思わず吸い込んだ息を女に気取られまいと、あわてて口をふさいだ。香油をすり込む指を、止めたかに見えたのは一瞬、女はその、毒を花芯に宿らせ、肌に咲く婀娜花を愛でるかのように、なぞっていた。 くり乃々のお家は二階建てで、12段の階段があります。その階段から、今日、滑り落ちちゃった。しかも、一番上のステップから。長い長い12段を滑り落ちる間、頭を打たないよう、骨折しないよう、それだけを祈っておりました。落ちた後しばらくは、痛みよりショックが大きくて、気分が悪かったほど。今は.....、尾てい骨、左腰、左ヒザ、左くるぶし、右肘が、痛い.....。尾てい骨の集中を和らげようと、途中で体をひねったせいです。湿布を貼ろうと鏡を見たら、覚悟はしてたけど、びっくり...。体の左下半身、季節先取りの牡丹の花が、妖しく咲き綻んでおりました。赤い花芯を持つ紫色の、友禅の牡丹の花。 この歳にして、蒙古斑はこしらえちゃうし。ピーターラビットのマグカップは、吹っ飛んで割れちゃうし。くり乃さんは、階段の上でビビって、助けてくれなかったし。これで、風邪でもひこうものなら......、モンゼツ。今は、全身尾てい骨の気分です.........。 ウチの家、壊さんといてや。
2009年03月07日
またも古いネタで恐縮ですが、2008年12月、くり乃々にもサンタさんがやって来たんである。 ブツ、プレゼントは、CDプレーヤー。サンタさんの正体は、この際、どうでもいい。CDプレーヤーはぶっ壊れて、長年、「くり乃さんの足踏み台」としてのみ存在していた。音楽といえば、くり乃々の呪文かお経のような鼻歌だけ...。 わ~ぃい♪久しぶりにグールドを聴くわよー。で、取り出したのが、大瀧詠一( ̄・ ̄)ナンデヤネン頃は、狂騒時代の前夜祭。私達はあっかるい(明るい、あ、軽い)が標語の、浮薄世代のハシリだったのだ。テント系小劇場は「発展的解消」し、メセナという名の下に、文化は大資本を投入するビッグビジネスとなる、そんな時代。「景色だけが変わり、未来は過去になる」(1969年のドラッグ・レース)(音が出ます!お仕事中の方は、心して、クリックしてね♪)軽くてノリの良いリズムに、マイナー転調。大瀧詠一を聞いていると、私たちの夜を思い出す。夜通しの酒盛りや夜通しのドライブ。鬱屈したばか騒ぎの、安酒の匂いを思い出す。 バレバレの懐古談はさておき、この新しいプレーヤーには、iPodドックがついていた。くり乃々はiPodを、持っていないのに、である。iPodが無くても、音楽は聴ける。でも、欲しい。このプレーヤーは、あくまでiPod仕様なのだ。だから欲しい。買いましたさ、iPod nano。型落ちだけどね(笑)その買い物中に気が付いた。イマドキ、ドックは内蔵型やん。こいつも型落ちだったか。そうと知ると勝手な物で、どうにもなんだか、ドックが邪魔っけで収まりが悪い。くり乃さんも同感らしく、時たまパンチを食らわしては、はたき落とそうとなさる。 でさ、iPodってさ、iTunesのデータが、吹っ飛んだらどうなるの?パソコンが壊れたらどうなるの?壊れなくても、延々、パソコンのメモリを食わせておかないといけないの?ウォークマンが画期的だった世代にとってはさ、メモリーカード止まりが解り易くて、一番安心出来るんである。..........................................、所詮、アナログの遠吠えよ。 父がお世話に為りっ放しなので、母を「マンマ・ミーア!」に誘った。楽しかったわ~、南イタリアに行きたくなったぞ!(注:ギリシャの小島が舞台)どうせお金出すなら、気分がはじける映画がいい。ディカプリオもこういうのに出てくれれば、観に行くのが苦痛じゃないのに(笑)あと、ジョニー・デップasフレディ・マーキュリーという幻の企画は、これだけは、幻で終わって欲しくない企画だ。 その日のランチ。季節野菜とキノコのオコゲ。五目ラーメン。オコゲはもち米で、もっちりと満腹した。金針菜(百合の蕾、甘草)、初めて^-^五目ラーメンは、具材が五目以上で満腹。美味しかったわ~。@近頃お気にの「銀座アスター なんばシティ店」
2009年02月26日
翌日は快晴、せっかく湖畔の宿だから、水辺に降りてみる。岸辺には、美味そうに?鴨の群れがぷかぷか浮いている、だけど、近付くと遠離る。私が遠退けば、また岸辺に戻ってくる。洗剤(私)を落とした油面(鴨)みたいだ。その間合いの絶妙さが、あんたなんか嫌い!と如実に語り、私を意固地にさせる。だから、君らは食われるんだ!と悪態を吐きながら、追いかけまわしたくなる(笑)。青空に映える柿は、とても小さい実で、美味しくないのか鳥にも盗られていない。柿渋を船の防腐剤にするため、琵琶湖周辺には、柿の木が多かったのだそうだ。冬の澄んだ青空を映し、湖水も青く澄み渡っている。 なんてことして遊んでいたら、彦根到着時には、もう昼時。この日は、自家栽培のお野菜や自然食が美味しそうな「ほっこりカフェ朴(もく)」。彦根城間近、護国神社の境内というか、観光案内所の駐車場というか、にある。元々、護国神社の休憩所だった木造の建物を、主人夫婦が昭和レトロ風に手を入れた。へそ曲がりくり乃々は、実はスローフード系が何となく好きじゃない、何となく。だけどサンドイッチが美味しそうで、...、え?本日「クリスマスランチ」のみぃ?!そう、クリスマスシーズン。地元客の多い店なんだろうか?観光客相手に、あんまりなメニューだと文句たれていたら、美しいお皿じゃないか。一の皿。蓮根とツナのサラダ、おからコロッケ、サーモンとクリームチーズの生春巻き、根菜スープ。 二の皿、カスレwith玄米、ドイツパン。宝石のようなデザート盛り合わせ。〆て1575円。野菜スープも根菜の味を残しながらも、スパイスで変化球。手作りソーセージ入りのカスレ(フランス流豆煮込み)は、あっさりと纏められ、ドイツパン(美味い!)と玄米を添えて頂く。 ここまでなら、スパイスで上手にアクセントを付けて美味しいんだけど、また来たいって程じゃない、失礼ながら。店内がまきストーブだけで寒い(お手洗いも外なので、寒い 笑)し、散らかってるわけじゃないけど、ご飯を食べるには、何だか雰囲気が雑多だ(あくまで好み)。それでもやっぱり、「ほっこりカフェ朴」はお薦め。デザートが、秀逸なのだ。ロールケーキの生クリーム(真正、乳脂肪42%笑)を始め、業務用油の味がない。クリスマスツリーを象ったクッキーの、木の実に負けない香ばしさ、アップルタルト(極上品!絶品!!)の上品な香ばしさ、小麦の香りを味わうという点では、讃岐うどんの王様「宮武」に引けをとらない(笑)お料理が好きで、自然の味が好きで、その好きな味を、誰かに好きになってほしい。そんな良心的な味。美味しいなぁ。思わず、お土産クッキーを買い占めてしまったわ。でも、スローフードってお酒が欲しくなる味じゃない、だから敬遠したいのか(笑) で、別にわざわざ、彦根までご飯を食べに行ったわけではないのだ。ひこにゃんに会いたかったのだ。いや、彦根城にも行きたかったんだけど。天守閣の造型は、美しい。が、所詮は砦であり武器庫なのだ。そんな殺風景な物より、殿様の御殿の方が良いに決まっている。藩の美術・工芸のアンテナショップでもあったろう御殿が、今の世に残っていないとは、伝統・技術の継承、審美眼を養う上で、大きな損失ではなかろうか。いや、単にキラキラ好きなだけなんだけど。邸内に入ることは叶わないが、彦根には、下御殿が残されている。ここに限らず、御殿の修復や復元が行われれば、蒔絵や建具、宮大工の華麗な手業が継承されるだろうに。それらが血税の無駄遣いとして断罪される(京都迎賓館への反感を見よ)のも、理解はする。そも、文化とは贅沢に金銭と才能を費やす故民度の度量が計られうにゃにゃ...、無念だ(笑)桜が咲けば、お城は桜色の打ち掛けを纏って、さぞや美しかろう。城下町は、平成の御代も街の中心地に城郭を据え、その誇りが廃れることはない。で、ひこにゃんには、日曜祝日にしか会えないんだって。がっかり。 ※2009年2月14日、チョコはもらいに来たくせに、私には会えないなんて(笑)
2009年02月20日
さて、続きはまだまだお礼参りである。 くどいんですが、「ようよう、てめぇには、ずいぶん世話になったな」ではないんである。祈願成就の御礼を神様に申し上げる、正しく「御礼参り」、である。 ぽっこり丸い里山が目立つ近江平野に、峨々たる山容で一際、異彩を放つ山。「太郎坊宮 阿賀神社」である。天狗伝説で有名な京都・鞍馬山の次郎坊の兄さん天狗、太郎坊がお守り下さるそうな。友人Bは、標高わずか350mとはいえ、石段が延々と続く本殿にお参りしてくれた。だもんで、御礼も当然.....。ご覧、中腹にあるのが参集殿で、本殿はもっと上だよ。ここは、境内建物が、山の斜面中に散らばっているんである。絵馬殿は土・日には休憩所になり、ご神水でいれるコーヒーや焼きそば、お酒なんかも。氏子さん達だろうか、お正月のお飾り作りに余念がない傍らで、早々と休憩しちゃった。麓からでも目立つ参集殿を過ぎた手水舎脇から、ご神体「赤神山」山頂への山道が延びる。ご神体を迂回する形で、赤神山三角地点に到達するらしい(よく解ってない)。ご神体だから山中立入ルベカラズ、山道の両脇には「止め山」と貼り紙が、そこここに。冬枯れの山は明るい。足元はふかふかの落ち葉だ。空気は冷え込んでいるけれど、風はなく、近江平野が見晴らせる。快適に歩いて20分程だろうか、山頂の姿を捉えそうな頃、いきなり風が巻き起こった。鳥の鳴き声もしなかった山が、木々をしならせ、枝々から唸りを上げる。しかし、1mほど頭上で旋回し渦を描く風は、私の髪の毛さえもそよがせないのだ。しばし猛ったのち、それは、山頂目がけて駆け昇っていった。何だったんだ、今の突風は。大きな、途轍もなく大きな鳥が、旋回して飛んでいったみたいだ。天狗の山だぁ。友人に追い付いて尋ねたところ、風には気が付かなかったと言う....。そこから、道を曲がればむき出しになった山頂の岩が、眼前にそびえる。三角地点の岩から見下ろせば、どこまでも真っ平らな大地を、不規則な刺し子の様に田んぼが区切っている。米処・近江ならでは、湖東独特の美しい風景だ。 修験道のお山らしく、峰々には巨石信仰の名残や遺跡が見られるらしいけれど、本日は縦走せず、来た道を戻って本殿にお参りをする。本殿前には、神力でかち割ったという巨岩(誰の神力なのかが不明 笑)があり、悪心を抱く者や嘘つきは、挟まれるんだそうな。隙間80cm、悪心もないんだけど、正直者のくり乃々は、正直、狭い空に息がつまりそう。ぱっくり割れた巨岩は、その名も「夫婦岩」。ひいては家庭円満に効用あり。いかにも度胸も付きそうで、よって、勝負事、出世開運、商売繁盛にもよろしある。下り道にも点々とお参り処があって、開祖は最澄さんだし、いかにも、太古からの自然信仰を踏まえた神仏混合だ。滅多にお札は頂かないのだが、ペット用のお守りがあったので購入した。どうぞ、くれぐれも宜しくご加護下さいませ。 近江平野に西日がさした。今日のお宿「休暇村 近江八幡」を目指して、冬の湖岸道路をひた走る。公共の宿だから、温泉も循環・加水・加温・塩素とフル装備、浴感も温泉だか何だか(笑)それでも、近江牛のしゃぶしゃぶは口の中でほろほろ甘く、滋賀の地酒は静かで優しい。部屋や浴室からは、間近に琵琶湖湖畔を見渡せる。水面に浮かぶは渡りの鴨ばかり、冬の琵琶湖は、寂しい様な穏やかさに沈んでいる。
2009年02月16日
雪がなくとも滋賀の冬は、寒い。比叡山下ろしが、琵琶湖の天然空冷でさらに効く。 だからあんまり、車から降りて散策しようって気にはなれない。道中「鏡神社」に立ち寄って、義経が元服した池とかいうのを見たくらい。もちろん鳥居の前に、烏帽子をかけたという木の根元が残っている(笑)。道の駅「竜王かがみの里」では、豊富な近江の野菜や近江のコシヒカリ(有機米1キロ450円くらい。その場で精米)に狂喜して買い漁ったり、そういえば「なんでこんなところにEVISU?」は、この辺りだった気が。 なんてことしていると、早、昼時、この後もお礼参りが控えている。 八日市駅前の寂しくなった商店街で唯一、人出入り活発なのが老舗洋食屋「ABC食堂」。昔からの、らしく「公民館」「村川」という、暗号めいたメニューが残る。常連さんの好物に、まんま、常連さんの名前(あるいは勤務先 笑)を冠にしたらしい。老舗だけに許されたレジェンドでしょ?で、私も素直に、コロッケとコキール、サラダがセットの「公民館」を。 700円?800円??コロッケと言っても、スパイスを効かせたワザありミンチカツ。コキールだって、鶏肉の旨味広がるベシャメルソースが、美味しい。チョイスした胚芽風味のハード系パンに付けると、なお、美味しい。付け合わせのサラダ(公民館は確か、リンゴが入っていた。)も、定食によって異なるという、実に細やかな芸達者ぶりだ。アメリカ仕込みの先々代ゆかりの「ポークビーンズ」(これも食べてみたい)もあるけれど、パスタやピッツァもあるし、細かいパン粉を使う辺り、イタリアン指向を匂わせる。それでもオムライスや、クリームコロッケなどの洋食王道メニューも外さない。レンガと漆喰の洒落た店内に、静かに流れる音色は民族楽器で、重構造の「洋食屋」だなぁ。 滋賀メディアに度々、取り上げられる名店らしく、ランチタイムは満杯だ。待っていると、学生さん達がお食事中なのに席を詰めて、私達に場所を作ってくれた。お店が頼んだわけでも、そういう暗黙ルールがあったわけでもなさそうだ。優しい気遣いが、空腹にじんわり染みわたる。嬉しい前菜じゃないっすか。美味しいもの食べてると、人間もオイシクなるのかな。でも、ほんとのところ、美人って得だわ、 ・ ・ ・ ・ ・( ̄∀ ̄)ッテ、トコロデ。
2009年02月08日
滋賀在住の友人や滋賀方面で仕事中の友人が、ウチのおひいさん(お姫様)くり乃のために、病気平癒のお参りに行ってくれた。こういっちゃ何だけど、歴史ある滋賀には、封じ込めよろしくの古刹が多い気もする。日本一の水瓶と、肥沃な土地があるんだもの、太古からの神様がいたって不思議じゃない。その力強さに思わず知らず拝んじゃった、にしても、御礼は欠かしちゃいけない、いや、友人達にではなくて、神様に。ことは、くり乃さんの病魔退散ですからね。血液検査が良好で経過観察になった頃合い、雪がなかったのが幸いなクリスマスシーズン、大急ぎで、お礼参り(※犯罪者や虐げられた者が行う報復行為。ぶぶー!)に周ってきた。 目的地は、湖東地区は近江周辺(大ざっぱな土地勘)「苗村神社」と「太郎坊 阿賀神社」。その途上に、とても風変わりなお不動さんがあったので、寄ってみた。古墳(恐らく6世紀頃)の石室を、お堂にしている「岩屋不動」。拝殿から見上げると、ぽっこり小さな丘が、古墳であることがよくわかる。奈良や南大阪では、石棺を田畑の天水桶に転用してたらしいし(耕すと、色々出るもんで)秀吉だって、大阪城の石垣に石室の岩を転用したし、神様仏様だって、せっかくの堅牢な石組みを、利用しない手はない(笑)狭いお堂(石室)に提灯を提げてはいるけれど、壁も天井も、素っ気なく岩がむき出しだ。床も板を張るでなく、むき出しの上にゴザや座布団を敷くだけで、石室に、ほとんど人の手は入れてないんじゃないか。正面には、小さなお堂らしく小さなお不動さんが安置されていた。小さな境内は掃き清められ、表も裏も鳥居には門松が据えられ、地元の方に大事にされている様が伺えた。この一帯には、崩れかけも含め大小の古墳が、運転しながらでも見付けることが出来る。それほど沢山あるのに、なぜ、この古墳だけにお不動さんが祀られたのか。境内には、小さなお墓やお地蔵さんが残っていて、何かに吸い寄せられたみたいだった。 さて、お礼参りの目的地「苗村(なむら)神社」。神社には珍しい楼門(重文)と国宝のお社を持つ西宮と、東宮とに分かたれている。友人Aがお参りしてくれたのは、元々は本宮だったという東宮。平らかな田園地に立つ楼門やお社が、大きな空に明るく映える西宮とは異なり、東宮は、杉の森に囲まれている。参道に足を踏み入れると、空気は冴え渡り、鳥の声まで西宮とは異なる気がする。東宮の小さなお社は、参道のどんつき、掃き清められた円形の広場にぽつりとあった。これは、古代の祭祀場まんまじゃないか。拝殿も持たないこの本宮の、この場所が、古より祈りの場であることが容易に想像できる。お社の聖別された結界を超え、森に入り込もうという気にはなれない。この一帯は古墳群だったらしく、でこぼこした地べたはその名残と見える。小さな鎮守の森なのに、暗く果てしなく、時間と空間を踏み外してしまいそうな、 そんな不安に息苦しくなって、空を仰ぎ見る。巨木の先端で丸く囲まれた空は、西宮と変わらぬ青空だった。 で、くれぐれもお礼申し上げ、さらなるご加護をも祈願し、次なるお礼参りに向かう前に昼食だが、って、長すぎるねん、神社ばっかりで。※御本尊やお社(本殿)の撮影が苦手ですので、ずれた写真ばっかりですm(__)m
2009年02月04日
お礼を言えゆぅて、起こされてん。みな、おおきに、ほな。 これ!くり乃さん!!お返事も書かないままで、ご無礼仕りまする。この更新速度に、本人が一番、追い付いてません^^;この度は「くり乃さん快気祝いクイズ」にご参加下さり、誠に有難うございます!ご心配下さったり励まして下さったり、おまけに一緒に遊んで下さるし、うれしいやら有り難いやら、皆様方には感謝感謝につきまする。 まずは、クイズの回答から。こっほん。ご明察通り、近江牛の故郷(笑)、日本一の湖・琵琶湖を有する「滋賀県」です。琵琶湖は水際レジャーのメッカなんですが、近畿の方じゃないと解りませんね、キムタク目撃情報(されさん、嫁は認めてないの、私。笑)なんか、もっとご存知ない^^; さて、神社B-1、鞍馬の天狗「次郎坊」の兄者、その名も「太郎坊」の阿賀神社です。嘘つきは通れないという巨石があるので、お試しあれ。そして、神社B-2、重文の楼門を持つ「苗村(なむら)神社」。「滋賀 国宝 神社」でググれば、先頭に抽出されるんです。(@グーグル) 「53535」の回文キリバンは、ゲストさんでした。535362009-01-27 14:51:48HANG ZEROさん 535352009-01-27 14:11:21*.jiu.ac.jp 535342009-01-27 13:15:22EZ30さん ニアピンのEZ30さん、HANG ZEROさん、狙って下さった皆様、有難うございます。懲りずに、また一緒に遊んで下さいね。 本来、週一ベースの更新がやっとなんだけど、キリバン設定しちゃったから、締め切らせてもらいます、ごめんなさいね。「滋賀県 苗村神社」で正解の、黒ネコ88さん、トンカツ1188さん。私信(2009/01/25 22:18)で、「滋賀県 阿賀神社」と、正解してくれたAkiyoさん。元気パパ1956さんも「苗村神社」が入ってるんだけど、候補があり過ぎて(笑)。正解数は、皆さん同点なんですが、一番早いのはAkiyoさん、あなたです。ぱちぱちぱち。いち早く滋賀と見抜いた彼女は、「ミステリースポット」に反応したんじゃないかと(笑)では「くり乃特選(乃々じゃないよ)イヤゲ物」は、Akiyoさんへと贈呈させて頂きます。カービング特訓キッド:大振り大根、洗濯石けん(知ってる?)、羊羹、なんてのはどぉお? 最後に、もう一度、皆様、お付き合い下さり有難うございました!次回更新は、この滋賀旅行のつもりです。こちらもどうぞ、お付き合い下さいませ。長いのは、いつものことさ。 全く関係ないけど、ある日のランチ「白菜と肉のうま煮ご飯」 1000円也。(茸スープ、大根餅、ザーサイ、白菜の甘酢漬け) @銀座アスターなんばシティ店2008年の忘年会の一つがこの店でした。くり乃々が世話係。だから内緒で、ALL「ニンニク抜き」。だけど、みんな「上品で、美味しい」って言ったよ。必要ないんやん、この世にニンニクなんて。
2009年01月28日
お一人お一人に御礼を申し上げたいのですが、まずは、取り急ぎの更新から失礼させて頂きます。くり乃さんの経過報告につきまして、暖かいお言葉をまたまた有難うございました。嬉しさを表わすためにも、もう是非、どなたかにもらって頂きたい!!そう、前回の日記「くり乃さんの快気祝い」クイズ企画です(笑)。考えてみたら、日本の一都一道二府四十三県(...、間違ってないよね?)内、「大阪から一泊せんでもという距離」だって、ピンと来ません。失礼いたしましたm(__)mって、ことで、またまたしつこく、再ヒント。もう、ええっちゅうにという、皆様のあきれ顔が目に浮かぶようです^^;いえ、お顔は存じ上げない方がほとんどなんですが、ほれ、なんか、こう、日記を拝見していると、直接お喋りしたことのあるような、そんな気がするんです。 って、ことで、まだまだまだしつこく、遊びにお付き合い願おうと....。都道府県名HITで正解!に変更。但し、神社も含めて、正解数が多い順。という条件に変更させて頂いた上、以下、<追加ヒント>。有名な歴史上エピソード(人物含む)は、NHK大河ドラマの今回・前回と同時代。この地で繰り広げられた太古の歴史悲劇の方が、個人的には好きかも。酒好きくり乃々ですが、この第一次産業ブランドも大好物。(過去ログ参照)アウトドアレジャーのスポット。キムタク目撃情報がありましたが、今も来るのかな??怪しい者じゃないよ、これもヒントだよん大阪から向かう途中の、高速サービスエリアにて(笑) なんてことして、遊んで頂いてると、その内、キリバンになるんでは?クイズ正解者がおられなければ、キリバンゲットして下さった方に、もらって頂きます!!「こんなん、いらんわぁ」と仰らないで下さると嬉しいんですが、ハンドルネームだけのお付き合いがモットーの方は、どうぞ、ご遠慮なくお申し出下さい。55555は、まだ当分、先。「53535」!!これなら、この次の更新辺りで行けそうです。実は、回文好き。ながきよのとをのねぶりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな長き夜のとをの眠り(ねぶり)の皆目覚め浪乗り船の音のよき哉(初夢のおまじない)だからキリバンも回文数字でってことで、お願いします、クイズもね!( ̄∀ ̄;)
2009年01月26日
大阪では、雨模様が続いておりまんにゃけど、ご機嫌さんでお過ごしですやろか。ほんで皆さん、お優しいお言葉とお心遣い、ほんまおおきに、ありがとございました。(その切は皆様方から、暖かいお言葉と優しいお心遣い賜り、誠に有難うございます。)えろうしんどかってんけど、ぼちぼちやらせてもろてます、ほれ、この通り。 (お陰様で、本復が叶い、元気に過ごさせて頂いております。)これっちゅうのも、皆さんの「まんまんちゃん」のお陰さんやし、感謝感謝やで。(これも偏に、皆様方の有り難いご祈念のお陰と、深く感謝し感じ入る次第でございます。) こないな時ヒトさんは、快気祝ゆう、御礼しはんのやって?先日来、くり乃々に言いつけてんにゃけど、気ィ利かへんでちぃとも動かへん。そないな訳で、不肖くり乃が出張って、キーボードを叩いてるんですけどね。ほんまは、お一人お一人に御礼せにゃならんのやけど、大層なモンもあらしまへんし、「きりばんぷれ」やぁ思たら、あんさん!55555はえらい先やおませんか。ほんま、ちったぁ気張って更新しよし。どにゃいしよかにゃ、こないな時は、人さんの真似しに限んで、これ、おもろおます。くり乃々に書かせた答えで、ウチ、2回も頂戴してますねん。 そやけどなぁ......、どもなぁ......、くり乃々は、今んとこ旅行に行きゃへんみたい。ウチほっぽらかして、どっか行きよったから、ネタがあるんは知っとんねん。ふぅ~ん、って、こないして迷てるうちに、どっか行っきょるやろ。ま、御礼だけは先に言っときたかってん、ほんま、おおきにやで。 先日「にゃんともにゃいわーっ(何ともないってば)」と、吠えるくり乃さんを、お薬を止めた後の経過検査に連れて行きました。体重はやっと3.6kg程度とはいえ快食快便、検査結果も良好で、やれやれ一安心。引き続き、乳酸菌と低アレルギー療養食で対処し、通院もしなくていいとのことです。ただ、何度も書いております通り「好酸球性腸炎」は、あるタンパク質に対するアレルギー。免疫異常ですから、完治することはありません。でも、何にせよ、結果オーライ。せっせと動き回っているくり乃さんを見れば何より、と、ひたすら有り難いばかりです。 皆様のご厚情のお蔭をもちまして、くり乃は病から回復致しました。不安ばかりの私を支えて励まして下さった皆様方には、御礼の言葉もございません。ささやかながら快気祝を、代表者様に受け取って頂きたいと思っているのですが、お題が。ひげの本数当てクイズとか、毛が生え揃う日当てクイズとかは、どないだ?.........、そうですねん、ハゲが、まだ治ってませんねん。言わんといてんか! --*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--お題を三つ。くり乃々は、年末に「くり乃さん本復のお礼参り」に行ってきました。A. その都道府県名 B. 行った神社2箇所の名前何度、お答え下さってもOKですが、期限は、答えに因んだ次回更新までにお願いします。(いつかは、不明  ̄∇ ̄;)<ヒント(追加有り)>第一次産業が盛んな土地。産業の一つは、全国的ブランド(と、思う)に成長。(A)日本一がある。(A) とても歴史が古い。歴史のエピソードも豊富(と、思う)。(A)くり乃々が行った「お山」(過去ログ参照)に、縁のある神社。(B-1)「嘘つき」は行かない方が、いい(と、思う)神社。(B-1)神社には珍しい様式の、国宝指定の建築物がある神社。(B-2)神社は双方、ミステリースポットとして静かな人気(笑)があり、神仏混合の古い形式が色濃く残っています。有名な神社じゃないけど(笑)、都道府県名がわかれば、検索ですぐ出て来ます。(追加B) 大阪在住のくり乃々は、一泊すれば十分。(大きいヒント追加A)かつては外聞よろしくない温泉地があったりして、決して温泉天国とは言えません。(追加A)歴史エピソードは豊富ですが、世界遺産がない!!ことに気が付きました、今!(追加A) 代表者様決定は、一番早く正解を3つとも書いて下さった方。思いつくトコロ、書いてみてね、ふるってのご応募、お待ちしておりまぁす!!肝腎の御礼の品は、近々、お出掛けする場所の「イヤゲ物」(by Akiyoさん)(笑)
2009年01月23日
お正月が居残る1月の3連休、大阪・難波(なんば)界隈、今宮戎神社は「えべっさん(十日戎)」で大賑わい。お正月から始まる神事は、10日本戎に宝恵駕籠(ほえかご)行列で最高潮を迎えます。元々は、南地(道頓堀周辺の花街)の綺麗どころが、参拝時に妍を競ったのが始まりとか。今や芸妓さんも少なくて、蓮台に乗るのは、折しも初春公演真っ最中、歌舞伎役者や文楽人形と人形遣い、ミス商店街に時の人。「ほえかご、ほえかご、ほ~えかご」の掛け声も艶やかに、「打~ちましょ」で始まる、伸びやかな大阪締めの発声も、行列時のあちこちで聞かれます。この行列の道筋・通称ミナミの繁華街は、今宮戎神社の参道だったんですね。道頓堀川にかかる橋(グリコの看板を眺める橋)は、だから、その名も「戎橋」。別名「ひっかけ橋」(ナンパやキャッチがウロウロ)では、不敬もいいところ。 今では、南海なんば駅から神社に至る道を参道として、屋台が建ち並びます。神社間近は縁起物を商う屋台がひしめき、真っ赤な張り幕、金色の縁起物で、夜陰は、金と赤の目出度色に染め上げられます。 関西最強の花嫁道具、「福娘」(写真は2008年の方)。 千早(白い被布)の美姿のために、文庫結びの研究に余念がないとは、先輩師匠の弁。狭い境内で最も人が行き交うのは、縁起物の授与所。居並ぶ福娘、えびす娘に、縁起物を付けてもらおうと押すな押すなの人だかり。笹に触り続けて指が切れるのか、可哀想に、福娘さんの指は絆創膏だらけです。パンデミック大不況の今年だからこそ、真摯に祈願して、縁起物を授けてくれたことでしょう。 さて、「(自称)着付師」を表稼業で張っているくり乃々は、成人式の着付けと重なって、大抵は、お参りも宝恵駕籠行列も行けたことがありません。毎年毎年毎年、稽古不足の不安から、年末年始は遊んでも家事しても何をしてても落ち着かない、残ったままの宿題の重圧に脅えながら、だらける子供と一緒です。じゃ、稽古に励めよって話なんですが、それが出来てりゃ、今頃は。今年も、本戎の日が最終駆け込み稽古で、11日は朝から晩まで、着物をチェックしながら針仕事。これが大変。予約を受けた美容室が、チェックリストを渡しても忘れ物はアタリマエ。(帯を忘れたのは、さすがに。シンジラレナイ笑)着物を着るご当人はモチロン、すでにお母様方さえ、着物のことはご存知ありません。かく言う私も着付けを習うまでは、何もかも母がしてくれてアタリマエ、そんな世代が母親で、「おばあちゃんやなかったら、解りません」もアタリマエ。「風呂敷」もご存知ない、は、さすがに引っ繰り返りましたけど。 12日成人式当日は、早朝5時から着付けスタート。お母様やお祖母様とお選びになったという着物は、柄を見ればすぐ解ります。どうやら着付師の諸先生方の軍配は、私も含めて、古典柄お嬢様チックに上がりがち。イマドキは、ポヤポヤ頭にネイルはズッシリ、つけまつげもバッサバサ。おまけにレース流行りで、レースの重ね衿・帯揚げ、袖からもレースがこぼれ出て、正直、苦笑いしきりなんですが、これがまた着付けてみると、ヘア・メイクと相俟って可愛らしいったら。個人的趣味はともあれ、女の数だけある着物姿に、道楽者は惚れ惚れします。初めて着物を着たら、これからもまた着たい触りたい、着物好きが増えるといいなぁ。それが本懐、他所さんのお宝さんの帯締めて、心を込めて飾りましょ。 今年の成人式用に、新たに教わった帯結び。 お稽古専用で、小物も着物も有り物ですが、こんな風に着つけます。女性の皆様、年齢問わず「振袖秘密クラブ/Ver.オフ会」なんてのは、どぉお?着付けは、くり乃々が責任を持って格安で承ります(笑)
2009年01月16日
USA山下ろしの氷点下不況風が、師走からこっち吹き荒れておりますが、 吹かなくてもぶっ飛ぶくり乃々屋台骨に、楔の一つも打ち込んどけと、人もすなる初詣。2009年元旦は、商売繁盛で関西一賑わう「伏見稲荷大社」へとやって来ました。いかにもお稲荷さんぽい駅の改札を出た途端、参道は、土産物屋や屋台で大賑わい。聖と俗が絡み合い入り乱れてこそ、初詣。商売繁盛、結構やおませんか。って、ことで早速、ほかほかの回転焼・抹茶クリーム(130円?)一個ゲット。寒いんだもん。大鳥居を潜る前に、豚ペイ焼(豚の塩焼きを卵の薄焼きでくるむ)1本(500円?)。マヨネーズ、ソース、青のり、天かす、紅ショウガはお好みで。大賑わいの本殿脇をすり抜け、千本鳥居に向かう途中に、おぉ、ケバブサンド発見(500円)。ここのケバブは鶏肉で、その分スパイス控えめ、取っつきやすいかも。ナンも丁寧に炙ってくれるし、生野菜もしゃきしゃきしていて気持ちが良い。お参りもまだ済ませてませんが、元日の朝もやっぱりバナナなもんで空腹なんです、私。 さて真昼の夢みたいな千本鳥居を抜けたら、お山一(アヤシイスポット)の「熊鷹社」。ここではお供え物や蝋燭を買ったら、(巫女ではない)売り子さんが切り火を切ってくれます。そしてお社商店街(勝手に命名)は、にゃんこの住み家。狐のお使いか、はたまた。 はい、ごもっともでございます。(写真にカーソル乗せてみて下さい^-^)稲荷のお山はさらに続くけれど、これは近々、次回の宿題ってことで、茶店でお昼休憩。だって狐に騙されたか、この山中の参詣道に、日本文化の粋「瓢亭」発見したんだもん(笑)さすが「お出汁は無添加自家製」と明記されてるし、レトロな店内は、ぽかぽか日当たりがよくて気持ち良さそう。 ここはやっぱ、稲荷名物「いなり寿司」にお蕎麦、寒さしのぎの熱燗で、お正月っと。下山時には、さすが関西随一、参拝客で身動きしにくいほどでした。 アヤシイ伏見を後にして、京都東山・清水のお膝元、縁切りで有名な「安井金比羅宮」へ。悪い縁を断たねば、吉事とご縁は結べない!巨岩の真ん中に穿たれた穴を、表から潜って悪縁を切り、裏からもう一度潜って良縁を結び、先に願い事を書いた形代(短冊状の紙)を、岩に貼り付けるというもの。前の男に未練かましてたら、いい男に巡り会えるワケがないでしょう?!今年こそ、良きこと、良き縁。気合いじゃ~っ!薄曇りの寒空の下、列に居並び、握り拳で気合いを籠めてぇえ!! 「くり乃さんが病気を断ち切って、元気にご機嫌さんで過ごせますよう」(-人-)コレシカ、ナイッテ形代を貼り付ける礎は、その大きさも形も解らないほど、多くの願い事に埋め尽くされ、岩の手触りさえもありません。愚かくとも切なる人の「願い」は境内に渦を巻き、腸までぞろりと触られたような居心地の悪さも、実はあります。だけどにゃんこ達は、生臭さなんかどこ吹く風さ、欄干で爪研ぎまでしてました。おまけに、願掛けしたばかりのロマンチックが迷い込むのか、花街の名残なのか、境内は、複数の秘め事立ち寄り処に囲まれてて、ヒトの妙だなぁ、結構、結構(笑)。薄曇りの一日は寒くて寒くて、おいしいコーヒーが嬉しいわ。祇園甲部はヤサカ会館お隣の、シュークリームが看板のお店で一休み。駅に向かいがてらの四条は、盆も正月も関係なし、人出をかき分けかき分け、お狐さんに誑かされたか人の毒気に中ったか、「商売繁盛」に乗せられただけなのか、なんで、こう、毎度毎度、買い物しちゃうかなぁ、京都。あぁ、寒い。元旦だけは静かに微睡む大阪で、焼酎飲んで、もっと暖まろっと。
2009年01月09日
まずは、年の開きを寿ぎ、言の葉を申し述べます。明けましておめでとうございます。新しき年の、あなた様のますますのご多幸をご祈念申し上げます。昨年のあなた様のご厚情に、深く感謝申し上げますと共に、本年も変わらぬお付き合いのほど、改めてお願い申し上げる次第です。 子年は、初頭から年の瀬まで、今までにない経験をいたしました。歳の巡りとも、等しく訪れることと覚悟はあっても、自分の感情では、処理しきれないことも多々ありました。墓場まで秘して持っていきたい感情だってありました。でも、墓は持たない主義だし........、って、ちっとも目出度くない話題だ。 借りたお題の小林一茶はこの時、愛し子を亡くし、ちっとも目出度くない年でした。けれど彼は、魂も吐出る辛酸ののちに、ため息に紛らわせてつぶやいたのでしょうか。「目出度さも 中位(ちゅうくらい)なり おらが春」彼ほどの悲哀も覚悟も哲学もないままに、この歳になってみれば、有難きことが、年を重ねたくらいには身に沁みます。家内安全。これに勝るものは、なし。 丑年、私は、大事な物を一つ一つ、手にとって、その美しさに魅入ってみようと思います。我が掌にあるからこそ、美しく愛おしい。あなたの掌にあるものも。まだ見ぬ掌にあるものも。この世に在る小さきもの達の、愛おしさが命存えますことを。安全・安心、平和が、そこここの家内に満ちますことを。あなた様が、寄せて下さったご理解と思いやりに、深く深く感謝申し上げますと共に、あなた様のより一層の平安を、心からご祈念申し上げます。 今年は、くり乃さんの病魔退散を願いまして、茅輪を飾ってみました。(百均だけどさ)どっせ、私の一方通行な愛よ。
2009年01月01日
※ ビロウな単語、表現が多々あります。食前食中食後の方は、後から来てね(笑)連綿と綴った猫バカ、くり乃バカに暖かいご同情を、たくさん頂戴いたしました。心から、重ねて幾重にもお礼申し上げます。たくさんの励ましを頂き、本当に有難うございました。 痩せて、洗いやすい内にと思った。こんなにガリガリぃ~(泣) てか珍獣。てか妖怪...。 入院中、やせ細る一方のくり乃さんを見て、私は、もう引き際でないかと思った。延命も辛い、だけど死なせるのもいやだ、決心の付かないまま、老猫に無意味な苦痛を与えてしまった。それが、ずっと後悔だったのに、今また、私は同じ事を繰り返しているのではないか。入院中に、家に連れ帰って死なせたいと、お願いしたこともある。いつもは穏やかな先生が、言葉を選びながらも怒ってしまわれた。「くり乃ちゃんは頑張ってるのに!飼い主がネガティブじゃ、治らない!」それで、始めて私は、くり乃は死なないで済むのかも知れないと思えたのだ。「悪い菌を殺しちゃえ。お腹が痛いの、どっか行け。たくさん食べて、元気になるぞ!」毎朝毎晩、ひまひまにそんな呪文を唱えながら、お腹と頭を撫でさする。病気の猫に、飼い主がしてやれることって、そんな程度しかないのかも知れない。 入院を覚悟した日(パソコンにリバースした日)、くり乃さんは込み上げる胃液を堪えながら、か細い声で私に訴え続けた。うみょぉ、んみょぉ、ふみぃ。聞いたことがない、甲高くか細い「泣き」声だった。しんどいよぉ、つらいよぉとも、あちこち汚してごめんねぇとも、聞こえた。「好酸球性腸炎」に罹患した「人間」のブログを読んだら、どんなに苦しかったろうと、くり乃さんが(笑)可哀想になる。乾いたぞうきんを捩っても、まだ絞り上げるほどの苦しみ。自分の胃けいれんの発作を考えても、あの小さな体で堪えるのは、どんなにか辛かろう。 この病気は、アレルギー故に完治することがない。だけど数年前なら、何も食べられず、原因不明で死ぬしかなかったのかもしれない。毒を食べた、なんて思い違いだってするかも知れない。(こんな風に言う方、いますよね?)お腹の弱い子、吐き癖のある子には、アレルギー性腸炎の疑いは必要かも知れない。「好酸球」の増加を食い止める事が出来なければ、人間でさえ死ぬしかない病気なのだ。 参考にでもなればと、もう一度、症状をメモさせて頂きます。○発症2週間前の血液検査では、腎臓と肝臓、白血球の数値が高かった。○超音波検査では、胃壁が異常に分厚かった。○食欲不振の後、一日に複数回(私が不在時の回数は不明)の嘔吐。(食事してないため、胃液のみ)○便秘。腸を動かす治療の後には、下痢が続く。○40度~42度近い発熱。(猫の平均体温は、38~39度)○1ヶ月に及ぶ食欲不振。飼い主の無神経、不注意と誹られて当然だが、こんなに悪くなるまで、私は、病気に気が付かなかった。後から思えば、ここ半年、ムラ食い(猫は食欲にムラがある)が激しくなったなぁ、くらい。「急激な激しい悪化」の印象の割に、検査結果では、「好酸球性」による「浸潤」は幸い「軽度」なのだそうだ。 サンタさん、どうぞお願いします。ロングブーツもロングコートも指輪もネックレスも要らないから、たった一つ、くり乃さんを、病気もケガもしない頑丈な猫に作り直して下さい。モビルスーツ装着猫でもステンレス製猫でも構いません。少々の可愛げと、ただただただただ、頑丈で丈夫な猫に作り替えて下さい。くり乃さんに壊されたパソコちゃんは、修理代と似た金額の中古品NEC/VALUESTARを、一足早く煙突に放り込みました。選択基準は、おしゃれにセンシティブに、デザイン優先で。 「くり乃型ゲロラ攻撃を受けにくい形」「くり乃さんが上に乗れない」。
2008年12月22日
※ ビロウな単語、表現が多々あります。食前食中食後の方は、後から来てね(笑) 心の整理と再発に備えての備忘録に、皆様まで付き合わせてしまい申し訳ございません。 皆様方のお優しさ、暖かさに心より感謝申し上げ、篤く御礼申し上げます。 くり乃様からも、感謝を一言。 みんな、おおきにありがとうやでぇ。連続更新は嘘やし、無愛想な更新逃げやし、しょーもない繰り言は長いし。堪忍したってや。 発症以来、全く食事をしないくり乃さんと、めそめそ泣き続ける飼い主の精神状態を鑑みて、これ以上の入院は不利益だと、退院が決まった。嘔吐こそ収まったものの、下痢は止まらず原因も掴めないままの「仮出所」だ。11月12日夜から21日まで、10日に及ぶ入院。そして毎日の病院通いが始まった。鼻にカテーテルを通し、流動食を一日7,8回(最低140~160CC)与える。一日2回、粉末にしたフラジール(胃腸疾患の抗生剤)を流動食に混ぜてカテーテルに流す。通院時には、皮下点滴で、ビタミン剤と何かの薬(笑)も投与される。毎日、合間を見ては、強制的に固形物を口に擦り付ける。鶏肉、牛肉、白身の魚、バター、クリーム類。いやいや舐めるだけ。流動食も嫌がりはしないのに、匂いを嗅がせると顔を背ける。バタースコッチみたいな匂いで美味しそう、舐めたらほんのり甘かった。 11月26日、やっと生体検査の分析が研究所から届き、「好酸球性腸炎」と診断された。低アレルギー食による食餌療法とステロイドで、病状の安定を図るしかないそうだ。ステロイド注射開始。ともあれ、対病気治療が、やっと開始したわけだ。11月28日、血液検査の結果は、炎症も収まっており良好。なのに、なぜ食べないのか.....。流動食給餌中は、満足そうなのに。ステロイド投与以降、下痢は変わらないが、1日2回だったのが1回に減る!12月1日、くり乃がカテーテルを、また外してしまった。(お金かかるのよ、くりちゃん)このまま、思い切って外してみようと、先生。12月2日夕方、カリカリを少々、三本指握りほど食べてくれる。流動食で3.5kgを辛うじて保っていたのに、今や、3.2kg、1キロ減は、人間にしたら10キロも痩せたことになろうか。食事量が少ないからか、便は2日に1回だけど、翌3日は、形ある便になってきた!よかったよぉ~。嬉しいよぉお~。 12月8日、食欲が9割方は回復したと見て、低アレルギーの療養食に切り替える。ロイヤルカナンのドライ(2Kで3948円もする!)とウェット(チキン&ライス168円)。点滴もステロイド投与も12月5日を最後に、フラジールと乳酸菌(1カプセル120円するサプリ笑)の投薬治療になった。通院もなしで、お薬が無くなる翌週まで、様子を見ることになった。 お肉を好まないせいなのか、想像通り、低アレルギー食はお気に召さない。せっかくの乳酸菌も、普通の猫缶に混ぜてみたのに口にしようとしない。鰹節を思いっきり、振りかけて誘惑してみる。この一ヶ月ばかりで、骨格標本のように腰骨まで浮いてしまい、上等の鶏肉のようにぶりぶりした太ももが、大安売りの輸入鶏肉みたいになってしまった。早速再発てのも、と、今までの缶詰は我慢させ、色んな療養食を取り寄せてみた。撃沈、高いのに。オーガニックの魚缶なら食べるかな?やっぱりアレルギー、おこすかな。せめて、薬とサプリメント(猫には猫の乳酸菌)だけでも飲んで頂かなくては。フラジールは苦くて(舐めてみた)、投与に失敗すると、口をくちゃくちゃしてヨダレが大量に出るのだ。あまりにも気の毒なので、乳酸菌と一緒にカプセルに詰めて飲ませたら、良い感じ。何にせよ、薬を飲ませるのにここまで手こずる猫も初めてだ。あんたがものごっついムカツクってのは、解るから。でもね、お互い様。ムリムリ膝で押さえ込む人間のストレスを、くり乃さんもそろそろご理解下さっても?→ この時、4.2kgあった。 空腹なのに療養食が気に入らず、3.2kg。 クリスマスの鶏グリルみたいだったのに。 椅子のサイズが、変わったようだ。
2008年12月19日
※ ビロウな単語、表現が多々あります。食前食中食後の方は、後から来てね(笑) 暖かいコメントを、皆様、有難うございます。涙をこぼしながらも、励まされました。 引き続き「好酸球性腸炎」の備忘録で、またも更新逃げとなりますがお許し下さい。 心優しい励ましと寄せて下さったご同情に、心より感謝申し上げます。 皆様、有難うにゃ。心から、御礼を言うにゃ。 10月末、ケンカ(に負けて)で、くり乃さんは、またもや尾っぽに怪我をした。その際、歯肉炎治療の必要と腎臓疾患の予兆(血液検査結果)を示唆された。ケガのためか歯茎も腫れて、食欲はあるのに食べにくいようだった。傷治療の抗生物質が効いて腫れが引いたら、俄然、食欲魔神になって食べる食べる。かと思ったら、ぱたりと食欲が落ちてしまった。食欲昂進も、発症の予兆だったんだろうか。 食べなくなって二日後、11月10日、朝から胃液を戻し始める。今までの嘔吐とは違い、口から胃液が溢れ出てくるような、泡が、閉じた口から溢れてきて続いて胃液を吐く、そんな感じ。一日、寝ていたらしく、夜、病院に連れて行く。吐き気止め入りの皮下点滴。翌11日も同様、食欲も全くなし、便もなし。同様の対症療法と検査。レントゲンでは、糞とガスが大量に溜まっているとのこと。膵炎の血液検査では、現状異常なし。触診では、腫瘍の手応えもないらしい。3回の対症療法の後、症状の改善が見られなければ、検査入院した方がいいとのこと。内服薬2種類(胃粘膜保護など)は、また吐きそうで、私では飲ませることが出来ない。11月12日朝、(くり乃の)歯科治療のはずだったが、無期限延期。同様の皮下点滴。今日も胃液を戻し、それ以外はぐったり寝ていた、と家人。滅多に吐かない子なのに、こんなの初めてだ、異常過ぎる。翌日は、病院が休み。このまま、様子なんか見ておれない。11月12日夜、また病院へ。検査と平行して、原因不明のまま嘔吐を止める治療を始める、と先生。入院決定。 時間経過毎のレントゲン(画像がどっちゃりあった。)によると腸が全く動いておらず、詰まっていた糞は、毛玉の塊だったとのこと。腸を動かし、嘔吐を抑える治療が始まったが、今度は、一転して下痢。人慣れしないくり乃は清拭させないので、下痢や胃液で汚れて皮膚炎(褥瘡様)になりその治療のため毛を刈られ、ハゲまであちこちに作ってしまった。膵炎、トキソプラズマ、寄生虫、腫瘍、神経系統の病。血液検査、レントゲン、超音波検査と、より複雑・高価になっていく(笑)検査を経て、消されていく嘔吐の原因。そして、最終、内視鏡検査の生体検査の結果「好酸球性腸炎」と、断は下った。内視鏡検査時の映像は、大腸?の幽門が閉じず土管のようで、先生も「こんな腸は、初めて」だったらしい。 犬が家族の方なら「IBD(炎症性胃腸炎)」はご存知かも知れない。「好酸球性腸炎」はその一つ、難治性のアレルギー性腸炎である。日本においては、まだ専門家の認知度も低い病気だが、その潜在的患者は、人間はもちろん、動物でも数多と言われている。細胞検査によってのみ好酸球は確定する(人間も同様)ので、検査の精度向上とともに見出され、確定した病なのかも知れない。なんせ、動物、ましてペットにまで内視鏡やらCTやら施し始めたのは、ここ数年だ。とはいえ、ある程度の検査で原因が掴めなければ、まずIBDとお疑いになるお医者様もおいでで、ステロイド投与してみて、好転すればIBD、と診断されるらしい。残念ながら、かかりつけのお医者様は、好酸球性腸炎をご存知なかった。ただ臨床経験豊富な方なので、今まで看た胃腸炎とは違う、という所見はお持ちだった。彼のその、プロだけが持ちうる疑惑が、私を不安の嵐に投げ込んだわけだけど(笑) 外に出さんか~い。宝物やら陣地やら、ちゃんと調べなあかんのや~。 カテーテルを鼻からぶら下げていた時も、やっぱりお外に出たかった。 まず、たんと食べて、太ってから。ノラネコさんに間違われちゃう。
2008年12月17日
※ 楽しい話題ではありません。特に、ご家族に動物がおられる方はお辛いかも。 飼いたくて、家に来た猫じゃぁなかった。19年、くっついて生活してきた猫が、もう季節を越せないだろうと不安におののく毎日。二度と動物なんか飼わない、こんな不安は二度と味わいたくないと、老猫の背中を撫でさする事しかできなかった冬。夏の終わり頃から、庭に姿を見せていた仔猫までが、寒さに負けてやせ衰えてきた。誰にも守ってもらえず死んでしまうのかと、ついエサをやってしまった。懐きもしない仔猫のために寝床を作り、湯たんぽで暖めてやった。世話はしても、愛情なんかなかった。可愛いなんて、思いたくもなかった。甘えたい様子を見せ始め、膝に乗ってゴロゴロ言うようになっても、その年、水仙の花時に老猫が逝ってしまった後も、それは変わらなかったのだ。 「病気にはならない、19年を越して20年は長生きをする」という契約?の元、痩せたチビ猫はくり乃という名前になり、賢い美貌猫の後釜に納まったわけだ。それから8年たった。尖った目はくりくりまん丸になり、甘えた声が何とも言えず愛らしい。家族以外に懐かなくても、臆病でも、少々?気むずかしくても、何でもご愛敬。軽度の皮膚炎やケンカ傷はあっても病気とは無縁で、ご機嫌さんでやってきた。はず、だった。パソコンが壊れたとご無沙汰を決め込むちょっと前から、私は、ありとあらゆる物に、祈っていた。「くり乃を、元気な猫に戻して下さい。くり乃の命を取らないで下さい。」願いが叶って、お医者様のご助力とくり乃さんの自助力で、(仮)床上げに至った。だが、「好酸球性腸炎」という難治性のアレルギー疾患を得てしまった以上、再発は必至だ。 ※ IBD(炎症性胃腸炎)と総称される胃腸炎の一種。詳しくはこちらで。 以降の日記は、発症から症状を抑えるまでの、ひとまずの闘病記。この一月余り、くり乃の病気しか見てなかった私は、先ずは、再発に備えて、備忘録なり残さずにはいられない。猫のために費やした、また今後も費える金銭と手間暇と感情に、お叱りや反感もあろうと覚悟している。言い訳をすれば、私自身、本当は忸怩たるものがあるのだ。世界には、5歳まで生きられない子供が6人に一人いる(ユニセフ)というのに、猫の治療費で、どれほどのワクチンが買えたことだろう。死んでしまう子供は、シュバイツァーにもマザーテレサにもピカソにもマリアカラスにもなれるかも知れないのに。たかが猫にどれほどの........、されど猫、世界でたった一匹の「くり乃」なのだ。だから先に、開き直って申し上げておきます。地球は、人間のためにだけにあるんじゃない(笑)反感と反論がおありの方は、私を愚かと思し召して、どうぞスルーでお願いします。このページが、未だ診断が付かないまま同病で苦しんでいる多くの犬や猫、その飼い主さん達の一助とでもなれば、それだけが、まだ救いです。お叱りは、偏に猫バカくり乃々本人へ。(くり乃シンドロームからのリハビリ中です。お願いです、叱らないでからまないで 笑) 痩せると、寒さが堪えるねん。 カテーテルとネックがやっと外れた頃の写真。 流動食のお陰で、3.5kgを、まだ保っていた。※ 連続更新を目論んでおります。無愛想な更新逃げとなりますが、 備忘録と思し召し、どうぞご容赦下さい。
2008年12月16日
おうちのパソコちゃんが壊れましたT.T ここ一年、怪しい気配を時には漂わせながらも、所詮、お遊び専用、無問題で持ちこたえてきたのですが。入院必至とはいえ、問診においては、恐らく現役復帰は不可能だろうとのご診断。原因は、原因は...................、くり乃さんのリバース.....。T.TAナクニナケナイ。お食事中、お茶中の方、大変失礼いたしましたm(__)m てことで、お訪ねすること、書き込み、お返事等も今まで以上に困難になりました。合間見て、ぽちぽちぽちぽちお邪魔させていただけたらと思います。合間って、でも、仕事の合間だから 書き込みはしていなくても、足跡があったら、あぁ、(サボって)読んでるんだなと、どうぞ、暖かく、ご了承下さいm(__)m この更新もそうなんだけどさ。いや、いつもなんだけどさ。気分だけでも、爽やかに。 空と海の青のちがいで、 僕は泣いたりする。 実感としては、ビスタとXPのちがいで、くり乃々は泣いたりするとか、スペックのちがいで、くり乃々財布は泣いたりするて、とこで。厄落とし、厄落とし。決して、くり乃さんを恨んだりしてないわ。 ほんまに怒ってへん?ご無沙汰の言い訳かたがた、ご挨拶まで。m(__)m
2008年11月17日
さて、食事を済ませた後は、国宝のお堂を擁する「鶴林寺」。聖徳太子を祀るこの寺は、「播州の法隆寺」とも言われているらしい。御本尊の薬師三尊は秘仏でお目にかかれないが、聖観音像・愛称「あいたた」さんが必見だ。天平時代の特徴を伝えながらも、優美でふくよかな笑みを浮かべる。個人の持仏にこそ相応しいような、向かい合う者の心を慈しみに満たすような愛らしさだ。泥棒に鋳潰されそうになった際「(金槌で叩かれ)あいたたー。刀田(寺の山号)に帰るー。」と泣き、連れ戻してもらったというこの仏さん。いつまでも見ていたい可愛らしさで、私も持って帰りたいくらい。境内には、オープンエアなお寺カフェがあって、お茶をした。 アールグレイと、おやつは「あいたた最中」。小豆がころりと入った粒あんだった。 門真にナショナル。豊田にトヨタ。そして加古川には、日本毛織物(株)通称ニッケ、らしい。次に向かったのが、この加古川ランドマーク的企業ニッケの社宅。コンクリート製のゴミ箱や天水槽、未舗装の道路。昭和の佇まいも懐かしい一画だ。 空き家も多いが、塀越しに丹精した緑が溢れ出て、今もお住まいだと解る。高度成長期、生涯一企業、日本型経営とも言われた時代の手篤い福利厚生が伺える。白板壁の洋館は、「ニッケ社宅倶楽部」と呼ばれ、自治会館的役割を今でも担っているのか、手入れも行き届いている。木造の穏やかな造り、今だからこそ、一般向けでも賃貸住宅として人気が出そう。 そのほど近く、奈良の春日大社を勧進した「春日神社」の境内に、小さな「赤壁神社」がある。紅殻の柔らかい紅色や神社らしい朱色とは、全く異なる黒味の混じった赤壁だ。殺されたばくち打ちの主人のため、愛猫・たまが化け猫となって敵討ち!なのに、退治されちゃった哀れなたまちゃんの血で染まった壁という。今では、忠猫たまちゃんは香炉に「招福猫」として浮き彫りにされ、撫でるとギャンブル運が強くなるんだそうだ。 → 招福猫たまちゃん。しっかりなでなで。 一方、敵討ちにも御利益にも縁のないくり乃さん。何も頼りにならない、先行き不透明なこの時代、気合い入れて、宝くじでも買うかーっ!お社の真ん前に、いかにも爪研ぎ向きな枝振りの木があって、たまちゃんも、ごろにゃんとお気に召しそうだ。 影法師がひょろりと延びて、日差しに赤味が混じる頃、かつめしもとっくに消化済み。なんせ播磨ローカル・デイだから、隣市・高砂の名物料理「にくてん」でお八つは決り!有名店「あぼし」の息子店が加古川にあると、もっかマイブーム中の友人が調査済み。「にくてん」と聞くと、こってりぽいけど、おじゃがの煮物を入れたお好み焼きの事。薄く延ばした生地に、キャベツ、薄い醤油色のころころおじゃがが乗った。 目の前の鉄板テーブルに運ばれたら、お好み焼きおなじみの薬味を振って、小さなコテでふわっと切れ目を。おわっ。生地に弾力がある、もちもちする。一体、何の粉を使っているんだろう?おじゃが効果は、もたもたするかと思いきや、案外、ふんわりしている。何で、おじゃがの炊いたのを入れるんだ?戦後、粉は高級品だったのか、大阪風のふんわりに、焼いてみたかったのか(笑)播磨のご家庭では、おでんや肉じゃがの翌日は、お好み焼きで決まりだろうと思ったら、件の友人の調査によると、やっぱりそうらしい(笑)取り留めなく食い歩き、思いがけずも、子供時代が懐かしい昭和の風景を垣間見た。この日、散策と言うには気恥ずかしく、昭和を思い出すなら、やっぱり遠足というべきか。朝食:バナナ 昼食:かつめし 小さいおやつ:もなか、ばかうけ 大きいおやつ:にくてんお夕飯は?食うのか?!と言いつつ、ビアホールへ。鶏肉ウィンナー、牛蒡サラダ、ザワークラウト、パイ皮のピザ、ビール、焼酎。おほほほ、ダイエット中でございます。
2008年11月11日
ご無沙汰しております。前回、加古川遠足のタイトルが「○○編」である以上、他にも「☆☆編」てのがあるはずで。おまけに、7月に行った屋久島日記が、まだ......、まだあるのかよ!まだまだあるんです、その内、屋久島は独立国家か陸続きになってしまうかも知れない。 それで、新しい道楽ネタ「ダイエット」も、実は細々細々、あったりして。9月21日に「バナナダイエット」を始めて、1ヶ月半。紆余と曲折を経て、びくりとも動かなかった体重にアカルイミライが見えて来た。やり始めると、それなりに結果が欲しい、それもすぐ目に見えて欲しいくり乃々は、楽ちんで、お金のかからないことは、とりあえず手を出してみる。だけど、なんにでも手を出すから、決め手がなんだったのかがわからない(笑)しもた、一つずつ様子をみるべし、だった....。てか、一ヶ月単位のお試しダイエットて、面白いブログネタになったのに(笑) さて、くり乃々が、バナナ以外にまず始めてみたのが、レコーディングダイエット。ご存知でしょうか。岡田斗志夫氏著「いつまでもデブと思うなよ」。100キロを越す彼は相当な痩せ代を持つとはいえ、一年間で50キロ痩せたそうだ。くり乃さんを抱っこしたくり乃々が、一年で消滅するのかよっ!カロリーコントロールすることで、排気量の大きなエンジンを、小さなエンジンに作り替えていく、この地道なダイエット方は、いわば省エネエコ型ともいえようか。日々、体重、体脂肪を計り、口にした物全てをメモし、体のデータを蓄積していく。無駄を暴き、問題点を考え、原因を探るために己の体を知れ。企業の主催者らしい発想だ。 カロリー計算はひとまず置いといて、レコーディングだけ開始した。体重と体脂肪を計り、コーヒーも試食したものも、口にした物は全てメモしていく。これがちょっと面白い。食べ物でこうも体脂肪は左右するのか、というのが解る。知っているつもりのことが、目に見えて、はっきり「解る」。嫌でも「理解」する。太りやすいと言われている食べ物って、ホントに太るのねーっ。......って、それが好物ってのが、ものごっついムカツクやん。結局、焼酎が痩せない原因、って所に落着しそうで、それがめちゃ嫌やねんけど・・・・。 豚ロースのドイツ風煮込みとか、鶏とキャベツのクリーム煮とかばかりが続いた(要するに私がコック)ら、体脂肪が20%を大きく越えた。ぎょえ~。昼食:鶏のトマト煮、青梗菜ポン酢和え、竹輪の天ぷら、ゆかりご飯(くり乃々弁当)夕食:鮭のソテーwith豆板醤ソース 季節の野菜を大量に添えて、と小松菜の煮浸し、焼酎、なんと体脂肪率が一挙にダウン!体重は落ちないし、常態じゃないけど(笑)記録を見続けていると、結局、バカでも嫌でもカロリーコントロールせずにはいられない、てのが、レコーディングダイエット(笑) カロリーコントロールとストレッチについては、また今度。 (開始2週間後10月10日頃の記録) そんな地道な努力より、身長を伸ばせばいいんだ! 10cmも高くなったら、肉も薄っぺらく伸びるでしょ。 でも胴体だけ伸びたら、イヤだなぁ。 参考PHOTO 寒くなったので、奥行32cmのお座敷椅子に 縮こまるくり乃さん。よくこんだけ四角く収まるなぁ。 ↓ んで、べろ~んと伸ばしたのが、これ。って、痩せてないか。
2008年11月06日
大阪から、JRに乗って西に向かう。須磨の手前辺りから空が明るくなり、思わず目を瞬くと、車窓いっぱいが海になる。やがて平らかな土地に日差しは降り注ぎ、蓋を外した様な開放感に満ちる。海洋性気候特有の、光の粒子が踊る風景だ。今回の目的地・加古川は、ちと遠い。JR大阪駅から1280円もかかるほど、遠い(笑)西方面に住む友人達に会うことを名目に、加古川・大人の遠足としゃれ込んだ。 かねて行きたかった「生石(おうしこ)神社」は、「石の宝殿」とも「浮き石」とも言われている巨石がご神体。このご神体は大昔、塔か神殿の屋根でも切り出そうとしたものか。神社の縁起とおりに、戦で中断せざるを得なかったのかも知れない。石が生まれる。一枚岩のような境内の山を登れば、なるほど、周囲の山々は採石場だ。境内の願掛け大岩は、力一杯押したその手で、悪いところを撫でるといいんだそうだ。賓頭廬さんみたいなもんだけど、大岩というのがこの神社らしいところ。思わず顔を撫でてしまったけど、不要( ̄^ ̄)。そういう根性こそ、撫でるべきか?! 上に土が積もって木が生えちゃいました。 ふざけてるようですが、結構、マジで押してます。 駅前には、寂れてしまった寺家町(じけまち)商店街もある。閉めた店が多い中、なぜか結納屋?さんは複数軒、健在・営業中だった。手作り和菓子屋さんも、手焼きカステラや新メニュー・りんごクーヘンで頑張っている。そこを抜けたら加古川ならでは、昭和を代表する「旭食堂」。洋食屋さんというわけでもなく、メニューは正しく「食堂」。おうどんや丼物、ラーメン、チキンライスにやきめし、定食類、そして「かつめし」。緑色のデコラのテーブルが、なんとも懐かしい。古くて暗い店内だけど、ピカピカにお掃除も行き届いている。麦茶を持ってきてくれたおばあさんに、お約束の「かつめし」を注文する。おじいさんは、にやりとおもむろに作り出す。 かつめしは、加古川限定ご当地グルメ。加古川育ちが隣町に出掛けるようになって、初めて全国区でないことを知るという。扱う店は共通のかつめし幟を立てているのだが、それがまた、お寿司屋さんだったり、お蕎麦屋さんだったり、喫茶店だったり。真似して、どこででも出すようになったんでもなく、あって当たり前というスタンス。基本型はビフカツを乗せた白ご飯ごと、デミグラスソースをかけて、茹でキャベツを添えた物らしい。カツは、牛でも豚でも海老でも何でも来いだが、薄い!というのが、真骨頂(笑)もっとソースが、白ご飯をピラフに...、というのが、初体験の正直な感想なんだけど、やっぱ、それではダメよね。目には見えない加古川市境は、ベルリンの壁の如く高く、金剛山の如く広大だ。私達がお箸を取り上げた頃、かつめしマップとカメラ片手の客で、旭食堂は埋まりだした。いえ、人様のことは言いません(笑)友人が注文したもう一つの人気メニュー「やきめし」は、ラードをまとって牛肉と米粒が、テラテラと妖しく光り輝いている。コクのあるコッテリ洋食の味、創業当時のその昔、とても贅沢な味だったのだろう。メタボ狩りの今の世じゃ、自分で作るにも食べるにも、かなり勇気の要る味だけど。 ホームメイド・カステラのおやつ。一本・・・650円???ザラメ混入、あっさり風味。 上が黒かったり、真ん中部分が膨らんでなかったり、色んなタイプがございます(笑) LG21伝説検証のため、乳酸菌飲料は嫌いなのに、賞味期限間近の後押しで買った。 ただ今、人体実験中。これは、もしかすると.......! ある日。朝:バナナ&ぬるま湯 昼:野菜&キノコ煮麺 お三時:カステラ、紅茶、LG21夜:ロールキャベツのトマトソース煮込みwithパスタ(エリンギ、しいたけ、キャベツ) ほうれん草のピーナッツ和え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、太ってるやん(-_-||)
2008年10月25日
いわさきホテルでの朝食ビュッフェ。サラダとスクランブルエッグが、めちゃウマ! 自家農園栽培、ホームメイドの「たんかんジャム」も、是非、食べていただきたい。 さすが、お粥は、土鍋で炊いた物。お味噌汁の具も二種類あるし、おかずも豊富。 1泊目を除き夕食なし設定のため、旅行準備中にせっせと屋久島お外ご飯を調べた。結果、浮かび上がったのが1. 昼の部13:30頃、夜の部20:30頃と早じまいの二部営業。2. 定休日以外に、いきなり休む。3. ほぼ宮之浦、安房(島の北東~東側、港と空港周辺)に集中している。4. いわゆる「道の駅」的食べ物、街角グルメがない。5. ファーストフード店も、ない。6. 高い。(基準値:大阪都市部)なんだか、あんまり魅力的な外食事情に見えない。何とも不安なのが、通し営業の店が皆無に近く、おまけに昼が早仕舞いってこと。ラッコのように、物を食べ続けなければ死んでしまう私は、空腹が不安でしょうがない。13時迄に下山できなければ、13時頃に島の西側にいたら、.......昼は抜き!なんで早朝行動がカギとなるか、ご理解頂けたでしょうか(笑) というわけで、事前にみっちり調べ込んだ(笑)1~6の情報は、やっぱり正しかった。2.に関しては、その集落唯一のカフェやら蕎麦屋が休みということが、5日間の滞在で2回あった。結構な確率だとは思うが、一人でやってるお店がほとんどだから、しょうがないと思う。6.についても、島だから当たり前と諦め、定食類なら1000円以上は覚悟して頂きたい。その代わりボリューム満点で、手作りの小鉢が2、3品はつくので、満足度は高いはず。そして島だから、野菜・卵の類は地産地消なのだろう、素材の旨さは保証付き! でも4.と5.に関しては、ちょっと面白い物を見付けた。まず4.旅行の楽しみ、街角グルメの歩き食べ^-^島伝来の手作りおやつ「かからん団子」「つのまき」は、鹿児島にも同じような物がある。「かからん団子」とは、柏餅みたいに「かから」という葉っぱに包んで、蒸したよもぎ団子。かから(サルトリイバラ)は、笹や柏葉のように香りを楽しむ物ではないけれど、やっぱり、殺菌効果があるんだそうだ。そしてお団子には、黒っぽいほどヨモギの葉が混ざり、あんこ無しのあっさり甘味の具合が、きっと、左党にも頂きやすい。「つのまき」は餅米を五分ついて、笹のような「だんつき」という葉っぱに包み、灰汁につけたお餅。形状は、中華ちまきのような「つのまき」は、多分鹿児島の「あくまき」に似てるのかな?味付けはされてなく、本当はきな粉や黒砂糖をつけるんだろうが、そのまま食べた。............................、噴火口の強烈な硫黄蒸気で蒸すと、こんな味になる、絶対に(笑)この二つは、里興しのお土産屋で買ったけど、どこで買えるともいえない物みたい。見かけられたら、滅多にないと思って買って下さい。無添加天然自然手作り品^-^ 左手:かからん団子 右手:つのまき 4.ファーストではないハンバーガー屋さんなら、ある。宮之浦小学校近く「Mams Kitchen KIMMY HOUSE」(まむずきっちんキミーハウス)。ここのパンはフォカッチャだ。それに手作りの焼きたてハンバーグと、溢れるほどのレタス、オニオン、トマト。値段が400円以上?と安くはないけど、あぐあぐと口一杯に頬張るハンバーガーは、なぜ、ハンバーガーが世界的食べ物なんだろうと、納得する美味しさだ。ポテト・ドリンク付セットは、地元・屋久島高校「限定」学生割引があって、お得(笑)他、スイーツカフェのマフィンサンドと、お弁当屋の手作りピッツアなんてのもあるらしい。時間が合わなかったから、これらは、次回のお楽しみ。天気が良ければ、ビールも買って、ピクニックランチをするんだ。川縁の木陰や海を見晴らす高台で、緑の風に吹かれたら、美味しさ倍増、間違い無し。屋久島お外ご飯、エアコン付きの店内に閉じこもってちゃ、もったいない! ※ ハンバーガーの写真、ありません。紙をめくった瞬間!かぶりついてしまいました。 その後、慌てて撮った写真は、とてもじゃないけど・・・・・・・。
2008年10月20日
本気入れるため、こんな物も買ってみた。おまけに、こんな物も買ってみた。 も一つおまけに、どうせ食べなきゃならないのなら、バナナを極めたいとも思った。9月21日、開始当日、確か一番安いのが5本1房で128円だったと思う。両親のおやつに消えたので、母がスウィーティオとかいうフィリピン産を買ってきた。5本で198円だったと思う。母「甘い?美味しい?やっぱり違う?」くり乃々(不機嫌に)「バナナ味」自分で始めたダイエットやっちゅうに、母の愛に対するこの態度はなんだ、ケシカラン!バナナなんか所詮バナナ味だが、バナナの真ん中に酸味があると気付いたのは、この頃だろうか。 プチパニックともなれば毎度、思考の均質化と靡きやすさへのお馴染み論調が出揃うが、なぜ、その大方は「日本人は」と、一括りにしたがるんだろう。無個性を指弾したいはずの方向と方法が、矛盾してない?例えば、バナナの払底と値上がりは、アジアの東西で一挙に買い占めが起こり、高騰したから。揶揄るなら、「安易な同一方向」の「日本人」でなく、「痩せたい人間の安易」にして頂きたい(笑)カナダからの手紙を思いだし(笑)、大きくそれた。己を正当化する屁理屈じゃないんだ、バナナについて。世の青果コーナーからバナナという物が消えうせた頃、近所では5本178円に値上がったが山積みで、なのに、スウィーティオの棚はからっぽ。高い方から無くなるなんて、年金生活者は贅沢だ。(界隈の幼稚園は統合閉鎖し、その代わり、介護事務所が林立している)で、どうせならと、台湾産3本210円、モンキーバナナ158円、そしてエクアドル産何とかさんが作ったバナナ2本・・・・、値段は憶えてない。 まず熟成しきった台湾産、ん~、ねっちょり甘いし、風味濃厚。バナナケーキに焼き込んだら、バター要らないんじゃない?お次、アジアンリゾート・ファンにはなじみ深いモンキーは、熟れが足りなかったのか?記憶にあるほどの濃厚さはなかったが、ちょっと爽やかな風味だった。バナナ天ぷらにして、シナモンシュガーかけたら美味しそうやん。バナナジュースにしても美味しかろう。妄想は、バリ島はサヌールビーチでのリゾートか。さて、一番高かったエクアドル産。バナナたるバナナ臭(笑)もなく、実に上品な甘味。ブランデーでフランベして七分立てホイップクリームを添えたら、L'Epicurienなんちゃらで、出しても恥ずかしくないデザートだ。 目的が違う。レシピを考えなくていいから、無心にバナナその物を食え。本日、5本で198円。ドールの株でも、買っときゃよかった。バナナダイエットを諦める前に、デパ地下で最高級バナナを買ってみようかと、愚かな目論見も持っている。 「ラカタン」。やや小振りなのが7本付いていて、一房298円?だったかな? 「通好みの味」らしい。完熟なのに酸味が強く、ちょっとえぐい。甘くないのだ。 バナナ通とは、こういう味を好むのか。大人なバナナ? これこそ、骨付き鶏肉や豚のブロック肉と一緒に蒸すと、美味いかも知れない。 やってみたいけど、バナナの葉っぱを入手するのが難しいな。
2008年10月14日
祭り提灯と刈り入れ前の田んぼ。秋祭りは、もう直だ。住宅地に挟まれた窮屈な田んぼに、今年も稲が頭を垂れだした。近くの自治会館では、秋祭りのお囃子の稽古も始まった。日中は汗をかくほど暑かったのに、夜風に肌がそそけ立つ。息詰まる猛暑が逝き、密かに秋がやってきた。通勤電車の車窓に、一瞬、彼岸花の赤が雫を落とす。そんな季節だ。秋の透明な日差しに、炸裂する線香花火が、しばし姿を留める。そんな風景が見たくて、花の名前通りの頃、奈良は斑鳩の里まで出掛けてきた。 法隆寺は「日出ずる処の天子」と、タネ本「謎の十字架」に影響を受けて(ミーハー 笑) 「隠された十字架」の間違い....--;;中宮寺はたおやかな弥勒像は勿論、池の清けさも魅力的で、それぞれに幾度か訪れている。今回は、彼岸花揺れる田園風景を求めて、初めて法輪寺へと廻る。所々、新しい住宅地に蝕まれたような田んぼの上を、風が渡る。色づきだした稲の穂は風を受け、さわさわさわと音を奏でる。秋の実りの音だ。風が止めば、むぅと甘い稲の香りが立ち籠める。田んぼを越えた丘の麓に見えるのが、法輪寺の三重の塔だ。 田園風景にすっきりと生え出でた、小屋根を持たない飛鳥様式の塔は、父・幸田露伴の代表作「五重塔」への浅からぬ思いで、幸田文が再建計画に尽力したという。明治の廃仏毀釈以来、このお寺も静かに衰退していったかのように、かつては金堂にご安置されていた仏像も、今は講堂にまとめて一列に祀られている。けれどそのお姿は、斑鳩が仏教の隆盛を誇った古えを留め、大らかに伸びやかだ。後世、付け加えられたろう後背に残る色は、写真でしか知らない莫高窟の文様にも見え、飛鳥、平安と造られたこれら仏像は、相対する者に時代の大きなうねりを、穏やかに物語る。 そうそう、世界遺産「法隆寺地域の仏教建築」地域散策前に、お昼を食べた。JR法隆寺駅近5分ほど、大衆食堂のように「欧風料理 若竹」がある。メニューは、ハンバーグ、フライ物からピラフ系、なんと中華そばまである。「欧風料理」屋さんなのに、パンはなくってご飯だけ。そしてなぜかメインによって、セットの汁物がお味噌汁だったり、スープだったりする。洋食屋さんのコダワリか?そして、その判断は、如何様に??(客のチョイスではない)クリームコロッケは好物だけど、それでご飯は食べられないから、私はミンチカツ、友人がクリームコロッケ。(シェアするんですよ、もちろん)そして、盛りは豪快だ。 ミンチカツは皿から転げ落ちそうだし、ご飯はどんぶりをひっくり返したてんこ盛り。スープは、ホワイトルーをコンソメスープで伸ばした本格派だ。なんだが。味が濃い、塩っ辛い。ご飯をガシガシ掻っ込めるような味付けなんだろう。客層も法隆寺に行く観光客というよりは、100%地元仕様、定食屋感覚だ。長年、地元に愛され、手でゴロゴロ丸めたミンチカツは、見た目ゴツゴツなのに、ふんわり軽く柔らかく、技ありの上品さだった。大盛りに格闘している間も、お客さんはどんどん入る。そして気が付いた、ラーメンの注文が多いじゃないか(笑)なんたって若竹は「欧風料理」、そのラーメンスープって、どんな味?!いくらなんでも入る余地はない。無念。 肝腎の彼岸花(笑) ちょっと早かった感じ。 飛鳥や柳生の里では、見事だったと思う。さすがに、若竹の白ご飯は1/3弱ほどしか食べてないが、夜、炭火焼で帆立、骨付きウィンナ、厚揚げ、こんにゃく、野菜類を食べた。お供は、ビールと焼酎。そして帰宅後、カップラーメンを食べた....、シンジラレナイ。痩せたい以前に、現体重を堅持しているのが、奇跡かも知れない(笑)
2008年10月07日
@原生林コース。朽ちた倒木を乗り越え、さらに太陽をもとめて。生きていくことは奇っ怪だ。承前 (白谷雲水峡/辻峠~太鼓岩~原生林コース)獣道と同等の太鼓岩への小道は、高い梢に遮られ、暗い。窺い知れる空は、雲が多くなったようだ。文字通り、手足を使って這い登る。大丈夫、足がかりは所々、整備されているから。道しるべには10分とあったが、多分15分強、ひゅーひゅーぜーぜー息を切らし、目の前に現れたぽっこり丸い岩をよじ登れば、おおっ!ぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!絶景だぁああああああ!! 中央が白谷川。右下端の隅っこ、灰色が岩のふち。これ以上は、恐くて乗り出せない。眼前250度、深緑の大パノラマだ。所々、墓標のように巨木の白骨が杭を打つ。1000mを越す足元の遥か下には、白谷川が銀色の筋を縫っている。ザックも上着も放り出し、両手を広げて踏ん張れば、風の道が見えるようだ。腹の底まで解放し、体を筒にして大声を絞ってみたくなる。この世界は、なんて美しいのだろう。なんと美しい世界に、私は生きているのだろう。.........、愛は、さすがに叫ばないけどね。 太鼓岩では、お弁当を食べるのが流行りらしいが、私もそそくさと残りを平らげる。人がぼちぼちと集まりだした。この岩の上は、4畳ほどしかない。折しも左手の山の方から雲が湧き、視界も悪くなりだした。後続者達に場所を譲り、休憩は20分ほどで切り上げ。辻峠で休憩中の親戚一同様に「太鼓岩は、どう?登るの大変?」と聞かれる。雲が湧いてきたけど、今ならまだ絶景かも、とても大変だけど価値はある、と返事する。下りは、どんどん下る一方で調子づいたが、続々と登って来る人達、一様に「まだですか?」と聞かれる。雲が湧いてきたけど、まだ絶景かも、まだまだまだ大変だけど価値はある、と返事する(笑) 原生林コースと楠川歩道の分岐点まで調子よく下ってきたが、ここで、私の足は原生林コースへ、弥次の足は往路と同じ楠川歩道へ。しんどいよ~、杉なんか見飽きたよ~、下り道を帰ろうよ~。という駄々を「絶対、二度とは来ない所なんだよ」と宥めすかし、原生林コースへと腕を引っ張った。が!ほぼ直線に山を貫く歩道と異なり、あちらこちらと見所の杉を縫うこの道は、太鼓岩道で疲労困憊の体を弄ぶが如くくねくねと、アップとダウンも激しい..。確かに杉なんか、もういいや(笑)それでも川のせせらぎは耳に心地よく、下るにつれ出会う鹿は、人慣れしているのかパニックも起こさず行く手を遮り、動じない。もう昼を廻る頃だろう、登ってくる人達も随分、少なくなった。人気コースの割りには、道は道標テープでしか判別の付かない箇所もあり、時折、見晴らせない梢を揺らす、ヤクサルの気配がする。カサカサと枯れ葉を踏むのはヤクシカだろうか、呼び交う声は、何の生き物だろう。水底は花崗岩の砂礫を燦めかせ、透明度を増すようだ。流れる水は、疲れた喉に冷たく甘い。下るにつれ、杉の数は減りヒメシャラやツガが増える。枯れ葉の多さに、ヤクスギランドには落ち葉が少なかったと、初めて気付く。なるほど、ここは照葉樹林帯なんだなぁ、と、終点が見えた頃、やっと一息ついた。出口間際に、樹齢3000年の「弥生杉」への分岐道があり、その距離ほぼ1km。さすがに、行こうという元気は残っていなかった。 @白谷小屋付近で。角のある鹿の写真は、これ一枚っきり。お役立ち情報/白谷雲水峡2もののけ姫の森、太鼓岩まで足を伸ばす場合、往路に楠川歩道をとる紹介が多い。標高差約300mを、50分ほどで直線的に登っていくが、距離は短くてもどうだろう?復路に原生林コースを行くと通算4時間半、延々延々、登って登って、下って登ってになるのだ。いっそ原生林コース→太鼓岩→楠川歩道と行った方が、私的には楽な気がする。でも原生林コースを往路にとれば、太鼓岩まで登る勇気はなかったかも。なお、辻峠をさらに行くと、縄文杉への縦走路となる。その場合は、縄文杉から白谷雲水峡へと下る方が、マシ(楽とは言わない)だと思う。白谷雲水峡に行くなら、太鼓岩からの絶景を見て死ね!(ナポリか)とは、言い切る。だけど雨の屋久島、私の行いが宜しかったので眺望に恵まれたけど、貴方も、とは限らないよね。
2008年10月01日
苔、こけ、コケ、苔の森。ヤクサルさんが一心不乱にお食事中。邪魔してごめんなさい。(白谷雲水峡/楠川歩道~太鼓岩~辻峠)屋久島上陸はや3日目は、縄文杉は諦めても、ここだけは外したくない「白谷雲水峡」。宮崎駿が「もののけ姫」の森のモデルにしたということで、つとに有名な、その名もずばり「もののけ姫の森」がある。世界遺産地域からは外れるが、標高620m(入り口)から980m(もののけ姫の森)に至る一帯は、照葉樹林地帯から屋久杉林へと移行する様が見られる、らしい。ヤクスギランドは川を渡るが、川沿いではない。蛇の口滝探検コースは、滝を目指し川沿いのはずだが、川が見えない(笑)。「巨木が育む」美しい水のイメージを描き続けた私に、ここだけは外せない! 6時過ぎ、ホテルの朝食をお弁当にしてもらって出発、心づもりより、ちょっと出遅れ。宮之浦から、結構なくねくね傾斜道を、最高速度50キロで登っていく。アクセルをいっぱいいっぱい踏み込んでも、軽自動車はこういう道では馬力が出ない。県道から多分60分、目算以上の時間をかけて、整備された駐車場へとたどり着く。朝食もトレッキング準備も済ませた先客達が、次々と入山していく。さすが2000円のビュッフェ分のお弁当は食べきれず、後は歩き飽きた時のおやつということにして、8時半頃にやっと開始。巨岩を一筋、抉りながら龍の如く飛沫を上げる「飛流おとしの滝」を過ぎ、快適な遊歩道を歩む。7分程で原生林コースと楠川歩道との分岐点に到着、と、同時に快適さはあっけなく終了する。 私の目的は「もののけ姫の森」をさらに通り過ぎ、絶景を見晴らす「太鼓岩」まで行くことにある。真っ直ぐに高度を稼いでいく楠川歩道は、江戸時代、伐採した巨木の運び出しに、使われた道なのだそうだ。敷石は時代を経てなお、苔むす間もないほど、巨木や大勢の勢子達(女・子供もいたそうだ)の足に踏まれ続けてきたのだろうか。なんて感慨も、やっぱりすぐに潰える。敷石というより滑り止めのゴロタ岩同然と木の根の坂道は、暗い森の中、ひたすら上を目指し、目算通り50分弱で原生林コースとの合流点に到着。 そこから10分程だろうか、このしょぼい看板に惑わされることなく、人間は口を噤め。 巨木と巨岩が、物言わず緑に溶けていく。腕を伸ばせば、私も緑に染まる。あいにくの晴れ続きで苔は乾燥気味だったが、それでもふっと梢が切れ、日が差し込み枝枝に光が宿る。立ち枯れたような木々は、己が枝葉の代わりに苔や羊歯類をまとい、無数の水滴を翡翠に変えて身を飾る。巨木の無言の胎動に息を潜めるのか、いや、呑み込まれて消えるのだろうか、この森には生き物の気配すらない。原始の緑の夢を微睡むカミサマだけが、そこにいる。 ここからは登山道らしき道は消え、道標テープに導かれて「太鼓岩」を目指すことになる。足元は、時に湧き水に遮られ、時に危うい。頭上でお猿に睨まれ(だって、進行方向に逃げるんだもん)、子供鹿に泣いて怖がられ、もう植生や森の変化に気を配る余裕をなくし、ひたすら登っていく。もののけ姫の森看板から30分以上だろうか、地面が乾いた落ち葉に覆われ、人声がすると思ったら、そこがベンチもある辻峠。左手に太鼓岩への分岐道が...、って.........、道?.....山の急斜面と違うのん? 全長4センチほどのヤクシマアカガエル(勝手に命名) 粘着手足があったら、急斜面も楽勝だろうか・・・。お役立ち情報/白谷雲水峡人気コースなだけに、早朝行動をお薦めする。私達は、1時間は出遅れた。物の怪達は、早朝か日暮れの静寂にしか存在しないが、努々、日暮れ時になぞ悪心をおこされぬよう。暗くて深い森です。彼らを脅かさないよう、ゆったり静かに、緑の美しさで心を洗濯して下さい。下山時にはすでに、もののけ姫の森には人が溢れかえっていた。ぎりぎりセーフだぁ(笑)。こちらも、環境保全協力金300円(お手洗い使用料、含む)が必要。お手洗いは、駐車場と途上、白谷山荘という小屋にある。売店なし!整備された大きな駐車場(無料)は当然、アイドリング禁止。守れんヤツ、来るな。 ケンタ大よりでかいフライドチキン、ウィンナ2本、ハム、焼鮭、つきあげ、煮豆、ゆで卵、おにぎり三種(たらこふりかけ、ゆかり、ごま塩)お漬物、ジュース、ウーロン茶。バナナ生活が夢のようだ(笑)9月24日の食事朝食:バナナ一本、相変わらず湯冷まし600ml昼食:バゲット半分のハムサンドイッチ、カップのスープパスタ夕食:クリームパスタ(生クリーム・サーモン・ほうれん草・マイタケ・チーズ)、豆腐サラダ、ワインパスタは120g、食べている。こんだけ、カロリーとって痩せたら奇跡だよ。
2008年09月26日
生を受けてほにゃらら年(笑)、本日より初ダイエット。 ちょっと重くなったけど、体脂肪率19%で収まってるし、焦る事もない気がするけど、やっぱりいかん!暴飲暴食、真夜中にラーメンだのうどんだの食べ続け、一向、太らないので、太らないんだと、都合よく信じていたら、代謝が、めちゃくちゃ悪くなっている。ジャストをうろうろしていた体重が、今やプラス4、針が右にふれた。ダイエットこそしないものの、太らないぞと念じて死守してきた体型にも、限度がある。このハミ禁ぜー肉、どうにかしてよ。だけど今までが、欲望に導かれた野獣の如き生活なのに、ダイエットつったって・・・。 本屋さんでふっと目に留まったのが、「朝バナナダイエット」朝食をバナナオンリーにし、室温の水を飲む。食後30分たてば、何を飲んでもよいし、昼・夜は何を食べてもよい。バナナの栄養分でもって、代謝を良くしようという方法なのだと思う。・・・、思う。・・・・・・・、実は、ざっと立ち読みしただけで、本は買ってない(笑)読んで理屈をのんだら、やった気分になっちゃうし、アラを捜してやる気を無くすのも解ってる(笑)だから、まずは、やってみる、理屈はそれから。 今日、9月21日から開始。とりあえず、朝刊を読みながら、だらだらやっとバナナを1本。(何本、食べてもいい)水は、湯冷まし(冷たいのは、苦手なので)600mlは飲んだ。実は私はバナナが嫌い。芋やかぼちゃや豆のもさもさしたのが、とても苦手。水で流し込まなくちゃ、喉につかえて食べられたものじゃない。 バナナが嫌い。そんなで一体、いつまで続くんだろうか・・・。てか、いつまでバナナ?100キロを超すミュージカル女優が、一ヶ月で7キロ痩せたという。持っている物が違う(笑)とはいえ、人がやって結果が出るものを、私もやって出ないわけがない、その負けじ魂だけが頼みの綱だ。一ヶ月やって変化がなければ、本人の生活習慣や何やかやが根本的に悪いとなるらしい。って、ことで一ヶ月。今後の明るい暴飲暴食生活のために、朝だけバナナ生活を送ります。明日の朝もバナナかよ・・・・・・。ペックのパンをサンドイッチにして、食べたいよぉおT^T(ちなみに、まだ初日) 朝食:バナナ1本。お水、600ml.昼食:ハムサンドイッチ。パンプキンポタージュ。コーヒー。有色:鶏から揚げ、野菜甘酢あんかけ。胡麻豆腐。ポテトサラダ。焼酎。 夕食!!(笑)
2008年09月21日
いつか(十五日)いつかいつかと待ちしけふの月 田捨女(でん すてにょ) うっかり「仲秋の名月」なんて書きそうな程、素養教養すっからかん。歳時記も抜け落ちて、すすきに銘酒、お団子もないままに、それでも月に呼ばれたか。ほったらかしの藤の蔓に、お月さんが紗をまとって引っかかっていた。幾夜も月は昇れども、今宵の月はただ一夜、2008年の十五夜お月さん。 気付けば、早、真綿の如き雲は、裂いて敷きのべたように薄く空に広がる。そして空は、いよいよ高い。紅いに移ろう庭で茶を喫する、ちょっと気取ってみたい古都のお散歩シーズンが開幕だ。 毎夏、それも暑さ真っ盛りの時分、呼ばれたかのよう(笑)に、奈良や京都へ行きたくなる。今夏、呼ばれた先は、奈良三山(若草山、春日山、御蓋山)を借景にした庭園・依水園にある三秀亭。田舎屋風茶室から名庭を眺め、お食事が出来る。といってもメニューは「麦めしとろろ」(1260円)と、それに鰻のついた「うなとろ御膳」(2560円)の二種類だけ。しかもお時間は、とってもタイト。のろのろ、あっちふらふらの私は、今日は行くぞ!と決めてしまわなければ、絶対にたどり着けない時間帯、11時半から13時半まで。(茶店としての営業時間は、15時頃まで)おまけに、週末の13時でも閉めちゃうという、奈良時間(笑)で運営されているもんで、さらにタイト。庭を舌でも楽しみたいのが古都の定番ながら、奈良中心部では、ここ以外に私は知らない。 そもそも奈良には、案外、国指定名勝ともいうべき名庭が残っていない。歴史が古すぎて庭園文化が花開かなかったのか、平安遷都以来の南都仏教解体がボディブロウのように効き、維持が覚束なくなったのか、あるいは広大な緑に恵まれ、小さな疑似自然を必要としなかったのか。辛うじて、興福寺寺領(別業)の「依水園」と「吉城園」が今に残り、拝観できる。(大乗院庭園は、発掘、復元中。)そしてこれらの庭園、案外、外国人観光客の方に知名度があるようだ。 Tシャツ短パンなんて、雑ぱくなカッコの人はいないから、フランス人のツアーだろうか。この日、庭に面した二間続きの座敷に陣取り、ずぞぞととろろご飯を啜る私達は、日本の禅美を、堪能したい外国人観光客達の大きな目障りだ。真剣にふすまや欄間に見入る彼らに申し訳なく、せめて背筋を伸ばし、お箸運びにも気を使ってみる。 ガイドブックにも載っていない三秀亭に、日頃、どれほど食事客が来るのだろう。 それでも、足つきお膳で運ばれてきたとろろは、奈良の出汁醤油であっさりと味付けされ、八寸の形で供する鶏のつくねや、ズイキの煮浸し、コブの山椒炊きも食感を大事にした自然素材の味だった。子供の頃から嫌いな奈良漬けの瓜も食べてみる、あら、甘味控えめ、美味しいじゃない。 エアコンなんかありっこないけど、開けっ放しの座敷は風の通り道だ。時折、奈良公園の賑わいも運んでくる。食後に、熱い大和のほうじ茶を啜っていると、お客さんがやってきた。先ほど、じっと私の手元を観ていたフランス人のおば様だ。色目こそ華やかではないけれど、多種多様、風味の活きた味付けとお皿の空間を利用した盛り付けは、古雅というもの。お抹茶も甘味もあるし、とろろの食べ方指南英語バージョンだって置いてある。ぃやぁ、上がらはって、涼んでいかれよし。 奈良は、やっぱ鹿でしょ。やっぱ、かわいい。秋めいたのでちょっと、寄り道。屋久島は、まだまだ続きます。マジ、お屠蘇なめながら、屋久島日記を書いてるかも。
2008年09月18日
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