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今朝9時、主人と次男連れて母の病院に行ってきました。面会時間の10時を少しまわった頃到着。父を迎えに行ってた弟も同時刻に到着。弟の車から降りてきた父が別人のように弱々しくなってて、胸が痛みました。母がICU室に入ってると聞いてはいましたが、その部屋に入るには、別室で看護服?と頭にネットを被らなくてはいけなかったのです。それだけで、母の状態がとても悪いのだと実感しました。ベッドに横たわる母は、酸素マスクして、腕には点滴の針が刺さってました。頭の上には、心拍数と血圧を示すモニターが絶えず動いてました。TVでしか見たことがない世界が、目の前の現実でした。でも、母は意識はしっかりして、話もする事ができたので安心しました。やはり無理した事と、今飲んでる薬で抑え切れなかった、という事で、違う薬で様子を見るとの事。手術するまではないと言われたようなのですが、母は、爆弾抱えてるみたいで、怖いといってました。そんな母はもちろんですが、まだ病気が治ってるわけではない父が心配なのです。母が入院する度、スーパーの惣菜か、パンで済ませてるよう。今日も弟の嫁は来てなかったし・・。4日まで休みなんだから、せめて大晦日の年越しそばくらい作ってあげて、一緒に食べてくれても、と思うのは私のエゴなのでしょうね。何の見返りも求めず、ただただ孫や嫁を可愛がってた父や母の心中を察すると、つらいものがあります。でも、相手に期待したり、相手を思うように動かしたいって思うから葛藤が起こるのでしょうね。私は私で出来る事をしていけばいいのでしょうね。幸いずっと反抗期?だった弟が、父の入院から、すぐに動いてくれるようになったし。良い事もあったわけで、ある幸せ数えた方が良い気持ちになりますね。私は1時から仕事だったので、12時には出ました。本当は実家に寄って、年越しそばの用意までしていきたかったのですが、弟にコンビニで買ってあげてとお願いしました。後で、主人がこのやりとりを聞いてて、切なくなったって言ってました。言ってる私も、切なかったけどどうしょうもなかった・・次の休みが3,4日なので今度は泊まりで行ってきます。ブログ書いてるうちに新年迎えてしまいました去年は初めてブログに挑戦したのですが、ブログを通じてとても勉強させていただきました。まだまだ未熟者の私のとこに寄ってくださったたくさんの方!本当にありがとうございました今年も、マイペースで書き続けていきたいと思ってます。よろしくお願い致します
2006.12.31
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私や、私を取り巻くすべての人々が光の方向に進むことができますように・・・これは、以前日記に書いた、私のアファーメーションの言葉です。父の闘病生活のときも、きっとよくなるという希望を胸に抱きながら祈ってました。おかげで、今は退院して、ゆっくりとした生活を送ってます。しかし、全ての人生は自分で用意した計画書通りに進んでいるとはいえ、これも用意したものなの?と母に聞きたい事が起こりました。母がこの年末2回も救急車で運ばれました。母にはもともと心臓肥大という持病がありました。そして、ここ何年か前から不整脈も出てきたのです。本当は安静に過ごさなくてはいけないこの夏、父の入院でかなり無理をしたようです。炎天下の下、自転車で往復1時間の病院通い。「お父さんを<うつ>にさせられない」の一心だったと言ってました。今日も夕方4時過ぎ発作が起こったみたいですが、弟から電話があったのは、6時過ぎ。朝、9時頃母と話したばっかりだったのに・・。母には、私がいろんな形で得た知識・・例えば、鏡の法則、正負の法則、人生の学び、カルマ、感謝すること等々・・を約4年くらいかけて話してきました。それまでは、母とはどちらかと言うと仲はよくありませんでした。このような話をしだしてすぐの頃は、宗教に入ったんじゃない?って疑われてましたが、ここ2年位前からは、あんたと話すと癒される、とかやっぱり娘を産んでて良かった!ってよく言ってくれるようになりました。はっきり言って、そんなに優しい事言われた記憶は子供の頃からなかったので、これで母との学びは終わったのかな、と思ったのは覚えてます。学びが終わると、母も私の言う事をどんどん吸収して、もともと前向きだったのにもっと広い視野で物事を捉えることができるようになってきました。人は肉体を伴った人生での学びを終えると、自分で予め決めた寿命で人生の幕を閉じると言われてます。でもお母さんは、優しくなったお父さんと本当の意味でいたわりあう老後を過ごしたいって言ってたよね。あと、お友達と旅行も行きたいとも言ってたし、それよりまだまだ人生の勉強中だよね。もっともっと私と勉強しょうよ。これが、<執着>する気持ちというのはわかってます。又魂は永遠と言うのも、わかってはいます。でも、経験した事が無いので、もしもの時自分がどんな反応するかはわかりません。母の容態は今は落ち着いてるようです。でも、心不全を起こしかけてたそうです。明日仕事前に車飛ばして、会いに行ってこようと思います。母はいて座2007年のいて座は、12年に1度の大チャンスの年だとか。朝の電話で教えてあげたら、あ~よかった☆って喜んでた。そう!きっといい薬に出会って、よくなるよ。
2006.12.30
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これは、以前「すぴこん」で購入した、天使のポストカードです。そのエンジェルグッズ専門のお店の方が、「このカードを手にされた方は、良い出来事が起こるようになりますよ」っておっしゃってました。実際その時は、何てなかったのですが、主人が失業した時から、このカードの前でお祈りしてたら、願い通りの会社に再就職できました!!そうなんです、就職決定(内定ですが)しました。これに至るまでは、どちらかと言うと、スピリチュアルの側から見た方が私にとって話やすいので、近いうちに書きます。ただ、2月1日付なんで、まだ先なのがつらい・・・。
2006.12.26
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今日、義母の生徒さんの1人から、今話題のカキが送られて来ました頂きものは確かにありがたいです。しかし、6人家族で4人が食べれないそれならと、義父に「好きでしたよね」と聞くと、「食べても、2,3個かなぁ。それにしても、こんなにTVで騒がれてるのに、よくもまぁ・・」確かに、いまの<ノロウイルス騒動>は、カキが原因ではない、と言われてるし、出荷する方もキチンと検査して出してるというので、そこまで心配しなくてもいいのでしょうが・・でもこんな心配しても、食べれないからいいのです。電話してきた母に話すと、いくら食べれないって言っても、人にゆずっちゃだめよ!そこまで言われると、おすそ分けにも気を遣うなぁとりあえず、火を通す料理をしてみよう。カキフライか鍋。あと、殻ごと焼いて醤油たらり。あぁ~その前に殻をどうにかしないと・・・
2006.12.23
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昨日休みだったので、年末恒例?の大掃除をしました。私は仕事柄、年末でも休みはシフト制なので、やれるときしておかないと・・。で、昨日は2階の3部屋の大きな窓、網戸、レールを掃除したのです。その時予想以上の働きをしてくれたのが、コレ確かに、このスポンジのすごさには、去年の大掃除で気付いてました。(去年は、これでうちの曇りガラスのカビをきれ~に取りまくったのです)しかし、これで、あの真っ黒になった網戸の汚れが、「きゃ~、奇跡だ~」って位きれいになるなんて誰が想像したでしょう。<掃除前>
2006.12.22
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これは、「Lazaris<ラザリス>」のカレンダーです。ギルバート・ウィリアムズ氏がチャネリングして描いた絵が、カレンダーになってるのです。毎年出されてるわけではないようで、去年はなかったようです。この、スピリチュアルなカレンダー、実はプレゼントされたのです私がこの会社に入ってから、いろんな事を相談していた、今は占い師になられたEさんから・・私は、Eさんが天職の「占い師」になられたのは、心の底から<おめでとうございます!>って言える位嬉しかったのですが、同時に<もうあんなに色々な話も聞けなくなるんだ・・>って寂しさがあったのも事実。そんなある日、「同じ時間にあがりだから、一緒にかえろ」って言ってくださったので、喜んでたら、別れ間際に「ハイ!プレゼント♪」「なんですか~?(というか、なんで私に?)」「いつも、前向きにがんばってる君に!」・・その場で開けてみると・・・初めて目にした時から、いつかは手に入れたいって願ってた<ラザリス>のカレンダーでした。ほんと~に、ほんとに嬉しかったです!!今、そのカレンダーは、部屋の一角で<天使の人形やポストカード>と一緒に飾ってます。そして、この部屋はいい波動に満ちてるような気がします。Eさん、ありがとうございました。すごい確率で出会えたこの<縁>に、心から感謝してます。 でも、この出会いは必然だって思ってます
2006.12.19
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これは今年の夏、2人の子供を連れて離婚した親友が、最近送ってきたハガキです。I子は、本当に一生懸命に、前向きに頑張ってたので、離婚を決めたって聞いたときは、やっと開放されるねって、変な話、喜んだものです。彼女は、末期がんの義父の治療費(月10万)の支払いや、義母のわがままに振り回されたり、その義母もがんになり、夫に兄弟が2人もいるのに、費用から、看護まで全て彼女が面倒みてたのです。彼女の夫はとても優しかったのですが、兄弟にも何にも言えず、両親の面倒も彼女にまかせっきりで、知らん顔。義父母も、自分達に保険は必要ないって入らなかったのに、いざ病気になって彼女に泣きついて、それなのに、個室がいいと聞かなかったそうです。この義父は、末期がんと診断されたにも関わらず、インターフェロンが効いて5年以上持ちました。つまり、彼女はその間毎月10万負担し続けたのです。彼女の離婚の理由は、このままじゃ子供2人をまともに高校すらやれないって思ったそうです。頼りない夫も、子供からしたらお父さん。もしかしたら、同居してても、籍を抜けば意識が変わってくれるかもって、離婚する3ヶ月前に抜いてたけど、無駄だったみたいで、結局義父の葬式を見届けて離婚したのです。彼女達親子がここから離れる何日か前、いつもの仲間で送別会をしたのです。子供達は中2とはいえまだ子供。楽しそうに騒いでました。その日、別れた後の彼女からのメール。<せっかく人間に生まれてたから、なんでも受け入れる器になりたいと思ってます。人生いろいろ(笑)まっすぐ、前を向いて凛とした人でいたい。人のやさしさ、暖かさが骨身にしみてありがたい日でした。心がぽっかぽかです。ありがとう>この日から約5ヶ月。やっと落ち着いてきたかなーって書いてありました。でも、私は写真のハガキの「ことば」が、彼女の離婚してからの本当の気持ちを表してるようで、少し胸がきゅんときました・・・でも、彼女は確実に「いい方向」へと進んでる。いつも前向きで頑張ってる彼女に、たくさんのしあわせが来ますように・・・☆
2006.12.17
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電話を切った後、ホント言うと父の声がだんだん声が大きくなってきたのがわかって嬉しかったのです。言いすぎたなんて思ってません。ケンカ?始めたら、相手が病人なんて吹っ飛んじゃいました。只、お母さんが心配でした。昔のように、物が飛んでくることはないにせよ、けんかが続いてませんように・・・とお祈りして、その日は寝ました。次の日、母から電話。「今日ね、お父さんが<今までの事ごめん>ってあやまってくれたんよ~!!お前にすごく迷惑掛けたって。だから、私もあの時はほんと死のうかと何度も思った位つらかったよ、と言ったら、もう許してくれって。あんたが思い切って言ってくれてよかった。ありがとう。」「あ~よかった!!心配してたんだ。でも、お母さんも過去のお父さんの事は言わないことだね。あと、相手は自分の鏡って言うから、お父さんが見返りを求めてたってことは、お母さんの潜在意識にそういった部分があるのかもよ。とにかく、自分がして欲しい事を相手にしてあげるといいんだって。」「わかった。気を付けるね。あとね、あんなにやる気がでらんって言ってた、年賀状。今印刷してるんよ。なんか、元気になったよ~」何が幸いするのか・・・。私がやったことは病人にとって、けっしていいことではないのはわかってます。でも、今思えば、<物事に偶然はない。全て必然なのだ>というならば、母の思いが私に言わせたのかな、と思ったりしてます。そして約半年に渡る、手術からうつ病に至る数々の出来事もきっと、父が自分の意識を変えるため、生まれる前にシナリオを組んでたのでしょう。知り合いの占い師さんによると、人は学びの為にこの世に生まれてくるけど、1人では目的を達成できない時は、分魂と言って、ソウルメイトや家族などに協力してもらいながら、目的を果たそうとするとか。ならば、父に振り回されたかのように思えることも、実は魂の部分では合意の上だったのでしょうね。昨日母からの電話を主人が受けた時「お父さん、車の運転したけど、大丈夫だったって言ってて~。」って明るかったぞって。 <おわり> かな・・・
2006.12.14
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そのC子さん夫婦は、祖父母(母の親)と同居してます。本当はおいの親、つまり母の弟(長男)夫婦が、その両親と同居するはずだったのです。しかし、約5年前、高速道路で母と弟が乗ってた車が飲酒運転の車に追突され、更に後続の車にはねられるという事故に巻き込まれ(この事故の記事と、その後の裁判の様子は何度か新聞に取り上げられてます)、おいの母親は依然昏睡状態。おいの弟は事故のショックで、決まってた仕事を断念。その後はうつ病になり、何度か自殺しょうとしたようです。そんな状況を考えて、C子が祖父母と同居するって言ってくれたのです。母には他に2人の弟が少し離れた所にいて、ちょくちょく顔は出して用事を済ませたりはしてるようです。父は、他に弟が居るのに、なんでC子がうちの母ちゃんばっかりに相談にくるのかが気に入らないみたい。でも、C子はどっちかと言うと、一人でなんでもしてしまう性格なので、そこまで迷惑掛けられて無いと母は言うのです。いっとき、父母の言い合いを電話でじっと聞いてたのですが、だんだん頭にきて、言っちゃいました。私「お父さん!!だいたいうちのばっかりって言うけど、お母さんの親でしょ。面倒みて当たり前じゃない。C子だって、群馬から1人で九州に(嫁に)きて不安な時もあるでしょ!相談にのってやって何が悪いの?」父「だけどよ、嫁にやった娘に頼るのはどうかと思うぞ」私「何言ってるのよ!今回お父さんが入院してる時私が飛んでいけたのは、パパはもちろん、こっちの父や母が快く<行ってあげなさい>って言ってくれたからだよ!自分は入院してたからわからないかもしれないけど、お父さんの事どれだけみんなが心配してたかわかる?C子だって、生後3ヶ月の乳児がいるのに、1時間掛かる病院に連れていってくれたじゃない。彼女は全く見返り考えて無いよ」父「昔、爺さんたちをドライブに連れて行っても、弟達は何も言ってこんかったし。病院に連れて行った時もだ」私「お父さん。あのおじさん達が何も思わない訳無いでしょ。それより、お父さんは見返りを期待してたの?お父さんがやってあげたいって思ったから連れて行ってあげたんでしょ?その行為だけで充分でしょ?それ以上に何を勝手に期待してるの?見返り期待するくらいなら、始めからしなきゃいいじやない!!」それでも何かぐちぐち言ってたから、<これ言ったらまずいか~>って事言いましたよ「それなら今まで言わないでおこうと思ってた事言うけど・・。うちの死んだばあちゃん(姑)の面倒、お母さんがず~っと診てたよね。それも、すっごい意地悪な人で、おまけにお父さんの兄弟も面倒は掛けるくせに、一切お母さんには<感謝>してなかったよね。感謝どころか、お父さんと一緒になってお母さんをいじめてさ。あの時お父さんは妹や弟の嫁に、うちのが診てるから感謝しろ、とか言ってくれた?又、妹達は自分から言って来た?それと同じじゃん。結局他人の行動までコントロールできないの。」その後、「疲れた。寝る。」と言って、電話切られました。
2006.12.14
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土曜日、父に、覚えてる限りでは初めて言いたい事言いましたこの日の夜、母から電話があり、「やっぱりお父さん元気ないよ。きついと言っては、すぐ2階に上がって寝ちゃうし、あんなに張り切ってパソコンで作ってた年賀状も、今年はスタンプで済ませるつもり」と言う。「まぁ、長時間のパソコンは良くないかもしれないから仕方ないけど、何か自分でやりたいこと見つけないと、本当に進んじゃうよ」と私。そんな話をしてたら、父がそばを通りかかったみたい。母が「〇〇から電話よ」と言って、向こうの電話をスピーカーホンに切り替え、父母対私の3人での会話に変わった。私はいつもの様に、「お父さん、調子はどう?」と聞く。父はいつもの様に、「あんまり良くないなぁ」と答える。私「きついし、やる気が出ないのもわかるけど、自分から動き出さないと、いつまでもこのままどころか、もっと何もしたくなくなるよ。お母さんは何でもしてるから、とってもきついって言ってるよ。2人分の皿洗いや、風呂掃除くらいならできるんじゃない?何か1つ日課にして頑張るのもいいと思うよ」父「でもな、そこが病気できついんだ。してあげないといけないってわかっているんだが・・」私「後T坊が(弟)、車は危ないから乗るなって言ったらしいけど、それには私も賛成だよ。今は集中力も落ちてるし、もし事故でも起こしたら、相手の人生や家庭も壊れるし、うちもみんなの心に影を落とすことになるよ。T坊は自分がドライバーしてるからよけい、車の怖さ知ってるんだよ。言い方きつかったみたいだけど、気持ち受け止めてあげて」父「確かにな。うちには男として、はっきり言ってくれるのと、女らしく優しく言ってくれるのと2人おるからありがたいな~」と言うと、後ろから母が「そうそう。子供達の言うとおり」と明るい声で会話に入ってくる。・・・とその辺りまでは和やかに話してたのですが・・・私「でも、お父さんの周りにはほんとありがたい人ばかり集まったよね。お母さんもだけど、お医者さんもよくしてくれたし、母の両親も心配してくれたり、そうそうC子さん(おいの嫁)も、よくしてくれたよね」父「はぁ?C子には言いたい事がある」と言い出すではないか。 <つづく>
2006.12.11
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報告が遅くなりましたが・・父が退院しました~!!12月6日の朝、母から電話があり、「今日退院するけど、実は私が腰を痛めてるので迎えに行けんからあんた行けん?」ときた。突然のようだが、実は4~5日で外泊してて、その時よかったから退院になったみたいです。転院したのが、先週の水曜日だったので、なんと1週間での快挙?でも、いくら嬉しくても、私も突然休める仕事じゃないので、それは無理って言うと、とりあえず昼からだからそれまで休んで、腰の様子を見ると言って切った。そこで、義父母に話すと、「アレ(主人)ば起こして、行かせなさい」と言ってくれたので、早速起こして、聞くと「よかよ。電話してみて」と言ってくれた。母に電話して聞くと、助かるけど、よく考えたら手続きやらがあるから、弟の嫁に来てもらうからいいという。夜、母から電話があって父の様子を聞くと、夜起こってた<夜間せん妄>は、やはり薬が原因だったようで、外泊の夜も大丈夫だったって。・・・ただね・・って母が声を潜めて言ったのは、「先生から私だけ呼ばれて、お父さんは軽い認知症って言われたんよね」あ・・いつかは来るだろうけど、まだまだ元気だって直視してなかった事。「でもね、昔のお父さんと違って、今のお父さん穏やかになったから、こっちの方がいいよ」だって。どこまでも前向きな母。まあ認知症とは言っても、そこまで顕著に出てるわけではないみたいなのですが、よく「だるい」って言っては横になってるようです。父は自分が認知症とは知りません。年賀状も、毎年器用にパソコンで作ってたけど、今年はやる気がでないっていってるみたい。父には、自分で気持ちの持ち方を変えないと何も変わらないよって言うのですが、理解しようとはしないで、「うつはこういう病気だから仕方ないんだよ」って自分に言い聞かせるように言ってました。意識を変えるって難しく考えないでいいんだけど・・あと、病院ではすぐ薬を出してくれって言ってたようです。あんなに薬で痛い目にあってて、まだ言うなんて、やはり薬依存って治らないのですね。まぁ、普通の人でも、頼ってる人多いから父だけが問題じゃないのでしょうが・・とにかく、当初の目的である退院はしたので、いい方向には行ってると思います。父も、この半年に及ぶ回り道で、自分の学びをしっかり体験してくれたはず・・です。
2006.12.09
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しばらく待ってると、担当医の補佐の女性の方が様子を聞きにきた。そこで、ここに来た経緯と、自宅での看護は危険を伴うので、今日から入院させてもらいたいと希望を伝えた。それから、担当のF先生の診察が始まった。このC病院は精神科と内科があるので、糖尿病の持病を持つ父には都合がいい病院だ。F先生の問診は慎重で的確。精神科では当たり前なのだろうが、とにかく父本人の意思を尊重してくれる。父もはっきりと自分がわかってる事はどんどん発言する。先生は、こんなに普通なのに、問題が夜だけだから入院にはとても慎重だ。というのも、普通の病院では検査入院で2週間位の短期入院もあるが、精神科では一旦入院すると、3ヶ月の長期で様子をみるのが普通らしい。つまり、調子がいいと思ってもすぐには出られませんよ、ということだ。また、家族が夜の父の様子をみてないのもひっかかるという。でも、注射でしか落ち着かない父を母1人でみるのは不安がある。母も一生懸命頼み込んで、ようやく先生が、「入院させて様子を見てみましょう」と言ってくれた。それから、入院手続きを終え、広い敷地の奥にある病棟に車で移動。ここは、閉鎖病棟と言って、入り口は全て鍵が掛けられ、外には出られない。面会もテーブルが2つだけの面談室で。持ち物検査をされて「箸」が返って来た。ベルトも取り上げられる。しかし、外に出られないと言っても、病棟内は電話も洗濯も自由。風呂も毎日ではないが入れる。病棟内もどんどん歩く事もできる。ただ、患者と関係者しか入れないだけだ。父も夜の心配がなくなれば、開放病棟に移ることができる。ここはみんな普通に敷地内を散策したり、ラジオ体操やクラフト工作したりとかなり自由だ。また、ここが気に入ったのは、とにかく先生や看護師のみなさんがとっても笑顔が良く、優しいことです。父にはもちろん、家族にも気軽に声をかけてくれるので母も「精神科はちょっと・・」というイメージが払拭されたようで、ほっとしてました。6時になり、父が面談室に来たので、とにかく専門だからきっとよくなるよ、と声を掛けると、父も「今日はお前が来てくれて本当に助かった。これからも、母ちゃんのサポート頼む」と言って病棟に戻っていきました。外にでると、あたりはすっかり日が落ちてた。6時半だった。車に乗り込み、「とにかく、いい方向に向かってると信じて、今日はゆっくりしよう」と母に話した。母も「ここは、もし夜暴れても電話しません(つまり、強制入院に切り替えるため)、と言ってくれただけでもよかった」と言ってた。よほど、びくびくしてたのだろう。この後2人で近くの食堂で夕飯を取り、その後実家に寄った時、心配してた弟の嫁から電話があった。今日のおおまかな経緯と、病院が近くなった事。父も夜の事がなければ、全く問題ないこと、等を話すと安心して、何かあったらすぐ電話してくださいって言ってくれた。私も今から1時間少し掛けて家に帰る。母は何度もよかった、よかったと言ってくれた。私もこの転院という一連の出来事に関わる事が出来、本当によかった。帰りの道は、平日なので車は多いが流れてるので、お気に入りのミュージシャンの曲をガンガンかけて歌いながら帰った。おかげで日頃のいろんなストレスが発散できました。そして、翌日母から電話。「お父さんから朝電話があって、昨晩問題行動も出ず、ゆっくり眠れたって言ってたよ」と嬉しそうに話す。私も「本当?本当に大丈夫だったんだ!よかった~!!」と喜ぶ。夢みたい。約1ヶ月にこんな日が来るなんて考えもしなかった。痛みが我慢できず、薬に頼ったばかりに大きく回り道したけど、なんとか明るい兆しが見えてきた。今日も母が電話してきて「調子よかったら、外泊いいですよ、って言われたけど俺はまだ自信ないから断ったぞ、とお父さんが電話してきた」って言ってました。昼は薬は飲んでないようです。今日の電話で初めて「髪ぼさぼさだから散髪しようかな」とか「ジロー元気か?」と今まで自分の事でいっぱいだったのが、ようやく他の事に興味が出てきたみたいと母はびっくりしてました。とにかく父は回復に向かってると思います。早く治して、今まで苦労させた母をサポートしたいという父の願いはきっと叶うでしょう。やはり、常に良い方向へ・・と思ってると、自然に軌道修正されていくのでしょうか?どうであれ、今は普通に嬉しいです。普通って普通じゃないのを経験しないと、ありがたさがわからないですね。それが経験できた私は幸せものです。
2006.12.01
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29日仕事が休みだったので、前の晩お見舞いに行くからと電話を入れ、翌日は連絡無しで実家へ。11時に着いたが、母は留守。来るってわかってるのに・・と思ってたら母が3つの菓子箱をかかえて帰って来た。「なんで、菓子箱いるの?」と聞くと、「今日、別の病院に転院せんといかんと」と母。聞けば、28日の夜も本人は記憶がないのに、同じフロアの違う部屋を訪ねて回り、それを止めさせようとした看護師に手を挙げたとか。この時も母に電話があったが、不整脈の発作が出たからと言って、注射で抑えてもらったので行かなくて済んだが、翌日病院から電話があり、その時転院をおねがいされたと言ってました。転院の理由は、2人の先生が色々と薬を調整しながら投薬してたが、段々父の夜間徘徊がひどくなり、普通の病院では父の看護にも限界がある。又救急病院なので、急病人や、容態が急変する患者もいるのに、夜間の当直は2人。その日は、1人が父に2時間付きっ切りで、もう1人が急変した患者の手当てをしたらしい。母と病院に向かう約1時間の車内で、父との思い出をいろいろ話しながら、でもこの時の私達には希望は持つべきとはわかってても、どちらかといえばお先真っ暗という状態でした。病院に着き、父の病室へ。訳がわからずあちこちの病院に行き、薬を言われるまま飲んで、その結果がこの姿。白髪ばかりになって、頬もやせこけ、目も生気がない。私の顔見ても、声は沈んだまま・・・こんな状態で、父は転院を受け入れるのだろうか、と心配したが、母が説明すると、「昨晩も暴れたって言われたが全く記憶がない。このままじゃ先生達に迷惑かけるから転院する」と父。退院が決まったのが12時半。それから、2人の先生の紹介状作成、入院費の計算、薬の整理、処方やらでその病院をでたのが、2時15分。3時半までに次の転院先の病院で受付を済ませないといけない。そのC病院は幸いな事に、実家からバスで15分の所にある。しかし、今この地点からだと、高速で行かないと間に合わない。とりあえず、出発だ。後部座席の父にゆっくり横になってていいよ、といったものの、この地区を運転した事ないので、父もおちおち寝てられなかったのだろう、後ろからナビしてくれた。どうにか、都市高から本線へ。あとは快適に飛ばしながらあっという間に目的のI・Cへ。降りてから同じ位の時間走ると、やっとC病院に着いた。3時10分。急いで受付を済ませるとやっと母も安心したようだ。 <つづく>
2006.12.01
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