ゆっくりどんぐり  

ゆっくりどんぐり  

2015.02.01
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テーマ: 教育問題(409)
カテゴリ: おすすめ
早期英語教育の弊害(2/3)

《2》
 認識は、脳細胞が外界の反映で(赤ん坊のときは主に母親からの反映で)創っていく(創られていく)ものである。
 赤ん坊から幼児にかけて、そういう言語修得の基礎は、日本語を母語とする母親から、感情を込めて反映し、修得していくものである。ただ単に、われわれは機械装置からCDでも聞くようにして日本語を学んだのではない。

 ところがだ。英語はそうではない。日本の幼児にとっては、何の感情も伴わない言語である。あるいは妙な日本人的感情を持たない「へんな外人」がしゃべる言葉である。これは外人を差別しているのではない。

 考えても見られたい。われわれは母親から赤ん坊のときに「これはワンワンよ」とか「イヌよ」とか言葉をかけられながら教わったのだが、母親が「ワンワンよ」と教えてくれるときに、「かわいいわね」とか「撫でると喜ぶよ」とか「いっしょに楽しく遊ぼうね」といった快の感情と直接に教わっているのである。
 あるいは何か嫌なとか、怖いとかいうことについても、母親がやさしくフォローして、そういう嫌なことも学ばなければならないが、それを上手におさめるココロの働かせ方をも感情的に納得しながら覚えていくのである。
 換言すれば、反映の仕方すら学ばないと人間になれない。

 しかし、英語はそうではない。

 母親の教え方とは雲泥の差がある。小学校の教師だって、日本人なのだから母親と同じ日本人としての感情で、言葉やさまざまな知識を教えてくれる。外人はそうではないのだ。言ってみれば、ロボットに教わるようなものである。

 いったい、赤ん坊のときから人間の手でなくロボットに育てられたら、人間はまともに大人になるのか? 想像するだけで答えは出るだろう。
 外人教師にだって感情はあるぞ、子どもが楽しく授業を受けられるようにしているぞ、と反論する向きもあろうが、これはそういうことではない。たしかに外人にも感情はあるだろうが、日本人ではない、ということが大事なのだ。

 たとえば鮭は親が川を遡上して産卵し、生まれた稚魚はしばらく川で育ったあとで、大海に出ていくではないか。幼児期には川で育つ必要がある。だから日本人がいずれ国際社会に出ていくとしても、まずは言語の修得と日本人としての感情を直接に(切り離すことなく)学ぶ必要があるのである。
 幼児期に英語を修得させようとすることは、生まれたばかりの鮭の稚魚をどうせいずれ大海に出るのだからと、海に放流するようなものである。

 サケならもしかしてそれでも適応するかもしれないが(むろんあり得ない)、人間の教育は親がその民族の感情で育てなければならないものである。人間は動物ではなく、認識的実在だからであり、認識は必ず感情像(好きとか嫌いとかの感情をともなった像)になるからである。
 子どものときに英語をやって、その(希薄な?)言語で感情を覚えさせてはいけない。

 また、認識の働きとは対象をわれわれの感覚器官に反映して、それが像として描かれる。この像を認識というのだ。認識は像である。
 像が五感器官を通して反映し、形成される。すなわち実体があって反映されるのが正常だ。
 ところが天下の秀才ほど、実体抜きの反映を好んでやり、またそれが技化している。



 誰だって、幼いながらも「ドッグ」「キャット」などと言えば褒められると分かれば、その期待に応えようとしてしまうだろう。それが幼稚園や小学校でやっている「点数をとらせること至上主義」だ。
 母親が実際に手で触れさせたりしてイヌやネコを、「かわいいね」と教えながら分からせた言葉は本物になるが、英語はそうではない。

 これこそが、アタマの中でウソの像を創る作業なのだ。実物で、良い感情とともに、あるいは社会性のなかで、本物の像を創らなければならないのに、アタマの中でウソが創られる。
 先にも述べたが、ここで「良い感情」とは言ったが、人間には嫌な感情も怖い感情も起きるのだから、それを親はしっかりと本物の像として教えなければならないし、そういう嫌な感情をどう鎮めていくか、忘れていくかなども教わらなければならない。

 一次方程式なんてものは、われわれが学校で教わるときに、何か現実の、実体の、像があるか? あるわけがない。本当はその一次方程式も実体を数式化したものだが、もはや実体とは相対的に独立してしまったものを、われわれは計算問題として解かされる。


 子どもが始めからアメリカで育ち、アメリカ人として生きていくのなら結構であろう。日本にいることをただちに止めて、アメリカに移住したほうがいい。

 幼児期から英語を習わせるから、家庭で親子の会話がなくなりもするのだ。子どもは親と距離を置くようになる。当たり前だ、日本人としての感情がまともに育っていないからだ。親のほうは幼児期から日本文化と日本語のなかで感情を創ってきた人間なのに、子どもは中途半端。これでは齟齬が生じる。

 その親子の間隙を埋めるには、親が子どもに降りていって、感情を育てなおすしかあるまいが、そんなことをやる親はめったにいない。生活に忙しくて、子どもにかまっていられないし、面倒だから時間があればテレビにかじりついているだけ。子どもは独りでテレビゲームに熱中する。あるいは勉強に熱中する。親は、子どもが問題を起こさないし、おとなしくていいや、などと放っておく。
 そこからしだいにココロの歪みが進行する。やがて鬱になったり、ココロの病になったりする。

 そういう子が、せっかく一流の大学に入ったはいいけれど、一人立ちして現実に対応しなければならない時期になって、愕然とするのである。人に挨拶ができない。友だちの冷やかしに傷ついてしまう、仲間に入れない、失恋すると立ち直れない…とこういう事態になるのである。

 これが早期英語教育のあわれな結末とも言えないこともないのだ。
 だから、どうせ英語が必要になるんだから、早くから学習させてしまえという、文科省の木っ端役人や教師ども、教育評論家どもがいかにドアホか分かるであろう。

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最終更新日  2015.02.01 16:12:37
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