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「丑三つの村」 1983年 日本映画監督 田中登出演 古尾谷雅人 田中美佐子 五月みどり 池波志乃 大場久美子 戦時中、津山事件あるいは津山三十人殺しといわれる悲惨な事件がありました。昭和13年、岡山県津山市近隣の山奥の村で、夜中、1人の青年が村人を殺しまわったという事件です。1度の事件での死者が30人というのは、我が国の犯罪史上最も多い被害者だそうです。(オウムの地下鉄サリン事件の27人より多いそうです。) 僕がこの事件を知ったのは、山岸凉子先生の「負の暗示」(初出1991年『YOU ALL』No.9、秋田文庫「神隠し」収録)というマンガでした。山岸凉子先生は、「日出る処の天子」以来のファンで、ほぼすべての単行本・文庫本を所持しています。人の狂気や死などをテーマに心理的な描写を大切にして描く先生の作品、特に短編が気に入っています。そういえば以前、「鬼子母神」という作品を、「ブラックスワン」の紹介の時に話題にあげましたね。 そのマンガを初めて読んだときは知らなかったのですが、のちに実際にあった事件だということを知り、驚愕したことを覚えています。 今日、YouTubeで偶然、この映画を見つけて、こんな映画があったんだ、と思い、つい観てしまいました。 昭和の戦時下、岡山の寒村に祖母と2人で暮らす青年・犬丸継男(古尾谷雅人)は、村一番の秀才と一目置かれていました。ある日、村の男たちが夜這いをしているという事実を知り、彼もこれに溺れるようになります。 徴兵検査を受けた継男は、当時の医学では不治の伝染病として忌み嫌われていた肺結核と診断され丙種合格となり、“名誉の出兵”が適わなくなります。このことが村人達に知れ渡り、女たちも彼を役立たずと馬鹿にするようになります。 村八分のような状況となった彼から、幼馴染のやすよ(田中美佐子)も離れ、次第に追い詰められた彼は村人達に対して、復讐を決行するのです。 継男は、両親を早くなくし、年老いた祖母と2人暮らしです。(姉もいたようですが、村の外へ嫁に行っているようで、出てきません。)小さいころから病弱で、学校も休みがちでしたが、成績は良かったようで、村人たちからは一目置かれていました。しかし、病弱なことを理由に、上の学校(バスに乗って村の外へ通わなければならないらしい。)へ行くことはかなわず、自宅で師範学校へ行くための検定試験の勉強をしていますが、本人は先生になるより、次節がら兵隊になってお国のために戦うことを切望しており、勉強になかなか身が入らないようです。そんな中、村の男たちがひそかにやっている夜這いの存在を知り、それに溺れていくことになります。 ところが、徴兵検査で肺結核と診断され、丙種合格(入営不適、民兵としてのみ徴用可能。実質上の不合格)となってからは、村人たちから疎まれるようになっていきます。そして、唯一優しく接してくれていたやすよ(田中美佐子がとってもかわいいです。)が別の男のところへ嫁に行ってしまい、つもりつもった不満が爆発してしまうのです。 マンガでは子どものころのことから描かれており、病弱なため甘やかされて育ってきているとか、学校では成績がいいことで優遇されてきているなど、彼(マンガでは春雄という名前です。)が、いかにプライド高い自己中人間に育ってきたかが非常にわかりやすいのですが、映画では、子ども時代の描写がなく、その辺のことは村人たちの会話の中で語られているだけなので、マンガを知らないでこの映画だけを観て、継男の心情などがどこまで伝わるのか、自分にはわかりません。 しかし、常に何かを考えているような暗い表情(地顔かもしれないけど)や、だんだん異常な輝きを見せるようになるアップになった時の彼の眼、犯行中の異常なハイテンションな様子など、古尾谷雅人の卓越なる演技力が説得力を与えているでしょう。彼が存命していたらと思うと、非常に残念に思います。 それから、夜這いの描写が不可欠なこの映画、五月みどり・池波志乃・大場久美子などの女優陣が、肌もあらわに、体を張って頑張っているのも、素晴らしいと思いました。当時20代前半のはずの田中美佐子も、非常にかわいらしい姿態を見せて頑張ってますよ。 ということで、思いがけずYouTubeでなかなか面白い作品を観てしまいました、というお話でした。 もちろん、夜這いの描写が結構露骨ですし、最後の犯行の様子などなかなか生々しいので、成人映画(R-18指定)で公開された映画です。よい子は見てはいけませんよ。(なぜYouTubeに存在できているのかは不明です。)
2016.04.26
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「ギャング・オブ・ニューヨーク」 Gangs of New York 2002年 アメリカ映画監督 マーティン・スコセッシ出演 レオナルド・ディカプリオ キャメロン・ディアス ダニエル・デイ=ルイス リーアム・ニーソン やっとディカプリオがアカデミー賞の栄冠に輝きましたね。今彼は41歳まさに脂が乗りきったところという感じでしょうか。その受賞記念というわけではないですが、今回は彼がマーティン・スコセッシ監督と初めてコンビを組んだ作品を紹介します。スコセッシ監督はこれ以降、ロバート・デ・ニーロとの長年のタッグを解消して、ディカプリオとばかり組んでいます。 ゴールデングローブ賞の監督賞、英アカデミー賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)を受賞していますが、米アカデミー賞では、10部門にノミネートされながら、受賞は0でした。(相変わらずスコセッシ監督は嫌われ続けていました。「千と千尋の神隠し」が長編アニメ賞を受賞して話題になった回です。) 1846年、ニューヨークのファイブ・ポインツでは、アメリカ建国以来の住人である“ネイティブ・アメリカンズ”とアイルランド移民で構成される“デッド・ラビッツ”の抗争は熾烈を極め、街の利権を賭けて最後の戦いが始まりました。 壮絶な戦いの末、“デッド・ラビッツ”のリーダーであり、少年・アムステルダムの父親でもあったヴァロン神父(リーアム・ニーソン)が“ネイティブ・アメリカンズ”のリーダー、ビル・“ザ・ブッチャー”・カッティング(ダニエル・デイ=ルイス)に殺され、“ネイティブ・アメリカンズ”の勝利で抗争は終結します。アムステルダムも捉えられ、少年院に投獄されてしまいました。 16年後、成長したアムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)はファイブ・ポインツへ帰ってきました。しかし、そこは“ネイティブ・アメリカンズ”が牛耳る腐敗した町となっていました。 アムステルダムは素性を隠したまま“ネイティブ・アメリカンズ”へ入団し、やがて持ち前の才能と度胸でめきめきと頭角を現し、リーダーのビルにも一目置かれる存在へとなっていきます。 そんな中、アムステルダムは女スリ師のジェニー(キャメロン・ディアス)と運命的な出会いを果たします。互いに惹かれ合い始める2人であったが、アムステルダムの素性がばれ、 私刑にあい、“ネイティブ・アメリカンズ”を追放させられてしまいます。 イギリス系プロテスタント移民“ネイティブ・アメリカンズ”とアイリッシュ・カトリック移民“デッド・ラビッツ”の対立、南北戦争への徴兵制反対暴動など、創成期のアメリカの負の歴史が描かれており、非常に暴力的で血生臭い描写が多く、そういうのが苦手な方にはちょっとお勧めできない映画です。 実際、アメリカ建国の創成期には、各地でこのような覇権争いがあったのでしょうか、同じ民族で徒党を組むとか、町の覇権を握るとか、はっきり言って、僕自身全く興味のない話で、いったい何を争っているのか、まったく意味わかりません。なんで人よりも頭が出なければいけないのか、なんで自分の領土を広げたいと思うのか、なんでちょっと毛色が違うからと言って排除しようとするのか、それぞれの個性を認め合って、仲良く平和に暮らし、それぞれが細々と幸せに暮らしていければいいじゃん。世界で争い事が起きるたび(大体その中心にアメリカはいますけどね。)に、いつもそう思っている僕としては、まったく感情移入できない映画です。 そんな中、観るべきは、アカデミー賞3回受賞の名優ダニエル・デイ=ルイスです。彼が演じるのは、“ネイティブ・アメリカンズ”のリーダーとして、ファイブ・ポインツを恐怖政治で影から牛耳っていたビル・ザ・ブッチャーです。 出てくるだけでその場を支配する、その圧倒的存在感は半端ないです。ディカプリオもキャメロン・ディアスも、もう食われっぱなしです。本当は主演はディカプリオなのに、アカデミー主演男優賞にノミネートされるのも納得です。(ちょっと皮肉。) まるでハリウッドザコシショウのようですね。(すみません、実は先週観れなかった「R-1グランプリ」をYou Tubeで、さっき観たばかりだったので。) ということで、ディカプリオとスコセッシの初タッグ作品は、映画に出ると必ずどこかで賞をもらってしまう名優に支配されてしまったというお話でした。 ところで、僕が今、次の単行本が出るのをひたすら待ち焦がれている漫画が原作の映画「海街diary」が日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝いたそうですね。原作は、とってもいいお話なので、その映画が作品賞受賞ということは、原作を見事に描き上げたということですかね。今非常に観るのが楽しみです。(でも、例によって、僕が観るのは1年後ぐらいですけどね。)以前、4姉妹の配役がちょっとイメージと違うということを、このブログで書きましたが、是枝監督、すみませんでした。
2016.03.13
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「アメリカン・ドクターX」 American Mary 2012年 カナダ映画監督 ジェン・ソスカ、シルヴィア・ソスカ (Twisted Twins)主演 キャサリン・イザベル では、いつもの無名映画紹介コーナーです。 今回は、どこかで見たような題名のこの作品です。いつもの夢○書店のサスペンスコーナーで見つけました。日本未公開作品ですが、どうやら、各国のファンタスティックな映画祭などで、いろいろと賞をもらっているようです。 貧乏な苦学医大生のメアリー・メイソン(キャサリン・イザベル)は、夜中に七面鳥で手術や縫合の練習をするほどの勉強家でしたが、携帯代を滞納していました。彼女は給料の高いストリップバーの求人に応募します。面接中、店長ビリーの手下の緊急手術を依頼され、5000ドルの報酬を手にします。 翌日、そんなメアリーに、ベアトレスという女から連絡が入ります。彼女は全身を改造しているダンサーで、友人の改造手術を頼みたいと言います。その友人ルビーの依頼は、乳首と陰部の手術をして人形のようになりたいということでした。メアリーは、高額な料金に、一回だけとルビーの手術を行います。 病院研修の最中、メアリーは、担当指導医に誘われ、外科医のパーティーに参加します。そこで、いつも彼女にだけキツく当たる教授に薬を盛られてレイプされてしまいます。 メアリーは、ビリーに頼んで拉致した教授に復讐をし、学校を退学し、そのまま肉体改造専門の闇医者となり、その確かな腕前から“ブラッディーメアリー”と呼ばれ、その筋では有名人になっていくのです。 世の中には、タトゥーやピアス、通常の美容整形などでは飽き足らず、スピリッド・タンと呼ばれる舌を蛇のように二又にするとか、シリコンなどの異物を埋め込んで角を作るとか、いわゆる肉体改造と呼ばれることを好んで行う人々がいるそうです。当然そういった手術を行うには通常の医療ではなく何らかの違法行為が行われているはずで、全くそんな世界には縁がない田舎のおじさんには計り知れませんが、現実にそういう世界があるみたいです。そんな闇社会に落ちていく女子医大生をリアルに描いたということで、ある意味すごい作品だなあ、と思います。 主演のキャサリン・イザベル、とてもきれいな顔立ちで、スタイルもよく、非常にセクシーなお嬢さんですが、なんとなく影がある、独特な雰囲気を持った女優さんで、この作品のヒロインにはぴったりな子ですね。僕は苦手なのでよく知りませんでしたが、ホラー系の作品に結構出演している女優さんのようです。 ところで、ひとつ気になることがあります。 それは、邦題です。皆さんおわかりなように、どこかの人気ドラマによく似たこの邦題、問題ありありではないでしょうか。 あの、「私、失敗しないから。」というセリフで有名な人気ドラマ、もちろん日本のTVで放映していた番組ですから、この映画のように違法な闇社会を描いたものではなく、ちゃんとした表の医療の世界を描いた物語のはずです。(例によって、日本のTVドラマがあまり好きではない僕は観ていないので、詳しくは知りませんが。) そんな人気ドラマのファンの普通のおばさんや純粋な高校生などが、この邦題につられて観てしまい、常識では理解しがたい肉体改造の世界を見せられてしまったら、どうなるでしょうか。もしかしたら、今まで全く知らなかった世界に魅せられて、危ない世界に走ってしまうのではないでしょうか。下手をしたら、平凡で平和な家庭を崩壊させてしまうことになるのではないでしょうか。 この日本ではさすがに一般受けはしないだろうということからか、劇場未公開の映画ですが、DVDとして発売する段になって、邦題が必要ということになり、「凄腕できれいな女外科医の物語だから、“ドクターX”でいいんじゃない?わかりやすいし、のせられて買ってくれれば儲けものじゃん。」とかいう軽いノリでつけられたんじゃないですか??? いい加減、内容をよく考えずに、軽率に邦題をつけるのやめてくれません? ということで、はっきり言って異様な世界を描いた物語です。決してあの人気ドラマのファンだからと言って、軽い気持ちで観るのはやめてくださいね。カルチャーショックに陥ることになりますよ。 ところで、監督のジェン・ソスカ、シルヴィア・ソスカの2人、Twisted Twinsという名で主にホラー映画を製作している、カナダのインディーズ・プロダクションで、ある筋では有名な双子だそうですね。 この映画では、監督兼女優として、メアリーに異様な改造を依頼に来る双子の役を演じています。(3枚目の写真の2人です。どっちがジェンでどっちがシルヴィアかわかりませんけど。)
2016.02.08
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「俺たちに明日はない」 Bonnie and Clyde 1967年 アメリカ映画製作・主演 ウォーレン・ベイティ監督 アーサー・ペン脚本 デヴィッド・ニューマン ロバート・ベントン出演 フェイ・ダナウェイ ジーン・ハックマン アメリカン・ニュー・シネマの作品は、結構好きで、このブログでも、「タクシードライバー」「卒業」「真夜中のカーボーイ」と紹介しています。 今回は、その先駆けとなった記念すべき作品です。 デヴィッド・ニューマンとロバート・ベントンが、“ボニーとクライド”という禁酒法時代の実在のギャングのことを書いた本に感銘を受け、書き上げた脚本を、当時仕事が無くて困っていた、シャーリー・マクレーンの弟、ウォーレン・ベイティが惚れ込み、ワーナー・ブラザーズの社長を口説き落とし、製作にこぎつけた作品です。 普段の生活に退屈していた、田舎町のウェイトレスであるボニー・バーカー(フェイ・ダナウェイ)は、刑務所から出所してきたばかりというクライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)と意気投合します。クライドが彼女の面前で食料品店の強盗を働くことで更に刺激され、 2人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになっていきます。 2人で旅をするうちにボニーはクライドにますます惹かれていきますが、クライドは自分が恋人になるような男じゃないと言って彼女を拒絶します。 ある夜ボニーはクライドの体を求めるのですが、インポテンツのクライドは女嫌いと言って、彼女を避けたため、ボニーは失望します。これはクライドにとっても寂しいことであったが、それでも2人のお互いに対する愛情は変わりませんでした。 やがて強盗を続けるボニーとクライドに、頭の鈍いガソリンステーションの店員C・W・モスが車の整備係として仲間入りをし、更にクライドの兄バック(ジーン・ハックマン)と彼の妻ブランチも一行に加わり、ボニーとクライドの強盗団はバロウズ・ギャングとして新聞で大々的に報道されるようになるのです。 1930年代のアメリカ、世界恐慌と禁酒法で、アメリカ全体が沈んでいた時代、銀行を襲い、州をまたいで逃げ回り、警察をほんろうした“ボニーとクライド”は、人々の日頃の憂さを払うように、アンチヒーローとして、民衆に支持されていたようです。 そんなアウトローな2人の姿を、明るく軽快な感じで描き出し、あからさまな性描写や、殺人の描写など、当時の夢物語風ハッピーエンドばかりの映画界においては、斬新かつ画期的な映像もあり、そして、現代でも語り継がれる、衝撃的なラスト。(あまりにも有名なラストなので、今さらという気がしないでもないですが、一応、ネタバレにならないように、隠しておきます。) 銀行を襲い、力ずくで金品を奪っていく、目障りな警備員や警官は殺したりいたぶったりする、考えてみたら、とんでもない悪党なわけですが、軽快な語り口で、痛快な感じを与え、ついその悪党たちに感情移入してしまいます。 後半、彼らは窮地に陥り、そして凄惨なラストへ向かって行くのですが、何とか逃げられないだろうかと思ってしまっている自分がいることに気付かされ、ラストは凄惨なはずが、スローで描写されていることもあり、まるで美しいダンスを観ているかのような感じさえ受けてしまいます。 今でこそ、拳銃を乱射したり、血が噴き出したり、死にゆく人がアップになったり、裸の男女がベッドで絡み合ったり、といった描写は珍しくありません(まあ、R指定されたりすることはありますが。)が、“観客に夢と希望を与える”ことに主眼が置かれていた、当時の夢物語全盛のハリウッドにおいて、そういったバイオレンスや、性的な描写はご法度だったわけで、現代、様々な分野の映画が作られ、日々新しい映像が模索されている現状を鑑みるに、アメリカン・ニュー・シネマがハリウッドの発展に果たした役割は大きかったのではないでしょうか。 そんなハリウッド映画の新しい可能性を切り開いた歴史的分岐点に位置する映画を、今回は紹介しました。今はもう古い映画になってしまいましたが、なかなかどうして、今でも十分楽しめる映画です。 ところで、「俺たちに明日はない」という邦題、当時はこういう風に別の邦題をつけるのが当たり前だったのかもしれません(“Butch Cassidy and Sundance Kid”が「明日に向かって撃て」ですから。)が、確かに“言い得て妙”という感じはしますが、なんか古臭い感じがして、僕は好きではありません。原題のまま、「ボニー&クライド」でよかったと思います。(きっと今なら、原題のままだったでしょうね。)
2012.12.01
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「ファイトクラブ」 Fight Club 1999年 アメリカ映画監督 デヴィッド・フィンチャー出演 エドワード・ノートン ブラッド・ピット ヘレナ・ボナム=カーター この映画、題名とブラピが上半身裸で殴り合うシーンが印象的な劇場公開当時のTVCMのイメージから、アンダーグラウンドな闇喧嘩ファイト(「Xメン」でウルヴァリンが登場した時にやっていたようなやつ)の世界を描いた男くさい映画だと、勝手に思い込んでいました。 ところが、前に「マシニスト」の記事を書いた時に、「マシニスト」をネットで検索していたら、やたらとこの「ファイトクラブ」と比較されていて、「え、どんな映画なの?」と、非常に気になっていました。 そして最近、この「ファイトクラブ」が、あの「セブン」のデビッド・フィンチャー監督作品だということを知り、これは、只者ではないな、と思い、いつものレンタルビデオ屋で、借りてみました。 主人公の「僕」(エドワード・ノートン)は自動車会社に勤務し、全米を飛び回りリコール調査の仕事をしている平凡な会社員でした。高級コンドミニアムに、有名デザイナーによるイケアのブランド家具、職人手作りの食器、カルバン・クラインやアルマーニの高級ブランド衣類などを強迫観念に駆られるように買い揃え、雑誌に出てくるような完璧な生活空間を実現させ、物質的には何不自由ない生活を送っていました。しかし、一方で、僕の精神は一向に落ち着かず、不眠症という大きな悩みがありました。 僕は精神科の医者に苦しみを訴えるが、睡眠薬を処方してもらえず、医者に「世の中にはもっと大きな苦しみを持ったものがいる」と言われ睾丸ガン患者の集いを紹介されます。 その会で睾丸を失った男たちの悲痛な告白を聞いた僕は、自然と感極まり、睾丸ガン患者のひとりの胸を借り、号泣してしまいました。これを契機に不眠症は改善していきます。 これが癖になった僕は末期ガン患者や結核患者などの自助グループにニセの患者として通うようになりますが、僕と同様に偽患者として様々な互助グループに現れる女・マーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)と出会い、どう見ても不治の病を患っているように見えない彼女が会に参加することで、泣くことができなくなり、再び不眠症が悪化してしまいました。 そんなある日、僕の出張中に自宅のコンドミニアムで爆発事故が起こり、買い揃えた家具もブランド衣服も全てを失ってしまいます。 家の無くなった僕は、出張途中の機内で知り合った石鹸の行商人・タイラー=ダーデン(ブラッド・ピット)に救いの手を求めるしかありませんでした。 バーで待ちあわせたタイラーという男は、僕とは正反対の性格で、ユーモアあふれる危険な男でした。 タイラーはバーを出た後、駐車場で僕にある頼みをします。「力いっぱい俺を殴ってくれ」。そして僕と彼は、ふざけ合いながらも本気の殴り合いを始めます。 殴り合いでぼろぼろになった2人は、痛みの中で生きている実感を取り戻した気になり、タイラーの住む廃屋で、一緒に暮らすようになります。 そして、僕らは時々同様の殴り合いをするようになっていき、それを見ていた酔っ払いが殴りあいに参加し始め、やがて駐車場での殴り合いは毎晩のように行われるようになり、場所を地下室に移し、大勢の男達が集まる1対1の「ファイト(喧嘩)」を行う集まりへと変わっていきました。 タイラーはこれを“ファイト・クラブ”と呼び、全員が公平に殴り合いに参加するためのルールを作っていくのでした。 なるほど、「マシニスト」と同じ、不眠症の男の話でした。 エドワード・ノートンが演じる主人公の男(この男、実は全編を通じて、名前が出てきません。彼の独白という形で作られているので、エンドクレジットでも、ナレーターとなっています。でも、終わってみれば、それが意味があることだとわかりますが、ここでは語らずにおきましょう。)、見るからにまじめな仕事一筋の草食系の男です。平凡な顔立ちのノートンにぴったりです。 そんな彼が、仕事のストレスからか、不眠症になり、難病に苦しむ患者たちの自助グループの集まりに参加する(もぐりこむ?)ことで、癒されるのですが、同じように病気でもない(いくらなんでも睾丸ガンは絶対違うでしょう。でも、彼女は、あの人たちと同じように私も睾丸はないし、とか言っていますが。)のに自助グループに潜り込んでいるセクシーで派手な女マーラ(変な女をやらせたら天下一品のヘレナ・ボナム=カーターです。最近内縁の夫のティム・バートン作品だけでなく、いろいろな作品でいろいろな女を演じています。わがままな女王様から、悩む夫を支える王妃、貧乏のどん底でけなげに頑張る優しい母、惚れた男の犯罪をけなげに助ける女、そして悪い魔女、そのどれもが存在感たっぷりで見事です。)が気になって、また不眠症がぶり返してしまうのです。 この主人公の男、まじめな性格で、非常に神経質なようです。 そんな神経質な男が、タイラーという、自分とは正反対な、積極的で肉体的で自分勝手で破天荒な男(はっきり言って、ブラピが得意なちょっといっちゃってる男です。)と、生活を共にするようになり、心が癒されていくのです。ただ、タイラーと同じような破天荒になっていきますが。 やっぱり、まじめで神経質な人間は、精神を病んでしまうことが多いようですね。ちょっとした変化についていけないとか、人の言動が気になるとか、失敗を深刻に考えすぎてしまうとか、期待に答えようと実力以上に頑張りすぎてしまうとか、精神的に自分自身を追いつめてしまうんでしょうね。 この映画のタイラーほど、自由すぎるのも問題ですが、ある程度は息抜きをすることが、精神的な健康を維持するには大切なことでしょうね。 僕なんか、いつもいい加減なことばかりしているもんだから、周りからも期待されず、過度のプレッシャーは全くなく、いつもだいたいなことばかりやっているので、精神的には非常に楽な状態です。 だいたいが、人間のやることですから、いつもいつも100%の力を使う必要はないですよね。いつもは50%位に抑えておいて、イザというときに120%の力を出せればいいと、僕なんかは考えているのですが、どんなもんですかね。 ということで、主役3人の演技が素晴らしく、話し全体の構成も面白く、脚本もなかなか面白く、最後に「ああっ」(「あっ」ではない。)と思わせてくれた、なかなかの逸品を今回は紹介しました。 ところで、ブラピって、フィンチャー作品によく出ている気がするけど、お気に入りなんですね。やっぱり、いっちゃってる演技が最高だからですかね。僕は「12モンキーズ」と「バーン・アフター・リーディング」と「イングロリアス・バスターズ」のブラピは好きです。「バベル」や「ベンジャミン・バトン」のブラピは、まじめすぎて、いまいち好きではありません。
2012.11.24
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「タクシードライバー」 Taxi Driver 1976年 アメリカ映画監督 マーチン・スコセッシ出演 ロバート・デ・ニーロ ジョディ・フォスター スコセッシ、デ・ニーロの名コンビの、最初期の出世作です。ほんと名コンビですよね、これほどの名コンビは、あとティム・バートンとジョニー・デップくらいしか知りません。でも最近、スコセッシはレオナルド・ディカプリオがお気に入りのようですが。 今回は、言いたいことを述べるために、ネタばれ承知で全編のあらすじを書かせていただきます。これから観たい方は、読まないでください。 ベトナム帰りの元海兵隊員トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は、極度の不眠症のため、タクシードライバーの仕事に就きます。ニューヨークの夜の街をイエローキャブで流すのです。 トラヴィスは、次期大統領候補パランタインの事務所の職員で、上品で知的な美人ベツィを、デートに誘います。行った先はポルノ映画館、ベツィは怒って帰ってしまいます。 ある夜、トラヴィスは偶然パランタインを乗せます。大統領候補に「今アメリカの問題点は?」と聞かれたトラヴィスは、「このゴミためのような街をきれいにしてほしいですね。大統領なら水洗便所を流すようにきれいにできるはずです。」と答えます。 また、ある夜、女の子(ジョディ・フォスター)がタクシーに乗り込んできて叫びます。「早く出して!」トラヴィスが戸惑っていると、男が連れ去ってしまいました。 ある中年の男の客(なんとスコセッシ監督本人)は、到着地でメーターを止めさせず、車から降りずに語ります。「2階の窓に女の影が見えるだろ、おれの家内さ。あれは他人の家だ。家内は殺す。44口径のマグナム拳銃で殺す。粉々に吹っ飛び何も残らん。」 トラヴィスは先輩の男に語ります。「落ち込んでる。ここから飛び出して、何かをやってやる。何かをやりたいんだ。」先輩は答えます。「どうせ俺たちは負け犬さ、俺たち運転手に何ができる。あまり気にするな、それが第一さ。」 それからトラヴィスはヤミで拳銃を4丁買い、射撃練習をし、体を鍛え、引き出しのレールを使って銃が手元に飛び出す装置を作り、そして「You talkin’ to me?(誰に言っているんだ?)」とつぶやきながら、銃を構える練習を繰り返します。 コンビニでトラヴィスが買い物をしていると、銃を持った強盗が現れます。トラヴィスは持っていた銃で強盗を射殺します。店員はトラヴィスを逃がし、「今月はこれで5回目だ。」と言いながら、死体を殴るのです。それからのトラヴィスは銃を持ったままTVを見るようになります。 ある日、トラヴィスは街でいつかの少女を見かけ声をかけます。ひものマシューズの許しをもらい、少女アイリスとホテルの部屋へ行きますが、12歳と聞いて、抱こうとせず、助けたいと説得します。説得に応じないアイリスと翌日食事の約束をし、帰ります。しかし、翌日も説得できませんでした。 パランタインの演説会が街角で行われます。トラヴィスは体中に拳銃とナイフを仕込み、頭をモヒカンにして現れますが、SPに察知され、逃げるしかありませんでした。 その夜、トラヴィスは、アイリスのいる売春宿を襲います。マシューズや元締めたちを殺し、自分も重症です。泣いているアイリスの横で、自殺しようとしますが、弾切れでした。警官が踏み込んできますが、抵抗することはできませんでした。 次の場面、家出少女の帰還に感謝する両親の手紙が声で流れる中、トラヴィスの写真入りの新聞の切り抜きが壁に貼ってあるのが映ります。そして、トラヴィスのタクシーのお客はベツィです。「新聞見たわ」というベツィの眼には、尊敬のまなざしがうかんでいますが、トラヴィスは料金を受け取らずに別れます。 少女は無事両親のもとへ帰り、トラヴィスは、重症だったが命は助かり、アイリスの両親に感謝され、英雄的に報道されたおかげなのか、3人も殺害しているのにもかかわらず、罪に問われず職場復帰し、思いを寄せていたベツィからも見直されます。このハッピーエンド、違和感ありありです。全編にわたって流れる暗い雰囲気からすると、売春宿の血まみれの現場で、ぷつっと終わって、トラヴィスは死んだのかな、最後まで報われなかったな、ベトナム帰還兵は、やっぱりまともには生きていけないんだな、という方が合っていると思うんですが。 でも、忘れてはいけません、最後にベツィを降ろした後、バックミラーに映るトラヴィスの目の怪しい光を。トラヴィスはアイリスを解放しただけで、悪人を3人やっつけただけで、英雄的に報道されただけで、満足はしていないでしょう。トラヴィスの希望は、都会の闇にうごめく汚いゴミを一掃することでした。売春婦や殺人者や強盗やジャンキーやヤクの売人やチンピラや浮浪者や家出人やホームレスなどを、すべて憎んでいるのです。それを、自分が何かやることで、改善したいのです。最後の眼の光は、まだ何かやるぞという意味なのではないでしょうか。もちろんそれは、大統領候補を襲おうとしたように、たいへん不器用なやり方だと思われますが。やっぱりまともではないですからね。今回の事件で罪に問われなかったことから、上手くやれば捕まらないんだと思ってしまったかもしれません。実は、本当の地獄はこれから始まるのではないでしょうか。 ところで、このエンディングの違和感、公開当時から話題だったみたいで、別の説があるそうです。それは、この最後の場面はトラヴィスの妄想だという説です。つまり、やはりトラヴィスはここで死んでおり、死ぬまでの数分間の間に見た、頭の中の風景だというのです。なるほど、それは理にかなっている。確かに最初観たとき、トラヴィスは首に銃弾を受けて、すごい出血して、死んだなと思いました。しかも、トラヴィスにとって都合のいいことばかりなのです。その説もいいなあ、と思ってしまいました。 この映画は、カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)をはじめ、数々の賞を受賞していますが、米アカデミー賞では、作品・主演男優(もちろんデ・ニーロ)・助演女優(もちろんジョディ)・作曲の4部門でノミネートされていますが、すべて選ばれませんでした。いわゆる「スコセッシの呪い」の始まりです。ジョディ・フォスターはこのとき作中とほぼ同じ13歳でした。後に主演女優賞を2回ももらっています。さすがです。
2011.08.06
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