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一部の方が指摘されているように、昨年後半の私の日記は、低次元のミスリードに対する反論や批判に使われることがあった。 時間と手間を考えれば、実にもったいないことだと思う。読む人にとっても、いい思いはしなかったかもしれない。 しかし、それらを無原則に放置していると、その寛容さが誤解され、いつしか「黙殺」が「黙認」と解釈されてしまわないとも限らない。それはさらなるミスリードにつながりかねないので、ときにはコメントしておきたいと思ったわけだ。 やはり書くべきときは書かなければ伝わらない。 で、相変わらず誤読で目立つのが、この日記を「専業主婦VSキャリアウーマンの対立」ととらえているパターンだ。 その人に言わせると、自分はそういう枠組みや対立がノーサンキューだから、この日記を認めないという。「なんちゃってSOHO」の仕事上の誤りを指摘することが、どうしてそういう解釈になるのか、私にはわからない。 私は、そう考えるその人自身が、実は「専業主婦VSキャリアウーマンの対立」なる呪縛から自由でないのだろうと考えている。 そして、自由になれない自分の苛立ちが、この日記に対する八つ当たりとしてあらわれるのだと思う。 前回も書いたが、「なんちゃって」というのは誰もがいつ陥るかもしれない可能性がある。 仕事を甘く見てはならないのは、独身であろうがパラサイト何とかであろうが専業主婦であろうが、キャリアウーマンであろうが同じ。もちろん、性別も年齢も関係ない。 現象として、現役から遠ざかっていた主婦は間違いを犯しやすいし、家庭におさまっている気楽さが仕事に取り組む姿勢を甘くすることもある。だから、「主婦SOHO」という表現を私はしばしば使ってきた。だが、その本質は決して「主婦だけの問題」ではない。 そんなこと、いちいち解説しないとわからないのだろうか。 そうかと思えば、専業主婦=家庭が幸福、キャリアウーマン=不幸、という紋切り型のレッテルを貼り、私が不幸の部類に入るから怨念の日記を書いているとのギミック作りに熱中している人もいる。 私は、何が何でも不幸な人でないといけないらしい。 これを実際に書いているのが女という証拠はどこにもないし、書き手が複数かもしれませんよ、と親切にバーチャルな場の曖昧さを教えてやっているのに、「いいえ、女に違いない」と必死に頑張っている(笑) 女に違いないと頑張るのも、男だと決めつけるのもナンセンスだといってるのに、なぜわからないのだろう。 だいたい、専業主婦でありさえすれば幸福になれるわけではないし、家庭が嫌だから働くというのものでもあるまい。面識もない他人に向かって「お前は幸せ(不幸せ)」などとお節介な評価をくだすことに何の意味がある。 ひっきょう、その人自身が満たされないから、そんなレッテルと固定観念で他人を貶してオノレの黒い心を慰めるしかないのかもしれない。
2004年01月16日
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