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チャオプラヤー川を渡し船で渡り、対岸のティワーノン通り始点船着き場に降り立ちました。まっすぐに伸びた通路を出ると、目の前にも真っ直ぐな通りが。これがティワーノン通りってことかな?通りの両側にタイの国花、ラーチャプルックが黄色い綺麗な花を咲かせています。ラッキーなことに、バスが停車してるじゃないですか!どうやらここ始発の路線で90番と書いてあります。何も下調べせずに渡って来たので、この先の交通機関があってホッとしましたよ~(笑)でも次に発車するのがどのバスか分からず、他のお客さんとともにウロウロ。親子がくつろいでるバスに乗ろうとしたら「これは出ないよ」と。えっ、もしや住居代わり!?(笑)どうやらこれかな?乗り込んでしばし待つと、車掌さん、後れて運転士も登場。14:27出発!この辺りって初めて来たもんで、車窓に興味津々。iPhoneのマップでルートを確認しながら景色を楽しみます。途中、運河沿いの道を東に進んでUターン。なんとなく気になったので確認すると・・・なーんと、横を流れている運河は、あのランシット運河じゃないですか!明治時代の食糧難で海外移民政策が進められていた頃、民間業者が、ここランシット運河沿いへの日本人殖民を推進したことがありました。ところが入植希望者たちは到着したものの、タイ側との調整がうまくいかず、結局入植は不成功。期待して渡った人たちには気の毒な結果に。この話はタイ研究の大御所、故石井米雄先生の著作で知ったのですが、その石井先生も1957年初めての渡タイ時にドンムアン空港に着陸するプロペラ機からこのランシット運河を眺めています。90番バスがランシット運河を渡ります!初めて見たランシット運河。感動のひと言に尽きます!いつかランシット運河沿いも旅してみたいですね~。バスはパーク・クレットを通過してから、ことごとく予想外な道を進んで行きます。そのうちにピブーン・ソンクラーム通りへ。ラマ5世橋の下をくぐり、プラチャーラート・サーイ1通りへ。もうまったくもって来たことが無いゾーンです。この辺も中華系住民が多そうな雰囲気。結構栄えてますね。それからタハーン通りを左折して東へと進路を取ります。タハーンとは兵隊の意味。その名のとおり沿道には軍の施設が建ち並んでて、バス停から軍の制服のままの人が乗って来たりで異空間な様相。そのまま直進すると前方にBTSの高架が見えてきました!なんかほっとしますね(笑)左折して最初のバス停で降ります。BTSサパーンクワーイ駅前。時刻は16:17。1時間50分も乗ってたとはビックリ。もっと短く感じました(笑)これにて今回の旅も終わりです。バーンブアトーン線の線路跡を無事に見ることができたのが何よりの収穫でした。そうじゃなかったらブログのネタに使えなかったでしょうしね(笑)最後までお付き合いくださいましたみなさま、ありがとうございました!次回は今度こそ昨年7月の旅を綴りたいと思っています。<交通費>80番バス: 8バーツここまでのの合計:83バーツおわり<参考>『道は、ひらける』石井米雄、めこん、2003年
2011/04/22
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タイやタイ語が好きな方の中には、タイでなく日本国内でタイ関係の仕事をしたいと考えている方も多いのではないでしょうか。かく言う私もそうでした。それで探したこともあります。でもタイ・レストランの店長&スタッフを除くと、タイ関係の求人は、ほぼ皆無なのが実状。それか自分でアジア雑貨のネット・ショップを立ち上げるかだと思います。そんな中、時々貴重なタイ関係求人を行なってくれるところがあります。どこだと思いますか?「在京タイ王国大使館」です。また求人をしている、という噂を聞いてHPをチェックしたら、おっ、出てました!「広報文化部職員を 2名募集」(PDF)とのこと。タイ大使館に電話をしたことがある方は分かると思いますが、「はい、タイ大使館です」と電話に出る、あの職員の方々の職種です。しかし、喜ぶのは早いんですよねー。応募資格を見ると…日本語、タイ語、英語(またはタイ語、日本語のみ)の会話及び読み書きが相当程度できることなにせ、面接はタイ語でらしいですから(汗)でも貴重なタイ関係求人には違いないです。ハードでも土日出勤が多くても、とにかく日本でタイ関係の仕事がしたい!という方には耳寄りな求人情報かも知れません。ちなみに広報以外に、「専属運転手」(PDF)の募集もしてますよ…
2005/12/28
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今回から新シリーズ開始です。ターチーン川、メークローン川と最近バンコク西方の旅ばかりしていたので、今回は正反対の東へ向かい、バーンパコン川を見てみることにしました。バーンパコン川を見るのは初めてです。さて西方の川とはまた違った趣なんでしょうかね。楽しみです!旅決行日は、GWの5月1日(火)。まずは朝早く起きてパヤタイ駅へ。BTSでもエアポートリンクでもなく、国鉄東線のパヤタイ駅です。06:45着。早朝の駅は気持ちいい~…かと思いきや、ハエが結構飛んでてしかも何か臭います -_-;)駅横のスラムっぽいところのせいかも。線路上にも…ゴミが散乱。こりゃ臭いのも当然ですねぇ。なんて考えているうちに、遠くから列車のライトが近付いてきました。パヤタイ駅にゆっくりと入線。行き先を一応確認しましょう。あれ? 「バーンプルータールアン」行きになってますね。時刻表ではチャチューンサオの次の駅、ペートリウ行きのはずなんですが…。ま、いいや。乗っちゃいましょう~。驚くべきことに時刻表どおり07:08に発車!パヤタイ通りの踏切を通過します…<交通費>まだ電車賃を払ってないので:0バーツここまでの合計:0バーツ※旅は2012年5月1日に行いました。つづく
2012/07/05
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21番赤バス終点のワット・クーサーンは結構大きな寺院でした。入口にはこんな看板が。手作り感が可愛らしいですね ^^さて、ここからしばらくは公共交通機関が無いのです。この南へまっすぐ続く道を終点まで歩くとソンテオ路線がある、とバンコクバスマニアさんに教えていただいたので、そこまでひたすら歩きますか。小雨が舞ってきました。どうか本降りになりませんように…。両側をうっそうと茂る草木に囲まれ静寂の広がる一本道をしばらく歩くと、左側が開けました。ここもまたエビ養殖池ですね。歩き始めて11分で突き当りに到着。この道の終点です。ワット・クーサーンから1.2kmほどのようですね。突き当りはT字路になっています。サッパサーミット運河沿いに走る国道3243号線が目の前を横切っているんですが、まさに目の前にトラック・ソンテオが停まっているじゃないですか!よかった!!車体には「チェーディー ― ワット・レーム」と。ここが終点・起点みたいですね。国道3243号線を眺めると黄色い看板には、 道路冠水 通行注意 ご不便をおかけしますと。しょっちゅう冠水してそうですね。真横に大きな運河が流れていますしねぇ。グオォォーン!一台のトラック・ソンテオからエンジンをかける音が。お、発車かな?チェーディーへ行きますか?駆け寄って車掌のおばさんに尋ねると、黙って頷きます。乗り込んだところで発車。時刻は、11:19。Uターンして国道3243号線を東へと、とにかくちんたらと走っていきます…。道沿いの住民を拾うためなんでしょうね。車内はみんな顔見知り。和気あいあいと会話していてよそ者の私はちょっと居づらい雰囲気… -_-;)右の車窓には、時折サッパサーミット運河が家々の間から顔を覗かせます。こんな感じで ^^25分ほどで交差点に到着。右前方に見える水面は、チャオプラヤー川です!ここからスックサワット通りを左折。終点プラサムット・チェーディーまであと少しです。ソンテオはようやくちょっとばかりスピードを上げました ^_^;)<交通費>ソンテオ:8バーツここまでの合計:43バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。つづく
2012/10/18
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最近やーっと論文執筆にエンジンがかかってきました。でもまだまだ。先が思いやられます…。今日も資料を読んでたのですが、そこで感じたことは、フランスってタイに対して悪辣非道なことをずいぶんとしたんだなーということ。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、フランスはなんだかんだ言いがかりをつけてタイ領(またはタイの属領)だったカンボジア、ラオス、ベトナムのディエンビエンフー(意外ですね)を次々と奪っていきます。加えて、タイ東部のチャンタブリー、トラートも一時フランスに占領されていました。その過程で1893年7月には、フランス軍砲艦2隻がチャオプラヤー川を遡上し、タイ側と交戦しています。結果はタイ側が折れてフランスへの賠償やら領土割譲やらをのまされてます。実際に撃ち合ったのですから、ペリーの黒船来港以上に、当時のバンコク市民にはショッキングな出来事だったでしょうね。そのへんのことは、村嶋英治『現代アジアの肖像9 ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』岩波書店,1996年という本に詳しく書かれています。楽天ブックスにはないのが残念ですが。あれだけのことをされて、タイ国民はフランスに怨みを持っているかと言えば、そんなことないみたいですよね。フランス料理がタイ人に不人気なのは、このこととは無関係で、ただ単にタイ人の味覚に合わないだけですし(笑)タイ人のおおらかさというか、寛容さを感じます。飛躍しますが、このことから今の日中関係改善のヒントって得られないものでしょうかねー?
2005/04/22
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国鉄メークローン駅南のソンテオ乗り場でドーン・ホイロート行きソンテオに乗り込みます。前回はトラック・ソンテオだったんですが、今回は小型ですね。座って発車を待っているうちに、どんどん乗客がやって来て満席。男子たるもの、こういう場合はデッキ部に立たねば。カゴを抱えたおばさんに席を譲ります。カゴの中には、ネズミとリスの合いの子みたいなペットが。目がクリクリしてて可愛いです。おばさん、座るや否やペットをカゴから出して、自分が飲んでいた何かのフラッペを食べさせるじゃないですか。へぇ~、食べるんだ~、逃げないんだ~、と感心。車内のみんなの視線を一心に集めていました ^^しかしなかなか発車しないもんです。折り返し列車がメークローン線路市場を通過する光景を見てからでも十分間に合ったじゃないですか。うぅ残念。結局12時ぎりぎりになってようやく発車しました。道中は順調にいいペースで走り、ドーン・ホイロートに到着!一度来ているから降りるタイミングばっちりです(笑)時刻は、12:14。運賃15バーツ也。さーて、ドーン・ホイロートの潮の状態やいかに!?おぉっ、前回よりも明らかに潮が引いている!!でもまだ干潟は広がってませんね。右手のあずま屋が潮干狩りの船乗り場です。中にいる人に尋ねてみました。「まだ今は潮干狩りは無理だ。1時か1時半だね。」あと1時間前後かぁ。その間にランチを取って待つとしますか。海岸沿いの通りにはシーフードや土産物を売る露店が並んでいます。そこを歩きつつ品定め…。ホイロート(マテ貝)の串焼きゲット~♪それと、ホタテ貝を携え、海岸沿いに腰を下ろします。前回は海沿いのレストランで食べましたけど、こういう食事もいいもんです。何しろ安上がりですし!(笑)食べ終えてから、この一角にある、海軍の父が祀られた「クロムルアン・チュムポーンケートウドムサック廟」へ。クロムルアン・チュムポーンケートウドムサックの像に手を合わせ今回の旅の無事を祈願。なにせ前回こっち方面へ来た時には、変なウィルスを貰っちゃいましたからね。今回は携行品も含めて対策バッチリ用意周到です(笑)まだ12:40ぐらい。うーん、もう一回買い食いするかな。再び露店をそぞろ歩きに行きましょう。<交通費>ソンテオ:15バーツここまでの合計:82バーツ※旅は2012年3月30日に行いました。つづく
2012/05/23
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まだまだ歩き続けますよ~。綺麗に整備された道をひたすら西へ。8分ほどするとお寺の前に到着しました。ワット・ドーントゥーム。ここだここだ!時刻は、10:04。ノーンプラードゥック駅から39分歩いたのか~。我ながら炎天下に無茶やってます(笑)中に入ってみましょう!ワット・ドーン・トゥームの敷地内には学校も併設されていて、緑の芝が綺麗な校庭が左手に広がっています。実は、かつてこの校庭とワット・ドーントゥーム周辺には、泰麺鉄道建設用に日本軍兵舎と捕虜収容所が建っていたんです。合わせて13棟が建ち並んでいたようで。1942年6月23日には、マレー半島から鉄道で運ばれてきた連合国軍捕虜第一陣700名がバーンポーン駅に到着し、ワット・ドーントゥーム周辺の施設に移されています。その後どんどん鉄道で到着し、6月30日時点では3,175名だったとタイ側資料に残されているとか。最終的に泰麺鉄道建設に送り込まれた連合国軍捕虜の数は6万人余りにのぼったんですけどね。そんな中の同年12月18日、ある事件がまさにこのワット・ドーントゥームで起きました。資料によりディテールが微妙に違うので、おおまかな流れを解説しておきます。夕方5時頃、ナコーンパトムからワット・ドーントゥーム住職を訪ねてきた37歳の沙弥(見習い僧)が道端で白人捕虜からタバコをくれるように頼まれます。沙弥が応じてタバコを捕虜に渡したところ、目撃した日本兵が沙弥の顔面を3発殴り沙弥は地面に倒れてしまいました。ワット・ドーントゥームの住職は不在でしたが、寺の講堂に寝泊まりしている日本軍に雇われたタイ人労働者たちに経緯を話したところ、労働者20名とともに日本人通訳の元へ抗議に行くことに。日本人通訳は上官には明日連絡するから今晩はひとまず戻るようにと伝えます。講堂に戻ると、どうしたことか夜7時過ぎに日本兵がやって来て、労働者が逃げ惑う中発砲したのです。タイ人労働者側もスコップやクワで応戦し、双方に死傷者が出る事態に。日本軍上官とバーンポーン警察署長、郡長が駆けつけてようやく沈静化しました。しかしです。夜中になって日本軍はバーンポーン警察署に押しかけ、双方で銃撃戦になります。日本軍は機関銃の掃射までしたんだとか。これでまた双方に死傷者が出てしまいます。この事件、そもそもは日本兵が沙弥を殴ったことが発端です。見習いとはいえ「僧」に手を上げた行為が敬虔な仏教徒の多いタイ人には仏教への冒涜と映ってしまいました。さらに顔へのビンタや殴打は、当時の日本とくに軍隊内では日常茶飯事に行われていたようですが、タイでは顔を殴るなど侮辱もいいところ。そんな文化への不理解が発端となり、最終的には日タイの外交問題にまで発展する事件となってしまいました。43年7月の東条英機首相訪タイ時にもピブーン首相との間でこの件も話し合われたことでしょう。タイの軍事裁判でこの沙弥には死刑求刑に対して終身刑の判決が出される結果に。日本側はタイ側に賠償金を支払わせますが、そのままそっくり寄付としてタイへ戻されることで決着が付けられました。お互いの顔を立てたかたちですね。その後、タイ駐留日本軍内ではタイの文化・習慣へ理解を深めるための小冊子が配布されたそうです…。そんな事件の舞台になったとは信じられないほど今のワット・ドーントゥームは静寂そのもの。実は日本軍がいたことを記した碑か何かがあるんじゃないかと思い境内を探してみたのですが、結局見つからず終いでした。が、しかし!帰国後に珍しく日本語でも情報を探していて、「バンポンの日本人慰霊碑と日本軍の遺品を探して・・・(タイ)」なるサイトを発見したのですが、それによると日本人慰霊碑が境内に建っているとか!1991年に建てられた新しい碑らしいですが。言われてみると確かにこの碑を見かけたんですよ。私はてっきりお墓かと思って、気味悪がって避けて歩いたんですが…。この写真では分かりにくいですが、本堂の右脇、木の奥に灰色の慰霊碑が確かに建っていました。さらに、です。併設の学校図書館には、日本軍のヘルメットが保管されているそうで!知っていればダメモトで見学できないか交渉したものを。またしても私の詰めの甘さが出てしまいました -_-;)この時はそんなことなどつゆ知らず、私はワット・ドーントゥームを後にしました。ワット・ドーントゥームを出たところでバーンポーン行きソンテオを待ちます。すると、ものの3,4分でやって来ました。なんとラッキー!乗り込みます。時刻は、10:15。お客さんは3,4人で女性ばかり…。しばらく走ったところで線路を渡りました。今のが西線(ナムトック線)ですね。この路線ですがタイ語のサイトを見る限りでは「西線」が正式名称っぽいですね。「ナムトック線」は愛称なのかな?線路を渡ってから道なりに左にカーブしたソンテオはやや賑やかな町並みのところで停車。どうやら終点みたいです。下車して運転手さんに運賃10バーツを支払い。時刻は、10:20。なんとなく道路を反対側に渡って、バーンポーンの町の中心方向を眺めます。左手前方に乗ってきたソンテオが停まってますね。もっと前方の中央には、町のシンボルになっている時計塔が聳えているのが見えます。あそこまで歩いて行きましょう!<交通費>歩いただけなので:10バーツここまでの合計:53.5バーツ※旅は2013年4月30日(火)に行いました。つづく<参考>『泰麺鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年『父が語ったバーンポーン』(タイ語)「バーンポーン警察と日本軍の抗争」『ラーチャブリー研究』(タイ語)
2013/06/03
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最後の真っ直ぐな道を歩き切った先には駐車場があり、そのすぐ先にもう、海が広がってますよ~!!サタヒープ海軍基地入口から徒歩20分で目的地のナムサイ・ビーチ(หาดน้ำใส)に到着!時刻は。12:44。場所はここです!早速砂浜に走り下りますか~。こちらが東側。で、西側。こんな感じでなかなか広いビーチじゃないですか。駐車場の車の陰で短パンに履き替えビーチに戻ります。肝心の海の透明度を直に入って確かめないと(笑)ほら、こんなに綺麗なんですよ!!島ならあり得ますけど、本土でここまで透き通った海って少なくともバンコク日帰り圏内に他にはないんじゃないでしょうか?ちなみにビーチ名のナムサイとは「透き通った水」の意味。さもありなんですね~。やや生ぬるい海水が気持ちいい~。もう思いっきり泳ぎたい衝動に駆られましたけど、ヘトヘトになったら旅が続けられないので踏みとどまりました ^_^;)お客さんはタイ人ばかり。それも家族連れがほとんどですね。実はこのナムサイ・ビーチは一般に開放されてからまだ数年の新しいビーチなんですよ。ここからもう少し北西に以前から開放されているナーンラム・ビーチとナーンローン・ビーチがあるんですが、そちらはもっとお客さんが多く外国人の姿も見かけるようです。たぶんナムサイ・ビーチはまだあまり知られていないことに加えて、海軍基地入口がナーンラム・ビーチとナーンローン・ビーチ側の入口より敷居が高く見えるために、お客さんが比較的少ないのかもしれません。とは言っても、この程度の人数は訪れています。みなさん木陰に陣取ったり、何棟も建っている茅葺の小屋の下で日差しを避けているところがやはりタイ人らしいですね ^^飲食物のブースもあったり、サメーサーン島渡し船桟橋のところにあったFrog Coffeeがここにも出店してたりで必要最低限の施設はほぼ揃ってますね。欲を言えば更衣室が欲しいところ。もしかしたらあるのかもしれませんが、私は気付きませんでした。シャワー室はあるんですけどね。海軍基地内ということで二の足を踏んでしまうかもしれませんが、たぶん外国人でも車を運転して入れると思いますよ。少なくとも徒歩で入れることは私が証明しました(笑)なのでもし最悪車がダメでもミュージアムに駐車して歩けばOK。とにかく透明度の高いビーチなのでオススメです!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:140バーツ※旅は2015年7月26日(日)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/11/02
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2009年大晦日にバンコクのセントラル・ワールドプラザ前で開催されたカウントダウン・コンサートで、久々に姿を見せたPalmy。どうやら自分の「持ち歌」は歌わなかったようですが、(現地にいた方やTVの生放送を見た方、そうでしたか?)写真を見る限り、元気そうで良かった。それからずっと気になってます。復活への一歩であって欲しいものですね。一方、次は復活して欲しくない話題。こんなこと書きたくはないんですが、タイ政治の不穏モードが増幅中のようです。再び・・・、なんてことにならないよう願ってますよ~!朝は陽が出て暖かかったのに、曇り始めてから急に寒くなった今日の東京です。予報は、雪!!もうすぐ降りそうな感じです。あー、暑い国へ行きたい(T T)
2010/02/01
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プラナコーンキリの入口に到着したので登りますか。プラナコーンキリとは、ラマ4世がこのカオワンという山の上に建設した暑季用の王宮群の総称です。完成は1860年。地図がありました。私の現在地は右の一番下。カオワンは3つの頂きのある山で、地図右半分を占める山頂には王宮群、左中央の山頂に白い大仏塔、左下の山頂に寺院が建っています。左手に見えてきた受付で入場券を購入。20バーツでしたが、もしかしたら外国人は別料金かも。払ってから、あっ! て気が付きました(笑)登山道にもサルがうじゃうじゃいます。でも悪さをされるでもなく、大人しい印象ですね。ここは、馬や馬車を留め置いた施設のようです。今ではサルの遊び場と化していますが。「タイ語話せる~!?」突然遠くから叫ぶ女性の声が聞こえてきました。ジュース屋台のおばちゃんが私が登って来るのを目ざとく見つけて声をかけたのでした。ここまで登ってくるだけで汗ダクダクになって熱中症が心配だったのもあるので、飲み物を買ってあげますか。「今日は学校の新学期が始まって登って来る人が少ないのよ。 30人登って来て20人に断られちゃった」ジュースを1本買って21人目のお客さんになった私(笑)20バーツ也。「サルにチャーイェンあげてみない?」え? サルがチャーイェン(タイ・アイスティー)を飲むんですか?おばちゃんの商売にまんまとのせられ、さらに20バーツを払うと、おばちゃんはチェーイェンを地面にバシャーッとぶちまけます。なんだ、私にやらせてくれるんじゃないんだ。でも、サルが早速飛び寄ってきて、本当に飲み始めました!面白いモノを見せてもらいました。おばちゃんありがとう。なぜか私の年齢を尋ねるので答えたら、「あら、同い年じゃないの!」そ、そうなんだ… ^_^;)その先でメインの登山道から左へ分かれる道へ入ってみると、見晴らしのいい場所に出ました。ここは国王に謁見する上級官僚の待機所だったとのこと。左下には白い大きな仏塔のワット・マハータート・ウォーラウィハーンが、右の山頂に順路の終点になる寺院が見えています。うひゃー、結構遠いなあ。元に戻って再び登ります。正面に見えるのは衛兵の詰所だった建物で、現在はこのプラナコーンキリに関するパネル展示のスペースとして使われています。でも館内撮影禁止。その裏に王宮のメイン施設があるんですが、この時私はあの建物がそうとは知らず、さらに中国人観光客の団体さんの人だかりが見えたので近寄らずに通り過ぎてしまいました…。それよりもあのずっと先に見えた寺院に行きたくて気が早っていたというのもあるんですが…。ということで、大汗をかきながらさらにずんずん進んでいきます。途中で中国人グループを何度も追い抜いたりすれ違ったりしたんですが、なんでこんなに多いんですかね?ここの建築物は西洋文化を取り入れようとしていたラマ4世の考えを反映してネオクラッシック建築という西洋風のデザインになっているのですが、当時の職工らが中国から渡ってきた人達だったために、屋根瓦など随所に中国建築の影響が見られるんです。それで中国人に人気なんですかね?突然右手に階段が出現。見上げると仏塔があります。ここが真ん中の山頂かあ。登るとするか。そろそろ足に疲労が溜まり始めましたよー。山頂到着。誰もいなくて静寂に包まれています。プラタート・ジョームペットという名の高さ40メートルの仏塔で、仏舎利が収められているのだとか。脇には、ラマ9世ご夫妻が1971年に行幸した際の写真パネルが。ここまで登られたということですか。私なぞが弱音を吐いていちゃいけませんね。元の登山道というか遊歩道に戻り、最終地点の寺院目指してラストスパートです!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:100バーツ※旅は2017年5月28日(日)に行いました。<参考>phranakhonkhiri "ประวัติพระนครคีรี"phranakhonkhiri "พระธาตุจอมเพชร"Wikipedia "อุทยานประวัติศาสตร์พระนครคีรี"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/12/04
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