1
アルトゥール・シュニッツラー「緑のオウム亭」 Arthur Schnitzler: Das gruene Kakadu その夜は8区Josefstadtにあるヨーゼフシュタット劇場 Theater an der Josefstadt(http://www.josefstadt.org/)で、シュニッツラーの戯曲「緑のオウム亭」を見た。Josefstaedter Strasse 26にあるこのヨーゼフシュタット劇場は、私の最も好きな劇場であるが、1788年ヨーゼフ二世の治下で役者のK. Mayerが建てたもので、ウィーンで現存する劇場の中では最も古く、またかつて城壁の外にあった私立の劇場Theater an der Wienと Leopoldstaedter Theaterの中では最も小さく、座席数は現在714である。戦災を免れているので、200年前のフランス革命の前の時代の劇場の雰囲気をよく伝えており、演劇がわからなくても一見の価値のある劇場である。 私はいつもインターネットでチケットを予約し(クレジット決済)当日窓口で受け取ることにしているが、とても便利である。また座席の料金は46ユーロから19ユーロぐらいまであるが、だいたいパルテレ(Parterre)の後ろから3,4番目にすることにしている。ウィーンの劇場はどこでもそうであるが、ここは特に小さな劇場なので、後ろでも十分楽しむことができる。ここの劇場の規模を知ると、日本の劇場はまるで体育館で演劇をしているような印象を持たざるを得ない。 市電でいくにはJで行くのであるが、劇場はJosefstadt通り沿いにあるので、市庁舎から歩いてもいくことができる。劇場を入るとすぐにGarderobe(座る座席ごとに別れているが、別にどこでも預けられる。Logeは各自にコートを掛けるところがるので、Garderobeに預ける必要はない)があり、コートを預けるとホールの入り口となる。向かって右側に大きなBuffeがあり、また左右にRangに通じる階段がある。劇場の全体は深紅で統一されていて落ち着いた感じであり、装飾も豪華である。ここは普通は地元の人間しか来ないし、比較的年齢層が高いので、(日本人が来るとやはり目立つと思うが)オペラなどとは違う教養を感じさせる雰囲気である。 1988年から1997年まで有名な役者にして演出家であるOtto Schenkが、そして1997年から1999年まで役者であったHelmuth Lohner(Mag. Alexander Goetzも)が劇場監督をしていたが、今回の2003年のシーズンから劇場監督がHans Gratzerに変わったので、やや演出が変わってきているような印象を受ける。 このシュニッツラーの「緑のオウム亭」という作品は、翻訳があるかどうかわからないが、短い作品(レクラム文庫で40ページほど)なので、すぐ読むことができる。舞台はフランス革命当時のパリで、そこにある「緑のオウム亭」という不思議な飲み屋(日本でいるとバーといった感じ)を舞台にした話である。そのバーは一つの演劇の空間となっており、その主人がいわば座長でそこの客は次々と店にやってくる役者たちが演じる劇を楽しむことができる。そこは、現実と非現実的なものが交錯する空間なのであるが、客たちは十分その点をわきまえていて、役者たちの演じる非現実的なパフォーマンスを味わうのである。その役者たちの演じる内容とは、例えば、殺人を告白する話や、放火して逃げ込んできたという設定、あるいは革命が始まったという話など、この「緑のオウム亭」の空間においては、話題・パフォーマンスは何でも可能なのである。劇の最初のところで自分の叔母を殺していま出所してきた男が、ここに職を求めてやってくるのであるが、そのような男であっても、ここでは評価されうる現実として歓迎されるのである。 この作品の筋といっても、いくつかの場面がつなぎ合わされて構成されているので、それほど場面の展開に合理性を感じさせないが、一応粗筋というのは次のようなものである。アンリというこの「緑のオウム亭」で嘱望されているの役者が、別の劇場に出ている人気女優Leocadieと突然結婚したという報告をしにやってくる。そしてアンリは田舎に引っ込み、農民の生活を始めると言い出すのであるが、この主人Prospereは、アンリの才能を高く買っているので、ここにとどまるように求める。しかし叔母を殺した前科を持つGrainは、「緑のオウム亭」に職を求めてここにやってきているのであるが、彼は、この店の常連でちょうどこの店にやってきた公爵Emileがアンリの妻になったLeocadieと数時間前に逢い引きしている現場を目撃し、それを店の主人Prospereに伝える。もちろんそのことはアンリは知らないのであるが、しかし無意識のうちに気づいていたゆえなのか、彼はこの店の引退のパフォーマンスとして、まさにその公爵Emileを嫉妬のゆえに殺す場面を演じてみせる。その場にいた客たちはそのアンリの迫真の演技にすっかり騙され、その店に公爵が再び登場したときには、殺されたはずの公爵がなぜ生きているのかといった感じで、全く信じられない様子となる。しかしアンリは主人Prospereから、妻の浮気を告げられ、彼は自分の演技がまさに現実であったことを思い知り、その場で公爵を殺してしまう。そして折しも、その店の外ではバスティーユ監獄が破られることによりフランス革命が勃発し、その騒ぎが店にも伝わってくるのである。街全体が民衆の騒動に包まれているところであった。それまで常に非現実的なものが演じられてきた空間において、非現実が現実となった瞬間であった。 この作品の初演は1899年である。1幕ものであるので、場面の展開は無いが、しかしその中で様々な人物たちによる会話を楽しみながら、現実と非現実の境界を漂いながら、ある種の奇妙な空間が作り上げられている。この空間の質感こそ19世紀末のウィーンにふさわしいもので、とりあえずはその空間に自分も入ってみるというのが楽しむ一つの方法であるような気がする。その後でこの作品の解釈をやってみるのがいいであろう。演出としては、スタンドバーのような室内で、背景が全体鏡になっていた。シュニッツラーの指定では、店の中にソファーがいくつかあったはずだが、やはり安定性を排除し常に動きをもたらすために、ソファーは排除したのかもしれない。また鏡は非現実がテーマになっている作品の演出としては、オーソドックスであるが、まあ遠くから見ている人には、鏡に映った人物がよく見えるのでいいという実用的な効果も一応はある。 できればもう一度作品を見に行きたいと思っている。(2004.2.10)
2006年04月16日
閲覧総数 463