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昨日、やっとできた。
2022年12月06日
私はばあさんすぎて何したらいいかわからない。s載せた写真が削除されるらしい。
2022年11月30日
1)「エルサルバドル内戦体験記及び回顧録」前編著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08R6TL76V 2)「エルサルバドル内戦体験記及び回顧録」中編著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08TWH3W3C3)「エルサルバドル内戦体験記及び回顧録」後編著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08WHL86YC 4)エスコバル瑠璃子の中米絵画集: 内戦と平和著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08Y1D9JLJ 5)「エスコバル瑠璃子の中米絵画」 「中米の花と生き物」著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08Y8F4XMW 6)ガラパゴス マチュピチュ紀行著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08X4G77BR 7)「内戦後のグアテマラを行く」著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B08XMF6452 8)東西冷戦時代のスペイン旅行著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B098QPH1F4 9)古事記の歴史的噓と本当著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B09929K6XX 10)70ばあさんの自転車奮闘記著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B09B2CZQD9 11)世界の宗教について考えた著者等: エスコバル瑠璃子ASIN: B093BVM28F 12)I WAS ONCE A REFUGEE FROM EL SALVAD...著者等: Ruriko EscobarASIN: B091Y5WNBD 13)Fight between the people among the ...著者等: ruriko escobarASIN: B093PRGL6W 14)Benefits of Loquats: I was saved tw...著者等: Ruriko EscobarASIN: B0982RMM31 15)アルツばあさんの書いたエッセイだぞ ASIN: B09KR8VFSC 16)チャボがアヒルや孔雀を育てた物語ASIN: B09K7FW373 17)アルツばあさんの書いたエッセイだぞ著: エスコバル瑠璃子 ASIN: B09KR8VFSC 18) Mon voyage de Noces: Y Une Experience Incroyable de La Guerre Civilea El Salvador (French Edition)https://www.amazon.co.jp/Mon-voyage-Noces-Exp%C3%A9rience-Incroyable-ebook/dp/B09Q1WPC8T 19)コロナの時代を生きる知恵: さあ永遠の今を生きようぞASIN: B09VXG3NFZ80歳最後にあと1冊書くつもり
2022年04月04日
https://www.amazon.co.jp/dp/B09Q1WPC8T数年前に麗澤大学の講座で書いたエッセイだけど、kindle出版成功。初めてのフランス語版。
2022年01月10日
【売上2倍】あなたの人生を変える電子書籍を たったの1カ月で出版する、魔法のセミナー顔出し・名前出し無し!難しいパソコンスキル不要!高度なネットスキル不要!毎日定期作業無しのご自宅でもご自身の予定で自由にできる♪オンラインセミナーをZOOMにて開催します。✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨■このような方に特におすすめです👇☑電子書籍を1カ月で出版したい☑売り上げを2倍にしたい☑自分のペースで、コツコツと収入を増やしたい☑顔出しや身バレをせず、安定収入がほしい☑コストをかけずに、毎月1万~10万円稼ぎたい☑ビジネスの基礎から学びたい、応用までしっかり磨きたい☑これから起業を考えている☑在宅ワークでのビジネスモデルを検討している☑いずれは、月収30万円以上を達成したい☑広告費ゼロでクライアントを獲得したい✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨■セミナー参加特典🎁(2つの動画と個別相談)【特典1】『人生の目標を明確にするドリームマップの作り方』(ビジュアル化)【特典2】『成功者が実践している、ダイエットなどのどんな課題でも必ず成功してしまう!6つのステップ』(成功脳に変える)【特典3】『オンライン個別相談60分』(通常¥10,000-)※特典はセミナー参加後にお渡しさせていただきます。このkindle出版セミナーの塩尻先生、すごく丁寧で、よく教えてくださいますよ。
2021年09月18日
https://www.facebook.com/photo/?fbid=579955756358104&set=gm.523335965439319よろしく
2021年08月26日
https://www.amazon.co.jp/dp/B09B2CZQD9/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=70%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%E5%A5%AE%E9%97%98%E8%A8%98
2021年07月23日
kindle出版13冊目成功https://www.amazon.co.jp/dp/B09929K6XX/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%81%AE%E5%99%93%E3%81%A8%E6%9C%AC%E5%BD%93&qid=1625878079&sr=8-1よろしく
2021年07月10日
「エスコバル瑠璃子の中米絵画:中米の花と生き物」https://amzn.to/3t11SdF 「内戦後のグアテマラを行く」https://amzn.to/3r72Apb 「ガラパゴス マチュピチュ紀行」https://amzn.to/2ZGyqNw 「エルサルバドル内戦体験記及び回顧録」前編https://amzn.to/3qmMyax 「エルサルバドル内戦体験記及び回顧録」中編https://amzn.to/3rUV7JS 「エルサルバドル内戦体験記及び回顧録」後編https://amzn.to/37eKMkg 「世界の宗教について考えた」https://amzn.to/33kiN04 「エスコバル瑠璃子の中米絵画集: 内戦と平和」https://amzn.to/3ttQd70 「Fight between the people among the Difference of Religions」https://amzn.to/33n00kO 「I WAS ONCE A REFUGEE FROM EL SALVADOR」https://amzn.to/33p3PG1
2021年06月18日
前編https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%80%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB%E5%86%85%E6%88%A6%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2%E3%80%8D%E5%89%8D%E7%B7%A8&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss中編https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB%E5%86%85%E6%88%A6%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2+%E4%B8%AD%E7%B7%A8&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss後編https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB%E5%86%85%E6%88%A6%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2+%E5%BE%8C%E7%B7%A8&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss
2021年02月13日
https://www.amazon.co.jp/dp/B08TWH3W3C/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB%E5%86%85%E6%88%A6%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2&qid=1611631900&sr=8-1かつてここに載せたのとは、かなり改変してあります。よろしく
2021年01月26日
この1月8日から3月1日まで、横浜JICA資料館で、NOSOTROSというグループの美術展示会が開催されていて、私も出品しています。長期間なので、ちょっとのぞく機会があったら、覗いてみてください。これは2階。3階にもあります。ここに2月2日までとありますが、3月1まで延長されました。よろしく
2021年01月12日
昨日木を切って丸裸になった庭の手入れにケーヨーD2に行った。それで庭の仕切りにするものを探していたら、一つごろんと下に落ちた。足に直撃。ギャッと思ったけど、買い物が済んで、三輪車で帰ろうとしたら、足がちょっと痛む。三輪車だから直撃したところに響かないけれど、家に帰ってみたら、ぎょっ!足の小指が紫になっている。ちょっと手当てして寝たんだけど、今朝見たら、ひょっとすると、骨折かもと思われるくらいのケガ。いろいろ手当てして今包帯巻き付け、歩かないようにしているんだけど、どうなるかな。
2020年11月12日
1月の骨折以来、退院後も熱が3か月も続いて弱った。今どき「熱」があるというと、コロナ恐れた医者が門前払いする。退院後外に出ていないのに、コロナがあっちからやってこない限り、かかることもないはずだけれど、とにかくコロナはどんどん増えた記録を残さないと、どこかの政府が困るらしい。それで半年以上も散歩もせず家にいたから、完全に体力が衰えて、5分と歩けなくなった。最近は三輪車で5分のマミーマートくらいにはいくけれど、足はもう、ないと同じ。まあ、79歳だし、これが当たり前のばあさんかな。今日は、送迎車つきのケアホームに行く。まあ、ばあさんになって、誰にも相手にされなくなったから、ここが唯一の人間と出会える場所。そろそろ絵を描き始めようと思う。
2020年10月27日
今日は復活祭なのだ。感無量。というのは、私はあの宗教の根幹がこの1週間に集約されていると思っていて、クリスマスなんてどうでもいいから、何が起きてもこの1週間だけは今までおろそかにしなかった。今年は、コロナと私の骨折のせいで、動けないし、うまいことに教会がミサをオンラインミサにしたから、「オンラインミサ」などというへんてこなものに初めて出席した。一人ならこっそり教会に行くこともできたけど、あの坂道を3輪車でというのはこの体で怖いから、教会に行かなかった。意味不明の微熱で買い物にも行けないから、家庭でも大した祝いをしなかった。まあ、そんなのいいのかもしれない。ナザレのイエスの復活を信じるのは、まるで何の根拠もない、証明不可能な、信仰によるしかないのだから。各自が勝手に心に思う、まあ、それが本来の宗教だろうなあ。で、私は勝手に心に思って、オンラインミサにあずかって、今日1日を過ごした。世界が平和になればいい。トランプがバカな騒動を起こさなきゃいい、習近平も意地張ってあいつの挑戦にのらなきゃいい。コロナが時を見て収束すればいい。(コロナが「時を見る」って自分で言ったけどなんだろね^^)今年の復活祭は妙な復活祭だった。じーっとこれから起きることを微熱を抱えながら見ていよう。骨折のほうはあと一か月かな。全治3か月だそうだからさ。
2020年04月12日
隣の東京都がコロナ関連で緊急発進している。だったらもうすぐ千葉も危ないかな、と思って、とりあえず、ネットで買えるものを購入している。まずコメと塩と水。すでに手を打った。後は非常時用の缶詰類。これもよし。生鮮野菜はたぶん無理。うちに耕せる土地がないから、泥ネギ買って土にさしておく。後は無理だな。私みたいに終戦直後の混乱を生き抜いたものでないから、家族はなぜ泥ネギなんて汚いものわざわざ買うのか、わからないらしい。白菜も丸ごと買えと言っているのにわざわざきれいに洗って4分の1にしたものを買ってくる。泥のままと言っている意味を説明してもわかってくれない。あとは寝ながらネットで間に合うものは何かな、このところ微熱があるので、ずっと寝ている。微熱であって、上下しない。もっと怪しい。昨日医者に行ったら、たぶんコロナを疑ったのか、顔も見ず診察もせず、薬を処方して追い出された。何というやり方、ちょっと憤慨した。で、そのもらった薬を飲むと眠る。2日間、そのため寝たり起きたり。
2020年03月31日
コロナウイルスの発生源がなぜ中国とされるのか、不思議だったので、ウイキぺデイアで調べてみた。結果はなんだかよくわからない。中国から始まったことは確からしいけれど、中国政府がコロナウイルスを作ったみたいに報道されていることに疑問でね。今はアメリカが作ったとかも言われ始めていて、私はバカなもんで、わからない。そんなもん作って得する国あんの?ま、もう一つ、国境閉鎖が気になったんで、ウイルス運ぶのは、人間だけかどうかも調べてみた。鳥類もあるらしいし、こうもりもあるらしい。だったら国境閉鎖って別の意味があるんじゃないのかね。バカだからわかんない。以下参照。コロナウイルスコロナウイルス(英語: coronavirus; CoV、中国語: 冠状病毒)は、ゲノムとしてリボ核酸 (RNA) をもつ一本鎖プラス鎖RNAウイルスで、哺乳類や鳥類に病気を引き起こすウイルスのグループの1つであり、ニドウイルス目コロナウイルス科(英語版)オルトコロナウイルス亜科(英語版)に属するものを扱う。36キロバイト (4,033 語) - 2020年3月22日 (日) 14:53
2020年03月23日
世界が、特にヨーロッパが国境封鎖に踏み切ったらしい。EU各国の離脱はコロナ以前からEUでくすぶっていた。このことについて、私は何か純粋でないものを感じる。私の本心はコロナの本体にあるわけじゃない。国境封鎖は外国人の全てを 負の存在として疑い敵視するという結果を招くということの意味にある。私は中米で8年間内戦の真っ只中に外国人として暮らした経験から、ある不安を感じている。満州引き上げとシベリア抑留の歴史も頭をよぎる。世界の指導者は本当に純粋にコロナの予防に焦点を当てているのか、又はコロナを利用して別のことを企んでないか、それを案じている。それから、正体がわからないコロナを警戒するのは当然だけど、コロナ戒厳令の意味を国民一人一人が冷静に見つめて判断することが大切だと私は思うのだ。コロナ戒厳令が出たら、他の一切のことを考えずに、トイレットペーパーとマスク買占めに走る国民が冷静に背景にある世界の動きを見つめる能力がないかもしれないことを危惧してる。
2020年03月18日
今朝もニュースをなんとなくつけていたけれど、コロナ以外のニュースはない。オリンピックが開催されるかどうかということもコロナ関連で話がされる。バッハはコロナを恐れないらしい。というより、俺はコロナより偉いんだという態度みたい。オリンピックに興味ないから開催されてもされなくても私はどうでもいい。コロナ関連で、関係ない東洋人全体が差別されるのが心配だ。
2020年03月13日
世はコロナで大変らしい。私はコロナのはやり始まる寸前に骨折で入院、全治3か月。今は自宅療養中だが、コロナに出会う方法もなく、天井を眺めて暮らす生活。時々リハビリ散歩をしているけれど、ほとんど人間ともすれ違わない。これって、不運か幸運か疑問。コロナっていう言葉は、聖人の頭に描く輪っかのことだけれど、ウイルスの形がそれに似ているの?コロナの発生地のせいで、東洋人は世界で差別されているらしい。まあ、イタリアでも蔓延しているのに、東洋人ばかり差別されるのは、やっぱり白人優越主義のためだろう。白人てなんでああ、凶暴なんだろうね。自分たちの凶暴を棚に上げて、有色人種を野蛮人野蛮人ていまだに思っているらしいけれど、白人の凶暴さに勝る有色人種はいないよ。まあ、どうでもいい。私は骨折のおかげで、コロナにかかるチャンスがない。でもそろそろ三輪車が欲しいな。歩くのはつらい。昨日リハビリのため病院に行って、ついでに裏のスーパーに行ったら、世で大騒ぎしているトイレットペーパーがあったよ。一つつみ買ってきた。マスクはないらしいけれど、私は万年のどに問題がある人間だったから、マスクは大量に保存していた。風邪のはやる時期は、マスクして自転車乗り回していたから、マスクに困っていない。でも、マスクもトイレットペーパーもない時代を私は知っているから、なんでこう、皆大騒ぎしているのか不思議。つくりゃいいじゃん。待ってりゃ湧くものじゃないし、なきゃ作るべし。便利な時代に生まれて来たら、食べ物も、コイン入れたら出てくると思っていて料理もしないんだね。人間退化すれば、滅びの一途。竪穴住居に戻れば、なんか知恵がわきますよ。
2020年03月11日
1月最後の週、自転車のトラブルで骨折。全治3か月で入院していた。1か月で退院して現在自宅。まだ歩くのは無理で、自転車も不可能。三輪車を整備して何とか乗れるといいなという状況。死にはしないけど、移動ができないので、ちょっと困っている。
2020年02月25日
FBで書いている記述でも、このサイトに乗せようとすると、入力不許可になる。私は特に書いてはいけないような内容の記事を書いたこともないんだけど、楽天ブログだけで不許可。初めて不許可になったのは、よく調べてみたら、実は私の兄の実名。私の兄の実名にどんな隠語が隠されているのか知らないが、書いてある内容も確認せずにその文字は不許可というのは意味わからない。私の実名だってダメなんだけど、それにも裏の意味があるとは考えられない。兄弟9人に名前を付けたのは、ものすごい熱心なカトリック信者だった両親だし、下劣な裏の意味などあるということも、知らなかっただろうに。今回不許可になったのは、もっと意味が分からない。自分が今、体調が悪く、記憶力が激減して、多分認知症になりかかっているのだろうなあということを書いただけ。何が悪いのかわからないから載せなかった。ここで私は自分のラテなメリカ滞在時代の内戦記録を書き始めたんだし、そのあとは他愛もない日記だけ。引っかかる要素もない。でも載せられないから、ライブドアブログと、FBには転載した。
2020年01月22日
I hope, my dear, love, have a sweet dream,などの多分、英語ではごく当たり前の表現を、日本語に直訳して書いてこられると、どうも気分がむずがゆくてどうしようもない。日本語には、もともと直接的な愛情表現、友情表現がないから、こういうのはあえて和訳しなくていい。和訳すると、奇妙なことになるからね。「私の愛する」とか、「愛を送ります」とか、「甘い夢をあなたが見ることを私は祈ります」とか、日本人てふつういわないからね。横文字で日本名を名乗っている人から時々声がかかって、日本語で当たり前に応答すると、こういう表現ちりばめて愛しまくられちゃって、うへ!と感じるよ。日本語はあるあいまいな表現によって、相手の親疎の度合いがわかるような言葉だからね。日本語には、もともと直接的な愛情表現、友情表現がないから、こういうのはあえて和訳しなくていい。和訳すると、奇妙なことになるからね。「私の愛する」とか、「愛を送ります」とか、「甘い夢をあなたが見ることを私は祈ります」とか、日本人てふつういわないからね。「思っていても言わない」のが日本文化です。横文字で日本名を名乗っている人から時々声がかかって、日本語で当たり前に応答すると、こういう表現ちりばめて愛しまくられちゃって、うへ!と感じるよ。日本語はあるあいまいな表現によって、相手との親疎の度合いがわかるような言葉なんで、直接表現が好きな横文字民族にはとらえにくいだろうなあ。たださ、「直接表現」といったって、初対面の人に言う言葉として、「愛する」だの「甘い夢」だの、それって正直言って嘘八百でしょ?異文化の異言語を習得するのはお互いに厄介です。
2020年01月12日
FBにクリスマス関係のことをいろいろ投稿して思った。キリスト教って、日本人にとって、邪教という意識が取れない宗教なんだな。クリスマスの話すると、あのちゃらちゃらしたクリスマスシーズンの無意味な大騒ぎを、まだいい年した大人のくせにその自覚もなく本気にしているんだと、馬鹿にされる。本気にするってね、どの宗教も時がたてばいろいろな要素が混じってきて、本来の信念からそれたバカ騒ぎする輩も出てくるよ。特に日本人は、バカ騒ぎだけを商業のために取り入れた国だから、クリスマス飾りはひどくちゃらチャラしてむなしい。そのくせ、うっかりどのキリスト教国にもあるキリスト生誕の飾りなどど載せると、ガキか!と言われる。私はカトリックの家庭に生まれて、78年前からクリスマスの時期には、厩を飾り、東邦の博士が現れたことになっている時期になると、厩に3人の博士の像を加える。別にものすごく信仰を持ってこういうことをしているわけでもないが、遊びでないことも確かだ。ちょっとそれは違うよというと、「私は残念ながら仏教徒で」とかいう。仏教徒を「残念だ」と思ったことないけどね。なんかひねくれているよ。気分悪いのでFB投稿しばらくやめた。
2020年01月05日
さて、今日はクリスマスイブらしい。でも孫は自分の所属している集まりに行くし、娘は出張中だし、主人はクリスマスにあまり興味ないらしいし、何しても意味ないから、FBに御託を並べることにした。高校2年の時に学校で習ったクリスマス用のフルーツケーキを60年作り続けているけれど、今年それを仕込み始めたのは先週の土曜日だから、ケーキが食べられるのは、正月の見込み。それで今日、病院に行ったついでにそばにあるスーパーで、材料を探した。それで困っちまったのだ。粉とベーキングパウダーとバニラを買いたかった。ところが、あまり行かないスーパーなので、何がどこにあるのかわからない。探して探して探しまくってとうとう店員に聞こうと思ったのだが、そこでハタと困った。言葉が出てこない。昔「メリケン粉」と呼んでいた粉は、今何というんだろう。今どきの若い子、笠置シズコが東京ブギウギを歌っていたころの言葉なんか知らない。あの頃メリケン粉と言っていたもんは、なんていうんだっけ。(ところで笠置シズコなんて知ってる人いるの?)「メリケン粉」っていうのは確か、米軍に占領された当時の「粉」の呼び方で、東京大空襲の時に防空壕に潜っていた世代の私は、あのいたって普通の粉をそう呼びならわしていた。何しろ、今は普通の言葉なぞ忘却の一途をたどって生きている人間でも、子供のころに事は覚えている。どうしよう。メリケン粉、メリケン粉。。。店員の兄ちゃんがいたので、恐る恐る聞いてみた。「あの~~、メリケン粉どこですか?」わかるわけないじゃん。「なななななんですか、それ」だって。こっちもあわてた。なんだか異常な国から来たばあさんみたいに思われているぞと察して、「粉、です、とにかく粉」「粉ってなんの粉ですか?」スーパーなんだから粉類が置かれている場所、教えて呉れりゃいいのにさ。で、言ったんだ。「ぱんつくるこなです」。そうしたらその兄ちゃん、もっと変な顔して言うの。「パンツ?粉?」あのねえ。あきらめた。それでひたすら「粉」を探した。ケーキ作る材料のところには、その「メリケン粉」、なかった。頭の中に、「メリケン粉」という言葉が入っちゃって、もう現代語受け付けないんだ。小学校の給食の光景だの、白衣を着た傷病兵の胸にぶら下げた箱だのが、笠置シズコの歌とともに、頭の中を駆け巡る。で、とうとう「粉」見つけた。パンツ無関係の粉ね。必要なのは「強力粉」だった。くたびれたよ。もう。
2019年12月24日
第二次世界大戦後の処理で、いまだに日本は世界中にぺこぺこ謝らなければいけないそうだ。戦争で負けた方が一方的に悪いと言うのは、東京裁判の結果を日本がうのみにせざるを得なかっただけで、相手国にまったく何も問題がなかったわけではない。そういう話になると、ドイツはナチスの所業を謝ったのに、日本は謝らないとかいうやつが当の日本人の中にいる。ドイツのナチスの問題はドイツの国内問題で、ドイツはイスラエルを相手に戦ったわけではない。しかも当事者は自殺しちゃって、まったく謝ったりしていない。ドイツは戦った相手国の欧米仏に謝った事なんかない。日本は「国内」でユダヤ人問題を抱えていなかった。当時の日本大使がドイッ国内のユダヤ人脱出を助けたという報道はあるが、其の事はとりさたされず、ドイツは謝ったのに日本は、と日本人が言う。日本が負けて、戦争責任を問われたとき、何でもかでも日本が悪く、日本は未来永劫全世界に謝り続けるべきで、日本がどれだけ罪深い国だったかという教育を戦後の日本に施したのはマッカーサーのさしがね。其の教育をいまだ日本人自身が正しいと信じて、何かと言うと、ドイツは謝ったのに、日本は、と言う。
2019年11月25日
昨日私は自分の名前の話を書いた。ところが自分の名前の行があるところはすべて、楽天ブログの検閲に引っ掛かった。私の名前、ラピスラズリの日本名だけど、一体どうして検閲に引っ掛かるのかわからない。FBにもライブドアブログにも同じ物を載せている。いつか私はやはり、兄の名前である花の名前の話を書いた時にも、検閲に引っ掛かった。「ばら」を漢字で書いて「そうび」と読む。後から友人の指摘で兄の名前が隠語だと言う事を知ったけれど、それだってごく当たり前のどこの庭にもある花の漢字名だ。いちいち隠語の方を連想する方が異常だと言わざるを得ない。しかも別に内容が異常なわけではない。兄妹の名前が、そろって楽天ブログに認められないほど異常視されるのは不愉快だ。現在78歳の私の名前がありきたりの名前ではなかったらしく、小学校でも中学校でも一人も同じ名前の子がいなかった。現代は案外見受けられるようになっているが、其れが「検閲」に引っ掛かるような名前とは、意味から考えても考えられない。腹を立てている。「るりこ」の「る」は王へんに留まると書いて、「り」は王へんに「離反」の旁のない文字ね。その名から下品な連想をするというのは、する方が下品なのだと言わざるを得ない。心から腹を立てている。
2019年11月07日
今日、散歩しようと言われて、主人と一緒に20分くらい杖なしで歩いて、のびた。腰痛がぶり返してしまって動けない。『元気そうな顔』ってどうすりゃ直せるんだろう。その顔の所為で、家族も誰も私の苦しみを信用しない。信用しないようにして、私を使っているのかもしれない。よたよたになってぜいぜいしながら歩くと言う手もあるけれど、だいたいそっちの方が疲れるんだよね。人っていい気なもんだ。勝手に「~そうな顔」とか言う物を製造して、死ぬまで働かせる気だ。腰、痛い。背中のレントゲンの写真、医者が貸してくれないかな。キチンと骨が崩れている。手術には金がかかるから無理だ。税金は上がり、介護費も上がり、年金は下がった。爺ばばは早く死ねって言うのがみんなが愛しまくって支持している安倍政権の趣旨だから、だったら、さっさと75歳以上はガス室に放り込んで殺せばいいのに。安倍政権はヒットラーがお手本なんでしょ?
2019年11月04日
https://baramaki.info/1910baramaki/fanel1bara/ネット詐欺に満ち溢れる業界を再編成するために、立ちあがったお二人のプロジェクトです。パンダ先生も坂本先生も実際にお目にかかった事があり、数少ない本物ですよ。#拡散希望
2019年10月11日
整形外科医って何でこうもそろいもそろってバカ正直なんだろう。 今日実は定期健診日で、びっこ引きながら、病院に行って、2週間動けなくて寝ていた話をしてきた。痛み止めの薬は何も効かないから、注射打ってくれないかと言ったら、注射なんか効かねえよと言う。でも数年前近所の内科医に注射してもらったら痛みがなくなった話をしたら、じゃあ、打ってやんべいかと言う。 始め、とりあえずレントゲン写真撮ったら、医者は眺めながら、ずいぶん曲がってきたね。手術する以外にないな、と言う。折れた骨を金属で固定してこれ以上曲がらないようにするんだそうだ。そのためには1カ月毎日自分で注射して、骨を強くしてから、手術するんだそうだ。やろうか、というから、費用のねん出が出来るかどうかわからないから主人が帰ってから決めると言って、とにかくその手術は決めなかった。 で、注射を打ってもらったんだけど、医者は打ち終わったら、「こんなもん、ただのおまじないだよ、効きゃしないからそのつもりで』と言うので、「せっかくおまじない信じているのに、そんな事言わないでください」と言ったら、『あ、そうか、其のおまじない、効く効く』というの。 なにあれ。 別の病院の整形外科も、こんなだった。『あ、これ骨粗鬆症。始まったら絶対治らないけど腰痛で死ぬことはないよ」と慰めたつもりでいた。 まあ、みんな正直なんだね。私もさ、人の事言えないから、げらげら笑って帰ってきた。
2019年08月27日
自転車でふらふら歩いていたら、一人のおばさんが、畑からなすを積んで帰るところに出会った。其れ売るんですか、と聞いたら、すぐそこの本土寺の店で売ると言うので、くっついて行った。これは白なすじゃなくて、紫の普通の色。だけどでかい。このでかいのが3個で100円だって。
2019年08月21日
ある日近所の畑で白い茄子を見つけた。珍しいなあと思って眺めていた。体調崩してほとんど外に出ないうちに、なすはどんどん大きくなり、今日病院に行く途中で見た時、茄子はすごく大きくなっていた。畑の持ち主がいたので、白い茄子を買いたいと言ってみたら、売ってくれた。見事に大きななす。どうやって料理するのかわからないのでこれから検索。
2019年08月20日
少し、気分が持ち直しているかもしれない。体は全く変化なく、コルセットで固めてやっと自転車で前進できる程度だと言うことは変わりないんだけど、絵をかく意欲が前向きになってきた。 手をつけたのは、例のパレット画だけど、おとといから描き始めた。題材はやっぱり中米の植物。 40数年前、中米に始めていった時の状況が、あまりにショックで、其の私の目を慰めてくれたのが鳥と植物だった。内戦の状況下で、目が動植物に行くっていうのは、普通なのか異常なのか知らない。 でも当時の私の記憶にあるのは、毎日毎日ラジオを通して流れてきた暗殺されたロメロ大司教の、叫ぶような説教と、それと裏腹な平和な動植物の命だけだったんだからしかたない。 絵筆を持つと、いつの間にかそっちに思いが行っちゃって、神経があの時代の中米の神経になる。 なんか成人してから娘が暮らしたエルサルバドルとは、二人の経験をつき合わせられないほど、まるで違うらしいけれど、私のエルサルバドルは私の過去の映像から自由になれない。 目をつぶるとロメロ大司教の声が聞こえるし、豚の親子が街を歩いていたり、1本で春夏秋冬を演じている不思議な木が見えたりする。 あれは私の人生のなかで使命が芽生える8年間だったのだ。
2019年08月17日
8月は敗戦の記録がTVに登場して、私は辛い。特に原爆投下の記録は見るのが苦しい。これは私の本心だ。昨日長崎浦和天主堂の倒壊の後に当時の司教から、あるカトリック信者のアメリカ兵に託された、被曝倒壊した天主堂の十字架の返還の話を見た。深く感じるところがあって見ていたのだけど、十字架をアメリカ兵に託した故人の知り合いに、「なぜ当時の故司教がその十字架をアメリカ兵に託したと思いますか」という質問に答えている人物の答えに私は違和感を覚えた。「破壊された十字架を日本においたって保存できないだろうからでしょ」カトリックだけでなく全てのキリスト教関係者にとって「十字架」と言うものは、歴史的な意味合いを持った保存価値のある「もの」じゃあないだろう。何故その「ぶつ」を「被曝したキリストご自身」という意味で、原爆投下の張本人である米兵に託した故司教の深い思いを理解できなかったのだ。世界で初めて、キリスト教国を自認するアメリカが、キリストを被曝させた事実を知れ!と故司教は伝えたのだ、と私は主張する。
2019年08月10日
家の前の通りに小さな蛇が死んでいた。哀れに思って、家の前の草むらの中に入れておいた。あれはたぶん、うちの崖に生息していた大きな蛇の子供だ。いつか主人が殺そうとしたのを、大慌てで止めて逃がしてから、小蛇は見るけれど親蛇は見なかった。キリスト教国では、旧約聖書に登場するアダムとイヴを騙した蛇の所為で、蛇を敵視する傾向があるが、 アメリカ大陸の多くの国で蛇は神の化身だった。日本だって、家に蛇が住むと縁起がいいとされていた。私は干支が巳年だし、蛇を神様と祭る日本人だから、蛇に敵意は持っていない。恨みもないのに蛇を見たら殺すという行為に出る人間を逆にたたってやりたいと思う。中米の原住民の神、ケッツアルコアトルはもともと蛇で、農耕神である。ところでそのケッツアルコアトルだけど、そのせいか、グアテマラの通貨は「ケッツアル」と言う。其れを日本人は、好んで『ケツアール』と発音する。そういう発音を好んでするのは日本人だけで、何を言いたいかわかっちゃうんだけど、まあ、いい。で、その『ケッツアル』と言うグアテマラの通貨の単位だけど、現地の人は、「ケッツアル」とか、「ケクサル」とか発音している。日本人が『1ケツアール』と言っても通じないから注意。私は昔現地であった日本人に、「え?どこにもケツないよ」と言ったことあるんだけど、通じたのかな。其れに関連して、日本人が好む地名にオランダの地名がある。日本人の発音だと、「スケベニンゲン」になると言う事が北杜夫の『ドクトルマンボウ』に書いてあった。あの本は面白い本だったが、今思い出しても、「スケベニンゲン」と『ヘンダワネ(何語か忘れたけれど、スイカの事だそうだ)』しか覚えていない。其れはともかく、スペイン語は子音と母音を合わせて発音する関係で、無関係なのに、発音したら日本語でおかしな意味になる言葉が多い。キミ子という名前は、其の発音のまま『科学者』と言う意味になって、問題ないが、マリコはまずい意味になる。それ以上、い言うのや~~めた。
2019年07月28日
主人の国のエルサルバドルでグラナディージャと呼ばれていた植物が、日本でトケイソウと呼ばれ、英語ではパッションフルーツと呼ばれ、さらに宗教を背景にしたパッションフラワーなど、それぞれの民族の文化の背景で、いろいろな思いを寄せられている事を、初めて知った。 其れが全部同じものだとは、あまりピンと来なくて、花の名前を聞かれると『どうしよう』と正直戸惑った。エルサルバドルでは、花を観賞するより、実を食べるのが主なので、日本のトケイソウがピンとこなかった。 (実はエルサルバドルの国花のサボテンの白い花は観賞する物じゃなくて食べ物だし。) おまけに英語のパッションは、その背景を知らないからますます意味が分からず、同じものとは結び付かなかった。 それでつくづくと眺めてみたのだけど、めしべかな、おしべかな、日本人には時計の針に見える真ん中の十字になっているところに特に注意がいったんだろうな。 キリスト教国は蛇を目の敵にするし、そんなつもりで作ったわけではない神様、人間の反応にげらげら笑っているだろうな。
2019年07月24日
絵描きが描いた絵を見て「写真みたい!」と言ってほめる人は、絵も写真も知らない人。絵をかく事も写真を撮ることも別のジャンルの自己表現だと言う事を感じる心を持っていないらしい。老人を見て「お若いわね」と言ってほめる人は、他人が生きてきた人生の意義を全く認めない人。「若い」とは、無知、未経験、うすっぺらさの意味しかない。しわがない方がきれいだと言うことは、苦悩も喜びも凝視してしわを刻んで生きてきた人物にたいする、最大の侮蔑でしかない。上を読んでむかつく人が10人いたら、削除するのでご心配なく。あばよ
2019年07月24日
私は20数年前現在の家に住み始めた時から、自宅のすぐ前の斜面に、捨てられたゴミが山積しているのを毎日10年以上一人で黙々とかたずけ、其のあとにシャガの花を植え、アジサイを植え続けた。 私はそれを『花ゴミ戦争』と呼んで、いつかブログに書いた事がある。 10年以上かけたその『花ゴミ戦争』は数件の住民の引っ越しによってか、『花の勝利』に終わった。 ゴミをかたずけ、花を植えるのが、なぜ『黙々と』なのか、ここより以前に住んでいた町で体験した陰湿極まりない嫌がらせを繰り返したくなかったからにすぎない。 内は国際結婚家庭だが、相手は日本人好みの白人ではない。白人ではない外国人は人間以下と言うのが、ごく当たり前の『常識』だったらしく、近隣のごみ違反は全て有色外人のあの家の所為だと言う事になった。驚いたことに、私の事も低級外人だと認識されていたらしい。 回覧板もうちだけぬかされて、ゴミ当番その他の決まりごとが知らされなかった。おまけに近隣の違反ごみが我が家の庭に放り込まれ、あまりに困ったから隣に行って、事情を聞いた。事情は不問にされたが回覧板は『読めますか?』とかいって、日本語の説明までしてくれた。 以後ゴミ当番だけは内に回ってくるようになったとき、数日間、一家総出で町中の清掃をした。 たぶんその様子をカーテンの陰から覗いていた人がいたんだろう。数人が出てきて違反ごみの袋を漁って、中に入っていた領収書の紙切れを見つけ出し、違反者を突き止めたらしい。長い事住みついていた住人で、低級外人のうちの疑いが晴れた。ゴミも内の庭に投下されなくなった。 ところで、私がゴミを拾って花を植え続けた場所は、我が家の敷地ではなく、家の外の県道で、斜面はNさんと言う人の所有物らしい。しかしそこはNさんにとって、利用価値のない場所で、近所に住んでいるわけでもないので、ゴミがうずたかく積まれようと、はえがわんわんわこうと、木がおい茂って森になろうと、放置されている。 私がここに住み始めた20年前の『若いころ』は勝手に自分が始めた『花ゴミ戦争』を苦痛とは思わなかった。 ところがだんだん無理が効かなくなって、手をつける範囲を縮小していったある日、ピンポーンとチャイムが鳴るので出て行ったら、見知らぬ人がいて、なんだかすごい剣幕で、『あの通りの出ている木の枝が邪魔で車を傷つけるから切りなさい!』というのだ。 自分の管轄でもなく、義務も責任もなく、私が感知する問題ではないので、持ち主に直接言うように答えておいた。5年位前の事だったな。 ところでまた、今度はそこが私の所有物じゃない事を知っているはずの近隣の人から、木を切れじゃまだが始まった。 其れを受けた事情を知らない主人が、安うけ合いをしたため、切らざるを得なくなった。私は体調がすぐれない、だからやりたければ自分でどうぞ、と言って放置したんだけど、ああだこうだといろいろ聞かれて立ち会った。 それで3回めまいを起こし、バッタリ路上に倒れた。 あなたは元気だ、と人はいう。自転車に乗れるんだから元気だ。この自転車だって、片足が効かず歩けないから足代わりに使っているんだ。 お前は元気だと言ってしまえば、こいつ死ぬまで使えるぞと思っている腹を見抜く力はまだ衰えていないけどさ。
2019年07月22日
自転車と老人について1週間ぐらい前だったかな、TVで老人の自転車の話が話題になっていた。何だか老人向けの自転車教室があるらしい。ヘルメットかぶれだの、乗るとき必ずブレーキに手をかけていろだの、自転車は軽車両なので、左側走れだの、いろいろな注意があったけれど、それらはすべて若い連中が守っていないことだらけで、特に老人が無知なわけではない事を、私は知っている。日本の自転車乗りは、ほとんど全員自転車の規則を守っていない。自転車が軽車両だと言う事も知らない。便利な歩行器くらいに思っている。信号無視、車道歩道、左右お構いなく、ウッカリ他人と接触しても自分の所為だとは決して思わないで、きおつけろい!とかどなってくる。サイクリングロードのチャリンコ走者以外、町でヘルメットかぶっている人など見たことない。自転車の規則はマナーなどと言うものじゃなくて、法令だと言う事を知っている若者は「ひとりもいない」。私は78歳の高齢者だけど、嘲笑を受けながらヘルメットかぶっているし(実は近所の中学生に、婆がヘルメットかぶっている!バッカミタイ」とか言われて、だったらお前は私の命の保証をするのか、とかみついたことあるよ)、両手はいつもブレーキに触れているし、その他もろもろ「規則を守らなかったことは一度もありません。」私は故あって69歳にして自転車を始めた人間だから、危険を察知して、わざわざ、道交法の本を買って半年研究し、朝の3時に起きて、人のいない公園で練習し、また半年かけてやっと公道に出て、近距離から時間を計ってどのくらい走れるか、毎日距離を延ばして行って、松戸から牛久まで試運転して、現在に至る人間です。自転車の事故を老人にばかり なすりつけないで、小中学生やその親たちををきちんと教育してほしいもんだ。
2019年07月15日
これを理解してくれる人は誰もいないと覚悟していた。人は皆、あるグループの考えをセットでまとめて考えるから、右翼はこう考えているはずだ、左翼はこう考えているはずだ、カトリック信者ならこう考えているはずだ、と言うように、両翼で飛んでいる人間の考えを理解しない。 若い時私は年中反戦運動にたった一人で参加していたし、気にいれば教会の署名運動にも共産党の署名運動にも参加していた。私は右翼でも左翼でもない。 カトリックの家庭に生まれたからカトリックの洗礼を受けている。しかし私はあるラテンアメリカ人と結婚し、ラテンアメリカに生活してきた時に、カトリックと称する侵略集団がラテンアメリカで侵略した結果を見てきてから、多くの疑問を心に抱えて帰ってきた。 もともと私はある団体と一緒の行動などしたことない。いつも私は自分の考えを中心においてきて、団体の考えに何でもいいから賛成すると言うようなことはやった事がない。だから私は孤独だった。けれども、自分は孤独を強調したくなかった。だから私は自分のニックネームを『孤高の虎』と自称した。これも傲慢だという攻撃を受けたけれど、これが私なんだから仕方ない。
2019年06月30日
I’d like to speak about the difference between KAMI in Japanese and God in English. The term KAMI is usually translated as "God" in English. But in my opinion, it is an unfortunate mistranslation which has caused misunderstanding of Japanese people all over the world. We Japanese think a great deal of the historical family of TENNOU, not because they are god’s family, but they are the family who carries the mystical tradition of Japanese native spirit. God in English has its own definition and also KAMI in Japanese, because the concept of God is different in both cultures, the Christian and the Japanese. God for Christians is the Creator of the universe who cannot be replaced by any other being. God is some kind of being with some mysterious power, while ordinary human beings don't have. KAMI in Japanese, can be originally defined as any kind of "mysterious phenomenon" which could not be understood in ancient times. For example, “UMASHI-ASHUKABI-HIKOJI-no-KAMI which is found in the first chapter of KOJIKI can be thought as “mold”. In a few words, the clearest difference between the two could be as this; "GOD is a being who exists by itself" and "KAMI is the being which comes out from the mysterious phenomenon". Later, in the middle age, a Portuguese ship was casted ashore at Tanegashima, they began to send catholic missionaries to Japan. They noticed the difference between Kami and God. They studied many religious words in Japanese and they published the dictionary called “NIPPO-JITEN”. They understood that there was no suitable translation for God, so they dared not translate that word. They used “DEUS” which is GOD in Portuguese. Later they made a new word in Japanese , TENSHU(天主)sama. This word was used in the Japanese Catholic community until the Council of Vatican in 1962 to 1965. After that in the name of the movement of agreement, The Catholic church of Japan began to use KAMISAMA as the translation for God. It is not good for all Japanese people, because Kami in Yasukuni is translated as “gods”, and then all Japanese people are misunderstood in all over the world that we all adore the soldiers who are worshipped in Yasukuni not as Kami but as Gods. Usually foreigners cannot understand that Japanese people have had a custom to make shrines even for the defeated people as TAIRANO MASAKADO, SUGAWARA MICHIZANE, the family of HEIKE, etc. They are called KAMI but not god. The soldiers who are in YASUKUNI are not worshipped as gods but dedicated as Kami, as the spirit of soldiers killed in the war. When they are translated as gods caused the hatred towards the Japanese people by the Koreans and the Chinese for more than 70 years after the war . But I think all the Japanese people can have a right not to worship but to thank the soldiers who contributed their lives for their fatherland although Japan was defeated in the second world war.
2019年06月30日
6月7日の朝かわいがっていたペットのおかめインコが空にとんで行った。以後私は抜け殻になっている。
2019年06月15日
蕾の状態から眺めてきました。。すごい!
2019年06月09日
自分には無関係な事件だけれど、今回の川崎の大量殺人事件に関して、私はすっかりめいっている。 批判を受けるだろうと言うことは予測できるけれど、私は今回の事件の最大の犠牲者は、犯人自身だと感じているからだ。犯人が正しいなんて私は一言も言っていない。しかし、犯行に走った『理由』はあっただろう。私はほとんどその理由を『知っている』。 私には、犯人を単なる『自殺願望の気違い』と言い捨てて、自分とは無関係とはは言えない理由を過去に持っている。 自殺した犯人の男が生涯何を感じ、何を苦しんで生きてきたのか、なぜ狙った相手がカリタス小学校の、直接的には犯人とは無関係そうに見える児童だったのか、報道された犯人の生い立ちを知った時、私はかなり納得がいってしまったのだ。 私は太平洋戦争開戦の年に生まれ、東京大空襲の爆撃の中、防空壕で育った。私の一家は敵国宗教であるカトリックに所属していたから、近隣から孤立していた。教会の敵国人神父は全て獄舎にいるか国外に追放されるかしていた時代、教会には同盟国のドイツ人とイタリア人神父だけが残ったが、ドイツ人とアメリカ人の違いなど、当時の一般日本人に分かるわけなかった。近隣の住人からスパイ容疑を受けた事さえあるのだ。 私たちが外に出れば子供たちが、『アーメンソーメン冷そうめん!』と叫んで石を投げつけるという環境の中で、戦後の混乱期、家族は極貧だったにもかかわらず、両親が心配してあるカトリック私立校に私たちを入れた。 私は小2の時に父を失った。しかし、父の遺言を受けた母は、学費も払えなかったのに、姉と私だけはそのまま私立の小学校に残した。しかしたぶん困った学校側は、学費を理由にしてでなく、盗みや不従順をでっちあげて、私を退学処分にした。子供の私にとっては全く意味不明の退学処分であった。 私は私に石を投げた子供たちのいる公立中学に入らざるを得なかった。物事が正確に伝えられていない状況の中で、私は苦しんだ。時には奇行に走り、誰にも理解される事もなく、『気違い』と呼ばれて過ごしていた。 私の場合は、その後よき指導者にも恵まれ、良き友人にも出会い、道を踏み外すことはなかったが、私の性格が其の理不尽な経験から自由なわけではなかった。 あの少女時代の理不尽な経験は78歳の現在に至るまで、事あるごとに自分を苦しめた。 ーーーー ところで関係のない今回の事件の犯人、彼は少年のころ、両親を失い、親戚に引き取られたが、そこで受けた扱いは、公平ではなかっただろう。 同居せざるを得なかった環境の中で、いとこたちがカリタス小学校に通っている時、彼は一人、公立の小中学校に通ったと言う事が、彼の心におとした影は、淡々とテレビの報道が語る以上の、以外の、もっと深い複雑で陰湿な体験として、たぶん彼の心と精神状態に、一生影を落とし続けただろう。其れを私は『理解する』。 私は犯罪が意味ある事だなどと言ってない。私は彼が正しいなどと言ってない。そうではなくて、彼を犯罪に駆り立てた、彼の心の中の苦悩を、理由があっただろう、その理由をただ気違いの犯罪と言い捨てて、犠牲者がかわいそうかわいそう、犯人は悪魔と言い捨てる事が出来ない、と言っているだけである。
2019年05月31日
http://latinestudiar.web.fc2.com/ このURLだと載せられないのは、なぜだろう。
2019年05月06日
来週からです。第三回ラテンアメリカ探訪アート公募展 Nosotros 開催2019年5月14日(火)~19日(日)10:00-17:30(最終入場17:00、最終日は16:00まで)会場 NHKみんなの広場ふれあいホールギャラリー東京都渋谷区神南2-2-1NHKみんなの広場ふれあいホール3階NHK放送センター内 NHKホール隣主催 ラテンアメリカ探訪
2019年05月06日
Nosotros(第三回ラテンアメリカ探訪アート公募展)案内2019年5月14日~19日10:00~17:30於NHKふれあいホールギャラリー東京都渋谷区神南2‐2‐1NHKみんなの広場ふれあいホール3階(最終入場:17:00、最終日16:00まで)主催:ラテンアメリカ探訪(JR原宿駅より徒歩12分)なお私の作品は、今年はラテンアメリカで出会った鳥ばかり、本物を見に来て下さる気分と時間がある方、どうぞお越しくださいませ。アスレッホケッツアルタラポインコの巣立ち
2019年04月17日
医者の陰謀で飲まされた薬で、生きた心地がない。 この前、MRIの検査をした。閉所恐怖症にとってはあのドカンに潜るの辛い。ずっと目をつぶって閉所にいる事を忘れようとしたが、凄い音で気が狂いそうだった。 ところでそのあと、自分の骨を見たけれど、あんなでよく立って歩いていられるわ、と思うほど、腰の骨の一部が崩れていた。私って案外すごいんだ! それで思い出したけれど、子供の時よく病気して寝ていた事があって、もう駄目だと家族が思ったらしい。眠っていて、私が聞こえている事を考えなかった兄貴が、『瑠璃子の棺桶も俺が作るんだなあ』と言っていた。兄貴、建築設計士だったけど、棺桶作った事あるかどうか知らない。一生覚えているよあの言葉。 それから、もう一つは、内戦のエルサルバドルから帰ってきたとき、母がボーっとして亡霊でも見るような顔してね、「あなた、生きてるの?」って言った。なんか、普通なら『お帰り』とか言うと思うけどね。『あなた生きてるの?』はないでしょ。 そういえば、私が生まれて父の母、つまり祖母が見に来た時も、「この子、育つかや?」と言ったそうで、私はいつも死ぬ死ぬと思われていたらしい。 でね、私は骨が崩れていても歩けるんだし、自転車で松戸から手賀沼まで行っちゃうんだし、迷って偶然とはいえ、守屋のジョイフルまで行って往復したよ。 つまり言いたいことは、骨が崩れていても、麻薬飲むことないっていう事。あの薬は凄いわ。今でもふらふらして階段なんかおりるの危ない。 薬剤師の娘が婆さんの病気は全部医者の薬でなるんだといっている。そうなの? なんかそういう事言っているサイトがあったなあ。ちょっと自分の意見書いたら追い出されちまったけど^^。どんな立派なご意見だって、自分の意見なしにただただ自分を拝み奉る人間集めているサイトから追い出されてもいいけどね。 と言う事で、もう薬飲むのやめた。死ぬはずなのに、78年近く生き続けた人間としては、麻薬飲まずに神様が決めた時に死ぬからね。
2019年03月01日
(2)私が無意識のうちに生まれた世界は、太平洋戦争直前の日本人の家庭で、宗教は日本ではかなり少数派のカトリックだったから、近隣にそういう人種は一人もいなかった。 おまけに母が植物が好きだったからか、家はまるで森の中の赤ずきんちゃんの家みたいに、木々で覆われ、一般世界から孤立していて、遊び相手になる子供もいなかった。 だいたい私が記憶している最も幼女のころの居場所は、『防空壕』の中で、家族が庭に穴を掘って作った防空壕だから、それはまさしく竪穴住居以前の「ほこら」だった。家族以外の人間関係が出来るわけがない暮らしをしていたのだ。 東京大空襲の猛攻撃を覚えているよ。 出てこいニミッツマッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし~~♪ それでカトリックと結び付かないけどね^^。 で、私が子供だった時代のカトリックはローマ教皇ピオ12世の時代だった。彼は非情に頑固な反共主義者で、カトリック至上主義の人物だったから、布教地の日本でも、彼の影響下にあった。 私は日本にいながら日本古来の仏教や神道起源の常識を身につける事が出来なかった。 まして私がいれられた小学校は、がむしゃらな覇権主義で異民族の文化を破壊して、世界にカトリックを強いたスペイン系のカトリック私立校で、私は住んでいた町の日本の祭り等に参加はおろか、神社仏閣の中を散歩で通ることも許されなかった。 当然のことながら、カトリックに反旗を翻したプロテスタントの人々など交流さえできなかった。スペイン系カトリックによると、ルーテルなんてほとんど悪魔だったから。 それにもまして、へんてこな制服を着た私が道を通ると、悪ガキが『アーメン、ソーメン、ひやソーメン!』と叫んで石を投げる。そんな状況の中で私は、自分を異物視する者に対する敵意もきちんと育った。 だって、生まれた場所の考え方が問答無用で一番正しいんでしょ? 大東亜戦争のもとで日本では、敵国宗教であるキリスト教は弾圧され、一般人は江戸時代のキリシタン邪教意識を引きずっていたんだからカトリックの家庭に生まれカトリックの学校の制服を着た私がまともにあつかわれるわけがなかったのだ。 敵意と言うものはお互いにこういう状況で生まれる。理屈もへちまもないのだ。 書物に関してさえ、近代生まれた多くの書物は『禁書』と呼ばれ、読むことさえ許されなかった。ジッドだろうがサルトルだろうが、カント、ヘーゲル、西洋の思想の近代化をになった書物はすべて『禁書』だった。 このような状況下で育ったら、自分が所属する世界以外への理解など生まれるはずがない。 キリスト教圏に所属する西洋人が、イスラム圏の「生きもの」を、意味もなく拒絶する精神は、ちょうどこのようなものなんだろうとお私は思う。
2019年01月15日
表題だけですでに言いたい事が分かってしまうかもしれない。ただ、ある宗教に生まれながら所属し、いろいろ考えた事を死ぬ前に語っておきたくて2019年正月にあえてここに記す。人は生き物として自分の出生地を選べない。自分が宿る胎を選べないのだから出生地どころではない。ところがある時精子と卵子が都合によって結合して、人間の卵が形成され、おぎゃあと泣いて外に出てきてしまうと、人種も宗教も貧富の差も決定的になっている。決定的になったものを正しいの間違いのと言われたっていたしかたない。日本人にとって、日本人の肌は『肌色』であって、肌とはもともとこういう色なんだ。白や黒や縞縞が正しい色と言うことはない。ところでさ、人間は平等なんて真っ赤なウソ。人間は無意識のうちに人種の争い(特に肌の色の違いによる人種差別)、身分の上下の争い、宗教の争いの真っただ中に生まれる。争いって言うのは、なにしろ自分が生まれたところだけが正しくて、他は間違っているんだからそこに議論の余地はない。カトリックとプロテスタントとイスラムの争いだって、争っている時代と民族の間には、それぞれの歴史的事情があっただろうが、まるでそれと無関係の東洋の布教地にまでその争いを持ちこまれたって、意味がない事を誰も意識しない。何でもいいから俺が正しい、あいつは間違っている...以上、議論の余地なし。プロテスタントだって争った時代のカトリックと同様、親の宗教を踏襲し、その争いまで踏襲し、自分の派閥の宣伝のために、異民族をぶっ殺すことまで受け継いでいる。イスラムの事となったら、相手の宗教の内容など全く研究もせず、宗教の生じた背景も歴史も知らない状態で、そもそもイスラムが存在する事が悪いんだと、キリスト教陣営は思っているらしい。ばかみたい。それぞれの地域で、真実とは何かとか、平和とは何か、と言うような嘘みたいな教育の元に、生まれた場所の基準によって人は善と悪の基準を植えつけられる。自分が生まれた場所の常識が善で他は全部悪。以上問答無用。
2019年01月09日
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