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2007.10.11
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こんな例え話を聞いたんです。

『砂浜に何千と打ち上げられているヒトデを、海に返してあげようとする老人がいました。
それを見た少年が、「そんなを事しても砂浜に打ち上げられた全部のヒトデを海に返すことは無理だし、海に帰したヒトデも結局は打ち上げられるかもしれないから、おじいさんのやっている事は無意味でしょう?」と言ったところ、
老人は、「確かにそうかもしれないが、私がこうやって拾い上げて海に返してあげているヒトデにとっては、意味のある事だよ。」と言いました。』

どこにフォーカスするかで、見えて来る世界が全く違ってしまう事ってよくありますよね。
もしかしたら起きている事は全て完全に中立で、そこにはどんな意味付けも可能なのかもしれません。
幸せの青い鳥のお話にもあるように、幸せ(満ち足りた感覚)とはなるものではなくて気づくもの。
そんな気づきのコペルニクス的な展開(天動説→地動説、目からウロコとも言います)は、きっとどの瞬間にも存在しているのでしょうね。






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Last updated  2007.10.11 10:18:40 コメント(32) | コメントを書く


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