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小学校など、早期に英語教育を導入することの是非については、様々な要素が絡むので簡単に言えないのだが、導入が小学校であれ中学校であれ、私は、少なくとも最初の1年間は、「テストをするな」と言いたい。特にペーパーテストは無用、というか百害あって一利なし。始めの段階では、「評価される」より、道具として英語を使ったときにそれが通用して「楽しい」という感覚を得るべきだと思うから。楽しい感覚がベースにあればモチベーションが自然に上がる。そもそも他の教科でもそうなのだが、テストで評価されることをモチベーションにするという発想自体が変わるべきであると私は思っている。が、まあこれについての話はまた改めて別の機会に。だが、「テストをするな」のさらなる本質は、「(導入時点で)英語を日本語に訳したりするな」ということなのだ。少なくとも「逐語訳」は避けるべきである。前に書いたように、たとえばitには実は日本語に対応する語がない。だがそんなことを中学生や小学生が理解できるだろうか。逐語訳的に日本語を対応させていく中では、itをとりあえず「それ」と言っておくしかない。だがそこに「間違い」がある。従来の英語教育は、最初から「間違ったことを教える」宿命にあるのだ。日本語と英語はそもそも文の構造が根本から違うのだから、単語を日本語に「訳す」教え方ではそうなってしまう。最近ではさすがに少しずつそのあたりが見直され、中学1年生の教科書もかなり実践的なモノになりつつあるようではあるが、まだ根本的ではない。「テスト」とやらをやると必ずと言っていいほど、「訳せ」という問題が入る。仮にどうしてもテストをしなくてはならないのなら、たとえば会話をしているイラストの吹き出しの中に適切な語や文を入れる、などのような問題ならまだいいかもしれない。ペーパーテストではなく口頭でのテストならなおいいが、現場的にはまあ無理だろうな。(とはいえ最初に書いたように、いちいち「評価される」ことで生徒がイヤになってしまうという弊害はやはり避けられない)英語教育には、将来的に英語の読み書き(会話だけではなく、論文を読んだり書いたり)ができるようになる目的もあるのだから、という説もあるが、たとえそういう目的であったとしても、最初から「間違ったことを教える」教育ではその目的すら達成できない。母国語だって、最初は読み書きではなく会話から始まり、その上で読み書きが楽にできるようになるではないか。読み書きから始まる語学教育はありえない。英語を教えるときに日本語を絶対に使うな、ということとはちょっと違う。たとえばシチュエーションを説明するときなどに日本語を使ってもいいと私は思う。「あなたはノートが欲しいので文房具屋さんに行きました。お店の人になんと言いますか」みたいなことなら日本語で指示してもいいはずだ。こういうところまで無理に英語を使って、生徒が混乱するのでは意味がない。ただ単語や文そのものを「訳す」作業は避けなければならない。英語を習い始める最初の最初から、英語というのは日本語の論理とは全く違うものなのだということを、おぼろげながらであっても生徒たちに感じさせなければならないのだが、「訳」をさせる教え方ではそれは伝わらない。生徒のほうも、たとえばIt's hot today!という文を教わったとき、itってどういう意味?と聞きたくなると思うが、教師の方は少なくとも最初のうちは「それはあとで分かるようになるから、今は文全部の意味だけ分かるようになろうね」で済ませた方がいいのである。英語は日本語と全く違うので、単語ひとつひとつを訳すことはできないのだ、ということを言ってしまってもいい。百歩譲って訳すとしても、絶対に、「単語単位」でやってはいけない。hot だけではなくcold やwarmを導入したければIt's hot. 「暑い」 It's cold.「寒い」 と文単位で言うしかない。とにかく、英語教育導入の初期段階で一番分かってもらいたいことは、むしろこの「英語は日本語と論理が全く違う」という点なのである。だから、最初うちしばらくは、単語単位の訳を意識させてはいけない。単語単位で英←→日で置き換えることは不適切なのだということを分かってもらいたい。だから可能な限り「文」の形で導入する。その際、冠詞の使い方などにも(教える方が)注意して正しく言わないといけない。penはpenではなく、a penかthe (またはhis とかthisとかその他の限定詞)+penか、pensの形でしかない。文にしても、前項に書いたように、This is a pen.のような「特殊な」形でいきなり言わせるのではなく、What's this?-- It's a pen. という自然な形を必ずとって導入する。理屈ではなく、とにかく実践で、ごくごく基本的なことを、正確に、じっくりと体に刷り込むように覚えさせる。こういう状況ではこういう言い方をする、という「経験」を積ませていく。たくさんのことを覚えさせる必要はない。けれどとくに本質的な日本語との違いがあるようなところをこそ、むしろ最初から打ち出していく。代名詞や冠詞の使い方、助動詞の使い方のようなところである。もちろん、あくまで、知識ではない「経験」として。冒頭に、英語教育の早期導入の是非については簡単に言えないと書いたが、私自身はどちらかといえば賛成である。ただし、あくまでこのような形であれば、ということだ。小学校では、できればネイティブの教師と一緒に英語で遊ぶ、というような形であるべきと思う。ゲームをしたり歌を歌ったり、劇をしたり。英語のテレビ番組を見るだけだっていいと思う。そういう点では、そういうことをやるならやはり中学よりは小学生のほうが抵抗ないとも思えるから、やはり小学校で導入するのは基本的に悪くない。小学校高学年の2年間ぐらいそうやってたっぷり英語の「経験」を積めば(テストなどやらずに!)、中学になってからいよいよ読み書きも含めた「理屈」のともなった学習をするための土台ができる。その土台ができてしまえば、今度は逆に、しっかりとした理屈を教えていくことができるし、必要になる。まず文型を教え、品詞を教える。そこで初めて、「単語」単位で考えても混乱しないようになる(とはいえやはり単語単位で「訳す」のは御法度だが)。これまで「体感」していた日本語との論理の違いに、ちゃんとした知識の裏付けを与えてやれる。それからその先の文法を教えていくようにすれば、文法というモノがややこしくて厄介な代物なのではなく、自分の言いたいことを伝えていくためにさらに技術を高めていく便利なツールであることがよく実感できるはずである。最初に間違ったことを教えてしまうから、その後ず~~っと修正されず、ワケ分からなくなって、イヤになってしまうのだ。今から思うと、私自身、たしかに大学を卒業した時点では英語はしゃべれなかったが、それでもその後本格的に志してからの習得がけっこうスムースだったのは、小学校低学年の時に上記のようなコンセプトの英会話教育を(学校外で)少しだけ受けていたからだと思う。ラボパーティという、教師の家に行って「英語で遊ぶ」という感覚の教室で、丘の上にある瀟洒な一軒家で、授業よりむしろ終わってから紅茶とケーキが出ることや、広い芝生の庭でその家のお嬢さんや犬たちと遊ぶ方が楽しかった記憶がある(我が家とは雲泥の差の上流階級の家!という感じに憧れ、週に1回でもその雰囲気に浸れるのが嬉しかった)。あまり詳細は覚えていないが、そこでは「訳」などはせず、紙芝居のような絵を見ながらそのセリフを覚えていくのが中心だったと思う。先生はネイティブではなく、英語のしゃべれる日本人の女性だった。授業も「英語だけ」で進んだわけではない。けれど逐語訳などではなく、あくまで英語が「場面として導入」されていた(と思う)。その時点ではさして「分かっていなかった」し、それだけでしゃべれるようになっていたわけではない。しかもその後の学校英語教育でむしろスポイルされてしまった気がするが、日本語と根本的に違う英語の「感覚」や「論理」がおぼろげではあるが無意識に刷り込まれていたのだと思う。
Mar 26, 2009
きのうの時点でひとつUPしてしまったが、現時点で考えている項目のラインナップをまず提示しておこう。従来型の知識にけっこう「挑戦」しているつもりである。今後徐々に本文を書いてUPしていく。構成もいずれ整理する。 ★ "it" は「それ」ではない。★"it"は日本語に対応する語がない。★"that"は常に「あれ」であるわけではない。★"you"も常に「あなた」というわけではない。★日本語には「代名詞」が本来「ない」。でも英語ではかなり大事。★日本人は基本的に"Yes"と"No"も誤解している。★英語には実は「未来時制」はない。★過去形も本来は「過去」形ではない。★ing形は「進行形(現在分詞)」でも「動名詞」でも実は正体は同じ。★過去分詞も、別に「過去」じゃない。★不定詞の「3つの用法(名詞的・形容詞的・副詞的)」の区別はどうでもいい。★不定詞のtoと、go to Americaというような前置詞のtoは本来同じモノ。★「現在完了」はあくまで「現在」である。★関係代名詞は特別なモノじゃない。★助動詞というのは意外にも「かなり大事」★リズムを捉えることが一番のキモ!★「アクセントがある」ということはイコール「長い」ということ。★「半分の長さ」しかない弱音を捉えるのが重要。★舌の位置が、始めから日本語とは違っている。★口の「中」を大きく開ける。★大きい動きの方がスピードが出る。★リスニングを鍛えるには、発音してみるしかない。★リズムがないと文法も覚えられない。
Mar 20, 2009
途中で挫折してすっかり間が空いてしまったが、全面的「再構築」を検討中である。だがとりあえず、書いたことをそのままUPしていこうと思う。サイトを整理するのはまたのちほど…。(すでに書いた内容の焼き直しである部分もあります) This is a pen.…最近は少し違うらしいが、私がこどもの頃、最初に習う英文といえばこれであった。「おれ英語しゃべれるぜ、ジスイズアペーン」などとギャグにも使われる定番ともなった。かつて「ザ・ガイジン」という、ほんとの「外人」が、彼らが実際に日本で出会ったり感じたりしたことを題材にコメディをやっている劇団を見に行ったが、ここでもやはり、ランドセルを背負った小学生に扮した外人が、「ガイジンに扮した外人」を見つけて「あ!ガイジンだ!ジスイズアペーン!ジスイズアペーン!」と叫びながら追いかけていくというシーンが観客の外人たち(&日本人たち)を爆笑させていた。けれどこの英文、実用としてはほとんど「使い物にならない」のである。ジスイズアペーンと言われても、言われた方は普通、「……。…で?」としか言いようがない。いや、別に上のように町中でいきなり叫ばれたわけでなくても、だ。目の前に実際にペンがあり、それを指してこう言う、という、「まったく正しい」文脈であっても、である。これは何?と聞かれて答えるなら「これはペンです」もあり得るかもしれない。でもその場合は"What's this?""It's a pen." であって、This is a pen. とは普通ならないそういえば、なんでWhat is this?と聞いたのに答えはIt's a pen.になるの?なまじ典型的な優等生だった私は当時ぜんぜん疑問に思わなかったのだが、これに疑問を持つ人の方が本当の意味で賢い人だと思う。中学生の時は、上のやりとりを「これはなんですか」「それはペンです」と「訳して」いて、つまり、This=これIt = それ…なのだ、と思い込んでそれで納得していたのである。たぶん、けっこう多くの人がそうなのではないだろうか。しかし実は、それはぜーーんぜん違うのである。かつての英語学習はもう第一歩目から、つまづいている、いや、どちらかというと「つまづかされている」状態だったのだ。つまづいたコドモを助け起こすどころか、つまづいたことにすら気づかないまま学習は進んでいき、コドモはいわば立ち上がらずに這ったままズルズルジタバタしていたようなもんである。でも今、声を大にして言わなければならないのは、This=これ That =あれ It =それ ではない!…ということである。日本語のいわゆる「こそあど」(これ、それ、あれ、どれ、ここ、そこ……etc)と英語の指示詞はそのシステム自体が異なっているのだ。日本語は「自分に近い」=「こ」「相手に近い」=「そ」「自分からも相手からも遠い」=「あ」という3つの分け方をしているのに対し、英語では「自分に近い」=this(these)「自分から遠い(相手に近い場合もそうでない場合も含む)」=that(those)の2つにしか分けていない。じゃ it は?it は、実はthis やthat の仲間ではないのである。ここで少し話が変わるが、初対面の人同士を紹介するとき、主語としてはやはりthisを使う。"Jane, this is my friend, Peter." のように。時々こう言うのを聞いて、「人に対して『これ』なんて言って失礼じゃないんですか!」とか言う人がいるが、もちろん失礼じゃない。彼らには自分が『これ』などとモノ呼ばわりされたようには聞こえていない。日本語に訳すならこの場合は「ジェーン、こちらは私の友人のピーターです」てな感じであろう。もうひとつ、たぶん誰でも知っているだろうが、電話で名乗るときはI'm Leila.とは言わず"Hello, this is Leila."と言う。これもやはり日本語にするとすれば「こちらはレイラです」というところだろう。どうして、人を指しているのに、IとかHeとかSheとかの「人称代名詞」ではないのか?ここにitのヒミツもあるのだ。つまりitはどちらかといったら、IやHeやSheの仲間であり、thisやthatとは「シマが違う」のである。上に書いた、初対面の人同士を紹介する場合、最初はThis is~と言うが、その後はすぐにHeとかsheに切り替わる。電話でも、最初に名乗った後は普通にI~で話を続ける。電話だからといっていつまでも自分のことをThisと言っているわけではないのだ。つまり、this やthat は、人であるかモノであるとに関わらず(あるいは、言葉や概念や行為である場合も)「(初出を)紹介する」機能を持った語なのである。それまでスポットライトが当たっていなかったものに、ぱっとライトを当てる。相手はライトが当たったモノに、ほい、と目を向ける。そのための言葉なのだ。注目してもらうためには「位置」も問題だが、ともあれ話者の近くか遠くかだけが区別される。手や指や、あるいは目線などで「どれを指しているのか」を分かってもらう必要も当然ある。それにたいし(あとで改めて説明するが)、itやheやsheやIなど普通の人称代名詞には、そのようにスポットライトを当てる機能はなく、逆に、「すでにスポットライトが当たっている」(話している同士が互いに分かっている)人やモノしか受けることができない。すでにスポットライトが当たっているので、それが「どこにあるか/いるか」はもはや問題ではない。それは自明なのである。だから。"What's this?"となにかを指し示しながら尋ね、たずねられたほうはもう指し示す必要がないので"It's a pen."と答えればよい。(逆に言うと、What's it?というのはありえない。指し示さなければ尋ねることも出来ないから)相手がまだ認識していないモノ(スポットライトが当たっていないモノ)をいきなり持ち出してきて、聞かれてもいないのに"This is a pen."と言ったら相手は「はい?」となってしまうというのがこれでお分かりになるだろう。ただしもちろん、この文を使う状況が皆無なわけではない。たとえば、いろいろなものが雑多にあって、それぞれが何であるのか説明していく必要があるようなとき…そう、まさに「英語の授業のはじめの頃、教室にあるモノの英語名を説明する」ような場合にはこの形の文が成り立つ。This is a pen, This is a book, That is a desk...などと次々指し示しながら紹介していくのである。そういう状況があるが故に、英語の授業の始めの方でこの文が出てきてしまうハメになるのだろうが、困ったことにその後に実生活で自然に応用していくのが難しいのである。(だから、コドモにまずものの英語名を覚えさせるときは、別に単発の単語だけでいいのではないか)このたぐいの文を使うその他の状況は…あるいは手品でもやっているとき?なにかの実験などの手順を説明しているとき?ああ、テレビショッピングとかで商品を紹介するときにもあるかな。ともあれ、けっこう「特殊な」場面しか思いつかない。似たような文構造でも、This is my pen.ならばとたんに「自然」になる。ほかにもいくつかあるペンと区別して「これ」は「私の」ペンだ、と言っている状況だと自然に思えるから。こういう諸々のことを、「実感」して「ピンと来る」ようになるためには、act out、つまり「実際にやってみる」が不可欠だ。簡単である。そこらにあるペンをとりあげて、とりあえずThis is a pen.と口に出してみて下さい。自分でも「……で?」という気分になるから(^_^;)。ここであとに続く内容は、やはりそのものについて何らかの紹介を続けるというぐらいしか思いつかない。アメリカの小学校にあるShow & Tell (なにかを見せながら紹介する)クラスの課題みたいになる。あるいはやっぱりテレビショッピングである。だが同様に、そこらにある本をとりあげてThis is my book.と言ってみる。すると(英語でなくてもいいが)「あなたの本はそっちだよ」とか「これはこの間古本屋で買ったんだ」とか「読み終わったら貸してあげるよ」とか、とりあえずそこにつなげて言いたくなることも思い浮かぶはずである。(同様に、This is the book I bought yesterday. 「これが昨日買った(例の)本なんだ」のように限定したアイテムに言及するのなら自然である。This is a pen.の問題点は実は冠詞の「a」のほうにもあるのだが、これについては後ほど改めて)ここで「とりあげて」言う、が大事である。「手元にあるモノを指し示して紹介する」のがthis なので。thatを使ってみたければ、相手の手元にあるモノや、とにかく自分の手元にはないモノを指や目線で指し示しながらThat is~と口にする。まずはこのthis とthatの感覚を身につけることが、結果的に「それとは違う種類である」itの感覚を理解する助けになるかもしれない。なにをあたりまえのことを、と思う方もいるかもしれない。でも、英会話学校で20年教えてきての実感として、this やthatを口にするときにまったくなんの指し示すアクションも、その気もない、という生徒さんがほとんどなのである。そのことは「分かってない」ことの如実な証拠なのだ。感覚が身についていれば、たとえテキストをなぞっているときであっても、そういうアクションはわずかでも本能的に出るはずだから。
Mar 19, 2009
10月始めに書いて以来、ぱったり更新が途絶えてしまい申し訳ない。理由の一つは、10月から始まったNHKの「連続テレビ小説」(通称:朝ドラ)があまりに面白く、私のもうひとつのテーマともなっている「朝ドラ私評」に熱が入りすぎて余力がない、ということで(^^ゞあと、「it」についての考察でちょっと挫折し掛かっているというのもある。つまり、「理屈はある程度説明できる、けれどそれを『実感』してもらうにはどうしたらいいのか」という点で。私としては、英語を習い始めた中学生にも分かるようにしたいという野望があるのだが、これまでの説明の仕方ではたぶん中学生にはちんぷんかんぷんではないかと思う…。* ***** やっぱり理屈を「体感」するには、「体験」するしかない。典型的で単純な例文を、毎日口に出す、ということがとりあえずは、英語を実際にだれかとしゃべるような機会のあまりない日本人にとっての「体験的トレーニング」になる。「天候・寒暖・明暗・時・状態・距離・その他事情のit」が、むしろitを体感的に捉えるには好都合かもしれない。たとえば、朝起きたらすぐ、または外出したらすぐ、その日の天候などについてひとことコメントするのを習慣にするようにしたらどうだろう。It’s cold [hot/cool/warm] today!とかIt’s a beautiful day today!とかOh, it’s raining today…とか。(こういう場面で言いそうな文例リストを作っておいたのでご参照ください)少し慣れてきたら、種々の「状況」についてコメントするような文例を覚えて、それを使ってみる。It’s tough. (tough=辛い/大変だ/困難だ/キツイ/キビシイ etc.)It’s a pain. ( a pain =めんどうくさい、しんどい、やっかいだ)It’s a waste of time [money/ energy] (~のムダ)う。なんだかネガティブなことばかり…(普段の生活が思いやられる?)。ちったあイイカンジのことも…。It’s fun.(楽しい)It’s rewarding.(やりがいがある)(これも文例リストを作りました)だが実は、上のような文例でも、現在実際にやっていることについて言う場合はThis is fun!と言うほうがハマる。いまここでやっていること、自分がその渦中にいること、はthisで示すと生き生きした感じになる。また、だれかが言ったことを指す場合は、前にも書いたようにthatで示す。ではIt is ~はどのように使うか。ここで、実は日本人が比較的得意な構文と言えるIt ~to~構文というのを思い出して欲しい。つまりIt is fun to play soccer.こういう構文では、itはto 以下を”指して”いて、仮の主語であり、本当の主語はto 以下だ、などと習ったはずである。しかし実際は少し違う。Itは別に「仮」というのではなく立派な主語で、つまりは「状況の全体を受けている」ものである。そしてto以下が、その状況を具体的に説明してやるのだ。発想としてはIt’s fun! …to play soccer.「(状況は)楽しいなあ!(その状況とは)サッカーやるってことさ」何度も言ってきたが、英語をしゃべる人間が発想するときにいちいち「後ろから訳す」的な発想をするわけがない。「翻訳」としてこなれた日本語にする必要がある場合を別として、英語を理解するときにはあくまで発語された順に理解していくべきなのである。具体的な内容はto~(不定詞)だけではなく、動名詞で示してもOKである。ちなみに寅さんの映画「男はつらいよ」の英訳は「It’s tough being a man」となっていた。状況の具体的内容が「言わずもがな」つまり説明しなくても明らかな場合なら、to~で説明する必要がなくなる。だからIt’s fun!だけで成り立つのである。今まさにやっていることについてitを使うとやや客観的な感じになるが。一方、前述のようにThis is fun! はもっと直接的に「これ、楽しい!」と状況にハマっている感がでてくる。ともあれ、こういうのは「使ってみること」に意義も効果もある。だからこそ、「日々の生活でいかにもいいそうなこと」をいくつか、感情も込めて繰り返し口に出して練習して覚え(頭で暗記するのではなく、口と心に覚えさせる!)、そういう状況においてすかさず独り言ででも言ってみるということを心がけるといい。単語を覚えるとか文型を覚えるとかが主眼ではなく、単語の「キモチ」(ここでは ” it ” のキモチ)を「体験」することが大事なのである。このカテゴリのマトメ読み
Dec 10, 2007
前項で、itは「日本語に訳せないときがある」のではなく、基本的に大概の場合、itの概念は日本語になじまないのだ、というようなことを書いた。それをもう少し解説する。"it"が何か具体的なものを指す…いや、受けているときであっても、日本語ではっきりと「それ」などと訳すことは実は少ないと思える。"My boyfriend take me to a new Italian restaurant last weekend. It was reeeealy good."(先週末、彼が新しいイタリアンレストランに連れていってくれたの。すっごく良かったわよ)こういうとき、「それはすごく良かった」などと訳したらカッコ悪い。というか、ふつうそんな風には言わないでしょ? でももちろん、itがそのa new Italian restaurantを「受けて」いることは間違いないのだが。だがそれをいちいち「それは」などと訳したら、「へたくそな翻訳」臭丸出しである。 日本語として不自然なのだ。日本語は基本的にあまり主語をたてないわけだが、それは大概の場合、「言わなくても分かる」状況だ。言わなくても分かる、というのは、つまりもうそれがすでに話題になっているので今更「指し示す必要がない」からである。もっとも、実は「主語」に限った話ではない。日本語は目的語だって言わない。”I saw Kimutaku's new drama.""Oh, I saw it too! I liked it."(「キムタクの新しいドラマ見たわ」「あ~あたしも見た~。気に入ったわ!」)「あたしもそれを見た」「あたしはそれを気に入った」なんてあまり言わない。「あ~、それ、あたしも見た!」と強調する気分ならむしろI saw that! と、相手のことを指さして(正確には相手の話した言葉。漫画なら「吹き出し」を指さすところか)言うかもしれない。上記の例は、「いま話題にしている」具体的なものを受けて(あくまで「指して」じゃなくて)いる場合だが、たとえば、今その渦中にいる「状況の全体」、についても、日本語は言及せず、英語ではitを使う。「なんか寒くなってきたね」It's getting cold, isn't it?そう習った人も多いかもしれないが、天候・寒暖・明暗・時・状態・距離・その他事情のit、というやつだ。「このit自体には意味がありません」などと習ったりすることもある。とんでもないことだ。意味のない言葉などない。日本語で表現しないから「意味がない」というのはあまりにも乱暴な言いぐさである。とはいえ、哲学的に言えば、たしかに「言葉こそが意味を作る」わけで、日本人にとってはこういうitが表す世界には意味を感じ取れない。ましてや中学生などにその「意味」を説明するのは至難の業だ。「天候・寒暖・明暗・時・状態・距離・その他事情」とカテゴライズするのが、ある意味「ラク」なのである。だがここに、英語が身に付かない理由もある。ともあれ、このitは、「状況そのもの」を受けているのだ。前述のように、「具体的なもの」を受けている=つまり、意味はしっかりある=itだって、日本語に訳すと不自然な場合の方が多いのである。これまた主語だけではなく、たとえば新しい場所にやってきて「ここ、気に入ったよ」なんて言う場合も、目的語をitにして、I like it here.などという。誤解されやすいが、hereは名詞ではない(副詞であり、意味は「ここに」とか「ここで」とか「ここへ」とかなのである。「ここ」という意味ではないのだ)。目的語というのは名詞でなければならないので、likeの目的語をhereとしてI like here.というのは文法的に間違っている(他動詞であるlikeには『必ず』目的語が必要でもあるし)。I like it here. なら、「ここにおける『状況』は気に入った」ということで成り立つのだ。このカテゴリのマトメ読み
Oct 5, 2007
入試や学校のテストの長文問題でときどき「文中の下線を引いたitが具体的に指しているものは何か」などという設問があったりする。だがこの設問は、設問自体間違っている。itは何も「指して」いない。今まで何度も書いてきたように、「指す」のは指示(代名・形容)詞this/thatの仕事である。「え? でも itが具体的に何を表しているかってちゃんとあるでしょう?」そうなのだが、「指して」はいないのだ。正確には「受けて」いるのである。なんだ、ささいな言葉遣いの違いでいちゃもんつけているのか…と思われそうだが、これはそれなりに本質的なことなのである。thisやthatの役割である「指す」という行為は、今まで焦点が当たっていなかったものに、そこで新たに(または改めて)焦点を当てる(当て直す)ことだ。それに対し、itが表現することができるのは、「すでに焦点が当たっている」ものなのである。だからそれは「指す」のではなく「受ける」というのが正しい冒頭の設問は「文中の下線を引いたitが具体的に受けているものは何か」なら問題ない。itは日本語に訳せないことがしばしばある、と学校の読解とか文法のオベンキョウでもよく言われる。たとえば形式主語のitとか、天候などを表すitとかについてそう言われる。だが実は、itは「ほとんどの場合」日本語になじまない、と言う方がむしろ正しい。"What's this?" "It's a pen."これを「和訳」すると、「これはなんですか?」「それは、ペンです」とするだろう。これは一見正しそうだが、実際の日本語の会話では、「これはなんですか?」「ペンです」のほうが自然だ。わざわざ「それは」なんて言うのは実際はそんなにないはずである。「それは」と言うなら「これはなんですか?」「え?どれ?それ? それはペンだよ」というような文脈ではないか。これを英語にすれば"What's this?" "Which? Oh, that one? It's a pen."つまり、あらためて「指し示しなおして」いるような印象だ。これまでにも書いたが、日本の英語教育では(そう教科書に明記してあるかどうかはともかく、結果的に習った人に擦り込まれてしまうのは)this=これ that=あれ it = それという図式ではないかと思うが、本当はthis =これ(自分のもとにあるものごとを「指す」)that =あれ、または それ(自分のもとにはないものごとを「指す」。相手の近くにあるか遠くにあるかで日本語は変わるが)そしてit = ・・・・・ (その場で焦点の当たっているもの・こと・状況を「受ける」)なのである。そもそも主語をほとんど使わない日本語においては、「その場で焦点の当たっているもの・こと・状況」をわざわざ言葉にすることは滅多にないと言っていい。話は少しずれるが、最近若い人と話しているとしばしばA「○○の件はどうなっているの?」B「は~、ちゃんとうまく行っています」などという受け答えをされることがある。Bの「は~」は、「Ha~」ではなく「Wa~」の発音。つまり「(○○の件)は~、ちゃんとうまく行っています」と言っているつもりなのだ。もはや「それは」とも言わない。だがひょっとすると、従来の会話では「は~」もなく、A「○○の件はどうなっているの?」B「はい、ちゃんとうまく行っています」となるところかもしれない。「は~」によって、「その場で焦点の当たっているもの・こと・状況」をとりあえず「受け」ましたよ、と示しているのだ。itの気分が半分だけ顔を出していると言えなくもない。むしろ英語の発想に近づいている??このカテゴリのマトメ読み
Sep 21, 2007
That's it!という表現をご存じだろうか。どこにも難しい語のない、というか「基本語」しかないごく短いフレーズ。だがこのフレーズをしっかり理解して使いこなせる人は、日本人英語学習者にはそれほど多くはないのではないか。標準的な(?)日本の英語教育的知識からなんとか理解しようとしても「あれは、それだよ」とかになってしまい、「???…」これは、簡単に言えば「それだ!」である。つまり、様々な場面で、だれかが「正解」「本質」「うまい解決法」などと言い当てたりしたときに使う言葉だ。たとえば「どうしたらいいかなあ…(What should I do...)」「Johnに電話して聞いてみたら?(How about calling and asking John?)」「それだ!Johnならこの手のことには詳しいよね(That's it! John knows a lot about this kind of things.)」「それだ!」の「それ」は"it"に当たるのだろうか? この場合、たぶん違うのではないかと思う。むしろこの「それ」はthatのほうだ。今まで述べてきたように、that(やthis)には「指し示す」働きが強い。「それだ!」と言う場合、相手のほうを指さしたりしたい感じになるだろう。もっとも、「日本語には主語がない」と考えると、Thatの部分は無視され訳されず(指さす身振り自体がその訳語かも)、「それ=今求めている情報=it」となる、と解釈できなくもないので微妙である。つまり、「それだ!」の「それ」は「あなたが今言ったこと」(=that)なのか「今まさに求められている情報」(=it)なのか定かでないということだ。ともあれ、That's it. は正確に言えば(上の例に挙げた文脈に則せば)「あなたの今言ったことは、まさに今求められている情報だ」という意味なのである。日本語で「それだよ!」と言った場合の「それ」がどちらを指しているかはともかくとして(しかしそういうことが分かりにくい言語である日本語を母国語とするものが、英語を習得しようとすることには確かに困難がある)、「it」の本質とは、この「今まさに求められている情報」であり、上の例の文脈から離れてもっと一般化するなら「今、焦点となっているもの(こと・状況)」ということである。決して単純に「it = それ」ではないのだ。itにまつわる話はたぶんとても複雑になるので、小分けにして書いていこうと思う。ということで今日はここまで。ちなみに、That's it.についてもっと詳しくはこちらこのカテゴリのマトメ読み
Sep 20, 2007
ナンセンスなThis is a pen. itの正体の話をしようと思ったのだが、もうひとつthis(that)がらみで(もちろんitにも関係するが)。ディスイズアペーン! はそもそも、「意味のない」文章である。そもそもこんな文章が必要になる場面は日常生活ではほとんどない。え~?だって「これは、ペンです」って文章を使うことはあるでしょ?はい。日本語ではね。でもそれはたぶん、This is a pen.ではないのだ。「それ、何?」「これは、ペンだよ」このやりとりは英語では"What's that?""It'a pen."である。thisというのは、前項で書いたように、「指し示す」意味が基本なので、それまで注目されていなかったものについて「ほら、ここにこんなものがある」というふうにまず注意を向ける機能がある。一旦注意が向けばもう指し示す必要がないので、それ以降は普通はitで受けることになる。間違った知識で「this=これ that=あれ it=それ」と思っていると、上記のやり取りはつい"What's it?" " This is a pen."などとしたくなってしまうかもしれないが、これは全然あっていない。たずねられてもいないのにいきなり「ここにこんなものがあるが、これは、ペンです」と言い出すのはあまり日常の場面ではない。しかもそこに不特定のものうちのひとつを指すaをつけた一般名詞が来る状況(つまり「『とある』○○です」という意味になる)はさらに普通ではない。my とかをつけて This is my pen.「これは私のペンですよ(あなたのじゃなくて!)」とか、the penとして This is the pen.「これが、(例の、話題になっていた、あの)ペンですよ」とか(もちろんこれだっていきなりでは妙で、その前の文脈が必要になるが)、さらにその後に限定する句をつけてThis is the pen I bought at that store.「これが、私があの店で買ったペンです」とかなら意味はある。あるいは形容詞をつければ少しは意味があるようになるかもしれない。This is a small pen! 「これは小さいペンですね!」とか。だがいきなりThis is a pen.と言われても「は? それが何か?」としか言いようがない。This is a pen. という文が成りたつのは、それこそ語学の勉強でものの名前をいろいろ習っている場面、とか、あるいは手品でもやっているなどなにかもったいぶってプレゼンテーションをしている場面ぐらいしか思いつかない。もちろん文法構造上では間違っていないし、重要な構文とは思うが、日常の「場面」から乖離してしまっているのを出発点でいきなり教えられるから、その後も日本人にとって英語がちっとも実際の場面に結びつかない、というハメになってしまうのでは、とまで思ってしまう。最近はさすがに気づいたのか、中学1年生の教科書でもいきなりThis is a pen.を導入したりはしていないようだ。aとかtheとかthis/thatの扱いも難しいということにも気づいたのか、私が最近見たものはmy bookとかyour pencilとか所有詞から導入されていて、これは賢いと思う。上述のようにThis is my book.なら十分リアルに成りたつからだ。(それでもまだbe動詞の不用意な導入という問題は残っていて、それについては後日またもやディスイズアペーンを槍玉に挙げて書くつもりである)このカテゴリのマトメ読み
Jul 11, 2007
主語のことを考える基本として、「人称」というのがある。なにしろ日本語に主語がないから、こういうことも実はおざなりになっていて、ちょっと意識すればあたりまえのことが分からなくなっていたりする。まずもって「私(たち)」がなければ何も始まらないので、I と weが最初のもの、つまり「第1」人称である。それから、会話をしている当の相手が「第2」人称、これは当然youであり、単複同形(前項で述べたように、「私(たち)」も含めた一般的な人々をも指すのがyouだが、それをweとは普通しないところに、「相手を尊重する」態度があるのかもしれないと思う)。そしてそれ以外はすべて第3の存在である。「3人称」というやつである。中学などでしばしば「3人称単数現在は動詞にsをつける」などと呪文のように言わされたのではなかろうか(そのわりに正しく付けられる人は少ないが…)。3人称はHeとかSheとかの代名詞だけではなく、もちろん固有名詞でMr.WhiteとかMaryとかいうのもそれである。I/we, you以外のすべてだ。Mr.WhiteとかMaryとかが主語に当たる場合は、日本語であってもさすがに「ホワイトさんが」とか「マリーが」とか言及することが多いだろう。「彼が」「彼女が」という語彙はそれほどば使わないとは思うが「あの人が」とか「その人が」とかは言う。つまり、主語はそれなりに意識されるのだ。複数となると途端に「一般化」してしまい、前項で述べたように「私・あなた(たち)」を含まない「人々」の意味でtheyを使う。それについては日本語では埋もれてしまうことの多い主語なので、とりたてて意識する必要がある。それ以外に「伏兵」がある。 "it" である。さらに、this/that も大問題だ。これらすべて、中学1年生のレッスン1で出てくる基本中の基本のはずだ(←ちょっと誇張。実際はレッスン”1”では出てこない)。今はそうではないようだが、なにしろ「エイゴ」の第一歩と目されているのは、ディスイズアペーン!だものね。ところが、このThis is a pen.にこそ、日本人が英語が苦手になる要素がたっぷりつまっているといっても過言ではない。this も is も実は一筋縄ではいかず、ここを中途半端に扱うから、後になってわけがわからなくなるのだ。ディスイズアペーン、とくにisについての諸問題は、別項で改めて述べる。ここでは主語としてのthis/that/it について考えていきたい。主語としてむちゃくちゃ使用頻度が高いのはitのほうだと思うが、順番としては、多少なりともわかりやすいはずのthisとthatの正体をまず明らかにすることにしよう。itはあまりに奥が深すぎる。 指し示しているthis とthat thisとthat の大大大基本は「指し示している」ということである。「あれ?そりゃ日本語だって『コレ』とか『あれ』とか『それ』とかなら『指し示している』語句なのだし、そんなこと当然でしょ?」ま、それもそうだが。しかし、教えてきた実感で言えば、意外にも多くの人が実はthis that itの真実には気づいていないのだ。まずもってthis=「これ」that =「あれ」it =「それ」………ではないのだ!!!thisはまだいいのだが、thatとitについては誤解している人が多い。日本語の「それ」は、たとえば、相手の手元に何かあった場合にそれを指すのに使う。「それ、何?」ってな具合。じゃあこれって、What is it? となる? …これがならないのである。ここはWhat is that? となる。自分の手元から離れているものはすべてthat(複数ならthose)なのである。だから、this(these)とthat(those)を考えるとき、日本語のこれとかあれとかそれとかの「単語」は、一旦切り離さないといけない。それよりもむしろ、これまた「イメージ」でとらえる必要があるのだ。教材の英語など(特に会話)音読する際、this/thatには必ず「指し示す」動作を伴わせる。そもそも具体的なモノを指して言うときにはそれが普通で自然なのだ。少なくともその対象に目は向いている。それもなく、ただテキストを見ながらThis is ~などと棒読みしても「意味ない」のである。もちろんthis/thatは具体的なモノだけではなく、アイデアとか、言葉とか、抽象的なものも「指し示す」ことがある。典型的なのは、That's true/great/nice. それは本当だ/それはすごい/それはステキのような相づちだが、このthatは「相手の言ったこと」の全体を「指して」いるのである。つまり、「自分の手元にはない」ものを指しているのだ。それに対し、自分が直前に言ったことや、自分の頭の中のアイデアを指すときならthisを用いる。いずれにしても、「指し示している」イメージは必ず持っているのだ。それに対して、itには「具体的に指し示している」イメージは基本的にない。習い初めの英語で this=これ that=あれ it=それ などと覚えさせられたとする。それからWhat's this? - It's a pen. 「コレハなんですか?」 「ソレハ、ペンです」なんぞというやりとりを習っても、それほど疑問に思う子どもはいなかったかもしれない。しかし、What's that? - It's a clock. 「アレハなんですか?」 - 「ソレハ時計です」ここでは、1%ぐらいの、ちょっと頭の切れる子どもは、うっすらと「?」と思うかもしれない。日本語なら「アレハなんですか?」「『アレハ=that』時計です」ではないのか?さらに、相手の手元にあるモノを指しての(そもそもそういう状況を習ったような覚えがないが)What's that? - It's a notebook.「アレハなんですか?」 - 「ソレハ、ノートです」こうなると、「????」である。"it" は実は「それ」ではないのである!!!ではなんなのか、…は次回以降のお楽しみに!このカテゴリのマトメ読み
Jul 4, 2007
「私」が主語である場合は、隠れていても、比較的容易に思いつけるだろう。だがそうはいかない場合もたくさんある。たとえばこの直前の文、「比較的容易に思いつけるだろう」これを英語で言うとしたら主語は?もちろん受動態を使えば「私が主語である文」を主語に(ややこしいな)することもできるが、別項(受動態に関する項目)で述べているように、英語では日本語で考えるより受動態は多用しない。こういうときの主語は「You」である。Youを単に目の前の相手「あなた」だと思っていると、この感覚はつかみにくい。初心者はyouが時には複数(あなたたち)であることすら思いつかないことも多い。が、それどころではなく、youはもっと広い範囲の人をさすのに使えるのだ。つまり「一般的な人々」をさすのである。一般的な人々にはもちろん目の前の相手「あなた」も含まれる(そして大概の場合は「私」も含まれる)。先の文はWhen the subject is "I", you can easily think of it.などと言える。「Youは一般的な人々の意味で使える」この文にだって「主語」がない。だからYouを主語にして、こうなる。You can use "you" as "general people".日本語で主語が意識されないとき、主語は「I」である場合も多いだろうが、こんなふうに「一般的な人々」という意味が隠れていることも非常に多い(もちろん、実際に目の前の相手をさすyouが主語の場合も多いだろう)。IでだめならYouでいけ、である(特定の第三者やモノゴトについて何か言う場合はおそらく日本語でも主語らしきものが意識されているだろう)。だが「『あなた』や『私』が含まれていない『人々』」が主語であることもある。「カナダではフランス語も話す」しばしば、受動態でFrench is also spoken in Canada.とか作文され、「それを能動態に直しなさい」などという問題が見受けられるが、これまた別項で述べたが受動態と能動態の文は、伝えている事実は同じでもニュアンスはけっこう違うのである。受動態にした場合は、「フランス語」という語に一番の焦点が当たっている。そもそもフランス語というトピックについて話していて、それは本家フランスだけではなくてカナダでも話されている、などと言いたい場合はこちらのほうがしっくりくるのだが、そうでない場合はどうするのか?主語として They を使うのである。They also speak French in Canada.この場合、theyにはあなたであれ私であれ、話している当事者たちは含まれていない。「あのレストランには美味しいメキシコ料理があるよ」They have great Mexican dishes at that restaurant.ちなみに視点を変えればYouを主語にすることもできる。You can have[eat] great Mexican dishes at that restaurant.もっともこの文はThat restaurant has great Mexican dishes.でもいいのであるが。レストランといえば、実際にそこに行ってその店の人と話をするなら、当然youが出てくることになる。「ベジタリアン向けの料理はありますか?」「ありますか?」だからIs there~とかかしら?と思った方は、まあ悪くないが中途半端な英語感覚である。その料理を提供する主体はまさにそのお店の人なのだから(たとえアルバイトのウエイトレスであっても)、Is there~?では妙に人ごとのようでよそよそしい。Do you have any vegitarian dishes here? これが正解。もちろんレストランだけではなく買い物をするお店でも同じ。慣れている人には当たり前すぎるほど当たり前のことなのだが、とっさに思いつけない人は、こういうところから「主語感覚」を磨いていく必要がある。ここではhaveという動詞の感覚や使いこなし方もポイントなのだが、まあそれは別項でいずれ。さて次回は(いつになることやら…?)もうひとつの主語のキモ、「it」について書くつもりである。このカテゴリのマトメ読み
Jun 29, 2007
(どうも最近は週1ぐらいでしか更新できずスミマセン)まあそうはいっても自主的なトレーニングは難しい。合っているのかどうかも確かめられないから挫折しがちだ。語学の勉強はやはりだれかと実際にしゃべる機会がなければ完成はしない。その点でもやはり英会話学校に通ったり、だれか先生に見てもらったりすることは必要なのである(もちろん友人などにネイティブがいてしゃべる機会があるならそれもいいのだが)。ただしそれはそれで、「それだけではだめ」でもある。教師であってもすべていちいち生徒の間違いを直しきれないし、友人であればなおさらだ。実際に話す、という機会を補完する手段としては、シミュレーションで「トレーニング」するしかない。そのときに一番有効なのは、ひとつにはもちろん「音読」であり、「文型の暗記(頭でなく口で!)」だが、応用のためにはやはり「英作文」が有効である。会話の時よりは若干冷静に時間をかけて文を組み立てることができる。ここでできないものは会話ができるはずがない(ブロークンな状態で身振り手振り交えて意志疎通するというのはまた別だが)。英作文を練習することで、少しずつ英文の組み立て方に慣れていく。そうすると、会話のようにある程度スピードが出てきたときにも対応できるようになるはずだ。しかしボキャブラリーの問題、というのは大きい。英作文などと言われても途方に暮れてしまう、という人の方が多いだろう。だがとにかく、まずは英語の組み立てかたに慣れる必要もあり、とりわけ「主語」をどうするか、ということを意識しなければならない。そこで(中途半端ながら)日本語混じりでトレーニングをする。なんでもいいから、対訳のある本を用意しよう。そして日本語だけを見て、それぞれの文について、完全に英訳することは無理であろうが、「主語はどうするか」ということだけを考えてみて欲しい。それからもうひとつは、文の冒頭の言葉は何か、ということ。つまり疑問文であれば疑問詞が冒頭に来るであろうから。主語を考えるにあたって、「~は」「~が」に惑わされてはいけない。すでにしつこく述べているように、「きのうは忙しかった」という文で「きのう」が主語なわけではないからだ。ちなみに、「は」「が」を反射的にbe動詞(am/are/is/was/were)にしてもいけない(いい場合もあるが)。日本人はどうしてもそうしがちである。これについてはまた項を改めて話したいと思うが。会話ができることが目標なら、会話主体の対訳テキストがいいだろう。すこし難しいが(いずれにしても全訳を目指すわけではないから多少難しくてもOKでしょう)映画のシナリオなども面白いかもしれない。「スクリーンプレイ」というシリーズがお勧めだ。これならDVDを手に入れれば音声学習もできる。ただし犯罪モノなどではないほうがいい、あまりスラングや省略などが多いのは考え物なので。私のお勧めは「Back to the future」シリーズである。けっこうスタンダードで分かりやすい英語だと思う。ここでほんの一部を抜き出して例を挙げてみよう。ただし著作権などの問題もあるので、和訳のほうはスクリーンプレイの本ではなく私のオリジナルだ。説明しやすいように各文に番号をつけた。(自称)発明家のドクの家に遊びに行ったマーティが、ドクの発明した変わった(自動的に朝食を作ったりなどの)装置は全部動いているのに、ドクが1週間も不在であったことをいぶかしんでいるところに、ドクが戻ってきたという場面。マーティ:(1)いったいどうなってるの? (2)この1週間どこにいたのさ?ドク:(3)仕事だよ。マーティ:(4)アインシュタインはどこ? (5)いっしょなの?ドク:(6)ああ、ここにいるよ。マーティ:(7)ねえ、ドク、装置もみんな、ずっと点けっぱなしだったよ?ドク:(8)装置…それで思い出した、マーティ、アンプの電源はいれないほうがいいぞ。(9)オーバーロードする可能性がわずかながらある。マーティ:(10)うん。気に留めておくよ。これらについて、とにかく「主語」、及び「冒頭の語」「だけ」を考えてみて欲しい。以下は、少し考えてみてから読んでね。(1)のっけから「決まり文句」系なので難しいと思うが、これはさすがに「人」が主語にはならない。「何が」起こっているのか、と考える。(2)当然、ドクのことを言っているので、主語はyouである。だが冒頭に来るのは疑問詞whereだ。(3)「仕事」が主語なのではないことに注意。(2)でyouで尋ねているからIで受ける。とはいえ、実際のせりふではこの文においては主語は「省略」されているのだが。(4)主語はもちろんアインシュタイン(犬)だ。だが冒頭にはwhereがくる。(5)アインシュタインのことなので引き続きそれが主語だ。ただし2度目以降なので代名詞で受ける。だが疑問文なので主語と助動詞(ここではbe動詞)は入れ替わる。(6)これもアインシュタインを受けている代名詞が主語。(7)「装置が」つけっぱなしだったのだが、点けた主体はあくまでドク(つまりマーティから見たyou)。もっともこれは、「装置が」「点いていた」と解釈して装置を主語にすることもできる。(8)「それで思い出した」は決まり文句系なのでちょっと難しいだろう。普通に考えれば「私が」思い出したわけだが、ここは英語においてはしばしば「それが」私に思い出させた、という言い方をする。これはおいておいて、アンプの電源を入れない方がいいというのは当然マーティ(ドクから見たyou)が主語である。(9)これは説明が難しい。「~がある」という文は、ごく基本的だし簡単そうに見えるが、日本人にとっては文の組立に一番迷うタイプのものである。これについては項を改めて詳しく説明しなければならないが、「○○がある」ということを表す文のひとつの可能性として、いわゆるThere is[are]~構文があるので、これを使うことができるととりあえず言っておこう。ただしこの場合「主語」は「可能性」である。「アンプ」を主語にしてIt has~のような言い方にすることもできる。(10)気に留めておくのは自分だから主語は「I」以下、実際のシナリオの一部。Marty: What's going on? Where have you been all week?Doc: (I've been) Working.Marty: Where's Einstein, is he with you?Doc: Yeah, he's right here.Marty: You know, Doc, you left your equipment on all week.Doc: My equipment, that reminds me, Marty, you better not hook up to theamplifier. There's a slight possibility for overload.Marty: Yeah, I'll keep that in mind.全部を訳せなどと言われたら「そりゃ無理」と思う人でも、せめて「主語だけ」「文頭だけ」という課題を自分に課してみると、ただ漫然と読むよりも刺激があり、トレーニングになる。文の組み立て方に意識も向いていくだろう。主語を確かめたら、その主語に対する「動詞」はどれだろうか、と意識して英文を見てみよう。isやare、amももちろん含まれる。そして慣れてきたら、日本語を見た段階で動詞もある程度考えてみよう。全部いちどに把握しようとしても無理である。だが一番大事なところからポイントを絞って押さえていけば、映画のシナリオだって怖くない。まず主語、そして次に動詞。その後は文型→時制等々と着目点を拡げていきたいところだが、一度に欲張るのは挫折の元なので、とりあえずは「主語だけ英作文」プロジェクトを試みてみてほしい。このカテゴリのマトメ読みou
Jun 20, 2007
「主語がある」という発想に慣れるには、やはりトレーニングしてみるしかない。もっと踏み込んで言えば、単に主語が云々というだけではなく英語の根本である「主語+動詞+その他」という形を「体得」する必要がある。これを別の形で表現してみると「主体→外界」なにやら哲学的にさえなってきたが、英語という言語は、あるもの(主体)と別のあるものや状況(外界)との関係性を常に問題にする言語なのである。…てなことはここではおいておいて(そのうちもっとウンチクを語るつもりだが)、もう少し実践的な話をしよう。だが、よく分からなくても「主体→外界」の図式はなんとなく頭に入れておいて欲しい。さて、実践的トレーニングのひとつのアイデア。身の回りを見回して、なんでもいいから「モノ」をひとつ選んでみる。英語がすぐ思いつく簡単なものでいい(あるいはこの際、気になっているものの英語名を調べてみるのも面白いだろう)。たとえば、今、私の目の前にCDがあったので、これでいいや。そして、これについて、まずはとにかく「I 」を主語にして、文を作ってみる。とりあえずI → CD という図式を頭に思い浮かべよう。複数形とか単数形とか、冠詞とかも気をつけなくてはならないのだが、まあここでは文型に集中しておこう。私はCDを「持っている」ので、haveが使える(haveはとりあえず、身の回りにあるものならなんにでも使えるだろう)。それからもちろん、「聞く」。それから「欲しい」「買う」「売る」「借りる」「貸す」「壊す」「なくす」「コピーする」「作る」……etc,etc..主体である「私」とCDの関係性は山ほど考えられる。もちろんそれぞれを英語にする。中学で習ったことを思い出せばいいレベルの語彙でいいが、凝ったこと(?)を言いたければ辞書で調べてみよう。I have some CDs.I listen to some CDs.I want..I buy..I sell..I borrow..I lend..I break..I lose.. I copy..I make..I cherish CDs.(大事にする)I handle CDs roughly. (乱暴に扱う)とりあえずここでは文型(SVO)を体得するのが目的なので、単純な現在形で構わない。だが慣れてきたら、過去形にしたり、be going toを使ったり、助動詞を使ったりしてもいい。自分の固有の事実に即した文を作ってみよう。そういう文を作る助けになるように、ちょっとした一覧メモを作っておいてもいいかもしれない。たとえばI will ~ (~しよう←意志を表している)I'm going to~ (~するつもりだ←予定を表している)I ~(過去形)I want to~ (~したい)I have to~ (~しなければならない)I can~ (~できる)このようなメモを手元に置いておいて、種々のニュアンスの文を作る発想を助ける。I will listen to some CDs.I'm going to buy a CD.I broke a CD.I want to make some CDs.I have to copy some CDs.I can lend the CD.etc,etc...もっと慣れてきたら、これに副詞(句)を付け加えてみよう。時間や場所、等々の付帯状況である。I will listen to some CDs in the car.I'm going to buy some CDs[a CD] at Shinseido.etc,etc...(上級者はこれにさらに、関係代名詞や分詞を使って詳しい説明を加えてもいい。だが、関係代名詞や分詞やらを使うにしても、文の「コア」はSVOであることを忘れてはいけない。だからこのトレーニングは、関係代名詞などを使いこなすためのベースとして、ある程度の上級者にも役立つはずである。これについてはいずれ改めて。)もういちどまとめよう。1)身の回りのものをなんでもいいから1つ選ぶ。2)「自分→そのモノ」の関係をいろいろ考え、I~***の文を発想してみる。3)事実に即して時制や助動詞の工夫をしてみる。4)さらにプラスアルファの情報を付け加えてみる。毎日、違ったアイテムを選んでこれをやってみるといい。ちなみに、書いたりする必要はない。ただしご注意! あくまで、日本語的に考えたときは「私は***『を』~する」という意味になるべきものなので、たとえばpenをとりあげて、ペンなら「書く」だよな、と思ってI write a pen.と言っても成りたたない。ペン「で」書くのだから、I write with a pen.と言わなければならない。「~を」書く、なら、たとえばI write a letter.「手紙を書く」と言えるのだが。図式で表すならI → a letter (I write a letter with a pen.) +[pen]pen「を」どうこうするのではないのだ。with a pen は上記で言えば(4)の範疇になってしまうのである。このカテゴリのマトメ読み
Jun 14, 2007
さて、英語と日本語の違いとしてよく言われることが、日本語は主語を”省略”するが、英語では命令文を除き、基本的には省略しない、ということだ。じつは、日本語では主語を省略しているのではなく、そもそも日本語には主語が「ない」、という説すらある。少なくとも、英語の文で「S」(Subject=主語)と呼ばれている役割のものはないのである、と。え? それじゃ、「私はあなたが好きです」とか言うときの「私は」は主語じゃないの?「日本語主語なし説」によれば、その場合の「私は」は「主題」だ、というのである。てにをはのうちの「~は(~が)」は、「私についてのことを言えば」という「主題の提示」の役割を果たすのだというのだ。そう言われてみると、納得がいくことが多い。「私はあなたが好きです」という文の「私は」は、英語で言う「S」(主語)と合致しているが、「きのうは家にいました」「仕事が忙しい」「ラーメンが好きです」「(私には)子供はいません」というような文では、「~は」の部分は英文の主語としては使えない。(「仕事が忙しい」は、My work is busy.と言うこともできるが、厳密にはbusyの意味がやや違う。仕事が「たてこんでいる」というような意味となり、「私は仕事で忙しい」という意味と、まあ同じといえば同じだが、厳密には異なる)ま、厳密な文法用語や概念はどうでもいいのであるが、とにかく日本語では英語のような形・意味での主語がないことが多い。ところが英語では主語がないとオハナシにならない。そして主語は通常は文頭に来ることになっている。そういうわけで、日本人学習者はしょっぱなからつまずいてしまうのである。上の例に出した「~は(が)」がついているのに主語ではない、という紛らわしいものではないとしても、とにかく日本人的には文の構造とかお構いなしに、その時点で念頭に出てきたものから文章を始めるクセがある。日本語では問題ないが、英語ではNGである。「花を持ってきたんですよ」いきなり Flower が口に出てしまう。その後が続かない。「ビール飲みたいな」いきなり Beer から文を始めようとしてしまう。行き詰まる。それを修正するためには、再三言っているように、リズミカルに口に出しながら例文を覚え、応用できる文型を「体得」しなければならないのだが、そういうトレーニングには多少時間がかかるので、とりあえず間に合わせの応急処置を伝授(前項でも書いたが)。「花を持ってきたんですよ」でFlowerがいきなり口に出てしまっても、慌てない。それは「主題の提示」をしたのだ、と割り切り、仕切り直す。「Flower……、I brought it(them)」「ビール飲みたいな」「Beer……I want it」それができれば苦労しないよ、という声も聞こえてきそうだが、最初に口に出した言葉からむりやり文章を構築しようとする方がよほど大変なのである。最初に頭に浮かんだ言葉は「主題」だと思って、その後は「仕切り直す」。これを意識してみるだけでけっこう違ってくると思う。学校のテストなどではあたりまえに出来ることが、口に出して話す、となると途端にできなくなる。それを「意識するだけで違ってくる」というのは、あまりにお手軽すぎるのでは、と思う向きもあろうが、意識するポイントを明確にすることで頭の整理がつきやすくなるというのは確かにあるのだ。主語についての話はまだしばらく続く。このカテゴリのマトメ読み
Jun 12, 2007
英語は日本語と語順が逆、などとよく言われる。だがそうではなく、そもそも日本語では語順なんてものはさして重要ではないのに、英語では語順がイノチといってもいいほど重要だという、もっと根本的な違いがあるのである。「私は彼女に花をあげた」この文は、「彼女に私は花をあげた」でも「花を私は彼女にあげた」でも(他にもまだ組み合わせ可能)問題なく通じる。だが英語ではI gave her a flower. という文しかあり得ない。I gave a flower to her.という文もあるが、これは文の構造がまた違っているのである(だから急にtoが出現している。ここでは説明は省くが)。日本語は膠着語と言い、つまり「くっつき語」ということだが、名詞に助詞、つまり「てにをは」をくっつけると、こんどはそれが接着剤のようになってどこにでもくっつく。「てにをは」によって文の中でのその名詞の意味・役割が決まるので、どのように組み合わせてもオッケーなのだ。つまり、「は」や「が」ついていればそれが主語だし(厳密には「主語」ではない、これはあとで述べるが)、「を」がついていれば直接目的語、と分かる。ところが英語の場合、そういう語の文中での役割を決定するのが語順である。この文型の場合、1+2+3+4と語が並んでいたら、1-主語、2-動詞、3-間接目的語 4-直接目的語 となることに決まっている(*I gave a flower to her.の場合は、1主語+2動詞+3直接目的語+その他の副詞句、という形なのだ)。英語だけではなく、世界的にも多くの言語が英語式に「文型ありき」のものであり、日本語のような膠着語の方が珍しいのだそうだ。韓国語とかモンゴル語とか東アジアを中心にいくつかある程度のようである。英語は「語順こそイノチ」というぐらいに語順や文型が重要だ。だが日本語は「てにをは」をつければいいので、語順を気にする必要があまりない。だから日本人は英語をしゃべろうとして、いきなり頭に思いついた語から文を始めようとして破綻するのである。(余談:最近の若い子と話しているて、「○○はどうなっているの?」などと聞くと、しばしば、「は~、××して△△だからぁ~」などと受け答える。…って、文字にするとワケわからないが「は~」は「HA~」ではなく「WA~」という発音で、つまり「○○は~」と答えようとして○○の部分を省略している形なのだ。なんじゃそら、とオバサンには違和感がある。まあ言葉は生き物なので次第に変化して当然、だから「ケシカラン」というつもりはないが。これも「てにをは絶対」の日本語ならではの形だろう)どうしたらいいのか。とりあえずの対策は以下。1)ともかく違いを意識する。 上記の、日本語と英語の違いを肝に銘じて、頭に浮かんだ単語から文をいきなり始めようとしないように意識する。ちなみに、ここでの「肝」はなんといっても「主語をどうするか」なのだが、それについては次に改めて述べるつもりである。 ただし、実際にしゃべる機会に、文の構成を意識しすぎて、つまり文を構築してからでないと口から発せない、よっていつまでも押し黙ってしまう、という現象はよろしくない。頭に浮かんだ単語をいきなり発しても構わない、ただしあとから修正していく。たとえば「花をあげたんだよ、彼女に」と思ったとき「flower」といきなり口に出していい。その代わりすぐに修正する。「Flower....gave...いやえーと、I gave a flower...to her」口に出してしまうことでガス抜きをしないと圧力が高まりすぎる。言いながら考える方が楽なはずである。だが、そのままでは文が成立しないことを知るべし。2)文型を覚える文型がものを言う言語なので、文型を覚えなければどうにもならない。覚えるには、やはり「トレーニング」である。前半の発音編でしつこく語った「リズム」がここでものを言う。リズミカルに言えるものなら覚えるのも楽だからである。逆に、たどたどしくしか言えないものを暗記するなんてことは、かなりな苦痛だ。リズムが会得できれば、単語自体を万一忘れてしまって、つまり文の暗記自体に失敗しても、リズムの枠組みが残っていればそれをもとにして自分の文を作ることも比較的楽にできるのだ。だからまず音声のある教材で、リズムを確認しながら真似をするトレーニングを徹底的にずべし。3)英"借"文のトレーニングこれも聞いたことがあるフレーズではないかと思うが、「英作文は英借文」。例文を覚えたら、その文の単語を置き換えることで新たな文を作っていく。英語の語順のままに自然に発想することができるようになるためには、まず文の後半を応用することから始めるのがいいのではないかと思う。たとえば、I gave her a flowerという文を覚えたら、I gave her a bag.I gave her a necklace.I gave her some money.などのように、最後のflowerという単語をどんどん他のものに置き換えて文を口に出していく。身の回りを見渡して、目に付くものをどんどん入れていこう。英語で何というか分からないけど気になるもの、はぜひ辞書で調べておこう(名詞なら単語レベルの対応もOKなのである)。それを続けて納得がいったら、こんどはherの部分をhimなどに変えてみる。次はgaveを、showedに変えてみたり、あるいは動詞の部分は時制を変えてみるともっといいだろう。I'm going to give ~にしたりI have givenにしたりする。そして最後に、主語もIではなくSheやHe,そしてMy fatherとかA friend of mineとかに変えてみる。そんなふうにして、ひとつの例文を手を変え品を変えいじくって、自分のものにしてしまうのだ。これはどんなレベルの人にもお勧めする。一度にたくさんやろうとしなくていい。1日1つ、あるいは週に2~3つぐらいの基本文をテキストなどからピックアップして、その週じゅうずっと、スルメのようにいつまでもいつまでも何度も何度も噛み続けて、様々なバリエーションで口に出して練習するといいだろう。(ゆくゆくはこのサイトでも具体的なトレーニングプログラムを提供したいと思うが、現時点では「理念」のみにて失礼)実はこの、「リズミカルに文を暗記し、少しずつ応用する」ということが、これからもっといろいろ述べて行くつもりの文法篇のすべてに共通する「対策」である。究極、これしかないのである。理屈をある程度おさえた上で(つまり自分が何をやっているのかを理解した上で)トレーニングを積む、これが他の分野、たとえばスポーツなどにもあてはまる絶対の黄金律なのだ。****しかしここでひとつ、もっとシンプルにぶっちゃけたことを言えば。「語順が命」であるのだが、本当は、そのイノチ中のタマシイとでもいう部分(なんのこっちゃ)はとりあえず、「主語+動詞」なのである。英語の文型はつきつめていえば「主語+動詞+その他」でしかない(命令文を除く)。だが会話についての初級者は(読んだりするならある程度わかるのに)何かを言おうとする際に、この段階でまずとっちらかってしまう。「久しぶり」とか「ずっと」とかそういう語句を使うことからはるか以前の問題なのだ。なにしろ日本語には主語がないから。ないものをひねり出すのは難しい。だがそれがまさに必要なのである。このことについては次回。このカテゴリのマトメ読み
Jun 8, 2007
当たり前の話であるが、多くの人が当たり前だと感じている「以上に」日本語と英語には大きな、根本的と言っていい違いがたくさんある。しばしば、英語を学ぶときは日本語で考えるな、英語で考えろ、とか言われる。昔、自分が四苦八苦しながら英会話を勉強していたとき、このことにかなり悩んだ。どうしたって日本語で考えてしまう。それじゃいけないのか!と。だが今は言える。…そんなことはムリである、とくにはじめのうちは。人間は言語を持って「考える」のであって、言語化されていない考えなんてものはなく、日本語を母国語としている人間は、日本語でまず考えるのが当たり前なのである。まだ英語に慣れておらず、語彙も少ないうちは、英語で考えようとしたら頭が空白になってしまうだけである。たしかに、英語に慣れてある程度しゃべれるようになってくれば、ある程度は英語でそのまま考えたりしている自分を発見する。そうなってくればかなり「英語の話せる人」という状態である。だが、英語で考えるのなんて「ムリ」な状態から、ある程度は英語で考えられる状態になるまでの間には、「英語で考えるようにしなくては」と努力することなどは不必要だ。というか、その方向で努力してもそうならない。逆である。英語が話せるようになると、英語で考えられるようになる、ということなのだ。とはいえ、「英語で考えようとする」ことに「似た」努力は必要である。つまり、日本語の「発想」をどうやったら英語の「発想」に変換できるかという原則を知り、それを心がけることである。単語を英単語に置き換えても英語にはならない、ということを知らなければならない。この日本語の単語は英語でなんて言うのですか、などと質問されることがよくある。その単語が明らかに名詞である場合は、それでもなんとかなる場合が多い。だが、副詞(句)などだと一筋縄ではいかない。たとえば「ずっと」という語。「ずっと待っていたのよ!」などという文において「ずっと」は英語で何だろう、と単語レベルで考えてもうまくいかない。for a long time 「長い間」などというフレーズは思いつくかも知れないが、それも「ずっと」という言葉のニュアンスをちゃんと伝えているわけではない。上記の文はI've been waiting for you (for a long time).とでもなるだろうが、「ずっと」というニュアンスはこの、「現在完了進行形」という時制(あるいは文の構造と言ってもいいが)のほうに出てくるのである。「ずっと待っていた」とは言えても「ずっと」だけを切り離して「英語でなんというのか」と聞かれても答えにくい。「久しぶり」なんていう言葉も日本語では一語で済むのに、英語だと極めてややこしい(しかも私の生徒さんに尋ねられる率も極めて高い)。まず、何について久しぶりなのかによって違ってくる。一番単純に考えればafter a long interval (長い間隔の後)という句が割りに使いやすいかもしれないが、わりに公式っぽいニュアンスがあるので、これを使うのがばっちりあてはまる、という場面ばかりではない。for the first time in a long while(長い期間の間で初めて)などというのもよく使うが、日本語の単語の簡便さから考えるとえらいこっちゃ、である。ましてや、人と久しぶりに出会って「ああ!久しぶり!」なんていうのはまた違う場面だ。簡略にはLong time no see! などと言うが、It's been a while since we met last time! なんぞとも言う。ほかにもいろいろあるが、えてして日本語の感覚より長ったらしい)「もったいない」に至っては、そのココロをきちんと伝える英語の表現はない、ということでmottainaiがこのごろ国際的に有名になっている。ノーベル平和賞を受賞したケニアの女性大臣が、日本の「もったいない」という感覚はすばらしい、と提唱したからである。それでもあえて英語を探せば、これまた「どういうふうにもったいないのか」によって違ってしまうし、表現方法によっても異なる。「ああ、もったいない!」と慨嘆するのならWhat a waste! (なんという無駄だ!)と言えばいいと思うが、「もったいないから捨てるのやめようよ」などという場合は、たとえばその意を汲んでWe shouldn't waste it.(それを無駄にするべきではない)などと言うとか、とにかく「もったいない、って何ていうんですか」という質問には実に答えにくいのである。(ところで、こういうのを調べるのに実にお役立ちなサイトがある。English Jornalなどを発行しているスペースアルクという会社のサイトだが、トップページに「英辞郎on the WEB」という検索窓があって、そこで「久しぶり」などと入れて検索すると、例文がゴマンと出てくるのだ)だから、英語学習において「日本語で考えるな」というのは、このレベルの話なのである。つまり単語や句レベル。日本語と英語を行き来するときは、「文」レベルで考えなければいけない。翻訳や英作文をするとき、あるいは自分で自分の言いたいことを述べるときも、日本語の単語ひとつひとつにこだわらず、文全部で「何を伝えようとしているのか」を捉えなくてはならない。逆に言えば、英語の単語を覚える場合も、その語が文の中ではどのように「効いて」いるのかを常に意識しなくてはいけないのである(つまりしつこく言っている「キモチ」を捉えよ!である)。*******さて、とにかく「英語は日本語じゃない」(あたりまえ)を常に意識しながら、英語を勉強している途上のオトナとしてはまずは日本語が念頭にくるのはこれまた「アタリマエ」なので、それはそれとして、つまりは「文単位」で英語と日本語を行き来することになるわけだが、そのためにはまず、「ほんとに根本的な英語~日本語との決定的な違い~」について知らなければならない。テキの正体を知ることこそ攻略の第一歩である。次回はその「根本的違い」について書く。このカテゴリのマトメ読み
Jun 6, 2007
お待たせいたしました。予告通り再開します。毎日書くのは難しいけれど…できるだけひんぱんに更新するつもり。でも今日はまたも「能書き」だけね。*********ここから、英語というのは、「根本的に」どうなっておるのか、ということについて話していくつもりだ。文法なんか勉強しないで英会話が話せるようになりたい、と多くの人は思っているだろうが、大人になってから勉強し始めた場合、文法はむしろ有り難い存在だと思った方がいい。文法の知識なしで英会話をするというのは、できなくはないが、地図もなしに目的地に勘でたどり着けと言われているようなものである。何度も繰り返し通った土地ならば土地勘も生まれてこようが、知らない土地ではそうはいかない。幼い子供が、そういう環境に置かれれば「いつのまにか」英語を覚えてしまうのは、自分の住んでいる生活範囲から徐々に世界を拡げていくことに似ている。必要なことを少しずつ試行錯誤していきながら身につけていく。そのペースでなんとかなるのである。だが大人では同じことを同じペースではできない。たどりつきたいところ(=言いたいこと)は遠くにあり、全く知らない街だって歩かなければならない。そういうとき、文法知識が地図代わりになるのである。かといって、毎回毎回同じところであっても地図がなければたどり着けないというのは困る。道に迷わないためには、実地に外を歩いて体験し、それこそ勘を養わなければならない。これがトレーニングに当たるものである。地図は必要だし便利だが、あま頼りすぎてり首っ引きになってもいけない。英語における文法もそのようなものである。おおざっぱに方向などを確かめるだけで、細かい部分は「実地」で身につけるべし。さて、私がこれから書くことも、「細かいルール」ではない。英語の構造や発想とは基本的にどうなっているのか、というおおざっぱな話なのだが、そのことに気がついているとついていないでは大きな違いがあることだと思う。頭に入れておけば、英語の学習を進めていく上での効率がきっと良くなるはずだと思われることを書いていくつもりである。入門編だし、扱う内容はおおむね中学1年生レベルである。だが、ここでつまづいたり、何か誤解をしてしまっていたり、いまひとつピンと来てなかったり、という人があまりに多い。土台がちゃんとしていなければ、高いビルは建てられない。けっこう単語(コムツカシイ)を知っているつもりだったり、複雑な文法(仮定法とか)を「知っている」つもりの人でも、なんでそれが会話となると出てこないのかというと、やっぱり、根本的に英語のキモチが分かっていないから、なのである。ということで、入門編ではあっても、それなりに勉強をしてきた人にも役立つ内容になっていると思う。読んでみてください。次へ
May 31, 2007
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