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ブログに力を傾注してから、ホームページの更新が疎かになっています。来年度の塾生募集日程を決定したので、ホームページの「お知らせ」も更新しました。よく「入塾試験があるから」と言われたりしますが、入塾最初の学年(小4・5)の入塾試験は「面接と作文」です。また、「中学から・・・」という方々も田舎では多いため、新中1の入塾試験は面接・国語・基礎計算力のみです。(重視する順)中2以上はいわゆる「学力試験」をしていますが、それは「編入」のため。つまり、例えば新中2で入塾しようとする場合、それまでの旧中1と一緒に勉強することになります。そうすると、新中1の1年間で、全員ではないにしても、ほとんどの塾生はかなりのレベルに達していますから、それ相応の学力がないと、一緒にやることは不可能です。過去、いろいろな「実験」もした結果です。新中3や新高3など、可哀相な側面はありますが、学力試験の点数も本人に開示して「不合格通知」を出すこともあります。それでもやってやろう、という意欲ある子でないと、今いる子たちの「刺激」にはなりませんから。そういう意味では、逆に「定員」に限度はないとも言えます。一定のレベルを越していれば、入塾を認めますから。ついでに言うと・・・入塾申込受付は、塾生が行います。大抵の場合、申込には保護者の方が来られますが、「こういう生徒が塾生だ」という見本を見てもらえば「手っ取り早い」ですし、入塾試験前に話をしても・・・・・ということがあります。入塾は学年によりますが、原則は1年に1回です。つまり途中編入は(特別な理由の無い限り)認めていません。考えようによっては、途中編入に対応する能力が無いとも言えます(笑)。今現在のクラスの運営があって、そこに度々「新人」が加わるという事態は想像の域を越えます。また、高校生については、学校を限定(丸亀・坂出)しています。その理由には2つあります。一つは、旧中3の塾生の8割前後がこの2つの学校に進学します。もともと高校部は、中学部の「持ち上がり」で出発しましたから。二つ目には、高校は学校によって、進度・教科書等大きく違います。現在のスタッフ(はっきり言って、信じられないくらい優秀だと思いますけど(笑))の力をもってしても、これ以上の対応は無理だということです。書けばいくらでもあるのですが、また思いついたときに。
2006.11.17
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本日掲載した「巻頭写真」は、5号館の「飲食ルーム」。早く来た生徒たちが食事が出来る部屋である。(最近は定員オーバーなので、ラウンジや教室でも食べている。)休み中などは、朝から学習している高校生が、料理の腕をふるったりしている。鍋・フライパン、うどんをさばく道具(名前を忘れた)まで揃っている。レンジ・冷蔵庫はもちろん、ウォータークーラーは、アルカリイオン水の(現在は)冷水。(もう少しするとホットになる。)掃除・片付けは、基本的に「自主管理」である。塾では、教室やトイレ等も(場合によっては近隣の道路も)「掃除係」がいて、それなりに役割を果たしている。(ついでに言うと、出席管理も「出席係」の役目だ。)最近、いろいろな学年で「役割に燃えて」いて、いろいろな場所がピカピカだ。黒板など、書くのが躊躇われる(笑)。(これも「黒板係」の仕業。)各館の飲食ルームも、そのうちに紹介していこう(笑)。
2006.11.15
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私たちの塾では,中1・中2は,ほぼ月に1回,読書感想文を提出するという「義務」がある。昨日は,中1の提出締め切り日。今回の課題図書は「兎の眼」(灰谷健次郎)基本的に,塾の原稿用紙で2枚(800字)前後書いておくことが必須である。提出日にきちんと出せない子には,学力的にもちょっと問題がある子が多い。課題図書は,ほぼ1ヶ月半前には分かっているのに,ついつい後回しにしてしまうのだろう。「兎の眼」は,塾の必読書に指定している。つまり,中2以降で入塾してくる子も読まなければならない。(最近,その確認がちょっとルーズになっている・・・)以前は,募集広告に,「受験資格」として明記した時もあった(笑)。昔・・・はるばる「西大寺」まで訪ねたこともある。いろいろ悩み深かったのかも知れない。(笑)しかし,鉄三ちゃんと小谷先生のやり取りの中で,善財童子の場面は好きな場面の一つだ。1回目は会えず(笑),2回目で眼にすることができた。「抵抗の精神」もそうだ。「美しくあるために,抵抗の精神を忘れてはいけない」という場面。子供たちの書く「感想文」の中には,素晴らしいものも多い。そして,もし・・・将来,教える立場に立ったとき,きっと思い出すものと信じている。
2006.11.05
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教育基本法問題を考えるには資料が要ります。ここで購入できます。(好評で品切れかも?)ところで、何やら前置きが長くなるようですが(笑)、ちょっと10年前の文章を引っ張り出してみました。1996年は,「いじめ」の悲惨さに始まり,「沖縄」問題の意識化・「優秀な」官僚・「立派な」政治家の愚行に終わったと言えるだろう。戦後の日本社会を支えてきたシステムそのものが疲弊している。「教員採用」に殺到する若者達,彼らは,本当に今の教育状況を深く見据えているのだろうか。安定した体制の中からこそ矛盾は生まれる。そして,その矛盾は,根底的な止揚を目指して,動きを止めない。矛盾を先鋭的に感知し,矛盾の止揚に向かった多くの人々を暴力で圧殺し,「金」という「宗教」によって統治して来た「つけ」が,一挙的に露呈し始めている。物言わぬ,黙々と授業に出席する「いい子」は,今度は,国際的な競争の中で,「独創性がない」とか「意欲がない」と批判され,「個性」尊重の教育が声高に叫ばれ,地域の教育力を奪っておきながら,「地域の教育力」が「いじめ」の特効薬としてまことしやかに述べられる。自らの安定のために「ものを言わせぬ」システムを作り上げたにも拘わらず,そうしたシステムの帰結は悲惨なものでしかない。服装を強制し,生活時間を強制し,はなはだしきは,もともと茶色っぽい髪をわざわざ黒く染めさせる,そういう「学校」の中で,いったいどういう「個性」とどういう「独創性」が可能なのか。にもかかわらず,一方で「(学校の)成績を上げます」「~点上げます」「順番がどうの」等々の愚かな宣伝にも躍らされ,多くの「賢明な」親たちは,その成績のみをわが子を見る判断基準とし,子供たちに「お勉強」を強制する。その一方で,「悪い官僚ね」などと,いっぱしの批判を展開する。果たして,官僚を批判する資格があるだろうか。政治家を批判する資格があるだろうか。この10年間で、更に状況は悪化している。「平気で嘘をつく」こと、そして「事象を根源的に考えないこと」、そういう風潮が蔓延している。そうした中で、私たちがしなければならないことは何なのかということが問題である。
2006.11.04
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今、本館から3号館に帰ってきた。(その距離徒歩1分だけど(笑))本館では小学生の授業が行われている。ところが本館の駐輪場には、自転車が3台しかない!えっ?そこまで生徒が・・・・と心配していただくのはありがたいのだけれど(笑)、小4~小6で約80名。ということは・・・・殆どが「車でのお迎え」なのである。幸い、近所のスーパーが協力していただいているので、何とかなっているが、これからは、駐車場付きが必須なのかな、と思ったしだい。坂出校の駐車場はせいぜい10台程度しか止められない。(これは月極)丸亀校は駐車場用地として140坪ほどあるが、それでも時間によっては車への対応は不可能である。道路を使わない、という方針を守るのは大変だ(笑)。世界史問題は、また後で。(遂に当地でも私立2校が発覚。しかしこのままだと「私立いじめ」だ!)
2006.10.27
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以前書いたことではありますが、昔,高校時代の恩師がおっしゃったことがあります。『百姓は米を作る。上の百姓は土を作る。上の上の百姓は人を作る。』いつでもそうですね。生徒が努力できる人間になる,根気強く継続できること,自己反省をきちんとできることこそが,『学ぶこと』の目的であるし,塾の存在価値でもあるでしょう。「何?成績を上げたいって?」「そんなの簡単だよ。君が上げられる人になればいいんだよ。」
2006.10.20
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「行間を読め」と言われることがある。文字で書かれたものの背後に何があり、筆者の生い立ちはどのようなものであり、書かれた環境は・・・・と「研究」しても、書かれたこと以上に想像することは、むしろ筆者に失礼だと私は思う。まして、「悪意」をもった「邪推」は排除しなければならない。生身の筆者を知っていれば、何かと「書かれたこと」以上のことが想像されて、「書いてもいないこと」をまるで書いているかのように錯覚してしまうこともある。予想したように、ウロコ先生のところでは、恐らくウロコ先生が当初予想した方向とは異なる展開が見える。残念ながら。その「予想外の方向」に何故向かったのかは、読者の判断だろう。(リンク先のコメントをお読み下さい。)そうしたたくさんのコメントを読んでも、私は自分の書いたコメントを今でもその通りと思っている。正確には、「尚更」そう思う。加神居士さんが書かれていることは、確かに「第三世代(どういうことだ?笑)」の旗手として頼もしい限りだ。現代の塾が「学校」と切り離されて存在し得ないことは言うまでもない。しかし、「学校」の存在を無条件に前提化し、その中での「成績」を競うことが本当に塾の存在意義なのか?「学習」を手段として用いても(くれぐれも「洗脳」ではなく)、その先には『学校を超えるもの』を目指す気概と意欲がなければ塾の存在意義はないのではないか?「経営」も結構だけれど、あらゆる行為やそしてブログをもそこに従属させてよいものか?長くなりそうなので、自主規制。(笑) つづく。
2006.10.18
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全国の「Aripit」ファンの皆様、お待たせしました。私が、この「塾の日Festival」に参加した第1目的は、Ariさんに会うことでした。(勿論、会う=飲むということは言うまでもありません。)かのYahooの学習塾掲示板の「大人の塾マガ」の編集長がAriさんでした。(途中、GTさんが編集長をしたときもありましたが・・・多分。)今頃の若い塾長ブロガーの中には、かつての「学習塾掲示板」の隆盛をご存じない方々もいらっしゃいました。ブログの世界で今を時めく「猫ギターさん」も、かの掲示板のエースでした。さて、秘密の1枚を公開します。手前で「学校関係者」と何やら怪しげな会話を交わし、うまそうに煙草を吹かしているのが元気になったAriさんで~す!決して、女装して「阿波踊り」を踊っているわけではありませんので、念のため。煙草はよくないから、早く止めなさい、と忠告しておきました。何せ、私は禁煙暦約7ヶ月ですから。禁煙は・・・・要するに、意思ですね(笑)。
2006.10.13
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「塾の日Festival」に参加してきました。とりあえず、帰り着き(と言っても当地から鳴門までは1時間程度)、今日のテストの解答用紙が未完成だったため、完成して、それから写真を整理して・・・・(コラコラ、MO君、写真の枚数が少ないよ~。しかもピンボケ多数。)昨日も今日も実に良い「秋晴れ」でした。会いたいと思っていた人には会えたし、思わぬ方々にも会えたし、幾分「二日酔い傾向」を除けば、楽しい1日でした。とりあえず、会場はこんな感じ(これは第2部のパネルディスカッション)。第3部懇親会では、こんなことを楽しんでいる方々もいました。何といっても「阿波の国」ですから。(むこうで、踊り子に混じってにこやかに踊っている人が、kururinさん。)帰ってから、まずやったことは、「塾長6946さん」(S山さん)から聞いた方々のブログを発見し、リンクしたこと。(挨拶はまだまだ。)いろんな「つながり」を聞くことも出来ました。とりあえず、第1回レポートです。(えっ?内容が無いような・・・・まあそのうち。)
2006.10.09
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この度、当塾では、特に「ある生徒」からの熱烈な「福利厚生」の充実の要望に対して、値上げを断行することにしました。スタッフの給与を弁護士並みに引き上げ、福利厚生を「大企業」や「公務員」並みに充実させるには、収入が不足しています。従いまして、運営費(いわゆる授業料)を標準で2倍に、特にM中3だけは3倍にしたいと思います。(何でや?) 私たちは、休みなく働き、莫大なテキスト・プリントについては代金を戴かず、入塾金も取らず、無料補習を繰り返し、中元・歳暮も全く戴いていません。それでも、「負担」はできるだけ少ない方がいいだろうと、運営費は、まさに必要最小限に抑えてきました。そうした私たちの一種の犠牲の上に、現在の運営費の体系も出来上がっているのです。そして、金銭の関係ではない、強固な卒塾生との絆も出来てきたのです。ところが、自分の境遇を反省することもなく、差別的な親の影響もあってか、例えば国民健康保険は保険ではないかのような言い回しをする輩(はっきり言って阿呆)が発生しました。そんなことは「余計なお世話」だと言いたいのですが、それなら、ご要望にお答えするにはどうすればよいかを考えたのです。つまり、「充実した福利厚生」の背景には、一種搾取的な要因があるということです。そこに気付かず、今の自らの境遇を当然のこととして享楽し、真剣に働いている人間を揶揄するというのは、「退廃的精神」以外の何者でもありません。もっとも、そうした人間には強烈な「しっぺ返し」が到来することでしょう。 どうぞ、宜しくお願いします。 ということで、一種の皮肉として「値上げ」を考えてみましたが、それでは喜ぶのは、かの阿呆と他塾ということになります。(これほどの施設を持ち、教務力を持ち、スタッフも充実して、それこそ、当塾より安いところがあれば教えていただきたいものです。)従いまして、これは、一つの論理的帰結としての例証、要するに、従来通りの運営費体系であることを確認します(笑)。何なら、皆様がお望みなら、「大幅値上げ」を断行してもいいのですが・・・・(笑)
2006.10.05
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今までの『方針』に代えて、塾の運営に関する『具体的方針』を「上」に掲示しました。これだけの方針がすべて実行されているとは言えませんが、大部分は現状を表しています。「二世三世国会議員」による「政府」の行為によって,再び戦争の惨禍が訪れようとしています。そうした時代の中で,日々の繁忙さに感けてはいても,学習することの意味を忘れることはできません。懸命に学習しても,もしかしたら気付かないかもしれません。しかし,このような時代がなぜ到来し,その中でどう生きていくべきなのかは,学習することによってしか解答は与えられないでしょう。様々な「感覚的判断」(「やりたいから」とか,スポーツなど「好きだから」とか)の虜となり,結果,「戦争」を支持するのではなく,排外的な空気の中にあっても,先人が掲げた理想の途(憲法前文に顕著です)を歩くかどうかは,人間としての『本当の勇気』の問題でもあるでしょう。それはまた,他者の犠牲の上での「豊かな生活」を拒否する勇気でもあり,自己を厳しく律する勇気でもあるでしょう。日々の営みは小さくても,『本当の学習』をしていかなければ,決して真実が見えるようにはなりません。「成績」や「進学」に囚われるのではなく,それらは結果であり,経過であり,目指すものはそこにはないのです。そのことに気付けば,「権力的存在の正体」や「楽しみだけを追うこと」の無意味さが見えてきます。また,「宣伝」や「嘘」に騙されることも少なくなるでしょう。
2006.10.04
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今年から、この地区では、社会の教科書が2種類になった。(公民などは、狭い県なのに4種類もある!)ということは、今日の中3の社会テストは2種類作らなければならなかった。しかも、中1の努力集計、中1・小6のカリキュラムと目が回った。正確には(ワープロ打ちで)肩が凝った。そろそろ、「自信作」を持って授業だ。教室内に違う教科書を使っている子がいる。それをどうするかだ。まあ、いろいろ試させてくれて楽しい(苦笑)。そう言えば、塾生の一般的傾向として、新課程になったり、新しい教科書になったときが、「学校成績」はよい。基本的に、定期試験対策をしていないので、我々の立場はほぼ変わりない。原則的な学習姿勢を強調するのみである。そうすれば何故?問題は過去問にありだ。新しい課程では「過去問」が存在しないのだ(当たり前)。
2006.10.02
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私は、「・・・しなさい」という表現を基本的にとらない。数学の式変形では、なぜそう変形するのかを最も重視する。英語ですら、なぜそういう表現になるのかを強調し、「はい、覚えておこう」と押し付けることはしない。「勉強しなさい」とか「宿題をしなさい」とか何の理由も無く言うことはない。勉強しなければならないことの理由が「将来のよい生活」だなどと言ったこともない。さて、「ワンフレーズ」首相がやっと引退する日に、なぜこういうことを書いているのか?(恐いのは次の首相ではあるけれど・・・・)基本的に大衆を(消費者と置き換えてもよい)馬鹿にした者のとる方法は似通っている。「理性に訴えるのではなく感性に訴えること」、「単純明快であること」、そして「繰り返すこと」である。かの有名な「嘘も100回繰り返せば本当に聞こえる」ともども、これらの手法はヒトラーの手法と呼ばれる(呼ばれているかどうかは不明だが(笑))。さて、BIGたぬきさんが書かれている。最近のいろいろなブログを見るにつけ、「自己否定世代」(こういうのがあるかないかは別にして)には考えられないことも多い。中には、小泉、おっとヒトラー手法を「経営」の真髄であるかのような記述も見かける。果たして、本当にそうか?
2006.09.26
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チラシや情報によれば、わが塾の運営費は近隣でかなり安い部類に入る。授業内容や設備、結果(世間では実績と呼んでいる。この語も廃止した。)から見ると、とんでもなく安い。高いから価値があると見られると思うのは、資本主義の負の面に毒された発想であり、それは結局、「自己利益」を背景として持っているからである。お中元等に対する姿勢は既に述べた。月謝、授業料等々の言葉も廃止した。運営費と呼ぶのは、今の社会で塾を運営していくのに必要な経費を分担する、という考えからである。言い換えれば、授業を切り売りしてその対価として金銭を頂くという発想を捨てたのだ。それも「商品」としての負の面に毒された考えだから。そうではなくて、「先に生きた者」の本来当然の責務として、後から来る者に身に付けたもの、身に付けられなかった反省に基づいたもの(笑)を伝達するのである。問題なのは、どうすることが本来的であり、真理に近いのかということだ。方法論ではなく、理念の部分を問題にしなければ、学校を超える存在にはなりえない。この安さは近隣の塾授業料の高騰を防いできたと自負している。それは、「儲け至上主義」からすると途方も無く目障りであろうけれども(笑)。ダンピングを武器として、いわゆる「大手」もそこここに「進出」してきている。しかし、この地域では、その武器そのものが通用しない。「入塾金無料!」そんなものは当たり前。我々は最初からいただいていない。「いわゆる大手」の「店舗」の前は悲惨な状況だ。建物に比して異常に大きな看板の下は閑古鳥が鳴いている。
2006.09.09
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塾の本館の玄関に、半紙に筆で書いたものを「額」に入れて掲げている。「中元・歳暮・手みやげ等持参された場合、入塾をお断りします。在塾生の場合、退塾勧告します。」というものだ。もう20年以上の歳月を経て、それなりに古びていい味を出している。(決して舐めた訳ではない。)塾を始めた当初は、いろいろの贈り物があった。まず断る。それでも置いて帰る場合は、同額と予想される図書券を贈ったりしていた。結局、「根絶」することになったのは、持ってきたものを生徒に持ち帰らせるという方法をとってからである。中元・歳暮という言葉があるくらいだから、これらは日本の伝統(?)かもしれない。贈収賄が伝統であるように。「物を持っていく」という場合、普通、そこには何らかの「お願い」が込められている。そのお願いの心情は、贈賄罪として扱われる心情とそう大きな違いは無い。従って、そういう気持ちを抱かないためには、一切受け取らないこと、に尽きる。そして、今、塾では100%実行されている。勿論、例えば卒塾生のお土産などは、スタッフみんなでいただいている。また、卒塾に当たっての図書の寄贈などは認めている。要するに、塾生という立場にある場合は、一切の(所謂チョコレートも!)贈り物は駄目ということだ。今では、そういうこと(一切の贈り物を受け取らないということ)が「当然」ということになっている。
2006.09.08
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10月9日は「塾の日」らしい。(単なる語呂合わせ)社団法人の学習塾協会では「塾の日フェスティバル」と銘打った催しが8日に鳴門で開催される。実は、とある事情から(Ariさんに誘われた(笑))協会に参加している。確か6月に中四国支部総会が開かれた。総会というくらいだから、殆どの加盟塾が参加すると思いきや、ほんの数人しか出席していない。しかも、県によっては「幹事」と称する人すら出席していない!もちろんこの「塾の日」についての話もあった。「何のために開催するのか?」と出席していた「協会幹部」に尋ねた。なぜなら幹部はやたら「赤字」を強調するから(笑)。返答は曖昧なものだった。赤字でも開催するメリットは何か、開催することで「塾の地位向上」に繋がるのか、また協会未加入塾に呼びかけるのか・・・・いずれも、ほとんど問題になっていなかったようだ。社会に対して(塾全般に対して)呼びかけるのであれば、「第2部」は無料にしたらどうかと提案した。「そんなことは言われたことがない」そうである(笑)。さてお立会い、第1部は「表彰式ごっこ」(式辞・祝電・表彰・・・)、第2部は基調講演(何とセコムの人物)とパネルディスカッション(衆議院議員2名・・・)、第3部は懇親会である。詳しくは、ここを参照されたい。この参加費、1部~3部出席で1万5千円。1・2部出席が1万円である。この1部・2部で1万円!さて、「ふるってご参加」願えますでしょうか?(笑)さてみなさん、もし「せめて第2部だけでも無料」にしたときの「塾の地位」と、今回のような形での「塾の地位」、要するに「世間の見方」はいかがなものでしょう?
2006.09.06
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読まれている方々も数少ないとは思いますが(笑)、「自由欄」の文章を変更しました。今回は、塾の基本方針です。(具体的方針は、また別に存在します。)塾からは「成績」という言葉そのものも追放しました。「学校成績」という熟語が唯一残ってはいますが(笑)。それらは、ほぼ全て「結果」という語で置き換えました。まずは言葉から、と考えたからです。さて、今日の高校生用の「合宿スライド」の編集がまだ終わりません。頑張ろう!
2006.08.30
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自主学習中の高3が「焼きそば」と「ソーメン」を作って食べている。伝統的に(?)、特に男子に、飲食ルームで本格的に料理する者が出てくる。長時間かけては駄目だよ、と言いながら、フライパンや鍋やいろいろな小物も用意している。これでは、まるで料理しろ、と言っているようだ。ただ、フライパンから直接食ったり、ソーメンもざるから直接食うのはちょっと・・・・(笑)飲食ルームは、各館にあるのだが、特に5号館は(毎日開館していることもあって)、料理も盛んだ。(本格的な炊事設備を備えている!)さて、腹ごしらえの後は、集中して学習!(のはずだよね(笑))
2006.07.25
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もうすぐ、1回目の「筆記体テスト」をする。筆記体については、各学校はほとんど指導しない。実際、授業の板書はほとんどブロック体(正確には変形ブロック体)らしいし、各種テストもブロック体で書くよう指導する教師もいる。驚くことに、新高1として入塾してくる子の中には筆記体そのものが読めない子さえいる。ということは、中学生のとき通っていた塾でも筆記体指導が為されていないということだ。ブログを書かれている塾ではどうなのだろう?ちょっと気になる。(笑)基本的に・・・・筆記体でスラスラ書いている子は、英語が出来る子である、という事実があるので(高校編入組で、ブロック体で書いている子が出来ないという訳ではない(笑))、2回目の筆記体テスト後は板書も筆記体ですることにしている。国際社会で、まさか「ハンコ」はないだろうし、サインをブロック体でする訳にもいかんだろうと思う。何と言っても、ノートや答案に書くスピードは圧倒的に速くなるのだから、それだけをとっても筆記体指導はしておくべきだと思っている。それに・・・以前は「必須」だったことだ。
2006.07.17
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レーゼクライスでは(もう書き辛いので「本名」を出してしまった(笑)!)、中学3年生と高校3年生に「贈る言葉」という冊子を配布している。それぞれ、先輩諸君が受験勉強をどのようにしてきたかを文章の形で書いたものである。中学校の贈る言葉は、高校受験後、合格発表までに行われる「中3クラス解散会」での受験報告をもとにしている。まだ自分の合否がはっきりしていないので、そういうときの「謙虚な雰囲気」は良い。(受かってしまうと、それこそトップ合格したような錯覚に陥る者もいる・・・)そうした心の状態で述べられる(書かれる)「後輩たちへ」には、自分の反省を踏まえた、心からの助言が見られる。ほぼ過去7年間、つまり高校1年から大学4年までの先輩の文章を読むのである(進学大学は明示してある)。我々が常々言っていることと殆ど同じなのだが、またこういう形で与えられると、違った印象を持つようである。そらそうだ。親からの「勉強しろ!」には反発しても、憧れの(?)先輩からの「勉強しろよ!」は嬉々として受け入れるものである。高校生用の「贈る言葉」は、これはもう「本」と言ってもよい。今年、新版に切り替えた(つまり、古いものを削除して、2001年度の高3のものからに整理した)のだが、それでも各年度、数名ずつに絞っても、32ページにも及ぶ。国公立大学へ「現役合格」した者が書くことになっている。各教科、どのような教材を用い、どのように学習したのか、センターの乗り切り方、二次試験への取り組みなど多岐に渡る。総じて、贈る言葉を熟読する者は、翌年それなりの進学をしていくようである。そしてまた、「贈る言葉」に付け加える者が生まれるのである。(笑)
2006.07.13
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昨日は坂出校、今日は丸亀校の中1・中2の諸君の「間違い直しノート」の提出日である。間違い直しノートは、各教科のノートの中でも最も重要視しているものだ。各教科のテストの間違ったところを、正しい答えだけでなく、間違った理由、テストの出典等をノートにまとめるのである。勿論、形式的にしか間違いを直していない者、答えだけを「写すように」しか直していない者もいる。優秀な者のノートは、それはそれで一冊の参考書と呼んでもいい。ところが・・・昨日の段階で中1は全員提出。中2は半数が未提出。そして、それぞれの学年の出来は言うまでもない。一人ひとりのノートを隅々まで点検し、しかも点数化する作業は結構やっかいであるが(笑)。
2006.07.11
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「読書感想文」の季節である。(中には、本を買わせることが目的としか思えない読書感想文コンクールもある。決して塾の地位向上には結びつかない某団体のもの。)中1・中2・中3の初めまで、ほぼ1ヶ月に1冊の「課題図書」を決めて、その感想文を提出させている。(塾の原稿用紙2枚程度)中には、高校生になって、夏休みの宿題などで読書感想文を書かなければならなくなり、「中学校のときのを貸して下さい。」と言ってくる子もいる。それを少し膨らませて書こうという魂胆らしい。色々な課題図書の中で、ずーっと、謂わば「塾生必須図書」として2冊ほどを決めている。つまり、高校生から新しく塾生になる子に、これだけは読んで欲しい、というものである。(もしかして・・・・読んでなかったりして(笑)。)以前は、塾生募集広告に「受験資格」として掲載したこともある。それは「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)と「太陽の子」(または「兎の眼」)(灰谷健次郎)である。この間、(感想文が)ちょっと形式的になっていたので、今年は国語の授業中に「君たちはどう生きるか」の「読み合わせ」もしている。本当の勇気や自己反省能力や問題意識を持つことを身につけるには最適のものだと思う。
2006.07.10
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