歴史哲学フラグメント

歴史哲学フラグメント

2009.04.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「人間が行為をして何かを意欲するところにだけ、歴史が存在する」

「運命は恣意の自由とは異なって、意志を強要する自然必然的な必然存在(このようにあって別にはないあり方)を指示する」

【コメント】
ニーチェは若い頃に『歴史と運命』と『意志の自由と運命』という文章を書いたそうだ。
どちらにも「運命」という言葉が入っていて、それが「歴史」と「意志の自由」という言葉と結び付けられている。それはなぜか?

一方で歴史は、運命的または必然的な出来事の連鎖として捉えられうる。
ところが他方では、人間の行為と意欲を欠いた出来事の連鎖は、「歴史」という名に値しないともいえる。
なぜなら、「歴史」とはとりわけ人間の物語であって、自然がどれだけ月日と変化を重ねたとしても「歴史」とは呼ばれないからだ。

必然存在とは、

しかし運命とは何かが違う。

必然存在が「意志を強要する」ところに、「運命」が生じる。

たとえば、春になれば桜の花が開くのが「必然」だとしても、それを「運命」だとは言わない。
「運命」とは、桜の花の下で出会った二人が恋に落ちること。
その恋が、ふたりの入学と桜の開花という必然性によって生じていて、
それ以外の結果になる可能性がなかったとしてもそうなのだ。

すると「運命」とは、必然性が「自由な意志」を経由することによって生まれた物語だ。
自由と必然という相反するものが互いに入れ替わって、
自由なのか、必然なのかという背反を止揚する。





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Last updated  2009.04.06 22:05:44


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ブッカー・リトル@ Re[1]:数の問題ではないが、多くの人が亡くなられた(10/30) JSF.さん, 清造さんの解釈の誤りは指摘…
むにゅう! @ Re:イラク、民間人の死者「10万人以上」(10/30) 戦争に負けるということはそういうことで…
JSF. @ Re:数の問題ではないが、多くの人が亡くなられた(10/30) 清造さん >死亡率1,5倍の方を採用し…
ブッカー・リトル@ Re:数の問題ではないが、多くの人が亡くなられた(10/30) いいかげんなことを言わないで下さい。 h…
某S氏 @ 自業自得 >香田君はまるで、そうした人々が犯した…

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