+ Freude am Fahren +

+ Freude am Fahren +

PR

×

Profile

dragon_daa

dragon_daa

Calendar

Category

Freude am Fahren

(491)

HAWAII

(19)

(19)

BMW

(13)

Archives

2026.08
2026.07
2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11

Comments

Ativan@ Ativan I like your work!, <small> <a href="h…
Xanax@ Xanax Best Wishes!, <small> <a href="http:/…
Marlboro Cigarettes@ Marlboro Cigarettes Good job., <small> <a href="http://ww…
Buy Viagra@ Buy Viagra Your Site Is Great!, <small> <a href=…
Viagra@ Viagra I like your work!, <small> <a href="h…

Favorite Blog

スチュワーデス… Skyflyerさん
お茶漬けさらさら*晩… お茶丸.さん
自分の好きなこと&… NW7033さん
     めざせ、… 楽天松吉さん
matsumiの新米ママ日記 matsumi0219さん
隠れ家☆ みぃこ☆★さん
CORSE MATSUE あやしげ0607さん
zikomo days in Mala… あばぷひ★さぶさん
空色の涙 lavwineさん
にわとりのあたま にわとりのあたまさん
2006.04.21
XML
カテゴリ: Freude am Fahren


なかなか書くきっかけが掴めないままでいたけれど、1週間近くブログネタの無い
まま書けない日が続いたので、今日書く事にした。

路面電車に限っての鉄っちゃん である私にとって、神戸から上京した当時、
初めて知った玉電とは東急世田谷線のことで、「あれは専用軌道を走ってるから
ちんちん電車じゃない」と当時の私にとっては「OUT OF 眼中」の存在だった。
(※「鉄っちゃん」=鉄道マニアのこと)

しかし、そんなことを言いながらも、専用軌道線の鉄道でも好きなところはあって、
例えば、箱根登山や江ノ電なんてのはOKで、世田谷線は電車の形は路面電車そのもの
って感じの車両が当時はまだ走っていたにも関わらず、本当は許せる範囲の中に
ある筈だったのにも関わらず、何故か長年自分の中では除外の対象だった。


しかし・・・


東急世田谷線の前身である玉川電気鉄道から東急になり、
本来の玉電が廃止になる1969年までとなると話は別で、
特に、この玉電の象徴とも言える200形電車と言うことになると
これは完璧に私の好きなリストの上位に来てしまうのです。

TKKデハ204

この電車、正しくは「デハ200形」は、
1955年のデビューから玉電の廃止までの1969年までの14年間、鉄道ファンのみならず
近隣の利用者からも、この独特のスタイルから「ペコちゃん」とか「いもむし」なんて
愛称で親しまれまてきました。鉄っちゃんの世界では「タルゴ」(Talgo)って呼ばれ、
スペインで開発された一軸台車連接型客車にちなんで、そう呼ばれていたそうです。

そのタルゴの愛称の通り、私がこの電車に魅了された最大の理由が連接部分に日本で唯一の
一軸台車が用いられていると言う、この独特の設計。更に超低床を当時実現するために
その車輪の直径510ミリと言う小ささ。そして、当時の流行でもある流線型のボディーデザイン
とにかくデザインが優れていることです。

TKKデハ201

玉川電気鉄道は、渋谷から二子玉川園までの玉川通りを走っていた路面電車で、
1907年3月に開業、起点は渋谷は道玄坂上から三軒茶屋でスタートしましたが、
その年のうちに二子玉川園まで全通しました。
当時は多摩川の砂利を運搬するのがもっぱらの目的で「砂利電」なんて呼ばれて
いたそうです。

1924年には、玉川から砧までの砧線が開業し、翌年には三軒茶屋から下高井戸、
現在の世田谷線も開業しました。1927年には二子玉川園を超えて多摩川を越え
現在の川崎市の溝ノ口まで路線を延ばしました。

その後、玉川電気鉄道は東京横浜電気鉄道の参加に入り1938年に合併、
更に目黒蒲田電気鉄道とも合併し、現在の東急の前身となりました。

1960年代に入ると他の路面電車と同じく、自動車時代の到来で道路上の邪魔者
扱いされ始め、1964年の東京オリンピック開催を契機に東京の交通体系の見直し
などで地下鉄建設などの発展に伴い、現在の東急田園都市線と置き換わることになり、
1969年5月に廃止となりました。


この200形電車は全部で6編成作られたのですが、現在残っているものは
写真上側の204号の1編成だけで、東急田園都市線、宮崎台にある
東急が経営する電車とバスの博物館に保存されています。

世の中は今、LRTブームで新型車両が各地に投入されていますが、
この200形電車は、今から50年前の設計にも関わらず、
低床・連接・流線型と、時代を先取りした設計デザイン、
更に、この丸いボディースタイルは製造する側からすれば面倒この上ない
デザインですが、これを6編成も作ってしまう当時の東急には、
洒落た考えの経営者が居たという事でしょうかね・・・。








人気blogランキング 楽天ブログランキング

このブログは「BMW BLOG RING」に参加しています。
[ prev ][ rundom ][ next ]






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.04.23 17:26:45


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: