生花を習ってみたいと思うようになったのは51歳の時である。実は四国にいた23歳の頃、未生流の先生に手ほどきを受けたことがある。結婚とともにこちらにきたが、仕事と家庭と育児でお花を習っている余裕はどこにもなかった。
やっと子育てが落ち着いた50代で草月流に出会った。職場の同僚が楽しそうに「今日はお花のお稽古なの」と出かけていくので私も習いたいと思ったのがきっかけだった。先生は60代後半だったと思うがとても美しく上品で、指導で辛い目をしたことはなかった。なかなか思うように生けられなかったので2年間くらいは必死で修行した。形がきっちり定まっていた未生流とは大きく花風が異なっていて自由に見えたが、始めは基礎に次ぐ基礎だった。
3年目過ぎる頃から少し自由に生けられるようになった。自宅の玄関に生花が生けられていること、残った花の一輪・一葉を家の中のトイレなどそこここに転用できるのも嬉しく、気持ちが豊かになった。その後、華展や文化祭などに出品することもあったが、私にとってのお花は身の回りを豊かにすること、それだけで充分である。
草月流家元 勅使河原茜先生の作品
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