Locker's Style

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2008年07月29日
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カテゴリ: 【異国日記】
 10分もしないうちに、電話が再び鳴った。ゴードンが取り上げ、ハワードが表についたと電話してきたと言った。

 恐る恐る車に近づき、助手席側から運転席を覗き込んだ。運転手は私に気付くなり、窓を開けて名前も確かめずに「やあ!さぁ、乗って!」と言う。
私は一応、「あなたがハワード?」と聞いた。イエス!という答えが返ってくる。
 助手席に乗って彼を見るなり、私は協会のスタッフの言ったことは本当だったとすぐに理解した。、ベースボールキャップを後ろ向きにかぶった、ユアン・マクレガー(当時はまだ無名だったが)のような若者だ。英語を聞き取るだけで苦労するレベルだった私でも、彼のしゃべり方は、ヘンリーじいさんやゴードンとは明らかに違う、若々しさがただよっているのがわかった。
 「それで、君の名前は?
これこそ、私が欲してやまなかった英会話だ!私は興奮した。「ナオトだよ」
「ナ…?」
「ナ・オ・ト。もし難しかったらクリフでもいい」

「小学校の時に通っていた英会話教室で全員、英語の名前をつけられたんだ」
「クリフかぁ。それはいい。簡単だ」
私の頭の中からは、昼間の陰鬱としたものが跡形もなく吹き飛んでいた。
「車、こんなんですまない。会社の車なんだ」ハワードは器用にシフトチェンジしながら言う。
ハワードと話しながら、私は今の今まで、同年代の外国人とろくに接する機会がなかったとこを改めて痛感した。ようやく、友達になれるオージーに出会えたのだ。
「日本人なんだよね?」ハワードが聞いてきた。
「そうだよ。君はオーストラリア人だよね?」冗談のつもりで言ってみた。
ハワードはおどけるように顔をしかめた。「冗談じゃない。オレはイギリス人だよ。しゃべり方でわかるだろ?」
私の中では英語は全部英語、一種類しかなかった。発音の違いは単なる個人差程度にしか聞き取れない。だが、それは良いニュースだった。オーストラリアなまりをどうにかして避けたかった私にとっては、イギリス英語はアメリカ英語より上の、手が届かないと思っていた存在だった。イギリス英語を身につけられる。
ハワードが簡単にフラットのことを説明し始めた。私はふむふむと吟味するように頷きながら聞いていたが、心はすでに決まっていた。
 あたりはすっかり暗くなっていた。フリデリックストリートの路肩にハワードのワンボックスが止まる。夕方に見た時は濁った空気に包まれたようなフラットが、ハワードと共に歩み寄っていくと、薄暗い街灯に浮かび上がった高級コンドミニアムのようにさえ見えた。

ハワードが大きすぎる声で102号室のドアを開けた。私もにこやかにその後に続いた。短い廊下を通り抜けると、薄茶色のじゅうたんが敷き詰められたリビングがあった。窓側のソファーには小柄でブロンドの若い女性がくつろいでいる。
「ハイ!ハワユー!」女性は私に微笑んだ。
「ルイスだ。イギリスから一緒に来たんだ」同世代のハワードと一緒に住むことですら大変な幸運なのに、同世代の女性とも接する機会がある。私は有頂天になりかけていた。
「ハロー、ナイストゥーミーチュー」
笑顔を浮かべた私は、もうひとつ、別の低い声が「ハーイ」というのを聞いた。その声の方を向いた途端、私の極楽気分ははじけとんだ。手前のソファーに寝そべっていたのは、昼間の刺青男だった。私は思わず後ずさって身構える。

ギャリーはバツが悪そうにしながらも、私に向けてウィンクしてきた。私はぎょっとした。昼間見たときの危ないドラックディーラーという印象が、ハワードに威圧されている今となっては、もはや微塵も感じられなかった。
「違う違う!スーツで来たからセールスマンだと思ったんだよ。だから追い返そうと――」
「シャットアップ!」ハワードがギャリーを一喝した。
私はその光景がとても面白く、そして懐かしく感じた。そう、日本にいるときは、友人としょっちゅうこんな風にバカにし合っていたのだ。
「そう、それで、さっきも言ったけど、君の部屋はこっち」
案内された先は、6畳ほどの広さにシングルベッドが一つある、こじんまりした部屋だった。
「ベッドのクッションが悪いけど、ガレージにスペアがあるから、すぐに入れ替えられる」
私はベッドなど寝られればいいから気にしなかった。
「それから、ここがシャワールーム」
ハワードの使っている部屋側と、私が使うことになる部屋側との両方にドアがあった。心配なのは、ヘンリーじいさんの家のときのように自由に使えるかということだった。
「シャワーは自由に使っていいの?」
ハワードは驚いたような顔をした。「あたりまえだよ。シャワー浴びないような不潔なやつと一緒に住みたくないからね」
ハワードと私はルイスとギャリーのいるリビングに戻った。
「家賃は週100ドル。水道は込み。電気と電話は別。どうだろう?」
「いいよ」
ハワードは首をかしげた。「なんだって?」
「だから、ここに住むよ」
ハワードが驚きながらも手を差し出してきた。私はそれを強く握り返す。
「いつから住んでいいの?」
「いつでもいいよ」
「じゃぁ、今から」私は冗談で言った。
ハワードがビックリしたのが見て取れた。「え?ま、まあ、君がよければそれでもいいけど」
「冗談冗談。明日で引っ越すと、今住んでいるフラットの家賃が明日までだからちょうどいい。だから明日にするよ」
「ところで、君は土産屋の仕事をしてると聞いたけど?」
私はぎょっとした。フラットを間貸しするからには、相手に収入のあることを把握しておきたいのは当然だろう。私は少しためらってから言った。
「実は、今日辞めてきた。あの連中は最低のうそつきだ。もし、金のことが心配なら、問題ないと思う。半年は生活できる金は持ってきたから。もちろん、仕事もすぐに探し始めるよ」
「いや、金のことなら心配していない。何と言っても君は日本人だからね。それより、ああいったスーベニアショップ(土産屋)はうさんくさいところが多いから。そうか、君は良いアジア人なんだな」ハワードは関心したような顔をして言った。
私は無職になったことをとがめられたわけではないことを悟ってほっとした。とにかく、ハワードはあまりにも私が簡単に引っ越すことを決めてしまったことに、ただただ驚いていた。

「僕は日本人と接するのは初めてなんだ。だから日本人がどういう人間が、君から学ぶことになるな」
ゴードンのフラットへ引き返す車の中で、ハワードが言った。
私も同じことを考えていた。「イギリス人は初めてだよ。オーストラリアでは英語のなまりが心配だった。だから、君がイギリス人だということはすごくラッキーだ」
「もちろんさ」ハワードは意外そうな顔をした。「もちろん、英語というのはイギリス語だからね」

その夜、湿った空気に包まれながらベッドに寝そべり、天井を見上げて考えた。自分のやっていることは間違っていない。あやうく間違った方向に行きそうになったけど、全てはまた正しいレールの上に乗っかった。あとはその上をまっすぐ走るだけなのだと。





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最終更新日  2008年07月29日 17時54分09秒
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