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ものを集めれば集めるほど、失うことに対する恐怖が芽生えます。集めたものが、本当に必要なのかどうかは関係ありません。「持っている自分」に執着し、「持っていない自分」になることを恐れてしまうのです。持っている限り、恐怖が終わることはありません。多くの時間を欲望でものを集めることに費やし、またそれを失うことを恐れているのです。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス」よりものがたくさんあることで安心したり、またたくさんあることが人よりも豊かであると勘違いしたり。私自身も昔はそうだったのです。「ない」という感覚が恐れ・不安・心配につながり、結局無駄なものをたくさん買ってしまうのです。今ならそれが無駄だと分かりますが、当時はそれが無駄だと分からなかったのです。「ある」と安心。「ある」と幸せだと思っていたのです。でも今は「あってもなくても」幸せになりました。本当の幸せはものがあるなしにかかわらず、幸せなのです。ヨグマタに出会い、学びを進めていくうちに、いつのまにかものが無くても幸せである自分に気づきました。すでに自分の内側に幸せの素となるものがいっぱい詰まっていたのです。また、ものに執着しなくなったため、自然とまわりが片付き、「シンプルライフ」になっています。形だけ断捨離してものを片付けても、時間がたてばきっと元のもくあみになっていたと思います。まずは心の浄化、執着を手放す修行が先ですね。
2017年10月22日
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宇宙にはある確かな法則が存在するのです。「与えたものと同じ質のものが返ってくる」という法則です。あなたが感謝を与えれば、感謝が返ってきます。あなたが愛を与えれば、愛が返ってきます。与え続けることで、コップの水は減るのではなく満たされ続けるのです。これは「カルマの法則」といって、宇宙(神)の普遍的な真理であり、ただ一つの例外もありません。逆にいえば、自ら与えなければ、何も得られないということです。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」よりこの「カルマの法則」では物を人にあげても、それと同じ物は返ってきません。そして与えたものが純粋であればあるほど、そのお返しは何倍にもなって返ってきます。この場合、与えた人から返ってくるというよりは、宇宙(神)から返ってくるという感じでしょうか。2001年のマハ・クンムメラツアーのパレードの時、自分という感覚がなくなり、沿道の大勢の人たちからいただいた愛(バクティの愛)を受け取り、私はそれと同じ愛を返していました。そのうち自分という個がなくなり、全体(宇宙)と一体化して、ひとつの大きな愛に溶け込んでいるような感覚になりました。そこにいるすべての人の魂とともにいるような、不思議な感覚でした。この奇跡はヨグマタのサマディパワーによって、ものすごい浄化が引き起こされ、私の内側が愛で満たされていた時だったので、このような奇跡が起こったのだと思います。与える側が純粋であればあるほど、大きな恩恵をいただけると思います。宇宙普遍の真理「カルマの法則」のとても貴重な体験となりました。
2017年10月11日
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人と会ったとき、「この人から何をもらえるか」ではなく、「この人に何を与えられるか」を考えてみましょう。人間関係は持ちつ持たれつ、とよく言います。ただ「お互いさま」という言葉の中に、「私が助けたから、次はあなたが助けてね」「やってあげたんだから、感謝すべき」など、見返りを求める気持ちがあったとしたら、それは純粋な愛とはいえません。ほんとうの愛とは、受け取ることを意識しない愛です。ギブアンドテイクではなく、ただひたすら「ギブ」し続ける愛です。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」より世の中のほとんどの人が、ギブアンドテイクを前提として何かをしてあげたり、物をあげたりしています。それが当たり前の社会になっています。よく「恩返しをする」といいます。優しさでしてあげたことに対して、その恩をその方に返すという行為は、一見とてもいいことのように思えます。しかし、その裏にギブアンドテイクの精神が見え隠れしていないでしょうか。純粋に愛から何も見返りを求めずにする行為は、なかなかできることではありません。実際、私も長い間ギブアンドテイクが当たり前と思って生きてきました。何かをしてもらったら、必ずお返しをしなければいけないという強迫観念にかられていました。だから、何かをしてもらったり、何かをプレゼントされたりするのが嫌だったのです。そのお返しについて、散々悩まなくてはならないからです。ヨグマタにお会いして、学びを進め、差し出す(与える)ことを少しずつ実践することによって、自分の偏った考え方、執着や欲が落ちて、自然と見返りを求めずにしてあげることができるようになってきました。また、何かをしてもらったり、プレゼントしてもらった時、素直に喜び、「ありがとう」と言うことができるようになりました。お返しをしなければという強迫観念もなくなりました。お返しはその方の幸せを祈ったりしています。またヨグマタのご本をお渡ししたりすることもあります。内側に愛があふれていれば、どんなに差し上げても減ることはありません。それどころか、逆にどんどんあふれてきます。ほんとうに不思議です。私たちはもっと自分の内側の神秘について、学びを深めたいですね。
2017年10月08日
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「足りない」と思えば、不幸になり、「これで十分」と感謝すれば、幸せがやってきます。人と比べて才能がない、学歴がない、お金がない、容姿に恵まれない・・・。そんなふうに、わざわざ「ない」ものばかり数え上げていませんか?幸福な生き方とは「ある」ものに満足して感謝する生き方です。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」より昔の私は常にあれがない・これがない、人と比べて自分はあれもできない・これもできない、と自分に「ない」ものをいつも探して不平不満を言っていました。すでに「ある」ものには目もくれず、「ない」ものばかり探していました。「ない」ものを手に入れるためには、どうしたらいいかを常に考えていたのです。そんな私がすでに「ある」ものに目を向け、「ない」ものを探さなくなったのは、瞑想を始めて、内側を見つめ、すでに満ちていることを知ってからです。「ある」という感覚と「ない」という感覚はプラスとマイナス、表と裏であり、オセロゲームの駒のように黒をひっくり返せば白になります。このひっくり返す作業は、面白いことに一度ひっくり返すことに成功すると、次々とひっくり返すことができ、最終的にすべて白にしてしまうことができます。すべてはもう自分の中に「ある」と思えるようになったのです。これは物質的なものではなく、人と比べてでもなく、本質的なもののことです。現実的にお金が有り余るほどあるわけでもないし、人と比べたら物質的に「ない」ものもたくさんあります。しかし、内側が愛で満たされていれば、「ない」という感覚が無くなるのです。不思議ですね。あれだけ「ない、ない」と思っていたのに、「ない」という感覚自体がなくなってしまうのですから。こんなことが起きるなんて想像もしていませんでした。ヒマラヤ秘教の恩恵のすごさに感謝です。
2017年10月06日
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何よりも大切なことは愛です。言葉でわかっていても、それを本当の意味で理解するのは、なかなか難しいことかもしれません。・・・・・「好き」という気持ちと「愛」とは違うのです。「好き」「嫌い」は、執着、欲をもとにした愛、所有する愛ではないでしょうか。本当の愛とは、神につながった愛です。純粋な穢れのない愛、神のように平等に愛する愛です。エゴからの愛ではありません。ハートの奥深くから湧き上がるものです。無限の愛です。その愛は心を浄化し、カルマを浄化して、さらに純粋な心の奥から現れます。宇宙と一体となった本当の自分からあふれ出るものです。損得で変化しない、見返りを求めない愛です。・・・・・人のハートの奥には、愛の海があります。それは真の自我のところにあります。それを目覚めさせましょう。ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉」より相川ヨガのインストラクターをさせていただいていますが、時々無心で声掛けをしている時があります。そんな時、ハートから愛があふれてきます。言葉とともに愛が湧き上がってきます。それは自然に起こってきます。何も考えず、何も思わず(ヨグマタを思っているわけでもなく)、ただ「今」に、ここにいる時、愛があふれてきます。そんな時は、生徒さんたちが自然にリラックスしていて、とても気持ち良さそうにポーズをしていたり、ポーズの合間でシャバ・アーサナをしている時に眠ってしまったりすることがあります。そして、私自身がその声で、その愛で(あふれ出た愛で)癒され、光が増していくのを感じます。また、前回の日記に登場した書店(本を注文した時、愛があふれ出た)では、その後ヨグマタのご本をたくさん置いて下さるようになり、ビジュアル・ムックは第2版も入れて下さっています。愛が目に見えなくても、まわりの反応によって分かったり、何より自分自身がとても幸せな感じ(極上の幸せ感)がします。奇跡は本当に「いつも」起きているのではないでしょうか。
2016年08月19日
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愛はあなたの奥深いところから湧き上がってきます。それは、とても純粋なものです。心の執着から、愛が生まれることはありません。愛は、ハートがひらき、湧き上がる、慈愛の心に、花ひらきます。あなたは相手の成長のみを願います。人の成長が自分のことのように嬉しいのです。ほかには何も欲しくありません。何も願いません。それが無償の愛です。その無償の愛を捧げます。ヨグマタ相川圭子著「あなたは答えを知っている」よりこのご本は美しい写真とともに、シンプルでありながらとても深い内容で、愛に満ちた言葉で綴られています。愛という言葉が今、ちまたにあふれていて、何が本当の愛なのか分からない状況になっています。何にでも愛という言葉をつけてしまって、愛が安売りされているように思えます。でも、本当の愛とは、ヨグマタがおっしゃられているように、奥深いところから湧き上がってくるものなのです。私自身も体験しています。以前、書店にヨグマタのご本を購入しに行った時、その書店に探していたご本がなかったので、注文することにしたのです。ご本のタイトルを聞かれたので「奇跡はいつも起きている、です」と答えました。その時、奇跡は起きたのです。私の内側の奥深くのハートが開き、愛が湧き上がって、その言葉とともに愛があふれでてきたのです。そして、その愛は目の前の店員さんに、まるで光のシャワーのように降り注がれていたのです。一瞬何が起きたのかと思いました。まさに奇跡が起こったのです。いえ、奇跡はタイトルのようにいつも起きていたのです。ただ私たちがそれを実感していなかっただけで。それ以来、愛があふれるという感覚が分かるようになりましたが、エゴではハートは開かないので、まさかこんな時にというところで愛があふれてきたりします。きっと心を超えたところでハートは開いているのでしょうね。
2016年08月05日
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そうしてみんな生まれ変わります。高次元のエネルギーで生まれ変わるのです。そして、大いなる存在に近づくのです。私がディクシャでつなげて、本当の自分、あるいは神につなげてあげることができるのです。そうしたチャンスがないと人はいくら頑張っても自分の思い込みに翻弄され、苦しい人生を送っていかなければならないのです。ヒマラヤ聖者は心を浄化して、本当の自分に出会ってそれになる、サマディに達した存在です。その人の力で、あなたは瞬時に生まれ変わることができるのです。あなたを助けることはわたくしの喜びです。そうして素晴らしい人生を歩み、みんなの意識が高次元につながった、愛と感謝の世の中になることを願っています。 ヨグマタ まぐまぐヒマラヤ聖者ヨグマタ相川圭子の「本当の自分に出会う旅」よりヨグマタに最初に出会ったのは、20年以上も前のテレビ番組の中でのインタビューでした。その番組はサマディについてその偉業を讃え、それを世の中に紹介してくれました。そのインタビューの中で、私の心に響いた言葉がありました。それが「本当の自分に出会う」という言葉でした。なぜその言葉が気になったのかわかりませんが、今までに聞いたことのない言葉でした。その意味が分かったのは、ディクシャをいただいて、数年が経った頃でした。私があるプログラムを受けたいということをヨグマタにお願いしたところ、「なぜそれを受けたいと思ったの?」と訊ねられたので、私はとっさに「本当の自分に出会いたいからです」と答えました。すると「あなたは悟りの道を行くことを決意したのね」とおっしゃられたのです。「???!!!・・・」そういう意味だったのかとやっと分かったのでした。何も分からずにヨグマタのところにとび込み、意味も知らずに「本当の自分に出会いたい」と言っていた自分が恥ずかしくなりました。しかし、そのテレビのインタビューに出会っていなかったら、いまだに光の見えない闇の中で、もがき苦しんでいただろうと思います。
2016年07月25日
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あなたは神の社聖なる波動をいただいて、その波動で浄め、アヌグラハのクリヤの光の瞑想で浄め、気づきを深め、瞑想や祈りを実践することで、心身が充電され、積極的に浄化されていきます。そして、あなた自身が神の社になるのです。身体が社で、その中に魂である神、つまりご神体がいると考えてください。あなた自身が神の子ですから、心身を磨いていくことによって、その神聖なものを現実に表していくのです。そして、純粋で神聖な人になっていくのです。あなたの社、あなたのテンプル(寺院)である神体を浄めて、整えていきます。そして、その中にある心も浄めて、曇りがないようにするのです。すると、あなたの内側から、ダイヤモンドの輝きが浮かび上がってくるでしょう。私たちの身体は、神さまからいただいた素晴らしい道具です。その道具を磨いて、より幸せになると同時に、あなたのまわりの人も幸福にしていただきたいと思います。 ヨグマタ相川圭子著「心が浄化される瞑想の言葉」より神の社としての身体と心をピカピカにすることは、私の魂が望んでいることです。それは、今生(こんじょう)この時代にこの身体で日本に生まれ、この環境で生き、ヨグマタに出逢い、悟りへの道を歩ませてもらっていることは、私の魂が過去生で修行をし、心身魂を磨いてくれたおかげだからです。でなければ、今こうしていることはないと思います。私の過去生の魂たちの努力や願いに報いるためにも、今の私にできることを精いっぱいやりきっていこうと決めています。そして、心身魂をピカピカにして、次の魂にバトンを渡すのです。
2016年07月19日
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人生の生まれてきた目的は、本当の自分になっていくことです。真理を体験し、悩みのない愛の人、神聖な人になれるのです。心に翻弄されない、自由な人に生まれ変わります。無知から解放され光の人になっていきます。あなたの中の魂は太陽です。太陽の光は大地にあたり生物を生かします。魂は太陽のようにあなたに命を与えています。まず、あなたを生かしているすべてを創造した神を信じます。太陽のような大元(おおもと)の存在です。個人の魂は神の分身です。神を愛し、魂を愛します。信じます。あなた自身を愛します。 ヨグマタ相川圭子著「心が浄化される瞑想の言葉」よりヨグマタに出会う前の私であったら、「魂は神の分身」だと言われても、ピンと来ないばかりか、その言葉自体を疑っていただろうと思います。今の私はその言葉を信じることができます。なぜなら、体験によって確信したからです。それはヨグマタのサマディパワーによって起きました。魂と神とが本当に繋がっていたのです。そして、私たちは食べ物によって生かされているのではなく、魂から生命力があふれていて、それによって生かされていたのです。
2016年07月05日
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個人の魂は、至高なる存在から分かれたものです。そして、それは「本当の自分」です。魂=「本当の自分」こそが、不変のものなのです。 それを実感していくのが、悟りへの道です。しかし永遠の存在は、目に見えないし、感じられないので、そういうものがあることが分からないのです。 見えるものや変化するものを、多くの人は一生懸命に勉強しています。しかし、見えない奥深くのところにも、何か大きな力がはたらいていることは、ぼんやりと分かっている人もいます。だからこそ、「入魂」だとか「魂の叫び」といった言葉があるのです。 その魂は、あなたの心の奥にある、あなたに命を与える存在です。心とからだを生かしているエネルギーの源です。神から分かれた存在であり、「本当の自分」です。 神からつくられた私たちは、目に見えるからだと心をいただきました。私たち人間は、からだと心と魂からできています。そしてエネルギー体があります。 からだは、形があって目に見える肉体だけではありません。からだの内側には、目に見えないエネルギーのからだ=アストラル体があります。それは心の家であり、過去生からの行為の記憶と今生でのこれまでの記憶が全部刻み込まれています。 アストラル体のなかに、コザール体というさらに微細なエネルギー体があります。それは、魂の家になります。魂はコザール体に守られて、そこにあります。 魂は、その人のなかの神であり、サンスクリット語でアートマンとよびます。アートマンは、永遠に不変の宇宙の神であるパラマアートマンから分かれた存在です。パラマアートマンとは、至高なる神の名前です。ブラフマンともいいます。 私たち1人ひとりの魂は、神そのものであり、永遠に変わらないのです。それを実際に発見していくのです。それが真理を悟っていくことになるのです。 ヨグマタ相川圭子著「思った以上の人生は、すぐそこで待っている」より もし私たち1人ひとりが神から分かれた存在であることを分かっていて、それを意識しながら日々生きていたら、この世界は天国以外の何ものでもないことでしょう。それだけでなく、世界は平和と愛で満たされていることでしょう。しかし、現実はそれとは程遠い状況になっています。この世で起こっているすべては意味があって、そういう状況になっているのだとは思いますが、1人ひとりが神とつながり生きていたならば、不安や心配にとらわれることなく、安心して幸せを実感して生きていくことができると思います。 そして私たちの魂と至高なる存在である宇宙創造の神とをつなげてくださるのが、ヨグマタなのです。
2016年07月01日
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人生は美しいです。人と人の関係が信頼と愛でつながります。相手が生かされ自分が生きます。そこに愛が満ち、平和と喜びがあります。神の愛、存在の愛は、すべてに満ちています。自分を許します。自分はまだ至らない存在である。いろいろなミステイクをし、痛みを感じ、そこから学び、成長します。成長は喜びです。すべては与えられています。何の不足もないのです。満ちているところ、平和のところ、愛のところ、すべては神とともにあります。人は神の分身です。 ヨグマタ相川圭子著「ヒマラヤ聖者の知恵があふれる瞑想法」より人はとかく嫌なところばかり目につき、欠点や不足、不満に焦点を合わせがちです。ヨグマタと出会う前の私もそうでした。自分が嫌いで、まわりの人のいやなところばかりが目について、好きになれないのです。ヨグマタに出会い、瞑想をはじめ、すべてが学びであること、私たちはもともと完全な存在・愛の存在であることを知りました。「あなたは何者ですか?」と問われれば、「私は愛そのものです」と答えます。
2016年02月20日
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「悟り」とは一体何でしょうか。簡単に言えば、ヒマラヤの山頂に立つようなものです。そこに立った瞬間、すべてを見通すことができます。眼下には今まで自分がいたふもとが見えます。「ああ、そうだったのか」と、自分がたどってきた道筋がどんなものだったのかが分かります。そして顔を上げれば見渡す限りの青空、そして果てしなく広がる地上の世界。「ああ、世界はこうなっていたのか」と、山のふもとに暮らしているときには見えなかった、この世界のすべてを、一瞬にして理解できるのです。「悟り」というのは、まさにこのような体験と言えるでしょう。でも、現代人の多くは、自分がそもそもこの山の頂を目指すためにここにいるのだということを、すっかり忘れてしまっています。その手前のジャングルでうろうろしているだけで、きっと「登るべき山が存在する」ということすら、気がついていないかもしれません。自分が本来なすべきことを忘れ、目の前のことにとらわれている状態、いわば「無知の人」なのです。 ヨグマタ著書「魂を浄化するたった一つの方法」よりそもそも山の頂(悟り)を目指すために私たちの人生があるのだということを、すっかり忘れてしまっている、とヨグマタはおっしゃっています。何のために生まれてきたのか・・・。あなたはどう思いますか?
2014年11月19日
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私たちは食べるためにのみ生まれてきたのでもなく、仕事をするためにのみ生まれてきたのでもなく、また、家庭をもって、子供を育てていくためにのみ生まれてきたのでもありません。人生をエンジョイするためにのみ生まれてきたのでもありません。無論、争うために、戦うために生まれてきたのでもありません。欲しいものを得るため、生きるために戦ったり、食べるために戦うのなら、動物と変わらないのです。私たちがどんなに一生懸命になって働き、欲しいものを手に入れるために必死になって努力したとしても、肉体という衣を脱いで、あの世に旅立つときには、所有しているそれらすべてを、この世に残して去らなければなりません。いかに生きるべきか、そしていかに死ぬべきなのかということについて、もっと自覚を持っていただきたいのです。そして自分の内側に何が起きているのか、自分はいったい誰なのかということに気づいていく必要があります。また、死んでから、私たちの生はどういうふうになるのかを知ってほしいのです。内側の世界への旅をしていくと、本当の自分とはいかなるものなのかということが、実感としてわかってきます。あなたの中には、素晴らしい才能とパワーが潜んでいます。あなたには無限の可能性があります。あなたの内側には本当の幸せがあり、真理があります。あなたは満ち足りた存在です。愛に満ち、神性なる存在、聖なる存在なのです。そのことに気づいていただきたいのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」より
2014年11月17日
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人間は何のために生まれてきたのでしょうか。少なくとも自分自身については、そのことがわかっていても良さそうなものですが、明確に「○○のために生まれてきた」と言える人は、ほとんどいません。それどころか、自分はどこから生まれてきたのか、自分はいったい何者なのか、自分はいったい誰なのか、そのようなこともよくわからないという人が大半であると思います。自分が何者かわからないわけです。人生の真の目的は何なのでしょうか。何のために生まれてきて、何のために生き続けていくのでしょうか。何が本当の成長なのでしょうか。人は幸せを求めて生きていきます。しかし、何のために生まれてきたかもわからないうちに、大半の人が死んでしまうのです。本当の自分を知らないままにです。自分は誰であり、何のために生まれてきたかは、とても重要な本質です。人はそれを知ることもなく、その疑問から離れ、感覚を使い、心を使って生きています。何が本当の幸せであるかも知らないまま、幸せを求めて生きています。そうした中で、ヒマラヤの聖者は自分の内側深くを旅し、その源にある純粋な存在である本当の自分に出会うことにより、悟りました。本当の自分を知り、真理を知ったのです。私はその真理の知恵から、あなたがもっと幸せになれることをお伝えしたいのです。ヒマラヤ秘教の恩恵は、今のあなたをプラスの生き方へと自然に導きます。それはヒマラヤの叡智からもたらされる、人を内側から自然に変え、いつの間にか楽に幸せに生きることができるようになる、魔法のような力をもった実践の教えです。・・・源に還っていく道は、永遠の存在に出会う道、本当の自分に出会う道でもあります。その道を歩むことにより、内側から豊かさが満ち、愛が満ち、すべてが楽にまわり、本当の幸せになれます。あなたがこの道を選び、実践されることを願ってやみません。 ヨグマタ最新刊「ヒマラヤ聖者の幸福学」より
2014年11月16日
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ヨグマタに出会う前のことです。ストレスの多い生活をしていたためか、ずっと体調が思わしくなく、時々動悸も起こっていました。病院で検査をしても、特にどこかが悪いわけではなく、薬を飲むほどでもないと言われました。その頃、家の農家の仕事も任せられるようになって、バリバリと仕事をこなしていました。グループ活動でも活発な活動をしていて、執行部の役をやっていましたから、毎日本当に忙しく、自分のことで悩んでいる暇がないくらいでした。でも、体や心は悲鳴を上げていたんですね。仕事も活動もやりがいを持ってやっていましたが、限界だったのでしょう。体調不良から少しうつになっていたようです。今思えば自分のペースよりかなり早いペースで進んでいたのです。頑張り過ぎるとやがて緊張の糸が切れてうつになるのです。さて、その頃よく思っていたのが、「何のために生まれてきたのか」という疑問です。これはもうかなり若い頃からの疑問だったのですが、それがこの頃になってまた芽生えてきました。自分が生まれてきた意味を知りたいと本気で思うようになりました。それは心の奥深く、魂から求めるものだったのかもしれません。漠然とその答えを探しながら、何かの出会いを待っていました。ヨグマタのところの相川ヨガの教室がうちの方のカルチャーセンターにあり、結婚した当初からその相川ヨガでヨガをやっていました。健康のためでもありましたが、家から離れ、息抜きをしたかったのでしょう。ちょっとしたストレス解消になっていました。私が体調不良からうつになり、「何のために生まれてきたのか」と探し求めるようになっていた頃、相川ヨガの先生であるヨグマタがテレビ出演をされるという知らせを聞きました。その番組は当時ではまだ珍しかったスピリチュアルなヨガ、ヨグマタがサマディをされたところの映像を見せてくれました。その時はサマディという言葉すら知りませんでしたし、悟りと言われても自分にはまったく関係がないと思っていました。インタビューに答える形で、ヨグマタがメッセージをおっしゃられていました。その中で「本当の自分に出会う」という言葉をおっしゃられた時、自分の体に稲妻が落ちたような衝撃が走りました。なぜなのか分かりませんでしたが、それが私の求めてきたもの、探していたもののような気がしました。直感で「これだ」と。そしてヨグマタに会いたい、会いに行かなければ、と思ったのです。それがヨグマタとの出会いのきっかけになりました。今では悟りへの道を歩んでいる私がいます。サマディにも出合うことができました。今思えば、ヨグマタとの出会いは私の魂が生まれる前から決めていたことかもしれませんが、そのタイミングはまさにベストタイミング、神のタイミングだったように思います。「自分は何のために生まれてきたのか」疑問に思っている方、ぜひヨグマタに出会っていただきたいと願っています。
2014年11月14日
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今日ヨグマタの最新刊「ヒマラヤ聖者の幸福学」が届きました。昨夜、アマゾンのお急ぎ便で注文したら、今日午前中に届いたのです。表紙の「幸福学」の大きな文字が目を引きます。幸福をイメージさせてくれる、明るく温かさを感じる装丁が素晴らしいですね。副題の『誰も知らなかった「幸せの育て方」』という言葉に、ちょっと驚き。幸せって育てることができるのですか!?このご本は私たちに寄り添い、とても分かりやすく書いて下さっているように思います。ヨグマタの深い愛を感じます。ご本の一部を紹介しますね。あなたの中には、幸せの種があります。その幸せの種が、私のディクシャ(あなたを宇宙の源につなげる秘法の伝授)によって芽吹き、あなたはそれを楽しみながら育てることができるのです。あなたの中には、神聖な存在もあります。その神聖な存在は、すべてが満ちている存在であり、幸福そのものなのです。何の苦しみもない存在です。何の心配もない存在です。愛が満ちています。平和が満ちています。調和がとれているのです。そのことをぜひ、あなたにお知らせしたいのです。そして、それを実感していただきたいのです。そうなのだなあと、ただ思うのではなく、実際にそのことを実感して、感動していただきたい、幸福を手に入れていただきたいのです。あなたの心身を浄めて、変容し、あなたが幸福そのものになることを願っています。そのことで現実も、根源からの力を得て、すべてに成功していくのです。幸福そのものになったあなたは、まわりの人と幸福をシェアし、まわりじゅうを幸福にすることによって、あなたはもっと幸福に、これまで誰も見たことのないような幸福な人になるでしょう。 ヨグマタ最新刊「ヒマラヤ聖者の幸福学」より
2014年11月13日
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皆は神様なんです。本来自然で矛盾のない、調和のとれた存在なんです。けれども皆そのことを忘れてしまっているのです。そして私は肉体だ、私は心だ、と思って本当の生命(いのち)のことを忘れてしまっているのです。私は自然な子で、ものすごく元気でパワーがあるんだっていうことを忘れてしまったわけです。生まれてから競争社会において、失敗や不幸な体験ばかりしているから、ああ私は不幸だなー、私はだめなんだなー、こう思うから不幸の神が寄りついてくるのです。自分で自分の不幸を呼んでいるわけです。自分の光を見て、今見えなくとも、あると信じることが大切なのです。そして、ああ守られている、神に守られている、ありがとうございます、と感謝するのです。不幸のこともありがたい!私が成長するために与えられた試練なんだ、と思えばいいのです。人は何もないと成長しないから。本来は自分の中に自然があって、自分が本当にあるがままで完全な存在なのです。皆は完全なんです。だからちょっと間違っていると、症状として現れる。だからそれはありがたいことなのです。それがないと気がつくことが出来ないわけですから。こういう症状が出てはじめて、何を正せばいいか気づくことが出来るのです。正しく食べているか、正しく身体が機能しているかどうか、正しい心を持っているか、正しい目で見ているかどうか、正しく聞いているかどうか。そうやって一つ一つを気づいて、そして自分が本当にバランスのとれた状態に戻っていくことが出来るのです。でもバランスを取り戻す教え、ヨガを含めた教えに出会うことが出来ないと、ただ不安で、心配で、その症状を増大させるだけなのです。 ヨグマタのご講話(会報誌アートマン「純粋意識 ヴィシュドチッダ」)より私たちはあるがままで完全な存在なのですね。症状はどこかが間違っているから現れる、気づきなさいと。無知のままだと症状に対して否定的に受け止めるだけで、不安や心配を増大させてしまいます。こうした尊い教えをいただいている私たちは幸せですね。
2014年11月10日
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私たちの中に神が住んでいます。どこも神のパワーにあふれていますが、すべてを尊敬する心を持つことで、さらにその神性は増していきます。動物の魂と私たちの魂に違いはありません。石も植物も動物も、すべてのものが宇宙の神によって、プロセスを経て順に現れてきました。動物の中にも植物の中にも、人間とレベルは異なるにせよ、私たちと同じ神が宿っています。すべては神の創造物であり、神の一部です。自然のバランスのために、それぞれが存在しているのです。そうしたことを知って、すべての生き物、すべての物体を尊び敬う心が生まれたとき、ただ自分を守ることにしか目がいかないエゴイスティックな生き方から、自己を超えた神性の思いが自然と湧き上がってくるのです。心にはもともと、チェックする心、好き嫌いの心、執着の心があります。その一方には、慈しみの心、平等の心、許す心、クリエイティブな心があります。心はさまざまなものをクリエイトしていく力があります。そうしたことに気づき、その気づきを深め、神性を引き出していき、進化することができるのは素晴らしいことです。こうした神の資質が与えられている人間ですが、生まれることと死ぬことはコントロールできません。なぜならそれは神の領域だからです。生と死を超える体験は、サマディがあるのみです。サマディは真理への旅であり、なかでも究極のサマディであるアサンブラギャタ・サマディは、ケーバラヤ、あるいはムクシャといわれ、神そのものになるものです。これを達成することによって、生と死に翻弄されず、人間を超えることができるのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」よりヨグマタのように究極のサマディに到達されることがどれほど稀有なことであるのか。それはまさに神の領域であり、普通の人がどれだけ頑張って修行をしても、到達できるものではありません。私たちはサマディに到達しなくても、ヨグマタにサレンダーし、すべてを捧げていくことで、サマディの境地を体験することはできると思います。この最高の出会いに感謝します。
2014年11月08日
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ヨガの道、サマディへの道の最初にヤマ・ニヤマという戒律があります。その中には規則正しい生活をする、規則正しい食生活をする、そして正しい行為をすすめるということがあります。これらはごく当たり前なことですけれども、結構出来ていないことが多いわけです。本当に正しいカルマ(行為)を積んでいますか?すべてに対して肯定的ですか?感謝が出来ていますか?正しい生活の基本に心の状態があります。そして心には感謝の心、肯定的な心、その一方で否定的な心があります。普段、無意識に否定的な心を使っていることも多いのです。自分が否定的であることに気づかない、それにどっぷり浸かりきっていて、どうすることも出来ないということもあるのです。心の思いが否定的ですと、身体のリズムも狂いますし、ホルモンの状態も乱れ、血液が濁って酸性になります。そしてやがては病気にもなります。正しいカルマ(業)、正しい行為、感謝してすべての行為をすることが大切です。こうして当たり前のこと、何でもないことがしっかり出来て、はじめて瞑想行が煩悩のないものになっていくわけです。座ったときにすでに物事がクリアになっていますから、さらに自分の奥深くの問題に焦点をあてて、その内側のカルマを浄化させることが出来るわけです。本当に日々の生活が大切、基本が大切であるということなのです。初期の段階では、基本的に正しい行為を身につけ、それを癖とすることが大切なのです。 ヨグマタのご講話(会報誌アートマン「八正道 正しい生活、正しい行為のすすめ」)より基本の正しい生活、正しい行為を身につけ癖にすることで、はじめて煩悩のない瞑想ができるのですね。なるほど、と思いました。正しい生活や行為って、当たり前のことのようでいて、意外と出来ていないのが実情です。基本に立ち返って、自分の生活や行為を見つめ直し、正していこうと思います。
2014年11月07日
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深いところの純粋さや自由さ、真理のガイドではなく、さまざまな体験から、あるいは社会のアイデアによって、自分の行動が支配されてコントロールされる中で、いろいろなトラブルが起き、苦しみ続けるのだということに気づきはじめるのです。そして私たちは、そこから自由になりたい、カルマから自由になりたい、と気づきはじめます。もっと何かがある、本来の自分に戻りたいと気づき、純粋さを取り戻したいと祈りはじめたり、神社やお寺などにお参りをし始めるのです。どうぞ私に正しい道を示してください。私を救ってください。力を与えてください。そう神や仏に祈ります。やがて清らかな気持ち、やすらぎが訪れます。こうしたことをきっかけに、私たちの中の神性が目覚めていくのです。また、不幸な体験も、私たちに神性を目覚めさせるきっかけになります。本人や家族が病気になったり、会社が倒産したりといった不幸な目にあうときこそ、学びのきっかけになります。すべては学びです。真理に出会うために与えられている試練なのです。あなたがそれをきっかけとして、気づきが深まり、自分の心をコントロールできるようになったとき、さらに自由な人になっていくことができます。人はもともと神の子です。神から生まれた神の創造物です。私たちは長い生まれ変わりの中で、カルマを積み重ね、不自由な人となりましたが、もともとは神性があるのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」よりすべては学びであり、真理に出会うために与えられている試練なのです、とヨグマタはおっしゃられています。ヨグマタに出会えた人は、すでに神性を目覚めさせるきっかけを与えられたということなのでしょうね。ありがたいかぎりです。
2014年11月06日
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すべては最良のためすべては最良のために起きているすべての苦しみは友 痛みは友 怒りは友 嫌悪は友 悲しみは友なぜならあなたはそこから学ぶことが出来るから苦しみを見つめなさい それは変化している苦しみが去って喜びがやってくる痛みが去って快感がやってくる怒りが去って平和がやってくる嫌悪が去って愛がやってくる悲しみが去って幸福がやってくるあなたが神を知るなら 歓びがあなたを満たすあなたが瞑想を知るなら あなたは苦しみを超え 悟るすべてはあなたの成長のために与えられたことあなたを解放し 幸福にするために起きていることあなたの中に気づきがあり 慈愛が育つすべては最良のために起きている ヨグマタのお言葉(会報誌アートマン)より自分に起きていることをどうとらえるかで、人生は最高にも最低にもなります。すべて神さまが与えて下さったものをよろこび、ありがたく受け入れる。それは最良のために起きているのだから。
2014年11月05日
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自然治癒力、自然に回復する力、中心に戻るちから。私たちの身体が異常でありますと、天つまり生命力、あるいは生命(いのち)の働きは、その異常を取り除いて、本来の自然な楽な平安な形に戻そうとします。そのことを自然治癒力といいます。私たちは生まれてからいろいろな行為を積み重ね、そして成長してきました。それは誕生から死に一歩一歩近づいて、老化をしているとも言えるわけです。生まれてからずっと、数限りない仕事を心に与えてきました。数限りない仕事を身体に与えてきました。自然なことが本来自然にできなければいけないのですけれども、この文化生活というのは不自然生活ですから、自然性がどこかに飛んでいってしまいました。そして薬漬けの身体になったり、食品添加物の身体になったり、あるいは不平不満で身体の中に毒を発生させ、そして一生懸命闘って生き抜いてきました。そして自然治癒力も一生懸命私たちを守ってくれているわけですけれども、そのパワーが次第次第に錆びついたり、曇ったりしてしまいました。人間はたいへん厄介な動物で、ずっと欲望を持ち、心を使い過ぎてきました。ですから心はもう常に取り越し苦労をして、不安におののいて、先の先まで想像してしまいます。「この病気は治らないんじゃないかしら」無意識に習性となって、常に心配を注いでいます。これらのことがますます自然の力、自然の治る力を弱めてしまっているわけです。ヨガのアーサナは大変自然な力、自然治癒力を高める働きです。それは身体のバランス、心のバランスを整える、ヨギの直観から生まれた、シバ神の直観から生まれた動きだからです。皆さんの自然治癒力が、ヨガを一生続けていくことによって、どんどん回復し、その力によって癒されていくのです。私たちの生命力、神の力、天の力、それをあなたの中に目覚めさせ、その力に頭(こうべ)を垂れて、お頼みすることによって、あなたはいつまでも若く健康で、人生をエンジョイできるわけです。 ヨグマタのご講話(会報誌アートマン)より私たちは無知であるために、不自然な生活をしていたり、不平不満や不安、心配など心を間違って使っているために、自然治癒力が弱まってしまっているのですね。アーサナの恩恵によって、自然治癒力が高まり、心と身体のバランスが整えられるなんて、ありがたいですね。また、ヨグマタとのご縁によって、天(神)の力を私たちの中に目覚めさせていただける。本当に多大なる恩恵をいただいているのですね。
2014年10月31日
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あらわれは心と行為の投影すべてのあらわれ それはあなたの心と行為の投影あなたの世界にうつるもの あなた自身が作り出したものそこに苦しみがある 悲しみがある 批判がある 快楽がある 混乱があるそれは無知と執着から作り出されるもの気づきなさい 落としなさい 神にすべてをささげなさいあなたの戦いがすんで あるがままの自分に戻っていく なんとシンプルな幸福があるか!世界は美しくダンスしている 光の中で よろこびの中で すべてがたわむれている自然はなんの工作もない美しい姿 そこには自由と平和と愛がある気づきなさい 落としなさい 本当のあなたに出会いなさい ヨグマタのお言葉(会報誌アートマン)より無知と執着から作り出される世界から自由と平和と愛がある世界へ。死んでからではなく生きながらにして天国にいる世界。神にすべてをささげ、本当の自分に出会います。
2014年10月29日
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今日は木枯らし1号が吹きました。庭の植木鉢が倒れるほどの強風に、あわてて鉢を軒下に寄せたりして、冬支度も始める時期になりました。菊の花が満開です。鉢植えの木がけっこう増えたので、庭に地植えしています。本格的な寒さになる前に、終わらせたいと頑張っています。下の方は砂利石が多く、穴を掘るのも一苦労ですが、大き目に掘って新しい根を伸ばせるようにしてあげたいと思っています。庭の1か所を香りのする花たちを集めたガーデンにしようと思っていて、春から冬まで次々に花が咲き、香りがするようにしようと思っています。2月のろう梅から沈丁花、水仙、スズランやくちなし、ミカン、バラにジンジャー、金木犀(きんもくせい)と香りのする花たちはけっこうあるものですね。また他にもハーブガーデンにしようと思って集めている所があって、バジルとカモミールが2種類ずつ、ローズマリーやミント、ボリジ、マロウ、タイム、ナスタチューム、パセリやシソなどがあります。花も楽しめるものが多いです。これらは種をこぼしてひとりでに生えてきます。寒さに強いものも多く、たくましい限りです。最近は鳥たちが騒がしいように感じます。冬を前にえさを求めて庭の木々などにやってくるのでしょうか。ミツバチさんたちは最近動きが鈍くなっていて、花のそばでじっと動かずに止まっていたりします。近づく冬を予感させます。家の中や作業小屋、庭まわりの片づけを進めています。自分の内側だけでなく、外側もできるだけ片づけ掃除して、きれいにしておこうと思い立ち、毎日少しずつやっています。自分1人でもできることをすべてやり、後は夫とともに大きなものを片づけていきます。誰かがやらないといつまでたってもきれいになりません。まずは自分ができることから始めていきます。こうしてあくせくでなく、ゆったりとした時間の中で楽しみながら、やれることをやれているこの環境にも感謝です。すべてはヨグマタのおかげです。ヨグマタと出会ってなかったら、今も毎日仕事やら何やら、あくせくと余裕もなく生活していたことでしょう。何をすればいいのか分からず、無駄ことばかりやっていたことでしょう。そして無駄なお金をたくさん使って、それでも満足することはなかったでしょう。自分のやりたいこと、目標がしっかりとあって、毎日が幸せで豊かであること。こんなに素晴らしい人生にしていただいたことに感謝します。ヨグマタありがとうございます。
2014年10月28日
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神に出会うためにはどうしたらいいかというお話です。信仰を深めます。信頼し愛し探し続けます。全身全霊で信仰し、探し続けます。そしてその扉が固くとも、熱心に強く叩くのです。神はいつもそこにいても、心にエゴがあり、不信感や気まぐれな心があると、尊い存在が見えず、感じられません。神は興味がなく、眠っているかもしれません。しかし実のところ、神が眠っているのではなく、神は曇っている心や、その心の働きにさえぎられて、現れてこないので、あたかも固い扉の中で隠れているように思えるのです。集中して、自分の一所懸命さを伝え続けていくと、扉が開かれていきます。つまり、意志の力を強く持って、あきらめずに熱心に叩きます。すると、そこに固まった扉としてある、さまざまな固まっていたエゴが、刺激されて溶け出します。つまり、潜在意識の記憶のカルマが溶けて、多くの気づきをもたらしていくのです。そしていらないものも、多く溶けて流れていきます。セルフィッシュ(わがまま)な、反対する声になったり、混乱する考えが起きたりするのは、エゴの苦しむ姿であり、それを手放し、常に高い存在に意識を向け、信仰を選択します。それこそが強い信頼です。ドアを叩き続け、そうして求めることで、すべてが開かれます。そうした強い集中力が、信仰ということです。それを持っていくことによって、神の加護が働き、願いは通じて、すべてが手に入り、良い結果として返ってきます。熱心な願いが通じていくわけです。イエスの願いはただ一つ、「神に会いたい」というものでした。何かが欲しいということではないと思います。そして、その願いは朝に夕にあきらめない、この深い愛の信仰心のもとに実現します。 ヨグマタ著書「宇宙に結ぶ愛と叡智」より私も神に会いたいという願いが叶うまであきらめず叩き続けます。
2014年10月27日
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ヨグマタがなぜサマディを行われてきたのかについてのお話です。サマディとは何か。サマディとは時間と空間を超え同じ時という意味です。私がなぜサマディを行うか。皆さんに少しでも「本当の自分とは何か、真理とは何か、神とは、幸福とは何か、死とは何か、生とは何か、悟りとは何か、修行とは何か、聖なる道とは何か、心の平和とは何か、パワーとは何か、祈ることとは何か、人生とは何か、インナーパワージャーニーとは何か」そういった質問を心の中にして頂きたいのです。そして心を清浄にする尊さ、魂を浄める尊さ、神を信ずる尊さに気づいてほしいのです。生きていることはとても豊かですばらしく、無限の財産を神から与えて頂いていることを知り、その喜びを、その知恵を、そのパワーを皆に分かち合うために、そのことを知って頂きたいのです。しかし、余りにも社会の常識観念があなたをとらえたり、物質の欲があなたをとらえているため、あなたは私と一緒に歩むことが時につらいかもしれません。あなたを幸福にしそうなもの、一時的なよろこびに走らせる対象があなたの周りに渦巻き、あなたの隙をねらってとらえようとしています。でも、あなたが無心無欲で聖なる存在を思い、ただ信ずるということがとっても大切なことであり、あなたを解放し、魂を引き上げることなのです。自分は単なる肉体なのか、あなたは身体のことばかりとらわれているけれど、それは本当に価値あるものなのか。心配したり気にすることはあなたの心を不自由にし、疲れさせ重荷になっているのです。本当の解放、本当の幸福を知って頂きたいのです。あなたは私とともに座ります。私はあなたに特別な秘法を伝えます。瞑想をします。ヨガをします。あなたがこうした自己を浄化し、美しい本当の人になっていく道にあることは、あなたの運命であり、尊いこと。この出会いを感謝して下さい。 ヨグマタのご講話(会報誌アートマン)「サマディ5つのエレメント」よりすべては私たちのためにサマディをして下さっていたのですね。ヨグマタからの質問に答えられるよう、しっかりと問い続けていきます。そして、この道を進む運命をいただいたことに感謝します。
2014年10月26日
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最近、昔の会報誌「アートマン」を読み返していて、気づいたのはヨグマタはその当時からずっと同じことを言い続けて下さってたんだなと。その当時はまだ私自身が無知だったため、ヨグマタのお言葉のすべてを理解できませんでした。今でもお言葉のすべてを理解できているわけではありませんが、ヨグマタのおっしゃりたいことは分かるようになりました。カメよりも歩みのノロい私のような者にも、放り出すこともなくずっとたっぷりの愛を与えて下さり、見守りお導き下さいました。来年はヨグマタとの出会いから20年になります。その長きに渡って、ずっと悟りへと導いて下さっています。私自身、最初は悟りなんてとんでもない。自分には縁のない世界だと思っていました。まさか自分が本気で悟りを目指して修行するなんて、ありえないと思っていました。そんな私が悟りを目指そうと最初に思ったのは、2001年のマハ・クンムメラでのヨグマタのサマディとの出合いからです。サマディアウトの後、私の内側でものすごい浄化が起こりました。その後まるでハチミツの中に私自身が浸かっているような、静かで平和な愛の海とも違う、光に包まれている感じとも違う、絶対これ以上の幸せ感なんてない!と思えるような至福の境地が私の内側にありました。ハチミツの中にいながら、頭の上からさらにハチミツをかけられているような感じでした。その時の呆けたようなニヤけた顔の写真がありますが、ただの頭のイカれた人にしか見えません(爆笑)。その境地は合宿などでのさまざまな至福体験とは違うものでした。未だにその時の至福感は最高のものだと思っています。言葉にならないようなすごい境地があることを知り、それを体験したことで、サマディの境地を味わってみたいと畏れ多くも思うようになりました。以来、山あり谷ありはありましたが、何とか悟りへの修行を続けさせてもらっています。昔も今もヨグマタのすごさや深い愛や尊いお導きは変わりませんが、私自身が少しずつ変容してきたことで、悟りという最高の目標に一歩一歩近づいていくことができています。こんなに素晴らしいマスターが日本にいらっしゃることが奇跡です。出会えた人は人生最高の、いえ過去生からも最高のチャンスをいただいたのです。
2014年10月24日
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サマディレベルの叡智からのお言葉です。 神はすべてを与えてくれる神ってなあに? それはあなたのなかの生命神ってなあに? それはすべてに生命を与えてくれる存在随分遠い存在 とりあえず私には関係ないいや そうではない それはあなたの生命!神への出会いは人生の最高の目標神はすべてを与えてくれる さあ 今こそ神を思い出す さあ 今こそ神を大切にする さあ 今こそ神にすべてをささげる それは 祈りと瞑想 それは あなたを高め 愛すること神はすべてを与えてくれる 神を思い出す あなたのすべての行為を 神にささげる あなたのエゴが落ち からっぽになった時 神はあなたにすべてを与えてくれる 愛とパワーと さらには不死さえもあなたの望むもの すべてが手に入る それは あなたと他を喜ばすもの神はすべてを与えてくれる 神を思い出す 神にささげる道 それは祈りと瞑想 すべての行為をそれにするマスターはその道をよく知る存在あなたにそれを知らせる存在あなたにそれを与える存在あなたの生命を愛し 大切にしなさい神は喜び すべてを与えてくれる ヨグマタのお言葉(会報誌アートマン)「神はすべてを与えてくれる」より神との出会いを夢ではなく目標にしていきます。神にすべてをささげます。すべての行為を神にささげるように行っていきます。そして神はすべてを与えてくれます。あなたの望むものすべてが手に入るとヨグマタはおっしゃっています。そんな境地、世界があるのですね。神に出会えることを楽しみに、喜んでささげていきます。
2014年10月23日
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本当の豊かさとは何なのかについてのお話です。幸せを求めて超スピードで発達し、物に恵まれて便利になった現代社会、そこには本当の幸せがあるのでしょうか。競争社会で時間に追われ、神経を使い、心を使い過ぎて、病に倒れる人も多く出てきました。鬱という病気であったり、がんという病気であったり・・・。豊かすぎることで、糖尿病という病気もずいぶん広まっています。心が発達すればするほど神から遠くなり、神の意思によって与えられたものではない、エゴによっての自己防衛が過剰になって、逆に危なくなってきているのです。人間は進化してきたはずなのですが、エゴによって退行しているようにも見えます。人間は物の豊かさを得た反面、抱える苦しみや不安などもどんどん大きくなっているのではないのでしょうか。だからこそ、私たちはいったい何のために生まれてきたのか、そのことをしっかり理解しなければならないのです。すべてを征服するかに見えるこの世の中の進歩。しかし、他方では自分の心を制御できず、苦しみの中にいるのが人間なのです。人はいろいろまわりのことを知っていても、自分自身については知らないのです。生きた人間の中に何があるのか、あなたの内側に何があるのか、それがわからないのです。だから、あなた自身を知ることが、何よりも大切です。それこそが真に自分の内側を満たすことになるからです。自分の内側を本当に豊かに、知恵をあふれさせ、愛をあふれさせ、平和にしましょう。人は外ばかりを見て、外側を満たそうとしています。そのようなことをしていたのでは、本当に自分が満ちた存在にはなりません。自分について知っていくことにより、自分が満ちはじめるのです。いまだよく知らない自分を知っていくこと、さらには、本当の自分を知っていくのが悟りへの道です。ヒマラヤ聖者はあなたにそれを紹介し、本当に進化する生き方を示しているのです。 ヨグマタ新刊「『心の癖』を変えて幸せに生きる」より物の豊かさは心の豊かさにはならず、かえって苦しみや不安が大きくなってきている現実。本当の豊かさとは何なのでしょうか。それは外側にあるものではなく、内側にあるのです。無知なままでは心をコントロールできず、苦しみから抜け出すことができません。ヨグマタはこの苦しみの中にある私たちを救い出し、本当の自分に出会う、悟りへの道を示して下さっています。こんなすごいチャンスが他にあるでしょうか。私たちはただ信頼し感謝してこの道を歩んでいけばいいのです。
2014年10月22日
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ヨグマタの深い深い愛のお言葉です。あなたがヨガのさまざまな教えを実践していく上で、どうぞ私を使って下さい。私を思って下さい。あなたに危険がなく、あなたの発心がすぼまないように、私はあなたと縁を持ち続けたいと思います。あなたの心があちらこちらに飛び回って違うことに関心を覚え、そちらの枝の方に流れないように、私はあなたの目印となって、あなたの傍にいたいと思います。肉体的にあなたといつも一緒でなくても、あなたの心の中に、私の存在はサマディを思い起こさせ、瞑想を思い起こさせ、祈りを思い起こさせます。あなたの中に愛と平和が満ちますように、私はいつもあなたに愛と平和を捧げます。あなたの瞑想を通して、あなたの中に具体的に実感できることと思います。正しい瞑想を実行し、幸福になるために、深い瞑想を体験するために、私を使って下さい。人生の目的は、本当の自分、アートマンに出会い、真理を知り、すべての苦しみから解放され、自由で幸福になることなのです。さまざまな人生の体験を積み重ね、光への道を歩み、愛と生命のよろこびを、知恵を見いだし、解放されていくのです。私は皆さんに生きる価値を知っていただくために、幸福になっていただくために、魂を引き上げるために、さまざまな角度から心を浄め、体を浄め、魂に出会っていただく道を示し、瞑想と祈りを勧めています。私はあなたを引き上げます。私はあなたのためにあります。 ヨグマタご講話(会報誌アートマン)よりヨグマタは「どうぞ私を使って下さい」「私はあなたのためにあります」とおっしゃって下さっています。これほどの深い愛が他にあるでしょうか。ヨグマタとご縁をいただいた私たちは、なんて幸せなのでしょう。ありがたくてありがたくて、涙があふれてきます。
2014年10月21日
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本当の宝物についてのお話です。人生は宝探しの旅どんな宝を探し求めているの?真剣に一生懸命努力しているでもゴミの中のゴキブリだ宝はあなた自身の中にあるあなた自身が神から与えられた宝物めざめなさい 気づきなさい一刻も早くこの道を進みなさいマスターはそのことをよく知り その道を示すあなたに分かち与える存在その道はシンプルそれは奪うものではなく 与える道それは取り入れるのではなく 昇華する道嫌うのではなく 愛する道疑うのではなく 信ずる道イエスやブッダが行ってきた道あなたの内側に純粋性を取り戻すあなたが無欲で無心であることあなたのエゴを捨て すべてを神に捧げたときあなたは光になるあなたは宝になるあなたはすべてを手に入れるすべてがそれそのものだから ヨグマタのお言葉(会報誌アートマン)より私たちが外側に求める宝物は「ゴミの中のゴキブリ」とまでおっしゃっています。まったく手に入れる価値のない、どうしようもないものなのですね。分かっちゃいるけど、外側に宝物を探してしまう。でもゴキブリとまでおっしゃって下さると、目が覚める気がします。そして「宝はあなた自身の中にある あなた自身が神から与えられた宝物」ともおっしゃっています。本当の宝物、神さまから分け与えていただいた宝物を見つけていきたいと思います。
2014年10月19日
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エネルギーについてのお話です。よろこびと歓喜に満ちた人生になります。宇宙はさまざまなエネルギーで満ちています。すべてのものはエネルギーのいろいろな形の表現です。私たちの身体の中もさまざまなエネルギーが満ちあふれています。心はエネルギーです。そしてエネルギーは常に対象に向かって流れています。あなたは今何を考えているか、その思いにエネルギーは流れ続けます。それは朝から晩まであなたの心が動くままに、エネルギーも流れ続けます。心の中はさまざまな心が働いています。あなたがどこかへ行こうと決めたとき、もう一つの心がいや行きたくないという否定の方向、反対の方向にエネルギーを引っ張ります。そのときは迷い、損失が現れます。あなたはこれもきらい、あれもきらい、そういった否定的な心を持っているとき、エネルギーは収縮し、ブロックし、抑圧された感じであなたの中に抵抗としてそのまま滞ります。それは否定的な感情、いやな感情とともにそこに毒を創り出し、そのまま心の中、身体の細胞の中に蓄積していきます。あなたが自由な心で、肯定的に対象に向けてエネルギーを放ったときに、あなたの心も身体も解放に向かいます。心と身体はエネルギーで出来ています。これらのことを自分で実際に体験し、自分で悟っていくこと、それがインナーパワージャーニーです。それは瞑想修行を通じて始まります。あなたの中のさまざまなエネルギーは、もっと奥深くにあるあなたの存在のエネルギー、それを超えた神からのエネルギーであることを、あなたは知る必要があるのです。インナーパワージャーニーにより、あなたの中のピュアなバイブレーション、あなたはその存在そのものに帰っていくことによって、あなたは限りないよろこびを体験することができます。人生はよろこびと歓喜に満ちあふれているのです。もっとよろこびと歓喜を私たちの生活の中に呼び戻していこうではありませんか。 ヨグマタご講話(会報誌アートマン)「エネルギーとインナーパワージャーニー」より心はエネルギーであり、常に対象に向かって流れている、心が動くままに、エネルギーも流れ続けている、という真実。どれだけ無駄にエネルギーを流していることでしょうか。なんてもったいない。自分の内側のエネルギーも省エネにしたいものです。神さまからいただいているエネルギーだと思うと、尊くもありがたいですね。
2014年10月18日
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心を軽くする方法についてのお話です。穢れを払い、心の汚れを取るために、お布施をするというのも、そうした浄化法のひとつです。欲の心がすべての重さの根源ですから、お布施は一番大切であるものへの執着を、実際の外側の行為によって手放し、心を軽くしていくものです。そのように心を軽くするという点では、サマディ瞑想やクリヤ瞑想が根源的、かつ効果的であるといってよいでしょう。瞑想をしていくと、欲望こそが重いものの根源であることがよくわかり、まるで透明な空気の中をすいすいと泳いでいるように、心が軽くなります。それに対して、普通の人生というのは、水銀も入った、ねっとりしたドロドロした水の中を、必死によたよたと歩いているようなものです。心は嫌って排除する性質と、嫌っていながらも、それにとらわれる磁石のような力がありますから、生きていくうちに、なんでも吸い寄せてしまいます。人によっては心が発達しすぎて、それが顕著になっています。自分の関心のあるものはもちろん、関心のない、どうでもいいチリやガラクタまで、あれこれ引き寄せてしまうのです。そうして引き寄せたものがカルマです。その引き寄せたものを、上手にかき分けながら泳いでいければよいのですが、それができないために、汚れた固まりを拾ってしまいます。そして、その固まりが大きく重くなっても、それを取り除ける方法を知らないわけです。私はそれぞれの人にあった浄化を行い、その人ができるだけ早く、良い瞑想ができることを助けています。特に、カルマの浄化法というアヌグラハによるプラーナのコントロールや、ヤギャによるカルマの浄化が効果的です。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」より欲望こそがすべての重いものの根源である、とおっしゃっています。なるほどなぁと思います。あれが欲しい、これが欲しいといろんなものを手に入れて、心は満足するのですが、それがカルマになり重くなってしまうというわけです。普通の人生を歩いていた頃は、その重たさが当たり前でしたが、羽根が生えたような軽さを知ってしまった後では、この重たさは本当に厄介だと思えます。ヨグマタの深い愛からの恩恵によって、この重たい心をごっそりと落としていただき、軽い心でいられることを心より感謝申し上げます。
2014年10月17日
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心の発達や働きについてのお話です。人間は幸せに生きるために、手を使って衣食住を豊かにするものをつくりだしてきました。そして危険を回避し、生命力を豊かに成長させていくために、心を発達させてきたと言えるでしょう。生きていくなかでさまざまな体験を通して、感動がその心に記憶されていきます。思考する心、記憶する心、思い出す心、想像する心、思い込む心、クリエイティブな心、集中する心、忘れる心、愛する心、意識する心、決断する心など、心にはさまざまな発達があるのです。欲望が満たされると嬉しかったり、満たされないと悲しかったり、寂しかったり、怒ったりといった感情の、いわゆる喜怒哀楽の心もそうして発達してきました。心の働きは、常に自らの命をつなげようとしています。そこに何か不足があると感情がサインとして働きだし、何らかのバランスをとるために、心と体が行動をとるのです。諦めたり、進んだり、止まったりと、命をつなげるためのバランスをとっていきます。その行動はすべて過去に学んでおり、過去の記憶から発生しています。心は感覚がスイッチを入れることにより、自動的に働きます。欲望が心のスイッチを入れることもありますし、好きとか嫌いで心のスイッチが入ることもあります。心の働きを注意深く見ると、自分にとって一番守りになるものを選んでいることがわかります。例えば、悲しみが選択されたときには、じつはエゴが悲しみを望んでいるのです。さらに言いますと、泣くということも、神が与えたものであり必要なことです。泣くことによって何かを知らせていたり、さらに、人間は苦しみを和らげたり、悲しい気持ちを解きほぐしたりするからです。泣くことも、必要があって行っているケースが多いのです。 ヨグマタ新刊「『心の癖』を変えて幸せに生きる」より心は必要があって発達してきたのですね。危険を回避し、生命力を豊かにするためであったとは、驚きです。心もまた神様からいただいた素晴らしい贈り物だったのですね。
2014年10月16日
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感覚についてのヨグマタのお言葉です。シンプルなのに、すごく奥が深い、とても心に染み入るお言葉です。 感覚とよろこび感覚が動きまわるたくさん見てきた きれいなもの ガラクタもいっしょにたくさん聞いてきた きれいなもの ガラクタもいっしょにたくさん嗅いだ きれいなもの ガラクタもいっしょにたくさん味わった おいしいもの 甘さ、辛さ、酸っぱさたくさん感じた 美しく 心地よい ガラクタもいっしょにもうたくさん 休みたい研ぎ澄まされた感覚よく見える 私は追わないよく聞こえる 私は追わないよくにおう 私は追わないよく味わう 私は追わないよく感じる 私は追わない感覚は やわらかく 研ぎ澄んでいるそこには 欲望がないよく見える よろこびが湧くよく聞こえる よろこびが湧くよくにおう よろこびが湧くよく味わう よろこびが湧くよく感じる よろこびが湧く感覚が やわらかく 研ぎ澄んでいるそこには 平和と愛がある苦悩は止んだ よろこびだけがあるこれが ずっと探し求めていたもの愛が満ちるよろこびが満ちる平和が満ちる苦悩は消えた神様がよろこんでいる神様が近くにいる本当の自分に出会えたあなたにも起きること私はこのことを知らせるためにやって来た私のもとに つどいなさいあなたの幸福のために ヨグマタのお言葉(会報誌「アートマン」)よりこれを読んだ時、合宿やサマディツアーの時の浄化後の状態を思い出しました。感覚が研ぎ澄まされているけれど、感覚にとらわれていない。すべてが美しく、すべてがよろこびに満ちています。ヨグマタは命がけで苦行をされて、サマディに到達されました。そのすばらしい恩恵を私たちに惜しげもなく分け与えて下さいます。ありがたくて涙があふれてきます。私たちはなんてすごい方に出会えたのでしょうか。
2014年10月14日
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待ちに待った新刊からワクワクする言葉をいただきました。ヒマラヤ聖者は心を空っぽにして、心を使いません。神の目で見ます。愛で見ます。知恵で見ます。そうなるため修行をし、深い瞑想を行い、カルマを浄化して、すべてを外したのです。ヒマラヤ聖者はすべてから自由になる道、神と一体になる道、神そのものになる道を発見したのです。真理につながって本質とともにあって、満ちることができます。根源につながり、自由になっていくことを発見したのです。それですべてのことが輝き始めます。苦しみではなく、愛に満ちます。無限の力が働き、愛が働きます。そうした力は、どこにあるのでしょうか?それは秘密の扉を開けることで、出会うことができます。それはあなたを純粋にパワフルにします。それがヒマラヤ秘教です。その力はあなたの中に眠っています。潜在意識の奥深くに閉ざされて在ります。それは宇宙の根源からあふれる力です。それを自力で探究することは、まず不可能ですが、ヒマラヤ聖者はそこに至る道を示します。それはサマディへの道、悟りへの道です。それを発見したのです。この自分の体と心には、宇宙のすべてが凝縮されてあります。ヒマラヤ聖者は、自分の中に宇宙があることを知りました。自分の心を浄化すれば、そこに見えない力が現れることに気づいたのです。 ヨグマタ新刊「『心の癖』を変えて幸せに生きる」よりこの部分を読んでいたら、ドキドキ・ワクワクしてきました。何か遠い昔の記憶がよみがえったような気がしました。そして目の前が明るく光りはじめた感じがしました。私の魂が反応したのかもしれません。単なる言葉の連なりではない、愛に満ちた、サマディレベルからの深い叡智のお言葉なので、魂に直接響いてくるのかもしれませんね。
2014年10月12日
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キリストの教えについてのヨグマタのお話です。『求めよ、そうすればあなたたちに与えられるだろう。探せ、そうすればあなたたちは見いだすであろう。叩け、そうすればあなたたちは開けてもらえるであろう。なぜなら、求めるものは誰でも手に入れ、また探すものは見いだし、叩くものは開けてもらえるだろうからである』あなたが成長のために欲しいもの、それは真摯に願い求めれば、与えられます。ただし、しっかりと求めなければわからないので、与えられないのです。皆、欲しい欲しいと思っても、真剣でないのなら、与えられません。そこには神の力が働かないからです。イエスは、人々に信仰をする奇跡について言っているのだと思います。人は自分勝手なので、愛されたい、欲しいと、自分は何の努力もしないで、相手に要求ばかりしてしまいます。愛が欲しい、親切にしてほしい、あれを買ってほしいと、自分の要求ばかりです。身近なことのみにとらわれ、不足を見つけては、あれこれ不満の心を抱いて過ごしています。こうしたことをイエスは戒めているのではないでしょうか。幸せになるのに、ただ何もしないのなら、何も与えられないのです。それを真摯に願い求め、そして待ちます。神を求めることで、神の助けによって願いが叶えられるのです。信じます。あきらめないで神を探すのです。 ヨグマタ著書「宇宙に結ぶ愛と叡智」よりいわゆる「引き寄せの法則」というものですね。はるか大昔にキリストはすでにこの「引き寄せの法則」についておっしゃられていたのですね。ヨグマタが解説して下さったおかげで、キリストの教えが今に通じていることが明らかになりました。本当に欲しいものは、真摯に願い求め、そして待ちなさいと教えて下さっています。そしてそこに信仰の力が必要なのですね。以前、ヨグマタが「すべては信仰心なんですよ」とおっしゃられたのを覚えています。まさにその通りなのですね。
2014年10月09日
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サマディについてのお話です。ヨグマタの深い愛を感じるお言葉です。サマディはヨガの究極です。すべての宗教の究極でもあるわけです。サマディの時、人の意識は神と一体となり、自由で幸福でパワフルで、とっても幸せなのです。それを体験するとすべてがわかるわけです。これは言葉では言い表すことができません。人々が私のサマディにチャンネルを合わせます。「人々の心が安らぎ幸福でありますように、平和でありますように」世界平和の祈願は、サマディレベルで宇宙から祈られるのです。そして、あなた方が苦行してサマディをする必要はありません。サマディを行う人、エンライトした(光明を得た)人のそばに座るだけで、あなたの意識に変容が起きるのです。そして簡単に瞑想が出来るようになるわけです。すでにそのご利益は頂いています。あなたが信じて私にチャンネルを合わせれば、そのことは起きるのです。とっても幸福なことです。なぜなら時空を超えた魂のレベルで結ばれているからです。どうぞ私のそばに来て下さい。祈って瞑想して下さい。あなたがただ無条件に信頼した時、そのことが起こります。なぜならその時あなたには、煩悩が消え、信頼と愛のチャンネルが開かれるからなのです。あなたに信仰と愛がめざめるのです。そして生命の尊さを実感し、見えない存在の尊さ、神の存在を実感し、平和と愛に目覚めるのです。私はそのためにこそサマディを行っているのです。そしてサマディを通して多くの方々が幸福に導かれますように、サマディレベルからの祈りを捧げます。ヨグマタご講話(会報誌アートマン) 「サマディについて」よりヨグマタと私たちは「時空を超えた魂のレベルで結ばれている」という絶対の安心感があり、強い絆を感じています。この最高のご縁をいただけた私の魂にも感謝です。ヨグマタとともに世界平和と人々の幸福を祈ります。そして真理への道、悟りへの道を一歩一歩確実に進んでいきます。
2014年10月08日
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一週間のご無沙汰でした。大型の台風が通り過ぎ、今日は朝からいい天気です。暑いくらいですね。台風イコール低気圧の影響でしょうか。繊細なお年頃(?)なもので、低気圧が体にこたえます。特に今回のような大型台風の爆弾低気圧はきついですね。台風が来る3、4日前から頭痛や吐き気、倦怠感など久々に味わいました(苦笑)。昨日はもう元気になっていましたが、朝から外に出ることもできず、台風がおとなしく通り過ぎてくれるのを祈っていました。午後には晴れて暑くなりました。庭の野菜や鉢花たちも強風で倒れたりしました。「ナスの木が風であおがれてキズだらけだ」と夫が言っていました。私は「それくらいで済んで良かったね」と言うと、夫は苦笑いをしていました。全体としては被害も少なくありがたかったです。さて、明日はヨグマタの新しいご本が出版される日でしたね。どんなお話に出合えるか楽しみで今からワクワクしています。\(^o^)/今日はヨガの八支則のひとつ目、ヤマ(禁ずる戒めの道)についてのヨグマタのお話です。まず「暴力を振るわないこと」という教えがあります。それは身・口・意、すなわち体と口と心、その三つのレベルから暴力を振るわない、人を傷つけないということ。単に体を通した暴力だけでなく、口で人を罵ったり、あるいは心の中で、あの人がこうなればいいとか悪いことを想像したりすることも戒めていきます。人を傷つけることはとても痛いことですし、単に相手の人にとってかわいそうであるというだけでなく、その行為の結果はすべて自分に跳ね返ってくるのです。相手を傷つけると同時に、自分自身も傷つけることになります。無知から人は言いたい放題を言い、人を傷つけて自分を守り、戦い、のし上がろうとします。それは魂の道から言いますと、大変自分自身を傷つけ、魂を穢す(けがす)行為になっているわけです。瞑想をしていきますと、なぜそうしたことが魂を穢す行為になるかがよく分かり、穢すことを自然に厭い(いとい)、離れていくのが実感として体験できます。気づきを深め、真理の知恵に気づくことができることと思います。 ヨグマタのご講話(会報誌アートマン) 「心の浄化のすすめ1(ヤマ)」より相手を傷つけるイコール自分を傷つける(魂を穢す)、ということ。瞑想を始め、自分を見つめるようになると、何が自分の内側を汚しているのかがよく見えるようになってきます。ヨグマタのおっしゃる通り、自然と自分を穢すことをしなくなっていきます。汚すのが嫌だからです。もう20年も前のお話ですが、いつ読んでも新しい気づきをいただけます。そして、実践を通してそれを実感できるところが、ヨグマタの素晴らしさです。普通、こういったことは頭で分かったとしても、実感として体験できることはまずないと思います。奇跡のヒマラヤの秘教なのです。
2014年10月07日
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十月になりました。秋まっただ中ですね。赤とんぼも見かけるようになりました。こちらでは今、金木犀(きんもくせい)の花ざかりです。どこへ行ってもいい香りがただよっています。金木犀の香りは秋の象徴のような香りですね。ピンクのコスモスも花ざかりです。濃いピンクや淡いピンク、白いコスモスが咲いていてその色のグラデーションが美しいです。昨年、このピンクのコスモスの種がこぼれたものが家の周りに生えてきました。それが私の身長と変わらないくらいの大きな木のようになりました。肥やしのないコンクリートの隙間のような所に生えたのに、何という生命力でしょうか。夏の花たち(サフィニア・ペチュニア・ベゴニア・サルビアたち)が最後の頑張りで咲いてくれています。高温や強い日差しにも負けず、見事に咲いてくれました。また、秋といえば食欲の秋です。新米がとてもいい香りです。この香りとうまさにつられて、たくさん食べてしまいます(苦笑)。おいしくご飯を食べられるって幸せですね。今日は初物の柿を食べました。これも秋の味覚です。今年の柿はけっこう甘いですね。いろんな品種(6種類)があります。今は西村早生(にしむらわせ)という品種です。昔から柿は農家の庭先などによくありますが、夫が好きなため、いろんな品種の苗木を植えてくれました。おかげで2か月くらい柿尽くしです。(^_^;)
2014年10月01日
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御嶽山の噴火によって、多くの方が被災されています。被災された方やその家族の方々のお気持ちお察し申し上げます。さて、マハ・クンムメラのあった2001年に、アメリカで同時多発テロ、9.11がありました。そびえ立つビルが崩れていくさまをテレビで見ていましたよね。そのテロの次の日の夜、私は眠っていたのですが、とてつもない恐怖の思いに襲われ、飛び起きてしまいました。その恐怖はいわゆる死の恐怖であることは分かるのですが、自分に何が襲ってきているのか分からず、しばらくそのとてつもない恐怖を感覚として体験していたのでした。マントラを唱えても唱えても、恐怖は離れていきません。何十分だったのか、あるいは何分だったのか分かりませんが、地獄の中にいました。少しずつ少しずつ恐怖が薄らいでいきましたが、その夜は平静な状態には戻りませんでした。その時のことを今はこんなふうに冷静に話すことができますが、当時はしばらく精神状態がおかしくなっていたのを覚えています。死の恐怖のような強烈な思いは、距離とか関係なくどこまでも飛んでいくんですね。まして当時の私はアストラル体が強くなっていて、アンテナ感度が良かったため、もろにその恐怖の思いを受け取ってしまったのでした。死への恐怖というのはまさしく地獄です。テロの犠牲になって亡くなられた方々が死の直前に味わった恐怖なのです。それ以来、こういった人の強い思いを受け取らないように、ヨグマタへの信頼を強くしています。おかげさまで、今は強いバリア(鎧)に守られているので、安心していられます。
2014年09月30日
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神の愛についてのお話です。あなたには神を愛する力があり、尊敬する力があり、サレンダーして神と一体になる力が備わっています。より良い人格になる力を与えられています。悟る力が備わっているのです。動物や植物より進化した人間として生まれ、さらに修行をして、良い心、良い行為、良い言葉を発し、美しく生きる力を与えられています。それは神の愛です。あなたをより輝かせてくださる力が与えられています。そのことを知るのです。神の愛を知ります。ですから、あなたが神を信じ、素直になり、サレンダーするなら、神があなたを魂の美しい人に生まれ変わらせる、つまり、着飾ってくださらないはずがないのです。そうイエスは言っているのではないでしょうか。神からのもの、宝物をもっと探し出し、自分を輝かせていくためには、神に集中していきます。人はあれこれ心配をして神のことを忘れ、不足していると勘違いして、エネルギーを違う方に注いでいます。心はとても素晴らしいものですが、それを違った方向に使ってしまっています。体も心も時間の中に生き、刻々と変化して歳をとっていきます。ヒマラヤの秘境は永遠の命を得ていく修行です。永遠の変化をしない本当の自分に還っていきます。そのことを知っていくことが、悟りへの道です。それを体験することで、心を使いながらも、心に振り回されずに、心に使われない生き方になっていきます。 ヨグマタ著書「宇宙に結ぶ愛と叡智」より
2014年09月28日
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心と体と魂の関係についてのお話です。魂とは、すべてを創り出している創造の源、神から離れた分身です。つまり神の一部であり、神と同じ性質をもった存在です。その魂から、体と心がこの世に送り出されてきたのです。心は魂から生まれました。心は感覚によって刺激され、さまざまな体験をします。心には、体験を理解したり、感情として表わしたり、記憶したりする、さまざまな機能があります。そして、何よりも心は強力なパワーを持っています。心をどう育てるかによって、自分勝手な利己主義の心にもなれば、社会的な心にもなります。うまくコントロールすれば、エゴを落とした、宇宙的な心へと発達させることもできるのです。魂と心は異なるものであり、本来の自己は魂にほかなりません。すなわち、すべてを支え、エネルギーを送っているのは、太陽のような存在である魂なのです。ところが、ほとんどの人は、心が魂を支配している状態になっています。心があまりに発達しているので、心が自分だと思い込んでしまっているのです。しかし、すべてから自由になるには、神の分身である魂にさかのぼって変容させる必要があります。それこそが、本当の自分自身になることであり、セルフ・リアライゼーション(自己実現)と呼ばれるものなのです。このように、私たち人間はみな、心と体と魂という三つの要素から出来ているのですが、それぞれのところに問題が起きると、体の具合が悪くなったり、心がうまくコントロールできなくなったり、生命エネルギーが枯渇してエネルギーがダウンしたりします。そうした自分をマネジメントするには、個を超えた宇宙的愛をもって、すべての現象に感謝しつつ、それでいて現象に執着してとらわれないようにすることが大切です。そして、それを喜んでいる自分もクールに見つめるとよいのです。そのように意識を変えると、体が変わり、心が変わり、すべてが変わっていきます。たとえすぐには感じなくても、浄化が進むにつれて、どんどん良くなっていくことを実感するでしょう。たとえば、睡眠が深くなり、それによって仕事の能率があがり、本来持っている才能を発揮することができます。それができれば、自分が幸せになるだけでなく、家族も幸せになります。意識を変えることで、このように好循環がもたらされるのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」より
2014年09月26日
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新しいパソコンにもだいぶ慣れてきました。何よりスピードが速いのがありがたいですね。古いパソコンでは日記をアップするのに1時間はかかっていましたが、今は半分の30分くらいでできるようになりました。こんなに違うのかと驚いてしまいます。時間という感覚は不思議です。瞑想中は時に遅く、時に早く感じます。遅く感じる時は雑念が多く、瞑想に深く入れない時。早く感じる時は深く入っている時です。あっという間に時間が来ます。こういう時はいくらでも瞑想をしていられます、というよりずっと瞑想していたい気持ちになります。ヨグマタの愛に包まれているような感覚とか、何もない空間(雲や太陽などがない大空のような空間)を飛んでいるような感じとか・・・。雑念が出て来ても、それにとらわれずに見ていられれば、そのうち消えていきます。雑念にとらわれてそこに入りこんでしまうと、なかなかそこから抜けられません。見ているという感覚は、最初のうちはなかなか難しいと思います。雑念には感情を伴うことが多いので、なかなか見ていることができないのです。ちょっと離れたところから見るという感覚のくせをつけなければなりません。合宿のように、内側がきれいに浄化されている状態であればいいのですが、家ではそのような状態であることはなかなかありません。そのため、瞑想に入る前にヨグマタの「瞑想のすすめ」のCDを聞いています。特に2番目の太陽への感謝の祈りがとてもいいですね。感謝の波動に包まれます。これを聞いてから瞑想すると、感謝のまま瞑想に入れるので、すごくいいです。ヨグマタにディクシャをいただいてから長い年月が経ちますが、ヨグマタが授けて下さった瞑想はこの世界で最高のものだと思っています。他の瞑想を知っているわけではないのですが、大変な修行をしなくてもこんなに素晴らしい瞑想ができるのって、すごくないですか。私自身ディクシャをいただいて初めての瞑想をした時、「こんなに幸せな世界があったのか」と思いました。愛でできた綿の中に包まれているような感じでした。瞑想をしたことがある方も瞑想の経験がない方も、ぜひヨグマタの瞑想を体験してみてください。私の言っていることが実感としてわかると思います。
2014年09月25日
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体と心と病気の関係性についてのお話です。病気や老化を予防しようと思うなら、体のバランスを整え、深い休息をすることが大切です。さらに、すべてを手離すことによって、鈍い部分に生命を送って甦らせ、異常に興奮した部分を静めることが必要なのです。また一見静かで、屈折したままになって、毒を抱えているところを浄化します。異常に興奮した部分はそのままにしておくと、ガン細胞のような異常なものが発生する恐れがあります。たとえば、不自然な環境の中で不自然な食物をとる生活を続けていると、興奮はいやおうなく進み、体がガンに冒されてしまうのです。こうしたことを防ぐためにも、あなたの心と体のどこが偏って使われているのかを知る必要があります。心が人を責めたり自分を責めたり、わがままであったり、我慢していたり、不満であったり、不安であったりして、そうした不自然な心の使い方をカルマにそって行っていくと、体についても、胃、肝臓、子宮、他の内臓が内外のさまざまなストレスを受けて、バランスを崩し、働きが鈍かったり興奮しているかもしれません。病気の症状が出てきた時には、すでに遅いのです。予防医学として、自分というものをもっと知っていくとともに、常に自然に還っていく必要があるわけです。このように、病気や老化はカルマが大きく影響し、社会とかかわりがあります。計り知れない人体の不思議な営みが、私たちを成長させ、守ってくれているのですが、エゴでそれが崩されるのです。人の体に関する、そうした本当の知恵、自然の科学というものは、社会では教えてくれません。大切なのは、体を支配しているのが心だと知ることであり、体の症状や癖は心によって強められるということです。従って、私たちは心を浄め、カルマを浄め、さらにそれを超えることが肝心なのです。そういった気づきを持つことによって、私たちは体と心を生かしめている神につながるとともに、肉体と心を正しく使っていくことができるのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」より
2014年09月24日
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最近いろんな場面で、引き寄せる(?)チカラが強くなっているのを感じます。私の後に行列ができるのです(笑)。例えば先日、旅行先で私が何か食べたところはその後、お客さんが次から次へと入ってきたり、行列ができてしまったりするのです。私が食べる前は、まったく混んでいなかったのに、です。昨日も紀伊国屋でご本を買って、さあ帰ろうと駐車場に行って車が出て来るのを待っていたら、駐車券の精算機の所が行列になってしまいました(苦笑)。一昨日のダルシャンで大きな浄化をいただいたので、エネルギーの通りが良くなり、外に発しているものがより強くなっているのでしょう。今のところ、ひと様に迷惑をかけているわけではないのでいいのですが、私の心がネガティブにならないように気を付けないといけないなと思います。それだけ外に出ているエネルギー(波動)が強いということですから、愛があふれている時は最強なんですけど、怒りなどの感情が出ている時はかなりやばいのではないかと思ってしまいます。常にヨグマタに繋がって、愛あふれる人でいなさいということなのかもしれません。その他にも、ヨガクラスでインストラクターをさせていただいていますが、昨日は本当に体の気持ちよさを実感しながら、またヨグマタへの感謝の思いでさせていただきました。体調が良く、体が軽い感じです。何より幸せ感が違います。この満たされた幸せをシェアせずにはいられない感じなのです。心身魂を浄化してくださるヨグマタのサマディパワーのすごさを実感している今日この頃です。
2014年09月23日
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カルマを浄める意味についてのヨグマタのお話です。自分のカルマによって、心が自分を締めつけ、不自由であったのが、ブレッシングやディクシャをいただき、サマディ瞑想を行うことで、内側がすみやかに変容するのです。さらにクリヤ瞑想の秘法をいただき、常にアウェアネスを進めていくと、カルマがさらに浄まります。成功と悟りを得るため、魂は自由になっていきます。この世の中にはいろいろな価値観があり、またいろいろな人がいます。だからこそ、カルマの記憶が刺激され、活動しはじめるわけです。さまざまな出会いは自分の中に隠れていたものを浮かび上がらせ、気づきと浄化を与えてくれるチャンスなのです。意識を高め、そしてクオリティの高い、真理の人になるためのアヌグラハや各種ディクシャや各種クリパを、その人の状況に応じて繰り返すことによって、カルマは浄化されて消えていきます。それらの修行を通じてあなたは、好き嫌いの心から離れ、魂は自由を得て、もっと宇宙的な愛の人に成長していき、大きな自分になっていくのです。すなわち、あなたは新しい生き方の実践をする機会をいただいたのです。もし、過去生からのカルマで、悪いことが起きたら、それは学びと浄化の機会をいただいたということなのであり、それに感謝し、気づきをもって、さらに善行を続けることが大切なのです。そうやって良いエネルギーを積んでいくとともに、本当の自分に出会う道を進めていくのです。やがてカルマが出ることなく、消滅していき、あなたはそれから解放されるのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」より
2014年09月22日
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今日「聖者との出会い ダルシャン」でカルマヨガをさせていただきました。早朝の電車に乗り、慣れない地下鉄にも迷わず乗ることができ、とてもスムーズに予定通りの時間に着くことができました。不思議なんですけど、ヨグマタとお会いする時、いつもまるでヨグマタに導かれるようにスムーズに会場まで来ることができます。参加される方々にお声かけ(ご案内)をさせてもらう担当でしたので、たくさんの方に会えました。昔から知っている会員さんたちと「お久しぶり」のごあいさつができたのは、うれしかったですね。講演の時間になり、私たちはホールに入りました。自分の席に座った途端に、体が何だかおかしいことに気づき、だんだん目の前が白くなっていき、呼吸が苦しくなってきました。ホールの外に出るのがやっとでした。立っていられず、座り込んでしまいました。体はとても苦しい状態なのですが、これはヨグマタとババジさんお二人のサマディパワーによる浄化が起こっているのだと分かりました。とてもありがたい浄化です。エネルギーのバランスを整えて下さり、カルマが浄められていくのです。しばらく座っていましたら、浄化が収まってきたので、ホールの中の席に戻りました。すぐにヨグマタとババジさんが入場されました。お二人の全身からまぶしい光が発せられていました。サマディヨギのお二人がいらっしゃるというすごさを私は全身で感じていました。今日は浄化をいただいた後だったので、特にそのパワーのすごさを感じることができました。この会場にいるだけで浄化され、エネルギーをいただき、愛で満たされるようです。この素晴らしいダルシャンの恩恵に感謝します。ヨグマタとババジさんに出会えたことに感謝します。
2014年09月21日
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明日は「聖者との出会い ダルシャン」ですね。ヨグマタとパイロット・ババジに会えます。久しぶりの恋人に逢う気分です。今からドキドキしてます。実際パイロット・ババジにお会いするのは、昨年のクンムメラツアー以来です。ババジさんとは2001年のマハ・クンムメラ以来、何度もお会いしています。ヨグマタと同じように太陽のような強くあたたかい、そしてピュアで神聖なパワーをシェアしてくださいます。時にとてもやさしい瞳で見つめてくださいます。ヨグマタの次に大好きです。明日はどんなダルシャンになるでしょうね。どんなお話をしてくださるかしら。日本でのクンムメラを現実のものとするための確実な一歩になると信じています。ヨグマタと私たちがひとつになって思い描くことは、必ず実現していきます。何も願わなければ何も実現しません。ヨグマタがおっしゃったことが現実になっていくのです。昨年のクンムメラでヨグマタが「日本でクンムメラが開催されるようになるといいわね」というようなことをおっしゃいました。そして、私はそれ以来、日本でクンムメラが開催されることをイメージしてきました。日本から世界平和が広がっていくのです。なんて素晴らしい夢でしょう。夢で終わらせないで、現実にしましょうね。\(^o^)/
2014年09月20日
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ヨグマタに出会う前は、私も同じようなことを思ってました。「なぜ神様は人間を最初から苦しみのない世界に送り出してくださらなかったのか」と。なぜ神様は私たちを苦しみの中に送り出したのかと嘆く人がいます。また神様がいるならば、この世に苦しみなどないはずだと主張する人もいます。しかし、苦しみを作っているのは神様ではありません。神様は私たちに心と体を与えてくれました。それを、無知やエゴ、欲望によって悪く使ったのは人間です。人間自身がカルマを積んでしまい、そのカルマによって苦しんでいるわけです。私たちのカルマは、過去生からすべて私たちのなかに記憶されています。そして、宇宙にも記憶されています。そのカルマによって未来がつくられていくのですから、けっして神様が苦しめているのではなくて、そのカルマを作った自分の心が苦しみを作っていることはおわかりでしょう。神様は私たちを浄めて進化させ、「本質のあなたのことを思い出しなさい。そうして、私のところへ還っていらっしゃい」と、この世に送り出しているのです。ところが人間は、思うままにものをつくりだす心を与えられています。また、目や耳などの感覚が異常に発達したために、欲望に翻弄されたまま、そのことに忙しく、自分の本来の生き方を忘れてしまいました。物質的なものに執着するだけでなく、その心をどんどん肥大させたあげく、たくさんの情報に翻弄されて、おごりたかぶってしまっているのです。そして、自分はいったい誰なのかを思い出すきっかけもないまま、あっという間に十年、二十年が経ってしまうのです。 ヨグマタ著書「心を空っぽにすれば夢が叶う」より
2014年09月19日
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