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滞在中は、ベジタリアンレストランでいつも食べていた。レストランというよりも、食堂といった方がしっくりとくる。食堂は、村の中心に5件くらい集まっている。オーダーしてから、たいてい45分から1時間は待たされるが、出てきた料理は、LOVEがいっぱい入っていて内臓によく吸収されておいしかった。毎日3食をそこで食べるので、すっかり顔なじみとなった。その店の女主人は、私たちからマミーと呼ばれるようになった。ボリビアの夕食は、たいてい最初にキヌアスープが出る。キヌアとは南米でとれるヒエ・粟の類。とても栄養がある。セドナに戻ってからもこのスープがなぜか食べたくなるので度々つくっている。ちなみに今夜もキヌア入り野菜スープ。(笑)まだまだ、飽きません・・・いつまでこのマイブームは続くのかしら・・?日曜日の朝は市場が出る。女性たちが石畳の路上に座って、自分たちの畑で採れた新鮮な野菜をカラフルな布の上に広げて売っている。その反対側では、100年くらい前に織られたアンティークのポンチョや布が売られている。お宝鑑定団が見たら、「良い仕事をしていますね~~」ときっと言うであろう逸品ばかり。(そういえば、お宝鑑定団の番組は今でもやっているのだろうか・・。)現地の金額でもやはり良い値段をしている。そのときは、ボリビアの経済観念になっているから、お~~高いと思って手を出さなかった。だが、セドナに戻り、アメリカの価値観に戻ったら案外安いことに気がついた。シャーマンが使っていたとかいうすごいものもあったなぁ・・。あ~~あ、買っておけばよかった。我が家にもお宝ができたなぁ・・。な~~んて、その時の光景を懐かしく振り返りながら、このちょっとした後悔?を楽しんでいるのであった。最終日の日の出セレモニー。夜明け前から、1時間半かけて山を登りはじめる。もうこのころになると、朝早く起きて山を登るのも苦にならなくなっている。そこは初めて訪れる聖地であった。頂上に着くと、霧が眼下に広がっていた。あ~~なんて気持ちが良いのだろう・・。では、ここで思いっきり深呼吸・・・・・・。・・・・・と思ったが、あたり一面オシッコの匂いがしてたまらない・・。先に到頂した人たちが、気持ちよくそこで「シャーッ!」としたようだ。頂上は一周しても数10秒しかかからない狭いところ。その狭いところに100名以上の人たちがギュウギュウに集まった。その山の上の聖地でのセレモニーを思い出すと、聖なる朝を迎えたというよりも、たくさんの人が集まってむせた感じと、オシッコの匂いが私の記憶を占領している。も、申し訳ない・・。だが、匂いの記憶というものはそれぐらい鮮明なのだ。その山の上の聖地には、大と小の十字架が色とりどりに飾られ、重なり合って祀られている。まるで男性と女性が寄り添っているかのように見えた。夜は、クロージングセレモニー。参加者一人ひとりが呼ばれ、終了証書が手渡された。証書には参加者の名前と、実行委員会のサインが丁寧に書かれてあった。なんという温かい心配りなのだろう。折り曲がらないように大切に家まで持ち帰った。たくさんのスピリットもセレモニーに参加していた。翌日、午前中のセレモニーの後、急いでマミーのところでランチを食べてバスに乗り込んだ。さすがに45分から1時間は待っている時間がないので、今、キッチンにあるものをということで、トウモロコシの茹でたのとポテトをいただいた。このときの味だけはマズマズだった。マミー、急がせてごめんね。ありかちゃんは、マミーに日本の浴衣をプレゼントしていた。マミーは娘に着せるわ・・と、とても喜んでいた。旅の終わりが近づいても、いつもみんなで移動し行動しているから少しも実感がわかない。毎日、毎日、起きてから寝るまで、移動とセレモニーと食事が順番に続く日々だった。日を重ねるうちにそれがあたりまえになってくる。体も順応してくる。祈りが当たり前の日々となる。このシンプルな生活では、自分の思い癖や口癖やパターンがやたらと気になってくる。あらためて自分を見つめなおす機会を与えられる。ときには浄化が自然に行われ、癒しが起る。祈りの達人たちと過ごす巡礼の旅だったからこそ、それが深くおこなわれたのだと思う。本当にありがたかった。チャラサニからまたバスに揺られ、大都会のラパスに戻った。またディーゼル車の排気ガス攻撃だ。長そでのそで口をグイっとのばして口をカバーしながら街を歩いた。それでも喉がチクチクする。今、ボリビアは市民戦争の真っただ中。あまり情勢が良いとは言えない。街のあちらこちらで、軍人がライフルや機関銃を下げて警戒している。時々、拳銃の発砲する音が響き渡る。空に向けて威嚇射撃をしているのだろうか・・・。アメリカのエアラインの数社は、ボリビア行きの飛行機をキャンセルしていた。私たちの飛行機はOKだったが、数名の長老たちはチケットを買っていたのにさえ来ることはできなかった。街では、デモ行進も見かけた。巡礼の旅の最終日・・・なんと私たちもデモをしてしまった。ボリビア大統領の領事館の前でのハッピーデモであった。ハッピーゲリラ作戦!やっちゃったっ!やっちゃったっ!ピーヒャラピーヒャラ、ドンドントンと笛と太鼓の音に合わせ、虹色の民族衣装を着たおばちゃんたちが元気に声を張り上げながら、踊りながら領事館に向かって行進してくる。領事館の前では、他の長老たちが和になり手をとり踊りながらそれを待っている。笑っちゃうくらいに虹色のハッピーエネルギーに、領事館の前の兵営たちは面食らい気味。行進の後、道路を挟んだ領事館の入り口の真ん前を陣取り、長老たちが順番に入口に向かい祈り、歌い、踊った。領事館の入り口と長老たちの間に、ライフルと楯を持ったポリスが立ちはだかり、入口を守っていた。この場でどちらが不似合いかといったら、即答でポリスだった。やがて、ボリビア大統領が出てきた。ちょうど海外に出かけけるところだったようだ。おもいっきり笑顔で手を振りながら現れた。そして目の前に停まっていた黒塗りの車にすべりこみ去って行った。やった~~!!あの大統領の笑顔が大成功の印と受け取った・・・。みんな大満足。気がついたらかなりお腹がすいていた。どうやらゲリラ作戦はかなりエネルギーを使うようだ。みんなで近くの中華料理屋さんに興奮状態で流れこみ、旅の最後のお祝いランチを食べた。みんなめちゃくちゃ大笑いだった。その後、楽しいハプニングはまだまだ続いた。なんと、グランドマザー・マルガリータと現地の案内人ローズマリーと私は、ボリビアのテレビ(チャンネル7)に生出演してしまった。たまたま、そのテレビ局のスタッフが私たちのハッピーデモに出くわし、その夜のニュース番組への出演を依頼してきたのだ。テレビ出演依頼の話は私たちには伝えられていなかったので、まったく知らなかった。だが、ホテルのロビーでマルガリータが出かけようとしているとき、突然私たち日本人3人に向かって、テレビ局に一緒に来てエネルギーのサポートをしてほしいと言われた。よく事情がわからないままついて行き、よく事情がわからないまま、日本人代表ということでテレビに出演することになってしまった。事前に髪の毛をとかす暇もないほどのあっという間の出演だった。このスポットライトの快感はたまらない。うっ!昔の後遺症?(笑)照明があたると体のアドレナリンがドクドクしてくる。テレビ出演・・かなり楽しませていただきました。ミーハーなわたくしでございます。チャンネル7で日本人が出演したのは初めてだそうで、これでボリビアと日本のエネルギーがつながる一環になったら嬉しいことだなぁ・・って思った。その夜、大笑いの私たち。上がありかちゃん。左が美穂ちゃん。右が私。アルコール禁止の巡礼の旅だが、まるでかなり飲んでいるかのように見える。とにかく箸が転がっても可笑しいとはこういう状態のことを言うんだなぁ・・って思った。参加者同士は家族みたいになっている。私たち3人の前でも仲間たちが、涙を流しながら大笑いしている。調和の世界。おもいっきり平和な世界。一緒に祈りを続けてきた結果、みんなこの境地に入って行った。一人ひとりが心の底からハッピーになり大笑いしていく。腹からバカ笑いする。それが世界平和になっていくってなんだか深いところでシンプルに確信した。旅から戻ったら、さらにシンプルになっている自分を見つけた。大地・空・木々を見る目に愛おしさがさらに加わった。鳥の鳴き声にさらに敏感になった。風のやさしさをさらに感じるようなった。こまかな光のゆらぎにさらにきがつくようになった。この「さらに」っていうのが好きだな。これからも「さらに」を増やして行こうって思った。巡礼の旅に参加できたことを心から感謝いたします。ありがとうございます。そして、旅の記録を最後まで読んでくださった皆様に心から感謝いたします。本当にありがとうございます。
2008年10月20日
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チチカカ湖を後にして、ラパスに向かった。何と不思議な柱なのでしょう・・・。 ラパスは飛行場もあり大都市だ。 ラパスに到着してすぐにディーゼル車の排気ガスでむせてしまった。 街のあちらこちらで、かつては日本で活躍していたディーゼル車を見かけた。 日本語で書かれた店や会社の名前がそのまま車のボディーに残してある。美穂ちゃんは、実家から5分の距離にある地元のスーパーのバンが走っていたのを見て、興奮して喜んでいた。 その気持ち・・良くわかる。これも偶然じゃないなぁ・・って思った。 ここ数日間は、チチカカ湖を見てきれいな空気を吸ってのどかに過ごしていたので、いきなりの大都市に私のハートは少し置き去りぎみ・・。 その夜、巡礼の旅の最終目的地、チャラサニに集う長老たちやそれをサポートする人たち数百人が同じホテルに集り、ウェルカムパーティーとなった。 巡礼の旅の間、いろいろな部族の村を訪れ、そこの長老たちとセレモニーをしてきた。 そういった顔見知りの長老たちをパーティーで見つけるたび、胸がおどり嬉しくなった。 翌朝、数百人の参加者たちは、何台かのバスに分乗してチャラサニへと向かった。 チャラサニまでは、アルプス山脈を越えて越えての7時間のロングドライブ。 途中でアルプス山脈の頂上あたりを通過する。 その辺りに来る前から、みんなはコカの葉をくちゃくちゃ噛み、高い標高にそなえた。 それでも、数人は呼吸困難になってしまった。 バスに常備してある酸素ボンベが大活躍していた。 メディスンマンの一人は、具合が悪い人の隣に座ってネイティプの唄を歌い続けた。 大地と天とつながったその声は、バスの中に響き渡り、みんなの心をおだやかにした。 途中で、トイレ休憩となる。 アルプス山脈がトイレ。 好きな場所で、おもいっきりする。 気持ちが良い。 目の前の丘の頂上に、2羽の大きなコンドルが向かい合ってとまっていた。 良い兆し・・ありがたい。 チャラサニには夜10時ごろ着いた。 辺りは何も見えないけれど、静かなところだな・・って思った。 翌朝、目を開けるとホテルの窓からアルプスの峰々がそびえていた。 う~~!すばらしい、まるで絵みたいだ・・と感動した。 チャラサニはアルプスの山頂近くにある小さな村。 いろいろな薬草が生えていて、それを扱うメディスンマンがおられることで有名。 最近、日本のテレビ局もこの村を訪れたようだ。 私たちが宿泊したホテルの宿泊ノートに取材班が書いたメッセージが残されていた。 「宇宙船地球号」だったかな・・・? こんな遠いところまで、やってきたんだぁ・・すごいなぁ・・。 私たちが宿泊したホテルからさらに2時間山を登ったところに住むメディスンマンとその奥様。庭には、たくさんの野草が生えていた。 メディスンマンの家。 トウモロコシと、動物の皮を干している。 初日は、長老たちがまず一同に会し長老会議となった。 私たちは、山を少し下って温泉に向った。 この温泉がとても気持ちがよかった。 ここ数日間は冷たい水シャワーのみだったので、とてもありがたかった。 マチュピチュの温泉は、ぬるくて日本人の私たちにはイマイチだったが、ここの温泉にはかなり満足した。 翌朝、セレモニーのため、日の出とともに山頂にある聖地をめざして歩いた。 標高が高いからか、天に近い場所だからか、体がとても軽く楽に感じる。 2時間の登山も苦にならなかった。 頂上に着いたとき、「やった~~!」と満足げに手を広げ空をあおいだ。 2羽のファルコンという大きな鳥が頭上を旋回していた。 そして、大きな日輪が輝いていた。 神様ありがとうございますっ!とおもわず感謝した。 頂上の聖地で数時間にわたって儀式が執り行われた。 おばちゃんたちも元気に踊っていた。 写真の左がおばちゃん。 セドナに住むメディスンマン・ユークアラと。 彼とは人種を越えて、性別を越えて、いつもふざけあって遊んでいる。 太古の昔からセドナの周辺に住むヤバパイ族。 そのヤバパイ族グランドマザーたちと、南米チリのシャーマンたち。 翌日は、女性だけのミーティング。 いろいろな人種が集まり熱い集いとなった。 ある日、メディスンウーマンから教えをいただいた。 彼女は、ずっとこのことを感じていたが、我慢していたとのこと。 でも口にしないと病気になりそうだから・・とシェアをしてくださった。 私たち一般の女性たちは、どうしてジーパンやズボンをはいているのか。 ネイティブのセレモニーに参加しにきたのに、なぜスカートをはかないのかと言われた。 昔から女性がスカートをはくのは、大地のエネルギーをそのまま足の間から吸収するためなのだ。 今どきの女性は、ズボンをはく。だから第一チャクラに大地のエネルギーが届かないのだ。 フェミニンさがかけてきてしまうのだ・・・とのことだった。 お恥ずかしながら・・大きくうなずけた・・。 私もズボンを履いていた。 それならと、現地の人が着ている裾がどばっと広がっているカラフルなスカートを買いましょう・・と村にある小さなお店屋さんに出かけた。 選んでいるとき、そのメディスンウーマンとまたまた出会った。 何しているの?と聞かれたので、スカートを買おうとしているの・・と答えた。 メディスンウーマン曰く、「日本人がこのスカートをはくことは、ここの民族の人たちを尊重していないことになります。ここの人たちは、祖先の人たちからこの民族衣装を代々受け継ぎ、生活にそして儀式に着てきました。たくさんの大切な意味があるのです。」と言われた。 穴があったら入りたくなった・・。 スカートだから何でもよいということではないのだ。 次回、こういったネイティブの集まりに参加するときは、日本人を代表して日本の民族衣装を着ましょう・・と心に決めた。 村にある運動場がセレモニー会場となっていた。 中央には聖なる火がいつも保たれていた。 いろいろな国からヒッピーたちもこの祈りのイベントに参加していた。 彼らはセレモニー場となった運動場にテントを張り、セレモニーに参加していた。 自然とファイヤーキーパーも彼らが交代してすることになっていた。 ある日、グランドマザーが美穂ちゃんと私の手を取り、「今日は、あなたがた二人が火の当番をするのです。決して目をそらしてはなりません。食事に行く時もどちらか一人は必ず残るのです。」と言われた。 私たちは、すごい役目を仰せつかったぞっ!と意気込んだ。 グランドマザーに手をひっぱられながら火のところにいったら、彼らのリーダー格の一人が目の前を立ちはだかった。 ファイヤーキーパーはすでに担当制になっていて、すでに今日の担当も決まっている。 変えることはできない・・と強く主張する。 なんとまぁ・・・グランドマザーに対してすごい口調だこととびっくり。 グランマは「あら、そうですか・・」とすぐに引き下がった。 また、ある夜、メディスンマンの一人がファイヤーセレモニーで歌と祈りとダンスを披露した。ダンスのとき、右回りで踊り始めた。 だが、いきなり、火の当番をしていた若者がそれを引きとめた。 ここでは、左まわりにまわることになっていると・・。 メディスンマンは、彼のいうことを聞いてしばらくダンスを続けた。 メディスンマンの土地では、ご先祖様からの代からずっと右回りなのだ。 なぜ、彼らの民族を尊重しないのかっ!と、今度は、私がムカっ!と来た。 あとで、そのメディスンマンと話した。 彼は、「すべてはありがたい教えです・・。 そのときにどういう態度をとるのか・・それが学びです。 あの若者にもいずれ必要なタイミングで学びがやってくるでしょう。」とおっしゃった。 すぐにムカついた私が恥ずかしくなった・・。 深い、深い、教えがいっぱいの日々に感謝なのであった。 ・・・・・・・・パート4につづく・・・・・・ ありがとうございます。
2008年10月16日
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チチカカ湖の湖畔にあるネイティブの村を訪ねた。 その村の人々は私たちをとても温かく迎えてくださった。 そこでセレモニーをした後、ランチをごちそうになった。 チチカカ湖で獲れる白身魚を油で揚げたのと、ポテトを燻製にしたのとゆでたもの。それを手づかみでいただく。塩だけの味付けに揚げたての魚がとてもおいしい。 女性は色とりどりの毛糸で指人形を作って売っている。 ひとつ1ソル。30円から40円くらい。 彼女たちは常に毛糸を持って指先を動かしている。 南米のネイティブたちは、女性は女性で集まり、男性は、男性で集まっている。私が見たところでは、女性の方がいっぱい仕事をしているように見えた。 旅に同行した美穂ちゃんは、折り紙の天才。 いろいろなものを作って彼女たちにプレゼントして国際交流に励んでいた。 女性の中で一番年配に見えた女性と仲良くなった。 その人は、日本人の私たちから「おばちゃん」と呼ばれるようになった。 浅黒い細面の顔を「くしゃっ」と笑うその顔は、日本ののどかな「おばちゃん」っぽい。 ボリビアのチャラサニのギャザリングで、この村の人たちとまた再会したときは、とてもうれしかった。 チチカカ湖のこの村からチャラサニまで、アンデス山脈を越えて車で約20時間はかかる。おばちゃんはギャザリングでもずっと踊っていた。たくましかった。 ボリビアに移動し、チチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」を訪れた。 昔からの言い伝えのひとつによると、この太陽の島はエネルギー的に日本とつながっているらしい。 昔の人は、チチカカ湖を海と思っていた。 とても大きくて広くて、地平線まで湖が続いているのでそう信じていたのにもうなずける。 昔むかし、チチカカ湖に隆起したこの島を見て、昔の人は日いずる国「日本」が隆起したと思ったらしい。 ボリビアのコカパカーナの港から1時間半位、エンジン付ボートを進めたところにこの島はある。 どんどん島が近づくにつれて、日本の小さな島を訪れるような錯覚に包まれた。 そして大自然の神様がおられる独特の気配に包まれた。 おごそかで、とてもありがたい感じ・・・。 目の前には、エネルギー(ブラーナ)の雨が降り注いでいる。 実際の雨かと見間違えるほどに強く降り注いでいる。 まっ青なチチカカ湖にプラチナ色のエネルギーの雨がとてもきれいに映えていた。 太陽の島の船着場に向かってボートを進めているとき、ちょうど目の前に太陽があった。太陽に向かって・・・そして、太陽の島に向かった。 島では、女性や男性たちがきれいに民族衣装に盛装して迎えてくださった。 ここでも、現地の人と一緒にファイヤーセレモニーをした後、ランチをごちそうになった。 定番の手づかみ、魚の揚げたのとポテト。味は、どの村も似かよっている。どこもおいしい。 すごい気を発してセレモニーを進めている20代後半から30歳くらいの男性がいた。 なぜか目についた。チャラサニでのメインギャザリングにも彼は参加していた。長老たちからも一目置かれている存在だった。 若いが、長老と一緒にセレモニーをしていても違和感がないほど大いなる存在とつながっているのが見て取れる。年齢じゃないと改めて実感した。 太陽の島を後にして、港に向かっているとき、すっかりあたりは暗くなった。右側の景色がじんわり明るくなってきた。 わおっ!月の出だ。満月だ。 アメリカ人にお月様が出てくる日本の歌をいろいろと披露していた。 そして「う~~さぎ、うさぎ、何見て跳ねる?じゅうごや・・・」とここまで歌って、美穂ちゃんと顔を見合わせた。 「あ~!今日は十五夜だぁ~!」 と気づくや否や、ポートの屋根にかけ登り月の出を拝んだ。 夜風が身にしみて超寒かったが、それよりもチチカカ湖で拝む十五夜お月さまの魅惑的な美しさが私たちのハートをくぎ付けにした。 なんてすごいセッティングなのでしょう。 神様に感謝です。 ・・・・・・・・・・・・・・パート3に続く・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。
2008年10月15日
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南米ペルー・ボリビアの旅から戻った。 自分の中で何がリセットされた旅となった。 ある朝、宿のベッドで目が覚めたとき突然自分の古い感情が出てきて、涙がツーと頬を伝うこともあった。 アンデスの山を登っているとき、標高が高くて酸素が薄いのにもかかわらず、足が楽に前に出たときもあった。 一歩一歩がとても力強かった。これからの自分の人生もこうして歩んで行くんだって自分を励ますことができた。 ネイティブアメリカンの長老たちと共に過ごした巡礼の旅は、祈りというものを細胞のレベルで感じさせてくれた。 旅の間、長老たちが祈る姿をたくさん見させていただいた。 母なる大地を、父なる空を、大自然をこよなく愛する姿を間近でいっぱい体験し感じさせていただいた。 やがて、自分の祈り方が内側から変わっているのに気がついた。 ありがたい教えだった。 スピリチュアルな教えの本を1000冊読んだとしても、この肌身で感じる教えほど実感することはないだろう。 旅は、アヤワスカセレモニーから始まった。 それは浄化と神秘体験のセレモニーだった。 アヤワスカが群生しているところ。 あたりが真っ暗になったアマゾンのジャングルの中、アヤワスカというツル性の植物を抽出したジュースを飲む。 ジュースがじわ~~と体に浸透してくる。 やがて自分が宇宙の隅っこに座っているビジョンが見えはじめ、レインボーの幾何学模様が次から次へと現れた。 体は無重力の中にいるみたい。 手を動かしてもその重さを感じない。 体を揺らしてみた。 まるで羽みたい。 なんて気持ちが良いのだろう。 ジャングルで一匹の小さな虫が飛び立った。それは、スピーカーを最大音量にして、エコーを最大にかけたみたいで、右の耳から左の耳に抜けて行った。あまりにも衝撃的で心臓が「どきっ!」とした。 たくさんのメッセージがやって来た。 今まで頂いていたメッセージに比べて、このセレモニーでいただいたメッセージはものすごくクリアで、その声も有無をいわさぬ力強さだった。 いつもこれくらいはっきりとした声でメッセージが来たらうれしいなぁって思った。 セレモニーでは、みんな洗面器を一人にひとつずつわたされる。 浄化が始まると体の中のものを吐き出したくなるのだ。 それは、ちっとも苦しくは無く、吐いているときもビジョンを見続ける。 私は、レインボーのドラゴンが体の中を這い上がり、口から出ていくのが見えた。そして、洗面器の中にはレインボーの大きな花が広がっていった。 やがて、すべてが完璧にポジティブな領域に入った。 これが世間でいう「あの世」なのかなぁ・・、自分の神の部分なのかなぁ・・って思った。 この世にいながら、あの世を感じられるこのアヤワスカってすごいって思った。 そして夫のLeeが創っているディメンショナルミュージックはこの世界とつながって創っていたんだぁ・・・と実感した。そのまんまの世界だった。すごいぞっ!Lee! アヤワスカセレモニーは3日間行われるはずだったが、スコールが激しかった上、アマゾン川を2時間ボートで移動することも考えて、2日間で切り上げてリマへと向かった。 アマゾン川では、ときどきイルカが顔を出したり近くをとび跳ねたりした。 現地の人もこんなにイルカが現れるのは珍しいね~~って言っていた。 「ありがとう、まるで祝福されているみたい・・。」と心で感謝した。 ジャングルの中での食事は、ライスがメインでチキンや野菜が豊富に使われていた。おいしくて、日本人の味覚にとてもあった。 この旅の道中、私たちは、いくつかの盗難にあった。 私は、バスからホテルに荷物を運んでいるとき、ゴアテックスの分厚いジャケットを盗まれた。ホテルのスタッフがバスの中に入り、窓からスーツケースや荷物を外にいるスタッフに手渡ししてホテルの中に入れる。 私のジャケットは、窓の外に出されたとき、どうやらホテルのスタッフではないひとの手に渡されたようだ。二度と私の目の前には現れなかった。自分でちゃんと運んでいればよかったと思った。 でもその後の旅は、そんなに寒くはなかったので、そのジャケットがあったら移動がさらに大変だったかなと思った。 アマゾン川に面しているイキトスという町では、いたるところで物売りの人がいる。彼らは、やっと生活している・・という感じを受ける。 どこかに私のジャケットを必要としている人がいたんだなぁ・・・その人は、今度の冬はきっと暖かく過ごせるなぁ・・って思ったら、まっいいかっ!って思えた。 他の人は、有り金全部や、パスポート、パソコン、・カメラ・聖なる祈りの道具・・・などなどが盗まれていた。 南米では自分の所持品はとにかく自分で気をつけるのが大事だと身にしみた。 ペルーは昨年の巡礼の旅に続いて二度目だったので、前回と違った感じを受けた。 特にマチュピチュではさらに深くそのエネルギーに入っていくことができた。そして、そのあり方が自分の目の中にちゃんと納まるような感じがした。 リマ空港近くにあるサクサイワマンの遺跡。 絶対に人間が創ったとは思えない石の見事な切り込みと大きさ。 これもサクサイワマン。 サーペント(神様と言われている蛇のこと)と、7つのチャクラがある人間の体を表わしたもの。 蛇のかたちになったくぼみには、さらに7つの深いくぼみがあって、このくぼみに体をあずけしばらく瞑想するとチャクラのバランスがとれると言われている。 上空にはお月さまがひっそりと輝いていた。 翌日、チチカカ湖に移動した。 その日あたりからどうやら高山病になってしまったようだ。 気持ちが悪くて、頭痛がして・・とにかくつらい。 寝たら寝たで、数分おきにうなされて目が覚める。 この数分おきに目が覚めるというのが高山病の特徴らしい。 となりで寝ていた日本人のアリカちゃんも同じく高山病でうなされていて、同じように数分おきに起きて「う~~」とうなっていた。 うならなくてはどうしようもないような状態なのだ。 三日間くらい続いた後、すーっ!と抜けて行った。 同じ吐くにしても、アヤワスカセレモニーで吐くのと大違いだった。 苦しかった・・・・。 食べるものも食べられず、吐き続けていたから、かなり浄化された。 アリカちゃんや私は、高山病のまっ最中でも、日の出の儀式から夜までちゃんと巡礼に参加していた。すばらしいっ!と自分で褒めた。 チチカカ湖の畔にある聖地での日の出セレモニーのときの写真。 アダムがパイプの煙を聖なるシンボルに捧げている。 昨年は、どうして男性シンボルがこんなに祀られているのかとっても疑問だったが聞くチャンスがなかった。今回、質問してみた。 チチカカ湖は女性性の象徴であるので、湖の畔に男性の象徴を祀ることで、生命が誕生する源を称え、生きとし生けるものすべてに感謝を捧げ称えているとのこと。なるほど・・。 昨年と同様にドアウェイの前でセレモニーを執り行った。 やはりこの岩はすごい。 この日、私は体調があまりすぐれなかったので、バスで近道をしてその岩の前でみんなを待っていた。 ありがたく、一人でずっとその穴に第三の目をつけて瞑想をすることができた。 体にたくさんのパワーがみなぎってきた。 体調がすぐれないときだからこそ、ここの宇宙的なパワーを身にしみて感じることができた。感謝、感謝であった。 写真は、セレモニーの後、思いっきり元気になった私。 後ろには、オレンジ色のシャツを着たホピのルーベンが見える。 ・・・・・・・・・・パート2に続く・・・・・・・・・・ ありがとうございます。
2008年10月12日
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