バルトの楽園
四国のある町にドイツ人捕虜の収容所があって、そこが、とてもよい人間関係を保っていた。 そこの立派な所長がマツケンだという。日本で最初の第九の歓喜の歌が演奏された、位の予備知識しか持ち合わせずに見に行った。
指定の席に着こうとすると、
そこに先客がいた。
「すみません!そこボクの席なんですけど」、と言うと、
「堅いこと言うなよ、席はいっぱい空いているんだから、、、」と言う声が返ってきた。
指定席なので空いていてもあまり離れた席に座ることもできずに隣に座ることにした。と、顔を見ると、それは二回りくらい年上の大大先輩のお顔でした。映画館で知り合いにあったのは、ホントに初めての経験です。だいぶお会いしてはいなかった方でしたが。
「この板東捕虜収容所の話はとても有名な話で一度見てみたかった。ドイツ人の捕虜が町中を歩いて町の人たちと交流していたんだ!」 と、映画が始まる前に、ちょこっとお話が始まった。 映画が始まる前から興味が深まった。
実話であった。その場所も時代背景も知らずにいたが、映画のあともお茶をいただきながらいろいろ教えていただいた。知らないことばかりだった。
※※※※
時は、大正、戦争は第一次世界大戦!
ドイツが租借していた中国山東半島の青島で、日英同盟によって新たに参戦した日本が、ドイツ軍を叩いた。ドイツ軍は、約5000人、日本は30000人だという。(実際には映画にあるような激しい戦いはなかったという。欧米人は合理精神があるので、負け戦とわかって激しい抵抗はしなかったそうです。) まあ、ストーリー上、こういった伏線が必要だったのかもしれない。
物語は久留米の捕虜収容所から始まった。日本軍は、捕虜の扱い方を知らないし、実際こんな感じで、あるいはもっとひどい扱いをしていたかもしれない。
それが、久留米の収容所閉鎖によって板東捕虜収容所へ移された彼らは、驚きのすごい歓迎を受けた。
そこでは音楽を奏でられて、収容所の門から入ると、すぐに、その前から収容されていた捕虜たちから大歓迎された。
なんという不思議な光景だ!
捕虜収容所が、こんなに自由であってよいのか?その捕虜収容所の中では、ニュースペーパーが出され、パンを焼き、ハムを作り、ビールまで飲まれている。(ビールも造られていたのであろうか?)
こんな捕虜収容所が、世界にあるのか?日本にこんなところがあったなんてとても信じられない。これはすべて松江所長の人徳による経営だ。
それにしても、まさに「楽園」である。 なんの不自由もないボクらでも、暮らしてみたくなるような世界だった。
どんなに自由にさせても不満分子はいると思う。実際、逃亡常習犯もいた。しかし、その人たちまでもうまくこの狭い世界でうまく生活させてしまう。 松江所長のすごいところが余すことなく、描かれている。
土地勘がなかったが、突然場所がはっきりした。行ったことのある町だ。四国八十八札所の一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)の石碑が何度となく現れた。ここは、JR高徳線「板東(ばんどう)駅」からほど近く。現在の住所は、徳島県鳴門市大麻町板東霊山寺。ボクは学生時代、四国を旅して、八十八札所のうちのいくつかの寺だけだったが訪ね歩いた。四国高松へ着いて、まず最初に1番から3番までだけでも歩こうと高徳線の板東駅に向かったことを思い出す。
大大先輩の言葉は、この映画の時代でなく、さきの第二次大戦での日本の生活、日本軍の話も交えて、とても勉強になった。
戦争は決して繰り返してはならない!
それに比べて、
戦時中だったとは思えない「バルトの楽園」 是非見ていただきたい映画だ。 ロードショー公開は、今週で終わる予定だ。町の人や所長へのお礼にと、第九の演奏が日本で初めて行われた、というエピソードも残して、なかなかいい印象を持って、見終えた。
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