マックの文弊録

マックの文弊録

2005.06.29
XML
◇木曜日:旧暦五月二十三日 甲申(きのえ さる) 下限の月(但し東京は厚い雲が垂れ込めて見えず)

雨乞いの術をお持ちの「教授さん」に対抗するわけではないけれど、僕は空が飛べる。
それに気付いたのは実はかなり前の事だ。昔も昔、僕が小学校2年生の五月のある日のことだから、計算するのも厭になるほどの昔といっていい。
それにしても、こういう「隠れた技術・才能」は誰にでもあると思う。だから空を飛ぶなんて、ごく当たり前のことなのかもしれない。

空を飛べるといっても、両腕をバタバタやって飛んでいくのではない。
自分が立っている地面の約20センチ「上空」に、踏めば硬く変化する層があって、そこに足を乗せて踏ん張るとその位置で立てるのである。
但しこれは正確にその位置に足を持っていかないと駄目なのだ。それよりちょっとでも低くても高くても、持ち上げた足はただ「空を切る」だけである。だから、「踏めば硬くなる層」に足を合わせるには相当気持ちを集中しなければならない。

そうして最初の位置を見つけると、後はいい加減に足を持ち上げても、そこは硬くなってくれるから、その後は容易に高みに登って行ける。
登って行く途中で、「こんな筈はない。こんなの物理法則に反する。」などと吾に返ってしまうと、途端に透明な空気の階段は消滅してしまうから、どうかすると足を挫いたり腰を打ったりすることになる。その点だけは注意する必要がある。


そうやって登った高みから見下ろす下界は中々の見ものだ。気分も大いに爽快で宜しい。人間の目線は普段はせいぜい1メートル数十センチの高さにしかないから、「自前で」稼いだ高度から見下ろすのは、それが10メートルや20メートル程度の高さであっても、その眺めも気分も本当に新鮮なのだ。

でも、あくまでも歩いているわけだから、水平距離の移動はほんのわずかしか出来ない。鳥のように軽やかに飛び回るというわけには行かないのだ。
一人の人間が妙な位置に覚束なげにぶら下がっているのは、見ようによってはみっともない。だから余り人樣に自慢したり威張ったり出来ないのが辛いところだ。

子供の頃は頻繁に、ごく当たり前にやっていたことだがこのところ繁忙を極めている仕事や、一時も気を許せない資金繰りの心配でトンと忘れていた。
考えてみれば、大学の研究室を出て就職してからは一度も飛んだことがなかったような気がする。

先ほど「教授さん」のブログを拝見して、空梅雨の名古屋に今日雨を降らせたと言う雨乞いの術に触発され、さっき社員の目を盗んで会議室の隅でやってみたら、未だちゃんと出来た。嬉しかった。

でも、未だ至って小さな会社だから、いつ社員が会議室に入ってくるかもしれない。それで三段くらい登ったところで止めておいた。
だって、天井近くに社長が宙吊りになってモゾモゾしているのを社員に見られてしまったら、体は空中に有っても社長の沽券の方は地に落ちるでしょう。

飛んだのは本当にほんとうに久しぶりの事だ。久しぶりに昔を思い出させてもらった気分で、「教授さん」には感謝である。

もうちょっと練習すればひょっとしたら水平飛行も出来るようになるかもしれない。子供の頃にもそういう気がしていた。ただ真剣に試してみなかっただけの事だ。

目先の問題が一段楽して、どこか山間の温泉にでも行けるような暇が出来たら、是非水平飛行もトライしてみようと思う。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005.06.29 20:50:39
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

求連帯而懼孤立!

求連帯而懼孤立!

カレンダー

バックナンバー

2026.10
2026.09
2026.08
2026.07
2026.06

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: