マックの文弊録

マックの文弊録

2005.07.10
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暫くぶりで訪れる街などで車を走らせていると、様子が一変していて戸惑うことがある。

昔見覚えた路傍の目印が無い。
景色に落ち着きが無い。
建物の立っている向きがちぐはぐだ。
神社の正面が見えない。お尻や側面ばかり目に付く。
空を切り取る街の姿が目に馴染まない・・・・

建物が新しくなっていてそう思うこともあるが、大抵は新しい道が出来ているせいである。

財政再建の圧力で高速道路の新設や延長には、世の中がいささか慎重になって来ているのかもしれない。しかし、一般道の新設は、十年以上も前に作られた計画を後生大事に遵守して、適当に進んでいるのだろう。



だから、道普請はそれが引き起こす渋滞もものかわ、延々着々と続けられる。最早水が余っているのに、堰を作る。貴重な生物種の生息地であることがわかっても、却って流域の危険が増すかもしれなくてもダムも作る。道路だって構わずがんばって作るのだ。

でも、新設の道は車で走っていてもちっとも面白くない。「早い」し「便利」だとは思うのだけれど、周辺はそっけない表情で、何だか景色にそっぽを向かれている中を依怙地になって走っているような気分なのだ。

元来、道ができてから町ができたのだ。
道の大本は獣道だったのだろう。けものの通う踏み跡を人様も利用させていただいていたはずだ。
その内、獣の通い路とは別に、家と家、集落と集落を人が往還するようになった。そして、水の流れ、土地の高低、地盤の硬軟に沿って歩きやすいように土を踏んだ。それが続くうちに踏み分け道ができた。そうしてやがてそれぞれが合流して幅広の道が出来るようになった。

道の別れには目印を立てた。疲れを癒すため、集い語るために、木を植え木陰を作った。地蔵を据え、社も作った。村の鎮めとなるような場所には神も祭った。

そうして出来た道は、時に等高線に沿って程よく曲がりくねる。神社は道に面して鳥居を据え、いざないと、神域を画す印とした。
こういう古来の道は歩いてみれば直ぐにそれと知れる。くねくねと曲がりくねっているけれど、その曲率や、角を曲がる都度の眺めの変化が心地よいのだ。人の心持との波長が合っているのだろうと思う。

やがて、人間が動力と車輪を我が物にした時に状況は変ったのだろう。道は拡幅され、その際に微妙な屈曲は削り取られ、或いは短絡した。高きは削られ、低きは埋められて、道はより広く、直線的に平坦に作り直されてきた。
都会では、都市防衛や防災上の理由で、家々まで取り去られて道が作られた。

こうして、道はやがて元来の集落同士から、道同士をつなぐものへと変化した。

ポリシーが変化して以来の道は、住まいや社などは度外視している。
こういう道は街の景観すら変えてしまう。だから、便利だけど詰まらないのだろう。
けものも通わぬ人工的な道のほとりには、ファミレスや大型スーパー、それに車用品や衣料・家電の量販店など、大規模且つ没個性的な景色しか似合わないのである。






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最終更新日  2005.07.11 12:33:07 コメントを書く


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