マックの文弊録

マックの文弊録

2005.10.27
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◇木曜日:旧暦九月二十五日 甲申;読書週間

浅間風露
あ る建物の入り口を入ったところに居る。広大な敷地を占める施設の一角である。部下のIと一緒だ。
昔部下だった女性が居て、彼女はその後何度か外資系企業の転職を繰り返していた。噂ではとうとううつ病に冒されたと聞いていたが、その後僕にとっては行方知らずになってしまっていた。その彼女が、この施設に居ると最近聞かされて、当時彼女の同僚であったIと共に様子を見に来たのである。

こ の施設はある団体によって所有運営されており、かなりの人数の情緒障害者や精神障害者を収容、施療していると聞いている。ただこの団体の背後には、宗教組織があり、彼らは施療の名を借りて入所者を洗脳し、ある意図の下に彼らを組織化しているのだという噂ももっぱらである。そういう背景があるから、一種不穏な気持ちを抱いての訪問でもあった。

入 り口を入ったところはごく狭いロビーである。直ぐ先には銭湯の脱衣場への入り口のようなすりガラスの引き戸があって、それが半開きになっている。引き戸の向こうには大勢の人間が居る気配がするが、音は全く聞こえてこない。静かである。
そこに学生時代同期であったY君が立っている。ここでY君に会うなど全く予期していなかったので大いに驚いた。彼は僕を見ると近付いてきて、「どうして来たんだよ?」と訊ねる。「何しに来たんだ?」と低い声で詰問調である。「悪いことは言わないから、直ぐに帰った方が良い。」と畳み掛けてくる彼を見て、なんだY君は「組織」の人間だったのか、と重ねて驚く。

殆 ど急に思い立ったような具合でここへ来たのだ。部下のI以外にここへ来ることを話した記憶は無い。恐らくは誰にも話しては居ないと思う。なのにY君は僕に会って驚く風でもない。僕達がこの時間にここに来ることはちゃんと分かっていた様子だ。「組織」の情報収集力と機動力は侮れないものだと思って緊張する。

Y 君に来た理由を話しても、彼は納得した様子も無く親しさも見せない。「君は臭いが全く違うんだよ。そういう人間がこの中に入ってどうなるか分かっているのか?直ぐにここから帰るほうが良い。」そういって彼は立ちふさがるのだが、手を出す気配は無い。周りを何人もの人間が行き過ぎるが、何も言わずこちらを見ることもしない。しかし全員が僕とY君のやり取りに神経を尖らせているのがいやというほど分かる。
部下のIを目で探すが見えない。どうも彼はいつの間にか引き戸の向こうに入り込んでしまったようだ。こういう状況の中で一人ずつに別れてしまうのは危険なのに、その辺に対する気配りとか状況の見極めが出来ていない。アイツはそういう奴だと苦々しい気分になるが、どうすることもできない。出来るだけ無邪気を装って、「ただ彼女の様子さえ見られればいいのだから」と歩き出すと、Y君ももはや止めることはなかった。

中

こ の中で自分が非常に目立つ存在であることが、段々意識されてくる。Y君の云った「君は臭いが全く違うんだよ」という意味がはっきりしてくる。僕の立ち居振る舞いや、「外」から持ち込んだ「臭い」が周囲に不穏な空気を醸し出し始めている。誰も目を合わせないが、皆が僕を凝視している。
彼女を探すが見つからない。見つけたくない気持ちが強くなる。部下のIの姿もどこにも見えない。

部 屋の反対側を出るとそこは左右に続く廊下だ。見回すと通ってきたところより少し狭いが同じような部屋が並んでいるらしい。どの部屋の中でも同じような様子で同じような事が行われているらしい。案内をしてくれる者など居るわけはないから、廊下をどちらへ行って良いものか分からない。息苦しさがつのってきて、近くに出口があったのを幸い外へ出た。

中 庭のようなところを抜けると、少し広い道に出た。この施設のメインストリートらしい。舗装はされていない。人も歩いていないし車も走っていない。駐車している車も見えない。ただ一本の砂利道が走っているばかりである。道を挟んで幾つもの校舎のような建物がある。どれも五階建てほどの高さで、壁は鮭肉色に塗られている。しかし塗装が施されたのは随分以前のことのようだ。
汚れた窓ガラスの向こうには軍隊色のカーテンが掛かっているのが見えるが、どれもそよとも動かない。人の気配は全くしないが、カーテンの向こうには大勢の人間が、一様に目を見開き、黙って動かず壁や天井を眺めているのが、僕には分かっている。これらの建物の中には膨大な数の人間が隠されているのだ。
晴れた秋の日の日没直後のような光景である。蒼い鋼色の空を背景に、鮭肉色の壁が残照を受けている。キリコの絵の世界だ。

突 然向こうから二台の銀色の自転車がすごい勢いで走ってきた。どちらも少女が乗っている。風に髪をなびかせ目を細めて一生懸命に走ってくる様は清々しく、ここへ来てから初めて会った生きた人間のような気がした。しかし自転車はあっという間に通り過ぎ、道の彼方に消えてしまった。

気 が付くと、僕の周囲を十人ほどの人間が歩いている。皆僕と同じ方向へ同じ歩調で歩いている。殆どは「入所者」だが、中に「職員」が混じっていて、彼らは職員の見えない指示に従っているのである。何気ないふりを装って立ち止まると、僕の周りに彼らの輪が出来てその輪も止まる。誰もが伏し目がちで決して視線を向けてこない。口もきかない。立ち止まるたびに、輪が狭まるようだ。
しばらく行くと左側に道から少し引っ込んで木造の平屋があった。これはこの施設の事務棟で、外からの訪問者はここで記帳やら何やらしなければならないのだ。部下のIが中に居るような気もしたがしかし、これ以上ここに居ると危険だという気持ちが募る。事務棟に入ったら出てこられないとも思う。だから、何食わぬ顔を装ってそのまま通り過ぎたが、周りを取り囲んだ集団は、歩き続ける僕を別に妨害するでもなかった。

や がて、四つ角に差し掛かった。同じ場所に以前に来たことがあるという気が強くした。ここを左に曲がって暫く行って坂を下ると、確かバスも走る繁華な通りに出る。遠くにクルマの行き交う音が聞こえてきた。久しぶりに聞いた気がするありふれた人間の営みの音だ。「あぁ良かった。やっと戻ってきた。」と、心からほっとした。

そ こで目が覚めたのである。






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最終更新日  2005.10.30 06:17:16
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