プロフィール

大月みどり

大月みどり

カレンダー

フリーページ

カテゴリ

2023年07月28日
XML
カテゴリ: 資料館


こんにちは、資料館です。
今回は、「広報 おおつき」6月号の「大月探訪記」で紹介した「岩船地蔵」の補足説明をします。

船に乗った地蔵を「岩船地蔵」といいます。
近県各地に残る「岩船地蔵」の多くは、「下野の国岩船地蔵念仏踊り」がその地に巡ってきたことを記念して造立されました。
市内に所在が確認されている三体のうち、賑岡町岩殿地区の「岩船地蔵]については、 ​​​ ​広報 ​ ​ ​​ や ​ ​ 本ブログ ​ ​でも紹介しましたので割愛し、賑岡町畑倉地区と初狩町藤沢地区にある二体について紹介します。

トップの写真は畑倉地区の曹洞宗幡倉山法幢寺にある岩船地蔵です。
境内ではなく、山門の向かって左側に立つ​ ​​ 三界万霊塔 ​​ ​の後ろにあります。
船長は約80cmで、船の高さ20cm、船の底より首までの高さは65cmとだいぶ小ぶりです。
地蔵像は船に対して横を向いて乗り、左手に宝珠、右手には錫杖を持っています。
頭部は亡失し、替わりに丸石が置かれています。


背面には上の写真のように「弘化四丁未 施主村中」と刻まれていました。
ここで大きな疑問が湧いてきました。
郡内で「念仏踊り」が流行したのは、後述するように享保4(1719)年の6月から7月にかけての頃と考えられています。
それから100年も後に「念仏踊り」の記念碑として造立するものなのか、ということです。
100周年でもないし、この時代の暦である干支で数えて2回目の還暦(大還暦=120周年)でもありません。
「念仏踊り」の記念碑でなければいったい何なのか?
残念ながらその由緒を知る人は今となっては誰もいません。


こちらは藤沢地区にある岩船地蔵です。
西側斜面上にある ​ ​ 墓地入口 ​ ​ の左側にあります。、
船長は60cmで、船の底より頭頂部までの高さは70cmです。
左手にあるはずの宝珠は欠損していますが、右手には錫杖をしっかりと握っています。
見ての通り頭部と胴体のバランスが悪いのは、後年の修復によるものと思います。
西日を強く受けるためなのか風化が激しく、造立年代などの刻字は見受けられませんでした。

※おまけ 
「岩船地蔵」について詳しく知りたい方は、上記の民俗学者の福田アジオさんの講演記録を読むといいと思います。
講演をまとめた文章なので、少し冗長ですが、岩船地蔵について初めて学ぶ人にとっては、ていねいで分かりやすいと思います。
p.3に「岩船山地蔵様享保四亥の七月郡内より須走村へ御越被遊」と書かれた古文書を紹介し、p.17には相模から郡内を通り、須走へと抜けていくコースを推論しています。
また、p.10あたりから念仏の様子が細かく描かれ、p.14には記念碑として「岩船地蔵」が造立されたことに触れています。
なお、福田氏は栃木県岩船山高勝寺から岩船地蔵が送り出されたという説に対して、あるいは高勝寺がお布施を募るために念仏信仰を広めたという説に対して、寺にはその記録が無いことから、大きな疑義を呈しています。
ぜひともご一読ください。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年07月28日 16時50分32秒
コメント(0) | コメントを書く

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: