鬼ムスメの目にも涙 ―介護初心者の徒然日記―
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このブログ、なんと1年8ヶ月も空いてしまいました。予想されている方もいらっしゃるかもしれませんが、父は、意識が回復することなく、2023年6月、旅立ちました。そこからしばらく…昨年の2024年中もずっと、私の心は立ち止まったままだった…というのは、いまになっての自己分析。書こうにも、話そうにも、どうにも気持ちが向かず、いわゆる「空の巣症候群」みたいになっていたのではないか?と思います。以下は、2023年の年末に、ずっとご無沙汰だったSNSへの投稿です。この文をもって、当ブログでもご報告といたします。これは1年前にやればよかったことなのに、できておらず…2024年の1年間が、ぽっかり空いてしまいました。写真は、今秋、色づいたメタセコイア。すべての方の人生の秋も、鮮やかであることを祈って。**********************♪(2023年12月31日)年末押し迫るなか、このようなご報告で失礼します。(少し長くて、重たい内容です)今年6月18日、父が永眠いたしました。遡って2022年3月、パーキンソンによる嚥下障害により一時心肺停止となり、しかし蘇生して、意識不明のいわゆる植物状態のまま、1年3ヶ月、生きながらえてくれました。仕事に生きた、努力の人生だったと思います。父25歳のときに肺結核で左肺を切除し、命はとりとめましたが、薬の副作用で両耳の聴覚を失いました。耳が不自由ななか、英語専門の出版社に勤めながら、またその後大学勤務時や引退後も、自身の翻訳や研究を続けていました。私は子どもの頃から、土日も書斎で机に向かう父の背中を見て育ちました。86歳で大腸がんがわかったときは、「自分はまだ成し遂げたい仕事が三つあるから、先生、あと10年生きさせてほしい」と(いま思うと無謀な希望を述べて)、手術を受け、ほぼ根治していました。8年前からはパーキンソン病を発症し、手足の動き、嚥下がどんどんおぼつかなくなる身体で、それでも「2022年に絶対に出版したい本がある」と、日々、自分の原稿に朱を入れ、参考となる書籍や新聞を読み、目標に向かっていました。生涯現役を貫いた95年の人生でした。2022年に心肺停止の蘇生後は、きょうにも明日にも…と言われた命の危機を越え、奇跡的に身体状態は安定し、意識は戻ることはないと言われながらも、1年3ヶ月。父本人も頑張り、それは奇跡と呼べる命の時間でした。やはり生きたかったのだと思います。途中から月1回可能になった10分間の面会時や、オンライン面会で、私たちの声に反応して涙を流し、舌や下瞼を震わし、私が子どもの頃から指圧すると喜んだ足裏のツボを押すと足指が反応し、あぁ生きているのだ、わかっているのだと、生きていてくれること自体が、私の希望の光でした。6月18日は、「父の日」の日曜日。いつもの週末のように、「お父さんー、きょうは父の日だよー」等の近況の声や、父が好んだ母校の寮歌等を吹き込んだCDと、不足した物品を病院に届けた約30分後、原因不明に心臓が止まったとの連絡を受けました。私はすぐに病院に戻り、看護師さんと一緒に私も心臓マッサージをして、それでも戻ることなく…、夕方、見送りました。95歳。年齢だけなら、いわゆる大往生と言えるし、延命措置にも賛否両論あると思います。ただ私は、年齢ではなく、人それぞれの人生があり、思いがあり、それは尊重したいと思っていて、それはいま、ますます強く思っています。いわゆる植物状態になってから、家族のうち私がメインで諸々動かねばならず、考えること決めることが山積みで、頭の中も気持ちもいっぱいいっぱい。SNSからは遠ざかり、諸々ご心配をおかけしました。そんな私を忘れずに、気にかけ、見守ってくれた友だちには感謝しかありません。ご報告等、このように遅れた非礼をお詫び申し上げます。食いしんぼうで、私が作るクリスマスチキンが好物だと言い、お節やお屠蘇、お雑煮等、お正月料理が好きだった父。そんな父のいないクリスマスやお正月が寂しくて、またメソメソしている私です。(仕事は行っているし、ふだんは元気にしていますので、ご心配なく!)FBでも報告を…と、何度も書いては保留し、書いては保留し。私の誕生日にメッセージくださった方へのお返事も、書くと言っておきながら、滞っていてごめんなさい。2024年を迎えるにあたり、いつになく弱気な自分がいますが、生きる希望が湧く出来事も待っていて、何とか、何とか、一つずつ乗り越えて、一つずつ迎えて、また乗り越えて、頑張って進んでいきたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2025.01.11