mahorobaのミリタリー&模型の部屋
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IV号駆逐戦車アルケット型、IV号戦車/70(A)は、IV号駆逐戦車シリーズの最終生産型である。クルスク戦終了後の1943年8月になるとIV号戦車は、ソビエト軍の新型戦車に対し性能的に見劣りする戦車となっていた。量産に入っていたパンター戦車は絶対数が足りず、切迫する戦況にIV号戦車の製造ラインをパンター戦車に切り替える時間の余裕は無く、IV号戦車は数を補うために改良を重ねて生産を続けていた。ヒトラーは、旧式化したIV号戦車の根本的な改良として、IV号戦車の車体に固定の密閉式戦闘室を設け、パンターと同じ7.5cm 70口径戦車砲を搭載する駆逐戦車の開発を命じ、1943年10月にフォマーク社の試作車が完成した、こうして生まれたのがIV号駆逐戦車である。当初7.5cm 70口径戦車砲はパンターへの搭載が優先され、7.5cm 48口径戦車砲を搭載したIV号駆逐戦車が生産された。IV号駆逐戦車は試作型の0シリーズからはじまり、F型から70(V)と改良されたが、より量産しやすい70(A)となった。IV号戦車/70(A)は、IV号戦車J型の車台にそのままに密閉式戦闘室を載せた車輌だった。車高が70(V)より50 cmほど高くなり、敵に発見されやすくなったが、車内容積が増え砲弾搭載数は70(V)より増している。IV号駆逐戦車シリーズは、1944年初頭から生産が開始され敗戦までに各型合計約2000輌が東西両戦線に送られたが、前線での評価は高く、対戦車戦闘と歩兵支援に有効であると前線部隊から報告がなされている。最終生産型の70(A)は、1944年8月から1945年3月にかけて278輌が生産された。70(A)は最末期の登場で、連合軍の圧倒的物量に加えてドイツ戦車兵の訓度低下もあり、数に勝る連合軍は70(A)との戦いでは、正面戦闘を避け側面に回り込み攻撃し無力化した。強力な火力と適度な装甲を持った駆逐戦車であったが、本来の性能を発揮できない戦闘に多くが機械損傷、燃料切れによって失われていった。IV号戦車/70(A)・Panzer IV/70(A), Sd.Kfz.162/11944年に制定された装甲連隊の装備定数を示す”44型装甲連隊”の編成には、第一大隊はパンター戦車、第二大隊はIV号戦車編成となっていた。装甲師団の半分の戦車がIV号戦車でIV号駆逐戦車はIV号戦車を順次代替することが計画されていた。IV号戦車/70(A)1944年ドイツ国境に近いフランスのル・リュラン(Le Rudlin)で放棄されたIV号戦車/70(A)。戦闘室の前面装甲に徹甲弾による穴が開いているが、走行可能の状態で放棄されていた。この車輌は、戦後フランスのソミュール戦車博物館に展示保存されている。IV号戦車/70(A)米軍に捕獲された車輌。IV号戦車/70(A)後面。IV号戦車/70(A)試作型戦闘室側面下部が、IV号戦車J型の車台をそのまま流用したため垂直の装甲版になっている。IV号戦車/70(A)試作型1944年7月初旬、アドルフ・ヒトラーの視察を受けるIV号戦車/70(A)試作型(A)はアルケット社(Alkett)の製造を意味する頭文字。装甲は戦闘室前面80ミリ50°の角度、側面40ミリ19°の角度、後面30ミリ。1944年7月初旬、アドルフ・ヒトラーの視察を受けるIV号戦車/70(A)試作型撃破されたIV号戦車/70(A)ソ連兵がはしゃいでいる姿の記念撮影。1945年2月のコルマールの戦いで撃破されたIV号戦車/70(V)フランスのコルマール地域は、ドイツ軍が占領していた最後のフランス領で、この地域に投入されていた自由フランス軍は祖国解放のため勇猛果敢な奮戦を見せたという。IV号駆逐戦車に搭載された7.5cm 70口径戦車砲 (写真はパンター戦車用の防楯がついたもの)7.5 cm KwK 42 L/70 (7.5 cm Kampfwagenkanone 42)IV号戦車/70(V)(V)はフォマーク社(Vomag)の製造を意味する頭文字。タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.381 1/35 ドイツIV号駆逐戦車/70(A) 35381 楽天で購入 ■Youtube Panzer IV/70(A) - Part 1 - 1/35 TAMIYA - Tank Model■Panzerjager IV (4号駆逐戦車)写真
2025年09月03日
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