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2026年06月06日
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第49回 大国主神(大物主神命)の后 三穂津姫命ついて 。
第49回 大神神社の妃神 三穂津姫命 ついて です、全て合わせると今回で60回紹介している事も、最近、三穂津姫命の事をよく見るのですよ、唐突に始まって申し訳ありません、しかし、前回から大分経ってますねどうした事か、それでも半年程ですが。
三穂津姫命は高天原から稲穂をもって降臨し人々に農作を広めた稲作の神様、数多い稲作の神様の一柱でも、それ以前にも稲作の神様は多く居た気がしますが、田の神、稲荷神、宇迦之御魂神、豊受大神、瓊瓊杵尊とざっくりと代表的な神様だけでもこれだけいます、櫛名田比売も稲田の神様とされいますし、身近な分だけ各地で様々な稲作の神様がいらしゃいます。稲作の始まりについては諸説ありますが、現在、一般的な水田稲作は、約3,000年前(紀元前10世紀)に九州北部に最初に伝わったと考えられています。水田稲作は、それから約300年後(紀元前7世紀)には近畿地方まで広がり、約600年後(紀元前4世紀)には本州の北端まで伝わりました。紀元前4世紀にはほぼ、思ったよりも昔から稲作が盛んにおこなわれいたのですね、各地にご当地の稲作の神が誕生する訳だ、失礼承知で書きますが、まるでゆるキャラの様、まあ、ゆるキャラ中には土地の神様を模したものも居ますし、八百万の神々は似たようなものでは。
前回は、 第48回 安曇氏(阿曇氏)の祖神 阿曇磯良 ついて​ 、阿曇磯良は日本神話の古事記・日本書紀には登場しない神道の海神 阿曇磯良。瀬織津姫と似ているところがありますね、つか、編纂された書物によって全く別の神が登場することはよくある、古事記や日本書紀以外にも風土記等様々、大祓詞は記紀とは違い祝詞の一種とかされています。勿論、現代語訳の祓詞は唱えても構いませんが、神社の前で大声で唱えるのは止めましょう、、流石に限度ってものがあります (いきなり唱えだしてビビった) 。まわりに迷惑が掛からない様に心の声で唱えるのがするのがベスト、前回阿曇磯良を登場させたのは、ひびき&千鍵が『FGO』(Fate/Grand Order)を紹介したかった為です、なお、『FGO』では阿曇磯良は日比乃ひびき、桂木千鍵を依り代にした疑似サーヴァントという設定。後、豊玉姫の息子である日子波限建と同一視されることも。別名「阿曇磯良丸」「磯良丸」とも呼ばれいます、一説によれば船の名前に「丸」と付けるのは、この阿曇磯良が起源とされているとされています。『太平記』によれば、身体中に貝や藻が張り付いた醜い容姿をしていたと伝わっており、『FGO』でもこの姿だったからこそ依り代にして引きこもっている設定でした。その為か、仲哀天皇の妻である神功皇后の神の召集にも、醜い容姿を恥じて1人だけ応じず海底に篭っていました。困り果てた神々は、阿曇磯良の好む神楽を演奏し、その音色につられた阿曇磯良は海底から姿を現し(天照大神の天岩戸の逸話に若干似ている)、神功皇后に「潮満珠」と「潮干珠」の2つの宝玉を与えたとしてます。


※余談、
【安田記念2026】シェケナ!田原成貴とガイアフォースを考えよう〈公式切り抜き〉
田原成貴さんの演歌長岡 パンク武史は笑いました笑、しかも、 予測始めちゃったよ(いつもの事) 、シェケナ推しに決まっている。まさに最高のステージやな(7枠14番)、最後の武道館、ラストライブ、『嵐』かよ、、あっ、嵐(台風)が来たっけ、ちなみに、台風のタマゴも出来ていた…

嵐を呼ぶ男馬
【安田記念2026】 ガイアフォース・横山武史騎手「良い意味で変わっていなかったのでよかった」「東京競馬場に舞台適性がすごくあると感じている」
しかし、”うるさい”、”ドタバタ”はまさに相変わらずのガイアフォースだな、

…いや、そうはいかんやろ、

…今まで注目して勝った試がないからね、だけど、武史君とは音楽性だけは合っている様、、馬券内ならヨシとしましょう。

横山武史君の富士ステークスの”木幡巧也”との誤植 顔も相まって何とも言えない気持ちになる。
誤植もロックだぜぇ~
ちなみに、ガイアフォースは1番人気ではない、…そうは思っていたけど、、ファンとアンチとギャンカスが混ざってファンキーなのはまさにロックだぜ〜
最近、めっきりない祭神紹介にガイアフォース特集をして本当に良いのか???…と自分に言い聞かせている。たまたまですが何か、

トロヴァトーレというルメールさん騎乗の最強馬いるじゃん、誰が安田記念は微妙だと言ったんだよ、、


神様アート&メッセージ~天と地をつなぐ三穂津姫命~

三穂津姫命(みほつひめ) とは、
古事記や日本書紀に出てくる女神の名前が気になった感じでしょうか。「みほつひめ」は日本神話に登場する神様の名前です。
 🐚 みほつひめとは
 「みほつひめ」は一般に「三穂津姫神 みほつひめのかみ」と書かれることが多く、日本の古い文献では大国主神などと関わりがある女神として語られます。現在も各地の神社で祀られており、社名に「みほつひめ社」「三穂津姫社」と付く例もあります。(ameblo.jp)  
🌾 どんな性格の神様か
地域や神社ごとの伝承に差がありますが、稲穂や豊穣、土地の実りと結びつけて説明されることが多く、「穂」の字からも農耕と関係が深い女神と考えられています。(zh.wikipedia.org)
🏛 どこで祀られているか
三穂津姫を祀るお社は単独で大きく知られているわけではなく、多くはほかの神々とともに合祀されたり、本殿の一社として静かに祀られている形が多いです。観光マップなどで「みほつひめ社」「三穂津姫」と記されている例も見られます。(kotohira-kankou.jp)(AIアシスタントより、)

【神様図鑑】三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)
今回の【神様図鑑】は出雲大社の主祭神・大国主神の「最後にして正妻(後妻)」とされる重要な女神、三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を特集します。表舞台に立つ機会は少ないものの、日本の国づくりにおいて「平和」と「繁栄」を象徴する、非常に格の高い女神様です。
1. プロフィール
別称: 三津姫、三穂津比賣命
神格: 豊穣の女神、高天原の和平の象徴、良妻賢母の鑑
父神: 高御産巣日神(タカミムスビ)※造化三神の一柱
配偶神: 大物主神(大国主神の和魂、あるいは別名)
御利益: 五穀豊穣、夫婦円満、子孫繁栄、家内安全
2. 出自と神話:国譲りを締めくくる「和平の印」
三穂津姫命の最も重要なエピソードは、日本神話のハイライトである「国譲り(くにゆずり)」の結末にあります。大国主神が、自らが築き上げた地上界(葦原中国)を天照大御神の一族に譲る決意をした際、天上の最高司令官である高御産巣日神(タカミムスビ)は、以下のような条件を提示しました。
「お前(大国主)がこれからも隠世(かくりよ)を治め、誠意を持って国を譲るというのなら、私の娘である三穂津姫を妻として差し上げよう。彼女を妻とし、八百万の神々を率いて、永遠に天孫を守護しなさい」
つまり、三穂津姫命は大国主神(大物主神)のもとへ、高天原(天津神)と地上(国津神)の平和な融和を象徴する「輿入れ」をした女神なのです。
3. 三穂津姫命の役割と象徴
彼女が「単なるお姫様」ではない理由は、その名前に隠されています。
・「穂」の女神「ミホツヒメ」の「ホ」は、稲穂の「穂」を指します。彼女が天上界から降りてくる際、高天原から「稲(新田の穂)」を携えてきたとされており、日本に稲作の繁栄をもたらした農耕神・五穀豊穣の神としての側面を強く持っています。
・平和の楔(くさび)激しい交渉の末に行われた「国譲り」ですが、彼女が大国主の妻となることで、天津神と国津神は親戚関係となり、争いは完全に終焉しました。彼女は、力による支配ではなく、「縁」による統治への転換点となった存在です。
4. 祀られている主な神社
三穂津姫命にお会いできる場所は、いずれも格式高い古社です。
① 奈良県:大神神社(おおみわじんじゃ)
日本最古の神社の一つ。拝殿のすぐそばにある「三諸供進所(みもろくしんじょ)」や、摂社の「成願稲荷神社」の近くなどにその気配を感じることができますが、特に大物主神の后として、大神神社の聖地において重要な役割を担っています。
② 香川県:金刀比羅宮(ことひらぐう)
「こんぴらさん」の愛称で知られる金刀比羅宮。実は、本宮のすぐ隣に「三穂津姫神社」が鎮座しています。本宮(大物主神)と並んで祀られており、その美しく気品のある社殿は、夫婦神の仲睦まじさを象徴しています。
③ 島根県:美保神社(みほじんじゃ)
事代主神(えびす様)と三穂津姫命を主祭神とする、全国のえびす社の総本宮。ここでの三穂津姫命は、事代主神の義母(あるいは母)として、海の神・商業の神であるえびす様と共に、人々の暮らしを豊かにする神として厚く信仰されています。
5. 三穂津姫命からのメッセージ
三穂津姫命の物語から私たちが学べるのは、「調和」の力です。対立する二つの勢力の間に入り、新しい形(家族)を作ることで平和をもたらす彼女のエネルギーは、人間関係やビジネスの交渉、家庭の円満を願う現代人にとって、大きな助けとなるでしょう。(趣味は神社めぐりです!!より、)

ミホツヒメ
古事記: なし、 日本書紀: 三穂津姫、 出雲風土記: なし
ミホツヒメの特徴: 国譲り後のオオクニヌシの正妻
ミホツヒメの御神徳・御利益: 五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄
ミホツヒメの系譜 父または母: 高皇産霊神、 夫: 三穂津彦(大国主神)、 子: 不明
ミホツヒメにまつわる神話
国譲り神話の後日談
:この神様は日本書紀に登場し、オオクニヌシの正妻となられたとされています。オオクニヌシの正妻と言えば古事記ではスサノオの娘スセリヒメですが、日本書紀では国譲りを終えたオオクニヌシにタカミムスビが娘を娶るように勧めたとなっています。
地名由来神と似た名前
島根県松江市美保関には出雲風土記に謳われた地名由来神として「ミホススミ」がある。ミホツヒメも名前を読み解くと「ミホのヒメ」となる事から、地名に基づいた名前である事がわかる。日本書紀では国譲りを迫った天津神側の神として降臨するため、ミホに来たからミホツヒメということなのでしょうか・・・?
ミホツヒメ=ミシマミゾクイヒメ=タマヨリヒメ?
これは僕の仮説です。都市伝説的なやつです。美保関の伝承ではコトシロヌシは揖屋に住むミシマミゾクイヒメのもとに夜な夜な通われ、明け方になると美保にお帰りになったとされています。揖夜神社の一ツ石神幸祭は、美保神社の御祭神が揖屋神社の御祭神に逢いに来ていた事に由来するとか。現在、揖夜神社の主祭神はイザナミで、摂社にミホツヒメ。ミシマミゾクイヒメもタマヨリヒメも祀られていません。しかし、美保関灯台にある沖の御前・地の御前には御祭神がタマヨリヒメ。美保神社とその摂社にはミホツヒメ。さらにミホツヒメのお墓まであります。これは今後も追いかけていくミステリーに決定です。(出雲大社の歩き方より、)

美穂津姫、 ミホノブルボンしか知らん(笑)、、
最近、最近ではないですが、上記のイラストのタロットカードに三穂津姫がよく登場します (なお、個人方のなので、誹謗中傷等行わない様に、ルールを守って下さいね。) 、なお、他の神様を紹介するつもりでしたが、今回は三穂津姫紹介します。​ 豊受大神の時に紹介した羽衣伝説 ​や​ 瀬織津姫
三穂津姫の伝説は、日本神話において重要な役割を果たしています。彼女は高皇産霊尊の娘であり、大国主神の后とされています。三穂津姫は、国譲りを受けるために天に昇った大己貴神の幸魂奇魂に対し、心を許さないとして、八十万神を率いて皇孫を護るよう命じられました。この伝説は、三穂津姫が天降る神であり、国津神たちを率いて皇孫を守る重要な役割を果たしたことを示しています。


貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)定義: 説話の一類型。若い神や英雄が他郷をさまよいさまざまな試練を克服し,その結果,神や尊い存在となったとするもの。在原業平ありわらのなりひらの東下り伝説,かぐや姫伝説,また,源氏物語の須磨流謫るたくの条などがこれにあたる。

表紙はミホノブルボン、↑はアクリルスタンドも載せております、それをかけての美穂津姫だったりしますが…案外、ウマ娘のミホノブルボンとは縁が遠い…
ロブチェン紹介した時もチラッと書いてましたが、これも一種の貴種流離譚かもしれませんね、美穂津姫はなろう系の令嬢モノを感じずにはいられませんが。そもそも、 大国主命こそ貴種流離譚そのものですがね

ところで、この事を取り上げた時に、10年以上前に出雲大社の権宮司である千家国麿さん、元皇族の高円宮家・典子様のご結婚が話題になった時の事を思い出しました、今はまあ……ご事情はお察しいたします。

(美保神社HPより、)

三穂津姫命
三穂津姫命(みほつひめ)は、日本神話に登場する神である。高皇産霊尊の娘で、大物主神命あるいは大国主神の后。
『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみ登場する。大己貴神(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔した。
ミホツヒメの「ツ」は「の」の意味で、ミホの女神という意味になる。出雲の美保神社(島根県松江市)で大国主神の子の事代主神とともに祀られている。丹波の出雲大神宮(京都府亀岡市)では大国主神とともに主祭神となっており、大国主神の后とされている。三保の松原(静岡市清水区)の入り口にある御穂神社も同様に、大己貴命(ここでは別名を三穂津彦命(みほつひこのみこと)としている)とともに祀られており、「羽衣の松」と縁が深い(御穂津彦命、御穂津姫命という表記もあり)。村屋坐弥冨都比売神社(奈良県磯城郡田原本町)では大物主神とともに主祭神となっており、大物主神の后とされている。
ウィキペディア引用
大国主命(大物主命)の后神として高天原から稲穂を持って降り、稲作を中津国に広めたと謂われる三穂津姫命。后という漢字は正妻の意味です。大国主命の正妻といえば須世理姫神を思い浮かべますが、三穂津姫神は国譲り後、中津国の姫神が正妻であるのは信用ならぬと、国譲りの証と誓いの一つとして高天原より降ったという謂われもあるようです。多くの妻を持った大国主大神の最期の妻であり、天津神と国津神を繋ぎ結んだ姫神であり、新しい時代の始まりの象徴の様にも感じます。(村屋坐彌冨都比賣神社より、)

第八番 美保神社
御神徳・御利益:
五穀豊穣 安産 海上安全 大漁満足 商売繁盛
三穂津姫命(みほつひめのみこと) は大國主神の御后(おきさき)神で、高天原から稲穂を持ち降り耕作を導き給うた農業及び子孫繁栄の守り神。
事代主神(ことしろぬしのかみ) は大國主神の第一の御子神(みこがみ)で、「ゑびすさま」すなわち漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、美保神社も全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきた。
古来、「ゑびすさまは鳴り物がお好き」との信仰があり、海上安全をはじめ諸処の祈願とともに、夥(おびただ)しい数の楽器が奉納され、その内846点が現在、国の重要有形民俗文化財に指定され、日本最古のアコーディオンや初代萩江露友(おぎえろゆう)が所有していた三味線など、名器、珍品もその中に含まれています。
当社の本殿は 「美保造(みほづくり)」 と称し、大社造(たいしゃづくり)の本殿を左右二棟並立させ、その間を装束の間でつなぎ、木階を覆う向拝(こうはい)を片流れに二棟通しでつけるという特殊な様式として、また屋根についても桧皮葺(ひはだぶき)の共皮蛇腹(ともがわじゃばら)で国の重要文化財に指定されています。年間通じてさまざまなお祭りが執り行われるが、中でも12月3日の諸手船(もろたぶね)神事と、4月7日の青柴垣(あおふしがき)神事は、古伝祭としてあまねく知られています。
縁起 :全国各地にある事代主神を祠る「えびす社」3,385社の総本宮として、北は北海道から南は沖縄まで特に水産・海運・商業に携わる人々から広く信仰されてきました。えびす様は右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える御姿で親しまれています。魚釣りを好まれ、「漁業の祖神」として崇敬されてきたのは、事代主神が美保の地(沖ノ御前・地ノ御前と云われ美保神社の飛地境内)において日本の文献上、最初に魚釣りをされたことが所以です。(出雲國神仏霊場を巡る旅より、)

三穂津姫と事代主
揖屋神社の伝説

三穂津姫と事代主は美保関の美保神社にともに祀られている。三穂津姫が大国主の妻で、事代主は大国主の子とすると、母子で祀られていることになるのだが、三穂神社と中海を挟んで対岸の揖屋神社には二人は恋人同士であるという伝説がある。
”出雲美保関の美保神社に関聯して、八重事代主神の妻訪ひの物語がある。此神は、夜毎に海を渡つて、対岸の姫神の処へ通うた。此二柱の間にも、鶏がもの言ひをつけて居る。海を隔てた揖夜(イフヤ)の里の美保津姫の処へ、夜毎通はれた頃、寝おびれた鶏が、真夜中に間違うたときをつくつた。事代主神はうろたへて、小舟に乗ることは乗つたが、櫂は岸に置き忘れて来た。拠なく手で水を掻いて戻られると、鰐が神の手を噛んだ。此も鶏のとがだと言ふので、美保の神は、鶏を憎む様になられた。其にあやかつて、美保関では鶏は飼はぬ上に、参詣人すら卵を喰ふことを戒められて居る。喰へば必、祟りを蒙ると言ひ伝へて居る。”
事代主は鶏を嫌っている。その理由が三穂津姫のもとに通ったときに鶏が鳴いたせいで鰐に手を噛まれたからだと言う。
三島の溝樴姫
また、江戸時代に書かれた出雲史の研究書にこのような記述がある。
事代主命三島溝樴姫に通給ふ毎夜雞なきて別たまふ、故に揖屋意東出雲江大草多久島美穂關にも今も雞を飼ことを忌といへり、三島とは三穂島の事なり(雲陽誌)
事代主が通った三穂津姫は三穂島の溝樴姫のことだと言う。三島の溝樴姫は鴨氏の祖で、その娘が産んだ子が、神武天皇に嫁ぐ。またの名を櫛甕姫とも活玉依姫とも言う。
また同じカモを冠する賀茂県主の祖もよく似た伝説があり、こちらの系図は天御影、息長大姫と繫がる。三島の溝樴姫は、石見の伝説で、御衣織姫と同一とも言われた姫だ。樴と織がいずれかの時代に誤字で通ったのだとすれば、もとは美保島の御衣織姫だろうか。事代主は、恵比寿信仰で恵比寿神と習合しており、美保神社は恵比寿社の総本社となっている。また楽器好きの神らしく、楽器が奉納されていることでも有名だ。(Yubaより、)


(神社や関連のHP等には、誹謗中傷等行わない様、ルールは守って下さいね。) 。この建物は昭和3年に建立された拝殿で意外と新しい、  デザインを担当したのは伊東忠太で、明治から昭和にかけての建築家、彼のデザインに橿原神宮(奈良県)、平安神宮(京都府)、  宮崎神宮(宮崎県)、弥彦神社(新潟県)、 東京都の明治神宮(戦災焼失前のもの) 、 築地本願寺、靖国神社遊就館などともかく国指定重要文化財、登録文化財が目白押ですね。

なお、大国主命、大物主神は全く違う仰る方もいますが、一応、今回は同一のものとして捉えています。
須勢理毘売命が正妻ですが、三穂津姫は高齢になってからの正妻、はい、政略結婚ですね。恐らく、直後にお隠れになられてのでしょう。美保神社の事代主は義理の息子とされていますが、そもそも、一緒に居ること自体が不思議、考えらるのは大国主命のお隠れなられた後に、息子である事代主と婚姻関係結んだものと考えられます、将軍や天皇や皇帝が亡くなったのちは妃は喪に付き、出家等しますが、それはだいぶ経ってからの事。恐らく、この時はまだ幼かったし、嫁いで日が浅いかったのだと思われます。次期天皇や皇帝等に嫁ぐ事はよくある事、恐らく、この場合も高天原から来た令嬢なので大切に扱われていたでしょうが。まあ、それでも混乱は起こりますが、、高御産巣日神が釘を刺しているのはそういう背景もあったのかなと推察されます。
しかし、 少彦名命 は高御産巣日神の息子なんですね、文献よって違うのでそこは…しかし、事代主も音楽が好きとか、海の神様音楽好きなんですね、「イカれたメンバーを紹介するぜ〜」事代主はロック⁇、いや、演歌歌手やん、、例えば、北島三郎とか、、まつりやし。ちなみに、顔を出さない阿曇磯良はAdoかも。

(須佐神社 三穂社より、)

出雲神話①三穂津姫は出雲・美保の神か
〜丹波の出雲大神宮〜
京都府の出雲大神宮

京都府亀岡市に鎮座する、丹波国の一の宮「出雲大神宮」。 京都の「出雲」だ。誰でも知ってる有名な「出雲大社」は、明治4年までは「杵築大社(杵築宮)」と称していたので、江戸時代までは「出雲社」といえば当社のことを指したようだ。(参考『大日本国一宮記』)
日本書紀には、こんなエピソードがのっている。
崇神天皇60年(長浜浩明さんの計算では西暦237年ごろ)のこととして、出雲王の「振根(ふるね)」が「四道将軍」の吉備津彦命らの手で誅殺されたあと、ヤマトを怖れた出雲の人たちが「出雲大神」の祭りを中断していたという。するとなぜか「丹波」の幼児の口を通じて、 「出雲大神」が祭祀の再開を要求してきたそうだ。んで、これこそが、丹波の出雲大神宮の創始だという説もあれば、いやいや幼児が住んでいた「氷上(丹波市)」は、出雲大神宮の亀岡市からは遠すぎるという説もあって、いろいろ賑やかなようだ。出雲大神宮の現在の祭神は「大国主命」と「三穂津姫(ミホツヒメ)命」の二柱。ただ『大日本国一宮記』には祭神について、「大己貴命の妻、三穂津姫なり。父は高皇産霊尊」とあるので、少なくとも室町時代まではミホツヒメの一座だったようだ。
日本書紀のミホツヒメ
日本神話でミホツヒメが登場するのは、日本書紀の神代第9段(葦原中国の平定)、第二の「一書(あるふみ)」だけ。「一書」ってのは正伝である本文に対する異伝・参考文のことで、本文より小さな文字で書かれている。んで、その一書にはこんなことが書いてある。国譲りを迫ったものの、オオナムチ(大己貴神)に拒絶されたフツヌシ(経津主)とタケミカヅチは、天に戻ってタカミムスビ(高皇産霊尊)に相談して、オオナムチが納得できる条件を持参してきた。オオナムチには巨大な宮殿が与えられ、出雲臣の祖アメノホヒ(天穂日命)による祭祀を受け、幽界の神事を担当することになったのだ。続いてフツヌシによる「葦原中国」の平定が行われ、このとき帰順してきた首魁に、オオモノヌシ(大物主)とコトシロヌシ(事代主)がいた。タカミムスビは、大物主に娘のミホツヒメを娶せることで忠誠心を確認すると、皇孫の守護神となるべく地上に降ろすのだった・・・。
ミホツヒメはどこに降りたか
ミホツヒメを祀る神社には松江市の「美保神社」もあるが、出雲国風土記を読む限りでは、美保神社の元々の祭神は「ミホススミ」という神さまだったようだ。日本書紀のミホツヒメは、「皇孫」の守護のために降臨するオオモノヌシに嫁いだんだから、そもそも出雲の美保に現れる理由はない。一方、「皇孫」の守護を命じられたオオモノヌシだが、ニニギに随って日向の高千穂に降りたとは考えにくい。ニニギの子孫である神武天皇が、「大和」で娶った「ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛)」は、オオモノヌシ、もしくはコトシロヌシの娘だと、日本書紀に書いてあるからだ。当然、オオモノヌシもコトシロヌシも、未婚の娘のいる大和に暮らしていたはずで、降臨した場所も大和と考えるのが無難だと思う。そうしてみると、話をややこしくしてるのは「皇孫」が誰なのかだ。もしも「皇孫」が大和に降臨したのなら、ミホツヒメはオオモノヌシと一緒に大和に降臨し、オオモノヌシの娘はその「皇孫」に嫁いだというシンプルな話になるのだ。
日本書紀の「一書」が意味するもの
神話をそのまんま捉えれば矛盾だらけで訳が分からなくなるが、この一書が日本書紀の別の事件を象徴してるのだと考えれば、その意味も見えてくる気がする。
登場する神々を整理してみれば、こう。
・フツヌシといえば、のちにヤマトの軍事氏族として活躍した「物部氏」の祖神。
・フツヌシに平定されたオオモノヌシは、大和・三輪山の「三輪氏」の祖神。
・同じく恭順したコトシロヌシは、大和・葛城の「鴨氏」の祖神。
日本書紀によれば、神武天皇の大和入りを阻もうとするナガスネヒコは、それより前から大和に入っていた物部氏の祖「ニギハヤヒ」によって殺害され、東征は大きく前に進んでいる。細かい記述はないが、この後、引き続き物部氏が神武天皇のために戦い、多大な貢献をしたことは、その後の物部氏の歴史からも間違いがないところだろう。そんな物部氏が屈服させた「大和土着の豪族」に、「三輪氏」と「鴨氏」がいたとしたら・・・。件の一書でタカミムスビがいう「皇孫」とは、「神武天皇」のこと・・・になるんだろう。オオモノヌシが降臨したのちの、神々による皇居の造営なども、ニニギというより神武天皇の橿原宮の方が、情景的には合っているようにぼくには思える。
オオクニヌシとオオモノヌシ
ところでこの一書が伝えている最重要ポイントは、しばしば同一神といわれるオオクニヌシ(大己貴神)とオオモノヌシ(大物主)は、全く別の神だ、ってところだろう。一つの文脈の中で、別の神格として一柱は幽冥界に、もう一柱は皇孫の守護神に、と言うんだから、そりゃー別の神なんだろう。それに、分霊だとしたら祭祀が違いすぎる。オオクニヌシには祀ってくれる直接の子孫(氏族)がいないのか、アマテラスの次男「アメノホヒ(天穂日命)」が祭祀を行うことが決められている。一方、オオモノヌシの方は、崇神天皇の時代、自ら子孫のオオタタネコ(大田田根子)にワレを祀らせよ、と祟りをおこしている。本来の祭祀氏族は、オオタタネコということだ。両神が同一神だというのなら、オオクニヌシ(大己貴神)もオオタタネコが祀ればいいんじゃないだろうか。だいいち、大物主=大国主なら、なんで大物主は「怨霊」として封印されていないのか!!(笑)それは冗談としても、ミホツヒメが登場する一書を見るかぎり、大国主とオオモノヌシは別の神で、かつ大国主は後裔氏族もいない観念的な神で、オオモノヌシは神武東征の前から大和に土着していた三輪氏の神・・・。とりあえず今のところ、そういう印象がぼくにはある。(ぼくらの日本書紀より、)

流星と昴の日本神話
火の章 三穂津姫

高皇産霊尊の娘。流星の神・大物主神の妻となり、天降った神。
高皇産霊ヒ尊の娘、大物主神の妻
三穂津姫(ミホツヒメ)は高皇産霊尊の娘で、流星の神・大物主神の妻である。
丹波国一宮とされる出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町出雲無番地)や、村屋坐弥冨都比売神社(奈良県磯城郡田原本町蔵堂426)などで祀まつられている。『日本書紀』神代下第九段一書第二の記述によれば、経津主神、武甕槌神による葦原中国(地上)の平定によって大己貴神は国を明け渡して現世を去り、帰順した大物主神、事代主神は国津神を統率して天に昇る。高皇産霊尊は娘の三穂津姫を大物主神の妻とし、国津神を率いて皇孫を護るよう大物主神に命じて地上へ還り降らせたという。つまり三穂津姫は天降る神である。天降る神であるという点から、流星に由来する神である可能性がある。
各文献における名前
『日本書紀』……三穂津姫、『先代旧事本紀』……三穂津姫命
「美保の女神」ではない
三穂津姫の「ミホ」は出雲国島根郡美保郷の「美保」と関連があると解釈されて、現在ではこの地にある美保神社(島根県松江市美保関町美保関608)に事代主神と共に祀まつられている。しかし大物主神は奈良の三輪山の神であり、『出雲国風土記』にも登場していないので、その妻の三穂津姫と出雲の美保郷に本来関連は無いと考えられる。『出雲国風土記』島根郡美保郷の条においては御穂須々美命という神がこの地にいて美保の地名の由来とされている。しかし御穂須々美命は天の下造らしし大神(大己貴神)と高志国(現在の北陸地方)の奴奈宜波比売命の子であり、高皇産霊尊の娘である三穂津姫とは別の神である。
神名解釈
三穂津姫は前述したように流星の神・大物主神の妻であり、三穂津姫自身も天降る神である。このため、神名の三穂津姫を解釈すると、
ミ……「水」つまり「水」(『時代別国語大辞典 上代編』三省堂)。
ホ……本章冒頭で述べたように「星」を「火」に見立てたもの。
ミホ……「水火」つまり「水のように流れる星」である「流星」の意。
ツ……古語で「〜の」を意味する連体助詞。
ヒメ……女神の神名末尾のパターン。
これにより三穂津姫は「水のように流れる星の女神」「流星の女神」と解釈できる。なお、神名中の「ミホ」が「流星」の意と考えられる他の例としては、豊御富(別名、井光、水光姫など)がある。
御穂須々美命の意味
御穂須々美命の神名についても解釈しておく。『出雲国風土記』意宇郡の条によれば、以前は出雲国の国土が狭かったため、八束水臣津野命が他の国々から余っている国土を引いてきて広げたという。三穂(美保)の埼さきについては、高志の都都の三埼から引いてきたとされ、この「高志都都三埼」は石川県の能登半島先端にある珠洲に比定されている。この国引き神話から美保と珠洲の二つの地には移住などの交流があったと考えられる。つまり御穂須々美命(ミホススミ)を解釈すると、
ミホ……地名の「美保」。
スス……地名の「珠洲」。
ミ……神名末尾のパターン。
これにより御穂須々美命は「美保と珠洲の神」と解釈できる。『出雲国風土記』では美保の地名は御穂須々美命の神名に由来するとされているが、実際はその逆ということになる。なお、御穂須々美命は石川県珠洲市の須須神社にも祀まつられている。
隕石: 余談だが、一九九二年には美保関町に美保関隕石が落下しており、続いて一九九五年には石川県に根上隕石が落下している。根上隕石は駐車していた自動車を直撃したが、その車種はスバル・レオーネであった。ここ二百年における日本での隕石の落下・発見は、一八三七年の米納津隕石から二〇二〇年の習志野隕石まで四十九件(落下三九件、発見十件)の記録があり、約四年に一度の頻度である。
まとめ
三穂津姫……流星の神の妻、天降る神
流星の神・大物主神の妻。天にいる高皇産霊尊の娘であり、大物主神の妻となって天降った神。
三穂津姫のミホは「水火」つまり「水のように流れる星」である「流星」の意。(書籍『流星と昴の日本神話』の内容を著者がWeb公開したものです。)


最後に考察を乗せています、考察するのはやっぱり楽しいですね、三穂津姫命はどちらかと言えばマイナーよりの神様ですが、島根では須佐神社等にも末社がございます (神社や関連のHP等には、誹謗中傷等行わない様、ルールは守って下さいね。) 、考察が結構ございました、その背景の方の方が大きいけどね、だって出雲神話の最後の最後クライマックスやし、大物主も疫病ばら撒く等の怨霊の側面もありますが、、国譲りされた側だから、今でも屈辱を忘れない為の祀りも伝わっています…が、しかし、大国主命はアホな位に妻がいたからね、最後の妻が一体何者かが気になるかと、しかし、大国主命ほぼ種牡馬、、アカン、誰か止めてもうて。そもそも、編纂のがバラバラなのがありますけど、それにしても、、流星の神というのがまたエモい。
次回は50回目になるのでそれなりの方を紹介せねば、、大物神様はまだまだ居ますし、しかし、一体いつになるのかな…

第49回 大国主神(大物主神命)の后 三穂津姫命ついて でした。





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最終更新日  2026年06月06日 22時54分51秒
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