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今日はいつになく、蒸し暑い日になっています。
ブログの画面をマイナーチェンジし、これからはアート作品の販売・紹介は左のフリーページで行っていきますのでよろしくお願いします。
ここ数日は、午後4時から始まる「ガリレオ」というTVドラマを毎日観ていました。
東野圭吾さんの原作で、再放送なのですが、なんとなくTVをつけた時に映ったのがきっかけで、毎日観るようになりました。
毎回、一話完結で、天才科学者の湯川学が、警察が解決ができない事件を、科学的分析に基づいて、ことごとく解決していくストーリーなのですが、これが結構おもしろく、ハマッテしまいました。
僕にはとても書けないような内容で、東野圭吾さんの頭の中はどうなっているんだろう・・・、原作の小説ではどのように書かれているのだろう・・・、どのように作ったんだろう・・・と強い興味を覚え、さっそくアマゾンで原作の「探偵ガリレオ」を注文してしまいました。
科学といえば、私は子供の頃、とても科学が好きで、物事の神秘を解明するのが好きでした。
科学の限界に気づいたのは18歳の頃でしょうか。
この世は科学で説明のつかないことがある、いや、説明のつかないことがあるどころか、科学で説明できることは、この広大な宇宙のほんの少しでしかない。
そういうことに気づいてしまった。
それからは180度の意識の転換で、スピリチュアル世界、精神世界を10年以上もさ迷ってきたわけです。
しかし、今回観ることになったドラマ「ガリレオ」は、それはそれでおもしろい。
科学的分析、論理的思考というのも、結構おもしろいな・・・と感じています。
さて、ここから私なりの「科学」というものの解釈になりますが、科学とはやはり、宗教の一種であるということです。
こんなことを書くと、びっくりされる方が多いと思いますが、私も天才です(笑)
これぐらいのことは書きますw
科学法則というものは、実は時代によって変わるものです。
時代によって変わるというよりも、人々の集合意識によって変わります。
人々の意識が「科学法則は絶対で、完璧に信頼できるものだ」と固く信じていますので、実際にそうなっています。
これは一つの信仰といってもよいもので、宗教を信じる心と同じものです。
しかし、最近では、その絶対不変の科学法則が通用しなくなりつつあるようで、科学者のリサ・ランドールさんが先駆的な研究をされています。
科学もおもしろい時代に入ってきたものです。
さて、今日はどうやって最後の文章を締めようかと考えていますが、終わり方がよくわかりません。
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