リタイヤ ガーデニング

リタイヤ ガーデニング

May 24, 2010
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少し前までは、パチンコにあけくれていた。いつかはこうなる日がくるのでは・・・と薄々感じていた。そしてそれは永遠に来ないようにと願いながら、でもそうはいかないことは分かっていたはず。そしてとうとうその時がきた。

 自分で自分の体を動かすことができない。そこにある、コップを手に取ることができない。「うんぐあんぐ・・・ごご・・げお」
なに?
何度も聞き返され頭にくる
「っがが、こうう・・・ぶーー!」もういい!
言葉にならない。

首を振りうなだれる。こんなはずじゃあなかった・・・とでも云いたそうだが言葉にならない

 ひととしてみるとこういうことだ。がしかし”ひと”という感情を持った”いきもの”として見るのではなく、動きの悪い”いきもの”壊れたロボットとしてみると。

 飲み込めない、ご飯を寒天状にしたものを一口スプーンですくって口にいれる。味はない。少し噛んでみる。味はない。飲み込もうとしても喉が受け付けない、それを無理やり飲み込む。



そばにいた人が「もういい?」
うなずく

引き膳・・・・朝食の終了。

かつては、大きな口をあけて、あったかいご飯をほおばり、味噌汁を流し込んだ。
「そんな食べ方して!」妻から笑いながらも言われる。
うまい!

 もうあの時代は帰ってはこない。

 いつの頃からか、動きが鈍ってきた。何をするのもおっくうだ。ただひたすら眠る。
尿意をもよおしても便所に行こうという気力がない。そのまま・・・
さすがに大便は便所でした、当初は。しかしこれもやgてはそのまま。

そして畳は腐り、床は抜ける。




どうしよもなく病院へかつぎ込まれた。検査結果・・・・病気が見つかる。
わずかな酵素の不足によるもの。

退院はしたが、家族からは既にみはなされていた。毎日毎日毎日の、暴力と暴言。

 誰が見ても「生きるに値しない存在だ」と見える。

この”ひと”を人間として見るか、生物としてみるかそれによって、焦点が異なる。


食べようとしないひと
ぐうたらなひと
生きる意欲の乏しいひと
もともと、真面目に生きようとはしていないひと

こう考えると、ひとを否定する思考と疾患そのものに焦点をあてた、思考がある。

私は、学生時代看護は人を全人間としてまるごと捉えましょうと教わった。
そのまるごとにとらわれすぎて、疾患を見失っていた。

家族から見放されてかわいそう、あの人は行く場所がなくてかわいそう、人生の最後を迎えるときに、一人ピンクのカーテンに仕切られた中で、邪魔くさそうに介助されておいしくもないご飯を口に入れられてかわいそう、・・・かわいそう・・・かわいそう。

人生の最後かもしれない。行く場所がないかもしれない。が、

看護の注目、焦点はそこではない。怒ってる





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Last updated  May 24, 2010 07:20:37 PM
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