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名声が何になるでしょう。 子供のオモチャのようなものです。 何の価値もありません。 そもそも名声はどうやって得られるか、考えてみなさい。 お金があるとか、世間的に出世したとかで名が知れたに過ぎません。 キリストはそんな名声は一切求めませんでした。 先師、聖者、先駆者、改革者と言われた人たちは、名声を求めたでしょうか。 大切なのは、どれだけ人のために役立つことをしたかであり、名前ではありません。 ですから、有名人の名前を名乗って出る霊には気をつけた方がよろしい。 判断の基準は、何と名乗っているかではなく、どんな態度でどんなことを説いているかです。
2017.01.31

私たち霊は常に人生とは対照の中で営まれていると言っています。 愛が逆になったのが憎しみであり、勇気が逆になったのが臆病です。 どちらも同じ棒の両端を表現したものです。 私たちはまた、低く沈んだだけ高く上がることが出来るとも言っています。 臆病を勇気に、憎しみを愛に転換できるということです。 人間の精神には、複雑な感情や想念がたくさん渦巻いています。 それをうまくコントロールするところに、あなたの成長があり、進化があり、低いものが高いものへ転換されるのです。
2017.01.30

地上には何十億と人間が存在し、みな成長段階も進歩の速度も違い、進化のレベルも違います。 従って、全ての人に当てはめられる型にハマった法則、物的な規則はありません。 固定した基準を使用すれば、ある人には厳しすぎ、ある人には厳しさが足りないことになります。
2017.01.29

動機が何であるか 一 これが最後の試練です。 魂の奥の静かな、そして小さな声が反発するために、戦争への参加を拒否する人と、これが国へ尽くすことになるという考えから、つまり奉仕的精神から敵を殺す覚悟と同時に、自分も死ぬかも知れないという覚悟で戦場へ向かう人とは、私たち霊から見て上下の差はありません。 動機が最も優先的に考慮されるからです。
2017.01.28

神は人間に理性という神性の一部を植えつけました。 あなた方も是非その理性を使用してほしいのです。 大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する 一 それは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものは少しも変わりません。 神の法則に照らして、その過ちを正すまで、罪は相変わらず罪として残っています。 いいですか、それが神の法則です。 キリストが言ったとされる言葉を、聖書からどんなに引用しても、その法則は絶対に変えることは出来ないのです。
2017.01.27

大半の人間は、地上だけが人間の住む世界だと考えています。 今の生活が全てと思い込み、物的なものを、いつかは残して死んでいかねばならないのに、せっせと蓄積しようとします。 戦争、流血、悲劇、病気の数々も元はと言えば、人間が今この時点ですでに霊的存在であること、つまり人間は肉体だけの存在ではないという、生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。 人間は肉体を通して自分を表現しているスピリットです。 地上という物質世界での人生を通して、魂を成長させ発達させて、死後に始まる霊界生活に備えているのです。
2017.01.26

あなた方人間こそ死者です。 本当の生命を知らないという意味で、立派な死者です。 神の宇宙の美しさが見えません。 地上という極小の世界のことしか認識していません。 すぐ身のまわりに、雄大な生命の波が打ち寄せているのです。 愛しい人たちは、そこで生き続けているのです。 そしてその背後には、幾重にも高く界層が広がり、測り知れない遠い過去に同じ地上で生活した人々が無数に存在し、体験から得た叡智を役立てたいと望んでいるのです。
2017.01.25

あなた方もいつかは寿命を全うして、その肉体に別れを告げる時が来ます。 あなた方のために尽くして古くなった衣服を脱ぎ捨てる時が来ます。 土の束縛から解放され、死の彼方で待つ人たちと再会することが出来ます。 そのめでたい第二の誕生にまとわりつく、悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。 そして魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげなさい。
2017.01.24

死によって苦痛と老いと疲労と憂鬱から解放された人をなぜ悲しむのでしょう。 暗闇から光明へ向かった人をなぜ悲しむのでしょう。 探求心を心ゆくまで満足できるようになった人をなぜ悼むのでしょう。 それは間違っています。 その悲しみには利己心が潜んでいます。 自分が失ったことを嘆いているのです。 自分が失ったことを、自分で耐えなければならないことを嘆いているのです。 自分を包んでくれていた愛を失った、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。
2017.01.23

霊の地上への働きかけは、必要な条件を人間が整えるかどうかに掛かっています。 霊の世界と交流できる条件を整えれば、身近な霊が働きかけることが出来ます。 よく聞く不思議な体験、奇跡的救出の話は全てそれなりの条件が整った時のことです。 条件を提供するのは人間です。 人間から手を差しのべてくれなければ、私たち霊は人間界に働きかけることが出来ません。
2017.01.22

霊界のある霊が、知識を伝えることで地上世界を良くしようと思ったとします。 その時、その霊が地上で有名人だったら、身元を明かすことを躊躇するものです。 少なくとも当分は明かしたがりません。 それは、その霊が地上と通信するそもそもの目的とは無関係であり、そんなことで余計な混乱を招きたくないからです。
2017.01.21

長い年月をかけて徐々に、全人類が自分の心霊的能力に目覚めるでしょう。 が、ここで但し書きが必要です。 心霊的能力を発揮することが、必ずしも霊的進化のレベルと一致しないということです。 霊的身体が持つ能力を全て発揮しても、魂そのものは少しも進化していないということもあり得ます。 本当の意味で霊的に進化しはじめるのは、人のために役立つことを目的として、霊界のスピリットの協力を得ながら心霊的能力を開発した時です。
2017.01.20

人間にとって最大の恐怖は死でしょう。 それが少しも怖くないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配するのでしょう。 不幸の訪れの心配は、その不幸そのものより大きいものです。 その心配の念が、現実の不幸より害を及ぼしています。
2017.01.19

人間には三つの側面があります。 魂と精神と肉体です。 人間としての個性を存分に発揮できるのは、この三つの側面を意識し、うまく調和できた時です。 物的世界だけ意識し、物的感覚にしか反応しない人間は、精神的や霊的な面で得られる、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことは出来ません。 反対に、精神的や霊的な面ばかりの瞑想生活から生まれる内的満足だけを求め、この世の人間としての義務をおろそかにする人間は、一種の利己主義者です。
2017.01.18

私たち霊が地上の人々にもたらすことが出来る最高の霊的知識は、人生が死によって終わらないことです。 苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、みなもう一度やり直すことが出来るのです。 つまり悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。 人生は死後も続きます。 永遠に続くのです。 その永遠の旅の中で人間は、内部に宿る能力、地上で発揮できなかった才能を発揮するチャンスが与えられます。 同時に、愚かにも法則を無視し、他人への迷惑も考えずに横柄に生きた人間は、その悪行の償いをするチャンスが与えられます。
2017.01.17

身体が病むということは、精神か魂のどちらかに不自然なところがあることを意味します。 魂が正常で精神も正常なら、身体も正常です。 身体に出る症状は全て魂と精神の反映です。 これを医学では心身相関医学と呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。 大切なのは、いつの時代にも変わらない真理です。 魂が病めば身体も病みます。 魂が健康なら身体も当然健康です。 身体の治療、これは大切ではありません。 魂の治療、これが大切です。
2017.01.16

人間の健康を動物の犠牲のもとに得ることは、神の計画にはありません。 全ての病気にはそれなりの治療法が用意されています。 その神の用意した自然な方法を無視して動物実験を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。 動物はそんな目的のために地上にいるのではありません。 真の健康は調和です。 精神と魂と肉体の正しい連係関係です。 三つの機能が一体になって働くということです。 これは動物を苦しめたり、体内から特殊成分を抽出したりすることで得られるのではありません。
2017.01.15

あなた方人間は物的身体を通して自分を表現している霊魂です。 霊魂に霊的法則があるように、身体には生理的法則があります。 その法則の働きによって、身体に何らかの影響が表れれば、それも原因と結果の法則が働いたことを意味します。 私たち霊は霊力によって手助け出来ても、その法則の働きによる結果に対しては手出し出来ません。 つまり奇跡は起こせないということです。 大自然の因果律は変えられないということです。 神は法則として、自ら創造したこの宇宙で一瞬の休みもなく働いています。 全てを包み、木の葉一枚落ちるのにも法則の働きがあります。
2017.01.14

時には万策つきて万事休すとあきらめかけた、その最後の一瞬に救いの手が差しのべられることがあります。 霊的知識を持つ人は、どんな苦境の中でも、内なる冷静、不動の静寂、どんな状況でも恐れず立ち向かう心を失ってはいけません。
2017.01.13

地上へ生まれてくる時、魂そのものは地上でどんな人生をたどるかを、あらかじめ知っています。 潜在的大意識の発達にとって、必要な資質を身につける上で、そのコースが一番効果的なことを納得して、その大意識の自由意志で選択します。 その意味であなた方は、自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。 その人生を生き抜き、困難を克服することが、内部に宿る資質を開発し、本当の自分、より大きな自分に新たな神性を付け加えることになるのです。
2017.01.12

霊媒ばかりが、霊力の通路ではありません。 芸術家や哲学者や科学者を通しても発現できます。 あなた方の霊的意識を深める行動、あなた方より恵まれない人の役に立つ活動に携わることです。 看板は何でも構いません。 関わる宗教、政治、芸術、経済が、どんな主張をしようと問題ではありません。 実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。
2017.01.11

恐怖心は無知の産物にほかなりません。 知らないから恐がるのです。 ですから、知識を持ち、霊的理解の中で生きることです。 取り越し苦労の絶えない人は、心の中にその無知という暗闇があることを表しています。 そこから恐怖心が湧くのです。 人間が恐れるべきものは、恐怖心そのものです。 恐怖心は闇の産物です。 霊力に不動の信念を持つ魂は、恐れることを知りません。
2017.01.10

人間は物質の中に埋もれた生活をしているために、バイブレーションが低くなっています。 朝目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、わずらわしいことや心配事の波に呑み込まれています。 大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎないものなど色々あります。 いずれにせよ、全ては一時的なものに過ぎないのですが、そういうものに心を奪われると、背後霊が働いている事実を忘れ、あなた方の思考の流れから霊的要素が閉め出され、霊力の流入を遮断する壁を作ってしまいます。
2017.01.09

神は一瞬の休みもなく働き、全存在のすみずみまで完全に知り尽くしています。 神は法則として働き、晴天の日も嵐の日もともに神の働きです。 有限なる人間に神を裁く資格はありません。 宇宙を裁く資格もありません。 地球を裁く資格もありません。 あなた方自身さえも裁く資格はありません。 物的尺度があまりに小さすぎるのです。 物的尺度で見る限り、世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北ばかりに思えるでしょう。 当然かも知れません。 しかし、それは極めて偏った間違った判断です。
2017.01.08

人生に過ちはつきものです。 その過ちを改めることによって、魂が成長するのです。 苦難や障害に立ち向かった人が、気楽な人生を送っている人よりも、大きく力強く成長することこそ、本当の意味での “ご利益” と言わねばなりません。 何もかも上手くいき、日向ばかりを歩み、何一つ思いわずらうことのない人生では、魂の力は発揮されません。
2017.01.07

悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも、特に深い意味があります。 それが魂の琴線に触れた時、一番よく魂の目を覚まさせます。 魂は物的身体の奥深くに埋もれているため、それを目覚めさせるには余程の体験が必要です。 悲しみ、病気、不幸などは地上の人間にとって、教訓を学ぶための大切な手段です。 もしもその教訓が簡単に学べるなら、大した価値はないことになります。 悲しみの極み、苦しみの極みでのみ学べるからこそ、その段階に来ている魂にとって深い価値があるのです。
2017.01.07

霊が生命であり生命が霊です。 霊のないところに生命はありません。 物質は殻に過ぎません。 霊という実在によって投影された影に過ぎません。 物質自体には存在はないのです。 あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、熟考できるのは、あなたが霊だからです。 霊があなたの身体を動かしているのです。 霊が離れたら最後、その身体は崩壊し、元の土くれに戻ってしまいます。
2017.01.05

あなたはその身体の奥に、神の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、ミニチュアの形、小宇宙の形で持っているのです。 その神性を開発し、それを人生の原動力にすれば、心配も悩みも不安も立ちどころに消えてしまいます。 なぜなら、自分の力で克服できることを悟るからです。 その悟りを得ることこそ、あなた方が成し遂げることです。 それは簡単ではありませんが……。
2017.01.04
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