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2014年03月31日
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今一番習得したいつまみ細工。可愛い。悶絶。 【2013年新作】【七五三】古布の四君子パッチンセット 梅・菊・撫子の髪飾り【三歳用】
2013年06月09日
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昨年の秋に大ヒットしたデニムの再生産が決定しました。わたくしも愛用してます。ご予約はお早目に♪ 【an to you】【予約受付中】Richなビジュー★パール&チェーン使いノーカラーデニムGジャン インディゴブルーデニム M【ATY-0025】【送料無料】
2012年07月18日
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ソウルシスターの広告にわたくしこっそり着用しました。キラキラビジューはやっぱりお気に入り。152センチの私が丈直しいらないのも魅力です。 【送料無料】【an to you】待望の再入荷☆クラッシュスキニーデニム☆カラフルビジューがキュート☆ホワイト S/Mサイズ【aty-0080】
2012年07月04日
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中山友里ちゃんプロデュースブランド。カタログのお写真はこちらです。 【送料無料】【an to you】デニム切り替えシャツワンピースwhite×indigo Mサイズ【ATY-0069】
2012年06月16日
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今日の気分はこちらのドレスワンピース。 【送料無料】【an to you】ホワイトガーデンで優雅なひと時 ローズワンショルダーワンピ Mサイズ♪黒
2012年06月07日
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店長のお気に入りスカート。立体感と柔らかさがまるで薔薇のようです。 【送料無料】【an to you】まるで咲き誇るブラックローズ♪パール&ビジューonシフォンブラックスカート Mサイズ
2012年06月04日
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実はマリーマリー初代キャラはうさぎでした・・・ 働く店長の図。(スーパーセール延長)
2012年06月04日
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お久しぶりです。北新地のホステスもそろそろ丸4年。お客様にかってにブログをストーカーされたことに腹が立ち某有名SNSのほうに移動しておりました。そこでいろいろとビジネスチャンスをいただきやっと一坪ショップのほうもお店らしく品揃えができてきました。現在はLEG AVENUE、今後大ブレイク間違いなしのトータルサロンルーチェの商品を扱っていきます。LUCEに関してはまだ3点しか商品は並べられていませんが年齢関係なくお手ごろな値段でおしゃれを、という昔からの私のコンセプトにあったアクセサリーです。とにかくジルコ二アの輝きに一目ぼれ・・・起業を目標にいろいろ模索してきましたがこれからが本当のスタートです。商品の数も増えていきますのでぜひまた成長を見てやってください。また別ブログで美容やおしゃれについて書き綴っていこうと思います。ときおりこちらも更新しますね。お久しぶりの皆々様からレスいただけるととっても喜びます!
2007年05月30日
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昨冬よりフリマはお休みモードで回転しておりましたがぽつぽつと商品は売れておりました。今年1月から母親の体調不良や先週私が寝込んでいたことなどで楽天からのメールのチェックをするのが遅くなりたった数百円の利用料金の自動引き落としができなかった、期限以降に気が付いたという理由でフリマの利用が停止となりました。楽天のほうに交渉しましたが再開は不可能というお返事を頂きました。3年間で千件近い数百の評価を頂き、約150人のお客様が新商品の到着メールに登録してくださってました。祖母との思い出がたくさんつまったフリマを一瞬にして無情にもデーターが消えてしまい再開すらも検討していただけないとのことで大変哀しく悔しい思いをしておりますがここに報告させていただきます。しばらく一坪ショップのほうのみでの営業となりますが膨大な商品データーを登録しなおすには気が遠くなるような時間を要します。こちらのHPの移転、もしくは閉鎖というカタチを取らざるを得なくなり更新のほうを停止いたします。一から出直しということになりますがしばらく長い目で見守っていただけますようお願いいたします。楽天さまより>このため、佃様のご事情も考慮いたしまして、あらためてご利用の継続について、検討させていただきましたが、楽天フリマ/EasySeekのご利用の再開はお受けいたしかねる状況となりますこと、何卒ご了承ください。この度の弊社の対応にて、ご気分を害されたようでございましたら誠に申し訳ございませんでしたが、そのようなことは、弊社の本意とするところではございませんことをご理解いただければ幸いに存じます。
2005年03月05日
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大学を卒業して歌を辞めてから立ち直るまで2年の歳月がかかり祖母が倒れそして闘病に2年、そしてその後バーンアウトシンドロームにかかった母との闘いが丸2年。まだすべてが終ったとは言い切れませんが本当に少しづつ本来の自分を取り戻しつつあります。自分でも驚くくらい走り続けていて心も身体も疲れ果てていたことにやっと気が付きました。私は一生懸命走っていたつもりなのに実は亀よりも遅く歩いていたようで気が付けば周りの仲間達は結婚し、親になって、確実に変化を遂げていきました。昨夜部屋を片付けていて封を開けないままだった大学の機関誌を明けて大変驚きました。懐かしい先生のお写真がトップに載っていたから。2004年の秋、ご退職されたのですね。あの懐かしいレンガ造りの校舎に行ってももう先生はそこにはいらっしゃらないのですね。いかがお過ごしですか?今ではもうあの時の身近な仲間達の連絡先しかわかりません。無性に先生とゼミのメンバーに会いたくなりました。WEBという空間でいつか誰かが私がここにいることを見つけてくれるかもしれない。届かないお手紙を記しておきます。先生が共同作業で翻訳された「シェイマス ヒーニー 1966から1991」1995年に出版され同年ヒーニーがノーベル文学賞を受賞、翌年に先生が日本翻訳出版文化賞を受賞されたことは存じておりました。改めておめでとうございます。あの時授業で聞いていたヒーニーを先生がいかに愛してらっしゃったかそしてひとつの形として完成させられたことが今の未完成の自分に大きな勇気を与えてくれました。貴方の教え子の一人として恥ずかしくない人間になれたらいつか本当に先生を訪ねてみようと思います。こんなことなら博士課程の研究発表、まだゼミのメンバーが残っていたのに訪れればよかった。ことば、を教えてくださったのは先生でした。私はもうすっかり書けなくなってしまいました。それでもこんな駄文をつらつらと綴るくらい書くことは好きなのです。人生で二度だけ、家族に逆らいました。ひとつは先生のゼミにはいること。同学部内で祖母の永遠のライバルの息子さんが助教授をされていたのですから律儀な日本舞踊の世界でそれを無視して先生のクラスにはいることは家族の中では大事件でした。ふたつめはうたうたいに「なろうとしたこと」夢の切符を誰よりも先に手に入れた私を応援してくださった先生。叶えることはできなかったけれど私、後悔はしていません。卒業してから何度目の春が来るのでしょうか?あの時の気持ちにもう一度戻れた気がします。ヒーニーの詩集を枕元において読み返す日々が続きそうです。
2005年02月20日
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”ママはいつも言ってた人生はチョコレートの箱みたいなもんだって。あけて食べてみないとわからない。はきやすそうな靴だね。ママはいつも言ってた。その人の靴を見ればどんな人かわかるって。僕も色々な靴を履いたよ。きっと一生懸命考えれば初めて履いた靴を思い出せるさ。”ただいま、フォレストガンプ放送中。劇場で見た唯一のアメリカ映画。最初のこの台詞が大好きで何度もテレビで再放送を見ている。”ママがいつも言ってた。奇跡は毎日おこるものなんだ。”
2005年02月19日
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ブラックホールがエネルギーを吸収してしまう反面宇宙の何処かに膨大なエネルギーを放出するホワイトホールが存在すると去年の夏に初めて知った。偶然にも私が行くライブツアーはタイトルどおりである。しかもチャラのデビュー前にクアトロに行った以来の小さな箱と思われ。大丈夫なのか?今度は本気で失神しないか心配である。6月26日 日曜 ライブ、行きます。お会いしたことのない楽天仲間の方、タイミングが合えばお会いしましょう。今更母親は私をほおって出かけるのかと拗ねていますが私は断固、行きます。夕方6時から電話して繋がったの午前2時45分。3台使って何千回電話したかわかんないわよ!どうよ・・・?あたし行い悪いのかしらね?で、回線は未だ混んでます。地方から来る人のことを考えて日曜の公演を先に予約したのだけれど一番コワイパターンは予定枚数終了。繋がったものの「販売終了」じゃ泣けてきますから・・・大阪ドームの時は電話しなくても自動的に席が取れたのにね。円形ステージから数えて10列目くらいのアリーナで。メロメを歌うメンバーが身近にいて今思い出しても涙が出るくらい感動した。とりあえずチケット取れたのでご報告。嗚呼、しんどかった。
2005年02月18日
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昨年までこのお香を毎日のように焚いていた。私の体の緊迫症状は酷くなるばかりで8月からこっち見事に廃人のような日々を過ごしていた。部屋を片付けていて昨年の2月12日付けのゆうぱっくの伝票がでてきた。発送したのはチョコレート。遠距離だった。人生で3本の指にはいるくらいの大恋愛をしていた。彼はうちの母親にも挨拶をして自宅で長時間過ごした唯一の男、でもある。数え切れないほど恋愛をして母親が認めてくれたのが彼だけだったというのが私の心の中で消えない痣になってしまった。母が私に恋人ができたと喜んでくれたことが一番の痛みの理由なわけで。別れ方も自然消滅的なもので決定的なことがなかったからいつまでも終らなかったのだ。私の中で。無論立ち直るためにそばにいてくれる人はいても恋、はしていない。素敵なお洋服を用意してドキドキしてなんてことにはご無沙汰なのである。というわけで今年のバレンタインはなんのイベントもなし。ま、誕生日からこっちなにもないんだけどね。義理チョコは基本的にはあげない。お世話になった人なら物でおかえしするようにしている。母親から同性愛者疑惑までかかる始末。・・・・・いい男がいないだけですよ。おっかさん。とりあえず私の今の楽しみは6月のYOSHII LOVINSONライブに行くこと。ZEPPはスタンディング。しかも5年ぶりのライブである。ハコが小さいのは嬉しいが私は身長が低い。11センチヒールでも見えるか不安なのだ。(ドームに比べりゃ見えるに決まってるけどね。)あまりの感動に失神しそうな恐れもあるので(かなり本気で発狂寸前である。しかも人ごみがコワイ)可愛いがっていた教え子に同行していただくことにした。身長180近い彼ならなんとか支えてくれるだろう。若くても頼れるというのはありがたい。それより先行予約とれますように・・・・時間だけが確実に過ぎていく。またこうして朝が来る。報いなど忘れてただ愛したことだけをわずかにとどめて消えてゆく前に指を高く掲げて弾き鳴らすように簡単に消えてあげる
2005年02月14日
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裏切り 切望 諦め教えてやろうかひざまずく 屈辱征服される 喜び私は完全に水商売という仕事を嘗めていた。洋服が好きだから新しい世界が見たいからそんな理由で「ホステス」の仕事を選んだ。駅が近いからと理由で選んだ場所は梅田の東通り。風俗もたくさんある場所である。単なるアルバイトの延長感覚だった。私の働きたかったお店はガラス張りの床の下に薔薇がしきつめてある、というお店。その地域ではトップクラスの女の子が揃う店だと後に知る。「人数が余ってるから系列店を紹介するね。」グレーのコンタクトの若い男の子が迎えに来てくれた。笑顔の可愛い、子だった。不安まるだしの私の顔を見てこの世界は人間の一番嫌な部分が見える世界やけど楽しいこともあるからがんばってな。あの時のあの男の子の笑顔がなかったら私はすぐにその仕事を辞めていただろう。紹介されたのは系列店でも素人を売りにしてる店。いわゆる「キャバクラ」だった。履歴書を書くときに「風俗」という言葉が目にはいり・・・・親が見たら泣くだろうな。なんて頭によぎった。ショートヘア,キレイ系のワンピース。爪もきりっぱなし。どう見てもその辺の街を歩いてるおねーちゃんだ。その日、「体験入店」をすることになった。
2005年02月13日
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最近体調がおもわしくないまりぃです。でこのタイトルなんで。露骨な表現が多々出てまいりますがお許しください。・・・・・。だって衝撃的だったんだもん。付け乳首。その存在を知ってる人が何人いるでしょう?数ヶ月前にテレビで見たのだけれどまさか楽天さんで販売にいたるお店ができたとは・・・。売れたのかな?かなり気になる。メディアにめっきりうとくなってしまった私は楽天ブログ内で初めてインリンちゃんを知って(彼女、国籍どこか知ってる人いたら教えてください。)エロテロリストと名乗るだけあって可愛い子だな~と思っていたのだけれど彼女がつけ乳首の愛用者らしい。男性の皆さん、夢壊してごめんなさい。ヌーブラだって数年前までなかったもんね。もしかして流行したりするのかしら?でもね、未だにヌーブラでデートしちゃう女の子がいるのかどうか不思議で仕方ないのです。彼氏の前で裸になるときべろーんってはがしちゃうのかしら・・・。エロの、かけらもないでしょ?あたしなら嫌だ。最近のお洋服は「ヌーブラ使用」が当たり前になってる商品が多いです。特にあたくしの好きなディアマンテ。シンプルな下着じゃないと透けるしノースリーブワンピに肩紐が見えるのもはしたない。というわけで恥ずかしながらヌーブラフェザーライトをやっと使用した私です。なんかすごい不思議な感覚でした。軽い・・・旧ヌーブラはほんとにシリコン、って感じで重かったのですよ。ヌーブラフェザーライトのほうは本当に肩がこらない感じ。これは乳首隠しのためにつけてるものなのになーんでわざわざ付け乳首ができるのかしらね?新作ヌーブラはレースがついたそうで。ドレスやお洋服を綺麗に着こなすための道具だと思う私ははあ?意味無いじゃんと思っていましたがヌーブラアフロディーテは、可愛い。あたしも、欲しい。コレ。ファッション界の革命、楽しみです。
2005年02月05日
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ぼんやりしていたが今日は祖父の27回忌である。祥月命日・・・・。祖母のことで頭がいっぱいで母も気が付いていない・・・・。でネットでうちの先祖の検索をしていてふざけて母の名前をいれてみたら出てくる出てくる・・・女優時代の出演リスト。驚いた。祖母の看護の1年半「時代劇専門チャンネル」を見ていたとき3日に一度くらいは母の姿が見れた。主役ではないが名脇役の粋にははいるであろう。深作欣司監督のドラマに出演してたこともあって私なら悶絶ものだ。すごいな・・・美輪明宏氏に撮影所で出逢いなんともいえない微笑で笑いかけてくださったのが忘れられないという。まったくもってうらやましい話である。彼女は祖父の夢を叶えた。歌舞伎役者を目指したものの梨園育ちではないゆえ出世できない運命だった祖父。時代劇活動写真俳優となるが病気が原因で舞踊に転向。弟子のひとりだった祖母と出会い、大恋愛におちる。祖母14歳。祖父31歳。そこで生まれたのが母。高校の卒業と同時に母は俳優の世界に足を踏み入れる。祖父の義理の兄弟である某俳優さんの付き人として。祖父の願い、だった。自分の叶えられなかった夢を母に託したのだ。引っ込み思案な母。親に反抗したのはあとにも先にもこの時だけらしい。押入れに篭りストライキをしたとか。「女優になりたい」という少女が世の中に何万人いるだろう。彼女は望まずにその道に足を踏み入れそこそこの地位まで出世できたのだ。祖父と同じく病を理由に舞踊に完全転向したのは30代前半。母が私の人生を心配するのも無理はない。・・・・まだまだ私は子供だ。
2005年01月28日
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サンタサングレについて検索していた時なにを思い立ってか三上博史氏が昨年「ヘドウィグ アンド アングリー インチ」の舞台をやっていたことを知り死ぬほど見たかった。めちゃくちゃ悔しかった。心の余裕のかけらもなかったのだ。多忙すぎて。ヘドウィグの映画を見たのも昨年末、ごく最近だったりするのだけれど。私の中で好きな映画5本の指に入る作品だった。写真で見る限り日本人で演じることができる俳優は三上博史しかいないと思う。ウイッグもドレスも「表現」のひとつだ。「綺麗なドレスのお嬢ちゃん」かつて友人だと信じていた女性の言葉が私のことを指しているなとピンときた。ありったけの毒をこめて表現しているな、と。女性になりきれなかったヘドウィグのたった1インチの男性の名残。それを恋人に受け入れられなかったことが彼を派手なドレスやウィッグをつけてステージに立たせるきっかけになったように今の私の腕にも足にも体中に無数の神経湿疹の痣がある。肌をそう簡単に人に見せられないのにはそれなりの痛みと理由がある。その逆もしかり、だ。それをすべて語る必要はない。世間知らずの「お嬢ちゃん」で私は幸せだ。貴方に真実を語った覚えは無い。私が尊敬するのはそれがどんな手段であれ生き抜いていこうとするバイタリティーだ。ドレスもウイッグも脱ぎ捨てたヘドウィグは美しかった。鍛え上げた肉体美。お洋服はいつだって「違う自分」になるための固い鎧のようなもの。その中でお洋服に負けない本当の自分を磨き上げればいいじゃないかと私は思う。
2005年01月14日
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朝4時半病院より帰宅。母救急車にて運ばれる。風邪でよかった。不眠とともに一夜があけて転寝してる間にPCもイカレマシタ。明日以降入院させます・・・・6月にブッ壊した時に応急処置に買った小さいVAIOで作業してますので御取引は正常に進んでます。メールも大丈夫です。自分が壊れたほうがまし・・・・身の回りのものがことごとく修理されていくのがやたらくやしい。この特有の緊張感疲れ果てました。救急車に乗りなれたくないわ。///////////////改定PC3日後に復旧しました。なぜサンタサングレなのかというと両腕を失った母親の変わりに純粋な息子がマニキュアを塗り編み物をしという映画のストーリーに祖母と母が重なったわけで。イエローモンキーの「追憶の銀幕」ツアーのときにその映画の映像が流れたらしいのだけど少々ホラーじみた内容買う気にもなれずまたレンタルやで働く教え子に探してもらおうかなどと思う。毎度毎度マニアなものばかり調べてもらい店長、もしくは私のぼうや二人がかりで探してもらうので最近躊躇ぎみ。・・・・母が運ばれた病院は祖母がかつて自宅看護後初めて運ばれた病院なのです。摩訶不思議な気分だった。ストマから血がふきだして蒼白になって担ぎこんだ病院結局は止血しただけで「帰宅したい」と入院せず。母も同じく検査の結果腎臓機能が正常なので風邪をこじらせたということで自宅療養。「こんなときに飛んできてくれる彼氏もいないのは情けないものね。」母が嘆く。いや、当時の彼氏も来てくれなかった。うちの玄関は階段があり行きは救急車でも帰りがのぼれない。自営業の彼氏に甘えるのは私の弱さだったのだろうか?結果 頭をかけめぐらし手配した「24時間営業介護タクシー」の運転手さんが祖母をお姫様だっこで部屋まで連れていってくれた。だがしかし「救急治療費」は翌日にしか払えず車がないとかなり不便なその病院に次の日はきちんと連れて行ってもらったのを思い出しますます心細くなる。だってさ真夜中の病院ってオンナだけで来てる人いないねんもん。祖母の生前から(このHP開設当初ですね)3年間毎日泣き続けている母はすっかり鼻の粘膜を弱くしてしまい通った耳鼻科で風邪をうつされたらしい。涙が枯れるってね、嘘。そしてそれを支えようという毎日を過ごす私も本音を言えば地獄を見たと思う。肉体の限界の次には精神の限界が待ってた。日々、向上はしているのだけれど。正常ではないかもしれない。でも私はふたりの愛情を哀しいとも美しいとも思う。母も私も映画の主人公のように親の為に両腕を差し出すだろう。でもその根本にある愛の形は違うのだ。おそらく。私は祖母の足になった。そのために仕事を辞め、家に篭り20時間近い時間を祖母とともに過ごした2年半。そのことに躊躇も後悔もなかったのは支えてくれた人たちがいたから。車椅子を押すのに高いヒールははけない。病院に行くのに派手なお洋服は着れない。寒い日に手放せない超お気に入りのディアマンテのピンクのうさぎのファー付き薔薇柄ダウンを着て救急車に乗る私に後で我に返って「阿呆だ・・・・」と思った。地味な洋服もきちんと揃えておかなければならない。できればしばらくは病院という場所から遠ざかりたいのだけれど。その反面感謝した。今は好きな服も着れる。靴もはける。私が手に入れた自由なんだ、と。
2005年01月13日
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毎度のことだけれども新しいシングルが出るたびに視聴で大泣きしているワタクシ。明日はHMVに駆け込みます。この3連休で久々にまともに身体を休めることができた。でYOSHII LOVINSON表紙の雑誌やっと購入。隅々まで目を通す。ロッキングオンの編集長変わったんだね・・・渋谷陽一さん世代の私、どちらかといえば「BRIDGE」との出逢いで私の人生は変わったのだけれどロッキングオンももうかれこれぽつぽつでも13年は読んでるわけで。知らないバンドもあるし長年同じ顔ぶれ、もある。そこに中納良枝先輩の写真があったりしてワタシは人生もがいていることを思い知ったり、する。初めての教え子が成人式でした、と言う。ワタシの成人式は震災の年でそれどころじゃなくてそれでも昨日のことのように思い出す。吉井氏の短髪に驚いたが自分の中で10年前のジャガーのモードだったのでジャガーが再来したかと思って嬉しくなった。なぜ撮影がパリなのか。そのへんもワタシには疑問で仕方ない。マリーが「シルクスカーフに帽子のマダム」の曲中でフランス行きの船に乗るという場面と重なった。10年の時を経て描かれた物語の二人の魂が不滅のものとして吉井和哉氏の中で一体化してるように感じたのだ。それにしても、和哉が本名じゃないってしらなかったよ。一哉、だそうです。字画の問題で変えてるそうです。かくゆうワタシも仕事上の名前と、ネットの名前と、戸籍上の名前、3つを持っているのです。どの名前で呼ばれても、ワタシは、ワタシ。「あたしを必要として」そう繰り返し書いていた頃の自分も、10年前。そして確かにワタシにも「あたしでよければ必要としてください」に変わった現在があるな、と思う。大人になったのだ。神様にいつ呼ばれても後悔ないようにしておくぜという意味が込められていたなんて。想像もつかなかった。2004年はひとつの節目になる一年でした。もちろんワタシも、後悔はないよ。いつだって。
2005年01月11日
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初仕事早々生まれて初めて草履の鼻緒が切れる。厄年にはいるんだからあまり気分のいいものじゃ、ない。まりぃ家31歳の伝説祖母・・・大腸がん母・・・腎臓片方潰すというわけでふたりとも生死の境をさまよっている。だがしかし鼻緒がきれるほど一足の草履をはきたおした私も悪いのだ。いわゆる「ブランド」もので駄目になるまえに何足か交互に履いてまとめて修理に持っていけば何年でも大切に履ける。年末にかかとが潰れるほど履いていることに気が付いてあーこりゃ時間の問題だなと思いつつ結局おしゃかになるまでモノを捨てられない。自分で買ったわけじゃないから尚更。かかとが潰れるのも気が付かないくらい一心不乱に生きてたというのが情けない。執着心かしらね。上手に「手放す」ことを覚えなくては。草履というのは3000円からゼロひとつ桁があがるものまで様々。靴と同じだと思う。高級な靴というのはあまり履いたことがない。フェラガモやロッシやら母のものは借りたことがあるが。痛い、気がするのだ。足に添うまで時間がかかる。草履も同じで指の間がしこたま痛い。やっとの思いで履きならした草履は心地よかったのだ。うちにある靴たちやもちろん草履も15年を経過したものでも美しい状態だったりするのが祖母や母の手入れのこまかさの賜物かと思うし本物の良さを知る大人として買ったものなのかなとも思う。そういえば気が付けば祖母はいつも玄関にいて母の靴を磨いたり草履を拭いたりしていた。母が出かけるときにはきちんと美しい状態のそれらが並んでいた。今思うといろんな意味ですごい「母親」だと思う。そして未だに祖母の靴が下駄箱を占領していて年とともに足が悪くなる母がヒールの代わりにそれをはいていくようになった。(年末立てなくなって私が抱えて立ち上がらせたときは気絶するかと思った。)私は女としてまだまだ足りないものが多いな・・・。去年発狂されていた10センチヒールのディアマンテのブーツは見慣れたらしく母は高いヒールになにも言わなくなった。寒い冬、ストレッチブーツは最高の防寒になる。今年二足目を買わないとと思っていたけれどバーゲンで半額になったほうを購入した。ロングブーツを履いたのは実は昨年が初めてである。理由は「足が太いから。」ストレッチはふくらはぎの太さなんて関係ないけど今年購入したブーツは実はギリギリの線である。担当の女の子が「大丈夫ですよ~」と言ってくれるが洋服は試着もしない私がさすがにブーツは履いてみた。着物姿で足袋ぬいではだしでためし履き。相当笑える図だが。・・・・・それから履いてないのね。特別な日までおいてあるんです。^^;それはさておき去年の限定のイヤリングを半ばあきらめモードで修理にだしたら生き返って戻ってきてくれた。担当の女の子さまさまである。それはそれは気に入っていて捨てるのも嫌で自分で修理して使っていたのだ。ものすごい嬉しかった。彼女達は普通の店員さんよりプロ意識が高い。そういえば半年前に担当の女の子が休みで私に接客してくれた女の子はプロフの写真のプードルのバニティを数秒で他店舗から確保してくれた。特大のショッパーをくれたりずいぶん気がつく子だな、と思ってたのだが今は見事に日航ホテル店の顔になっている。19歳くらいのはず。光るものを持つ子は、どこかが違う。さて30代のはじまりの一年身体も心も身につけるものも色々とメンテナンスしますか。ところで貴方のかかと、磨り減ってません?(笑
2005年01月06日
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1月4日、無事に祖母の3回忌を終える。過去の日記を読み返すと去年のお正月がどれだけ辛かったか(ちなみにまだ喪中だった)この一年がどれだけ精神的にキツイものだったか・・・・痛いほど感じる。また不思議なことに朝方目が醒めてあの日のフラッシュバックで息苦しい思いを、した。私自身はそこそこ強くなり三回忌までは色々としんどいよ、と親しい方々に言っていただいた言葉に納得する。母はずいぶんと立ち直ったものの相変わらず毎日泣いているので鼻の粘膜が炎症をおこし「鼻腔炎」になりかけて病院に通っている。自分の空虚感は自分で処理できるが自分以外のましてや家族の辛さをうけとめて癒してあげたいというのは相当の神経を擦り減らす。舞踊会をしてあげられなかったこと祖父の時よりも来客が少なかったことそんなことが母にとっては相当悔しかったらしい。自分に、力が、ないと。そんな中すっかり私たちの心を和ませてくれたのは2002年の4月にお見舞いに来てくれたお弟子さんのお嬢さん。祖母があの赤ちゃんは大好きだと彼女に会いたい、もっと一緒にいたかったと繰り返していたのできっと祖母が呼んだのだろう。ベビーシッターさんが急遽都合が悪くなったらしい。あのときの赤ちゃんがおしゃまにおしゃべりしている。嗚呼確実にあたしの中の体内時計は止まっている。妙な焦燥感を感じた。うちの門下で私が最年少になるわけだが当然同世代はすっかりママなのだ。年末ふたりの親友に電話をする。ふたりめのちびちゃんが生まれて大変そうなパパ。そしてもうかれこれ18年のつきあいになる親友。祖母の葬儀の時もたった数分私を励ますために遠方から往復5時間近くかけてかけつけてくれた。ふたりから5年前につきあってた元彼氏が私の次の女性と結婚したことを知る。で当然ながらあたしは知らされないわけで。彼の場合家に結婚を前提に、という挨拶をしてくれると言った数少ない人なのだが当時の収入が私の五分の一しかなかったので祖母と母に話しだけで却下されてしまったのだ。家にすらあがれなかった。「その給料じゃ子供も産めないよ。あんた妊娠したらどうするの?」すこぶる現実的だが否定もしきれなかった。だが守るものができた男ほど強いものは無い。・・・後に私は別に好きな人ができてしまい別れたし別になんの未練もないのだけどううまた取り残された・・・という妙な寂しさはあった。なんだかな。「あの日に刺さった棘を抜かなきゃ とりあえず未来はない」
2005年01月04日
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彼がファインダーをとおして切り取った世界はとてもシュールでもちろんその中に私の写真も含まれていたのだけれど彼の作品は彼の愛情で彼の眼差しそのものだ。そこにいる私は歪んだ感情の塊そのものだった。何百枚もの写真を彼のベットの上でひろげながら一枚とても可愛い女の子の写真を見つけた。ちょこんとあたまに帽子をのっけて本当に愛らしい、笑顔。言葉にできない絶望感が私を襲った。嗚呼、この人には、愛されない。後にその写真の女性が彼の奥さんになったことを知る。10年後私は二十歳の頃の写真を眺めていた。まったく垢抜けない自分に呆れる。あの頃カタチにできなかった美意識を追求したくてホステスという仕事を初めてもう一年半が経つ。今年初めての雪が降った。初めての彼氏からもらったフリースのジャケットをひっぱりだして袖を通してみた。ぼろぼろになって捨ててしまうのが哀しくて10年もの間大切にしまっていたのに。身体も心も冷たくて仕方がなかった。想い出という暖かな毛布に包まれてただ安らかに眠ることだけを夢に見る夜。
2005年01月02日
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あけましておめでとうございます。喪もあけて無事に新しい年を迎えることができました。4日には祖母の三回忌を控え、家族ふたりで迎えるお正月はなんともいえない気持ちですが。人生で一番早く、そして苦しい、それでもなんとか充実した一年をすごすことができました。祖母を失った悲しみは私のほうはなんとか前進する勇気へと変わり立ち直るまで3年というのはよく言ったものだと思います。母親のほうはまだ、もうひとふんばりという感じです。守るものがある。それだけで強くならざるを得ない場合があると思います。私の体調を常に心配しあたたかい言葉をかけてくださった皆様たくさんの出逢いと別れを繰り返した楽天広場というコミュニティも三度目のお正月を迎えることができました。お店のほうは相変わらずお休みモードですが福袋を出品しています。私は此処に、います。皆様の一年が希望と喜びに満ちたものでありますように。
2005年01月01日
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長らく更新していませんでした。お久しぶりです。生きています。なんとか。笑迷いに迷って結局愛するイエローモンキーのメモリアルBOXを買い揃えた。初回版には未公開画像というのがついていてHMVではもう完売してしまい楽天で探し当てるという初体験までしてしまった。ええ馬鹿のように泣いていますとも。毎日。ドレス一枚買う値段より安いのになぜためらっていたのだろうか。間に合ってよかった。買っておいてよかった。お金で買える感動のレベルじゃ、ない。認めたくなかったのかもしれない。ビデオイベントにも行けなかった。醒めない夢のまま、終らせたくなかった。もちろんYOSHII LOVINSONで活動してる吉井氏も愛しているけれど私の半生がイエローモンキーの曲とともに記憶に刻まれている。愛してた。4人が作り出す世界を。グラマラスでセクシーなあのバンドを。私がイエローモンキーを本気で愛したのはミュージシャンの卵になってからだった。スランプの塊になっていた私に誰もが経験する産みの苦しみを教えてくれたのが吉井和哉氏のインタビュー記事だった。未発表だった音源を聞いて8年前の私にはわからなかったことがわかった。「追憶のマーメイド」が好きじゃないと吉井氏は言ってた。なるほどね、と。原曲のほうはアレンジも荒いし、歌詞もストレートだ。それでも長く心に残るのは未発表音源のほうだろう。シングルで出ている分はタンバリンの音がやたら耳障りでいかにも売れ線狙いなのがわかるのだ。気の遠くなるような細かい作業を重ねてCDというものは出来上がる。生演奏とは違い音源というものはそれぞれのバランスを少し変えただけで印象がまったく変わるのだ。はあ私も音楽で飯を食おうとしてたんだな・・・と分析的聞き方をしてしまう自分に切なくなる。芸能界というところは膨大なお金が動く。まともな神経で生きていける場所じゃない。人の縁に恵まれて才能に恵まれて初めて光が当たるのだ。自分自身が商品なのだ。そして「売れなくてはいけない。」という圧迫を必ずかけられる。音楽が好きという気持ちとビジネスの境界線が解らなくなり私の心はさらにぶっ壊れて夢を叶える力がなくなってしまったわけだ。そして現在の私はあの時の経験を無駄にしないように私自身を売り物にして生きていく道を選んだ。行き着く先ももう見えなくなってしまった。それでも想い出は限りなく美しく私の歩いてきた道にはたくさんの花が咲いていて眩しい光が差している。たとえ哀しいことでも。要するに後悔する生き方はしてないしこれからもしないということ。目の前が棘の道で足が血まみれになったとしてもあたしは歩いていくよ。
2004年12月28日
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2年前の今日祖母が最後の発作をおこし私は不安による過呼吸と震撼を起こした。去年の今頃はトラウマでクリスマスの光を見るだけで相当辛かったのだけれども今年はお酒もはいっているせいかさほどしんどくはない。やりました。テキーラ。ストレートだよ。ショットグラスに。要するに今日は酔いつぶれてもいい覚悟で頂いたのですが・・・・・祖母の遺伝子がはいってるらしく。(日本一お酒の強い町らしいです。彼女の出身)私、酔いません・・・・。男性二人潰れても酔わない・・・・・・。二日酔いもなし。気分悪くなることもナシ。頭がぼんやりする程度。そもそも阿片戦争にはじまり現代に残る煙草やお酒もなにかを麻痺させるための大人のための物質だと思う。32歳で人工肛門をつけたとき祖母はどんな気持だったのか。17歳違う祖父の看病生活に数年後には突入することになる。その月日 10年以上。私の2年弱など短い期間だ。彼女があびるほどお酒を飲んだのは病気の痛みを麻痺させるためだと思う。それでも一滴も飲まなくなって死を迎えるまで20年以上の月日が経過している。「私に注射一本の痛みも今後一切止めて頂戴!」そう言った祖母の言うことを聞きアミノレバンの点滴も止めていた・・・・延命治療になるなら私はなんだってしてほしかった。片足を折り永久に寝たきりになるであろう祖母・・・・肝臓の急激な萎縮先は長くないと伝えられていた母はとにかく祖母の言うとおりにした。肝臓は壊れてしまうということをきかないらしい。私はお医者さまを信じるしかなかったし実はこの日から投与していくモルヒネに近い注射最終決断は私が依頼した。私は宗教書と医学書をまる二日読み明かし研修医は医学書のコピーをもってきた。そんなのありかよ?と正直感じたけれど(カタカナがやたら並んでいたら年配の人間は拒否するし)・・・・幸い経験した範囲なら理解できる。プロ講師をしていたらたいがいの「勉強」はコツをつかめば解る。数学は無理だけどね。正確に言うとモルヒネの一段階手前で死を迎えたのだけれど。金庫のようなところにはいっていてどこそこに許可をもらわないと打てないだのの説明を聞いたら麻薬のようなイメージしか残らない。しかも良くないイメージだ。なぜお医者様は納得のいく説明ができない?某大阪のその病院は外来は最高に名医が揃っているが入院すると必ずといっていいほど痛い目にあう。母のかかりつけの医者は病院を変えた。母の命を救った先生の紹介で片道2時間かかる。先日も腰が痛いと騒ぎ現在もあまり体調のよろしくない母の爆弾が爆発しないように・・・・と思う。「モルヒネは神様からの贈り物」そのエッセイでのひとことで私は投与を決心した。キリスト教の本だったと思う。激痛に苦しみながら死を待つならば痛みは緩和して正解だったと思う。祖母は極めて自然に近い状態で死を迎えた。モルヒネを投与したせいでしゃべれなくなったと思っていたがそうではない。肝硬変の末期の症状が脳に異常を起こしたのだ。ましてや祖母はストマからの出血で極度の貧血状態。15日あたりで一度だけまったく普通の祖母に戻っている。朝食も普通に食べて。普通に会話して。ホスピスの本も読んだ。実際そういう場所を探したけど提携する施設がないとのこと。発作の詳細は書いていないけれどそれは恐ろしいものだった。(後日書き加えると思う)一年目の入院で「私は三途の川を渡ってる・・・お母さんを呼んで」そう一瞬厳しい祖母に戻りえびのように暴れた彼女。それも肝臓病で死を迎えた人の典型的発作らしい。2年目祖母はつらいをなぜか「かゆい」というので私自身が投与しているアタラックスから始める。が3日ほどで効き目はなくなる。結果的にモルヒネ投与に関して本人の意志伝達が不可能な場合家族が承諾しなくてはいけない。もう一度書く。私は、モルヒネの投与は正解だったと思う。うちの一家は鎮痛剤を嫌う。私が生理痛がひどくて飲む薬に母は異常に反対する。祖母は特に薬が嫌いだった。睡眠薬なんて死ぬまで飲んでいないと思う。たしかに彼女がまともに処方を飲んでいれば薬だけでおなかいっぱいになるし腎機能も低下するだろう。最期は本当に彼女の生命力で生きたとしか思えない。こんなにしつこく書いたのはいつかの私のようにWeb上で必死に情報収集している人の目に留まるかもしれないから。膵臓病の献立について残しているページがヒットしたらしく私書箱にメッセージを頂いたことがあるのだ。藁をもすがる思いで見知らぬナースの方にメールを出したことその方がご親切に指導してくださったことそのご恩を思い出した・・・・・。私はその方の本名も住所も知らない。パソコンが壊れてアドレスも飛んでしまった。ちかぢかリンクを頂きにいこうと思う。業泣爺さま・・・・お元気ですか?私の痛みも時間という薬と人の優しさで緩和されてきたのです。
2004年12月01日
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及川光博氏のDVDを一足早く手に入れる。「9年目の本気」・・・うーん。5年前のアルバムと比べるとやっぱり顔つきが違う。男性もやはり確実に歳をとる。ミッチーさまはあの身体の細さを維持している限り華麗だと思うけれど。ブックレットを見てうわージーンズなんて初めて見た・・・。と思っていたらやはりマスコミ初公開らしい。「僕は今から見慣れない格好で登場するけどみんな笑わないでね」・・・・・ジーンズにTシャツ。これはやはり裸に等しい。ミッチー、やっぱりキューティハニーの「ブラッククロー」の衣装のほうが似合ってるしジーンズのほうがコスプレに見えてしまうよ・・・。私にとっても現在は見慣れない格好である。でもフリマの自画像はひそかにTシャツをきてます。かなーり見難い画像で。そろそろプロフの写真も変えないとと思いつつ5月から放置してます。ジーンズのトップスはとことん甘いめガーリーに。Tシャツにあわせるのは裾が広がったズボンフリルのスカートあえてモードな感じに。というのがまりぃ流でございます。
2004年11月30日
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痣のように残るこの記憶その言葉跪いてなんでもしてあげる自信に満ちたその目がたまらないこれは恋ですか?それとも・・・・・教えて欲しいの新しい愛のカタチ「あたしと貴方の間には 確かに愛情というものが存在しているけれど 決して交わらないの空と 海の ように」その男の腕に抱かれて私はぼんやりと妄想を抱いていた海の底に沈んでいく感情そこは真っ暗だというのにときおり太陽の光が差し込んでキラキラと光り輝くのだ。そう水の中の太陽あの頃から私には眠りというものが、ない。彼の長い髪とうっすらと生えた髭この男はイエスキリストにも凶悪な犯罪者にも見える。私は間違いなくその男を愛していたのだけれど同じくらい嫉妬に近い醜い感情を抱いていた。彼の作り出す言葉を、世界観を敬愛していたまるで神様のような男だった。生まれながらに欲しいものがすべて手に入るそういう宿命を持った男はそうはいない。容姿も家柄も学歴も非の打ち所がなかった。だからこそ彼はある意味では満たされどこか感情の一部分が欠乏したように怖いほど貪欲に感じることもあった。写真というカタチで残されてゆく彼の欲望私もおもちゃのひとつでしかないことをなんとなくもうその時感じていたどれだけ身体を重ねたところで決して交わらない ふたり。突然彼が鋏を差し出した。髪を切って欲しいと。裸のまま白いシャツをはおって死角になっている一階のバルコニーに出た。肩まで伸びた長い髪に私は鋏をいれた。なぜ私なのかその答えはずっと解らなかった。堕ちてゆく時間。過去だって切り取ってしまえればいいのに。
2004年11月27日
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雪の池辺に白鷺が白無垢姿の娘と化してあらわれるそれは鷺の性との人間の業を合わせ持って誕生してしまった自分を語り弔うための喪の装束自分の宿命を嘆き 悲しみ狂って空の彼方に飛び去ってゆく私が人生で最後にしようとしている舞台。他の仕事で稽古をまたさぼってしまった。足がずいぶんと悪くなった母がこのアクロバティックな振り付けをする踊りをなぜか稽古をつけてくれようとする。5年前とは体力も違うし筋力も違う。舞台費用も決して安くは無い。それでも私は3年後この曲を踊れたらと思う。私の舞台ブランクはその日がきたとして12年となる。結構な年数だ。短い期間だけれど祖母にも稽古をつけてもらった。鷺を踊ると妊娠するという伝説がうちの家系にはあるのだ。私が大学時代にくんでいたバンドはHARPY下半身が鳥で上半身が女性のギリシャ神話の欲望の塊の象徴だった。その思いとなぜか重なった今日。飛びたいと願っていた私に自分の業に戸惑い生きる私にふさわしいのかもしれない。もう一度飛び立とうとしている母に今では人間国宝になった母の師匠が(開設当初の日記参照)譲ってくださった「折り紙」すぎた日の思い出を表現していくこの踊りは私が二十歳の頃 母が舞台で演じたもの大阪歌舞伎座を総満員にし後にかしく祭で奉納の舞として再演を依頼される。10年の節目5年間の舞台のブランク今日母が稽古の後、腎臓が痛み、寝込む。「もしかしたら7回忌はできないかもしれないこれが最期の舞台になるかもしれない。」などと言う。1月30日、国立文楽劇場のトリ。祖母の三回忌ができなかった代わりにこの話が突然舞い込んだ。祖母はやはり死んでも母が可愛いのであろう。「とむらい踊りやなあ・・・・」とつぶやいた文楽劇場の食堂の社長が言った言葉が忘れられない。母は私にとって母ではなく芸術家としての視点で見てきた。だからこそもう一度飛び立って欲しい。母はいつでも美しかった。参観日に来れば目だって仕方がなかった。街をあるけば人が振り返った。彼女の立つ舞台はいつだって満員で立ち見がでるほど。祖母が母を支えてきたから。その代わりをする日がやってきた。さて課題がまたひとつ増えた。彼女が涙で踊れないなどという状態にならないように付き人として走り回っていた感覚を思い出しながら舞台のそでにつくのはお弟子さんに任せて私は祖母の写真を抱えて客席に座ろう。そう15列目あたりの真ん中の一番良い席で。10年の月日をゆっくりと思い出しながらこの思いを空に飛ばそう。現に遺された母と共に。
2004年11月25日
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やたらと長い間現のままで醒めない夢を見ていた気がするそこに差し込む光を息苦しいまま見つめていた沈んでも溺れたり しないそれが私の生き方だ。
2004年11月20日
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すっかりお店のほうはお休みしていますまりぃです。夏からこちら少しはましになったもののやはり不眠症炸裂身体は重い完全なるエネルギー不足です。とほほ。原因てのはまぁ親に公認された彼氏と音信不通になったという。まったくもって情けない理由で。さよならのコトバもなく。電話で話すこともなくなり何度かけても数秒しか話ができないので私は彼の携帯番号を削除してしまいました。メールアドレスは残ってますが何度連絡しても返ってこず。最悪な終り方をしたなあ・・・と思います。とはいいつとても破天荒な人だったので生きてるかどうかも仕事がどうなったのかも純粋に心配している自分がいたりして。大切だとか変わらないとかコトバを並べるのは簡単。実際行動に移さないと愛情なんて感じないし一日1通のメールで充分心が繋がってると思える。それだけで充分なのですが。私に女性としての魅力が足りないということでしょう。さて今年目に付くレオパード。豹に薔薇というとんでもないなあという柄を2枚も購入してしまいました。・・・・ええまだ怖くて着てませんとも。祖母のクローゼットをあけると見事なほどアニマル柄がそろっています。Diorのメゾンで修行したというシェレルの服が90%です。今年の流行そのものじゃん!というワンピースもでてきました。サイズがあわないので私には無理ですが。70歳をすぎてもそれを着こなしてしまっていた祖母をやっぱり私は尊敬します。普段着はなんでもいい。愛する人の前で可愛いお洋服が着れたら・・・・それがやっぱり私の一番の喜びです。
2004年11月15日
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何処までが現実で何処までが夢なのか解らなくなっている。呼吸することだけでも精一杯でそれでも私は決して倒れたりしない。街はクリスマスの準備が始まり私はまた哀しい思い出に包まれる。身体の傷よりも心の傷のほうがずっと消えてなくならないのかもしれない。ふたつでひとつだった魂が半分なくなって私はそこにうまくおさまらない。どうしてこんなにも彼女は孤独を嫌うのであろう。なのにどうしてそばにいても私は彼女を笑顔にできないのだろう。切り裂いた身体の傷の痛みよりも心の傷のほうがずっと疼くんだ。
2004年11月12日
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念願のクラブデビューをいたしました。まったくひょんなきっかけですが。大阪船場にあるクラブ。滞在した時間は門限のため1時間強でしたが楽しかった・・・・・。結構有名らしく知ってる顔に何人も出会う。もちろん有名人もいらっしゃる。祭日前日で結構な人数。数百人はいたと思われ。カクテルを片手に最大限のボリュームでリズムに身をゆだねる。ベース音が心臓に響く。煙草の煙。ちょっとかっこいい男性がトナリに。しかしスーツで踊りにくるビジネスマンの多いこと。(唖然)女の子のほうはこれまたファッション雑誌の生バージョンみたいなもんでとにかく、可愛い。盛り上がってきたところで私も数年ぶりに踊り狂ったわけですがキャミワンピにファーカーデ。カーデが失敗した・・・・。暑いのなんの。11センチヒールのブーツで踊る私も阿呆である。だがしかし。同じ阿呆なら踊らにゃ損。ミニスカートにブーツという女の子が多かった。上はだいたいキャミソール。なるほどこういう夜遊びにでかける若い子から30代のおねーさんがいるから冬場でもキャミソールがあるわけね。音楽のジャンルも色々で。ほとんどわからないのが多かったな・・・巷ではダンスブームで駅前で高校生くらいの少年少女がウィンドーを鏡に練習してたりするのだけれど。あたしの高校生の頃もダンス流行したって。元気が出るテレビのダンス甲子園・・・・流行はやはり10年サイクルなのか?お笑いもそうだし。とかく驚いたのは「レゲエダンス」見たことあります?皆さん?衝撃です・・・。音楽をやってた頃最終オーデションの後みんなでマハラジャに行ったらしい。(最近復活しましたね。)さすがに羽根扇子の時代は終ってたんだけどもミラーボールやらお立ち台やら私はかなり興味深々で。楽器と声で伝えるのではなく私はあくまでも「魅せる」音楽がしたかった。衣装、ダンスもトータルで楽曲をつくる。その後「クラブミュージックをお茶の間に」なんてキャッチフレーズをプロデューサーにつけられてた。(ダサい・・・・)当時のデモを聞くとジャングルだったりする。相当笑える。あの頃の感性が今の私に通じてるわけで相当刺激をうけた一日でした。結局マハラジャは祖母と母に日帰りしか許してもらえずとぼとぼとオウチに帰りました。(後に東京でホテル暮らしになるけれど夜遊びなどせず。)たまにはこう。ばーっと発散しなければいけませんね。あたしは音楽が好きでダンスも相当好きで振り付けしろといわれたら数分でできる。のにどうして家業の日本舞踊は何度やっても覚えられないんだろう・・・。(T_T)
2004年11月02日
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及川光博氏の独演会はすばらしいものだった。毛皮のマリーで美輪氏と公演してからエンターテイメントに磨きがかかったと思う。現在の彼はミュージシャンとしてよりも俳優として認められているけれど。モチーフになったという人魚姫のお話がどうしても明確に思い出せない。どうして彼女は両足をなくしたのか。どうして彼女は海の泡のように消えてしまうことを望んだのか。シンデレラなら明確に覚えているのにどうしてだろう。真実の愛なんて。本当に存在するのかどうか解らなくなってきました。それでも私に愛情を注いでくださる方がいてそれを永遠だと呼べるかどうかはまだ定かではなく失うことに怯えながら私は私を見つめなおしています。
2004年10月28日
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一部私に対して誤解と恨みが生じているのか私書箱にけったいなメールが届いてます。ここで公開もできないような内容のメールです。表の掲示板にも中傷的書き込みがとある事件の後からあったりします。自分のことはともかく他人が登場するプライベートな話を此処に書く必要はないので(ましてや楽天が絡んでいればなおさら)だいたい書き込んだ人は想像つきますがご意見があれば正々堂々とどうぞ。きちんと一部始終お答えしますので。メールアドレスと一緒にメッセージをどうぞ。卑怯なやり方が嫌いなんです。ましてやそんなチンケなことで私は広場を削除する気もないし泣いたり悩んだりもしないのですよ。私は貴方に死の恐怖を誇張されても明日死んでも後悔ないのです。それくらい精一杯生きているのですよ。おわかりですか?このことで私が傷ついたりはしてませんのでご安心を。
2004年10月25日
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と先日仕事で語ったドイツ人の方の言葉(会話は英語ですよ)やたらやきついてゆらゆらと何かが動いている感じ。母親はもう年末や正月や三回忌の準備をしていて。在庫が増えると彼女の神経にさわるのでこの冬の仕入れは難しいのですが。感性だけは磨きたいと久々にHMVへ。及川光博氏のDVD古典系衣装でなかなかのものと聞いていたので買いに行く。こんな時間すらなかったのが不思議なくらい7月以降の私は落ち込んでいた。それはさておきミッチーのうたかたはおとりよせしかなく。ぶらついていると発見。「岡村靖幸2003年ライブツアー」卒倒するかと思った。もちろん即購入。私の音楽、とくに楽曲は彼の影響をうけていて高校生の頃からの私のアイドルなのだ。100キロ以上に太ったとかスタジオ代の借金2000万とか色々噂はあったけれど。10年以上メディアにでなくても愛されている彼というのはすごいと思う。普通なら音楽業界にはいられないような状況 我侭ぶりDVDを見るのはとてつもない興奮と不安だった。10年以上ぶりだもん・・・感想。やっぱり貴方太ってたのね・・・・・ごめんパパイヤ鈴木さんに見えるんよ・・・変わらないのです。ダンスの切れのよさも。歌声も。若い男の子のダンサーがやたら身軽にみえたりしますが。「ロックシンガーは太っちゃ駄目だ」という吉井和哉氏の言葉を思い出します。エンタテイメントの仕事にいるなら見てくれを美しく保つのは男性も女性も同じ。やっぱり「見られてないと駄目だ」というのは実感いたしました。彼と同じだけ私も歳をとったわけで。おばさんではなくマダムまりぃになりたいわけ。たとえば夏木マリさんなんて最高にかっこいい。肌の手入れ、しますか。男性諸君、ビールは太ります。おなかでない程度の体系をぜひ維持してください。(個人的好みですけどね。)
2004年10月24日
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新潟の直下型地震。被害が増えてないかどうか心配です・・・。私は10年前、阪神大震災の被害にあった人間のひとりです。母は揺れながらも祖母のところへ飛んでいこうとした。祖母は「動くな」と叫んだ。家族を守る本能がふたりにはあったのに私はまったく何が起こったのか理解できなかった。被害は少ないと状況を把握できないという状態でも母はすぐに私をコンビニに走らせた。できるだけの飲料水と食べ物の確保。朝7時半。地震から2時間後。10時にはもう、商品はなかった。次の日からスーパーは入店規制。食料を確保するのは一週間は困難だった。私はいいけれどストマを持つ祖母はインスタントラーメンばかり食べていては死んでしまう。しかもその時彼女は風邪をひいていて熱が38度あった・・・・・。幸い水と電気は大丈夫だったけれどガスは2ヶ月使用できなかった。料理はなんとかなったけど困るのはお風呂。私と母が順番に倒れた。私の隣の家で一人暮らしをしてたおじいさんは震災による心労で2月のあたまに亡くなってしまった。玄関で倒れていた。ご家族が到着した時のはもう亡くなってまる一日の時。様子がおかしいから見て欲しいと娘さんから電話をうけてドアをこじあけたのはこの近辺で一番気丈な祖母だった。祖母をかばおうとした私に「まりぃは来なくていい、見なさんな。」彼女がそう叫んだのを明確に覚えている。ひとつき経ってもそんなことが起きるのだから。経験したことのない地獄だと思った。そのことがのちの私を強くするのだけれど。私は京都の学校にいたので6日後にやっとの思いで先輩のマンションでお風呂を借りた。涙が止まらなかった。あたしの到着する時間にはあたたかいお風呂がちゃんと用意してあった。柔らかなタオルで髪を拭いてくれた。試験中でくそ忙しい最中。当時の彼氏が本当ならホテルでもなんでも連れてってくれたらいいのに・・・・お金の問題じゃない。私は充分お小遣いは持ってた。でも相手がいないとそういう場所は行けないのよ。彼氏は無頓着だった。ポケベルを作ったと言ったら開口一番「浮気するためかよ?」怪我の心配とか家の心配とかそんな言葉はひとつもなくて。「この人と生きていくのは無理。」と確実に悟った。情がない男だけは勘弁して欲しい。戦争とか天災の時に大切な人を守れるかどうかで男らしさ、がわかる。でもどれだけあがいても力だけは男性にかなわない。倒れたたんすはなんとか起こせても冷蔵庫は無理。そういう状況だから母は今も台風や地震に異常に怯える。なにかあったとき、助けてくれる人はもういない。ウチはまだ被害はましなほうだった。お墓を見るためにすぐに神戸の町に行った。テレビで見た世界がそのままそこにあった。想像を超える人数の人たちが亡くなった。なにかしたいという思いを私の敬愛する吉井和哉氏も形にしていたっけ。廃墟になった三宮も今はもうその痛みを感じさせない。また今年もルミナリエがやってくるけれど。少しでも被害が少ないことを祈ります。ただでさえ水害にあった友人がいるというのに。もしも、なんていつくるかわからないのです。どのくらい機転が利くか冷静に判断できるかそれだけなのだと思います。冬がもうやってきたのかもしれない。サミシイ気持ちとぶり返す痛みだけはどうにもやり場がない。乗り越えるしかないのだけど。
2004年10月23日
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10年ぶりにとても会いたかったひとと再会できることになった。外は嵐結局私は着物を選んだ。私が生まれたときに祖母が着ていた着物。母が大切にしている京都の景色が描かれた鼈甲のかんざし。口紅はシャネルの22番。真紅。これも私の家族が愛用していたもの。特別大切な日にしかつけない。私の生き方感性というものがあれば実際の人物では9割をその方の影響をうけた。本の中でもなく音楽の中でもなく出逢った人20歳の私は大人ぶりたくてよく真紅の口紅をつけていた。彼氏と呼ぶ人はなぜかみんな私が紅い口紅をつけることを嫌がった。似合わなかったのだろう。リスペクトする彼は相変わらずむっとするくらいいい男だった。背が高くて手足も長くて美しい。整った顔立ち。知性。育ってきた環境。若かりし頃おそらく私は彼に嫉妬に近い感情を抱いていた。「うらやましい」という感覚を唯一私に抱かせた人。才能というのは人が認めてこそ初めて才能になる。私はどうあがいても彼のような天性の才能と美しさは持ち合せていない。ならば努力しかないのだ。その彼に褒めていただくことは本当に嬉しかった。ひけめを感じずに隣を歩ける女性になりたかった。一度切れた縁がまた繋がる。こんなことがあるから人生は解らない。これ以上私は憂鬱を繰り返す訳にはいかないささやかな言葉で勇気を頂いた。ありがとう。久しぶりに心から笑った。
2004年10月21日
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昨日一睡もせずに母親に銀行に連行され新紙幣目べりだの預金封鎖だのの噂のための対策に振り回される。誰か真実知りません?まじで。一万円が九千円の価値しかなくなったら本気でびびりますよ・・・貧乏だからこそ問題だ。だけどさあなんだか銀行に出入りする人達の行動も怪しいし1時間弱の間で貸し金庫に出入りするひとの多いこと。ワタシはまだ自立してないなあとひしと思う。聖徳太子が諭吉に変わる時代を生きてしまった自分がいて。あきらかにもう逃げられない大人になってしまった。私の中で通り過ぎた嵐はすこしおさまったらしい純粋な少女の優しさでいとも簡単にそれは癒された。ええあとは恋愛だけですとも。たとえばあたしが倒れたとして入院が必要になったとして頼れる人は誰もいないわけで。腎盂腎炎で救急車に自分で乗ったときはまだ車で飛んできてくれた彼氏がいたし今後母が死んであたしひとりきりになったら葬儀もしなきゃいけない祖母の時は知らない間にコトが進んでいたやはり親がいるというのは幸せなことだと思う。なんだか覚えないといけないことがたくさんあるようだ。台風で家が揺れてひたすら心細い。ふらふらで仕事にでかけ帰宅して数時間でぶっ倒れ気絶。朝方目が醒める。やや風邪気味らしいが母にばれると毎度のことながら本気で殺されそうなので(笑薬をぶち込むがいっこうに効かない。自己管理は最大の鉄則。免疫力の低い家族を持ったのだから当然。20歳の時高熱で大学で倒れたときもそのまま帰宅を許してもらえず(祖母が風邪をひくと生死にかかわる為)阪急ホテルに1週間監禁されていた。3時間寝ただけでまだ眠気もこず。ハクション大魔王の再放送とか真剣に見てしまったし・・・・本気で保険入ろう・・・・今日はお稽古日で余計に緊張して眠れない。お師匠さんの子は稽古をつけてもらえると思うな。できて当たり前、見て覚えなさい。こういうよくわからない矛盾したことを日々言われて私は仕事から逃げてきた。先日松本幸四郎さんが話してるのを聞いて歌舞伎界でも同じことを言われていると改めて知る。さすが明治生まれのウチの祖父は中村の名前を持つ役者でもある。母は頑固な祖父に顔も性格もそっくりである。年があければ祖母の3回忌着物も用意しなければ料理も手配しなければ心配性の母のせわしないこと。よくもまあ1月4日が命日になったことだよなあ・・・・元旦から3日の間じゃホントに洒落にならない。今の私の目標は祖母の7回忌の舞台ができるかということこの不景気に実現できるかどうかは正直わからない。でも突っ走るしかないのである。34歳のご懐妊計画は実現するのだろうかうーむ。ま、まだなにがあるかわからないさね人生。でも抱きしめてよしよしされてないなぁ・・・長い間。あたしも頑張ってるんだよね。でもやっぱり相当お疲れみたい。ごめんなさい。
2004年10月20日
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気持ちのよいコトバというのは人を酔わせる酒のようなものであるそしてナイフのように人のこころをぐさりと刺し人を殺してしまうこともできる久々に他人の言葉で相当参ってしまった精一杯の思いで書き込んだコトバもうまく伝わらなかった物書きに片足突っ込んだ人間が情けない話コトバは自由だけれど物書きでいるひとたちは毒は吐かない責任のもてるコトバを使うのはたいそう難しいましてや愛してるなんて簡単に言えない。友情もおなじこと。なので私は親友という言葉を使わない。もう数十年も。私の愛した人は私の言葉を重いと言った。彼には思うままの言葉を吐いていた。10代の頃以来だ。申し訳なかったと思う。でも他人には批判はしない。家庭と恋愛の問題は自分で解決して消化してきた。なんだか疲れ果てた貝になりたいとはこういう気持ちなのかと思う。
2004年10月18日
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お前は強いと何度言われただろう。壊れて壊れて修復したココロは頑丈になり何度でも再生を繰り返す最近の私は弱さの押し付けですか?醜い感情だと不快感を与えますか?自分を見失ってはいません心配してくださるのは充分に伝わります。嬉しく思います。ただココロだけは美しいという自信があったのでアッパーをくらいました。笑まったく自分では感じないのです。寄りかかる人が誰もいない今では。友人に泣いて相談したところで何になりましょう自分で昇華するしかありません少々日記の内容を考えます無論嘘は書きませんがフィクションもあります教えてくださってありがとう今の私は・・・・・・・・どう映りますか?
2004年10月15日
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20年ぶりに小学校の同級生に再会した。やんちゃでやんちゃであたしは彼が嫌いだった。白ブタと最初に呼んだのも彼のはずだ。ストレス解消にパチスロをして時間がないので当たり台(いわゆる高設定)を去ろうとしたあたしに話しかけてきたにーちゃんがいた。いいですか?そこ素顔で龍ジャージのあたしはにこりと笑いその場を立ち去った。おにーさんおいかけてくるじゃんでなるほど彼だと確信ええ男になっちょった。男前しかも中学の同級生と結婚したそうな。意外と不良ぽい子のほうが純粋なんだよね。今はちょっとしたセレブなおしゃれなおにーさんだった。月日は心の距離を縮めるね。早く先輩にも会いたいなあ・・・しっかしパチンコ屋で会うとはね。パチ歴3ヶ月・・・・・スロットのイロハもわからなかったあたしが北斗の拳で勝てるようになったというのは快感だったのだ。理論派の私はなんでもデーター整理や知識を入れてからやる。だから引き際がわかる。遊ぶ時は2000円あれば充分。やっぱ「勉強」好きなのかな。病院帰りにスロットやるあたしも愚の骨頂だがイエローモンキーが爆音で流れていたりしてちょっと嬉しい。彼に名刺を頂いたのでいったん家に帰りディアマンテヘアとワンピに着替えて私の名刺をお返し。過去デブ少女ベスト3のあたしはどういう風に彼の目にうつったのか・・・・どうでもいいがあの後7回吹いたらしい・・・・(金額にしたら6万以上)あたしスロドル目指そうかしら?笑無理無理。賭け事はいけませんよ はい すみませんだってケンシロウ昔から好みなんだもん神谷明の声はたまんないしシティハンターのリョウにも(同じ声)中一のあたしは恋心を抱いてました。8歳の頃ケンシロウ似顔絵コンクールで優勝したこともあるもんなんでパチンコと水商売は蔑んだ目で見られるんだろうね。ビッチて言葉もそもそも飲み屋の女将さん、てとこから原理がきてるらしいし。差別だよな。完全に。風俗もしかりそこにお金を落とす男達がいるのが現実明日は稽古なのにまた臨時で呼び出される会社員並みの出勤率足を痛めた母に鷺娘を投げられる「だって妊娠伝説があるんだもん」いや これ ほんと まじ。舞台でくらい花嫁衣裳着たかったんだよ最後のつもりだし7回忌の次は17回忌あたし44歳?・・・・・絶句。母と祖母は見事祖父の三回忌を終えた。そう思うとあたしと母は甘い。で八百屋お七でもいいよといわれた。恋狂い一度やりたかったけれど・・・・先は長いその話はまた今度。
2004年10月12日
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祖母の闘病日記にでてくる顕正院日榮上人のお寺へお参りに行った理由は前厄のおはらい ご祈祷5年ぶりちびちゃんが7歳になってるものあたしが年をとってもおかしくは無い日榮上人は名刺を見ただけでその人の人生が解ってしまうような人だった25歳私が人生の路頭に迷った時生前に日榮上人が残したおみくじを引かせていただいた「霊鷲山で教えを説く」そのひとつき後私は予想もしない先生という職業についた祖母の闘病中祖母には「いこう いこう ひとつの道を」それは死を意味するのだと母は隠れて泣いた母には「障子の破れは自分で」私には「天を敬い宝を愛す」天は自分なのだと母はいった今回も私は精神的に相当参っているのでひかせていただいた「福 如 雲」福は雲の如し?かと思う。がんばればお空の上にあるのか雲みたいにつかめないことを意味してるのか自分次第の解釈だろう姫路は桜が咲いていた春と勘違いした桜が咲くなんて生きてきて初めて体験したエキセントリックというと素敵な褒め言葉ですねと松本幸四郎氏が言ってたっけたしかにあたしもまともではございません普通という基準があるとすれば、です。でも信じることを諦める人間にはなりたくないのです自分の言葉に責任をもてない平気で嘘をつくあの人に比べたら恥じない人間でいられるはずだと思っておりますさくらさくらいつまで待っても来ぬ人と死んだ人とは同じこと狂い咲きの桜でもかまいませんあの時貴方がちいさな蕾をみつけた桜の花を見上げて背中から抱きしめてくれたことあの時の涙は嘘ではないのです貴方と出逢えたことで生きていて良かったと思ったもう一度ふたりで桜が見たかったあの人はいまどうしていますか?神様もう二度と会えないのなら忘れさせてください
2004年10月11日
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庭の金木犀が咲かないことに気が付くみなさんの日記を見て初めて感じたおセンチボルテージ絶好調の私は金木犀の香りでいつも秋を知るこの時期いつも祖母は入院していて私は金木犀を決まって病室に持っていった完全に身体の調子がおかしくなったらしく昨日もほぼ眠れず今日も同じ状態明日病院なんだなまたすっぽかしそうな勢い目覚ましテレビなんて10年ぶりに見たこの時間にはもう電車に乗って通学してた10年間の根性は何処に消えたやら敬愛なる吉井和哉氏の誕生日ジョンレノンもおめでとうとにかく身辺整理の日々片付け物は山積み「蜜色の手紙」が出てきてふーんもう7年も経つのかと31歳の彼を見る嗚呼やっぱり同世代の顔だわそれでリンクから飛べる現在の38歳の彼は気絶しそうにカッコいいいい歳のとりかたをしてると思う男の魅力は30代からだと思う20代の男性はどこか女性のほうが精神年齢が高いような街で聞くイエローモンキーの曲に立ち止まる妖艶でグラマラスなあのバンドはもう帰ってこない切ないなあ・・・・・・そして現在の彼も私は愛している心から「これからも変わらない」あのさ男達よ「変わらない」って言葉つかうなら責任持てよ永遠は何処にあるのだろう?なんて10年前の思考回路に戻っている私。でもよくもまあ10年単位で人を愛してきたなと我ながら感心で現実にあたしが愛してた男は多数の恋愛の中で3人くらいだろう一番長かったのが4年くっついたり離れたりでもあたしは彼がいれば何もいらなかった誰よりも私を理解してくれている手放した私からお揃いの指輪も取り上げたしばらく彼の指輪をペンダントにしてお守りにしてたそのことは今になって後悔したりもする孤独なんて感じなかった彼の長い指ギターを弾く指寂しいという気持ちはまだコントロールできないらしいとりあえず眠りたい思い出に守られてこれからの私の10年は戦いの始まり今までの倍のスピードで過ぎていくだろう母校の文化祭に行きたいなOBのライブとかさ最近母が年老いたと思う何処に行くにも母をひとりにはできない職業病で足腰が悪いに加え腎臓に爆弾を抱えている祖母のように遠出は車でしか無理になった多少気が遠くなる時間は流れる 確実にわたしは じかんと わたしじしんと たたかうしばらく自由はなさそうだ
2004年10月08日
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JAZZを唄ってほしいとの仕事が入り徹夜で歌詞を覚えているがスタンダードジャズなんぞわからんテネシーワルツはJAZZなんですか?これぞ名曲覚えておけというのがあればどなたか教えてください。ジャズが唄えればクラブシンガーとしてプロで食えるさね綾戸智絵さんのライブをかりてきたけれど彼女のリズムの独特さは一晩でマスターするのは無理英語の歌ならいくつかは唄えるそれでごまかすつもり・・・・とりあえず椎名林檎のLOVE IS BLINDジャニスイアンのコピーDVDできいて鳥肌がたったので慌てて覚えている 新ネタ今あたしはこの歌詞にしか感情移入できないまるで受験勉強のように一夜漬けで歌詞を頭に入れれば音楽がながれりゃなんとかなるさと朝になってしまったところでジャニスイアンはどういうジャンルの歌手ですか?・・・・・・あたしなんて音楽無知なんだろう。ほいでうたうたいになろうとしてたなんぞ笑い話だ。ましてや後に音楽ライターとしての最終面接もうけた。詩集もビデオもCDも山ほどあるけれどあくまで自己表現のインスピレーションであってコピーなんて18歳までしかやってない大学入学してバンド作って2ヵ月後にはあたしの曲がメインになったフロントに立つ作詞と作曲をやるHARPYという欲望の塊を象徴したバンドのエロチズムのお遊び衣装を選ぶメイクをする髪型を作るあたしの理想を創り上げる当時より今のほうがよっぽど髪型もメイクも上手い結婚式にでるくらいのセレブなヘアなら自分でもできるようになったそんな意識プロに片足突っ込んでた時期はなにも考えなかった独りになったときにあたしは所詮5分の1の役割しか果たしてなかったことに気が付く全部独りでやるなんて無理だったよミキシング、エフェクト、そんなことプロに片足つっこんでから覚えた絶対音感も無い 楽器も弾けないそれでもあたしは無茶を言いセッションで曲を書き上げた恋をしていた愛されたかった一人の男を愛したら数百の曲が作れたもういまは無理。甘い甘いんだよすべてにおいて足りないんだ努力気絶しそうな出来事があって体中の血の気がひいたメッセで話しかけてくれたあたしのたいせつなひと。貴方のおかげであたしは滅入らずにすんでるそばにいてくれてありがとう仕事が終ればまた寝込むんだろうな言葉で人は殺せる充分でもあたしはまた生まれるその繰り返しパリの雪は200ミリでも飲みきれなかった甘い白ワインという感じ今そのワインを飲み干し歌詞を打ち込むいやでもあたまにはいるであろうまるで受験勉強今週はとんでもない高価なワインを3杯いただいた幸いフランスのものばかり恐ろしいことに味の違いが解ってくる。渋みのあるのはお料理のためにまろやかなのは本当にワイン好きな方に。お酒で忘れられるなら忘れたいこともあるさでも私は酔いつぶれたことがないあきれるほど弱くて強いHow long will it take before I can't remember memories I should forget?I've been burning since the day we metLove is blind love is without a mercyLove is now you've hurt me now you've gone awayLove is blind love is no horizon ANDI'M SLOWLYDYING HERE YESTERDAY
2004年10月07日
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秋は冬という蝶のサナギだという言葉に妙に共感してしまった。親友たちやサイトを覗いてくれる身近な人たちがしんどそうだねと口を揃えて心配してくださる。いや確かにきつかったんです。でも本人はありのままの状態しか書かないのでさほど感じてなかったんですが。実際身体も思うように動きません。今週から病院はしごしてきます。(T_T)というより病院に行くことすらしんどい。2時間待ちは気が重い・・・・3ヶ月お店はお休みします。新商品の入荷は未定です。昨日大きなミスをしてしまったし年明けには祖母の3回忌が控えていて。本当なら舞台を控えていたのかと思うとぞっとする会場の手配お客さん稽古無理ですな。無理でした。お弟子さんの数人が私と同世代でちびちゃんを抱えてる人が多数・・・・・7回忌は意地でも追善舞踊会をしたい。生きてるかどうかわからないと笑うお弟子さんもいる。彼女は70代にして税理士事務所の社長現役だしとても美しいせっかちな母はお弟子さんと倉庫の整理祖母との思い出が多くて捨てられなかったものを処分できるようになった母はすこしづつ立ち直ったのかもしれない「燃え尽き症候群」バーンアウトシンドロームは本人もツライだろうけれど支えきれない私も辛かったまだ闘いは続く無くなったという大切なアルバムがでてきた誕生日の写真がたくさんのっていてたくさんの愛を注がれていたことを改めて思う捨ててしまったものはかえってこないけれどなくしてしまったものならかえってくることがあると吉井和哉氏は唄う人生で3本の指に入る大恋愛の相手の携帯番号を削除したこうでもしないと断ち切れないなあなあの時間はもう過ごせない彼から連絡はない電話にもでなかった繋がってもたいてい忙しそうで3秒くらいで切る辛い時にストイックになるのは私の性格だそして彼を支えることもできなかったごめんなさい必要なら数分の電話でも一通のメールでもあるかしらと思う別れた男の電話番号もう使われてないものですら残っている暴動にでたもんだだってリダイヤルでかけてしまうもんな繰り返しさすがにメールまで消去はできなかったあたしも潔くないなそしてフェイドアウトになるような男を愛したとは思いたくない変わろうとしている今の私も蛹だみんなにとてもよく似合うと褒めてもらうお気に入りの着物がある祖母が大切にしていたまだ数枚の着物しか買えなかった時の一番好きだったものだと母が言うアルバムの1ページ目綺麗に日本髪を結い上げた祖母はその着物で生後2ヶ月の私を抱いているそして18歳から両親を養い父親のいない私を育てた母は今の私よりも若く凛とした美しさがある敵わないと思った立派に大人になったのに私には足りないものが多すぎるそれでまた馬鹿みたいに泣いた私に注がれたたくさんの愛情を思って30年前の着物はその年月を感じさせないくらいに美しい状態で私に譲られた祖母の几帳面な管理の結果だお洋服では不可能なことかもしれない祖母が愛した着物と母の大切にしていた鼈甲のかんざしで私は紅をひくもう似合わないとは思わない
2004年10月06日
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30年前の1時17分に私は産声をあげた頭が半分出た状態まで自宅にいたらしいとにかく難産だったとそれはもう育てにくい赤ん坊で昼夜逆転ミルクは吐き出す寝付かずにぎゃあぎゃあ泣き出す私を祖母はおんぶして何度も外へ連れ出してくれていたという強情で育てにくい赤ん坊はやはり大人になっても変わらないらしく母と私は未だにウマがあわなかったりするふたりでひとつだったその片方の祖母がいた場所に私の形はうまくおさまらない親子とはいえあの人たちの愛情はきっと魂のレベルで固く結ばれて何度も輪廻転生を繰り返すのかもしれないちょうど亡くなる前祖母が寝付けずに夜中に車椅子ででかけた少女に還っていた祖母は私の子供時代と重なったやはりトラウマは消えず母も今日が骨折した日だと特別寂しいという私は手足の震えが止まらず・・・・・・記録としてキーボードを叩く一年前まだ気持が張り詰めていたただ静寂しか記憶に無い日記を読み返してみようと思う二年前今の時間には家のそばの病院を何度も入院の準備で往復していた朝方入金済みのお客様の発送をすませてその後で救急車で大阪の病院へ転送された放置されること10時間その後の闘病記はみなさんもご存知のとおりこの3年間というのはまさしく私もブラックホールにいたのかもしれないそこから少し這い上がったのだけれども30歳になったとたんにトラブル続き母は歯を喰いしばって眠っていたらしく顎が砕ける寸前までまた歯の調子が悪いらしい私は私で腎臓の調子がおかしい身体にもメンテナンスが必要なようだいつかホワイトホールを見つけ出したいすべてのエネルギーを放出するというそういえば喪が明けてこの一年黒の服は見事に一度も着ていない購入もしてないお洋服は目的がなければ必要がないもの可愛いワンピースももう見せたい相手がいないらしいまた中途半端に肌寒くなった買い損ねたプードル裏地のスプリングコートちょっと後悔ジャージ生地では寒いしニットも中途半端ハーフダウンもまだ早いしまったくもって悩む寒いのは気温のせいだけじゃないのかもしれないでもさ「もう誰のせいにもしないって」ありがとうありがとう私に流れた色んな人たちの血
2004年10月05日
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長らく更新をお休みしていました。肉体よりも精神的疲労のほうが大きかったので。10月になって少しふっきれた気がしたのです。30歳を迎えるまでになにかを、ととてつもない焦りを感じていたから。日記を読んで私を気遣いメールをくれた大切な人たちありがとうございます。元気ですとは自信を持っていえない状態ですがぼちぼちと生きています。お店の動きもしばらく充電状態にはいります。そう27歳の誕生日も病室で迎えました。28歳の私の誕生日その日に祖母はトイレでつまづき骨折をしました。10月4日深夜そしてちょうど3ヶ月後の1月4日に逝きました。二度と家に帰ることもなく。外泊することもなく。つまりその骨折の現場にいたのは私なわけで彼女を救えなかったのは事実でそしてその骨折が祖母の死に繋がった。母も時折いえ未だに悲しみから完全に立ち直ったわけではなくやり場の無い空虚感を私にぶつける時は私が祖母を殺したと言ったこともあるのです。ばーちゃま怒ってますか?微笑んでお姫様みたいに幸せそうだった亡骸真実は私が彼岸を渡るまで解りません。これから誕生日が来るたび自分の生きてる意味を確認してゆくのでしょう。ふらりと私の好きなカフェ ド パリの新作「パリの雪」を見つけてまだボトルのまま部屋においています。誕生日に独りで飲むか、となんとなく今日決めました。桜の香りの大きな瓶は母とダーリンと私の三人で飲めたのにね。今日マルゴーを頂いてお酒嫌いの私でも飲めたわけです。マルゴーとはフランス製の赤ワインで「失楽園」で二人が死を選ぶ瞬間に選んだワインだそうで。身体を繋いで絶頂を迎えた瞬間に青酸カリをワインで飲み干すとても衝撃的で美しい死だったと私は感じたのです。死後硬直で固まった二人はなかなか引き離すことができなかったと。それくらい人を愛することができるでしょうか?納得のいく死が迎えられるでしょうか?やっと人生の半分近く生きたのです。さあ旅はこれから。つらつらと書き終えた後にあーやはりあたしはフランスが好きだと。Marieという綴りもシャンソンも映画もワインですらフランスのものだけを美味しいと思う。(チリワインで卒倒しかけたことがあるので)シルクスカーフに帽子のマダム爆音で聞いてみる ジャガーならライフルであの世逝きだから今夜から空回りさマダムはマリーなのだけれどもあたしは今夜フランス行きの船で好きなりんごをかじりながら・・・・あたしもいつか訪れようお洋服を愛する街、パリへ。40歳までには叶うかな?叶えなくちゃ。そうだよね。
2004年10月01日
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人生で初のフラッシャーに出会う夜道なんぞ怖くないと思っていたししかもその日着てたのは竜神ジャージの上下んないかつい格好なのにさなんで下半身丸出しで走って追いかけてくるわけ?詳細を書くと削除されそうなので省略捻挫した足でこっちも逃げる電話するが男性には見事繋がらず後をつけられたので結局110番雨が降り出したのに親切に現場検証とかになっちゃって面倒なのでそこはもう二度と通らないことにした高校生の頃夕方でも変態が隠れてて一回だけ気持悪いことをささやかれたことがアル。お目にかかったのは初めてだしかも20代前半だよ煙草の火でも焼き付けてやればよかったおじさんなら立ち直れてないな・・・・とかいいつつ初めてのデートで見に行ったのはタイトルの映画だったゲンズブールのアングラな世界京都みなみ会館てまだあるんだよね松田優作の息子さんの映画の広告に見入ってたなかなかいい味の役者さんになったなと藤原竜也くんのムーンライトジェリーフィッシュ見たいなあでもいまもうそんな自由な時間は、ない。寺山修司の映画やら岩井俊二の作品マニアックなものは貪るように見ていた二十歳の頃感性を刺激してくれる人たちがあたしのまわりにはたくさんいたエゴラッピンのボーカルのよつ先輩もそうだ。(今楽天ダウンロードでライブが見れますね)京都にいる先輩に10年ぶりに会いに行きたいなあと感じた夜何度もお茶に誘っていただいてるのに出て行けずじまいで未だ映像やアートの世界できちんと自己表現してそれを職業にしてる人達はすごいそういう意味ではあたしは自分に負けたんだと思う。
2004年09月23日
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朝一生懸命書いたのにばぐりました・・・・えーとオリジナルTシャツでお世話になっています久米繊維工業様が明日テレビで紹介されるそうです。明日9月11日(土)21:00から放映の「出没!アド街ック天国」(テレビ東京系列)は「錦糸町ベスト30」秀幸社長さんとはお電話で御仕事以外のお話を長々としてしまったという素敵な方。6月に東京へ行くはずだったのですが母親の手術やらなんやらと重なりまだご対面できていないのでとても楽しみです。ネットというのは本当に不思議な世界で。こんなにもびっくりするような出逢いを導いてくれます。私のわがままをいつも心優しく対応してくださる村上さんお電話ではいつもお話していますがお姿拝見できるかしら?久米ファミリーの皆様の日記はお気に入り日記リンク一覧からどうぞ・・・・・
2004年09月11日
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