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天安門事件を描いた小説。中国人では初めてではないだろうか。 国内では未だに天安門はタブーとされている。建国60周年の佳節に図解60年史が出ていたが、それにも天安門が載っているのは毛沢東の建国の演説だけだ。文革は批判しても問題ないが、天安門批判は罷り通らぬ、中国政府の統制であり、メディア事情が浮き彫りになっている。劉暁波のノーベル平和賞受賞も報道されない。 あの頃、真剣に民主化を叫び、中国の変革を望んだ人間は歴史の流れとでも言うべき大きな波にさらわれ、漂泊の民となってしまった。しかも現在は党員に資本家を巻き込み、中国政府はもはや共産主義ではなくなっている。これまた歴史の流れで中国政府もさらわれ、残っているのは共産の看板だけとなってしまった。そうした民主化運動家のアイロニーというべきものが、この作品の中には漂っている。 日本人がこの作品を読んだらどのような反応になるのだろう。学生運動に加担した団塊世代は、間違いなく、目を輝かせながら、「覚えているよ。日本でも同じ事があった。あの頃は輝いていた。」と昔の思い出話を語り、「今の学生には意気が無い。」という論に至るだろう。 作者の狙いはそこではない。作者はエピローグにおいて、小説を書くことは自分にとって喜びだが、この小説は「怒哀」がこもっている。と述べている。また、芥川賞を受賞した日の夜、家に帰り布団荷入ったとき、涙が溢れてきたという事も述懐している。 今まで、日記、ルポルタージュ的なものは存在していたように思う。しかし文学という芸術の場でこの問題を取扱い、その心理描写に成功をした例は今回が初めてではないのだろうか。しかし、日本文学の中ででしかこの問題を取り扱えなかったのは、皮肉というほかないだろう。 文学大辞典によると「小説」という語源の一つにこのようなものがある。昔、中国の裨官という人間が、巷の中にある話を集めた。というのは、王が民がどう思っているのか知りたいという意向があったからだ。その集めた話を小説といったらしい。小説というのは語源から、見えない世の感情を見つけ出し、それを顕わにする性質が存在しているということだ。 中国にはその伝統がある。林語堂は近代の社会諷刺小説の淵源を呉敬梓『儒林外史』と置いている。魯迅も中国の病んだ精神の治療を文学命題とした点で、『阿Q正伝』もその流れを汲むものと位置づける事ができよう。また清末から文革までを描いた陳忠実の『白鹿原』もその流れの中における。文革を描いたものは、現在多く存在する。 今回のこの作品はまた一歩進む兆しを示した小説と言うことができるのではないか。 時が滲む朝 (文春文庫) (文庫) / 楊逸
2011/06/02
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福井晴敏『虹の彼方に(下)機動戦士ガンダムUC10』角川書店、2011年を読了。 文庫版が発行される度に購入し、ようやく最終巻に至る。一気に読めない発売日待ちという感覚は、適度な枯渇と焦燥を与え、読書欲を強めてくれる。(以下、内容に触れる部分があるので、ネタバレが嫌な人はここまでで止めてくださいませ。) 他人の作品を受けて、それをもとに新しい作品を創作するというのは、最初に作った時よりも、かなりの繊細さを必要とするのではないのだろうか。特に「ガンダム」というのは、開始以来日本のロボットアニメ、SFの代名詞と言えるものとなり、90年代にエヴァが出るまでは独壇場ではなかったかと思う。 今回の作品にも、コロニーレーザー、逆襲のシャアのアムロとシャアの生身の戦闘を思わせる肉弾戦、ゼータのラストのカミーユの台詞などがオマージュとして登場する。シリーズが好きで内容を知っている人なら思わずニヤリとする内容が登場する。 最終巻という事で、これまでとっておきに置かれていた秘密が明らかになる。この作品の本筋、『ラプラスの箱』の正体と、フル・フロンタルの正体。謎というのは知ってしまえばどうということはない、話の随所に挿入される。しかし、その由来と経緯、その文脈の中でみれば、重大なことと分かる。 なんとなく、9条を想起した。戦争放棄。ただの言葉、ただの条文、言ってしまえばそれだけのものだろう。しかしながら、それの生まれた経緯、国際情勢、そして今もそれが保たれている事実を考えると、非常に素晴らしい奇跡みたいなことであると知覚する。そのようなものに近いのだろうか。未来に対する善意、祈り。可能性への希望。 この巻には「可能性」「祈り」ということばが登場する。精神の可能性、未来への可能性、未来への祈り、祈りは決して神への祈りではない。人のささやかな善意から発する願いというニュアンスを受ける。 「F91」からガンダムを知って、一通りの作品を見てきた。富野作品でない本編の人間が登場する作品として、高い評価を受けていい作品だと思う。「世界文学」とはどうかと思うが。 少なくとも、日本のエンターテイメント作品として、誇っていいものではないだろうか。 アニメの方も見ているが、やはり小説版の方が人の心の細かな表現が優れていると思う。アニメもその表現はなされているが、味わうにはあまりにも早いと感じる。心情描写にこだわってしまうと映像では間延びしたものとなってしまう。ここらへんが難しいところなのだろう。 率直に、この作品はおもしろかった。満足している。 まあ、あえていうならサイコフレームの万能すぎな気がしたぐらいか。まあ、ニュータイプという概念も曖昧だし、開かれた可能性の要素がないとSFとはいえないよね。 そんなことを感じた。
2011/06/01
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ユニコーンガンダム7『黒いユニコーン』を読了。だいぶ、クライマックスに向けて加速してきた。内容はオードリー(ミネバ・ザビ)、洗脳されたマリーダ・クルスの救出が主な内容。前回までの機械系統への比重が、今回はキャラクターの心情への比重にシフトされた感じがある。主人公バナージの前回に引き続く成長、ミネバの運命を受け止める態度、財団のボス・マーサ、父親とバナージへの鬱屈した感情と強化人間に想いを寄せるアルベルト、家の負った責務とミネバへの恋心に苛まれるリディ、マリーダを父親として守ろうとするジンネマン。それぞれのキャラクターが感情の顔を見せ始め、物語が進んでゆく。でもまさかラストで『逆襲のシャア』でのアムロの台詞が出てくるのは、笑った。続きの文庫はまた数ヶ月後だろう。楽しみだ。【送料無料】黒いユニコーン
2010/12/23
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村上春樹著『風の歌を聴け』を読了。村上春樹のデビュー作。内容は『ノルウェイの森』のその後の僕、荒削りという感じがした。大学に通う主人公の僕は、長期休暇中?それとも授業に出ずに帰って来ているのか、その点は不明だが、(ただテストになるので帰るという設定になっているので、後者の可能性が強い)地元に帰って、鼠と呼ばれる同世代の人間と仲良くなり、ジェイズバーの常連になる。その時期の回想を交えながら語られる一連の物語。ある文学の講義を取っていて、その人が春樹を非常に推していて、その勧め方も心酔というものではなく、冷静によいと思える勧めかたをされていた。「『ノルウェイの森』を初読したとき、なんだこの作品はと思い、この人は合わないのだろうと思ってその後読まなくなった。」という切り出しかたも共感を覚えた。そこで、代表作として、前期3部作『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』そして、それに収まり切れなかった『ダンス・ダンス・ダンス』、その後のまとまりとして『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』と紹介されていた。 『ノルウェイの森』は「再生のない物語」だな~と感じ、あまり好きになれなかった。しかし、一冊で作家を毛嫌いするのもどうだろう、と思って、失敗しても時間を食われない。短篇『アフターダーク』に手を出してみた。 正直、この時始めてこの作家はおもしろいと感じた。暗くなった後の都市の闇、昼の世界にはない人間の闇について巧みに表現されている、そう感じた。 なので売れっ子であるし、一応日本人である上は読んでおこう、そう決めた。しかも作品はノルウェイの森のようなものばかりではないようだから。『風の歌を聴け』は文学を創造する側に立つという意思表明のように思えた。その面で宣言文的な小説に感じられた。今のところ『1973年のピンボール』を読み終わり、『羊をめぐる冒険』を読んでいる所だ。また時間のある時に感想を記してゆく。【中古本】 風の歌を聴け (講談社文庫)
2010/12/22
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松本清張著『神と野獣の日』を読んだ。 きっかけは同部屋の修士の方が清張にハマっており、清張の中では『鬼畜』と『神と野獣の日』がおすすめだと言っていたので、図書館で借りて読んでみる。 あらすじ:Z国の誤射により、東京目がけて五発の水爆が発射される。3発までは迎撃できるが、着弾は免れない。水爆が着弾するまで42分。それまでの政府首脳のエゴイズム、一般庶民の狂乱、人間の本性を描き出す。 感想:紹介にSF小説に挑んだ作品と書かれてあるが、今はこの話、まったくもってSFではない。朝鮮半島の北にある国は核爆弾を所有していることを公言し、その保有数が10発になろうとしていると言われている。 国民が飢えて死にそうになっているのにも関わらずだ。 あの国は最近、南の国の領土に何年ぶりかになる地上攻撃を行った。専門家の話によれば、軍部の暴走を止められない、もしくは代替わりの際の手柄作りに急いでいるとのことである。 あの国ならば、ボタンを押し間違えて、または軍部が暴走して、東京に向けて核ミサイルを発射しかねないだろう。 まあ、届かないかもしれないが。 自分がこのような状況に置かれたら、きっと理性をなくすんだろうな。 そんなことを思った。神と野獣の日改版
2010/12/10
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ガンダムUC6巻。次巻は11月に発売されるらしい。待ちだ。間一髪でジンネマンに助けられ、地球に降下したバナージ。ラプラス・プログラムが示したのは地球連邦の首都・ダカール。この巻でのメインはバナージとジンネマンとの掛け合い。彼との関わり合いの中で、主人公バナージは成長してゆく。この巻で登場するマハディは非常に薄っぺらい。登場時間が短いことに起因しているのかもしれないが、ステレオタイプのイメージにいるイスラムのおじさんと独善的な父親というマイナスのイメージの積み重ね。なんだか薄っぺらい悪役だなと感じた。またこの巻ではあっけなく死んでゆく民間の人間描写が目立つ。まあ、戦争になればこうやって死ぬ人間が無数に存在するんだろうな。ラプラスの箱が抱えている秘密とは何か?マリーダさんはやはり死亡してしまうのか?フル・フロンタルはシャアなのか?もしシャアだとしたら、アムロはどこへ?オードリー(ミネバ)は救出されるのか?先が気になる。重力の井戸の底で
2010/10/28
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東野圭吾『容疑者Xの献身』を読了。日本文学の授業を教職取得のため履修していて、雑談の中で勧めていた。とりあえず、皆が呼んでいる通り、「ダンディ先生」としておこう。書籍コーナーをふらついていた時、目に止まり買って読んでみる。「途中までは普通の流れなのだけれども、え~、そっち!!という意外な流れが存在する。」とダンディ先生はおっしゃっていた。物語中盤までは、順当な流れだった。大体の流れは予想のつくものだった。表題の通り、「献身」だった。これのどこに意外性があるんだろう?と訝った。しかし物語終盤、本当に予想もしていなかった展開が現れた。「え~!!マジかよ!やられた!」思わず声を発するぐらい、予想外の展開だった。まさにそうくるとは思わなかった。この展開はいままでにないもので、完全に虚を突かれた形となった。展開には完全にやられた。でも結末は、個人的にあまり好きではない。誰も救われていない。まあ、殺人事件で誰かが救われてしまうのは、あってはならないことかもしれないが。しかし結末はなんだか虚しい。展開が絶妙だっただけに最後はなんらかの別の結末を用意してほしかった。展開の意外性と言う面では非常におすすめ。容疑者Xの献身
2010/10/21
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『パラオ攻略戦』『ラプラスの亡霊』読了。 ユニコーンガンダム3、4。 連邦、財団、ネオジオンが三つ巴になり、世界を覆す可能性を秘めているという『ラプラスの箱』をめぐって、駆け引きを繰り返す。主人公バナージは箱の鍵を持つRX-0:通称≪ユニコーン≫を託され、運命の奔流を泳ぎあがく。 マリーダさんに魅了された。 こんな深い影を背負ったヒロインがでるとは意外だった。いや、ヒロインはオードリー(ミネバ)で彼女は違うのかな。でも、彼女は救われてほしい。 いままでフォウ、プル、プルツー、ステラと強化人間の女性パイロットは必ず死亡しているから、デットエンドは嫌だなぁ。 福井晴敏氏の作品は今まで読んだことがなかったが、宇宙世紀の世界観を崩さず、さらに子供の頃以来のファンが大人になっていることに配慮をいれた、台詞などが随所に見られる。 他人の作った世界観を受け継ぎ、ファンの多い作品の続編を書く。並のことでないが、非常にハマっている。おもしろい。パラオ攻略戦ラプラスの亡霊
2010/10/19
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誉田哲也著『武士道シックスティーン』を一気読み。気になってはいたのだが、単行本はやはり高くて手が出せず、文庫版になるまで待った。よせばいいのに…。体調も優れず、むしろ本格的に悪い。鼻だらだらだし、匂いもなく、熱っぽい。今日の午後には今期の論文の経過報告が控えている。しかし一気読みしてしまった。ということは作家に力があるということだ。私が剣道経験者で高校の時の思い出に浸っていたということを差し引いても。内容は修羅?のような姿勢でとがった剣道をしている磯山香織と柔らかさをもった剣道をする甲本(西荻)早苗が主人公の青春小説。あとは省略。展開も読みやすいし、映画も公開されていたらしいので。でも小説で読んで良かったと思う。浮かんできたのは、母校の剣道場であり、昔の剣道部の仲間たちであり、がむしゃらにやっていたあの頃の感情を思い出した。そう、あの時もがむしゃらだった。そしてやはりそれを支えていたのは彼女達と同じ感情。剣道が好きだった、という心。私は磯山や西荻のように全国区に出るような選手ではなく、弱小剣道部だったけれども、必死だった。あのころもやはり自分はセンスがなくて、あるのは勢いだけ。小学生のころは兄貴に追いつきたい一心でやっていたし、中学のころ出来なかったせいか、高校ではまったく勝てない状態が一年ぐらい続いた。この二人のように技も力もないので、とにかく乱戦に持ち込む。そんな泥臭い剣道だった。でも、二年の新人戦、四月の大会で勝てた時は本当にうれしかった。今思えばかなり勝ち負けにこだわっていたように思う。でも楽しんでいる面もあった。大学で続けたかったが、またあのギャップを埋めるのには…、と要するにしり込みしてしまった。あのときと同じだ。好きなのにも関わらず、この先続く苦難にしり込みしている。そうじゃないだろう。どうしても研究がやりたい、だから大学に戻ってきたんだろう。学部生から教職の授業のディスカッションで気持ち悪がられても、嫌がられても、それはどうでもいいことなんだ。体が風邪を引いているということも、どうでもいい。自分は研究が好きで戻り、この道を選んだんだ。それを忘れちゃいけない。無論、どんな世界においても勝敗はつきまとう。そこは忘れてはいけない。けれども、自分の原点である純粋に知らないことを知ろうとする知的好奇心。学究心というべきか。それを忘れちゃいけない。高学歴ワーキングプアになったとしても、その気持ちは捨てちゃいけない。また自分を支えてくれている人がいることも、忘れちゃいけない。その人達に報いるためにも、自暴自棄になってはいけない。負けないことだ。見失わず、目の前のことに最善を尽くそう。 【中古】文庫 武士道シックスティーン
2010/10/14
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ナポレオンによってヴェネツィア共和国が終わりを迎える。海洋国家として維持できなくなったヴェネツィアは農業にシフト。そのために身分の固定化、貴族の衰退を招く。トルコとの交戦で地中海の権利を失い、ナポレオンによってとどめ。ヴィヴァルディの世紀では最後の間に享受していたヴェネツィアの文化とその豊かな観光資源、風俗についての物語。解説に書かれたように、また、書き出しで書かれたように人物を中心に描かれるわけではなく、終始一貫してヴェネツィアという都市が主人公となって描かれてゆく作品だった。以下は読後の雑感。ローマ人に比べて重いと感じた。読み進める上で、ローマ人と並行して読んでいたが、時間がかかった。最終巻ということからか、終わりはいつも寂しい。貴族達の自己保身はその前の歴史からある「高貴なるものの務め」となんだか隔離された感があった。英雄、独裁者?優れた指導者は敵から見れば独裁者としか見れない。トルストイ『戦争と平和』でもナポレオンは卑小化して描かれる。人の本当の姿、それは想像の産物?いまでもヴェネツィアは観光名所だ。いつか行ってみたいものだ。まあ、お金さえあればの話だが。貧乏ってのはお金のないことではなくて、ないと感じることにある。なんてね。そんなことを考えた。海の都の物語(6)
2010/09/22
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感想『悪人(上)』巷で話題の吉田修一『悪人(上)』を手に取ってみる。舞台設定が九州だったので、立ち読みしてみると、台詞が九州弁だった。これは読みだと思い購入。保険営業員、石橋佳乃が県境の峠で遺体で発見される。誰が彼女を殺したのか。なぜ彼女は殺されたのか。その疑問が底辺に流れながら、周囲の人物が描かれてゆくことで、主人公を立体的に描いてゆく。作者は長崎の人らしい。石橋佳乃、清水祐一を描くために周囲の人間の目線を利用している。そのやり方はおもしろい。宮部みゆきの『理由』にも見られたような方法だ。しかし、物語に弾みをつけるためだろうか、やたらとへるすとかの性的な設定が登場する。まあ、人間を描く上でははずせない部分なのだろうけど、そんなのを見てしまうと作品が低俗な雰囲気をだしてしまうと思うのは、自分の見識が狭いからだろうか。ただ、上巻の帯表紙の裏に映画のことを載せるのはいいんだけど、犯人まで明かさないでよ。と思った。かりにもサスペンス的要素を含んでいるのなら、その面白みが半減してしまう。とか言いつつ下巻も買って読むんだろうな。『悪人(下)』読後感 サスペンスじゃなかったのね。 人間を人物を描いた作品。 映画は公開中なので、あらすじは飛ばすとして。まあ、整理のために少し書き込み。 後半は、祐一、光代の二人が中心。正直この二人の物語になんの感動も覚えなかった。自分が薄い人間だからだろうか。愛する人が殺人者で、自首を勧めるよりも、一緒にいることを選んだ。そのような女性を、本当に愛しているんだねとか、純粋だねとか、思わず、というかこれを読んだ人は一つの純愛の形だと賛美でもするのだろうか?寂しい女性だな。としか感じなかった。結局は寂しいだけで、それを埋める存在が欲しかった。それが見つかり喜んだ。それを埋めてくれる存在を愛と呼び、執着をした。こんなことを考える私は愛なんてものが一生分からないんだろうな。理解できっこないと思う。最後の部分は欺くための見え透いた嘘だが、なんだか哀れだ。関係ないが殺人者が恋人に自首すると話す場面は、ドストの『罪と罰』を想起させた。 本筋の話よりも、感動して涙腺が緩んでしまったのは、祐一の母、房枝の物語だ。戦争中を生き抜いた子供時代、娘が置いていった孫を育て、世の中で必死に生きてきた母親。夫は体を悪くして病院と家を行ったり来たり。孫の祐一は殺人犯として指名手配され、逃亡中。自身は悪徳商法に騙され、請求の電話に怯える毎日。しかし物語の終盤、オレンジのスカーフを巻き、背筋を伸ばし、悪徳商法の業者の事務所での「馬鹿にされてたまるか」と啖呵をきるシーンはなぜか涙が溢れた。きっと、世間の奔流に対して小さい体をピンと伸ばし、立ち向かう様子が、母親や母方の祖母を想起させたからだろう。九州弁という点もそれを想起させた。たぶん、ほかの人が読んだら何ともないシーンなんだろう。でも自分には今この時を生きている母親の事が思い浮かんで、涙をこらえるのにこらえきれなかった。同じことは他の作品でも言える。リリーさんの『東京タワー』のオカンなど。自分は九州弁で話す母親の物語に弱いのだろう。でも自分だけの感覚だろうか。きっと誰かしらは理解してくれるはずだ。九州の「母親」は本当に魅力ある人が多い。母は偉大だ。あ、感想からだいぶ脱線した。以上。悪人(上)悪人(下)
2010/09/19
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ミラノ司教アンブロシウスユリアヌス以後、キリスト教化の道をローマはひた走りに走る。ヴァレンティ二アヌスの皇統を経て、テオドシウスが皇帝となる。テオドシウスは30代で病気をした時、洗礼を受ける。その後病状は回復。つまり、ローマ皇帝は「羊飼い」に導かれる羊と成り下がる。その事実を二十年の高級官僚の経験のあるミラノ司教アンブロシウスは利用し、ローマ皇帝の上に神の意志の伝導者である、司教の存在を確定させる。皇帝の勅令を撤回させ、贖罪で皇帝を跪かせる司教。いや、いまでこそ思えるが、宗教の特権階級は恐ろしい。キリストの勝利…、つまり古代ギリシア・ローマの神々に対する勝利。それによって、都市の到るところに置かれていた神々の像が破壊、もしくは廃棄、神殿は一部教会へと変えられ、残りは破壊された。抵抗を試みたものもいたが無力だった。文芸復興が起こり、いまでこそギリシア・ローマの神々は文学や芸術として、受け入れられているが、今日見られるのはその廃棄されて忘れ去られたもの。川底に沈んでいたもの。メルトダウン、ローマ帝国は崩壊ではなく、融解したと言う方が正しいのではないか、作者は問いかける。たしかに、ローマ的性格が危機に対処しようとするために変容してゆき、本来のよさを失っていっている。キリストの勝利はローマの精神の一つ、寛容を失わせた。なんだかもう、ローマではないなぁ。ローマ人の物語(40)
2010/09/17
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塩野七生著『ローマ人の物語39キリストの勝利』読了。背教者ユリアヌス。 もともとキリスト教を信仰していなかったんだから、背くも何もない。ただ親族がキリスト教振興政策を行っただけでそうなっている。と作者は述べる。 背教者という響きは新鮮だ。正義のお話をする道徳論者に敵視されることは、なんだか逆に正しいことをいっているような気がしてきてしまう響きをもつ。 キリスト教信者より投げつけられた蔑称。 キリスト教信仰者なのに、家族を殺したコンスタンティウス、内輪もめが好きなキリスト教の司教たち、そのようなものをみてキリスト教が正しい道を導くとは考えられなかっただろう。 その中で、幼少期の素養にあったギリシャ・ローマ哲学に立地点をもとめるのも理解できないことはない。 読んでいて、この人から三国時代の蜀の劉備を想起させた。 ならば、フラヴィウス・サルティウスがさながち諸葛孔明になるのかな。少し過大評価しすぎか。 そう感じたのはユリアヌスがペルシア戦役中に死んだこと、回帰を旗印としたこと。まあ、実際、かなりの点では異なるから比較にならない。 しかし時代の流れに逆らってよい時代と思われる方向に路線転換しようとすると、必ずと言っていいほど押し流される。 キリスト教は抱えなくても言いような聖職者という新たな特権階級を生み、皇帝は民衆が選んだのではなく、神が選んだ。神意の代表が皇帝であるとする権威づけ。人間からの権利の剥奪。 漢王朝復興を掲げた劉備。でも時代は漢王朝に流れていなかった?う~ん、ここら辺は思索の詰めが不十分だな。 劉備は何かの宗教に対抗した訳ではない。彼は天下を平定するために漢王朝復興を旗印に下に過ぎない。 かなり、やはり異なるな。 その他に、個人的に同世代という事からか、非常に興味が沸いた。好感と親近感を感じた。 自分とはまったく似てないんだけれども。 6歳まで皇族として育てられるが、父親が誅殺され、突如、幽閉生活。その後、少しの自由が許され、哲学を学ぶ。本人はそれに満足していたのだろうが、兄が殺され、時代の流れは彼を副帝にした。正帝コンスタンティウスは止むをえない選択として彼を副帝にしたので、冷遇。しかし、ユリアヌスはガリアで蛮族討伐に成果をあげる。その後、周囲に推されて正帝に。あわや内戦とのところで、回避され、その後一年半の帝国統治に奔走。その中で、謀殺される。 読み取った彼の一生を要約するとこんな感じか。 共感できるのは兄がいたこと。哲学が好き(いや、でも私が好きなのは文学か)なところかな。 以上が読後の感想。ローマ人の物語(39)
2010/09/07
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塩野七生著『ローマ人の物語38キリストの勝利<上>』読了。文庫本で、かなり小さく分けられているので、読みやすい。まあ、出版社の商魂を感じないわけではないが。好い本は多少高くても買いたくなるのは人間の自然だろう。コレクターは自分の収集物が整然と並んでいるところをみて楽しむと言うが、自分もそれに近いところはあるかもしれない。本が整然と並んでいる様に「美しさ」を感じる。本を売ることが出来ないのも、そのせいだろうか。しかし背表紙から何も物語ってくれない本は、いらないと感じる。自分が読んだときの感情、実感、思い出、あらすじ、内容、それらが浮かんでこないものはよい本であるとは思えない。今回の「キリストの勝利」とはどういうことだろうか。前章、「最後の努力」読んで、だいぶ経過しているので、うろ覚えだ。たしか前章はコンスタンティヌスまでだった。今章の冒頭で、コンスタンティヌス死亡、大帝という称号が送られる。その後、後代に引き継がれるが、犯人不明(作中ではコンスタンティウスか?と推測されている)で後継者が謀殺され、コンスタンティヌスの長男と三男が争い長男死亡、三男も部下の裏切りによって殺害。のこるコンスタンティウス(まぎらわしい…)がローマを支配。父の遺志を忠実に守り、キリスト教の力を強める。マグネンティウスの乱を鎮め、東方守備を任せていた副帝ガルスが使えないため処刑。かと言って帝国は一人で支えられないので、ガルスの弟ユリアヌスを副帝にする。副帝ユリアヌス、蛮族平定、ガリア再興において功を為す。後半はすべてにおいて失敗はしながらも率先して先頭にたち、奮闘する青年副帝と、戦場は常に部下に任せ、権威と畏れで内気な性格を隠す絶対君主との対照で話が進められてゆく。中巻が楽しみ。宦官。西洋の歴史にも彼らの存在があることを知らなかった。てっきり中国の歴史にだけ存在する人たち、そして腐敗、末期王朝の代名詞かと考えていた。コンスタンティウスの下に宦官エウセビウスという人物が登場する。中国の歴史に登場する秦の趙高や後漢の十常侍を想起させる。西洋の歴史に自分は非常に疎い。高校では世界史を選択できないカリキュラムになっていたし、当時の自分の関心は中国だったから。それは多分、司馬遼太郎や陳舜臣が好きだったせいもあるのだろう。そう考えると自分の関心は、文学にあったのか、歴史にあったのか?ただ無味乾燥な事実の羅列、訳の分からない分析などは読めない。最近、国際関係の研究書を読むのだが、マスコミの論説とこれらはどう違うのだろう?その点がはっきりしないと、論文がかけない。まあ、書いて否定されて分かるのかもしれないが。続きを楽しもう。ローマ人の物語(38)
2010/09/05
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塩野七生著『海の都の物語~ヴェネツィア共和国の一千年~5』読了。 大航海時代におけるヴェネツィア共和国の奮闘。君主制が進む中で、都市国家として共和制をもつヴェネツィアが君主制に比べ、決定が遅い、また人口を持たないなどの欠点を表出しながら、それに対して外交、政治などの力をもって時代を生き抜いてゆく。 日本においては戦国時代のころのお話。 ヴェネツィアのような国は現代でいうとしたら、どこにあたるのだろうか?そんな疑問が生まれてきた。 しかし思うのは東洋では一貫して投票での元首制などなかったので、政体も王朝を追うだけで頭がついてこれた。共和制というのは世襲制でなく、英雄を嫌う感があるので、歴史としては追いにくいと感じる。当時の俺みたいな頭の悪い人間には、目でわかりやすい君主制を選んだんだろうな。 現代からみれば君主制は欠点ばかりが目につく。 ワンマン体質の企業経営者は、その人個人が優れていれば決定の早い優良企業となるが、その人間が老いて耄碌するようになったり、二代目が愚昧だったりすると、その会社にいる人間は悲劇である。 日本ではこの頃下克上だったけど、共和制なんて考える人はいなかった。 今の世界は選挙で選ばれた人間で政治がなされるけど、いつか変わることもあるということかな? やはり自分は浅い。たいした疑問も浮かんでこない。 でも本を読むのはおもしろい。考えるのも浅はかながらに楽しい。 知らないことを知るのは楽しいと感じる。 ラスト一巻も味わおう。海の都の物語(5)
2010/09/05
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『海の都の物語4』を読了。時間を開けすぎて読んだので、何がなんだか。きちんとコンスタントに読むべきだなあ。気をつけよう。海の都の物語(4)
2010/08/31
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こちらもかなり前に読了、まだ記録していなかった。ジェノヴァとの死闘、ヴェネツィアの女性について。やはりなぜか戦争部分は面白いと感じる。しかしジェノヴァって内紛がなければ非常に強かったんじゃあ、とおもってしまう。いつの時代も、女性の恰好は変なものが多い。なぜだろう。 【中古】文庫 海の都の物語 3-ヴェネツィア共和国の一千年
2010/07/10
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かなり前に読了していたが書く間がなかったので、遅れて書く。内容はリアルなヴェニスの商人の描写、政治体制について。現実にはシェイクスピアの描くようなヴェニスの商人はいなかった、たしかにと思う。非常に現代的で現実主義者の集まりだったことが描写される。また政治体制も、英雄を生まない、徹底している。ただ、自分はここを専門としていないので、なるほどと思うのみだ。 【中古】文庫 海の都の物語 2-ヴェネツィア共和国の一千年
2010/07/10
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福井晴敏著「ユニコーンの日」をだいぶ前に文庫化されていたのを見て、購入。内容は、導入という内容。 久々に、サブカルチャーライトノベル的な本も読みたくなったので、読む。読書を食事に例えるなら、こういう本はスナック菓子だ。 日頃、凝縮された深い味わいの古典や専門書を読んでいると、たまに読みたくなる。 ストーリーの映像を楽しみ、あらすじを楽しむ本。 ガンダムは少年から青年へとの境にある人間が主人公だ。もともと彼らを対象にしたものであろう。かれら、といっている時点で自分は十分大人になってしまったんだろう。 自分にとってのガンダムはF91だった。子供心ながらに作品に出てくる機体の形が好きになり、少年期はハマっていた。また、プラモデルを作るのも好きだった。作る事自体が好きだったのかもしれない。MSが出来たら乗ってみたい。原寸大じゃなくても、パワードスーツみたいにデフォルメされたやつでもいいから。自動車会社とかそんなの作ってくれないかなぁ、きっとうけると思うんだけど。話がそれた。内容?謎だらけです。次巻が文庫化されるまで待ちます。
2010/07/09
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湊かなえ著『告白』を文庫本で読む。第6回本屋大賞受賞作。気になってはいたが、今回文庫本になっていたので、手に取ってみる。 舞台はある中学校。 理科教師でクラス担任の森口先生が、年度末の退職を終業式に告白する。彼女の娘の死が、このクラスの誰かによって殺された事から、お話は始まる。 (映画も上映されており、内容も精緻にできてるのも一つの楽しみだと思うので、これ以上は省略) 一気読みをする。それだけ人の好奇心を惹きつける書き方をしている。今思うと、少々自分の下卑た野次馬根性に辟易する。この様な構成でなければ、一気読みはしなかっただろう。その点で、作者の巧みさを感じる。 他の人が感想で書かれているように、読後感は決してよいものではない。ただ自分は他人に勧めたくなる。特に老師、熊猫先生には勧めてみたい感はある。まあ、この人たちは読んではくれないだろう。 skyさんの意見が聞きたい。そう思い、読んでもらう。本人の感想として、「小説の中に感情移入できる人物が現れた。」「後ろ2章は作者の読者好みの結末をつけたわざと見透かせる意図が存在する」の二点が興味深かった。 たしかに、聖職者たる森口悠子は非常に似ている。彼女だったら、娘の復讐をするのなら、このやり方をとるだろう。決して取り乱さない。苛烈な炎のような復讐心ではなく、水を打ったような静けさの中にある真空のような鋭さ。一章の性格を見ているからこそ、終章が不可解なものを感じるようにできている。 自分も後ろの2章は、何か嘘が混じっているように感じる。まず、少年Aのほうがそんなに簡単に殺人に踏み切るかという点、もう一点は森口悠子が周囲を巻き込んでの復讐を望むのか、あれだけ一章でピンポイントの復讐を望んでいながら、最後は人を巻き込んでの事件にしてしまう。その点が不可解だ。それによって相手にダメージを与えたいという理由、また、ドラマチックな終焉を望む読者への辻褄合わせ、そうともとれる。 特に、自分が興味を感じたのは、教育に関する森口悠子の見解だ。現場教師のジレンマ、突飛な事件なら注目する社会、それに影響される子供たち、自分以外をすべて見下す子供たち、いたずらの劣悪化。 自分も少なくとも教育に携わる人間として、感じているジレンマ、それを形にしている。 どうして社会は、凶悪な少年犯罪を好奇心や視聴率を満たすだけの恰好の材料としてしまうのだろうか?この作品には、この問題意識が流れているように思われる。 コンクールで優れた成績を収めても世間の注目はあまり引かないが、今までにない突飛な事件を起こせば、世間が注目する「スター」となれる。社会には変な図式がある。 40年間一つの職場に努めつづけ、会社に、社会に、家庭に貢献してきた人は有名にはならない。絵にはならないからだ。政治家のスキャンダル、凶悪事件はワイドショーを賑わせ、世間で一斉に取り沙汰される。まあ、歴史的に見れば、彼らも一瞬の閃光ほどの価値もないが。 心理学からは思春期・青年期の発達段階において、自我の確立が主題としてあげられる。自分の存在を確認したい。その欲求がふとしたことで、特別な存在を発見する。同い年で社会的に騒がれている人物。それがけっして素晴らしいものでなくても、特別な存在と感じれば、それに憧れを抱く。 マスコミ世間で騒がれているものが、必ずしも素晴らしいとは限らない。自身の眼で判断する、判断できる力、それこそが自己の確立ではないかと思う。その点を育むべきではないのだろうか。 そんなことを考えた。【メール便対応】湊かなえのデビュー作!!【告白】(文庫)
2010/07/05
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「百聞不如一見」 この諺の意味は、百回聞くより一回見た方が早い。との意味だが、実際、今回の感覚に当てはまるのだろうか?ある人がいる。彼に会う前に、聞いたあるきっかけがあり、軽蔑していた。しかし、実際会ってみると、とても研究に励んでおり、よい印象を受ける人だった。今日はその誤解が解けた。あるきっかけは完全に誤解だった。やはり人は会ってみないと分からない。百の噂よりも、一度顔を付き合わせて会う方の判断の方が正しい。自分の感覚を信頼するべきだ。もちろん、間違うときはあるかもしれないけど。きっかけは誤解であったけど、彼に会うことができて感謝している。自分も頑張らないとなぁ。
2010/07/05
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教職においての一吐きレポートを添削し返却する先生など珍しい。今回も帰ってきた評価は「B」だった。書かれていた用語や考え方は使った。何が足りない??分からないので、授業終わりに質問した。用紙の半分も使用していない人のものが「A」とされていた。曰く「教育の用語、授業のレジメにかかれていない用語を使って説明している。3個以上使用している。それがよい評価につながる。」のだそうだ。まあ、何十人といる生徒の文章を添削するのだから無理もないだろう。もう「B」でいい。そのように時間をかけている暇は自分にはない。これは投げることにはならないだろう。最低限の代価に抑えることにしよう。
2010/06/23
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skyのお勧めで一緒にこの作品を見る。メル・ギブソン主演、監督作品。作品の完成度から言ってもっと評価されても言いような作品だが、『ブレイブハート』などに比べると有名ではない。内容は一言で言ってしまえば、ある少年とある教師との絆を描いた物語。作品の中では「父性」がテーマになっているように思う。 舞台は、とある郊外の海辺の田舎町。 主人公は少年。彼は3人姉弟の真ん中で、長女、次女に挟まれている。彼らの親はそれぞれ異なる。理由は母親が結婚しては子供を作り離婚を繰り返したためだ。つまり自分の他に男性がいない状況だ。父親が違うせいか、母親の放埒さが原因か、長女、次女との関係は悪い。 自分の父親は飛行機乗りで朝鮮戦争で諜報活動をしていたが戦死したことになっている。しかし、心の片隅で、それは嘘なのではないかと思い始めている。 ここではない場所にいきたい。ここを出て行き、独り立ちしたい、その気持ちが彼の心の中を占めるようになる。 そこで彼は寄宿舎のある将校育成の私立学校を目指す。彼の成績では到底入れる所ではない。自学を行うが、うまく行かない。 街外れに立派な邸宅があり、そこには皆が恐れる顔の半分が怪物のように焼けただれている、人間嫌いの謎の人物が住んでいる。ふとしたきっかけから、彼と関わりを持つようになり、勉強を教えて欲しいと頼む。最初は断るが、少年の熱意に触れ、折れて、彼を教えることになる。 教育の成果もあって、彼の学力は日増しに伸びる。また、無意識下で父親を求めていた少年は顔のない男に父性を求めるようになる。 しかし、街では変人として忌み嫌われ、得体のしれない人物とされていたことから、自動虐待の疑いがかけられる。 彼は昔、教師で生徒の死から自動虐待の冤罪を受け、教職を退いていた過去が明かになる。そのせいで、引きこもるようになり、芸術家として生計を立てていた。 当時の自動虐待に対する目線は疑わしきは罰せよだった。今も変わらないだろう。先生が善意から異性の生徒を自宅に招いて個人教授を行えば、黒でなくても罰せられる。 最終的には法廷に引きずり出され、面会禁止の処罰を受ける。 少年は無事合格を果たす。報告したい相手は、すでにいない、引っ越している。置き手紙があり、会えないが、君をいつまでも見守っている、とある。 ラストは時が経過し、少年が青年になっている。卒業式、離れた遠く彼方でひっそりと彼を見守る顔のない男の姿がある。青年は気づき、笑顔になる。 以上。 父性。現代ではあまり求められない、やさしさや保護ではない、感化や厳格さによる育成、しかしながら往々にして誤解されてしまう社会の不条理さ、そういったものが描かれている。 自動虐待と聞いて、日本人の私は真っ先に暴力を思い浮かべるが、これは未成年に対する性的虐待を含んでいるらしい。後で知った。たしかに西洋は同性愛が問題になることが多い。ある作家が西洋人は少年のころは本当に美しく、それが少なからず原因となっていると見ている。 自分の頭の中にそのような感情は微塵もないから説明されないとピンとこなかった。 師弟という関係は非常に難しい関係であると思う。師として求めていても、相手はまったく眼中に置かれる。存在を認めてくれるようになるまで、努力はするが、能力が達しない場合は絶望の中をのたうちまわりながらいきなければならない。 少年はそのようにふてくされていない。相手がどうであろうと、どんな状況下におかれようとも、師として仰ぎ、真剣に向き合っている。相手がどう思うか、それは問題ではない。 自分がこれだと決めた道を貫く。その先にしか闇を打ち破る光明はない。 俺はこの少年のように強く生きられるのかな?自問している時点で、いまだに未成熟という証拠だ。 自分が純粋に好きだと思うことをやろう。【22%OFF!】顔のない天使(DVD)
2010/06/16
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『(原題:三峡好人)』ジャア・ジャンクー監督作品。『世界』を観たとき、非常におもしろい作品を撮る監督さんだな、と感じていたので、見忘れていたこの作品を観る。ベネチア国際映画祭金獅子賞グランプリ作品。 三峡ダムで沈みゆく奉節県の物語。 別れた妻子を追ってやってきた炭鉱夫ハン・サンミン、二年間音信不通の夫を追ってこの地に来たシェン・ホン、この二人を中心に沈みゆく三峡の街が描かれ、内地の中国が描かれる。 非常によくできた作品だと思う。 『世界』では現代中国の都市を描き、今回は現代中国の内地を三峡を題材にとって、描いている。 南方訛りはきつく、武漢にいた自分でも、字幕と照らし合わせないと、中国語で何を言っているのか分からない。山西の外地の人間の方が聞き取り易い標準語を話している。 昔の00年に留学していたときと変わらない。変わらない中国が劇的な変化に見舞われている。人々はついていけていないというか、変わる気はない。それは精神の内面という意味に置いて。そう感じた。この人の次回作に期待。【Good Price!】長江哀歌(DVD) ◆25%OFF!
2010/05/04
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『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』某掲示板サイトのスレを映画化。内容を読んだ事があるが、とても他人事とは思えなかった。 ブラック会社に勤めることになった主人公、マ男の入社してから限界に至るまでを描いた内容。マ男は高校中退後、ニートとなるが、母親の突然の死をきっかけにプログラマの資格を取り、何とか就職する。 しかし入った会社がブラックで…。 詳しい内容はここで書くより、スレの保存版等を観る方が早いと思う。 とても他人事に思えなかった。 映画は時間の関係でエピソードをだいぶ端折っている。 自分も昔ブラック会社と思われる所に勤めていた。 小さな会社なのに1ヶ月に最低一人が辞め、前年度の新卒は全員辞めていた。 自分の限界点はなんだったんだろう、そう最近思う。それはPGの職務怠慢であったり、支社長の二面性であったり、お局さまからの圧力であったり、社長のアルツであったり、上司のスキルの低さであったり、未来の暗さであったり、様々なものがあったように思う。 でも一言で考えるなら、「この仕事に命は掛けたくない」と思ってしまったことだろう。全力を傾ける価値を感じなくなった仕事場で、これからなあなあで生きていくのが嫌だった。 私の場合は一言で言えばわがままかもしれない。しかし少なくとも、人生の大半を使う仕事に価値を見出せないのは、死んでいるも一緒と思えた。 マ男はこの場所を自分の生きる場所と決めた。 今、自分はブラックを去って自分のやりたい事ができる場所にいる。以前に比べて生活は厳しくなったが、決して嫌ではない。本望だと思う。 生き方生きる場所はそれぞれだと思う。ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 2枚組
2010/05/03
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『東のエデン』劇場版1 地上放送版の方を何気に全部観ていて、レンタルショップに行くと置いてあったので、借りて来てみた。 内容は地上放送版から半年後の世界。 滝沢は再び記憶を消して失踪しており、セレソンゲームはまだ続いている。全貌がみえないまま、サキは滝沢を探し、セレソン携帯を持ち歩いている。 前回、ミサイル事件の首謀だった結城は消え去っており(後で死亡していない事が判明)、物部も不気味に沈黙。しかし映画終盤で動き出すか?というところで次回に続くという形となる。 「今」を描き出そうとして表層や記号、それに思わせぶりな謎かけに凝ることで、肝心の一人一人の人間の人物描写が欠如している。なにより、滝沢の記憶、セレソンゲームの全貌、サポータについて何もまだ解説がないのは非常にフラストレーションが溜まる。 最後が気になるから観ているが、なんだか根底に思想や考えが感じられないので、自分としてはあまり評価できない。ただ、変なアニメよりよっぽどマシだが。 はやく切りをつけてほしいというのが感想。東のエデン 劇場版1 The King of Eden スタンダード・エディション
2010/05/02
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『カールおじさんの空飛ぶ家』 skyさんが毎回観たがっていた映画がDVD化されたので、借りて来てみる。トイストーリーとかのスタッフ陣らしい。 内容は、子供のころから仲良しだったエリーと結婚したカール。二人はとても仲良しだった。二人の夢はいつか南米の有名な滝に冒険に出かけること。 しかし生活に追われるうちにいつしか二人は老いてしまい、エリーが先に逝ってしまう。残されたカールはエリーとの思い出が染み付いた家で暮らす日々。しかし都市開発の区画となり、立ち退かねばならないこととなってしまう。 この家を壊され、老人ホームに送られるのならいっそ…、ということで、家に風船をくくりつけ、南米の滝めざして飛び立ってしまう。 旅先では様々な冒険を越えて、たどり着き、偶然から一緒に旅をしていた子供と仲良くなり、最後は彼と戻ってめでたしめでたし? ディズニーは主人公を殺したりしない。その鉄則でもあるような気がする。『ノートルダム』でもそうだったし、どんな場合でも必ずハッピーエンドをさせる。 家が、大量の風船で浮かび上がるとき、自分は夢オチ(或いは天国オチ)を予想した。それまで現実基調だった物語が急に非現実的となって、風船の家で子供がGPS片手に南米の滝まで操作したり、じいさんがアクションスター顔負けのパワーを発揮し出したり、人間の言葉を解す賢い鳥、犬が現れたり、超科学で犬が喋れるようになったり、等など。 子供向けなのだからそういうものなのかな~。いや、むしろ子供向けだからこそ、最後は夢オチにして、実際は風船膨らませている間に倒れて、亡くなってたぐらいの現実感を出したほうがいいんじゃないかと思った。 あと出てくる子供が明らかにアジア系の移民の子、しかも裕福な子供として描かれていること。アメリカ内での変化が伺える。今までだったらこの役は白人の子供だったろうから。親が子供に構ってくれれない、そこには仕事の虫となる傾向のあるアジア系家庭を描いているように思われる。 あとはこの映画をみている層の変化だろうか?ディズニーもアジア系+アジア市場を無視することはできなくなったということだろうか? そんなことを思った。【30%OFF!】カールじいさんの空飛ぶ家(DVD)
2010/05/01
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部屋員の方に日本語の方面から語用論を研究しているD2の方がいる。それだけでも驚きだったが、自分とかなり専門領域が重なる部分がある事が判明した。先に様々な先行研究を読んでらっしゃり、紹介をしていただいた。また、その方の付いている先生はてっきり機能言語学や文法系の方だと、一年の時、授業をとらせていただいた印象で勝手に判断していたが、最近はポライトネスやプラグティクスの研究をされているらしいと分かった。著書を読んで今度お会いしてみたい。やるべき事が見えてくるのは嬉しい事だ。やばい。ここんとこ詰まってて風呂に入ってなくて3日目だ。帰って風呂に入ろう。また明日続きを始めよう。
2010/04/03
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今度、担当していただけることになった先生の学部生に対しての推薦書の中に、この本があったので、読み始める。以前、『ローマ人の物語』を読んでおり、こちらは単行本では完結しているが、文庫本では完結していないので、発刊待ち状態。ヴェネチア共和国についての物語。一話から三話までを収録。誕生のお話、ヴェネチアの都市の建築構造、「海の高速道路」形成のお話、第四次十字軍遠征などの物語を収録。『ローマ人』の時もそうだったが、この人は小説家?に属するのだろうか。とても読みやすい、丁寧な描写を展開してくれる。図も多くて欧州史の素人でもわかりやすい。建築の描写など味気なく感じて、戦闘の描写を生き生きと感じてしまうのは人間の性なのか。4月で忙しくなる前に読み終わりたいなぁ。でも味わって読みたい本なので、速読飛ばし読みはやりたくない。ゆっくり味わって楽しもう。海の都の物語(1)
2010/03/25
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昨日は中国語の勉強をという口実で、ようつべにアップされているtou心大聖という台湾ドラマを見る。トレンディードラマ見たいなもので、内容はひどく典型的なものなんだけど、だからこそ言語を勉強するのに適している。ストーリーが予想がつきやすいから何を言っているのか、想像でも理解できる。あと出演者が美男美女。台湾の芸能人ってかっこいいなぁ、きれいだなぁ、と思う人多いね。そんなわけで鑑賞も兼ねて。以前、第二言語習得論だったと思うが、それを読んでいたときに、「いきなり超名作の文学作品を読もうと思っても、無理だ。微妙なニュアンスを味わいきれない。最初は軽いものを多読してこそ、読めるようになってくる。」ような事が書かれていた。たしかに小五から趣味で推理小説、ライトノベルを読み出し、中三ぐらいから歴史小説、高三の時に現代文学、大学で近代、古典文学と読めるようになっていった。外国語においても同じ事が言えるということか。軽薄さと少しの内容。というわけで今日は金庸さんの武侠小説を読んでいた。
2010/03/24
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昨日の時点で読了していたが、感想は書いていなかったので、今日、書こうと思う。気の弱い、小市民根性の権化のような主人公ゴリャートキン氏が、狂いゆく様を描いたもの。あまりあらすじが書けない。物語は主人公の視点から描かれ、様々な出来事が起こる。召使いへの不平と関係悪化、精神科の診察、社交界での失態、ドッペルゲンガーともいえる自分と瓜二つの人間、職場での卑小性と失敗、裏切り、恋人の我儘な駆け落ちの相談、などが展開される。しかし、主人公がすでに精神を病んでいる設定なので、これらの事が本当に起こったのかさえ疑わしい。客観的視点から見れば、主人公に非があるとさえ感じる部分もある。これを読んだ時のまず率直な感想は「ドストらしい台詞回し」と「『罪と罰』のマルメラードフ、『カラマーゾフ』の糸瓜のおっさん(名前が思い出せない)みたいだな」ということ。ざ・小市民みたいな人間。この繰り返し描かれる共通点は何を意味しているのだろうか?推測だが、ドストエフスキーの命題として小説を通して、ロシアを描こうとしたというものがある。(たしか『カラマーゾフ』の解説に書いていたような…)とすると彼の描いたのは現実のロシアということになる。だが自分は普遍性を感じる。なぜなら日本人の自分が理解する事ができるから。精神を病んでいる人の心理を描かせたらドストの右に出るものはいない。ロシア文学入門の講義でそういっていた。時に忙しいときや、余裕のない時などはこの主人公とそっくりの心理に陥る事がある。最初に勤めた会社を辞める直前の自分がまさにそんな状態だった。辞めたことはまったく後悔していない。けれど、今振り返って思うにもっと賢いやり方もあったんじゃないかと思う。この小説の主人公みたいに意味のない堂々めぐりを繰り返してどつぼにハマっていた。そんな気がする。やはり小説は楽しい。自身に様々な視点を与えてくれる。
2010/03/24
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主にカテゴリの部分を整理する。 カテゴリ未分類、不明瞭なカテゴリを削除し、コンパクトにまとめる。同時に頭の整理にもなる。 整理している最中、昔の文章をチラ見すると、必死であがいている自分がいた。これからもこの状態は続いて行く。でも不思議と苦しみない。何だか清々しさがある。 30近くなってないないずくしだけど、生きている。 精神は死んじゃいない。 人生においてこれがもっとも重要なことなんじゃないだろうか? 足掻きつづけよう。楽しみを、続けよう。 また最近セカンドPCを購入した。 脱windows。ubuntuを使い始める。メインはVistaなのだが、それに比べると非常に快適だ。重さがない。重力から開放されたみたいな感覚だ。しかしMSの方が変換機能に自分は慣れてしまっており、変換で少々戸惑いを感じる。そうは言ってもVistaのように文字変換で固まるような重さはない。 その他は楽しんでいる。快適だ。 今日は中国語入力を追加してみた。問題なく動作している。論文作成にも、どうやら問題なく使用できそうだ。
2010/03/23
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気づけば今年も年度末…。早いものだ。skyさんから留学もせず、帰国子女でもない、海外滞在の経験のない方がTOEICで満点を取ったという話の本を勧められ読んでみる。「英語の事について書かれてあるけど、きっと中国語の勉強、特に中級から上に上がる所で、壁にぶつかっている人には使える部分があると思う。」とのことで読んでみる。 その中に、「日々の学習記録をつけてみる事が有用」のようにあったので、試してみようと思う。 確かに、客観的にどれだけ勉強しているのかが出れば励みになると思う。 また、周囲に準1級に挑戦している人間はいない。まあこれはマイナー言語の宿命だろう。 今日はちなみに紅楼夢を1章、全集1巻の飛ばし読みを行った。 あ、それと去年に行われた準1級の過去問を購入。 これで5冊目になるから、挑戦は5年目になる…。 あああ、こんなことを書くと、「5年も勉強してて合格しないの?バカなの?諦めた方がいいんじゃない?」なんてネガティブな発想が脳裏をよぎる。バカで結構。そうだよ、アホだよーーーーー!!!まあ、これだけやってりゃ合格しそうなものなんだけどなぁ(笑)敗因は学習について誰にも相談せずに自己分析のみ頼って、自主学習を続けていることだろう。まさにこの本に書いているとおり、自分の学習法があっているのか不安で結局支離滅裂な勉強の仕方、モチベーションの減少を招いていた気がする。まずはできる人に頼ることから始めよう。
2010/03/23
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久々にレンタル映画を借りて『GOEMON』を観た。石川五右衛門の新解釈。時は戦国時代。もとは武家のお坊ちゃんだったという設定。幼少期に戦乱によって両親が殺され、五右衛門のみが生き延びる。信長によって拾われ、半蔵によって才蔵とともに育てられる。強き忍に成長したのち、本能寺の変によって信長が討たれ主君を失う。その後、自由の身を選び、大泥棒・石川五右衛門となる。…とここまでが前フリ。(回想で徐々に明らかになる。) 本編はここから。ある日、盗みに入った蔵である箱を見つけ出す。その箱は三成、家康が躍起になって探している箱だった。その箱には本能寺の変の首謀者・光秀が実は秀吉と裏でつながり、信長を討ったという重要な証拠のありかが隠されていた。事実を知った五右衛門は秀吉を暗殺すようとする。しかし影武者を誤って殺し失敗。才蔵が三成の命によって暗殺を試みるが秀吉の強運により失敗。才蔵は自分が五右衛門だと偽り、釜ゆでで命を落とす。その後、秀吉の住む大阪城を正面突破し、秀吉を殺害。その後天下は、三成と家康に割れ、両者が天下分け目の戦いに突入する。その渦中に五右衛門は突っ込み、友・才蔵の仇三成を殺害。踵を返して家康側に無謀な特攻をかけ、天下の平安を託して死亡。…書くと非常に面倒くさいストーリーになってしまった。個人的に、大沢たかお演じる霧隠才蔵の人物が味があって好きで、才蔵が釜ゆでにされるまでのストーリーが楽しめた。その後のお話は必要なんだろうけども、なんだか「一人のありえない力を持つ超人の力で歴史が動かされてゆく」感があって抵抗を覚えた。まあ、エンターテイメントにリアルはいらない。そう言われてしまえばそれまでだが、終盤は若干めちゃくちゃにしすぎだ。それまで演技、設定などが飛んでいるながらも丁寧に作った感じがあったのに、なんか一気に終わらせよう感が出た感じがする。しかし釜ゆでのシーンは好きだった。こうやってつなげるのかみたいな感じと、カッコよさがあった。抵抗を覚えたのは、アニメ系の作品に言えることだけど、強大な力を持つ主人公によってすべてが解決してしまう部分。そんなに力あるんなら最初から使えよ、みたいなね。 そんなことを思った。[DVDソフト] GOEMON (通常版)
2009/12/20
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外山滋比古著『思考の整理学』を読了。散文、エッセー。思考をどのように整理しまとめているか、というテーマの下、作者が実際やっている方法を紹介した内容。具体例も豊富で分かりやすい。だいたい自分の中でも薄々は実感していたことをこのように言葉にされ、体系立てられると「なるほど」という気持ちになる。筆者の観点は大いに勉強になったが気に掛った点をいくつかメモしておきたい。1. アイデアはしゃべった方がいい?しゃべらない方がいい?ある項では自分の論を洗練するために、思考は人に話した方がいいと言及する。その方がより他の観点が入って複雑になると述べている。また別の項では、他人へしゃべると否定されたときのショックは非常に重い。アイデアとはデリケートなもので、否定されたりすると立ち上がれない程の衝撃を受ける場合があり、迂闊に人にしゃべってはいけない、寝かせるべきとする。総じて言えば、よく熟考し話をすべきである。その際には手酷い目に遭うこともある程度覚悟しておかねばならない。2. 違った分野の学究人との会話は創造的思考を生む筆者が「3人会」と称し、日本文学、中国文学、英文学の三人でよく話をしていた項がある。この部分を読んで修士のなつかしき「106号室」を思い出した。8人部屋を6人で使用している自習スペースだが、三者三様ならぬ六人六様があり、会話をしていて非常に楽しかった。英文学、英語音韻論、理論社会学、地域社会学(中国)、社会言語学と皆専攻が多彩で彼らの話は非常に触発があった。またいつか集まれる機会があれば集まりたい。3. コンピュータに対する言及この文章が書かれたのは1981年、自分が生まれた頃。その時から、詰め込み式教育から、創造的、人間にしかできない作業の教育へと主張されている。今、約30年ほど経過した現在にあって、詰め込み式、記憶倉庫の教育は続いている。その方が物差しにしやすいからだろう。コンピュータは発展している。しかしながら人工知能が人間に代わるようなステージまでは進んでいない。たとえば飛行機の操縦。安定飛行にはオートパイロットが使用できるが、乱気流やエンジンの故障のような不測の事態に対しては、人間の直観的判断の方が優れている。機械翻訳でもAという語をBに置き換える能力なら非常に優れているが、時と場合によってAという語をB又はC又はDに置き換えるとなると、今のところ機械翻訳では満足な精度が得られていない。7割から8割の正答がいいところだ。「人工知能は人間に代わる役割を果たすようになるのか?」これからの未来を生きる自分たちが一生付き合っていかねばならない命題かもしれない。以上、気になった部分の覚書。
2009/09/08
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外山滋比古『思考の整理学』を今読んでいる。思考の整理法というより、論文,研究の作法というのが正確ではないかと思われるような内容。非常に参考になる。想人にも勧めてみたい。彼女が読んだらどんな反応をするだろうか。まだ読み途中なので、全て読み終わった後、整理したい。しかし、・朝がもっとも思考が冷静で冴えている・煮物が見ていると煮えないように、アイデアは寝かせるべき、アルコールのように醸造が必要・閃いたら、その時にメモして捉えるべき頭の中で多少変換されているかもしれないが、これらのことが印象に残った。
2009/09/07
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ブックオフに久々に寄るとまだ読んでいない『黄昏の岸 暁の天』(十二国記シリーズ)があったので、読んでみることにする。ファンタジーで十二の国で分かれている架空の世界が存在し、そこでは天の理を以て治められている。その世界に生きる人達を描いたお話。まだ完結していないようで、今回読んだお話も結末に至っていない。続きがブツ切れだと非常に気になる。東洋風ファンタジーで名前が中国風なので、ときどき中国語を少し噛んでいたのかなと思わせる部分が存在する。地名などを聞くと何となくそんな気になる。筋が暗いのだけど、人物が好感を持てる暖かい人ばかりで読んでいて、心が癒される。現実ではまったくそんなことはあり得ないのだけど。夏の疲れは今週まで。来週からは目的に向かって自分を磨こう。
2009/09/06
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鈴木孝夫著作集にて『私の言語学』を読み終える。返却の期限も迫っていて、明日からしばらく仕事以外何も考えられない日々が続くので。内容はです、ます口調で書かれているので講演の原稿かな?と思って読んでいたが、実際は編集者との懇談を口述筆記させたものだった。内容:表題は『言語学』と銘打っているが、必ずしも言語学をテーマにした内容になっているわけではなく、むしろ「鈴木孝夫の舞台裏」というか研究背景というか、その人となりにスポットがおかれている感じが強い。しかしながら、自分も仮にも言語学という分野(社会言語学になるけど)で研究を志しているので、そのものの見方姿勢は大いに参考になった。まあ、会話の筆記なので一面的な極端な言葉だなと感じた部分もあったが。だがそういう部分も「人間」というものがでていて読んでいて楽しめるものだった。読んでいる最中は始終、「ひっしーに似ているな~。」と思っていた。研究の方法。物腰、態度。もしかしたら多分に影響を受けているのではないのだろうか。だから4月の時点で私に勧めてくれたのではないのだろうか。著作集をとりあえず全部読みたい。先生が勧めてくれた事もあるし、この人の観点、姿勢は非常に勉強になる。-----------------------------------------------------------------------おまけ:今日は図書館で本を読んでいた。今は通信教育の生徒さん達が夏のみの集中授業に参加しており、6時以降、隣には年配のおじ様、若干加齢臭の漂う方が座られた。自分は隣に座られるのがあまり好きでない。横に座られて当初は「なんだよこのおじさん」などと狭き心の感情を覚えた。しかしsky氏の話、母の事を思い浮かべるとそう感じた自分を恥ずかしく思った。この人は9時から6時までしっかり授業を受けられた後、こうして図書館に来てさらに勉強に励んでおられる。こんなにお年を召しているのに…。自分も負けていられない。がんばろう。自分は閉館30分前で読み終わり、本を返却して席を立ったが、その人はまだ勉強していた。気づいたら図書館の席はかなりの混み具合になっていた。負けていられない。仮にも勉学で生きていこうと決めたのなら、負けてはなられない。
2009/08/17
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先日、ようやく『モンテ・クリスト伯』を読み終える。1巻はもういつ買ったか覚えていない。ずっと放っておいて居たのだが、こちらに来てからようやく少しずつ読書の習慣が戻り始め、娯楽小説、息抜きという意味で読んだ。内容はたいていの人は知っていると思うが整理のために少々叙述する。昔の方には『岩窟王』と言ったほうが親しみ深いかもしれない。主人公はダンテス。物語は大まかに分けると3部。事件編、牢獄編、復讐編。■事件編:若き青年ダンテスは、船乗りをやっている。性格が善く、仕事も出来て周囲から信頼されている。父と二人暮らしで、生活は貧しいが若いダンテスには未来がある。雇い主から信頼されて船長に抜擢され、美しい婚約者メルセデスと結婚式を挙げることになっている。しかし彼を妬んだ同僚(タングラール)、メルセデスへ求婚するも拒絶されダンテスを逆恨みする恋敵(フェルナン)、借金取りの小悪党(カドルッス)が結託し、ダンテスを陥れるため、無実の罪で告発する。ダンテスの裁きを担当した検事(ヴィルフォール)はその案件が明るみに出れば自分の身の破滅を招く内容を発見し、彼を重大政治犯として、無期懲役として永遠に葬る。■牢獄編無実を主張するも、そのせいで牢獄においてますます立場が悪くなり、地下の独房に放りこまれる。絶望から死を思うが、その時部屋の壁からかすかな音が聞こえる。ダンテスもその音に向けて、穴を掘り、ファリア司祭と出会う。老人は万般の学問を習得した天才で、彼からあらゆる知識を伝授される。二人は脱獄の計画を立てていたが、司祭が持病の発作で亡くなってしまう。ダンテスは脱獄に成功し、司祭が残した莫大な遺産を掘り起こし、尽きない富を得る。そして自身の冤罪事件を調べ上げ敵たちの証拠、その存在を突き止める。■復讐編モンテ・クリスト伯と名乗ったダンテスは、綿密な計画のもとに敵の悪事を暴き、完膚なきまで叩き潰す。以上が大体の内容。感想:当時初の新聞小説だったらしい。当然、毎回読者を惹きつけなければならない。イタリアの説明などになるとうんざりするくどさだが、後半に入るとほぼすべてに山場があり、続きが気になる仕組みになっている。特に復讐の場面はどのように相手を追い詰めていくのかが気になる部分が多く、スピードが加速する。素人ながら『復讐』についての所感を:『復讐』というのはキリスト教文化の中では許されていないことになる。 「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」 「汝の隣人を愛せ」復讐は西洋ではタブーということになる。だからだろうか。モンテ・クリストの復讐は大蛇が獲物を締め付けて、じわじわといたぶりながら殺すように、綿密で回りくどさにあふれている。sky氏にこの感想を話すと、このように返してくれた。「復讐される側の人間ってどんな立場の人?当時そういった時代に似たような、一般民衆が仕返ししたい対象がいたんじゃないの?」まさにその通りかもしれない。まず、司法の番人とされている検事総長。『レ・ミゼラブル』のジャベールとの共通点を想起させるものがある。四角でしか物事を運べず、面白みのない冷たい人間。仕事はでき周囲からの信頼、尊敬は厚いが、実際は自分の身の保身、出世が第一で、そのためには他人を犠牲にしても仕方ないと考えている。犯罪者を裁くとき、相手の罪をみて、汚れているのは自分だけじゃない、世の中すべての人間がなんらかの罪を犯しているという定義を再確認してホッとするような小さい人物。次に銀行家。以前は船乗りをしていたが、成り上がり銀行家になっている。実際は裏情報を入手して一財産を築いる投資家。度量がせまく、お金を儲けることしか考えていない守銭奴。国会議員にまでなっている。3番目は元軍人。現国会議員。信頼してくれていたギリシア地方を支配していたある有力者を裏切り、富と地位を手に入れた男。恋敵がいなくなった後、メルセデスを支え続け、結婚している。4番目は小悪党。仲間の二人は出世するも自身は才能もなく、怠惰で貪欲、裁く必要もないと思ったのか彼には逆に生活できるだけのお金を与えている。しかし独り占めしたい欲望から妻を殺し、無期懲役になる。脱獄するが、食べるあてはなく昔の詐欺師仲間をゆすって生活している。しかし詐欺師仲間に逆にはめられて殺される。たしかに復讐される側は「あんな奴やっちゃえ」ぐらいに描かれている。しかも、復讐される側はモンテ・クリストに何の抵抗も出来ず、圧倒的な力でこてんぱんにやられっぱなし。いいとこ一つもなしだ。まさにこれを読んでいるときは読者はモンテ・クリストとなって彼らを逆に圧倒的力で痛めつける爽快感をあじわっていたのかもしれない。それから時代も場所も違う自分が読んでどう感じたか。基本的には引き込まれた。読んでる間は続きが気になり、ドキドキしながら読んだ。特に復讐の場面は。序盤と中盤の展開は知っていたので、その感情はなかったが、詰めがきっちりなされているいることに感心を覚えながら読んだ。娯楽小説であろうと手を抜かない。そんな感じがした。ただ自分の経験を重ねることはなかった。それは自分が恵まれているのかな。ただ、司祭との師弟関係は美しく、自身でも小さいと反省したいが、うらやましかった。そんな事を感じた。
2009/07/25
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久々に映画を観た。 本当は『ぽにょ』の予定だったが、まだレンタルになっていないので、ディズニー映画『WALL・E』を借りて鑑賞。sky氏と彼女のお父様と一緒。 内容はSF。 舞台は今から約700年後の汚染されきって、人間が放棄し宇宙に逃れた後の地球。 主人公はお掃除ロボット「ウォーリー」。おそらく700年の間ずっと命令に従い、掃除を続けている。 そこにある日突然一体の最新型ロボットが宇宙船より降りてくる。名前は「イヴ」。彼女はある命令に従って、地球を探索する。 一方、ウォーリーは彼女に興味を持ち、恋(?)に落ちる。仲良くなろうと必死でアプローチを続けていると、植物を見せた途端、それを体内に回収し、昨日が停止してしまう。 イヴの使命は地球に植物が育つほど再生しているかどうかの探索だった。 彼女はスペースコロニーと化している宇宙船に戻るが、宇宙船のAI(人工知能)ともいえる「オート」が反乱をおこしており、自分が使われなくなる事を阻止しようとする。 しかしイヴを追ってくっついてきたウォーリーの活躍で、オートは切られ、宇宙船は地球に戻る。 人類はまた地球の再建を始め、めでたしめでたし。 西洋世界の人工知能を持つロボットの考えに変化がみられたのか、ロボットが感情を持つことを是としている。 『2010年宇宙の旅』はたしかHALというコンピュータが反乱を起こす物語ではなかったろうか。 『ターミネーター』はまさしく人類VS機械という構図を取っている。(あ、2以降のシュワちゃんはあれは人類の道具ということで) 『マトリックス』も発達した機械が人間を支配する世界だ。 このように欧米では「機械が知能を持てば、地球の支配者の座を取って替わられ、やがて人類は滅ぼされてしまう」という考え方が主流だ。 その点においてこの作品は機械を主人公にして、しかも恋までさせる、つまり感情を持たせている。実に興味深い。考え方の変化だろうか? また、全編に渡って台詞が少ない。ウォーリー、イヴが使う単語が極端に少ない。「ウォーリー」「イヴ」「メイレイ」「ヒミツ」「ショクブツ」ぐらいしか使わない。しかし内容は理解できる。 やはり人間は言語によらない情報でほとんどの意思疎通をこなしているということだろうか。 と、考えるとことばというものは意思疎通に必要不可欠なものではなく、あくまで補助的。メインは伝えようとする意思、行動ということになるのだろうか。まあ、その一つがことばによるコミュニケーションともいえる。 ことばという観点からみても実に面白い作品だった。
2009/06/27
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母から郵便が届く。中身を確認すると以下のものが入っていた。マスク…。先日、電話にて軽く社会の出来事としてマスクが品切れ状態であることを話した。それを受けてのことだろう。笑わないよ。母さん。むしろ、ありがたすぎて申し訳ないばかりだよ。心配ばかりかけているから。でもこれしか自分の生きる道はないんだ。いつもいつもありがとう。それしか出てこないよ。
2009/05/26
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自分は今、憧れとなるような先輩がいない。ある人に言われて、努めて探すようにはしている。しかし自分の性格の悪さもあるのだろう。見つからない。自分は人、というか物事全般、のあらさがしをして、それを見下してしまう、悪い性根がある。まさに性根が曲がっている。そんな自分でも、子供の時はいつも目の前に目標がいた。兄だ。兄が剣道を始めれば自分も始め、兄の遊びに行くところにはついて行き(これは小学生の時点で煙たがられた)大学を選ぶ最後のひと押しになったのも兄だった。兄は私にとってのヒーローだった。自分は兄に惹かれながらも同時に反発した。兄が理系なら自分は文系。兄が社交的なら、自分は内向的。兄が反抗的なら、自分は柔和な路線で行動した。根底には憧れがあるが、歳が近いせいだろうか反発する感情を否めなかった。一緒に暮らすことがなくなって話す機会がきわめて減った。昔は兄貴は近いゆえに見える欠点をズバズバと指摘してくれた。しかし、今は遠い。縁も遠い。その年月が流れ、自分は無意識のうちに自分の欠点への指摘に弱くなってしまったのかもししれない。通常は社会人として上司にいびられ、強くなっていくのだろう。それを自分は拒否してしまった。これは将来、自分の弱さとして残る可能性がある。肝に銘じておこう。なぜこういう事を書くのかというと、今回、ある関係の人が自分にメールをしてきた。内容は「日曜日に○○へ行きませんか?」というメールだった。一度、彼らの集まりに参加したが、正直、学生ノリで、ついていけなかった。その誘ってくれた人、顔がなんだか若い頃のMr.オクレって感じだからオクレ氏としておこう。仕事をしている。活動をしている。自分より数段立派だ。しかし仲良くなるには無理があるように思う。自分は夜の仕事に従事している。さらに空き時間は自分の勉強に使いたい。今年しかないから。誘いに対して現状を説明するメールを送った。帰ってきたのは「了解しました」の一言だった。事務的、そんな所で文句を言ってはいけないのかもしれない。自分でも大変な事をするからこそ成長がある。その人も成長の途上なのだろう。しかしながら、この付き合いにはいささか期待をしないようにするのが一番のような気もする。すごい人は中にはいる。でもだいたい雲の上で、話す機会はそうそうなく、残念な気持ちになる。一番の問題は自分が根無し草であることだ。根付けば必ず、人のよさが見えてくる。以前の場所だってそうだった。出る前になって、やっとなんだか「仲間」という雰囲気になってきたのに、自分は出て行った。ここでもそうだろう。来たばかりだ。根付けば良さも見えてくるさ。最大の自分の過失は一つの場所に根付かなかったことだ。ならばどんなことがあってもこの地に根を張るべきじゃないか?
2009/05/13
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考えるべき課題、問題は山積みなれど、目の前にある物事から一つ一つ片付けていこう。気づけばそれが道となるさ。迷わず行けよ、行けば分かるさ。いくぞ!1!2!3!ダァァァァァ!!!!!!!(追記)決して深夜だからトチ狂った訳でもないのでご安心下さい。
2009/05/06
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この日、『レッドクリフPart2』を観に行く。参加者は我らが翼馬様と私の数少ない友エドゥ、自分の三人。市川某所の穴場映画館にて待ち合わせ。 彼女は果たして冬に観たpart1の内容を覚えているのだろうか。あらすじを軽く質問をしてみた。以下、自分の記憶にある語られた内容である。「エロいおじさんが小喬さんを狙ってやってきて、ラクダおじさんがギターを弾いて意気投合して虎髭の大きな声のおじさんが飼ってる亀を投げられて怒って…」…荒唐無稽過ぎて、突っ込みを入れてしまい、ここまでしか記憶していない。解説すると「エロいおじさん…」曹操のこと。この劇中では「天下を統べた暁には小喬、大喬を侍らせて暮らしたい」という内容の詩から、曹操は小喬に惚れていたということになっている。「ラクダおじさん…」トニー・レオンのこと。眉毛が下がり眉毛でやさしい顔だちをしているので、彼女の中ではそのように通っている。劇中では周瑜の役。「ギター弾いて…」弾いていたのは琴です。孔明(金城武)と琴で語り、戦いに踏み切るという場面が出てきます。「虎髭の大きな声のおじさん」張飛のことです。劇中では本当に虎髭で声がでかいという設定になってました。たしか八卦の陣を作戦会議でやる時に亀を持ってきたか、かわいがったかしたと思います。彼女と話していると、一度彼女の眼で世界を覗いてみたくなります。きっと飛んでいるんだろうなぁ。なんせ翼馬ですから。同じB型のエドゥ氏に前回のあらすじが飛んでいる状態を話し、いかがなものかと話してみると、「それでいいんだよ。」さすがB型仲間。閑話休題。映画を見たあとの談義。私「あの結末は如何なものか。」翼「やっぱハリウッドだからお姫様キャッチは必須なんだね。」エ「あんな風にキャッチしたら、腕折れるよ。赤ちゃんでさえ高さ数メートルから落ちてきたら何トンって重さになるんだから。」私「じゃあ受け止めたら潰れてるね。」エ「そうだよ。腕がぷら~んっていう状態だよ、きっと。でも小喬さんきれいだった。見惚れてたね。」翼「そうそう!めっちゃ綺麗だった。どこがっていうわけじゃなくたたずまい全体が美しかったよね。」それから、何度か話がとんで、食事に行こうということになった。私の問いかけはどこかに行ってしまったようだ(ToT)もうだいぶん慣れてしまったが(笑)まあ、結構内容をよくあらわしていたので、感想代りに抜粋してみました。羅貫中『三国演義』や吉川英治『三国志』と思わず観れば、よきエンターテイメント、ジョン・ウー『レッドクリフ』だと思います。
2009/05/03
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第62回の過去問を解いてみる。中日訳、日中訳が課題。特に日中訳。解答を見ていつも思う。「どうしてこんなに上手で格式ある中国語が作れるんだろう。」自分の書いた解答と比べると月とスッポン。自分の表現は言うならば中学生レベル、模範解答はプロの通訳という感じ。日常会話で通じる中国語は身につけたけれども、格式高いというか、上手というか、そういう表現が自分には欠けている。それもこれも今まで「通じればいいじゃん」ばりの適当さで学習を進めてきたつけに他ならない。今できる対策はとにかく解説を読んで正しい思考パターンを身につけること。中検は現場の時と違って考える時間がある。つまり即答の必要はない。じっくり考えて文章を練る習慣をつけよう。自己採点の結果、やはり合格点まで10点ちょっと足りない。これはリスニング、筆記共にだ。しかし、解答を確認してみると、以前より自分がどこで躓いたのかが分かる。少しは成長しているようである。いいだろう。自分がたとえアリさん並みの進歩しかしていなくても、歩みを止めなければいつか到達することができる。そう信じている。『あきらめたらそこで試合終了』大好きだったマンガの名台詞。踏みとどまろう。
2009/05/01
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中検の試験勉強をしている。今年の11月には準1級に合格するつもりでやっている。――――今度、受験するのが最後。後はない。 その覚悟で受けるつもりだ。 周囲にこの等級を持っているのは半ばネイティブの帰国子女のみだ。ちなみに1級を持っている人には会ったことがない。自分の交友範囲の狭さもあるのか、この級の合格体験は自分の知り合いで聞いたことがない。 今回は綿密に計画を立てて受けようと思う。 合格にはリスニング分野、筆記分野でその時の難易度によるが75%の正答率が必要となる。 これまでに自分は大学3年、4年、地元隠遁時代に少なくとも各1回は受けているので、少なくとも3回は失敗している。その中でたしか1,2回はリスニング分野で合格点まで達したが、筆記が十数点と絶対的に足らず、合格に至らなかった。 原因を分析すると、特に日中訳での正答率の悪さが目立った。その分野での底上げが急務となる。他の分野の過去問を解いてみたが、日常的なやり取りを問うHSKの傾向と違い、慣用語、成語がどうも出題者の好みであるらしい。 今回の対策では以下のことを終わらせて望んでみたいと思う。・現在持っている中検の過去問をすべて解き、全問正解できるまでやる。・中作文の基礎テキストを一通り終わらせる・成語、慣用語300語がまとめられたものを10語ずつ覚えていく。・iTune radioの中国語学習番組を利用して、書き取りの練習をする。今のところ、思いつくのはこのぐらいだ。ただ、一緒に勉強する仲間、張り合う仲間がいないのは寂しい。受験など勉強のときは仲間と勉強方法を話しながら、よりよい方法の情報をもらっていたから。自分は要領が悪い。不器用だ。タイミングも悪い。でもくそまじめだけは取柄で生きてきた。後悔はない。たとえ同年代に比べて社会的実力がなかろうと、自分の生き方だけは曲げずに生きよう。劣等感があるならその分やればいい。納得いくまでやればいい。
2009/04/22
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引っ越しして一か月が経った。半月あたりぐらいから人間らしい生活ができる環境が整い、今は落ち着いた生活を送っている。太陽が暖かい。いつも朝に感じること。雨の音が聞こえる。今日感じたこと。人間らしい生活、人間らしい生活。
2009/03/25
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越してきて、窓の寸法が合わず、カーテンが床に引きずられている状態で吊っていた。見ていて見栄えが悪く、カーテンを見るたびにだらしないものを見る気分になる。今日は前々から考えていたカーテンのすそ上げを行った。糸は百円均一で購入していたので問題なかった。久しぶりに裁縫道具を開けると待ち針に錆が付いていた。久しぶりだからね…。本当はきっちりやるためには波縫いじゃまずいんだろうが、何しろ手慣れていない。そんなに時間もかけていられない。外のカーテンは軽く地面に当たるくらい、外気が入ってくるのをなるべく防ぐため、このようにした。内側の透かしカーテンは地面から少し離れるくらいにした。作業が終わり、吊ってみると見事に思い通りに行っていた。自分で自分を褒めておいた。うまくいった時はやはり心地いい。
2009/02/28
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新居の排水溝にクサレガミ様がいらっしゃった。発見したのは帰宅して9時頃。なんとなくうっすら予感はしていたが、あけるまではそうでないことを祈った。かの力はものすごく、拝見した瞬間、吐き気をもよおすほどの毒気をぶつけてきた。しばらくの自失状態から、持ち直し、戦いを試みる。どうやら数年物のクサレガミ様らしい。さらにトイレの水道管も漏れているときている。これは形勢が悪い。ひとまず漬け置きを試みて、今日の所は引き揚げよう。敵は自身の中に住む。敵は意外と家の中に住んでいた。千尋のように引っこ抜いて、解放できるかな。お引き取り願いたいものだ。
2009/02/25
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身辺整理をすると、小さい段ボールが山になっていた。すべて送り主は実家より。小さな段ボールには、さまざまなものが入っていた。主なものは米と味噌だが、その隙間は様々なもので埋められていた。缶詰、レトルト食品、ドライフルーツ、忙しい社会人用のインスタント食品が多かった。特に博多ラーメンのインスタントはこちらでは貴重だった。時々、親父様も送ってくることがあり、豪勢だった。日本酒、焼酎、ハム。酒と酒のつまみをたくさんいただいた。母は緩衝材として、よく下着を送ってきてくれるので、あまり買ったことがない。兄貴には送らないそうだ。というか送れない。昔から兄貴は、といっても中学ぐらいからだが、自分の買ったもの以外は着ない人だった。私はこの年になっても無頓着だ。まあ、誰が見るわけでないものを選ぶ気になれない。しかし先日尻の所が真っ二つに裂けているものがあり、さすがに捨てることにした。危機感を持たないといけないかしらん。話が逸れてきた。閑話休題。段ボールは小さいものが、20個ぐらいあるだろう。今度のごみ出しの日に確実に出さないとな。ありがとさん。
2009/02/17
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