「派生感情」原因の観念を伴った喜び・悲しみとしての「愛」・「憎」
「基本欲求(欲望)」端的な「自己保存」のコナトゥス=自動詞的行為へのコナトゥス
「派生欲求(欲望)」愛・憎から派生する他動詞的行為へのコナトゥス
〇善・悪の認識とは、わたしたちに意識された限りにおける、喜び・悲しみの感情にほかならない。
善・悪とわたしたちが呼ぶのは、わたしたちの「有の保存」に役立つ・妨げになるものである。
すなわたちわたしたちの「活動力」を増大・減少させ、促進・阻害するものである。
したがってわたしたちを喜び・悲しみへ変状する事物をわたしたちが知覚する限り、わたしたちはその同じ事物を善・悪と呼ぶ。したがってまた、善・悪の認識とは、喜び・悲しみの観念、すなわち、喜び・悲しみの感情から必然的に帰結する観念にほかならない。しかしこの観念は、精神が身体と合一しているのと同じ仕方で感情と合一しており、すなわちこの観念は、感情そのものから、あるいは(感情の一般的定義により)身体変状の観念から、ただ概念上でしか区別されない。ゆえに善・悪のこの認識は、感情そのもの、つまりわたしたちがその感情を意識している限りにおける感情そのものにほかならない。
我々が対象の内に見出す善・悪という特質は、じつは我々自身の身体または精神の特質、つまり「身体における活動力」の促進と阻害に相当する「身体変状」、および精神における喜びと悲しみの感情にほかならない。それゆえ我々がもつ「善の観念」「悪の観念」の実態は、我々の「喜びの感情の観念」「悲しみの感情の観念」にほかならない。そして「喜びの感情」「悲しみの感情」とは「身体変状の観念」であるがゆえに、「喜びの感情の観念」「悲しみの感情の観念」とは、「身体変状の観念の観念」にほかならない。