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よい店を見つけた、と思った。というのは、不意にOさんと飲むことになったその日のこと。Oさんは前の会社からの友人で、私の知的欲求を満足させてくれる友人のひとりです。金曜の夜ということで、よく行く店は残念ながら満員御礼。どうしようかと、お腹をすかせて歩いていたときのこと。ふとOさんが「あの店・・・」と足を止めました。よく見ると狭い階段の上に、見慣れない看板が。入り口には花が飾ってあるもののあまり目立たない。ここもいっぱいかなと思いながら二人で入ってみることに。しかし店内は会合らしき一組を除いては、ほぼガラガラ状態。失敗?と思いつつ席についてみると、メニューはオーソドックス、お酒も今時のお店よろしく沢山種類があるというわけではありません。でも家庭的な素朴な味と、何よりご主人の人のよさそうな雰囲気が疲れたサラリー(ウー)マンには身にしみるわけです(笑)。話を聞くと、開店したばかりで、初めて迎える週末とのこと。いつもどおり、Oさんと有意義な(白熱の?)トークを楽しんだのは勿論のことですが、何だかとてもほんわかした良い気分になれました。あまり広いお店ではないけれど、その空気感がとても気に入ってしまいました。帰り際に、縁起物ですから、とお花をいただきました。大きなピンクのカサブランカは、奇しくも丁度先月の母の日に贈ったものと同じ。既にほとんどが開いており、あと数日の命といったところ。ふと「あはれ」という言葉が思い浮かびました。この言葉の現代国語の第一の意味は、気の毒、同情、悲しみ、惨め・・・などネガティブなイメージです。しかしもう一つの意味も加わると、まさにこの花にぴったりの言葉になります。この「あはれ」という言葉、昔は喜び、愛憎、悲しみなど、心が動くことつまり「感動」全般を表す語だったわけです。確かにこの花たちはもう残すところ、あとわずかの命。可哀想だし、枯れ、また腐っていく姿は惨めともいえます。しかしそれでも、じっと黙って咲いている姿には心動かされます。花、こと桜の散り際に美しさを感じる、つまりはプラスの面だけでなくマイナスの面もひっくるめて「あはれ」と表現できる日本特有の感性を大事にしたいと思いました。あと二つ、まだ咲いていない蕾があります。短い時間ですが、もう少し愛でていたいと思います。
2006年05月26日
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・・・という比喩があります。今日の私はまさにそれ。最近大きな仕事が重なっていて、てんてこまいな毎日を送っています。私の仕事は波があるので、今は繁忙期といえます。私は集中すると、鳴っている電話が聞こえなくなるなどかなり周りが見えなくなる悪い癖があります。気づかないのではなく、本当に聞こえなくなるのです。今日の夕方は、5つの仕事を並行して行わなければなりませんでした。しかもかなりタイトなスケジュールです。そして丁度とある原稿の最終校正に集中していたときのことつんざくような轟音で、本当に心臓が口から出たかと思いました。原因は雷。かなり近くに落ちたようで、物凄い音でした。午後から鳴っているなぁとは気づいていたのですが全く注意を払っていなかった分、肝を冷やしました。轟音に驚いたというより、殴られた?!と思うほどの衝撃です。あんなに私の心臓が激しく反応したことはありません(笑)すーっと冷や汗が浮かんできて、落ち着くのに時間がかかるほど。ドキドキするのは好きですが、ショックはゴメンです。家に帰ってからもずっと心臓のあたりが痛いので静かに息してます。予期しないアクシデントに人は弱いです。「しまった!」と思う瞬間なしのアクシデントはたまりません。そういえばこの間ゴミ捨てに行こうとして、階段を踏み外した時も「しまった!」の「し」も出なかったです(笑)この場合は集中していたのではなく、注意散漫だったわけですが・・・気をつけようと思う今日この頃です。
2006年05月24日
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バカとは。衝撃的な言葉ですが、あえて使います。まず、バカ、というのは症状ではなく、その時の状態を意味していると思います。だから行動によって、選択によって、次第にバカになる、あるいは次第にバカでなくなっていく・・・という感じでしょうか。バカかそうでないかというデジタル的なものではないと思います。「バカ指数」なんて言葉で自分を省みるのがいいかもしれません。今日はバカ指数10ポイント加算されたなぁ・・・とか(笑)。さて、テレビばかり見ているとバカになる。これは私の持論です。ただし注意書きありです。何も考えずに、という注意書き。テレビは何も考えず、だらだら見てしまいがちなアイテムです。いい大人なのに、垂れ流しの情報を鵜呑みにしてしまう人も少なくありません。だから親は、子供のテレビ視聴時間や番組を規制して当たり前。子供時代にガイドラインがないと、どうなるのか。規制の理由は何か。何故テレビを長時間見るのを禁止するのか。これを考えるチャンスが与えられないと、大人になってもテレビは無意識的に絶対的情報源になってしまいます。それでなくても情報過多なこの時代、情報の取捨選択の妨げになる・・・と言ってもいいと思います。そもそも、楽しいテレビを規制されれば子供は面白くありません。こっそり見ているところを発見され、激怒された経験はありませんか?しかし、だからこそ「何故そう言われるのか(何故それが正しいか・・・ということではないです)」を考えるチャンスになるのです。バカになるかならないか、それは自分自身(しいては親の教育)のせいといえます。ということは、これはテレビに限ったことではありません。たとえば、映画を見ても「よかった」とか「つまらん」とか「共感できる」とか、与えられた情報ベースでしか感想がない人。「どこが?」と聞くといつも口ごもってしまう。そして食べ物を食べて「美味しい」と「まずい」しか言えない人。これは前者よりも抽象的なので、比喩するのは少し難しいかもしれません。しかし、何事にも自分の意見に対して「何故」を考えることは大事です。またそれは「もしかするとその後の経験によって変化する場合もある」ということも知っておく必要があります。何もとある時点で、自分に対してきっぱりと最終弁論を突きつける必要はないのです。何かがきっかけで、意見が変わったり、積み重なることもあります。その時点の自分なりの最良の意見でよいということです。そこには正解も不正解もないはずです。その時点での「昇華」があるだけです。さて、段々年を重ねていくと、そういうことを避けがちにならないか?最近そう感じるのです。家庭教師をやっていると、子供が躊躇せず自分の意見を述べてきます。相手がどう思おうが、自分の感じたことを素直に話すのです。それがたとえ語彙力がなく、うまくまとめられないにしてもです。意外と子供の方が意見を持っていたりする場合もあります。では、何故バカになる、つまりその時点での意見の昇華ができないのか。ひとつの原因は楽だから。適当なことを言ったり、情報を鵜呑みにして分かったふりをするのは簡単です。次に反感を買わないため。反対意見の人に反論される可能性があるからです。最後はやはり日ごろから訓練していないから。そういう機会が少ないです。(でもblogというツールができてからは、世の中少し変わったのでは?)しかし私は日ごろから前向きな論議は必要だと思います。そこまで行かなくても自分の意見を理由も含めて持っておくと言うことでしょうか。扁桃体だけで、好き!嫌い!としか働かない脳は、やはり怠惰です。勿論伝える相手のことを思い、言葉を発することは絶対条件です。難しい言葉ですが、それが「思いやり」という日本語の意味です。ではその対処法は?決して難しいことばかり考えたり、発見したりする必要はないと思います。まず大事なのは何かを感じること。割とこれは多くの人ができるのでは?アンテナ感度は人によって大きな差はあると思いますが・・・。次に自分の中で昇華して糧とすること。これを身につけている人には、能力が高いなと感心させられることが多い。最後にそれを伝えること。実はこれが一番難しい。しかも伝える方法は言葉だけではありません。音楽や絵画などの芸術作品であったりすることもあります。良いにせよ、悪いにせよ、何らかこの最終段階を極めた人が歴史に名を残しているのでは、と思います。なぜなら、伝わるということそのものが「歴史」だからです。話は少し大きくなってしまいましたが、ふと立ち止まってこの大切なことを考え直してみるのもいいかもしれません。最後に、実は違う話を書こうと思って書き始めたのですが考えがこの話に飛躍してしまったのでそうしました。その話とは実は、冒頭で私が貶した(笑)テレビです。このタイトルどおり、実はテレビはバカにつける薬のひとつだった。・・・というところで次週(?)に続く。です。
2006年05月23日
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今日、気づきました。6月の中国語検定もそろそろ申し込み終わるころかしらなんて主催者ページを確認してみたら…先週、受付が終了していました。しくじりました。意図的に忘れようとしていた節もありですが^^;なので、内心期限が過ぎていたことをほくそ笑んでいたりして。反省さえ無意味になってきた今日この頃です。昨日一緒にフィギュアを観に行った友人から聞いたひとつの言葉を思い出します。…というか突き刺さります。それは「4勝3敗の原理」というもの。1週間予定を立てたことを実行する場合、4回出来れば合格とする…ということだそうです。つまりこれは1週間単位で見れば、常にプラス1になるということ。そもそもこの話が出たのは、前にもBlogに書いたとおり、私が手帳でスケジュールを管理し始めて・・・予想通り止めた^^;という話からです。そう、私は7勝0敗の女。それが続けられているうちは我ながら素晴らしいと思うのですが私は間違いなく続けられません。今までの経験から、何事も長くても1年、短いと3日です(笑)。長期ビジョンでこの結果を見たとき、簡単なことですが7勝0敗を1ヶ月続けた場合と4勝3敗を1年続けた場合の1年後の勝敗表は、7勝0敗=21勝324敗4勝3敗=209勝156敗ですね。劇的に結果が違うわけですが、集中力と瞬発力の優れた短距離ランナーが同じスピードでフルマラソンできるわけがありません。フルマラソンを走るなら、綿密な計画性と、計画に問題が発生した場合の力の抜き差しの配分をコントロールできる自制力が必要です。勿論、短距離ランナー的な能力はそれはそれで役に立つわけですが、長距離は苦手だからといって走らない(←私)のもよくないですね。思うに、実行する内容によって、7勝0敗で行くか、4勝3敗で行くか判断すればいいかもしれません。極端に言えば、4勝3敗といわず、最初は1勝6敗だとしても続けるということ、つまり「やーめた!」といわないことの方が大切です。たとえ1勝でも1年後には53勝312敗になるのですから。特に終わりの見えない語学の勉強とはこういうことなのかも。何事にもついつい区切りをつけてしまいたくなる私は、実はそろそろ「やーめた!」と言いそうな雰囲気なのですがまずは言わないことにしておきたいと思います。
2006年05月15日
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今日、さいたまスーパーアリーナで開催されたジャパン・オープン2006を観に行ってきました~♪なんとアリーナ席の前から5列目!もうそれだけでもテンションあがります!男子・女子、アマ・プロ混合の3地域対抗のチーム戦です。チーム・ジャパンは安藤美姫選手と浅田真央選手、本田武史選手に高橋大輔選手の4人の出場。また、チーム・ノースアメリカ、チーム・ヨーロッパともに名だたる選手が続々出場です。フィギュアのスケーターはみんな王子様かお姫様ですね~。普通に滑っている姿でさえうっとりします。若い女の子達の黄色い声援の気持ちも分かる(笑)。今回一番凄かったのはトリをつとめた真央ちゃん!!元気よく可愛らしい演技を見ているこちらも自然に笑みがこぼれてきます。そしてノーミスで次々と繰り出される大技は神業!次のオリンピックのメダル確定を期待してしまうほどの完成度の高さでした。インタビューで「100点です♪あっ、いや・・・90点デス」なんて言っていましたが、間違いなく100点です!ところで、スケートリンクで転ぶと死ぬほど痛いです。4~5年くらい前でしょうか、スケートリンクで転んでしりもちをついたときに、絶対背骨が折れた!と思うほど痛かったです。私の場合は低レベルな話ですが、あのリンクが氷の塊であることに間違いありません。しかも選手が転ぶときは、ウルトラC級(死語)のジャンプの時。完璧な美しい演技をすることも勿論素晴らしいことですが、高度な技に果敢に挑戦して、失敗しても最後まで演じきる姿もまた感動します。フィギュアスケートは芸術的な要素と競技的な要素の両方があるから2倍楽しめるし、2倍感動するんですね。そして!今回エキシビションで荒川静香選手が登場!!トリノのエキシビションの青い衣装に身を包み、リンクに降り立った瞬間、リンクの寒さとは違う、何かが全身を総毛立たさせました。これが世界一のオーラなのでしょうか。そして「You raise me up」が流れ、荒川選手が滑り始めると会場が一瞬しんと静まり、不思議な感覚になりました。体を大きく使ったのびのびした美しい演技に、ありえないほどの美しさを見たように思います。そして荒川選手の代名詞「イナバウアー」は本当に感動的!丁度私の席の正面になる場所でしっかり見ることができました(^^)。久しぶりに自分の筆でうまく説明することができません。それほど感動した、ということです。今日一緒に行った友人とも話していたのですが、チャンスは逃さないということ。いつでも観ることができないもの、それから最高のもの(こと世界一)は、それを観ることができるチャンスがきたら逃さないということです。勿論、テレビなどで手軽に観ることはできます。だけどその場所で、実際に空気を肌で感じる醍醐味は全く違います。スポーツに限らずどのジャンルであっても、それは最も贅沢でまた自分の宝になる経験でもあります。だから何事もぴんと来た瞬間、時間が許す限り(そうです、問題は時間のやりくりだけ)、それを逃さないようにしています。「書を捨て、町へ出よう」と名言を残したのは寺山修司ですが、実際に肌で感じることはとても大切。それは脳への最高級の栄養にもなります。最近いいものに触れていますか?情報過多で頭でっかちになりがちなこの時代。また、お手軽に最高級の情報を手に入れられるヴァーチャルでデジタル的なものは実はただのツール。それよりも、本来人が生きる世界である、リアルでアナログ的なものに触れることが、今の時代、一番大切なのことなのかもしれません。
2006年05月14日
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いや・・・またやってしまいました、放置^^;1ヶ月くらい前にしっかり計画通りにものごとをすすめるなんてがんばってましたが、実は結構前に終了しています。一度止まると休止が長くていけません。その罰なのか、GW前から体調をくずしてしまい、一度治りかけたもののまたぶり返し。今日は会社で電話越しに心配されるほど「まみむめも」が言えない人になっていました^^;そんなわけで色々夢のあったGWは寝て過ごして終わりという哀しい結果に・・・今週末、フィギュアスケートを観に行くので、とりあえずそれまでには治す事に専念したいと思います。
2006年05月10日
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