41歳ニートと俺とおかんと親父の話

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2025.08.11
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カテゴリ: 俺の哲学

まいど、俺や!
御室流で奥伝とって、嵯峨御流でも奥伝までいった。
もう10年以上、花と向き合ってきたけど――
最近ようやく気づいたんや。
「花は、咲く時より、枯れる時が美しい」ってことに。


枯れる姿には、作り物じゃない“真実”がある
花がいちばん綺麗なんは、もちろん咲きたてのときや。
色も形も整ってて、誰が見ても「綺麗やなぁ」って言う。
でも俺は、
水が減って、花びらが少し丸まってきた頃が好きやねん。
人間で言えば、
頑張った後の顔とか、
ふっと力抜けた瞬間みたいなもんや。
その“余韻”が、ほんまの美しさやと思う。

花は枯れても、品格は残る
花が枯れていく過程って、
なんか「諦め」やなくて「受け入れ」なんよ。
最後の一日まで、静かに、堂々と立ってる。
その姿見るたびに思う。
「あぁ、潔さってこういうことなんやな」って。
無職になって、
過去の肩書きとかプライドとか、
いろいろ失っても、
こういう“姿勢”さえ保てたら、それでええ気がする。


美しいものは、永遠やなくて“一瞬”
生け花って、根がない。
だからこそ、時間が経てば確実に枯れる。
でも、それでええ。
永遠に咲く花なんか、どこにもない。
美しさの本質って、“儚さ”の中にあるんや。
人間もそうや。
若いときだけ輝いてるんちゃう。
時間を経て、少し色褪せて、
それでも“存在感”のある人間が一番かっこええ。


枯れるって、“消える”ことちゃう
花が枯れても、
そこに流れてた空気、
その花が作った「間」は残るんよ。
作品を片づけても、
花があった場所だけ、なんとなく光が柔らかい。
あれって不思議やな。
たぶん、“美しいもの”は消えへん。
形はなくなっても、心に跡を残す。


花が教えてくれた“終わり方”
どんな花も、咲き続けることはできん。
けど、散り方は選べる。
乱れて散るか、静かに枯れるか。
人も同じやと思う。
どう終わるかで、その人の生き方が出る。
俺は派手に咲けんかったけど、
枯れるときくらいは、綺麗にいきたいな思うわ。


親父の言葉が、今になって刺さる
防大卒の元鬼軍曹の親父が昔言うてた。
「退くときも、背筋伸ばせ。」
そのときは意味わからんかったけど、
花を見てるうちに腑に落ちた。
“終わり方”が、美学なんや。
花も人も、
最後の姿が一番印象に残る。


おかんの優しい解釈
花がしおれてきたときに、
おかんが「この姿もええやん」って言うた。
枯れることを悲しむんやなくて、
「よぉ咲いたな」って労る気持ち。
それがほんまの“愛でる”やと思う。
花の命を最後まで見届ける――
それが、生ける人の責任や。


枯れるから、また次が咲く
枯れた花を片づけて、
花器を洗うときに気づく。
「あぁ、ここからまた始まるんやな」って。
終わりは、始まりの予告。
枯れることを恐れたら、
次の花が咲けへん。
人生もそうや。
何かが終わるたびに、
次の芽がちゃんと待っとる。



まとめ
花の命は短い。
でも、その短さの中で全力で生きてる。
そして枯れる瞬間まで、
人を癒して、教えて、静かに去っていく。
俺も、そんな風に生きられたらええなと思う。
枯れても、誰かの心に“残り香”を残せたら、それで十分や。



俳句で締め
枯れゆけど
なおも光るは
花の芯





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最終更新日  2025.10.09 14:25:11
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