41歳ニートと俺とおかんと親父の話

41歳ニートと俺とおかんと親父の話

PR

×

プロフィール

シン・オマサンダー

シン・オマサンダー

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

saladatomato @ Re:「馬の耳に念仏」←馬は悪くないやん(08/08) (*'▽')おはようございます。 …

キーワードサーチ

▼キーワード検索

フリーページ

2026.09.27
XML
テーマ: 日本の歴史(1117)
カテゴリ: 日常
​​

まいど、俺や。
今回は、
平将門(たいらのまさかど)
日本史の怨霊界で、
菅原道真と並んで名前が出てくる有名人。
平将門。
この人には、
とんでもない伝説がある。
戦いで討ち取られる。
↓
首を切られる。
↓
京都でさらされる。
↓
首が突然飛ぶ。
↓
関東まで帰ってくる。
飛行距離おかしいやろ。
生首やで。
翼ないで。
しかも、
東京・大手町には現在も、
将門塚
と呼ばれる場所がある。
さらに、
「将門塚を粗末にすると祟られる」
という都市伝説まで、
長く語られてきた。
ほな、
どこまで史実なん?
将門は、
ほんまに反乱を起こしたん?
首は京都でさらされたん?
そして、
首はほんまに飛んだん?
今回は、
史実と伝説を分けながら、
平将門の人生と、
東京に残る怨霊伝説を調べてみるで。
結論:将門が討ち取られたのは史実。でも「首が飛んだ」は後世の伝説
まず結論。
平将門は、
実在した。
関東で武力衝突を繰り返し、
やがて朝廷に反する行動を取り、
940年に討ち取られた。
ここまでは、
歴史上の出来事として扱える。
一方、
首が空を飛んだ。
↓
関東へ戻った。
↓
落ちた場所が将門塚になった。
これは、
後世に形成された伝説
として見る必要がある。
でも、
おもしろいのはここから。
ただの怪談なら、
1000年近くも、
東京の一等地で語られ続けへん。
なぜ将門は、
死後これほど恐れられ、
祀られるようになったんやろ。
そもそも平将門って何者なん?
平将門は、
10世紀前半、
平安時代の武士や。
活動の中心は、
現在の
茨城県や千葉県などを含む関東地方。
平氏の一族で、
地方に勢力を持つ武士やった。
ここで大事なんは、
将門が最初から、
「よーし、今日から朝廷倒したろ!」
と立ち上がったわけではないこと。
最初は、
一族内部の土地や権利などをめぐる争いが、
大きな背景にあった。
つまり、
スタート地点は、
天下取りというより、
関東の武士同士の争い
に近かったんや。
親戚同士のケンカが国家反乱になる
将門は、
叔父たちなど、
同族との争いを繰り返す。
この辺、
平安時代の武士社会、
だいぶ激しい。
「親戚と土地でもめまして」
までは分かる。
そこから、
「兵を出します」
になる。
法事で会った時、
気まずいとかいうレベルちゃう。
こうした争いの中で、
将門は関東で勢力を拡大していく。
そして939年ごろ、
事件は一気に大きくなる。
将門、国府を攻撃する
将門は、
常陸国府などを攻撃。
さらに、
周辺の国々へ勢力を広げていく。
国府というのは、
ざっくり言えば、
地方行政の中心や。
そこを武力で押さえる。
これはもう、
親戚ゲンカでは済まへん。
国家の地方支配そのものへの挑戦
になってくる。
そして、
将門は関東の広い範囲に、
自分の支配を広げていったとされる。
「新皇」を名乗った将門
将門を有名にした最大級の話が、
新皇(しんのう)
や。
『将門記』では、
将門が
「新皇」
を称したと伝えられる。
つまり、
京都に天皇がおるのに、
関東で、
「こっちは新しい皇や」
と名乗った。
これが事実関係も含めてどう理解されるべきかは、
史料の性格を考えながら見る必要がある。
ただ、
少なくとも後世、
将門は、
朝廷の支配へ真っ向から挑んだ人物
として記憶されることになった。
そら朝廷側からしたら、
放置できへん。
朝廷「それはアカン」
940年。
将門を討つ動きが本格化する。
中心となったのが、
藤原秀郷
や
平貞盛
ら。
そして、
将門軍と戦闘になる。
将門は、
戦いの中で討ち取られる。
伝承では、
矢が額に当たったとも語られる。
ただし、
最期の細部は後世の物語と混ざりやすいから、
慎重に見る必要がある。
確かな大筋は、
940年、平将門は敗死した。
将門の反乱は、
終わった。
はずやった。
問題は死んでからや
普通なら、
反乱者が討ち取られる。
↓
反乱終了。
↓
歴史の教科書へ。
となる。
ところが、
将門。
ここから、
ホラー編
が始まる。
討ち取られた将門の首は、
京都へ送られ、
さらされたと伝えられる。
ここまでは、
当時の反乱者への処置として、
理解できる。
でも、
伝説では、
その首が、
夜な夜な、
「身体はどこや!」
みたいな声を発したという。
そして、
ある夜。
首が、
突然空へ飛び上がる。
来た。
将門の首、関東へ帰還
伝説では、
将門の首は、
京都から東へ向かって飛んでいく。
目指すは、
故郷の関東。
そして、
現在の東京都千代田区周辺に、
落ちた。
そこに築かれたのが、
後の
将門塚
につながる。
いや、
ちょっと待って。
京都から東京。
ざっくり400キロ以上ある。
生首、
長距離便すぎる。
しかも、
ナビなし。
高速道路なし。
東海道新幹線なし。
俺なら途中で、
滋賀あたりに落ちる。
なんで「首が飛ぶ」話になったん?
もちろん、
実際に生首が飛行したことを示す歴史的証拠があるわけちゃう。
これは、
怨霊伝説や説話の世界。
でも、
なぜ、
こんな物語が生まれたのか。
一つ考えられるのは、
首=その人自身
という感覚や。
昔の戦では、
敵将の首を取ることが、
勝利の証明になった。
首実検も行われる。
つまり、
身体の中でも、
首は、
その人物の身元や人格を象徴する、
非常に重要な部分やった。
だから、
将門本人が死んでも、
首だけが意思を持って帰ってくる。
これだけで、
強烈な物語になる。
「首だけ帰る」って、めちゃくちゃ怖い
考えてみ。
将門は、
関東で生きた。
関東で戦った。
関東で死んだ。
でも、
首だけ、
京都へ持っていかれる。
つまり、
身体と首が、
離される。
それが、
死後、
自力で帰ってくる。
これ、
単なるホラーやなくて、
故郷へ戻ろうとする死者
の物語にも見える。
恨み。
無念。
帰郷。
全部、
首一個に詰め込まれてる。
そら、
伝説として強い。
将門塚って今もあるん?
ある。
東京都千代田区大手町。
超都心。
高層ビル。
オフィス。
金融。
地下鉄。
そんな場所に、
将門塚
が残っている。
近代的な東京のど真ん中に、
1000年以上前の武将にまつわる場所がある。
これ、
めちゃくちゃおもろいやろ。
周囲が、
どれだけ再開発されても、
将門の伝説は消えへん。
東京、
未来都市みたいな顔して、
真ん中に平安時代の怨霊おるやん。
でも現在の将門塚=将門の墓とは限らない
ここも重要。
現在の将門塚を、
「ここに将門本人の首が確実に埋まっています」
と考えるのは危ない。
将門の首が空を飛んで、
そこへ落ちた。
これは、
伝説や。
将門塚の場所には、
中世以降、
将門を祀る信仰や伝承が形成されていったと考えられている。
つまり、
史実の将門と、後世の将門信仰が重なった場所
として見る方がええ。
将門塚を壊すと祟られる?
そして、
将門伝説で一番有名なんが、
これ。
「将門塚を粗末にすると祟られる。」
関東大震災後。
周辺を整備しようとした。
すると、
関係者に不幸が続いた。
将門の祟りや!
さらに戦後。
GHQが周辺を整備しようとした際にも、
事故が起き、
将門の祟りとして語られた。
こうした話が、
現代の将門塚の
「触ってはいけない場所」
というイメージを強くした。
ただし、
ここは絶対に分けなアカン。
事故や死亡が起きたこと。
それを、
「将門の祟りが原因だった」
とすること。
これは別や。
後者は、
伝説・都市伝説の領域になる。
事故が起きると伝説は強くなる
これ、
前回の道真と同じや。
道真が死ぬ。
↓
関係者が死ぬ。
↓
雷が落ちる。
↓
「道真の祟りや!」
将門塚でも、
工事する。
↓
事故が起こる。
↓
関係者に不幸がある。
↓
「将門の祟りや!」
人間って、
偶然の出来事が続くと、
そこに意味を見つけたくなる。
特に、
最初から
「ここには怨霊がおる」
という物語を知っていたら、
なおさらや。
でも、怖いからこそ大切にされる
ここが、
御霊信仰のおもしろいところ。
祟る。
↓
怖い。
↓
壊そう。
ではない。
祟る。
↓
怖い。
↓
ちゃんと祀ろう。
になる。
将門も、
単なる悪霊として扱われてへん。
地域によっては、
神として信仰される。
東京の
神田明神
でも、
将門は祭神の一柱として祀られている。
つまり、
朝廷に反乱した人物が、
1000年以上たって、
東京を代表する神社の神様になっている。
人生、
死後まで分からんな。
将門は「悪人」やったん?
これも、
単純ではない。
朝廷側から見れば、
反乱者。
国家秩序に挑戦した人物。
でも、
関東側の伝承では、
違う将門像も生まれる。
中央の権力に対抗した英雄。
弱い者を助けた人物。
関東を守ろうとした人物。
そういうイメージも、
後世に作られていく。
つまり、
見る側によって将門の評価が変わる。
中央から見れば、
逆賊。
地域から見れば、
英雄。
死後には、
怨霊。
さらに、
神。
属性、
何個あるねん。
「悪人だから怨霊」ではない
ここ、
前回の道真とも共通する。
日本の怨霊って、
単純に、
悪人が死んで化けるわけちゃう。
むしろ、
強烈な無念を残して死んだ人
が怖がられる。
道真。
不当な左遷。
将門。
敗死してさらし首。
早良親王。
失脚と非業の死。
つまり、
「この人、納得してへんやろな……」
という死。
これが、
怨霊を生む物語の土台になる。
そして「祟るほど強い=神としても強い」
日本の御霊信仰には、
独特の逆転がある。
ものすごく祟る。
↓
それだけ力が強い。
↓
ちゃんと祀る。
↓
その力で守ってもらう。
これ、
ゲームで言えば、
ラスボス倒したあと、
仲間になるパターンや。
しかも、
仲間になったら、
めっちゃ強い。
道真も、
怨霊から天神へ。
将門も、
恐れられる存在から、
信仰される存在へ。
恐怖と信仰が表裏一体
なんや。
東京という場所との相性が妙にいい
俺、
将門伝説のおもしろさって、
場所にもあると思う。
山奥ちゃう。
廃村ちゃう。
東京や。
しかも、
大手町。
日本でもトップクラスの、
ビジネス街。
巨大企業。
銀行。
高層ビル。
スーツ姿の人。
その横に、
平安時代の武将を祀る塚。
このギャップ、
めちゃくちゃええ。
科学。
経済。
テクノロジー。
超高層ビル。
そういう現代社会のど真ん中に、
「ここは粗末にしたらアカン。」
という、
1000年前につながる感覚が残ってる。
近代化しても怪談は消えへん
普通に考えたら、
科学が進めば、
怨霊伝説なんか消えそうやろ。
でも、
消えへん。
むしろ、
ビルが建つ。
工事事故が起こる。
新聞や雑誌が書く。
テレビが紹介する。
ネットで拡散する。
すると、
古い伝説が、
新しいメディアによって延命される。
江戸時代なら、
講談。
近代なら、
新聞や雑誌。
昭和なら、
テレビ。
今なら、
SNSや動画。
将門の怨霊、
時代ごとに媒体をアップデートしてる。
ネット対応、
早いな。
首が飛んだかより「なぜ飛ばしたのか」
歴史とホラーの記事で、
俺が一番気になるのは、
ここや。
「ほんまに首が飛んだん?」
もちろん、
史実として確認できへん。
でも、
そこで終わったら、
もったいない。
もっとおもしろい疑問は、
「なんで昔の人は、将門の首を飛ばす物語を作ったん?」
やと思う。
京都へ持っていかれた首。
関東へ帰りたい将門。
無念。
怒り。
故郷への執着。
それを、
首が飛ぶ
という一発で、
全部表現できる。
めちゃくちゃ強い物語や。
首塚って「死者の居場所」なんかもしれん
人間って、
怖い死者に対して、
場所を作るんよな。
ここにいてください。
ここで祀ります。
だから、
外へ出てこないでください。
将門塚も、
そういう意味で見ると、
おもしろい。
怨霊を、
完全に消すんやない。
住所を与える。
これ、
日本の怪異文化では、
結構重要なんちゃうかと思う。
祠。
塚。
神社。
墓。
怖い存在に、
居場所を与える。
すると、
人間側も、
付き合い方が分かる。
人柱とも道真とも全部つながってくる
ここまでシリーズを追うと、
共通点が見えてくる。
人柱。
↓
犠牲者が祟る。
↓
祀る。
道真。
↓
怨霊が祟る。
↓
天神として祀る。
将門。
↓
怨霊として恐れられる。
↓
神として祀る。
つまり、
昔の日本人は、
怖い存在を、
消滅させる
より、
関係を作り直す
方向へ進むことがある。
これ、
めちゃくちゃ興味深い。
敵か味方か。
善か悪か。
そういう二択やない。
怖い。
でも、
敬う。
祟る。
でも、
守ってくれる。
この曖昧さが、
日本の神様や妖怪のおもしろいところなんや。
まとめ
平将門と首塚伝説を整理すると、
平将門は10世紀前半に関東で活動した実在の武士
一族間の争いなどから勢力を拡大し、やがて朝廷の地方支配へ挑戦する形になった
『将門記』では「新皇」を称したと伝えられる
940年、藤原秀郷や平貞盛らとの戦いで敗死した
将門の首が京都へ送られたという伝承がある
「首が空を飛んで関東へ戻った」という部分は後世の伝説
東京・大手町には現在も将門塚がある
現在の将門塚を「将門の首が確実に埋まっている墓」と断定することはできない
将門塚を粗末にすると祟られるという都市伝説が近現代にも広がった
工事や事故と「祟り」との因果関係は歴史的事実として証明されたものではない
将門は怨霊として恐れられる一方、神田明神などで神としても祀られている
朝廷側の「反乱者」という像と、地域の英雄・守護者という像が重なっている
将門伝説は時代ごとに物語を増やしながら現在まで生き残っている
つまり、
「平将門の首ってほんまに飛んだん?」
への答えは、
飛んだことを示す史実はない。これは伝説や。
でも、
その伝説を、
1000年近く人間が語り続け、
東京のど真ん中に、
今も将門を祀る場所が残っている。
そこまで含めると、
将門伝説は、
単なる
「生首が飛んだ怖い話」
では終わらへん。
敗者だった人間が、物語の中で怨霊になり、最後には神にまでなった歴史
なんや。
最後に一言
俺、
将門の話を調べてて思う。
人間って、
死者そのものより、
「納得せずに死んだ人」
を怖がるんやな。
普通に亡くなった。
供養した。
送り出した。
それなら、
まだ区切りがつく。
でも、
裏切られた。
追放された。
殺された。
首までさらされた。
そんな人がいたら、
「いや、これ絶対怒ってるやろ……」
と思ってしまう。
そして、
悪いことが起こる。
すると、
死者の怒りと結びつける。
祀る。
神になる。
そう考えると、
怨霊って、
死者が作るというより、
生き残った人間が作るもの
なのかもしれへんな。
ただし俺、
将門塚へ行ったとしても、
「祟りなんか迷信やろ!」
とか言いながら、
塚をバンバン叩く勇気はない。
歴史的因果関係は確認できません。
科学的根拠も確認できません。
でも、
触らんでええもんは、触らんでええ。
俺の危機管理は、
科学と共存できる。


締めの俳句
首飛びて
都に残る
秋の月





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026.09.27 08:00:05
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: