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教育の〈最終目標〉とは、子供を幸せにすることよりも、他人を幸せにする(ことで自らも幸せになる)子を育てること 宮台真司
2019.01.21
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某大手企業代表の100万円プレゼント企画をツイッターで見たとき気持ちの中でざらざらしたものがあった。 それが何故なのか自分ではわからなく、上手く表現できなかったのだが、僕の師匠が明確に言葉で端的に問題点を整理されていてさすがだなと思った。「批判すべきなのは、この企画が人間のどうしようもない弱さを強調するものでしかないからだ問題は富の格差そのものではない。富の格差が問題になるのは、それが人々相互の敬意を蝕む時だ。今の日本はそうなり始めている」
2019.01.15
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会社で出世できるやつは上司に好かれるやつだ。僕は一生出世できない。
2019.01.14
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年末年始の地獄の労働を終えた。戦いは終わり束の間の休息中だがその後はまた新たな戦いが待ち受けている。つらいけど多少の充足感もある。一生懸命働いたので働いた感に浸ると同時に自分の理想の働き方を考えてみた。今の仕事は本当にしんどいのだけれど半面楽しい部分もある。それは従業員とのコミュニケーションとお客さんとのコミュニケーションだ。結局それが僕には大事なのだと思う。(実際お客さんにはクソな人も沢山いるけど)そのように考えられるようになったのは実は最近のことだ。僕の労働観の変遷は30代の時と比べると大分変わったと思う。それは30代の頃の労働観は一言で言うと労働の時間単価を最大化することをテーマにやっていたように思う。そしてそれはある程度達成され、またある程度の余暇を手に入れ本を読んで勉強できた。けれどもその行く先は暇で暇になるとお酒を飲むかくだらない時間の浪費しか残らず結局その環境から撤退した。仕事がつまらないと余暇に視点が集中するのは当然だろう。そのつまらない仕事の環境での社内では細かい、めんどくさいくだらないことばかり問題になり仕事は常に技術的に低く単調でつまらない仕事しかない前の職場は限界だった。話がそれてしまった。元に戻すと余暇だけで充実した日々がおくれない僕は、つまり無趣味な僕は働くということでしか充足感は得られないのだと思う。しかしその労働に帯する対価は金銭に求めると時間単価の追及に注力してしまい仕事のしんどさを賃金で解消する思考に陥り、もっとよい環境があるのではないかと職場を変えてしまい結局堂々巡りに回ってしまう。そしてそういう思考へ誘導する仕掛けは働いていると色々ある。一つには会社の労働時間の時間管理。時間管理の数値化はその労働の対価を賃金偏重へと導く。そしてそれが大事なものを排除するのだと思う。自分の仕事を賃金という数値に変えてしまうとそれでは労働の余剰へは至れない。労働の余剰とは労働の楽しい半面である従業員とのコミュニケーションでありお客さんとのコミュニケーションである。だからしんどい分しっかりもらわなくては、でなくてむしろ労働の余剰をいただいている、ぐらいに考えるようにしている。時間に対してしっかり賃金で対価をもらうことは、生活を安定させるためには必要なのだけどそれに徹底してしまうとよくない。とりあえず自分の仕事ができる環境を維持することが大事だと思っている。そこは確信しているのだけれど環境の維持の為に仕事の幅を広げることが必要なのかどうかは冷静な判断が必要だと思う。
2019.01.09
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