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夏の上高地 きのう山開きの上高地に、雪がふっていました。 4月の下旬に雪がふるのは、珍しい事だそうです。 河童橋に白々と雪のふる映像は、とても綺麗でした。
2006年04月22日
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ただ今自分のブログを開いたら、ホームページ(トップページ)が、 真ん中から二つに割れています。これを見た瞬間、とても悲しくなりました。 嫌がらせをされるくらいなら、楽天ブログを止めようと思います。。 追伸、10時50分頃、正常に戻りました。誰が直してくれたのでしょうか。 それはともかく、真ん中から二つに割れた状態を、多くの人に見てもら いたかったです。
2006年04月20日
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「ミッデルハニスの並木道」 ホッベマ 不治の病におかされ、わずか二十年の生涯を終えられた、女性の日記です。 「塩瀬信子の日記」より 私の夢 それは 私が受けたものを 社会に返すこと 社会のために何らかのことをすること 私という人間が 長い歴史の一瞬間に 生きた意味のあるように。 六一一号室の廊下側にいる、修道院から出てきたような やさしいお嬢さんは、どこがお悪いのですか 人はみなうつくしい。 「YKの日記」より ひろがることを しらずに 一点にもえる かなしみ あおく しろく そして透明に ひろがることを みずから拒絶して 一点にもえ もえつづける かなしみ おごりをやめ たかぶりをころし ひそかに 一点に しかし それによって にんげんであることを 感じ にんげんであることに 耐える わたし 「大島みち子の日記」より 病院の外に 健康な日を三日ください。 一日目、 私は故郷に飛んで帰りましょう。 そして、おじいちゃんの肩を叩いて それから母と台所に立ちましょう おいしいサラダを作って 父にアツカンを一本つけて 妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。 二日目、 私は貴方の所へ飛んで行きたい。 貴方と遊びたいなんていいません。 お部屋をお掃除してあげて ワイシャツにアイロンをかけてあげて おいしいお料理を作ってあげたいの。 そのかわり お別れの時 やさしくキスしてね。 三日目、 私は一人ぼっちで思い出と遊びます。 そして静かに一日が過ぎたら 三日間の健康をありがとうと笑って 永遠の眠りにつくでしょう。
2006年04月18日
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挿 絵 何年くらい前からだろう、女性がジーンズをはくようになったのは。 休日、都会へ向う電車に座ってますと、乗り込んで来る若い女性のほとんどが、 ジーンズ姿なんですね。街のデパートなんかで見かけますが、幼子を連れた若い 主婦もジーンズをはいています。 女性がジーンズをはくようになったのは、それだけ活発になったからでしょう が、活発になったからといって、女らしさが失われたわけではありません。若い 女性のジーンズ姿には、お尻から脚のラインがくっきりと表れますから、肉感的 であり、そしてさわやかな感じもします。 それに反して今、若い男性のジーンズ姿をまったく見かけません。その昔ジー ンズは男の象徴でしたが、今やその座は、女性に取って代わられたようです。 なぜ今頃こんなことを述べるのか。つい先日、ジーンズに関する事件を、ある テレビ局がニュースの時間に報道しました。他局も新聞も、その件については触 れませんでしたので、知らないかたも多いと思いますが、こんな内容でした。 「ジーンズをはいた女性のお尻に、硫酸をかけた男が逮捕されました。男はジー ンズ姿の女性のお尻を見るとムラムラすると言っており、硫酸をかけた後のお尻 がどうなっているのか、見てみたかったと述べています」 男の年齢は聴きもら しました。 若い女性のジーンズ姿は、とても肉感的で格好いいのです。痴漢行為をしたり、 まして今回のように硫酸をかけるなどはもっての外ですが、ジーンズ姿に肉欲を 感じる点においては、私もその男と同じであります。
2006年04月16日
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「わたしを束ねないで」 新川和江 わたしを束ねないで あらせいとうの花のように 白い葱のように たばねないでください わたしは稲穂 秋 大地が胸を焦がす 見渡すかぎりの金色の稲穂 わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように 高原からきた絵葉書のように 止めないでください わたしは羽ばたき こやみなく空のひろさをかいさぐっている 目には見えないつばさの音 わたしを注がないで 日常性に薄められた牛乳のように ぬるい酒のように 注がないでください わたしは海 夜 とほうもなく満ちてくる 苦い潮 ふちのない水 (潮=しお) わたしを名付けないで 娘という名 妻という名 重々しい母という名でしつらえた座に 坐りきりにさせないでください わたしは風 りんごの木と 泉のありかを知っている風 わたしを区切らないで コンマやピリオド いくつかの段落 そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章 川と同じに はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
2006年04月13日
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大衆演劇の舞台公演は、おおかたは一週間ほど上演されるのですね。お客は毎日変わりますが、出演者は、同じ役を一週間続けるわけです。主演者によって、来場する客の年齢層がほぼ決まります。大衆演劇の場合、中年のご婦人が多いようですね。お客が毎日変わることは当然のことですが、出演者から見ると、毎日変わり映えのしないお客に見えるそうです。それはそうでしょう。客席は毎日、同じ年齢層のご婦人方で満席になるのですから。一週間の長丁場。 出演者にいっとき気の緩みが生じても、無理もないことと思うのですが、主演者(座長)にとって、それは赦されないことだそうです。それでは主演者は、どうやって一週間の期間、気をぬくことなく同じ役を演じることが出来るのか!番組名は忘れましたが、テレビでやってました。この趣旨のことを尋ねられて、男優は答えています。その男優は、客席が満席になった頃、舞台のそでから客席を見渡すそうです。そして、自分の好みの女性を探すのだそうです。見渡せば、大勢の中年のご婦人の中に、少し年齢が若くて品のある女性が、そんな女性が、毎日一人はいるそうです。「きょうはあの人のために、精一杯の演劇をしよう!」そうこころに決めて舞台に臨むそうです。座長の主演者が気を張って演じるから、共演者もおのずと気が引き締まります。そうして一週間の舞台を、中だるみなく遣り通すのだそうです。 役者根性ですね!
2006年04月11日
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「物乞いの少女」 ウイリアム・ブーグロー ブーグローは19世紀のフランスの画家でアカデミック派。 アカデミーは美術学校で、ルイ王朝下にあり、当時、アカ デミー会員となると立派な未来が用意され、芸術家のエリ ートの集まりでした。 時を同じくして、印象派の画家が台頭して来ましたが、 アカデミック派は、印象派を徹底的に否定しました。 当時のパリ画壇は、アカデミック派が主流をなしていて、 美術展(サロン)においては印象派の絵をことごとく落選 させたそうです。
2006年04月06日
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今や衛星放送は、世界各国に普及しているそうですね。 すこし前のこと、NHKテレビでやっていましたが、中東地域にも あの「冬のソナタ」が配信され、女性の涙を誘っている場面があり ました。 その場面を見た時、恋愛というものに対する人の思いは、洋の東西 を問わずみな同じなんだなと思いました。。 恋愛の至福感は、相思相愛の高まりにあると、誰だって思いたい ものです。 しかし現実はそうではありませんよね ……‥ かって読んだ恋愛に関する一節には、こんな風に述べられています。 中野好夫(英文学者・エッセイスト)の「恋愛について」 〈私は恋愛というものについて、その相互性というものをあまり信じな い。恋愛というものが、すべて相互的なものばかりであるとすれば、人 の世はむしろひどく索然としたものになるのではないか。二人がともに 心ゆくまで愛されあっているというような場合、たとえばあの聖書に、 太陽さえその日脚を停めて動かなかったというような恋愛の瞬間は、私 にはなにか妙に不吉な予兆さえ思わせる。 そもそも恋愛の与える蠱惑的な魅力とは、それが精巧な幾何学模様の 透彫りでも見るような整然としたものであることよりも、むしろかぎり なく皮肉で意地悪い、たとえば晴れた夏の日の陽炎でも追うような、そ のじれったい捕え難さにこそあるものではなかろうか〉 現実の恋愛においては、相思相愛の高まりなどは有り得ない故に、 私たちはあの「冬のソナタ」に、まるで現実を夢見るように酔った のではないでしょか。。
2006年04月05日
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「夕焼け」 吉野 弘 いつものことだが 電車は満員だった。 そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが座った。 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 娘は座った。 別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。 娘はうつむいた。 しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。 としよりは次の駅で礼を言って降りた。 娘は座った。 二度あることは と言う通り 別のとしよりが娘の前に 押し出された。 可哀想に 娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。 次の駅も 次の駅も 下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせて――。 僕は電車を降りた。 固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。 やさしい心の持主は いつでもどこでも われにもあらず受難者となる。 何故って やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう。 下唇を噛んで つらい気持で 美しい夕焼けも見ないで。
2006年04月04日
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「日の光」 おてんとうさまのお使いが そろって空をたちました。 みちで出逢ったみなみ風 (何しに、どこへ)とききました。 一人は答へていひました。 (この「明るさ」を地にまくの、 みんながお仕事できるやう。) 一人はさもさもうれしさう。 (わたしはお花を咲かせるの、 世界をたのしくするために。) 一人はやさしく、おとなしく、 (わたしは清いたましひの、 のぼる反り橋かけるのよ。) 残った一人はさみしさう。 (わたしは「影」を作るため、 やっぱりいっしょにまいります。)
2006年04月02日
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「オフィーリア」 ジョン・エヴァレット・ミレイ この絵は「ハムレット」の中の一場面でして、狂ったヒロインが 川辺で花輪を編むうちに足をすべらせ、 歌をくちずさみながら そのまま川底に沈んでいく、というシーンです。 「オフィーリア」は数人の画家が描いていますが、ミレイの絵が 最も有名です。
2006年04月01日
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暖かい今日のお昼、庭に出て、赤い南天の葉を何気なく眺めていた時、 偶然にも、おびただしい数の南天の葉のひと葉に、天道虫の親子を見ま した。 南天の赤い葉は、天道虫の保護色になっていたのです。 背中が半球形の天道虫。親の背中に赤ちゃん天道虫が乗っていました。 赤ちゃん天道虫の、それはそれは小さいこと。 わたしに見られていることに気付いたのか、親の天道虫は子を背負って 歩き出しました。 ゆっくりゆっくりした歩みです。そして葉の裏側に隠れました。 親が子を育てる姿は、人間も動物も同じなんですね。
2006年03月31日
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「小さなみなとの町」 木下夕璽 母とふたりで 汽車でとおった 小さなみなとの町 たれかのたべのこした アイスクリームが まどわくのところでとけていた 汽車のとまっているあいだ 波の音がきこえていた つくつくぼうしが鳴いていた それだけをはっきりおぼえている もう二度とくることもないだろうと おもいながらとおりすぎた 小さなしずかなみなとの町 「夜学生」 木下夕璽 鞭の影が 鞭=むち 地図の上に (物をさし示すため の細長い棒) のびたりちぢんだりする 先生の声がとぎれると 虫の音が部屋にみちてくる 学問のたのしさ そしてまた何というさびしさ 本の上に来て 髭をふる しべりあの地図より青い すいっちょよ
2006年03月30日
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春まだ浅い下呂温泉に一泊した時のことです。 組合のホテルで、娯楽施設は何もない宿でしたが、無料の宿泊 券をもらったので、一人ぶらりと出かけたのでした。 街の中に河の流れる、山に囲まれた温泉街です。 温泉ホテルの食事と言えば、むかしは部屋に食事を運んでく れて、家族水入らずでくつろげたのですが、今はホテルの食堂 で食べるのですね。 食堂ですと、どうしても他の客に気を使 います。 人件費の削減は、一つ、旅の開放感を無くしました。 さて一晩寝た翌朝のこと。 早朝の4時半頃に目が覚めてし まい、寝転んだまま煙草などを吸ってみましたが、もう寝付け そうになかったので、風呂に行くことにして起き上がりました。 そして窓側の障子を開けたその時です! ハッとするほど美し い情景が眼に飛び込みました。 空は青みがかっていて、山は影絵のように黒く、その稜線の 上に、大きな黄金の月が浮かんでいました。まるで舞台絵を見 ているような美しい情景でした。 一人ぶらりと行って来た温泉の旅でしたが、初めて見たあの 美しい情景は、大きな収穫でした。
2006年03月29日
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清水寺の桜 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき 与謝野晶子
2006年03月27日
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