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深イイ話ってあんまりみたことなかったのですが、前にニノがゲストにでた時にはじめてみました。内容はニノが自分のことを俳優ではなくアイドルだと言い続けている事だったのだけど、「硫黄島からの手紙」でハリウッドにいった時にも「俳優ではございません。日本では5人で歌って踊っているアイドルです」みたいな事を言っていたニノ。アイドルである自分がその映画やドラマにでている事で別の価値観がうまれその作品にアクセントがつきいいものになるみたいな内容でした。だから自分はアイドルとしていつまでもあり続けるみたいな事でした。アイドルとしても俳優としても同じようにやっていくというプライドをもっている彼ならではのいいお話で島田紳助も羽鳥アナもすごく嵐のことをほめてました。業界の評判ナンバー1だそうです。人気におごらず謙虚な態度でまじめに仕事にとりくんでいる事が皆に評価されているんでしょうね。デビューではすごく売れたけどその後しばらくあまり売れない時期があったからこそよかったみたいな島田紳助のお話がありましたが、デビューして11年目とは思えないほどフレッシュな嵐です。深イイ話ではトークのうまさがきわだっていたニノでした。そして今日の深イイ話は美容評論家の佐伯チズ先生が嵐のファンらしく嵐にハグされたいと思って美容に気をつける事は効果的みたいな話をされてました。島田紳助もニノから誘われたと思えばダイエットしたくなるだろうみたいな話をされて、うちの主人も苦笑いで嵐にあえると思ってダイエットすればと言われました。20歳台から10キロ以上太った私は子供たちからも指摘されているのでダイエットに励もうかな。でも若い頃やせすぎてたので今もそんなに太っているようにはみえないのですが、おなかまわりはかなりキテいます。ダイエットと美容に嵐は効果があるんだと思いつついつまでも若々しくあるためにがんばります。嵐 / Lotus 初回限定盤 CD+DVD、“Scene”~君と僕の見ている風景~【送料無料】佐伯チズの美肌カルテ(1)
2011年02月21日
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この一週間仕事ばかりでとても疲れました。先週の土曜日は娘の予備校の荷物をとりにいき、そのままジャニーズショップにいきました。はじめていったのですが、嵐のは写真しかないのですね。グッズはコンサートの時にしか買えないようになっているのかしら。はずかしながらニノの写真を5枚買ってきました。娘はなんで私がつきあわないといけないのって感じでした。普通逆ですよね。娘につきあわされて買いにきたって風に装ってましたが、店員さんにはお見通しみたいでニコニコと写真を渡してくれました。笑顔が素敵な店員さんばかりでした。それから日曜は一日息子の野球のOB会で久しぶり一日グランドで野球をみてました。息子のユニフォーム姿も久しぶりで受験前なのに怪我せず無事に2試合して楽しそうでした。高校入学してもしばらくは試合にはでられないだろうから楽しみはもっと先です。それからずっと一週間会議やらイベントやらで刺激的だったけど体がきつかったです。ニノはすごい仕事量を軽くこなしているようで尊敬です。島耕作シリーズをずっと読んでいるのですがプライベートより仕事優先の島耕作が好きだったのですが、全然タイプは違うけどニノは島耕作なみに仕事人間だと思うのです。ニノのファンになってかなりの雑誌などのインタビュー記事を読みました。若いにのしっかりしていて頭もすごくよくて人に優しくてとても年上の俳優さんや芸人さんから好かれているってことがわかりました。島耕作もすごく人間的に魅力的で能力もあるし、だれにでも優しい所が私はよく似ていると思うのですが。。。ニノの魅力はいろいろとたくさんあって昔からのファンの人はよくわかっていて私なんてまだまだ初心者ファンはえらそうな事いえないんですけど、普通の生活の中ではなかなかニノの事話せないのでブログで今からも書いていきます。[CD] 嵐/Lotus(通常盤)【送料無料】フリーター、家を買う。DVD-BOX
2011年02月19日
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昨年、私立は全部受かったのに地元の国立大学に行きたいということで浪人した娘。中学から通っている塾は浪人生も面倒みてくれるということで浪人生は30人位という塾に通っていた。塾のメンバーは東大志望もたくさんいてとても刺激的だったようだ。1年間それはそれは朝から晩までずっと勉強。日曜はテストと休みもほとんどなくがんばってきました。そのかいあって志望校判定もずっとA判定でセンター試験も昨年よりアップしてA判定をもらっていた。AO入試もうけていてそれがだめでも前期試験があるので一応受けた。12月に書類審査による1次合格で、センター試験の成績がよかったらかなり有利だった。2次試験は面接と小論文だった。大手塾の人事担当に面接の練習もしてもらい、苦手だった小論文対策もがんばった。センター試験の1日目は嵐のコンサートグッズを買いに3時間ならんだ私。2日目は嵐のコンサートに行った私。娘の了解も得ていたけれどちょっと心苦しかった。でも娘はお母さん楽しんできてねと言ってくれた。面接と小論文の日も映画「GANTZ」の初日だったので一人で観にいった私。試験に娘を送っていったBGMは「A・RA・SHI」で発表をみにいく時は「サクラ咲ケ」でした。「サクラ咲ケ」を聞きながら実は涙がでていました。ドキドキして発表を二人で見にいきました。結果は見事に合格。娘はピョンピョンはねて喜びましたが、私は涙がぽろぽろでてきました。娘のひとことは「努力したらいい事あるんだね」嵐狂いというかニノ狂いに急遽なってしまった母にやさしくつきあってくれる娘は今年の春から大学生です。●嵐 “サクラ咲ケ”CD<通常盤>(2005/3/23)
2011年02月10日
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ニノ主演の映画「GANTZ」が29日公開です。試写会の券を頂いたのですでに観ていますが初日だから一人で観にいきます。娘は勉強だし、友達は仕事だし、なかなかニノの映画に付き合ってくれる人はいません。主人もいやだと断られました。息子は友達と観にいくといってましたが。。SFアクションなんて基本観にいかないのですが、ニノが主演となると観にいきたくなるものです。実際みたらとてもおもしろかったです。パート2が4月にあるのですが、パート2を早く見たいと思うつくりでした。かなり迫力のある映像ですし、ニノと松山ケンイチの演技もとてもよかったです。漫画の原作ファンの人にしたらたくさん批判はあるようですが、ニノ自身も原作ファンの一人なのできっと満足されると思います。この作品がどんな評価を受けようと自分はこの作品が代表作ということで背負っていくというインタビュー記事がのっていました。背負っていくという言葉がなんとも男らしい言葉でした。制作費40億円というのは邦画としてはすごい額です。忙しい中座長としてキャストスタッフをひっぱってきたニノは今日一日映画の宣伝で一日テレビにでていました。この間かなりの雑誌でインタビューをうけたり、テレビでの取材にこたえていましたが、13歳から芸能界にはいり、経験を積み重ねてきたものという感じました。27歳の青年にたくさん学ぶものがありました。ニノがすっごくがんばった映画「GANTZ」多くの人に見てもらいたいものです。二宮和也/松山ケンイチ 映画「GANTZ(ガンツ)」3D下敷き
2011年01月28日
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コンサートの余韻がきえない日々を送っています。久しぶりのコンサートどうだったって皆から聞かれるけどただよかったってしか言えない。何がよかったって言われてもよかったしかいえないものがあるのだなと余韻にひたる自分に満足しています。思ったよりいい席ではじめのあいさつは目の前がニノでした。いっしょにいった友達が気持ちが通じたんだよと言ってくれました。大野君が歌が上手なのは有名ですが、実際聞くと本当に上手でした。しかし、ニノが思っていたよりとっても上手だったのにびっくりしました。声量があり、ソロで皆を引き込む力が十分あり感動しました。それとトークはテレビで見ているとおりニノのトークが一番上手でした。もちろん櫻井君の進行もすばらしかったけどかんでました。黒柳徹子さんもコンサートにこられていて、紹介がありました。しっかりペンライトももっておられました。嵐の好きな所はやはりファンを大事にして感謝の気持ちを忘れない所です。感謝の気持ちをいつも前面にだしていただけるのはとても気持ちがいいです。私もコンサートの券をゆずってくれた友達、グッズを買うのに付き合ってくれた友達、会場まで送ってくれただんな様、会場から家まで送ってくれた友達と皆よくしてくれて私は幸せな時間をすごせました。皆ありがとう。こんな幸せな気持ちをもって家に帰るとセンター試験を2日間おえた娘は「おかあさん、楽しめてよかったね」と言ってくれました。娘も昨年よりもずいぶんよくて志望大学のA判定はもらえる程の点数をとりました。あとは2次試験へ向けてがんばるのみです。ミーハーな母でごめんなさい。応援しています。映画「GANTZ(ガンツ)」文字が光る★LEDライトキーホルダー【嵐/二宮和也・松山ケンイチ主演】
2011年01月19日
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1月15日と16日はエキサイティングな日々でした。嵐ファン初心者である私ははじめてグッズ売り場にならびました。嵐のファンでもない友達はずっと寒い中つきあってくれました。感謝です。10時半ごろドームについたのですが、もうすでに3時間待ちとのことでびっくりです。階段を上がると左に売り場があるのに、右のほうへすすんでくださいとの案内で、なんとドームを一周行列してまわりました。3時間まちといわれましたが、2時間で買えましたが、なにしろ寒かったです。友達は途中でぬけてたいやきとカイロを買ってきてくれました。こうやって大変な思いをしたわりにヤフードーム限定のピンパッジを買わなかったという初心者なものですみません。買えばよかったです。次の日は売り切れていました。この年になってグッズ売り場にならぶとは思っておりませんでした。でも家にいたらセンター試験にむかった娘のことばかり心配するのでかえってよかったかなと思っています。はじめてペンライトなるものを買いました。なんたってコンサートは15,6年前にマイケルジャクソンにいったきりです。独身の頃はよく行ったのですが、同居はじめてコンサートに行くなんてとんでもなかったのですが、じいちゃんばあちゃんには内緒でいきました。コンサートの内容や感想は明日書きます。Lotus/嵐[CD]通常盤【返品種別A】すでに初回限定版は売り切れ状態です。私は遅すぎるようです。
2011年01月17日
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年末年始ずっとテレビで見られた嵐もなかなか観る事ができずにDVDばかり観ています。明日は今年はじめての「ひみつの嵐ちゃん」楽しみです。2007年に公開された「黄色い涙」監督は「ジョゼと虎と魚たち」の犬童一心監督。脚本は市川森一さん。原作は永島慎二さんで嵐5人が主演の映画ということになってますが、正しくは主演が二宮和也で松潤は他の3人とくらべてあきらかに出番が少なかったです。松潤は全然タイプがちがう役を演じていておもしろかったです。ニノは漫画家の役で机の前で正座して漫画を描くのがとても似合ってました。相葉ちゃんが歌手をめざし、大野君が画家をめざし、桜井君が小説家をめざす役柄でした。昭和38年の頃の話なのでとても昭和な映画です。これといって大きな事件もなくたんたんとすすむのですが、思っていた以上に心に残る映画でした。観終わった後もニノの最後のせりふがとてもよくてこれがこの物語の芯になっているのかなと思いました。個人的にはニノの元カノ役の田畑智子とニノのシーンがとっても色っぽくてよかったです。田畑智子はさすが演技が上手な女優さんだなと思いました。ニノが強引にキスするシーンなど本当にびっくりというかドキドキしました。二人が何もしゃべらなくても画面に二人がでるだけで昔そういう関係だったのだろうなと思わせる演技なのです。言葉にださない演技というか存在だけでその人の背景をあらわすというニノと田畑智子ならでわのシーンだと思いました。当時全国で30館ほどしか上映されなかったらしくいい映画なのに残念です。DVDも売ってますし、レンタルでもありますので興味がある方は観てください。黄色い涙
2011年01月12日
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朝一番にテレビでGANTZの星人式の話題があってました。成人式と星人をかけて行われたイベントで寒い中、ニノと松山ケンイチさんと本郷泰多さんがでていました。成人式といえばニノは松潤といっしょにV6の長野君の立会いのもと成人式に出席してましたね。って私は動画サイトで最近みたのですが。。堂々としていた松潤の横に恥ずかしそうにたっていたニノがとっても初々しかったです。後の取材によると松潤にはどんどん携帯に友達から電話がかかってきてたけどニノにはかかってこなくて結局勝村政信さんと焼肉食べにいったそうですがかわいすぎます。星人式でビッグニュースといえば日米同日舞台挨拶をするということでした。GANTZの試写会が日本で行われる1月20日にアメリカでは封切で舞台挨拶に成田から出発してその様子を全米の300館以上の映画館で生中継するそうです。なんという派手な企画です。ニノは感嘆の声をあげがんばって大役を果たしてきますと気合十分だったそうです。「硫黄島からの手紙」の二宮和也と「ノルウェーの森」の松山ケンイチのダブル主演だからアメリカでもたくさんの人が待ち望んでいることでしょう。GANTZのナビゲートDVDを購入したのですが、SF映画をまったく観たことがない私でもとても観たいと思う映画です。実力のある演技派俳優のニノと松山ケンイチ、CGの技術を駆使してたくさんの人がたくさんの思いをよせて手をかけて創られた映画だと思います。ニノのファンだから観にいくというわけでなくいい映画から観にいってほしいです。なんちゃってニノが好きだから観にいくのが私にとっての一番の理由ではありますが、映画としての実力を多くの人にみとめてほしいと思っております。【送料無料】GANTZ VISUAL BOOK価格:1,470円(税込、送料別)
2011年01月11日
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今までほっておいたブログを全部リセットして新しくとってもミーハーなニノ中毒な私を新たに設定して書こうかなと思ったのですが、何だがブログ管理をしていたらわけわからなくなって中途半端に自分の日記削除してテーマとプロフィールを変えて中途半端な初日記です。私らしいといえば私らしいのですが。。福岡での嵐コンサートを控えドキドキの毎日です。嵐というかニノのファンになって2ヶ月、毎日がハッピーでした。娘が「嵐にしやがれ」と「ひみつの嵐ちゃん」をDVDにとっておいてというもので全然みていなかったのに娘といっしょにみはじめて嵐っておもしろいって思ったのがきっかけでニノ主演の「大奥」を娘といっしょに観にいきました。単純におもしろかったです。水野役がさんざん似合わないという評価が多かった映画ですが、漫画の原作ではめちゃくちゃちゃらい水野をしっかりとニノは演じていたと思いました。ちなみに娘は芸能界に興味がないけど嵐はおもしろいといってバラェティはみてました。その中でニノが一番かっこいいと言ってて娘とはじめて趣味があいました。大奥みた頃はそんなにニノ中毒ではなかったのですが、「はねるのとびら」にスペシャルにでた時にすごく言葉をしっている人だなと感心しました。ジャニーズに疎い私は失礼な事を思っていました。アイドルなのに「にこごり」とか知ってるってびっくりしたのです。娘いわくニノは頭がいいんだよと言われてその後テレビや雑誌のインタビュー記事などでニノのクレーバーな魅力にはまっていきました。こんな感じでニノのことを語ったらいつまでもって感じですが、これからまじめにブログを書いていこうかなと思っています。
2011年01月10日
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息子のクリスマスプレゼントがやっと手に入った。というものクリスマスプレゼントはゲームソフトだったのだが年明けに買いたいというものだから年明けにしたらDSがほしいと言い出した。 今までなんでほしいといわなかったんだろうと思っていたのだ。実は。。脳を鍛えるのソフトをしたかったのだが子供が欲しがらないのに親が買うのもなあと思っていたら子供がほしいといったので夫婦そろって買ってやろうということになった。 それからが大変で、どこに行っても在庫がなかった。オークションでも高値で売買されている。やはり定価でしか買いたくないのでじっと我慢していた。 そんな騒ぎの中DSライトが新発売されるということだったからやはりライトを買おうということになり、近くのゲームやさんが予約を受け付けてくれるということで予約していた。番号は100番だったが昨日電話がかかったきて入荷したとのこと。子供のソフトの試合の合間をみて買いにいった。 子供は「おいでよ動物の森」のソフトを買ったのだが、私用に脳トレのソフトをやっと買った。【脳を鍛える大人のDSトレーニング】DSDSソフト/任天堂 おいでよ どうぶつの森 ゲーム類はほとんどマージャンゲーム位しかしないのだが、脳トレにははまりそうだ。計算100問が1分48秒でできた。子供もびっくりしていた。くもんの答え合わせをいつもしているからかな。まだまだ脳年齢は衰えていないと思っていたがはじめにトレーニングする前にいきなり脳年齢をはかったら50歳だった。。毎日トレーニングすると20歳台になるそうなのでがんばろう。
2006年03月27日
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今日は娘の中学でクラスマッチがあった。その後は保護者が14人集まって180人分の豚汁作りをした。 昨年学級委員だったので昨年のクラスマッチも豚汁を作ったので、今年はお手伝いで参加した。 普通の材料に最後に冷凍うどんをいれるのが娘の中学の伝統らしい。昨年はうどんの代わりに団子汁(小麦粉をといたもの)をいれようとしたらずっと委員をしていた人から○○中の伝統なんだからかえたらだめよと言われて冷凍うどんをいれたが、子供にも新しく転勤してきた先生方にも大好評だった。 いつもの家で作るようにそれぞれが野菜を切り、あっというまに8鍋の豚汁はできあがり、子供たちの試合を観戦した。 試合も無事にすみ豚汁を子供達についだ。昨年は女の子の成長ぶりに驚いたのだが、今年は男の子が皆成長していてびっくりした。小学校の時に小さかった子がおじさんみたいになっていたり、背がびゅーんとのびてたいた。喜んでおかわりを何回もしにきたり、「ありがとうございます」「美味しいです」と言ってくれた。最後は生徒全員でありがとうございますとにこにこ顔で大きな声で私達にむかって言った。 中学2年といえば複雑なお年頃というが皆今日は素直でとっても可愛くてかっこよかったよ。 うちの娘は保健室登校の友達がクラスマッチにでずに遅れてきたのでいっしょに豚汁をついですみっこで食べていた。おかわりも何回かしていたのに友達といっしょにまた食べていた。整列の時間がきたけど最後までその子につきあって食べて急いで列にもどっていった。先生方も娘の思いやりに感謝していたらしく、私に礼をしていた。 帰る時に担任の先生が私に「体調はいかがですか?」と聞いたので「体調悪そうにみえました?」と答えた。「手術後どうかなと思って」と昨年の手術をしっているのでそのことだった。「ばっちり完治してとっても元気ですよ」と答えたら、「よかったですね」と笑顔だった。 先生も心配してくれてありがたい事だ。娘の中学生活もあと1年。いい環境でいい先生に恵まれて楽しい中学生活をこのまま送って来年は明るい笑顔で卒業したい。
2006年03月16日
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今日は朝から歯医者の予約をいれていたので家でゆっくり掃除して、でかけようと思っていた。歯医者に行くのは久しぶりで奥歯が虫歯になっていた。 最近かかった病気という欄があったけど子宮癌なんかかけないなあなんて思って空欄にしておいた。何だか完治したけど、わざわざ書けないなあ。書いたほうがいいのかなと迷った。 とても丁寧な歯医者さんで時間がかかるかもしれないので十分時間がある時にしましょうという事になり来週治療になった。10時の予約ででかけたが、11時半に舅を近くの病院に送っていく約束をしていたのでそれまでに終われないと言われたので帰ってきた。歩いて5分位の病院なのに寒いから車で送ってと頼まれたのだ。 舅の病院に送り迎えをした後、昼ごはんを用意して自分も食べて、1時から生協へあさっての試食会の為に車で30分かかる店まで買い物に友人を連れて買い物に行った。試食会の材料を買った後、自分のうちのものを買おうとしたら中学から電話があり、娘がめまいがして耳が痛いと言っているので迎えにきてほしいとのこと。急いで買い物をかたづけ、中学へ行った。 (試食会の材料) 中学では役員をしていたので知っている先生ばかりで、喘息で休んだり娘がしているので皆声かけてきてくれて心配してくれていた。娘は元気そうだったが病院に連れて行かないといけないので耳鼻科へ行く事にした。 花粉症で耳鼻科が多いのは知っていたが、学校の帰りに耳鼻科で受付簿に名前を書いたのが3時半。受付の人が5時半頃になりますねと言われたので一旦家に帰宅。夕飯の用意をして5時半に病院へ連れて行った。順番はまだまだで、6時半頃になると言われた。娘と近くのスーパーに行ったら3人位知り合いにあったのでおしゃべりして時間をつぶした。病院にもどるとまだ待たされて結局終わったのが7時半だった。メニエールかと心配されたが異常はなく、急激な寒さによるアレルギー症状がでたものと言われた。 7時半過ぎに家にもどり、急いでご飯を食べた。8時から近くのファミレスでサッカーの保護者会の話し合いがあったのだ。話は今後の活動についてだが、話し合う事が多かったので結局家にもどったのが10時。近所の友人から卒業式の段取りの事で相談があったので電話で40分ほど話した後、お風呂にはいり、サッカーの部費の計算と生協の買い物の計算などなど。 ゆっくりするはずがバタバタして何と病院に3箇所いった。 バタバタした一日だったが最近ご無沙汰していた友人とも電話でゆっくりしゃべれたし、サッカーの保護者会もうまくいったし、中学の先生とも久しぶりに会ってお話できたし、忙しいけど、面白い一日だった。娘は病院にいったら安心して薬飲んでゆっくり寝ている。病院でまっている間も娘とたくさんおしゃべりできたので楽しかった。
2006年03月13日
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面白いノンフィクションの本を読んだ。面白いというよりとても考えさせられる本だった。 普通のサラリーマンが結婚した相手がとても優秀で留学経験もあり言語能力も高く知識も幅広いのに昔から人間関係でことごとく失敗してきて、その原因というのも妙なこだわりがありすぎで、思った事を何でも口にだし、その上怒りっぽい人で、ケンカがたえない生活を送っていた。ある日奥様もその事を悩み病院に相談にいった結果、アスペルガー症候群といって高機能自閉症と診断されたそうだ。知能も高いが人とうまく交われない。病気とわかっても治す方法はない。個性とみとめるしかない。それがわかって二人はすっきりとしてこの本を夫の視点から妻は異星人というとらえかたで書かれている。 理系のご主人はとても辛抱強く感心した。奥様も自分が人とうまくかかわれない事を小さい頃から感じながらも一生懸命努力されてきている。それでも怒りっぽい。でもその怒りは恐怖からきているそうだ。物事がきめられたとおりに動かないとパニックになるとか色々なこだわりがあるそうだ。 この本を読んで姑の事を思った。姑も専門の医療機関で診察を受けると脳の器質に問題があるのではなかろうかと。恐怖を感じると怒りだす所は全く同じだ。そればかりではなく本当に人と関わってきていないし、この本の主人公のように高い知能をもっているわけではないが、もしかしてと思った。 病気と診断されると今までわけのわからない怒りで翻弄されていたのがすっきりとしてきたそうだ。病気とわかっていても頭にくることは今でもあるけど昔のケンカばかりの時代とはちがってきたそうだ。 この奥様のいい所というかご主人が一番かわいいと思っている所はご主人にめちゃくちゃなついている所らしい。姑も舅になつきたいと思っているのだろうが、舅がそのキャパシティをもっていない。もちろん私もだが。 本を読みながら二人で努力して生きていく姿と的確に気質を理解してあたたかい目で奥様をみつめるご主人に頭がさがる。 私は姑に対してここまではできないなあ。こういうご主人んみたいに姑を理解すると姑はかわるのかしら。。 現実問題、趣味も楽しみももっていない姑は毎日私や子供の干渉が仕事なのだというかのようにいちいち何か言ってくる。これはしてやったよ。これはこうだよ。とやはり一日家にいたらうるさいと叫びたくなる。 まだまだ修行がたりません。
2006年03月09日
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おとといは姑の誕生日だった。同居して10年というか結婚して17年。毎年舅にも姑にもプレゼントはかかしていない。 姑自身がそんなにモノにこだわるタイプでもなく買い物好きでもないので私が選ぶものを喜んではくれる。 今年はフラワーアレンジメントの本(花の写真のカレンダーをゴミ箱からひろって飾っていたのできれいな本を買いました) 毛糸の靴下に白内障は良くなった、悪くなったといつも騒ぐので健康食品をプレゼントしたらすごく喜んで機嫌がよかった。 もちろんケーキも買ってきてろうそくを山のようにたててハッピーバースディの歌を子供達と歌ってあげました。 毎年プレゼントは何もいらないよ。ケーキだけでいいというから毎年ケーキを娘と姑の分別々に買っております。 特に自分たちで買い物にいかないのでよそいきの服は私のプレゼントしたものばかりだ。 義父母とトラブルをおこすたびにもうプレゼントなんか買うものかと思うのですが、買わないと機嫌が悪くなるのは目にみえているし、私はプレゼント選びは上手とお褒めの言葉を頂いているので買い物は嫌いじゃいから毎年義父母の誕生日、父の日、母の日、敬老の日、バレンタインデーとプレゼントを贈っている。 悲しいかな実家の両親はお金がかかるんだからうちにはプレゼントなんかしなくていいからといつも断ってくるので、最近していない。モノばかりふえても困るといのもあるし、母は買い物が好きなので洋服類も本も自分で買うし、今は美味しいものをデパートでみつけては誕生日に関係なく贈っている。 同居しているストレスは実家の両親と自由にいききできない。プレゼントもおおっぴらに渡せない。義父母は嫁にもらったものと私を所有しているつもりでいるので実家の両親にはとても申し訳ない。いつか親孝行したいと豪華温泉旅行をするために貯金はしているが、いつまでも元気でいてほしいものである。 姑の誕生日にはいつもプレゼントをいらないいらないと言われながらも、結局は買いにいっているが、昨年は喜寿だったので料亭を予約して懐石を食べて、プレゼントもして、お正月には温泉にも連れて行ったのに、昨年はせっかくの喜寿だったのにあんなものだったと今年になって言われたので今年はぎりぎりまでプレゼントは買うものかとがんばっていたが結局買いました。
2006年03月05日
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喘息で入退院を繰り返していた長男の主治医が開業したので数年前に入院した時にはじめて別の主治医にかかった。開業している主治医の紹介だったのでとてもいい人だった。 若いのだがしっかりしていて、その上めちゃくちゃハンサムでおしゃれな先生だった。こんなかっこいい先生がいるんだ~と思う程だった。タッキーに似ていた。息子の処置をナースがしている間に、分厚いカルテ(何回も入院しているので)をほとんど読んでくれたようで、今までの経緯を理解して治療方針を決めてくれた。 急患でかかるとワケがわかってないドクターがとんちんかんな質問をしたりする目に何回もあっていたので、この先生の態度はとてもありがたかった。 息子の病状は安定して無事に退院する事になった。その先生は僕も来週から別の病院に移動なんですよと言われた。偶然娘が通っていた総合病院でこの若さで30代なかばで小児科部長として異動が決まっていたのだ。 ハンサムで優秀で優しくて美人の奥様がいて高級マンションに住んでかわいい子供達がいるという理想の小児科医だった。 しかし、その2年後何と、中学生、高校生相手に援助交際をして、それを写真にとったり、ビデオにとって裏の業者に販売していた罪で逮捕されたのだ。すごくショックだった。医師としての技能や能力はとても高かったのに。小児科医は15歳まで患者を診るので、女子中学生をそんな目でみていたのかと思うとぞっとするし、娘の主治医でなくてよかったと思った。 その医師が今日の新聞で医業停止3年とでていた。いい先生だったけど、罪は重い。でも3年たつと医師として復帰できるのかとびっくりした。逮捕されても職業としては免許剥奪とまではならないのだなと、複雑な気持ちで新聞記事を見た。
2006年03月02日
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今日は娘の誕生日。 3月4月はいつも体調を崩す娘。アレルギー体質なので季節の変わり目が弱い。 喘息、アレルギー性鼻炎と持病もちだが、最近の成長はいちじるしく、来年の高校入試に向けてもうすでに志望校を決めて本格的に勉強している。 生徒会の風紀委員長として学校の風紀改善に取り組み、挨拶運動で毎朝昇降口にたち、大きな声で挨拶しているそうだ。女子なのに男子しかいないサッカー部に入った時はどうなることやら、喘息にも悪いと先生にも言われたにも関わらず、練習をサボる事は一回もなく、元気に練習していて、試合にも出場している。 私の立場をよく理解してくれ、親にいらぬ心配をかけぬよういつも前向きで不平不満をいう事もなくたんたんと勉強、スポーツ、生徒会活動、にがんばってくれているのでありがたい。不登校になりかけの友達の所には毎日通ったりと姑の話にもうんうんと上手に交わし、いつも明るく笑っている。 私がこんな風に思っている事など娘は感じてないかもしれないけど、娘いわく小学校で100点とってもいつも「よかったね」と普通に言うだけであんまり感動がなかったよね。おかあさんがはじめて嬉しそうな笑顔でよかったねと力強くいったのはベスト5になった時だよね~と。。実は私はかなり教育ママなのだ。。主人からはいつも注意されていて、100点とらなくていいぞと主人はいつも言っていたからバランスとれてたのかも。でも娘が勉強好きに育ててくれてありがとう言ってくれてるからいいかな。 小さい頃から心配ばかりしてきたけど、自分自身で将来の事を考える事もでき周りにまどわされずに自分をもっている娘をこれからも応援していきたい。生まれてきてくれてありがとう。ハッピーバースディ
2006年03月02日
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専業主婦でいるべきか仕事をすべきか悩んでいる事を前の日記にも書いた。この1ヶ月で答えはでました。 お仕事はやはり土日の子供のソフトや義父母の面倒など色々考えるとできないと。やろうと思えばやれるのだろうけど、私自身が壊れそうなのであと2年は専業主婦でいようかなと思っています。 生協の役員を引き続きする事になりました。システムがかわり私が長になってしまいましたが、思う存分やりたい事をやっていこうかなと思っています。色々な企画を考えてます。 専業主婦といってもほとんどスケジュールは真っ黒状態。朝からバタバタと家事をしてでかけて夕飯作り、子供のソフトの練習の付き添いに塾の送り迎えなど等。日々の買い物もあるし、学校行事もあるしで3食昼寝付きとかはありえない。テレビもめったにゆっくりみないけど、お気に入りのドラマはビデオにとってCMとばしてアイロンかけながら集中的に見ている。夜寝る前はしっかり読書。2週間に1回は図書館に行って本を20冊位借りてくる。ストレス発散のひとつだ。今はまっているのは昔読んですごく心が震えた白夜行を読み返しています。 忙しくしているのが性分なのか、家でじっとしていられない。たまに用事がなくて家にじっとしていると義父母が色々な用事を言ってくる。10時と3時のお茶をだして、お昼を作り、部屋を掃除するという1日だが、義父母が全然でかけないので家の中にいると時間がとまっているような世間から隔離されているような感覚におちいる。義父母は羊羹が大好きなのですっかり私も子供も羊羹好きになってしまった。小城羊羹が姑の好みだが私はなんたってとらやです。 夫がこんなに忙しい専業主婦はあんまりいないやろうとあきらめ顔をしている。同居してなかったらもっとすごい事になっていたかも。
2006年03月01日
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私自身は昨年の入院手術から無事復活して、今は何の不調もなく健康に暮らしている。 しかし、娘の花粉症の悪化。鼻水だらだら、目ははれるし、のどは痛いしで、みていてかわいそうだ。薬を飲めと言っても眠たくなるからいやだといので夜寝る前だけ飲ませている。体質改善しないとね。菜の花は花粉症に効くらしいので、おひたしにして食べさせた。他にはアロエヨーグルトもいいらしい。 一番心配なのは主人の体調だ。糖尿病、高血圧、肥満と生活習慣病満載だ。お酒もよく飲むし、タバコもやめていたのもつかのま。よく吸う。 前にも書いたけどどうして自分の体の事を考えられないのだろうと腹立たしくなる。たばこもお酒もほどほどにというと嫌がる。義父の心筋梗塞は動脈硬化がすすんでなったのに、主人もかなり動脈硬化はすすんでいる。 いつ病気になってもおかしくないのだ。糖尿病だけど、インシュリンも打ってるし、もっと体を大事にしてほしいのだが、ストレスがたまるからお酒もタバコも吸うらしい。 私だってストレスたまるからお酒やタバコを吸いすぎたら怒るでしょうと言ったら、それは当たり前と言う。私はタバコは吸わないがお付き合い程度にビールは少し飲むし、飲み会になるとビールと焼酎の天照を飲む。次の日にこたえるような飲み方はしない。 かなり美味しい焼酎なので主人のお酒を好きな気持ちはよくわかる。でも飲みすぎが続くと糖尿病なのにいいのって感じですごく不安になる。タバコを吸うのは全く理解できない。うちのは喘息の子供いるのに、やっと舅が病気のおかげでタバコやめたのに。もちろん家では換気扇の下でしか吸わないし、2階では雨の日も風の日も雪の日もベランダで吸っているけど。そうまでして吸いたいのかしら。 心配しているからついつい注意するけど、注意される事がストレスになるみたい。糖尿病は慢性疾患なのでその気持ちがわからないだろうみたいな事を言われるけど、子供が食物アレルギーで食事をずっと制限してきたので子供たちはがんばってきたじゃないと言いたい。 外で一生懸命お仕事している主人には色々なストレスがあるだろうけど、私のようなストレスを主人が感じたらきっとひどくなるだろうなあと思う。私は結構ストレス発散しているし、ストレスに強いのかな。 出張が多いので食事が不規則になるし、外食が多いしで、主人の健康管理は難しいけど、本当に自分の体を大切にしてほしい。 毎朝主人に飲ませているのがブラックジンガーという玄米の粉の珈琲。体の毒素を排出するとか腸をきれいにするとか言われている。冷え性の人にもお勧めだけど、私は冷え性じゃないので飲めば体がぽっぽします。 野茶い焙煎は本当に珈琲の味がするので両方飲み比べてます。気休めかなあと思いつつ、他にも色々な健康法を試しているけど、まずはお酒の飲みすぎとタバコの吸いすぎに注意しないと健康食品だけに頼っていてはだめよね。
2006年02月28日
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昨日の読売新聞の「あたしんち」の漫画は面白かった。いつもはずぼらな母がひな祭りだけはインフルエンザにかかっても飾る理由が毎年青筋たてていかっている雛人形の夢をみるからというホラーな理由だというとても笑える漫画だった。 それを見た私はずっと飾っていないなあと思って気になっていたので急遽飾った。遅すぎだけど。毎年飾っているのに今年はかざりそこねた。もうすぐ14歳になる娘。毎年飾っているから今日飾れてよかったです。本人にふりかかる災いを避けてくれるというお雛様。今年も娘を守ってね。 学校から帰ってきた娘に新聞の漫画とおひなさまを飾った訳をおもしろく話した。娘は漫画をみて大笑いしてお雛様をみながら満足そうだった。 私が住んでいる地方は4月まで飾るのが当たり前なので一ヶ月くらい飾れるかな。義父母は早くしまえとうるさいが、こちらはどこの家庭でもそうしている。私が住んでた所は3月3日がすぎるとすぐに片付けていたけど、今年は4月まで飾ろう。
2006年02月27日
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ブログをはじめて一年目。はじめは子宮癌になった事を中心にかいていこうかなと思っていたが、同居の話がたくさんあって、同居日記みたいになってきた。1年ぶりにデザインも変えてみた。まだまだ改善の余地はあるし、必ずしも気にいってないんだけど、気持ちを新たにもつのはいいことよね。 最近読んだ本でとてもうなづける内容の本があった。「モノとわかれる!生き方の整理整頓」大塚敦子著フォトジャーナリストとして活躍している著者が「生活オーガナイザー」との出会いにより、生活を変えた話である。生活オーガナイザーとは収納アドバイザーではなく、生き方や生活全般の見直しをする手助けをしてくれるそうだ。単なる収納の本ではなく生活をシンプルに自由に生きたい人のための一冊とあるが、読んでいて本当に納得する内容だった。見出しには「詰め込みすぎで開かない引き出し、探し物に無駄に消えていく時間。。とある。モノがあふれているのをどうにかしたいと思いつつ、掃除はしても整理整頓がおいつかない。モノを徹底的に減らしたいと思っていても洋服、本、書類、子供のおもちゃ、雑貨にあふれている。モノがつまっていたり、ほこりがたまっていたら風水上もよくないからいつも子供達にもよくない気がたまっているよと言ったりしているのだが、自分自身もなかなかすっきりさせられない。 ものを手放す時の寄付先の一覧表も本には載っている。松居一代さんも言っていた。自分の本当に好きなものだけを回りにおいておくのはすごく快適なのでシンプルな生活を心がけていると。 1階は義父母のわかのわからない荷物であふれているのでキッチンも色々とかわいくしたいのだが、30年も40年もつかっているような代物を大事につかえと言うので、なかなか捨てられない。やかんがあまりに汚かったのできれいなやかんを思い切って買ってきたら、姑から半日「まだつかえるのに」と言われ続けた。結局新しいやかんをつかうようにはなったけど、古いやかんは捨てずに納戸に納められた。捨てろよと言いたい。新しいキッチン用品をだすのにこんなに労力がいるとまあ古いものでもいいやと思いつつ、キッチン雑貨の店をみながら買いたいけど置けないし、つかえないと思うと同居はやっぱりいやですね。 2階の改造計画を行いたいと思いつつ、子供達の荷物は成長するにつれ増えていくし、何回も挫折しそうだけど、まずは行動開始です。そのためにはこの本は本当にバイブルにしたいと思う程、気持ちをくんで書かれている。洋服が好きな著者で買い物をする事も否定はしていないし、ものを捨てるという感覚ではなく自分にとって何が大事かを決めていく作業ををしていくうちに本当に大切なものをみつけ自然と調和し、シンプルで心豊かにくらしていけるというのがコンセプトだ。 姑のことよりシンプルライフをめざしてお部屋の改造計画しよう。
2006年02月27日
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何だか精神が消耗する日々を送っている。姑が私を攻撃しないけど、舅の悪口や愚痴や老人会や近所の人の悪口を一日中話している。私も結構でかけているけど、家にいてごはんを作っている時や食べている時は私をつかまえて愚痴や悪口のオンパレード。 専門のカウンセラーや精神科医も患者の話を聞くのは1時間が限度らしいと聞いた事があるが、私は限度をこえている。愚痴をはきだすのはいい事なのだろうが、同じような悪口や愚痴をいい続ける姑の顔はみにくい。 あまりに同じ事ばかり言うので、「昨日もおとといもその前もお義父さんがこうした、ああしたって同じ事聞きました。言っても同じなんだからもうあきらめたらどうですか」と言った。その場はごめんごめんとあやまりながらまた同じ話をする。聞き流せばいいと言われても人の悪口を聞き続ける事がこんなにつらいものとは。。私の周りには悪口をいい続ける人なんていなかったし、こんなに悪意をもって人をみるものかとびっくりする。 それが姑の病気だからと舅は言うが、病気と診断される前から同じうような事は言っていた。病気ではなく、姑の本来の気質なのだろう。80歳も近くなればなおらないのだろうが、なおそうとも思っていない。 ストレスたまるなあ~~。 子供たちから「おかあさんって前向き?」と聞かれて「どう思う」って言ったら、「前向きと思うし、ストレスに強いなと思う」と言われた。「あなた達がそう思うのなら、おかあさんはストレスに強いのかな」と言うと、「いっつも明るいよね」と二人が言う。子供達にはそう見えてるのかと思うと嬉しくなった。 悪い事ばかりじゃないよね。
2006年02月23日
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舅から暴言がいつまでも頭に片隅に残りすっとしない日々を迎えていました。姑は相変わらず舅の悪口いったりしてましたが、思わず「お義母さんの気持ちよくわかります」と本当に自然に口にでたんです。 すると、姑がすごく喜んで「私の気持ちわかってくれたのかい」と私の手をにぎるのです。一瞬ぎょっとしましたが、舅から言われた事を少し話すと自然に涙がでてきたら、姑までも涙を流して、「そんなお義父さんなんだよ。あんたがわかってくれたことがうれしい」と言うのです。 姑が舅の悪口を言うのがいやだったけど、思わず同調してしまった私。それによって機嫌がよくなった姑。何だか本当に橋田寿賀子のドラマみたいな安直な展開。。 あんまり機嫌がよくなったので薬の事をやんわりともちだした。「お義父さんの事でいらいらきてるんだったら薬を飲むのもいいと思いますよ。今は薬飲んでいる人も多いし、イライラして具合悪くなるよりいいんじゃないですか?」と言ったら「わかったよ。薬飲むよ」と言って目の前で飲んでくれました。びっくり。。こんなに素直に言う事聞くなんて。。 姑のいらいらは色々あって私の存在もあったのだろうけど一番のイライラは舅だったのだ。すべてが舅につながるようだ。老人会で受けがいい舅の存在も姑にはイライラで老人会の役員もやめたし、確かに舅のものいいはきついので、姑も言い返すがやはり、がっくりきていたのだ。そんな舅に対して私が気をつかうものだから又イライラするし、孫もなついているし、と姑いわく「私にとってのガンはおとうさんなんだよ」と。 昨日、今日と姑は外に向かっていたエネルギーがなりをひそめ、おだやかになってきた。昨日、今日と薬を飲んだから夜も眠られると話していた。 嫁の私が舅がどんなにひどい男がわかってくれたというのがとても嬉しいみたいだ。私にとってはどっちもどっちなのだが、今まで病気をしていておとなしくしていた舅だったが病気をする前は確かに私の行動チェックをしたり、私の娘に対してあきらかに息子に対する態度とちがってつらくあたったりと話し出したらたくさんひどい仕打ちをされてきたのは事実だ。病院にいくのも買い物にいくのも、家を出る時間と帰ってくる時間をすべてノートにつけていて、何かのおりにつけてるんだぞと脅かしていた。 これが続くと舅の行動はドメスティックバイオレンスに相当するのではないだろうかと病気になる前の姑に話したら姑があわててやめさせたという事もあった。 そんな事もすべて忘れて病気になったんだから私をたよりにしているんだからと思って一生懸命気つかってきて、姑がいくら舅の悪口を言おうと決していっしょにいう事はしなかったのに、そんな努力も何もならなかった。 それにしても外に向けていたエネルギーが機嫌がよくなりちょっと時間がたつと躁状態になる姑から攻撃はされないものの「大好きだよ。自慢の娘だよ」と歯のうくようなせりふと舅の悪口攻撃は私の精神を消耗させる。 姑から攻撃されるのもつらいけど、姑の感情のはけ口になるのもつらいものだ。夫婦二人でどうにかしてくれ。。 小さい頃から夫婦げんかをしていた実の両親の間でオロオロしていた私はせっかく仲良い家庭を作れたと思っていたのに同居してからまた仲の悪い義両親の元でオロオロしている。疲れた。。
2006年02月14日
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姑の状況は相変わらずで私は精一杯気をつけてきた。興奮させないように気持ちよくすごせるようにと、胃が痛いと言ってたので雑炊を作ったら喜んで食べていた。 大変だけどがんばろうと自分なりに思っていた。朝からよその家に電話をしている姑の言動を聞いたら近所の人にすごい事を言っていた。ちょっとそこまで車で送っていってとか(近場ではない)、だからあんたはだめなのよなどおそろしい事を言っていたので心配でそのことを舅に伝えたら、舅は相変わらず病気なんだからほっとけの一点張りで、私にあんまり姑の事をかんぐるな、おれは(姑の事)がんばっていると思っている。と言うのだ。 夫婦なので夫婦で解決してほしいと思ってきたけど、どうしても同居しているから私が間にはいる事になり、姑は舅の悪口を私にいい、私の悪口を舅に言うので、昨年の姑の病気発覚以来そういう不毛な事はいやだったので、私は舅の立場にたって(病気になってかわいそうだし、まあ理屈は舅がとおっていたから)舅の悪口は一切いわずにかばってきた。それは姑にとってはおもしろくなかったらしい。それでも姑の病気に立ち向かう為には舅と協力しないといけないと思っていた。 しかし、舅は私の事を嫁と思っていて、姑の肩をもつ。病気も治ったから私の事なんて年寄りを二人おいて外出ばかりする嫁と思っているのだ。実際そう言われた。二人は買い物に全然いかないので二人の必要なものはたのまれものは全部私が買ってきて、それで贈り物まで私に頼むので時間が買い物にかかったり、子供の病院で遅くなったり、学校行事、ソフトにサッカー、生協の用事と遊んでいるのではないのに、外に出歩いて楽しんでいるとまで言われた。 舅のひがみというか舅は朝からグランドゴルフにいくだけであとは一日家にいるのでほったらかしにされているという思いがあるのだ。同居したてもそういう事ばかり言っていたので車で連れて行ったりしていたが、きついだの人は多いのはいやだのと文句ばかり言うので、最近は誘ってもいない。そんな時間もないし。 姑の精神の病気に家族で立ち向かおうとおしているのに舅がそういう認識だとやってられない。 姑のご機嫌をとるのは簡単だ。いっしょに舅の悪口を言ってあげれば機嫌がいい。それで舅がいいのなら、そういう風にした方が私も楽だ。今日も姑がいない時に舅と言い合いをしたのでイライラしてしまった。夫はかばってくれたけど、舅は老人会で今日飲んできたから酒がはいっているからそういうへりくつを言うのだと言っていた。 舅が好きなイカ明太や、いかの塩辛を今日は買ってきたし、昨日はバレンタインのまえわたしで舅がよくはく黒足袋を探してプレゼントしたのに、最近色々買ってくるから景気がいいみたいだね~。そっちはおもしろおかしく外にでかけて買い物してくるんだから、こちらはじっと家にいるんだぞ~と言われた。飲んでいるからといって本当に頭にくる。 そういうイライラ感から今日舅の事で「お義母さんの気持ちよくわかります」とひとこと言ったらすごく機嫌がよくなって、「私はあんたのように頭がいい人お嫁さんにきてくれて嬉しいとずっと思ってたんだよ。やっとわかってくれたね。」と言う。複雑だけど、悪口なんか言いたくないけど、舅のあらゆる暴言は今日は許せないし、悲しい。
2006年02月11日
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ブログはかきはじめて昨日で1年。昨日日記を書こうと思っていたら今までの日記を読み返しつつ、コメントを下さった人の所をみていたら六日がおわっちゃいました。 昨年の秋ごろ暴言はきまくりの姑が冬はおちついてしばらくおとなしいばあちゃんしていました。それで家庭も順調でゆるやかな時間が流れていました。ブログに姑ネタを書く事はないかなあとまで思っていました。昨年の一番ひどかった姑の精神状態の時期を思うと何も文句を言わずおとなしくちょっと呆けてるんじゃないかなあと心配はしながらも温かく見守っていこうなって思っていました。 そうやって姑に接する事で姑も心おだやかになってくれればいいと思っていました。しかし、2月に入り立春を迎えた頃から興奮状態になってきました。全く昨年と同じ状態になりつつあります。 ハイな状態で今まで電話もしていなかった老人会の人に電話してわあわあとしゃべりまくり、今から遊ぶに行くからといって昼前や夕飯前に尋ねていってあがりこんでしゃべって帰ってくるのです。よそ様でどんなご迷惑をかけているのかと思うとぞっとします。 朝起きたらいきなりチーズがないとさけびだす。最近チーズを食べたり食べなかったりだったからちょうどなかったのだけど、「私はパンとバナナとチーズをかかせないんだよ」とわあわあ言い出す。すみません。買ってきますねと言ったがぶつぶつ言っている。 お金の事に執着をみせ、天気がすごく気になるらしくて、雨が降り続けるだけで執念深い雨だねと独り言を言っている。 私の友人にも家の前を通りかかると「元気~~」といって握手しだす。友人には事前に話しているけどビビッている。昨年もそうだったけど、季節的なものかもしれないけど、回りにいるものはたまったもんじゃない。 薬を飲んでくれたら落ち着くのに、薬を飲む気はもうとうない。舅に「またおかしくなってきたから、病院に連れて行くか、薬を飲ませるかしないとお義父さんの体にもさわりますよ」と言ったが、「無視してればいいよ」と無関心な態度。姑は私には舅の悪口を舅には私の悪口を言ってはわあわあ言っている。 かわいそうな人だとは思うけど、暴言はきまくり、人には干渉しまくり、おとなしめの近所の人をみつけると説教に近いくらいのはなしっぷり。それで私は皆を元気づけてるんだと言っている。 なるべく逆らわないようにおとなしくしているけどストレスはたまりまくりです。家族みんながイライラしてくるのがわかる。私ももちろん、主人も舅も皆イライラしている。姑の態度に我慢しているからイライラしているのだ。 やはり舅と主人がきちんと姑を病院に連れて行くか、薬を飲ませるかと実行にうつしてくれたらいいのだけど。舅と主人もろくに話もしないからなあ。子供達は「ばあちゃんおかしいね」といいながらも相手をしてやっている。わが子ながらできた子供達だと思う。 やる気もうせていくこの寒い冬、また姑の心をかき乱されるのかと思うと憂鬱である。
2006年02月07日
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前にも書いたけど悩みの季節です。 姑の状態は奇妙に落ち着いているのでお仕事を本格的というかパートにでようか、派遣にでようかと考えていました。 長年携わってきた生協のお仕事というか活動も捨てがたいのは事実です。たくさんの出会いと勉強と同居生活や子供のアレルギーで悩んでいた時期に生協での出会いや活動があったからこそ元気になれた部分もたくさんあります。それを断ち切るのはさびしいけど、新たな活動の変化についていけるのかの不安もあるし、今までの生協でのスケジュールがいつも組み込まれた生活から離れて自分で色々な事をしたり、働いたりする事への魅力もあります。 でも現実は仕事となると責任がともなってくるので、うちみたいに子供が病気になったり、義父母が何もしないので家事の負担が重いのと、土日はサッカーやソフトで忙しいと思うと今のような専業主婦でたまにバイトにでかけ、あとは生協の活動や習い事をするのもいいなと思う。 現実問題は自分で稼いでいない状況がこのまま続くのかなと。目先のパート代欲しさに家の中がめちゃくちゃ(要領悪いので)になると自分自身にストレスがたまりそうだし。。忙しい仕事をして帰ってきて姑が何もしていないのは当たり前でイライラしそうだし、仕事をするにはきつすぎるかな。 自分自身独身の頃仕事ばかりしていた頃を思うと、仕事をしだすと責任感から仕事にのめりこみ、家の事を顧みなくなると夫は言うし、今のまま生協でがんばったらと言う。今までは生協の活動で家をあける事が多いとちょっと文句を言っていたのに今までがんばったのだからがんばったらと言われるとちょっとがんばろうかなと思う。 小さな事で悩んでいるのかもしれないけど、新しい生協の活動をしていくのか仕事を探して働くのか本当に悩んでいる。自分で答えはみつけないといけないのかもしれないけど。ただ先週までは絶対生協の活動はしないと思っていたのに、今日前からの友人が本部のスタッフに入る事が決定した事とやはり前からよく知っている職員さんが近くに転勤してきていっしょにやろうと言ってくれた事から本当に悩んでしまった。進路で悩むなんて久しぶりかな。
2006年02月01日
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ずっと子育てしながら同居しながら仕事は年に30回の配膳の仕事をこの4年間しているのと生協の役員をして少しのお手当てをもらっている。普通の専業主婦の私。トールペイントの習い事にアレルギーの親の会のリーダーと今は病気の為やめたけどエアロビクスに通っていた。 ずっと生協の役員をしているので年間でる日が決まっていて自由がきかなかったので仕事はできないなと思っていた。それに子供が小さいからまだ働けないと思っていたし、まず同居していて働き始めたら自分がきつくなるだけだと。だからフルタイムは無理だし、毎日でるパートも今の状態だとできない。でもこのまま家庭にはいったままなのかと考えはじめた。生協の役員もはじめはすごく楽しくて色々な活動をしてきた。仲間達とイベントを考えたくさんの勉強会などを開き、主婦としては生活に関する全ての知恵を随分授かった。食品の安全性や商品についての勉強は楽しかった。しかし、来年度から少しシステムが変わり私が思っている活動はできない。責任だけが重い役目をしてほしいと言われる。断りたいと思っている。でもそれで今まで活動してきた事から離れるのもさみしいし、悩みの季節である。 このまま仕事に就かないままもどうかなと思い、派遣会社に登録だけしようと思い、今日登録会の予約をとっていたので大手の派遣会社に行った。年齢からしてだめかなと不安だった。今までの職歴や資格を詳しく入力してスキルチェックがあった。文章の打ち込みの速さとテンキーの速さと適正検査として漢字や計算があった。久々のテストで緊張した。 結果は見事合格で(大半は合格するのだが)入力スピードは平均より速く担当者から「仕事から離れていても衰えてませんね」とほめられた。ちょっとした社会復帰。。でも条件は短期や単発でお願いしますと言ったので仕事があるかどうかはわからないけど一応登録だけしただけで新鮮な気持ちになった。
2006年01月18日
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新年があけてゆったりとすごしていたらそろそろ忙しくなってきました。娘のサッカー大会に息子のソフトの練習と土日は天気が悪くてもがんばってました。 ソフトの親の仲間の新年会があり、主人と子供は出席して主人は酔ってしまい、次の日に糖尿病の定期診察日だったのにいけずに、代わりに私が病院に薬をとりにいきました。大きな病院なので駐車場は広いけどいつも満車状態で入るのにならんで20分以上かかりました。それから薬だけとはいえ1時間半はまたされ会計をすませたら、薬の待ち時間が何と80分。80分も待つなんてと思い車ですぐの息子のかかりつけの小児科へ行く事にしました。そこはお昼近くだったため少なくてすぐでした。娘が修学旅行に行くので娘の分の喘息の薬をもらいました。病院代があわせて1370円で薬代が二人合わせて7370円でした。わあ~すでに9000円近くかかりました。その後主人の薬と診察代あわせて16740円払いました。60日分の薬だからかもしれないけど、病気ってお金がかかります。 健康は大切ですね。私は大きな病気をしたわりには薬を飲む事はありません。うちの家族は義父が心臓、高血圧、糖尿の薬を義母が高コレステロール、高血圧の薬を、夫が糖尿病、高血圧の薬に息子が抗アレルギー剤に、喘息の薬、予防の吸入ステロイドと医療費が入院せずとも10万超えます。 病院の帰りにうちって本当に病人ばかりやね。何が悪いんだろうかと悩んでしまいました。お金かかりすぎです。 私は血液検査の結果もいつもよくてどこも悪い所はないんですが、(今年になってそういえるけど)義父母と主人は同じ食事を食べているのに(主人は出張が多いけど)コレステロールも中性脂肪も高いです。うちの実家の家族は60代後半の両親も弟もやはり血液検査のチェック項目はないです。やはり小さい頃の食生活や生活に対する意識が関係するのかなと生活習慣病の項目に関してはそう思います。 アレルギーやどうしようもない病気は本人のせいとはいえないけど、やはり生活習慣病は自分が努力したら改善していくのではと主人を見てよく思います。 主人は糖尿病なのにタバコも吸うし、お酒も飲むし、太っているし、最近はソフトのコーチをはじめたけど定期的な運動はしていないし、うちでの食事は管理できるけど、出張中は外食だし、基本的に味付けが濃く、カロリーが高いのが好きだ。だいぶ改善したけど、元々がそういうものがすきみたいだ。私が注意をすると怒るし、何だかもう少し自分の体を大切にしてほしいと常日頃思っている。 ストレスが糖尿病を悪化させるというけど、私もストレスたまるのよ~と言いたいです。 今日急にぎっくり腰になって帰ってきた主人。又外科に行って診察と薬で3460円。。今月の家計は逼迫状態です。。日頃の疲れが蓄積したのもあるし、タバコをやめさせないといけないなあと思っています。 奥さんから色々うるさくいわれるのは嫌だとはわかってるけど、言う事聞いてほしいものです。
2006年01月17日
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まちがって削除したのでまた書き込みします。二日から六日の予定で実家へ帰っておりました。六日の日は実家は晴れていたのですが雪が降って高速が通行止めになったいたので帰るのをやめて七日に帰ってきました。主人は私の留守中主婦をしていたので疲れていました。私は主人のおかげで子供達とゆっくり実家でぐうたらしました。 本来は主人もいっしょに私の実家へ帰っていたのですが義父母の健康状態もあり主人は残りました。姑がすっかりボケたようで、攻撃性はないからいいのですが、何回も同じ事を言うし、私に対して攻撃する事はできずにただ頼るだけみたいになっております。身の回りの事はできるからまだ大丈夫ですが、介護の世界になってくるのかしらとちょっと心配です。 舅は昨年の手術以来私の実家に帰ることもうるさくいわなくなりおかげでゆったりと帰れました。実家は父が骨折で入院していましたが、正月だけ帰ってきてまた入院しましたが、すっかり元気だったので安心しました。一人暮らしになる母の方がちょっと心配でしたが、すっかり甘えてきました。 ずっとぐうたらして友達と会ったりして娘気分がぬけずに実家の母からは高校生と全然かわらないね~とあきれられました。「あんたは同居しとるくらいがちょうどいい」と言われました。 ご飯の用意も全部母にしてもらい夜は遅くまでテレビみて子供とはしゃいで朝はしっかり朝寝坊しました。昨日帰ってきて早速夕飯を久しぶりにつくりましたが、ひさしぶりというのは新鮮です。実家へ帰るたびに主人を大切にして義父母へもできるかぎりの事はしようと帰ってくるので実家へ帰る事はひじょうにいいことだと思うのですが、主人には悪かったかな。日頃大変だから正月くらいゆっくりしてこいということなんでしょうが、本当に今年はゆっくりしました。 今日から息子と主人はソフト、娘はサッカーの練習にいきました。私はひさしぶりに早起きして朝食とお弁当を作りお洗濯をして掃除をしてなんだか久しぶりなので体のあちこちが疲れていますがまたもとにもどるでしょう。 今年は病気の心配はないので色々な事にチャレンジしてがんばりたいなあと思っています。
2006年01月09日
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昨年とうとう日記を書かないまま年を越してしまった。おととしは入院予定だったため大掃除に力がはいらなかったけど、昨年は早い段階から掃除をはじめた。外壁と屋根の塗り替えの工事を12月初旬にはじめたのだが、天候が悪かったのでなかなか工事がすすまず、足場がついたまま何と3週間もすぎて、やっと27日にはずれたのだ。窓もあけられず、洗濯物も外にほせず、大掃除計画が大幅に狂った。 27日以後天気がよくて家中のカーテンからシーツ類など今までのうっぷんをはらすかのように洗濯をしまくった。外に洗濯物を干せなかったのはつらかった。外壁と屋根を塗ったので築10年にはみえず新築そのものになった我が家。内側もきれいにしないといけないと思い掃除に力がはいった。 主婦の年末は本当に忙しい。クリスマス前からは二人の子供が順番にインフルエンザになり病院へタミフルをもらいに行った。私も風邪の症状がでたので早めに内科へ行ってタミフルをもらったら一日で風邪の症状がなくなった。ソフトやサッカーの用事や年賀状書きなど、掃除も一段落したら、買い物や料理。 今日は朝から台所の最終掃除と家中の掃除機とぞうきんがけをざっとして買い物にいって黒豆は昨日から煮て、今日はお煮しめとなますと作り、生協のおせちセットを重箱につめ、お屠蘇とお雑煮の準備と夕飯のあとは年越しそばを準備して最終的に後片付けをしてお風呂に入り洗濯してお風呂掃除をして洗濯物を干してやっと紅白の後半を家族と見た。 忙しかったけど充実感で、夫と子供達は「ママがんばるね~」と言ってくれた。夫と子供達も換気扇掃除や窓拭きなど手伝ってくれた。娘は結構他にも色々と手伝ってくれた。 義父母はさすがに年取ったのか今回は何もしない。下手に手をだされるよりいいけど、いつもの変わらない時間の過ごし方にはちょっといらいらした。 大晦日でも早く寝る夫はめずらしく私と子供達といっしょに紅白歌合戦を見た。昔なつかしい歌もあり、(天城越えやアリスや渡辺美里などなど)ドリカムとスマップがよかったな。 年末を振り返りました。振り返ると2回の入院と手術。今思うととっても快適でぐうたらな入院生活はやはり懐かしい。今治ったからいえるんだろうけどとっても貴重な自分だけの時間だった。病気になったけど2回もあんな自由な時間を与えられてラッキーと思う。 今年もまだ大殺界らしい。でも悪い事もあればいい事もあるしで、人生楽しく過ごしていきたいです。年の初めはとっても前向きな私です。 日記を書くとすぐ長くなるけど、回数を増やしてもっと書いていこうと思っています。いつも訪問していただいている皆様今年もよろしくお願いします。
2005年12月31日
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ちょうど1年前の12月17日に癌専門病院にて癌の告知を受けました。早いもので1年たちました。早期とはいえおちこんだ年末でした。大掃除も年賀状も身がはいらずぼんやりと年末をすごしたようです。今年は大掃除もやる気まんまんだけど、雪がふったりと天候が悪く遅れ気味です。年賀状は2種類もう、プリントしました。 1年たった今無事に2回の手術を終え、前と変わらない体調ですっかり元気になりました。あんなに怖かった麻酔も次に受ける時は落ち着いてうけられるかなあと思う程です。手術はやっぱりいやですが。 夏に入院した時に友達になった人の所へ今日お見舞いにいきました。彼女は卵巣がんで抗癌剤治療を受けていて入院した時とはうってかわって髪の毛も眉毛もぬけてげっそり痩せていました。でも抗癌剤が効いていて来年の1月か2月には退院できそうです。私が退院して月一回程度お見舞いにいってます。私にとってはなつかしい古巣のような感じの病棟です。まだまだ若い彼女は小さい子供をかかえての闘病中です。でも明るさを失わずにけなげに治療を受けているので私も応援したいのです。退屈な入院生活の中でおしゃべりにいったり読む本をもっていったりしています。体はげっそりやせていても明るく楽しそうに話す彼女をみて安心しました。 私が先生にプレゼントしたネクタイは入院している友人によると気にいってるらしくよくしてこられるそうです。その話を聞いた時は嬉しかったです。先生とは退院後の外来以来お会いしていないけど、彼女の主治医といっしょなので、彼女のような難しい症例でも医師としてとっても信頼がおけ、精神的にもとってもたよりになる主治医だそうです。二人で主治医の話にも花が咲きました。 彼女の病気の完治を心から祈っています。 私の場合は子宮を摘出した事により喪失感を味わうかなあと思ったけど全然大丈夫でいたって体の調子もよく1年前の暗い年末年始を今は懐かしく思えます。私の場合は早期がんだったので手術して完治する事ができました。婦人科検診の大切さをこれからも伝えていきたいと告知から1年たった今の心境です。
2005年12月16日
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日記を随分お休みしていました。子供のソフトとたまにいくお仕事などでバタバタしていました。舅のお昼ご飯を作らなくてよくなったのでとっても外出しやすくなりました。 日曜の午後9時からある「恋の時間」のビデオと見ました。初回から黒木瞳演じるキャリアウーマンと典型的主婦の大塚寧々の姉妹のそれぞれの恋を描いているのですが、黒木瞳を見ると独身時代の馬車馬のごとく働いている時期を思い出します。あんなにかっこいいものではないけれど、仕事が大好きでした。 大塚寧々の日常は主婦をすごくクローズアップしているけど、確かにきれいな一戸建てをあの状態にするには一日すごく労力がいります。家族にとってきれいなのが当たり前だけど、掃除機を1日かけなければ、すぐにほこりはたまるし、毎日毎日ご飯を作るのは当たり前のことなんだけど、大変です。でも同居してないからいいじゃないと思ったりします。たまに姑がきてすごく嫌味を言っていくのをすごくストレスに感じてるようだけど、どこの姑も似たり寄ったりで同居してない分いいじゃないと思います。 ただ夜に自由に出かけられない事や、実母の病気の看病にいくのに夫から色々と言われるのは頭にくると思います。それだからといって不倫に走るのはどんなものかと安易に描かれているのがちょっと頭にきます。 それがドラマなんだろうけど、ドラマみながらつっこみます。(おばさんの証拠かな)色んなストレスは主婦に限らず、30代、40代と子供の頃とはちがって自分の思いどおりにならない事はたくさんあるんです。そういうのが重なって追い詰められて恋に走るのは納得いきません。でもドラマだから大塚寧々はきれいだからありえる話になってるんでしょうが。。 私自身夫はいい夫だと思っているけれど、昔みたいに恋愛感情が高まっているかと言われたらそうは言えない。肉親みたいになってしまっているから。ときめきははっきり言ってない。でもそれがつまらないとかは思えないし、話してたら楽しいし、嫌いじゃないし、でも昔みたいな恋愛のドキドキは最近ないし、あったら楽しいかもしれないけど、それに簡単に走るのかな。相手がいるかどうかの問題??自分の節度??ただドラマの作りが安易に普通の主婦が他の男性に走るのがどうしても解せない。 結婚して全然他の男性にときめなかったと聞かれたら、話していて楽しいなとかちょっとそういう事言われたら嬉しいなとか思う事はあってもやはり自分は結婚して子供がいるというのが当たり前の世界で、不倫に走る主婦の気持ちがわからない。 今回の恋の時間に香里に起きたストレスはよくある事でその位で追い詰められないで、かわいい子供のために他の男性の胸に飛び込まないでよと言いたい。香里のだんなさん冷たいからかなあ。。山口馬木也って嫌な男を演じるのがとっても上手だと思います。 専業主婦を安易に描くドラマ作りにとっても過敏になっている私。ドラマなんだから楽しんだらいいのよね。。
2005年11月21日
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7人乗りの○菱のシャ○オにのって今年で10年目です。下の息子が生まれたと同時にというか同居してから乗り始めています。息子の喘息で救急に何度も運転したり、夫の病気や子供達の病気、私の病気とよくこの車で病院通いをしていました。 定期点検はかかさず、オイル交換も結構まめにしてきました。でもすごく壊れるんです。今までに何回修理にだしたでしょうか。そのたびに修理代が○万円とられてます。ぶつけて壊れたんだったらあきらめもつくけど、何か調子が悪くてもっていくとここが悪いだの部品交換を言われて工賃が高いので何だか新車を買ったのに中古車買ったみたいです。 5月にオートマテッィクオイル漏れで修理にだしたので9月が定期点検の月だったのでやはり10年目なのできちんとだしておこうと舅の入院で9月は忙しかったので10月にだしたら、色々な所に不具合がでているのでやはり部品交換を言われたので、来年の車検まできちんと乗りたいので全部言われた所を直しました。それが先週の水曜日に部品がそろい修理が無事にすみこれで来年の車検まで安心だと思っていた。 今日子供のソフトの試合で高速にのってとなりの市まで子供達を乗せて夫が運転していった。帰りの高速でオートマなのにギアの入り方がおかしいと夫が言っていた。私は先週点検にだして直したのだから大丈夫と思っていた。集合場所にもどって荷物をおろすためにバックしようとしたら何とギアがバックに入らず、バックができないのだ。夫がどうにかして態勢を整えて無事に家まで着いた。すぐにディーラーに電話してとりにきてもらった。 何だか修理して一週間もたってないのにもう故障って。。違う箇所だけど、定期点検で異常はなかったのに。。どうして壊れちゃったの??ディーラーに言わせたら壊れる事はあるというけど、あまりにひどい。代車をいつも借りているのだけど今回は急だったので代車もなかったので、前回の担当者に電話したら急いで代車をもってきた。それ位してもらっていいだろう。車がないと生活できない場所に住んでいるので車は欠かせないのだ。 子供のソフトの試合はとってもいい試合でいい気持ちで帰ってきたのに車の故障でとっても残念です。。
2005年11月06日
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前の日記にもかいたけど、息子の少年ソフトに主人がしっかりはまってしまいました。私もひまさえあれば見にいってますが、主人は出張が多くて東京、沖縄といったりきたりしているのに休みがあいさえすればでかけています。 チームの雰囲気がアットホームでみんないい方ばかりなので主人もお父さんコーチ陣の中になじんだようです。主婦は子供の学校や役員などでたくさんネットワークがありますが、男の人は仕事ばかりで定年になったらまわりに誰もいなかったという例が多いみたいです。ソフトやPTAのもよおしものに参加していると、主婦つながりでお父さん連中も仲良くなる事もありますが、ソフトをいっしょにしていると本当に年も同じ位の人も多くて学生の延長のような感覚で楽しんでいるようです。 体が弱かった長男がクラブチームのソフトにはいる事さえびっくりしていたのに仕事仕事の主人がこんなにはまるとはびっくりです。今日の休みも昨日の夜出張から帰ってきて今朝早く会社にいって仕事をして昼から夕方までソフトにいきました。今はコーチ会議で集まっています。今まで出張の合間の休みは家でゴロゴロしていたのがうそのようです。 そんなわけで夫婦の会話もソフトの話が中心で姑の事はあんまり話さないようになってきました。相変わらずですが、、。血糖値も下がってきており、やはり体を動かす事は血糖のコントロールにもいいようです。 どんよりとして義父母の存在を感じないで土日は娘のサッカーと息子のソフトで外にでているので気持ちいいです。今までは平日は何かと用事を作ってでていたけど、土日がとってもいやだったけど、今は忙しさにふりまわされつつも充実しています。でもさすがにずっと外だときつくて夜は早くねています。 これからも元気にスポーツをしてがんばってほしいなと思います。私も昨年病気になってエアロビをやめて以来何もやっていないので体を動かしたくなってきました。
2005年11月03日
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舅が退院してはじめての外来につれていきました。手術後の経過もよく執刀された先生は手術がうまくいって非常に満足されていたようです。 姑は留守番していたので久しぶりに舅と二人になり待つ時間が長かったので色々話しました。 舅も姑の態度にほとほといやになって愚痴っていました。病気は全然なおってないんだなあと思ったと病院の方がすごしやすいとか姑の恩着せがましい態度に文句を言わないように気をつけてはいても頭にくることばかりらしい。私は最近夫婦でしてくださいと姑に宣言しているので朝もお昼も姑に舅のご飯の用意はしてもらっているのであたらずさわらずにしているが、姑に一言一言はやはり頭にくることばかりだ。それを舅は一気にひきうけているのでかわいそうである。 舅は毎日グランドゴルフはできないけど、スコアつけにでかけている。その時間にコタツ布団を私がクリーニング屋さんいとりにいくのでコタツを置く部屋を姑が掃除をするというので手伝っていた。布団を隣の部屋につみあげていたので布団をほしときましょうかといって干してクリーニング屋さんにでかけた。帰ってきたらいきなり姑が「あんたが勝手に布団を干したからおとうさんがおこってるよ」と言うのだ。いくら何でも布団を干したからおこる舅じゃないだろうと思い、様子をみていたら、グランドゴルフから帰った舅はまだ毎日横になっているのに布団を私がほしたからといっていつまでも寝る用意をしなかったのに舅は腹をたてたようだ。いつも布団をひく部屋を姑は何を思ったのか納戸から荷物をだして布団をひけない状況にしていた。病院に行く日にすればいいじゃないかと舅はおこったらしいが、「それはあんたの勝手だろう。布団は私は干してない」と言い張っていたらしいのだ。それで舅はさっさと別の部屋に布団を用意して寝ていたそうだ。それが私には「勝手に布団をほしたから怒った」ということになるのだから。。 そのやりとりのなかで姑は舅にむかって「あんたが死んだら皆が楽になるんだよ」と言ったそうだ。舅はぼそっと病院の待合室で私に言った。「お義父さんそんな事いわれたんですか?」「うん、病気だなとおもった」と言う。あまりの暴言にびっくり。「力抜けますよね」と言った。舅もがっくりきたらしく、しょんぼりしていた。 病気だからって言っていいことを悪い事があるのではなかろうか。。舅も病気だから仕方ないみたいな事を言っていたけど、病気だからといってあきらめきれるのだろうか。。生きるか死ぬかの心臓の手術をうけた舅にむかって「あんたが死んだら。。。」と言えるのだろうか。 姑は舅がそういう風にいわれてひどく怒った事について、「人の好意を無にして、せっかく部屋を掃除したのに私にあやまれ」とどなっていたのだ。そんなひどい事をいわれた舅にたいして「あやまれ」と言っていたのだ。 恩着せがましい姑は何かをするたびに私はこうしてやったんだとぶつぶついっている。同居して10年何もしていなかったのに舅の手術後面倒をみるのは私が見ると言ってしはじめたのはいいことなのだが、ひとつひとつが恩着せがましくって、舅がかわいそうである。お茶だすのも牛乳つぐのもひとつひとつにドンとおいて「あ~世話がかかる」と言うのだ。私も毎日お茶を飲むので舅についでいたが、最近は姑がお茶をいれてあまったお茶を私につぐので、バタバタお弁当作っている時でも何でも関係なく、「お茶をいれたよ。はいどうぞ」と言って私にお茶をだす。姑としては嫁にお茶をいれてやっているのだ。とにかく一回でも迷惑や世話をかけるとそれが数十回世話をしてやったに話しが変わるから、姑から本当に何もしてもらいたくない。 やはり病気なのか、本人の性格なのか、一日イライラしている姑をうまく無視したり、かわす術を最近はどうにか身につけてきた。でも舅がかわいそうだが、もともと舅が姑を甘やかしてきたからこうなったんだと主人は言っている。たしかにろくな食事の用意も掃除も何もしてこなかった姑に何も文句をいわずにたえてきた舅はやはりかわいそうだが、自業自得かも。。 舅も今になって私に愚痴るけど、私も舅からは相当攻撃されてきたし、、夫婦二人で解決してほしい。。
2005年10月28日
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日記も随分ご無沙汰してしまいました。姑は相変わらずでストレスは相変わらずなのですが、息子のソフトが忙しくなり、土日がほとんどつぶれています。 夫も出張で忙しいのですが、なるだけ顔を出すようにしています。同年代の親が多いので夫婦ともに参加して子供のソフトを応援したり、練習を手伝ったり、夫は一応高校野球経験者なのでコーチをしたりと夫がどんどんはまっております。 私は体育会系じゃないのでソフトをみるのもはじめは興味がなかったのですが、今では一部の子供達が自主的に練習をしている平日の夕方にも数人のおかあさんたちと一人のコーチで手伝いにいっています。グローブをもって球ひろいしたりしてグランドを駆け回ってます。 地域のリーグ戦が来週で今期がおわるのですが、下級生チームは優勝決定で、上級生チームが来週で勝てば優勝です。 娘のサッカーにも応援にいっており、土日は朝早くから家族ででかけています。姑には私のじいちゃんなんだからと言われたのでお昼ご飯は姑がするようになり、私はノータッチになりました。だから楽にでかけられます。姑も言った手前インスタントラーメンしか作れない人ですが、どうにか作っています。でもすごくいやいや作っているので舅もかわいそうですが、私が口をだすとまた元通りになるのでお昼は姑にまかせています。 私達は朝から作ったおにぎりをグランドで食べてます。すみきった秋空のもとスポーツの魅力にだんだんはまりつつあります。
2005年10月24日
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バイパス手術後10日もたっていないのに舅が退院しました。今は入院日数を短縮する傾向にあるので仕方ないことでしょう。 姑は興奮状態で舅の面倒は私が見るとはりきっています。それはそれでいいのですが、昼ごはんと夕ご飯はもちろん私です。自分が作らないのに野菜はどうのあぶらっぽいのではないかのと聞きかじりで色々文句を言っています。糖尿病食を実践していたら大丈夫と前に循環器の先生から言われたのでカロリーや塩分を食品交換表などをつかって計算して作っています。それなのに全然わかっていないのに文句を言っています。 私も我慢の限界をこえつつあります。姑の病気というか性格というかやってられません。でも舅は心臓手術後の体だから精神的に負担をかけてはいけないと思って我慢しています。我慢していると姑は調子にのって言いたい放題です。 たとえばつけものを舅以外はあまり食べないのでつけものが残ってしまい、だめになっているのを「捨てていいよね」と私に聞くので「いいんじゃないですか」と答えると「塩けものを捨てるとバチがあたって子宮癌になるって母がいってたから捨てたくないんだよね」と言って私にすてさせるのです。普通の頭じゃ考えられませんよね。実際子宮癌になった私にむかって平気で言うのですから。。 舅の入院中に実家の母がお見舞いに高速バスにのってきました。私もいっしょに行ったのですが、それにかんして姑は全くノータッチで、お礼をいう所か、手術して1週間しかたってないのにお見舞いに行くなんて非常識だという始末。うちの母には申し訳なくて言えませんでした。普通にあるいて食事もとれている退院三日前のできごとです。 舅の面倒は私がみてるんだとアピールするのはいいのですが、舅もほとほと困っているみたいです。私も姑がいない所で「私が余計に口出し、手出しするとおこるのでご飯の用意しかしませんから」と舅に言っておきました。 朝ごはんはいつも舅が一人で食べてたのが姑が用意するようになって2日目、ふりかけごはんと昨日の味噌汁の残りとつけものだからただテーブルにおくだけなんだけど、「ああ忙しい」と一人で言っているので無視してます。舅は手術後でのどの下からおへその上まで切っているし、骨も切っているので大きな声がだせないのに、姑は「大きな声でいわないときこえないよ。私は耳がわるいんだから」とこの2日間朝から叫んでます。 私の事は性格があわないとか、優しくないとか、色々といいたい放題なので姑の今までの言動を少しいってきかせて、「自分におきかえてみてください。自分が言われたら嫌でしょう」と言ったら頭をかかえこんで「それのどこが悪いのか。私はそんな事人から言われた事ないからわからない」と開き直ってる。人から暴言はかれた事ないから言われた人の気持ちがわからないなんて自己中のかたまりだ。それが病気なんだろうけど。。 私にひどい事をいうくせに話す友達がいないので私の友達が尋ねてきたら私を呼ぶ前に一人ででていって話し出す。近所の友達も皆わかってくれてるからいいけど。。話す相手がいないので私相手にどうでもいいようなことや同じ事を繰り返して話す。私が嫌いなら話しかけないでよと言いたい。寂しい人だとわかっているけど、私もいい加減嫌になります。
2005年10月11日
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義父の手術が28日に無事にすんだ。9時にはじまり、5時半におわるという大手術だった。心臓手術というのは私なんかが受けた手術と段違いでやはり大変な手術だった。集中治療室にもどってきた義父はまだ目がさめず、夜の9時頃やっと目覚めたので面会したが、麻酔がさめて体中が痛いらしく、涙目になっていた。姑は5時半に面会した時に目覚めていなかったのに主人に後をまかせて帰ろうとしていた。私が目覚めるまでここにいた方がいいということで9時までいた。家族の一人が泊まらないといけなかった。手術前は姑が「私が泊まるからいいよ」と言っていたが、手術が終わると豹変。だまりこみ、主人が「オレが泊まるからいいよ」と言ったとたんそうしてくれる、助かるよ」とそそくさと帰ろうとしたのだ。 姑の性格はわかっているものの、夫である義父が心臓手術をして辛そうなのに「人に迷惑ばかりかけて、こっちが病気になるよ」と暴言ばかり。。薬がきれてきたのかまた病気がでてきたようだ。 主人が病院にとまり、9時半ごろ家に帰ってきた。夕飯は準備をしていたものの中2に娘が弟の面倒をみてくれてご飯を食べさせ、お風呂にはいらせてお米までセットしてくれていた。子供達の成長に感謝。 翌朝、主人と交代するために朝早く病院へむかった。昼からは姑と交代だ。本当は朝から姑を送っていくつもりだったが、疲れたからというので私だけ病院へ行った。幸い義父は経過が順調で今日は病院にとまらなくてもいいということになった。二人でICUに面会に行った。まだ体中が痛そうで管につながれ声もあまりでなかった。みているだけでかわいそうだった。主人はあまり寝られなかったので会社を休み家でゆっくりすると帰っていった。私は家族待機室で本を読んだり、今日手術をしている家族と話しながら待機していた。昼過ぎに姑がくるのでそれで交代のつもりだった。すると姑は今日病院にとまらないでいいというのがわかるとタクシーですっとんできて、11時半にはきた。「早く面会して帰ろう」と言うのだ。待機するつもりもなく、私といっしょに帰ろうとするのだ。病院に聞いたらそれでもいいと言うので面会していっしょに帰ってきた。 姑の頭の中は夫へのきづかいとか心配とかないんだろうか。。ひまさえあれば「人に迷惑ばかりかけて、退院してきたらとっちめてやる」とか口走っている。私に対しても嫌味を言い出した。やはり薬を飲んでいないから元にもどってきたようだ。 次の日も病院へ行こうとしたら「風邪ひいたみたいだから近くの病院へいく」と言い出したので「無理しないでください。私がいきますから」と言ったとたん、元気になり、「前にもらった風邪薬があるから、病院へいかなくてもいいや。今日は家でゆっくりしておく」とるんるんで言うのだ。よっぽど義父の病院にいきたくないみたいだ。まだICUにいるのに家族がいかないなんて考えられない。義父の回復は早くその日には一般病棟に移れた。管はまだたくさんついているが普通にしゃべれるようになっていた。義父も姑と会わないほうが回復がはやいようだ。 今日は朝から主人が姑を連れて病院へ行った。車の中でまた人に迷惑かけてというので、主人がおこって「そういう言ばかり言うな」と言うと「あんたは血がつながってるから」と言ったそうだ。姑は誰とも血がつながってなくて赤の他人だけど、本人がそんな事言うなんて、ただの同居人とおもっているような言い方だった。また病気がはじまり、私がおかあさんというだけで嫌そうになってきた。また地獄のような日々がはじまるのかと思ったら思い切り憂鬱になってきた。義父の手術の成功もつかの間。姑の暴言に悩まされる日々がまたはじまった。
2005年10月01日
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昨日子宮全摘手術後の退院後、外来にいってきた。久しぶりに会う主治医は相変わらず忙しそうだったけど、笑顔で「いかがでしたか」と聞いてきた。「大変順調です」と笑顔で答えた。傷口もきれいだし、もう何をしてもいいですよとお墨付きをもらった。 まれに膣に癌ができたりするので検査をされて、これからは卵巣が残っているので1年間に一回は婦人科検診を受けてくださいと言われた。「もう先生には診てもらえないんですか?」「今回の検査で異常がなかったら開業医さんの方で診てもらって下さい」と言われた。思わず「さみしいです」と言ってしまった。 入院している段階で検診に通われていてずっと正常になった患者さんや癌の患者さんでも治療方針が確定した患者さんは開業医に戻すとは聞いていた。確かに難しいがん患者さんがたくさんいるし、毎週手術はされているし、癌専門病院だから検診機関ではないからずっと主治医に診てもらうのは無理とは言われていた。癌になる前、5年ほどずっと診てもらっていた先生が開業されたので今後はそこに行く事は話し、紹介状を書いてもらった。先生に「本当にありがとうございました」と頭がを下げた。にっこりと「治療終了です」と言われた。癌専門病院だから新たな患者さんが次から次にきて一生懸命治療されていく主治医にとって治療終了の患者は少ないのかもしれない。先生とお別れするのはさみしいけどこれは幸福な事なのかな。 入院していた時に友人になった人に会いに病棟にいき、「もうここにはこなくていいって言われたよ」と話すと「よかったじゃないですか。うらやましい。私なんていつになることやら」と言うのを聞いて、反省した。この病院を卒業できるのは本当に幸福な事なのだ。抗癌剤治療をうけてごっそりと髪がぬけてしまった友人は本当ににこにこ笑って「よかったですね」と言ってくれた。私は癌にはなったけど、手術だけで無事完治できた。抗癌剤治療や放射腺治療を受けがんばっている患者さんがたくさんいるこの病院で本当に私はわがままな事を言ってしまった。 この1年弱にわたる子宮癌闘病、このブログを書き出したきっかけにもなった。色んな経験をさせてもらい、健康になれた今、はじめは落ち込んだりもしたけど、ふりかえってみると恵まれた患者生活だった。家族や友人からの励ましなど心あたたまる事が何度もあった。義父母以外の事を思えば、本当に幸福な環境にあるとあらためて周りの人達に感謝の気持ちでいっぱいになった。本当に皆ありがとう。夫にも子供に感謝です。おかげで元気になりました。
2005年09月27日
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舅が入院して三日目。私は昨日、今日と子供の用事があったので、病院にはいけないと言っておいた。着替えの心配はまだないので明日行くつもりだ。それを言うたびに姑は「いいよ。自分でバスにのって行くから」と言う。又同じ事を言っている。こう言って一回も自分で行ったためしがないのだから笑ってしまう。私がいける日といけない日を言うたびに「一日おきには行ってあげないとね」と言うのだ。用事が終わって夕方でもいきましょうかと言うと、「いいよ。自分でバスにのって行くから」とまた同じせりふなのだ。 明日は病院に行ったついでに買い物に行きたいけど、姑をつれていかないといけないからとあきらめていた。すると「いいよ。自分で・・・・」言うので、行きだけいっしょに行って帰りはゆっくりとバスで帰ってきてください。私はそのまま買い物にいきますからと言ったら、「あんたがいくのなら私はいかなくてもいいだろ。別にすることもないし」と言う。「する事はなくても話相手とか気晴らしにお見舞いにいってあげたらどうですか」と言ったら、「同じ病室におしゃべりする人もたくさんいるようだからいいんじゃないか」と言う。 姑に普通の常識をさとすのも面倒だしだまっていた。すると「大体、病院なんて大嫌いなんだよ。自分が病気になりそうで、だから行きたくないんだ」と言い放った。姑はこんな人と思っているから普通に聞く事ができたけど、心の中では一番の身内の夫が入院してるのにお見舞いに行きたくないなんてわがままをよく言えるな。 舅にちょっぴり同情した。 わがままがずっと通って人生生きてこられたんだからある意味うらやましい。姑は意外に幸福な人かも。私の友人に言わせたら、自分が何もしなくても回りがしてくれるからいいよねとうらやましがっていた。私が心を鬼にして何もしなかったらめざめるのか。。いやいやもっとすごい事になりそうだ。 「女王の教室の」の真矢から「めざめなさい」と言わせたい。
2005年09月23日
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昨日義父母を車にのせて病院へいった。舅の入院のためだ。 循環器から心臓外科と主治医がかわった。すごく若い先生なので大丈夫なのかなと一瞬思ったけど、手術に関してのプライドや自信が感じられ、若いけどいい先生なのかなとと思った。義父母自体は私と主治医が話した事はちんぷんかんぷんみたいでよくわからなかったようだ。インフォームドコンセントとよく言うが、舅はまだわかりやすく話せば、理解するだろうけど、姑にはいくら話しても理解できない。そういう場合はやはり家族がしっかりきかないといけないんだろうなあ。 入院する前に外来で検査や採血があるのだ。このシステムもどうにかしてほしい。入院の荷物をもってうろうろしないといけないのだ。入院させて検査をしてほしいものだ。この点を姑に話すと、検査したらもう手術も入院もしなくていいですよ。治りましたって言うかもしれないんじゃないかと真顔で言うから、「そんな事はありませんよ」と言ってしまった。バイパス手術をしないといけないから入院するのにそんな事があるわけないでしょうともっと言いたかったけどやめた。 近所のお年寄りの話はやはり自分の配偶者が入院するとどんなに年とっていても元気な普通のお年寄りは人に頼らずにタクシーやバスで遠い病院でも一日がかりでお見舞いにいっているそうだ。1日ひまなのでやる事やいく事ができて喜んでいる人もいるらしい。うちの姑の場合、自分で行くと言ったのは前の入院の時だけで(実際は一回も自分でいかなかった)今回は完全に私といっしょにしかいかないつもりだ。今日だっていいお天気で私は朝から日頃できない大物の洗濯や掃除を思い切りしていた。(舅がいるとやりにくい)姑はいつものようにテレビをみながらじっと座っている。天気いいんだから病院でもいってきたらどうですか?と言おうと思ったけど、どうせいかないだろうからやめておいた。 掃除も洗濯も料理も何もする事もなく一日テレビに向かう姑との1日。用事がない今日のような日は掃除でまぎらわせるけど、これが続くとやってられない。 来週の水曜日が舅の手術日だが、主人に休みととってもらい、つきそいは姑と主人にしてもらう事にした。 舅が入院する前夜、舅が好きなものをと色々夕食を作ったのだが、子供が野菜をいやだとかいって、残そうとした。すると舅が病院にいったらもっとまずいものを食べないといけないんだぞと言った。もっとまずいものという言葉にひっかかった。まずくて悪かったですね。言葉のあやなんだろうけど、気にしないほうがいいんだろうけど、退院した直後はおいしいといっていたけど、段々なれていって、何だかね~。舅がのぞむ甘辛い砂糖と醤油がべったり入ったおかずばかり作ってられないよと一人つぶやいた。
2005年09月22日
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舅が退院して一週間立ちました。水曜日は入院です。るん。別に舅は私に感謝しているし、姑も暴言をはかずに感謝していておとなしいです。でも舅の入院中に味わった開放感がなくなり、すごく窮屈な一週間でした。退院したといってもバイパス手術を受ける身なので食事などにも気をつかうし、色々とたいした事じゃないけどすごく今まで以上に気をつかって何だか疲れてしまいました。疲労感がずっしりときてます。 舅の入院中は色々と家のそうじや庭仕事などはりきってしてました。主人からはまだ術後なんだからはりきるなと言われても何かせずにおれなかったのです。時間が十分ある感じがしてました。舅が退院したらとたんにそういう気持ちはうすれ二階を掃除機かけるのがやっとでヒマさえあれば横になってしまう状況です。 同居の何がいやかってずっといっしょにいることです。特に家の場合は義父母がひきこもりタイプなので(舅は今はあたりまえだけど)私が外出する以外はどんな時も家にいます。姑はリビングを占領してるのでいつも私は二階にいます。ご飯やお茶用意の時に降りていきます。二階にいても足音は物音が聞こえるので落ち着きません。子供達は学校、主人は仕事にその上に出張が多くて家にいない。義父母はここ数年、老人会の旅行で2回だけ家をあけるだけです。親戚の所や友人の所や買い物に行く事もありません。ひたすら家にいます。舅はグランドゴルフに毎日でかけてたけど、それも午前中に2時間だけです。それ以外は舅と姑は別々の部屋で同じ番組を別々のテレビでみてじっとしています。舅は今は病気だから仕方ないけど、私の疲労感はここからきてるのです。はじめての舅の入院で2週間以上も舅が家にいなかったのははじめての事なのですごい開放感だったのが一気に家にもどると私の気持ちが沈みました。 誰も悪くないんだけど、同居は精神を消耗させます。お互いがもっと趣味があってよくでていったり自分の人生を楽しんでいたらまた違うのでしょうけど。私が外出するのを快く思っていない舅がいると本当に外出しにくい。前は私の出かける時間と帰ってくる時間を手帳につけていた人だから。本当に嫌になるし、そのトラウマがあるので舅がいると買い物行くのにも気とつかう。 今日は敬老の日だけどうちは毎日が敬老の日みたいなもんです。わりきって悪い嫁になって知らん顔できたらと思うんだけどできない優柔不断な私です。朝からプレゼントはわたすはぜんざいを作るわ、夜は食事にいくわでこんなに気つかわなくてもいいよねと思いながらついついしてしまいます。
2005年09月19日
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今日舅が退院しました。病院に迎えに姑といきました。何か病院の対応が遅くて退院後の説明なども先生が外来にでていて何も聞いてないというので私が看護婦さんに話して結局外来までおりていって先生に話しを聞きました。でも先生は資料も何ももたず覚えている範囲で話すだけでした。10日後にはバイパス手術を受ける為に再入院するから今色々話してもって感じだったけど、心筋梗塞をおこした人を家につれて帰って生活するのに色々な注意点を聞きたかったんだけどなあ。。 それにしても舅が入院した病院は大きな総合病院で救急指定で交通事故の患者も多く、ひっきりなしに救急車がやってきます。病棟もうなり声をあげる患者さんも多くて夜はあんまり寝られなかったそうです。食事もおいしくなかったし、看護婦さんは笑顔もあんまりないし、私が入院していた癌専門病院とは雲泥の差でした。食事もよかったし、看護婦さんもよかったし、病棟もきれいだったし、何より医師からの説明も文書付で応接室で話をしてくれたし。。癌専門病院に入院して大事にされたら他の病院に入院できないと聞いたけど本当だわと思ってしまった。 退院時の看護婦さんは本当に笑顔もなくかったるそうに説明するし、病室はナースステーションの目の前なのに会計の準備ができた事を放送するし、当日しか入院代がわからないというし、、何もかもが私が入院した病院がちがう。。大体目安の入院代を教えてくれと昨日舅が言ったらしいが、わかりませんの一言だったらしい。私が入院した病院は看護師長じきじきに前日大体の入院代の目安を紙に書いてもってきてくれていたし、入院前からこのくらい普通はかかりますと教えてくれていた。舅の病院の看護婦は患者には笑顔はなく、ドクターとキャッキャッと笑いながらこちらを向いた時はむすっとしているのだから、、びっくりした。思えば私が入院した病院は皆看護婦さんも笑顔だったし、親切だったなあとつくづく感謝の思いでいっぱいだ。 舅は私の料理をはじめておいしいといって食べていた。病院の食事にくらべれば美味しいかな。。
2005年09月10日
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本で話題になっていてよく新聞や雑誌などでもとりあげられているのが昔の女性は月経血をコントロールできていたというお話。実際明治生まれのおばあちゃんなどにインタビューすると昔はできていたらしいです。 確かに昔は今のようにタンポンもなくナイト用ナプキンなどもないのに大変だったろうなと思っていたが、まさか月経血のコントロールができていたとはびっくりする。女性の体が退化して今はできる女性はほとんどいない。しかし訓練次第でできるそうだ。尿みたいにトイレにいった時に月経血をだすので、日頃はナプキンではなくちり紙をまるめて紙をつめていてそれをトイレにいくたびにとばして血をだすのだそうだ。私は子宮がなくなったから試せなくなったけど、もっと早くにこのことを知っていたらチャレンジしたかった。 昔の女性はそれがあまりできずにそそうをするときちんとしめなさいといわれておこられていたらしいのです。着物をきていたので下着をつけずに過ごしていたというからすごい。この話を娘に本をみせてこういう事ができるらしいと話していた。話していたことすら忘れていたのだが、娘がこの訓練自分なりにしてるんだよと昨日話すからびっくりした。今日学校から帰ってくると結構うまくいってるよと言うのだ。ふ~~んママは試せないからがんばってねと言った。 サッカーをしている娘にとって生理はゆううつなものだったけど、決していやなものに思わないでほしいと思っていた。しかし冷え性なので生理痛があったりして本人は腰がいた~い。頭がいた~いと言っていたが、この訓練のおかげで楽しいものになってきている。うまくいかなくとも中二の娘が自分の体を考えるにはいいチャレンジだ。 おばあちゃんが乳癌(私の母)、ママが子宮癌なんだから私も婦人科系は注意しないとね~娘はよく言う。そんな心配をあまりしないで何でもよく食べて健康にすごしてほしい。思春期の真っ只中なのか入り口なのかよくわからないけど、自分の体を大切にする事を学んでいってほしいものだ。
2005年09月07日
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舅が入院して一週間。心筋梗塞自体は軽症だったのでもう病棟内を自由に歩きまわれる程になったので、昨日と今日は病院に行くのはやめて家にいた。 子供が昼で帰ってくるのでいけないという理由でいかなかったけど。姑は私一人で行くと言い出したので、途中までのバスの時刻表と終点で降りてタクシーで病院まですぐなのでその地図をプリントアウトして渡して、一生懸命説明した。うちの近くのバス停からでている11番のバスにのって終点でおりてタクシーがとまっているからそれにのったらすぐですよと何回も説明した。しかし、どうも呆け始めている姑は理解できないみたい。地図を何回もみて考え込んでいる。タクシーに乗って病院名を言ったらすぐに連れて行ってくれますよと言うのだが、考え込んでいる。「明日無理にいかなくても次の日に私といっしょに行ったらいいじゃないですか」と言うと、「そうだよね」とさっきまで行くとはりきっていたのがやはり一人ではいけないらしい。 前のように暴言を吐くわけでもなく、意地悪な事をいう事もなく、おとなしくなった姑。薬がきいているのだろうか。それにしても同じ事を何回も聞くし、理解もできないし、本当にぼけはじめているようだ。呆けてもらうのも困るが、暴言を吐かれるよりはいい。舅がいないこの一週間はのびのびと自由だ。夕飯の用意も楽だし、昼ごはんも用意しないでいいし、時間がたくさん増えた気がする。洗濯も掃除も自由にできるし、何だか舅が家にいるのといないとでは全然違うなあ。姑は自分では何もできないので私にたよりきりで文句もいわないし、主人はずっと出張中だし、病後の体楽してます。楽と言っても精神的にです。肉体的には結構掃除がんばったりして疲れてますが、気持ちいいです。舅が退院してからの日々が大変です。やはり気をつかうことがたくさんだし、今までのように元気ではないし、姑は全然役にたたないし。。 姑は本当に社会性がないと思っていたが、お金の事も保険の事も全部舅にまかせきりなので一切入院代などの心配もしていない。幸せな人といえば幸せな人なのかしら。郵便局で年金をおろすのも舅がしていて、姑はした事もないらしい。この分では入院代は私が立て替えて、あとで舅からもらうような形だ。舅が先にいなくなったらどうなるんだろう。 驚く事に普通の保険に姑は何も入っていないらしい。舅にしても古い保険が切れてるかどうかわからない状態。昔の人はそんなものなのかな。でもうちの両親は死んだ時の葬式代として保険はかけている。そういう意識はないみたい。入院中の舅はあまり手持ちのお金がなくてテレビカードにつかって残りが1000円位しかないと姑に言ったら、「どうするんだろうねえ」と他人事だ。自分が貸すか渡すかしたらいいのに。夫婦なのにお金は別という感覚だ。嫁の私は知った事じゃない。本を読む習慣がない舅はテレビ三昧でテレビカードが入院3日目で3枚と尋常じゃない使い方だ。私は12日間の入院で2枚しかつかわず、それもあまった程だった。(1枚900分で1000円のテレビカード。) 明日は姑を連れて病院へ。。でも姑連れて行ってもろくに舅と話さず、元気そうやねしか言わない。心配だからとか顔みたいから行くのではなく、老人会の手前いくみたいな感覚だ。まあどっちでもいいけど、文句は言わないようになった姑だから前よりましなんだけど、同じ事を何回も言わないといけないし、まだまだ忍耐は続く。
2005年09月01日
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舅が心筋梗塞で入院して4日目、ICU からは次の日に一般病棟にうつれたので心筋梗塞自体は処置が早く軽いものだったらしい。主人が「おまえが入院中やったら、親父は死んでたかも」と言っていた。となりの部屋で寝ていた姑に何もいわず、苦しんでいた時に姑がトイレにたっても舅は何もいわずに耐えていたのだ。私が起きてやっと苦しいと私に訴えて、私が電話して病院に連れて行ったから、私がいなかったら舅はずっと病院が開く時間まで我慢するつもりだった。そこまでほっておいてたらかなりのダメージで命があぶなかっただろう。救急車で運ばれた病院も設備もそろっていて熟練した医師が当直でいたのですばやい対応だったようだ。 心筋梗塞自体は軽症といえるが、動脈硬化はかなりすすんでいて血管がどこも狭窄している所が多く、今はできないが一ヵ月後位にはバイパス手術をした方がいいと医師から昨日いわれた。舅があまり自分の病気についての認識が甘く、医師も結構厳しい事を言ったのだが、どこまで理解しているのかどうかわからない。 姑に関してはばかのひとつおぼえみたいに「人間の身体ってこわいねえ。いつどうなるかわからないねえ」とそればかり言う。姑の食生活を気にしない暮らしぶりから主人の糖尿や高血圧やましてや孫のアレルギーまで関連する程、めちゃくちゃな食生活。主人の小さい頃からスーパーのお惣菜か外食でインスタントラーメンを3年間も朝食に食べさせていた姑。私が入院中と実家へ帰っているこの一ヶ月舅はろくな食事を食べていなかった。冷凍庫や生協の配達でいろいろ食材を用意していたが活用する事もなく、主人がいない時は4日間サラミとチーズを舅に食べさせていたというのだから血液ドロドロになるでしょうという感じだ。長年の食習慣や、喫煙、飲酒、運動不足、すべての要因が心筋梗塞につながったと思われる。もちろんそんな食習慣が悪かった事など舅も姑も悪かったなどと思っていない。 私が手作りしているのをみてそんなめんどくさい事しないでスーパーでおかず買ってこいと言った舅。今回の入院で私が一生懸命努力して食習慣をかえようとしてきた事をわかってくれるのかな。同居前には高血圧と糖尿をかかえながらも病院にかよっていなかったのを、同居した時から私が検診に連れて行って内科で薬をもらうようになり、高血圧と糖尿はいい数値で推移してきた。毎回の食事の献立も病院に提出していたのだ。いつも実家へ帰った後もどってくると血液検査の数値が悪くなっていたが、今回はいつもよりながかったし、長年の生活習慣もあり、動脈硬化はこの10年では改善してなかったのだろう。 舅と血がつながっているわが子たち、野菜たっぷりの食事をこれからも作るから健康に育って欲しい。
2005年08月28日
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今日は息子のアレルギーの定期健診の予約がはいっているのでこの日のために調整してきたけど、行く途中に舅の病院に荷物をもっていきます。 一応姑に今日病院にいきますけど行きませんかと声をかけた。答えは「行ったって別に何もすることないやろ」とのこと。する事はないだろうけど、死にそうになった自分の夫を見舞うという気持ちがないのだろうか。。心筋梗塞で救急車で運ばれてICUに入院中で重症で治療中なのに、顔みにいかないなんて家族なのに、夫婦なのに信じられない事です。舅がかわいそうなので「明日も行くからその時はいきましょうか」と言うと「天気がよくなったらいくよ」とのこと。今日は雨だからいかないと言っている様なものです。 思えば子供達の入院の時も主人の入院の時ももちろん私の2回の入院もお見舞いに全くこなかった姑なので他人事なんだなと痛感したけど、舅くらいはいくかなと思ってました。元々思いやりにかけた人だとは思っていたけど本物みたいです。姑が全く動こうとしないので結局私が動く事になります。私の性格上ほったらかしにはできないし、術後なんて全然関係ないです。特に姑にとっては。病院からもらった退院説明書には家事や車の運転は9月上旬からその他旅行や仕事などは9月下旬からと書いてある程まだ静養期間中ですが、そんな事はいっておられません。 姑は暴言はきまくり状態からは一転して本当に呆けたかのように静かにしているからまだ私にとっては家事を手伝ってくれない事なんて何も気にならないけど、舅の病気の件は理解してないようだ。昨日も最低でも2週間は入院ですよと言ったのに、今朝「四、五日で帰ってくるのかねえ」というので最低2週間かかりますよと言ったら、「ふ~ん。長いね。まあ家にもどってきて具合悪くなられても大変だしね」とのこと。もって行く荷物は昨日まとめていたのに、朝からタオルや歯ブラシはいうし、やはり少しボケがはじまってきたのか。。昨日歯ブラシやタオルに私が名前を書いてこれでいいですかねとみせてすぐ近くに荷物をつめた袋があるのに、ぼおっとしているのだ。 老人会の人達から毎日でかけるグランドゴルフに舅が昨日いかなかったので心配の電話がかかってきた。救急車に乗っていったとは伝わったみたいで私が電話で説明していたら、「おばあちゃんは病院でしょう」と皆さんいわれるけど、「いえ、家にずっといますよ」と言ったらびっくりしていた。普通ICUだったら顔にいくでしょうと思うのは当然で、姑といたらこちらが一般常識がわからなくなってしまう。 呆けてるのか冷たいのか、元々人が病気になるのがいやな人で私の入院の後にまた入院だったから朝からもぼそっと「病院、病院って本当にやだね~」とつぶやいていた。姑はいやだろうけど、病気になる人もいやなんだし、もうちょっと相手に対する思いやりがもてないのかと思うけど、この姑に対して期待するのはやめよう。 それではこれから病院の掛け持ちいってきます。
2005年08月25日
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術後3週間を迎えた私。まだ無理せず大事にしなさいよと実家の親や主人や友人達は優しい言葉をかけてくれます。そろそろ動かないといけないなと車の運転や買い物をしはじめました。 今朝大事件がおきました。朝6時に起きて主人のコーヒーを作りに下に起きると義父は毎日5時起きでぼおっとしていたので「大丈夫ですか」と声かけたら夜中の3時ごろから息苦しくて汗をたくさんかいて起きて着替えても汗でびっしょりで具合が悪いというのでこれはただ事ではないなと思い、近くの病院に電話して朝早くだったけど連れて行きました。何と心筋梗塞だから大きな病院に入院しないとだめだといわれてそこの病院から救急車で総合病院にいきました。主人は出張で沖縄にいかないといけないのであまり時間はないけど、救急車の後をおいかけて病院まできました。 造影剤で検査してカテーテル治療がされました。動脈が1つ完全につまっていて危なかったそうです。バルーン治療で2本の動脈が通るようになりましたが、1本はかなり根元に近い部分なので治療ができず、バイパス手術をしないといけないといわれました。ICUに入院ということで2週間程度といわれたけど、手術をするならのびるかもしれません。主人は私の入院中に出張をいれてなかったのでたくさん出張はあるし、姑は全然役に立たない。ICUは完全看護なので意識がはっきりした義父と面会後家に帰りました。車をおいて救急車でいったのでタクシーで帰るには遠すぎて20分以上かけてバス停まで歩いてバスにのりました。術後なのにこんなに歩いて私ってなんて元気なのかしらと思いつつ、私の安静期間は終わりました。フル活動しないといけなくなりました。 落ち着いていた姑が義父の病気で悪くなるかなと心配してたらとんでもなかったです。自分の夫なのにまるで他人事。病院にもいこうとしません。救急車で運ばれて心臓のカテーテルの手術をしてICUにいるのにいかないんですからすごいです。普通顔見に行くんじゃないかな。。姑がいかなくてもいいと言うので連れていきませんでした。明日は荷物をもって私が行きますが、やはり姑はいきません。病気の説明をしても「嫌だね~。病気は私まで具合が悪くなるよ」と言ってました。そういう姑だとわかってはいても何かね。義父もかわいそうです。 うちはやっぱりのろわれてるのかしらん。。新居を建てて同居して10年、6人家族のうち姑をのぞいて全員入院してるのです。長男は喘息で10回以上、長女は肺炎と喘息で2回、夫は糖尿病で2回、私は子宮癌で2回。今回義父の入院。元気なのは姑だけ。でも心の病をもっている姑。家相が悪いのかしら。。
2005年08月24日
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昨日実家からもどりました。退院して次の日から実家へもどったので何と7月29日から昨日まで全然家事をしてません。楽しすぎたので昨日こちらへもどるのが憂鬱でした。 一番心配だった姑の態度は意外とやわらかく、おとなしいものでした。薬を飲んでいるようで落ち着いていました。まあ前回の退院時にもこういう感じで私が元気になって活動しはじめると態度がかわってきたので今しばらくはいいのかもしれません。 私の入院中と実家へ帰省中は主人がいる時は主人が全部夕飯の準備をしていました。主人が出張や私の実家へきた時は姑が舅の分と二人分用意していたらしいのですが、内容がすごいです。私は留守中姑が簡単に用意できるものとして好物のさつまあげやソーセージや煮豆やひじきを冷凍したりと色々と用意したり、生協の配達で注文してましたが、あまり活用してなくて舅にサラミとチーズを4日間食べさせたそうです。舅もさすがに弱っていました。文句いうわけでもなく我慢して食べてたそうです。豆腐も冷奴にしてくださいと買っていたけど、全然つかっていないのです。とにかく料理をするのがいやなんだなというのがわかりました。味噌汁も全然つくっていなくてインスタントの汁物だったようです。一応用意していたのです。 昨日は実家からもどりゆっくりした後、夕飯作りをしました。主人は仕事がはいっていてでかけたので結局夕飯の用意も後片付けも私がしました。姑が手伝うとは思ってなかったし、久しぶりの家事なんで新鮮な気持ちでできました。舅はたいした料理はつくっていないけど品数がならんだだけでもすごく嬉しそうでした。 今日は主人もいてコロッケをあげてくれましたが、私がいないと揚げ物もしなかったみたいでコロッケなのに皆喜んでました。つかっていない材料が冷凍庫に結構あって買い物も野菜くらいしかしなくても大丈夫です。食事というのは生活の重要な一部なので食卓が豊かなのは主人も久々にゆっくり食事の用意をしなくていいのでリラックスしてました。後片付けもしてくれました。姑はやはり何もせず、さっさとお風呂にはいってました。私は全然期待していないので頭にこないし、前回の退院時はその日から料理つくっていたし、今回は実家でゆっくりできたので姑が何もしないのはわかっていたことでした。主人の方が期待するのが無理な話だし、何も料理をしないって事が今回はっきりわかったと言ってましたが、前からわかっていた事です。 子供達は久々のママの料理を食べれると喜んで嫌いな野菜も何でも食べてました。今日は娘のサッカーの試合もあったのでお弁当も作りました。子供達も主人もやはり私がいないと調子がでないようで家族の絆を感じました。 まだちょっと動くと疲れを感じますが、徐々に体をならして元通りの生活をしたいと思っています。9月からはパワー全開かな。
2005年08月21日
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今日予定通り退院しました。 手術は8月2日膣式子宮全摘術で、手術時間は1時間48分、出血も少なく、術後の回復も良好でした。麻酔が覚めてからはおなかが痛くて痛い痛いと叫んでいたらしいのですが、一晩たったら翌日の午前中には歩いてお昼にはおかゆも食べました。術後二日目には点滴を2本予定でしたが、一本の途中で中止となり、痛み止めの背中のチューブも早々と抜去でした。元々が健康体の為便秘もなく腸の働きも尿の出もよく、術後1日目の歩行の足取りも軽くドクターやナースからびっくりされました。開腹手術に比べると同じ手術でも時間もかかるし、出血も多いかもしれないと言われてましたが、無事に開腹せずに手術が終わりホッとしています。 今回の入院も主治医もナースも対応がよくとても快適な病院生活でした。手術前の絶食がちょっとつらいのと術後のお腹の痛さ以外は毎日快適でした。2回目の手術ということもあり人見知りするタイプのおとなしめの誠実な主治医は随分私になれたようでいつも笑顔で対応してくれました。初めての患者さんにはやはり笑顔がでないのですが、慣れてきたら笑顔や軽い冗談まで言うようになりました。 手術前後や退院前の説明も丁寧で退院する時も忙しい中仕事の手を休めて見送ってくれました。ドクターの一日は超ハードで特に夏休みは患者さんも多く、外来1日の日、手術2件の日、部長回診の日、軽い手術の日、手術2件の日、その間に入院患者さんを毎日回り、手術や病状の説明等、毎日朝早くから夜遅くまで働いていました。土日も平日にできなかった書類作りのために出勤されて、さすがに先生も泣きがはいっていました。私は2例目の手術で3時からということでしたが、その前夜に11時過ぎまで病棟にいたので思わず早く帰って寝てくださいと思いました。 がん病棟でたくさんの抗癌剤を受けている患者さんがいるのにとても明るく元気な患者さんばかりでたくさんの勇気をもらいました。 昨日とった臓器の病理検査の結果がでたのですが、異常なしで治療終了ですと先生から言われました。とても嬉しかったです。癌にはなったものの完治しました。手術する前は多少の不安はあったものの、信頼のおける医師に手術してもらって本当によかったと思いました。 退院したらラーメンを食べたいと言っていたのを聞いた主人は今日病院の帰りにラーメン屋さんに連れていってくれました。冗談ばかりいってとても上機嫌の主人でした。やはり病理検査の結果もよく、私が元気に退院できたから嬉しくて仕方ないと言ってくれました。 今日は義父母も優しくて夕食もおごってくれました。明日からの実家行きも気持ちよくだしてくれるようです。20日まで実家でゆっくりしてくるのでまた日記はお休みします。 色んな患者さんと出会って私は本当に恵まれていると実感しました。神様からまだ健康に生きていけるように贈り物をもらってつもりでこれからの人生をまだ姑問題で悩むかもしれないけど、前向きに丁寧に一日一日を生きていきたいと思っています。 入院してとてもリフレッシュしてきました。やはり私にとって今回の入院手術は必要な事だったのだと手術が終わった今後悔せずにしてよかったと思える自分がとても嬉しいです。
2005年08月09日
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久しぶりの日記です。明日から入院です。しばらくは日記をお休みします。 姑は相変わらずで病院に行ったはいいが薬を飲んでいないようで、気分の浮き沈みが激しい。 最近では子供達に私の悪口を話している。私がいない時や二階にあがっている時をみはからって娘にも息子にもぶつぶつ話しているらしい。娘は私が気にすると思って何もいわずに姑の愚痴と文句をだまって聞いていたらしい。息子はたえきれずに「お姉ちゃんはこの前ばあちゃんからいっぱいママの悪口をきかされて半泣きやった」と言ったのでびっくりした。娘に聞くと、ママが直接ばあちゃんから色々言われるより、私が我慢して聞いたらばあちゃんの気もすむから聞いてたと言うのだ。娘は淡々としていたが、かなりストレスだったようだ。私は今まで姑の悪口は子供達にいわないでがんばってきた。姑は今はひまさえあれば前は舅に話していたであろう私の悪口を子供達に言うのだ。本当は許せない。私は姑から何と言われてもいいけど、母親の悪口をきかされる子供達の心を思うと耐えられない。これが病気ということですまされるのか。前からそういう性格だったのが極端になっただけなのだ。 娘は私に内緒にしていたけれど、息子がたえられなくなって私に話したのだ。息子には「あんたのおかあさんはおそろしい」といい続けるそうだ。被害妄想の病気だから仕方ないけど、息子もすごく落ち込んでいた。 明日から12日間入院するので家をあける。留守中は主人が夏休みをとって主婦業に専念する。ばあちゃんにはまかせられないから。その間に色々な事柄の注意事項などを全部箇条書きにして主人と子供と義父母に渡した。姑はそんなのかかなくて全部私は知ってるんだとかやれるんだとか言っていたけどソフトにもっていくおにぎりも近所の友達に頼む事も書いていたが、それをみても近所の友達に悪いねと言うだけだ。おにぎりをにぎれない70代の女性もめずらしいのではないだろうか。姑には何の期待もしていないので主人と子供で打ち合わせを十分して、私の入院中みんな努力してがんばってくれる。明日からの入院だと言うのに、姑は感情は高ぶっているが、私の体のことなんてまるで興味ないし、手術の日も何も関係ない。いっしょに住む家族がこんな感じというのも情けないというか仕方ないか。多くの友人達が明日から入院よねとメールをくれた。それだけでもありがたい。 姑からはなれられる入院を楽しみにしている。手術への不安はあるけど、本当に姑から開放されるのがこんなに嬉しいとは実の所びっくりしている。主人や子供達にはせっかくの夏休みに入院手術で申し訳ないけど、私はゆっくり休養してきます。退院後実家へ帰り、療養する予定です。 8月20日は普通の生活に戻る予定です。でも本格的に動けるのは9月かな。元気になって復活したいです。
2005年07月28日
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