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「師に仕える姿勢がない人間は人生において成功しない。 自分の我をなくす訓練、修養をする期間が人間には必要だ。」 と、私のメンターのうちの一人は言います。 これはまったくその通りでして、人生のある時期において、我をなくし、師に仕える、という期間無しに、大成する、ということはあり得ないのです。 確かに、「良い師は3年かけてでも探せ」というように、師を選ぶ選択の重要性、というものもあります。 ただ、その一方で、「師に仕える」という訓練さえできていれば、たとえある時期において師を変えたとしても、すぐに新しい師の教えを吸収できるのです。 つまり、「師から学ぶ」という一つの型ができる、ということです。 その例としてあげたいのがスターウォーズのダースベイダー(=アナキン・スカイウォーカー)で、今夏公開されているエピソード3では、シス側(ダークサイド)に寝返ってしまうわけですが、それでも、それまではアナキンはジェダイの教えに忠実に、時に我を出しそうになっても自分を抑える、という修養をしながら、マスターに仕える、という訓練をしてきたため、ダークサイドに寝返っても、今度はシスの教えを忠実に守る、ということができ、ダークサイドの力に精通していくわけです。 アナキンが、シス側に寝返る前、ジェダイの修行中から自分の我ばっかりを出し、マスターの教えを何一つ聞かない人間であったならば、仮にダークサイドに落ち、シスの側についたとしても、恐らく伸び悩んでいたことでしょう。 実はエピソード6では、ルークと一緒に、ダースベイダーがシスを倒すのです。 つまり、実は予言どおり、「シスを倒す者」だったわけです。 シスを倒したわけですから、宇宙で最も強い男だったわけです。 でも、エピソード3では、シスの命令でジェダイの子供を根絶やしにせよ、という任務を与えられた時は、迷わず実行します。 そこにはある意味で我がない。 だからと言って、決してジェダイの子供を根絶やしにするのが肯定されるわけではないですが、こういう我を捨てられる人間が伸びるのです。 実はスターウォーズエピソード1~6は、アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)という人間の生涯を描いているのであり、またアナキンの生涯を通じて、我々1人1人の生涯へ、様々な問題提起をしている物語なのです。 初めはまっさらで生まれ、そのうち、自分の好きな道で才能を発揮しはじめ、成長し、マスターに出会い、でも失うことの恐怖を若さゆえにコントロールできず、ダークサイドに落ちる。 そして贖罪をし、最後はもう一度善の道を実行する。 誰もが人生でダークサイドに落ちる時もあれば、マスターの選択を間違えることもあるのです。 それでも遅くない、またいつだって人の役に立つ方向へ人生をシフトできる、やり直すことが出来る、ということをスターウォーズでは教えています。 また、アナキンの生涯は、マスターに仕え続けた人生です。 ある時はジェダイに、そしてある時はシスに。 その是非はおいておくとしても、ここから学ぶべきことは、マスター(師)を持つ人生と持たない人生、どちらが充実した生を生きれるか、どちらが自分を高みへと導いてくれるか、ということです。 この答えは言うまでもありません。 そしてまた、もう一つ。これが最も重要なことかもしれません。 それは、例え、運良くマスターに出会えたとしても、自分の我を抑えるという修養ができていなければ何にもならない、ということです。 アナキンも、最後の最後で、ジェダイのマスターからの指示を聞けなかったために、ダークサイドに落ちます。(でもまた、エピソード6の最後の最後では、今度はシスの命令を聞かずにシスを倒すのですが。) 失敗を恐れずに師を求めましょう。 そして我を出さずに、自分のものとなるまで師を吸収することです。 「師に仕える」という修養を積むことです。 これが人生を豊かな、幸福なものへ導いてくれます。 そしてこの姿勢こそが、「メンター成功」の重要なポイントでもあります。
2005年08月10日
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●ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。●今日は夕方に少しだけ、実家に戻っていました。●実は、父親の誕生日が数日後にあり、2週間前に母から「寄れたら寄りなさい」と言われていたので、久しぶりに寄ってみました。●私の家には、私が高校生の時から飼っている雑種の“まめ芝”の犬がいます。●名前を「翔(しょう)」と言うのですが、やはり犬も10数年生きると当然のことながら老化します。●今では道路を普通に歩いていても転んでしまうことがあるらしい。●こういう話を聴くと実は非常につらいです。●家族の前では顔は平気な顔をしていますが、心はしめつけられるようです。●昔はあまり家の中でほえなかった“しょう”も最近はなぜか怒りっぽくなっていて、少しでもちょっかいを出すとすぐに吼える始末。●昔はよくそんな“しょう”に対して怒っていましたが、今では「吼える元気があるだけましだ、噛みつくなら噛みついてみせろ」、と思ったりしてしまいます。●動物病院の先生に、「あと1年くらい」と言われた、と妹から聞くとさらにつらくなってしまい、「ふ~~ん」と顔はポーカーフェイスなのですが、心はとても痛いです。●実は、私、犬を飼うことに対して、反対でした。●その理由はいたってシンプルで、“別れ”がつらいからです。●そして、その“別れ”によって、自分だけならまだしも、他の家族が暗くなるのを見るのが嫌なんですよね。●今日も、夕食の時、食卓の食べ物に手を出そうとした“しょう”が叱られているのを見て、「まあ、どーせあと1年なんだから(大目に見て)いいじゃん!」と言ってしまいました。●すぐに母親や妹から「何てこと言うの!」と突っ込みを入れられましたが、当然この時の心中は、「あと1年なんだから」とドライに割り切っているのとは違うのです。●どちらかと言うと、自分に言い聞かせている。●“しょう”が死んだ時のために、自分がショックを受けないように、今から予防線を張っている、そんな弱い人間なわけです。●当然顔はクールを装っていますから、そんな心中など、誰も知る由もなく、この性格って、きっと他の人達にも誤解されているんだろうなぁ、とつくづくと思います。●悲しみにひたりたくないから、そうならないようにクールに装う。●なんともまあ、子供ですよね。●そんなことを思いながら、帰り際、母が送ってくれましたが、両親に対しても素直になれない自分。●実は、ちょくちょく家に帰るようになったのは理由がありまして、去年、ある有名な霊視の先生に見てもらった時に、「あなた、両親にとても心配をかけていますよ。」と。●そして私との関係が原因で、心労で、早くあちらの世界にいくかもしれない、と言われたからです。●この時もショックでしたね。●そんな想いを心に秘めながら、「とにかく健康には氣をつけなよね。こっちも心配しちゃうんだから」と言うのが精一杯。●「私が悪くなったって、あなたは困るわけじゃないじゃない」●はい。確かにそうなのですが、今まで元気だった家族がだんだんと弱ったり、身体を悪くしたりしていく姿を見るのはとてもつらいものがあります。●とにかく、いつまでも元気でいて欲しいと思うこの気持ちを、また秘かにブログに書いている自分とは一体、素直なやつなのか?それとも素直でないのか?●そんなことを想いながら帰宅していると、ふっとリンクをしてくださっているシンブさんの日記を読む機会があり、そこで、「母の貯金」というフラッシュを教えて頂きまして、私も感動しましたので、ここに紹介させていただきます。●母の貯金●老いや死は、誰の身にも、どんな生命体にも平等に訪れるものでありますが、周りの人を悲しませる死に方、老い方、というのがあるのであれば、“周りの人を幸せにする”老い方、死に方というのもあるのではないか?●そんな『養生観』『死生観』というものを身につけたい。●と、心から思うのです。
2006年04月15日
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