マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.05.10
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カテゴリ: 日本史全般
 歴史の面白さ 


 1時間半の散策を終えて、バスはミステリーツアー5つ目のポイントに向かう。向かった先は鶴岡市内。多分個人の経営なのだろうが、海産物や農産物を売るコーナー、レストランに温泉まである大きなセンターだった。ここで先ず海の幸の詰め放題に挑戦。1組は甘エビ、もう1組は若布に分かれた。

 私は甘エビから攻めた。これが1匹ずつバラバラなら入り易いのだが、凍って大きな塊になったのもある。底の方にバラけた甘エビを入れ、最後に大きな塊を乗せる作戦。店の人が文句を言っていたが無視。次に若布。渡された小さな袋に丹念に詰め込む。店の話によれば平均は700g。一通り作業を終え、重さを量ってみたらちょうど700gだった。

 ところが妻の作業がなかなか終わらない。もう良いだろうと声を掛け、重さを量ると970gもあった。私との差は270g。後で聞いたら、ビニール袋を先ず引っ張って伸ばしておくのがコツとか。誰かがやってるのを真似したそうだ。なるほど主婦の知恵は凄い。確かに袋が広がった分だけ入るわけだ。

 大量の海の幸をゲットした乗客は、次にレストランへ移動。ここで待っていた夕食は海鮮丼。ただツアー料金が安いだけに、内容は今一だった。これが6つ目のポイント。続いて最後のポイントにバスで移動。行き先は老舗の漬物屋だった。案内人の上手な説明で多くの乗客がお土産を買い、我が家も奈良漬を2袋購入したのだった。

 全てのミステリーが解け、バスは一路仙台を目指す。その車中から「南州神社」の標識を発見して驚く。「南州」は西郷隆盛の号。それが何故こんな場所にあるのか。その謎が帰宅後に調べて分かった。庄内藩主酒井氏は老中を務める家柄だが、国内が勤皇、佐幕の両派に分かれる中で体制を維持するために苦労を重ねた。京都守護職を務めた会津藩と共に奥羽越列藩同盟を結成して官軍と戦い、結局は敗れる。

 明治新政府から責任を問われた庄内藩は、その後会津、平へと転封されるが、西郷隆盛の穏便な計らいによって再び鶴岡へ戻って廃藩置県を迎えた。西郷はその後、西南の役により賊軍の首謀者として死を迎えるが、恩義を感じた庄内の人々は彼を神と崇めて社を祀ったのだろう。

<完>





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Last updated  2010.05.10 15:17:57 コメント(4) | コメントを書く


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