マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.05.09
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カテゴリ: 日本史全般
 殿様より偉い本間様(2) >


 なかなか風格のある屋敷だ。玄関から座敷に上がると、案内の人が説明を始めていた。慌ててその列に加わる。もらった資料によれば、この屋敷は幕府巡見使一行の本陣として明和5年(1768年)に新築し、庄内藩主酒井家に献上したものらしい。その用向きが済んだ後、改めて拝領したものとか。初めから自分で住むために建てたものではなかったのだ。

 部屋数は確か全部で23室あったはず。先ず庭が清々しい。贅沢なものではないが良く手入れされていた。本間家の家紋が入った仏間が立派。先祖は武蔵国の出身らしい。それが後年佐渡島へ渡って海運を手掛け、その一族が酒田へ移住して来たのだと言う。子供部屋は2つ。1つは遊びと寝室を兼用した部屋で、もう1つは勉強部屋。襖には日本海海戦の絵が油絵で描いてあった。当時は世界の大国ロシアを負かし、絶頂期だったのだろう。

 それに比べて主人の部屋は5畳しかない小さなもの。夫人の部屋も同様だった。ただし、北西の隅に位置するその場所は、家の繁栄を約束するものらしい。台所は士分のため土間ではなく板の間。常時30人ほどが起居していたため、3個の大釜でご飯を炊いたようだ。下男や女中の部屋は台所の脇の中2階にあった。

 屋敷の中を一巡したが決して豪華な造りではない。だが、長屋門、薬医門、七社の宮、上座敷、違い棚、釘隠しなどには、やはり豪商としての風格が感じられた。酒田は季節風が強く、これまでに何度も大火に遭っている。だがこの本間家では庭に水分の多い樹木を植え、海側に土蔵を巡らすなどの防火対策で延焼を免れたようだ。

 帰路、本間家の別館を見学し、江戸時代からの商家である鐙屋(あぶみや)を外から眺めて山居倉庫へ向かう。この倉庫は明治26年に旧庄内藩主だった酒井家が建てたもの。元々14棟あったが、このうち12棟が現存している。専ら米を収容するためのだが今でも一部はJAの倉庫となり、一部は資料館として機能しているのが立派。

 倉庫の西北部に欅(ケヤキ)の大木が並ぶ。太い幹は海風から倉庫を守り、張り出した枝は強い日差しを遮る。その他にも倉庫内の気温を一定に保つ工夫が幾つか施されている。欅が茂る小路はJRのポスターにも採用され、吉永小百合が優雅に散歩する姿が写っている。

<続く>





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Last updated  2010.05.09 19:54:15 コメント(4) | コメントを書く


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