40日の旅

40日の旅

別居生活2


(もう、10年近く経ってますし^^)

とにかく、結局、ここまで来ると夫婦の問題は終わっていて、家同士の話合いになっていた。
それが、私達夫婦が親から自立していなかった証拠と言える。
父が向こうとの話し合いに右往左往して・・・

最終的には、家庭裁判所で「養育費」についての話し合い。私が申立人となって始める事になった。

すでに勤務を始めながら、の離婚調停。
一度目で養育費が決まらなく、何度も・・・
裁判所では、もっと深刻な事もいっぱいある様で、調停員の方も
度重なってくると面倒な様子・・・
でも、父に、これだけ以上じゃないとOKしてはいけない!と言われている金額がある。勝手にOKしたら大変な事になる、今はそんな事はないけれど、その頃はそんな状態だった。

調停を重ね、気付くと私の頭には脱毛症。
「どんな様子なのか?」と母が同行した調停、これが最後の調停となった。
調停中に母が父の勤務先に電話して「もう、これ以上頑張れないから、この金額でOKするよ。じゃないといつまでたっても決まらないよ」とOKを取ってくれた。頭にハゲが出来ても仕方ない状況を、母が解ってくれた。

裁判所で書類が作成され、申立人である私が市役所に届けを出して、離婚が成立した。
別居から約5ケ月後、でした。当時、息子は2歳になったばかり。
未満児で保育園に通い、慌しい日々の中、でした。




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