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父の結婚の条件は二つあった。一つは健康であること。父は幼くして母を病で亡くした。二度目の母は力を尽くして父を大事にしてくれたそうだが、母を亡くした悲しみは大きかった。父の家の主婦は健康でなければならない。 二つ目は育ちの良いお嬢さんであること。これは個人的好みかな。 いくつかお見合いもしたそうだ。ある令嬢は感じ良い人だったが、父がジョークを飛ばすと大きな口を開けて笑った。その口の中で金歯が光った。こんなお獅子のような女性とは嫌だなあ、と思ったから、歯はよく磨いて大事にするように、と父はわたしに命じた。 ある日会社の上司を通じて見合いの話が来た。「君は仕事が忙しすぎて結婚相手を探す間もなさそうだから、探してみたよ。すごいお嬢さんだよ。母方は加賀百万石の前田家の筆頭家老を務めた家系だ。」「そんな家のお嬢さんが貧農の子孫のわたしと、いいんですか?」「さばけた家だから、人柄が良ければ構わんよ」と、いうことで、会ったのが我が母。 父は見合いの席で恥ずかしくてまともに母を見なかったらしい。けれど、つきそいで来ていた祖母の知的で凛とした居ずまいに感服し、この人の娘ならと話をすすめた。母は当時としては適齢期を過ぎようという年であったし、信頼できそうな人だというので、父とのつきあいを決めた。父は第一条件を満たす女性かどうかを試すために母をハイキングに誘い、体力検査をしたが、母より父の方が先に疲れてしまい、母の健脚ぶりに舌を巻いた。いよいよ結婚の運びとなったが、 母の実家のお堅い家柄に、婿として認めてもらえるか、祖父にお伺いをたてたそうだ。祖父は一言「おもしろいから、いいじゃないか」 新婚時代は父の出張・単身赴任で瞬く間に過ぎてゆき、間に姉が生まれた。マージャンが好きで、家にいる時間は少なかったらしい。父はどうしても家族同居したかったので、会社に家族づれで海外に行くことを交渉した。母は会社ではじめて海外暮らしをする駐在員妻となった。そこでなかよくなった母のフィリピン人の友人は父母の結婚生活の別居期間の多さにあきれて「そんなの離婚ものだわ」と言ったそうだ。それでも、父は仕事熱心ではあったが、滅私奉公するタイプではなかったので、有給はきっちり取り、海外駐在の合間に家族旅行を楽しんだ。母は父が連れてくる客のためによく料理を作り、もてなしていた。夫婦二人三脚、日本にいて残業で食事もろくに一緒にできないより、海外生活の方が楽しかったようである。 父は家で食事をするときは晩酌も加えて平気で2~3時間を費やした。母はいつも父の話の聞き役をするのだが、途中でし残した台所仕事を片付けたくて消えてしまい、わたしと父だけ食卓に残される。(姉はもっと早い段階で逃げる)そうなると、酔いも手伝って父の話は自慢話とのろけになるのだ。「うちのお母さんみたいにできた女性はいないぞ。料理はうまいし、教養はあるし。結婚した頃は色気がなかったけど、年々いい女になるだろ」(娘には意味不明)娘に妻のことをのろける男性が世の中にどれくらいいるんだろう。「お母さんのような女性になれ」いや、無理だって。別人だし。わたし、性格はお父さん似だし。 会社を定年退職してから父はいろんな企業の相談役として自分のやりたい仕事だけを選んで過ごした。父は鳥を好み、母は野草を愛で、よく二人であちこちウオーキングしていた。 わたしが三十路近くになってようやく結婚することになった頃、父は体調をくずし、検査入院をした。結婚式の花嫁のつきそいは、検査入院の合間に病院から来てくれた。そして、検査の結果、膵臓と肝臓に癌ができていることがわかった。 治療しようがなくなったことがわかったとき、父が願ったのは母と暮らす家に帰ることだけだったが、末期ガンの痛みを抑えるための処置は自宅ではできず、無理な願いだった。わたしの結婚式から3か月、父は病床にふしたまま逝った。聴覚は最後まで残る、というので、意識を失った父を囲んで、母と姉と私と、父の妹で歌をうたった。父がミッションスクールで歌ったという賛美歌「主われをあいす」・・・神さまの愛よりアイスクリームが食いたいって?青春時代は甘いものに飢えていた戦中だったから、、、「主は強ければ われ弱くともおそれはあらじ」「御国の門を開きてわれを招きたまえり いさみて昇らん」母に手をとられ、娘妹が身体をさする中、父の心電図は止まった。同時に、黄色くむくんでいた顔が白く明るい色になり、父はかすかにほほえんだ。それが医学的なよくある反応であったのか、本当に天国に旅立ったという神が残したしるしであったのか。。。。 7月7日、夏の到来を告げるような、やけに明るい日だった。織姫彦星のように父と母は別れ、からっぽになった父の身体だけが父の恋しい家に帰ってきた。 父親が子供にできる最高のプレゼントは、その母親を誠実にただ一人の女性として愛し通すことだという。そんなわけで、彦星とうさんは、数多の苦笑してしまう欠点エピソードにもかかわらず、妻と娘にとっては大したヒーローなのである。
2009.07.22
父が鬱病になった。貿易商社に入社して三年目くらいのことだ。親戚知人に大卒がいない、商社勤めがいない父には何の情報もコネも無かった。やっと小さな商社に就職した社会人一年生に待っていたのは、突然の父親の死と残した負債・・・・他人の借金の保証人になっていた・・・・だった。がむしゃらに働いて数年、同期のコネのある者が昇級していくのに父は鳴かず飛ばす。本社から大阪支社に飛ばされる始末。 父の言葉を借りれば「バッカな奴らが能力もないのに努力もしないで出世していく」 ある朝、父は起きられなくなった。 独身寮に引きこもってしまった父を心配してくれたのは、上司であるセンパイ。センパイは「あいつは会社に必要な人材だから」と新婚家庭に父を引き取ってくれた。 センパイの家にはもう一人居候がいた。センパイの奥さんの妹さんだ。妹さんは結核を患っていた。結核は当時まだ特効薬がなく流行っていた死の病だった。日本はまだ貧しく、住宅も少なく、家族・親戚がひしめいて暮らす家は珍しくなかった。 父は同じ屋根の下、夜ごと響く咳の音を聞きながら幼い頃を思い出していたのだろう。小学校三年のとき、父もまた結核を患って学校を一年休んでいた。友達は移ることを恐れて家を訪ねて来ず、父が登校できるようになった時は先輩になってて、父は年下の子たちともう一学年勉強しなければならなかった。咳の発作が起きると胸が痛くて苦しくて、座布団を重ねた上に腹這いになって耐えたという。でも、身体の苦しみよりも、学校に行けないことの方がつらかったそうだ。父の慰めは家に下宿していた朝鮮人留学生のキムさんが将棋を教えてくれたことだったそうだ。(後年父がわたしの韓国人留学生の友人に良くしてくれたのはそれもあったかもしれない)父の母親は一年生の時に亡くなっていて、二度目のお母さんが家に来ていたが、お母さんは父にかかる高額な医療費を捻出するために、惜しげもなく持って来た着物類を売り払ったという。 心の病で朝起きれない父と、夜ごと咳の発作で眠れない妹さんは昼過ぎに起き出して、センパイの奥さんが作ってくれた昼食よりも遅い食事をバツの悪い思いをして一緒に食べた。父は必死にギャグを連発してセンパイの奥さんと妹さんのウケをねらった。お世話になっているせめてものお礼もあったろう。妹さんは東京から来た落語家みたいな男の話に涙を流して笑ったという。 人を力づけようとすると自分が元気になるとはよくあることだが、センパイ夫婦の介護の甲斐あって父は回復し、東京に呼び戻された。父が東京をベースにフィリピン支店の開拓の下準備を始めた頃、センパイの奥さんから手紙が届いた。妹さんが亡くなったしらせだった。 「幸い薄い妹の生涯に青春の喜びを与えてくださったことを感謝します」 父が妹さんに女性として想いを寄せていたのかどうかはわからない。けれども、父の不遇のときに家族ぐるみで支えてくれたセンパイあればこそ、父は「バッカな奴らがのさばる会社」とボヤきながらも定年まで勤め上げた。フィリピン、ブラジル支店の立ち上げをし、ロシア貿易には五十を過ぎてから着手した。良いラワン材を求めてヘルメットをかぶり、カヌーにのって密林を行き本社と唾を飛ばして電話で渡り合い堪能な語学力を駆使して現地社員を鼓舞した父の働きはセンパイの期待とそれに心を合わせてくださった奥さんと父の存在を喜んでくれた妹さんに育てられたのだと思う。 父は与える喜び、自分の力を駆使する楽しさを知っている人であった。
2009.07.22
父が小学校を卒業する頃、もう日本は中国と戦争をしていた。父も軍歌をうたって育ち、男の子たちの将来の夢は将校になって手柄をたてること。兵隊になることがステイタスの時代、結核になって一学年下げて勉強している、クラス一チビな男の子はそれだけでもう、男子としては「欠陥児」扱いされておかしくなかった。「お前には兵隊は無理だな」バカにされても人一倍負けず嫌いな父は言い返した。「オレは参謀になる」叔母の話では父は成績優秀、首席だったので級長をずっとつとめていたそうだ。仲間の遊びを楽しくするアイデアもいつも父から出ていたから、皆もう、父をおとしめる言葉を言えなかったそうだ。父自身いっしょにいて面白いキャラでもあったろうが、妹たちが器量よしだったので、男女クラスが別の時代、旧友たちはやたらと父につきまとい、家に遊びに来たがったとか。そんなわけで、父は自分よりずっと体格のまさった級友を従えて走り回っていた。(叔母の話ではあながちウソではないようだけど、オレサマな父の誇張も多少あると思う)父の家は魚屋で、仕出しもしていた。仕出しの配達は小さい父の仕事だった。足のつかない大人の自転車に自分より重そうな荷を乗せて、坂道を下ると後輪が上がってスリリングだったとか。父は仕出しが結構好きだった。なぜなら、ちょっと遠い高級住宅街にも行けたからだ。はじめ、父は気おくれして、その界隈に行くのが嫌だったそうである。ところが、線路を渡った向こうの一軒に、レースのカーテンの中からいつもピアノの音が聞こえる家を見つけた。ピアノを弾いているのは自分とあまり年の変わらない、長い髪をたらした女の子だった。(当時、長い髪を三つ編みにしていない子は珍しかった)父はその子のピアノ聴きたさに?姿見たさに?家業の手伝いを喜んでした。 いつか、あの子と友達になりたい。いつか結婚するときは、あんなお嬢さまがいい。もし、それがだめでも、自分が家庭をもったら、娘にはピアノを習わせるんだ。だから、絶対金持ちにならなくちゃ。それが、父の夢になった。 時期に日本はアメリカとも戦争をはじめ、威勢のいいことを言っていばっていた大人たちはちりじりになり、東京も焼け野原になった。父の家はなんとか焼け残ったが、線路向こうは焼けてしまったそうだ。女の子がどうなったのか、父は知らない。良い家の子だから、どこかに疎開して生き残ったのかもしれないし、家と焼けてしまったのかもしれない。 父は夢のとおりに娘二人にピアノを習わせた。日本、フィリピン、ブラジル、引っ越すたびに一番にピアノを買い備えてくれた。姉娘が受験を口実にピアノを習うのをやめてしまうと、妹娘のわたしに期待をかけた。わたしはピアノが好きでよく弾いたけど、練習がきらいだった。レッスンをやめたいと言い出すと父は「小遣いやるから、やめるな」と、父親としては情けない買収策に出た。わたしは高校までだらだらとピアノを習った。長じてクリスチャンになってから、讃美歌を弾くようになった。父は「曲のジャンルが違う」とボヤきながら、まんざらでもないようだった。娘の下手な讃美歌は、初恋の女の子への鎮魂歌であり、平和の調べであったから。
2009.07.22
つるが旅立った。行き先はわたしの実家・神奈川県の藤沢。高速バスと新幹線(乗り換え1回)を乗り継いで小田原駅まで一人で行けばホームで祖母が待っている、という寸法。だけど、高速バスセンターまでつるを送って家に帰ったら帽子も冷房対策用カーディガンも見事に忘れていて、そそっかしい子が大丈夫かなあ。そういや、バスに乗る前も切符取り落としていたし。ホーム間違えないか、乗る電車間違えないか、この大雨でトラブらないかだんだん、心配になってきてバスの窓からバイバイするつるのかわいい姿(親バカ)ばかり心を去来するのであった。とっくに二人が会ったはずの約束の時間になっても電話かかってこないし。。。母の携帯に電話しても出ないでも、連絡ないのが順調にいってる証拠と言い聞かせて夫婦でコーヒーを飲んだしばらくすると無事家に着いたと電話がかかってきて一安心。一日分のエネルギーをもう使っちゃった気分ま、わが一族が6年の夏休みに必ずする通過儀礼は無事合格しそうです。ちなみに、この夏休み、つる主婦修行に励む予定。中学上がる前に身の回りのこと一通りできるようになってもらいたい。しかし、ハハの意気込みの前にはつるの「面倒くさい」という高山がそびえているのであった。
2009.07.21
あーー、疲れたーーー!!つるは今、やっと一息ついたって感じ。 今日は学校で水泳検定があって、50メートルをおぼれかけながら、めちゃくちゃなフォームでなんとかおよいで、その後は今日、6時間目にする七夕集会の劇の練習。 そして急いで給食を食べているとこれまた大変!劇で、おり姫役の子がなんと調子が悪くなり保健室へ。キャーーーーー!! 劇は無理そうだったのでピンチヒッターでなんと男子がおり姫役に!!つる的にゃあ、やっぱおり姫は女子にしてもらいたっかったんだけどなァ・・・でもこれが思いのほかうけて、まぁ、これはこれでよかったのかな?? ひこぼし役は、とんクロの常連・ボンゴレヤロー。男同士だから男×女の時より、おりひめとひこぼしが仲がいい感じは出てたしね☆ そして劇が何とか無事終了。 やったー!!と思って家に帰ると・・・ なんと!バイオリンレッスン!!ハードすぎる―――!!いや、他の人から見ればなんてことないのかもしれないけど・・・正直体力ないつるには、きつすぎます(T_T;;) そのあと外食(2時間ほどかけてのんびり食べた。つるファミリーは食事にかかる時間がなみでないのだ★)をして、つるは今家に帰って来たとこ。 でも、夕食のとんかつはおいしかったーーー!!幸せいっぱい腹いっぱい。 明日は学校の夏祭り。かき氷に~♪ポテトに~♪や・き・そ・ば♪さあ、明日もたくさん食べるぞ――!!それではみなさんおやすみなさ~い!
2009.07.10
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