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2003年04月02日
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「歴史家にとって何より大切なのは,物事の因果関係を明らかにすることである」。―歴史学助教授、ジェラルド・シュラバック。




近年では、かつて西側陣営にとって脅威とみなされていた東欧の共産主義政権が、あたかも一夜のごとく、次々に崩壊した。しかし、なぜそのようなことが起きたのだろうか。また、どんな教訓を学べるだろうか。歴史家はこの種の疑問に答えようとする。しかし、そうするに当たって、個人的な偏りがその判断にどの程度影響するだろうか。

歴史はどこまで信頼できるか

 歴史家は、科学者というよりは、むしろ探偵に似ている。過去の記録を調査し、疑い、その真偽を問題にする。目指すところは真実を知ることだが、その対象となるものがそれほど明確でないことがある。その理由の中には、歴史家はおもに人に関する事柄を扱い、人の心、それも昔に死んだ人々の心を読むことができない、という点がある。また、歴史家は先入観や偏見を抱いているかもしれい。であるから、極めて優れた歴史書でも、実際には記述者独自の視点による解釈にすぎない場合があるのである。

もちろん、公平に言えば、ある歴史家が独自の考え方を持っているからといって、その著作が不正確なものになるというわけではない。聖書のSamuel,Kings,Chroniclesの中には、並行記述がある。それらは5人の人によって書かれたのたが、問題となる食い違いや誤りは含まれていない。四福音書についても同じことが言える。多くの聖書筆者は、自分たちの過ちや愚かな間違いについても記録した。一般の書物ではあまり見られない点である。―Numbers 20:9‐12.Deuteronomy 32:48‐52.

偏見が入り込む恐れに加え、歴史書を読む際に考慮すべきもう一つの重要な要素は、それを記した人の動機である。「時の権力者、権力を求めている者、あるいはその友人たちによって語られた歴史はどれも、最大の疑念をもって見なければならない」と、マイケル・スタンフォードは「歴史研究便覧」の中で述べている。歴史の書物がそれとなく、あるいは公然と国家主義や愛国心に訴えている場合にも、記述の動機が疑われることは明らかである。残念なことに、この種のことはしばしば、学校用の教科書に見られる。ある国の政府の指示はかなりはっきりと、歴史を教える目的は「人心の国家主義的ならびに愛国主義的感情を強化すること」にあるとし、「国家の過去に関する知識こそ愛国的行動を鼓舞する最も重要な要素の一つである」と述べている。





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最終更新日  2003年04月02日 21時39分52秒
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