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2003年04月16日
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戦争の影に…
ベトナム戦争―宗教は人々をどこへ導いたか

 カトリック、プロテスタント、その他の宗教団体に属する若い人々が何千人となくベトナムで戦った。僧職者は直接戦場で兵士に仕えていた。宗教は人々をこの戦争に送り出すことに関与しただろうか。

 ベトナムの戦闘に関して、プロテスタント諸教派はどんな立場を取っていたか。イエズス会士ロバート・ドリナンは「ベトナムとハルマゲドン」の中で、「ベトナム戦争は道徳的に見て弁明の余地なしとする、プロテスタント神学者が一様にいだいているともいえる心情」を指摘していた。 プロテスタントのいろいろな宗派は、同戦争に反対する声明を発表してきた。

 ユダヤ教の組織にも、戦争に反対するものが現われた。当時ワシントン・ポスト誌には次のような見出しが載せられた。「ケンジントン神殿の決議ベトナム戦争終結を勧告」。同決議は、「ベトナム・ラオス・カンボジア本土及び上空での戦闘に参加しているアメリカ軍の完全撤兵を決定し、発表する」ようニクソン大統領に勧告した。

 ローマ・カトリックはどんな立場を取っていたか。当時アメリカの司教は全国会議を開いたが、ニューヨーク・タイムズ紙はその模様を報告し、第一面に次の見出しを掲げた。「アメリカのカトリック司教インドシナ戦争の終結を要請」。司教たちによって採択された決議は、「人間の生命と道徳的価値感の破壊」を指摘し、さらにこう述べている。「ゆえにわれわれは、戦争の即時終結は道徳的に極めて当然のことであって、急を要する問題であると堅く信ずる」。

 デトロイトの司教補佐トマス・ガンブルトンは、決議は「戦争が不当なものであることを示している」と説明した。したがって、カトリックの立場に同意する人はだれも「この戦争に携わらなくてもよい」と彼は語った。

 こうした証拠を前にして、宗教は人類を戦争から遠ざけてきたと結論する人がいるかもしれない。しかし当時なぜ、若いカトリック教徒やプロテスタントの信者たちが幾十万人もベトナムで戦ったのか。彼らは教会から受けた指導に反して行動してきたのだろうか。
2003/04/16 23:30:16

戦争の影に…
宗教はどのように人々を導くか



 それは宗教が人々の考え方をどの方向に導いてきたかに原因があるのではないだろうか。実際、宗教が人々の思いをある型にはめてしまったために、独裁者が権力を得、それを保持するという事態が生じうるのである。人々は宗教の影響を受けて、政治指導者が自分たちの望む状態を社会にもたらしてくれると期待するようになっている。

 少数の例外を除けば、宗教指導者みずから政治支配者を賞賛し、追随してきた。時には、どちらの側に投票すべきかを人に告げることにより、僧職者が直接政治に介入することさえある。

 したがって独裁者が登場して、人々に彼らの欲しているものを約束すると、多くの人は彼に従う。ところが彼が戦争を命じるとどうなるか。大多数の人はこの点でも従うよう僧職者からしむけられているのである。

 政治支配者のやり方に行き過ぎの見られることがある。僧職者の意に沿わないことをする場合である。だが、そうした悪政に対してまず責任があるのはだれか。たとえば、ヒトラー政府は、僧職者の大多数が彼を支持するよう人々に命じなかったら、少なくとも支持することを許さなかったら、あれほどの権力を振うことができただろうか。ナチ主義の地位は、ヒトラーとバチカンの間に結ばれた政教条約によって強化されたのではなかっただろうか。

 ロシアの教会が富裕な地主階級や他の圧制的な分子を支持するあまり、必然ともいうべき反動が起きたが、もしそういう事態が生じていなかったら、共産主義がロシアで政権を握っていただろうか。キリスト教世界の国民が中国人に対してもっと別の扱い方をしていたなら、共産主義が中国大陸を手中に収めていただろうか。

 今日の急進的な僧職者の中には、革命を勧める人さえいる。しかし、彼らはそうすることによって、自分たちの態度を実際に変えているのだろうか。神のみことば聖書に教えられている真の解放を示す代わりに、人々を別の利己的な支配形態に導いているに過ぎないのではないだろうか。

 また、道徳はどうだろうか。淫行や姦淫、性的に異常な行為をならわしにする教会員はどうなるか。相変わらずりっぱな会員として留まるのが普通ある。道徳上の訓練や指導を与える面での教会の怠慢こそ、キリスト教世界の至る所で見られる性病、私生児の出生、あるいは堕胎などの驚くべき増加の主要な原因を作っているのではないだろうか。

今日のこの状態は、イスラエルがバビロンに流刑にされる前、彼らの首都エルサレムが破壊される前の状態と全く同じである。聖書は当時について、「預言者も祭司も汚れたからである」と述べている。―エレミヤ 23:11。

 その結果どんな状態が生じたか。聖書は次のように答えている。「のろうこと、欺くこと、殺害すること、盗むこと、姦淫を犯すことが発生しており、流血行為に流血行為が相次いでいるからである」―ホセア 4:2。

 僧職者は今日、古代イスラエルにおけると同様、神についての信仰を保たなかった、というのが真実である。信徒に神のみことばの真理を教えてはいないし、自分自身それに従いもしない。神に命令されることを行なうよりは、自分の考えを遂行することに関心を示してきた。

 これは、神の名によってなされた嫌悪すべき事柄を非難した僧職者が全くいなかった、という意味ではない。政治に携わる人々のなかの誠実な人々が事態を正そうと努めてきた。しかし、妥協と利己主義という支配的精神、さらに幾世紀もかかって築き上げられた、正しい原則を無視する体制とのために、キリスト教世界をよくしようとする人々は無力な状態に置かれてきた。たぶん、世界宗教の失敗が招いた最も悲惨な結果は、人類の戦争に関するものだろう。その記録を調べるなら、わたしたちは大いに考えさせられる。たとえば、ベトナム戦争に関連した、宗教はどんな記録を示しているだろうか。





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最終更新日  2003年04月16日 23時30分16秒
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